越中市八尾町城生:どんとかむ!
浮ついた気分のまま、放課後。幼なじみと連れ立って下校タイムだ。中部地方高校は繁華街に近い立地である。ただ都心に背を向けて帰る僕たちについて言えば、誘惑されるところもあまりない。昔の富山市街は神通川で途切れていて、左岸には広い土地が要る陸軍と病院が置かれていた。今は大学を中心にした市街地になっている。
工学部前でふいっと途切れた市電から、道路を渡って飛越線に乗り継ぐ。これはもともと神岡鉱山の鉱石を運び出すために敷かれた貨物用ローカル線で、最近まで人が乗るものとはあまり認識されていなかった。貨物に混じって走る普通列車も自分たちの生活とは無関係な動く背景扱いだった。保育園のおゆうぎでもでんしゃごっこじゃなくかもつれっしゃごっこを習ったものだ。小田原箱根急行沿線育ちの僕にはこれが不可解で、幼い日、思わず「富山では汽車って見るだけのものなの? 普通に乗ればいいと思うんだけど?」と素朴な疑問を呈してしまったものである。
そうしたら飛越線に乗るという斬新な提唱が役場まで伝わって大騒ぎになった。やれやれ、当たり前のことを言っただけなんだけどな……。余った硫酸タンク貨車に窓を開けて乗るのはどうかとか、幾度か意見を聞かれもした。今思えば、ある意味乗ってみたくはあった。鉱山方面が廃止になった代わりに飛騨古川まで延び、高山線に繋がって名古屋から特急が来るようになったのは小3の頃だ。その時に普通列車も増えた。
それほど待つこともなく、国鉄のお古がけたたましい騒音を立ててやってくる。電化されているのにディーゼルである。ホームでの位置取りが悪かったのか、むわっと煤煙が漂った。
「こはいかにー」
「あさましきことー」
習ったばかりの古語で奈月ちゃんと軽口を叩き合いながら乗り込む。
帰路の30分は貴重な学習時間だ。中部地方高校ではヨーロッパ式学習法、すなわち授業と別に平日4時間・月2回の半ドン日6時間・休日8時間の学習時間を取ることが推奨されている。通学時間を充てなければとても間に合うものじゃない。理科や社会科が生活科に変わり、高校でも就職用に専門を絞るこの時代に、SFハイスクール指定校では全部やる。奈月ちゃんの背中を追いかけてとんでもない学校に連れて来られてしまった。
ふと窓外を見やれば化学工場の煙突に燦くハヤホシ。既に越中市に入っている。空中元素固定装置で硝酸やアンモニアを作り出している人造肥料工場である。中学地理では三重が石油コンビナート、愛知静岡が自動車・バイク、中央高地が時計やプリンター、そして北陸が輪島塗や眼鏡の地場産業と教わって、北陸には牧歌的な手工業エリアのイメージが刷り込まれるけど、そんなことはない。富山県は第二次産業率全国1位の工業立県で、この工場1つ取っても硝酸出荷量全国4位を占めている。
越中市は富山市の南に位置する衛星町村が適当にくっついた外縁都市だ。旧町村間のつながりは薄く、それぞれがばらばらに富山市と交流している。中心都市を取り巻く定住自立圏で合併するよう平成の大合併の指示が出た時、吸収合併されたくない衛星町村同士でくっついた益体もない市のひとつだ。越前市のように旧国府があったわけでもなく、共有できるランドマークがないのでとりあえず旧国名を僭称している。他の名前候補が神通市、あおば市(農協の名前)、ますのす市だったと聞けばいかに適当にでっち上げた自治体か分かる。
非合理だけど、地政学的には当たり前だ。滅びたくなければ秦と連衡せず、小勢力同士で手を結ぶ合従策を取るしかない。行政は会議室で行われていて、目が届かない隅っこは放置される。水橋・砺中・大長谷と、昭和の大合併で併呑されて存在感を失った町村が証明している。まして富山市は世界有数のコンパクトシティ先進都市で、徒歩と路面電車で暮らせる歩行圏コミュニティを目指している。郊外を縮小して畳み、人が減った都心部に移住させてにぎわいを取り戻す方針だ。そりゃあバラ色の都市政策かもしれない。でも、取り戻された方は取り戻されてしまうんだよね。富山市に言われて|ジャコスモール出店を断った旧立山町は富山都心まで買い出しに出る権利を安堵されただけ。一方、旧婦中町・現越中市の速星地区は富山市の横槍を無視して新世紀CTYふぁぼれよを招き、地区人口を5年で1.5倍にした。この明暗を見ても富山市郊外に組み込まれて間引きされたいと思うならどうかしている。越中市は郊外の反コンパクトシティ連合にあたる。ちなみに越中市になった後で郊外シュリンクしない対等合併を富山市に持ち掛けてみたら、エゴ吹かれんなと言われて一蹴されたそうだ。
支流沿いの工場地帯を遡った飛越線がぷいと向きを変え、神通川沿いに戻ってきた田園地帯にぽつんとあるのが僕たちの降りる駅だ。雪で倒壊しないよう廃レールのつっかえ棒を噛ませた待合室があって、赤錆びた貨車が転がっている、そんなうらさびた無人駅。小さい駅といえば愛甲石田と思っていた幼い僕の認識を大きく塗り替えてくれたものである。テレビでは田起こしをしましょうとコマーシャルが流れているし、すごいところに越して来てしまったと子供心に不安になった覚えがある。
3枚に畳まれたドアからトントンと降りた奈月ちゃんがくるりと反転して右腕を広げる。いたずらっぽく結んだ口許にどきりとする。
「何、奈月ちゃん。飛び込んでいいの?」
「どんとかむ!」
「どっちだよぅ」
おとなしく下車することにする。人目もあるし。
「はーっ、今日はさっむいわねー」
「この雲で陽が差さないとねぇ。朝の冷え込みはいつもよりましだったけど」
「放射冷却が起きないもの……、ねえ私路? これって今しないといけない話かしら」
「確かに。春先に言うより、雪が降る日は暖かい、で持ち出す方がいいツカミになるよね」
奈月ちゃんの冷やっこい手に掌を重ねる。ぱっとはじいてから、幼なじみは改めておずおず指を絡めてくる。ツンデレ反射という不随意運動だ。
「ふふっ。私路は、本当、ふふっ」
奈月ちゃんが頬を緩ませる。吊り目がちできつめの面差しの彼女だけど、わずかに目許を細めた笑みは心とろかすような甘さを湛えている。
「え、何」
「甘えんぼさん!」
「なーん、今のは露骨に寒いアピールしてたじゃん……。僕が手繋ぎたかったみたいに言わないでくれる?」
「ふーん、それであっためてくれるの? いい子いい子。撫で撫でしたげよっか」
「やーめてよー!」
彼女は極度の冷え性で、しばしば体温を分けてほしがる。成長期の骨が血管を圧迫する出口症候群に、器質的に血管が細い体質も相まって驚くほどよく冷える。レイノー現象で真っ白になった指を擦っていることも少なくない。幼少時のようにお手々あっためてーと素直に言ってくれれば話が早いのだけど、高校生ともなるとそういった幼い振る舞いは躊躇われる。歳は取りたくないものだ。
県央では散居村と言っても多少は家が並んでいて、隣はすぐ隣だから、帰り道もずっと一緒だ。これが県西の砺波平野だと本当に旧家は1軒ずつ散在する典型的散居村になる。この違いは、洪水対策でほんの少し小高い微地形に家を構えて周囲の低地を耕した時代の痕跡らしい。県西砺波民は暴れる庄川を締め切って堆積平野に散らばる一面の堆積物にバラバラに住み、県央富山民は神通川が下刻していって余った自然堤防跡に並んで住んだ結果、行動原理は同じでも実装の差が現れている。隣の幼なじみとの距離は実に地理学的な要素で定まっているのだ。
鉄塔薄島八尾線のもと、産業用太陽電池畑が展開している。そう、田園地帯だ。田植えを待つ田んぼの上に半透明でペラペラの太陽電池がかかっている。奈月ちゃんのママは有機電気化学というなんだか宮沢賢治っぽい分野の研究者で、液晶・太陽電池・蓄電池・常温超電導あたりの素材開発がお仕事だ。元は目の付けどころが鋭いあの家電メーカーにお勤めだったけど、会社が研究中断と富山撤退を決めて、目指す未来がちがってしまった。今は富山研究所ごと独立してこういう実験をしている。
農地では農産物しか作ってはいけない。電力は震災後、農産物の一種に認定されて作れるようになった。太陽電池畑と呼ばれるゆえんだ。山峡のスクラップ田を転用すればちょうどいい。と思いきや、土地改良済みの平地のビルド田へ太陽電池セルが作付けされる悲劇的状態が全国的に起きている。まあね、農機が入れるようにした田んぼは重機も入れて作業しやすいからね……。そこでご提案したいソリューションがこれ、透ける薄膜太陽電池だ。セルを地面に据え付けてしまう通常の太陽電池畑と違って下をそのまま耕地にできる。太陽電池は決して効率のいい発電方法ではなく、植物の生育に必要な光量にも上限があるから、発電に利用できる分だけ電池が吸収して残りの光は作物に降らせればちょうどいい。まあ現実はそう理想通りに行かなくて、お米の収穫を犠牲にしない限界のバランスを実証している最中というわけだ。
減反の中でそこまで高度利用して土地生産性を上げる必要があるかといえば、ある。例えば休耕田で作るチューリップの球根。稲と麦の二毛作が成り立たない雪国でも可能な裏作として導入されたものだけど、気候がばっちり噛み合い、今では減反分の元水田で作り続けられている。平均湿度全国1位の富山では花粉が湿って叩き落とされる上、媒介する虫も越冬できないから、人の手で掛け合わせを完全に制御できるのだ。太陽電池の方が稼げると言ってセルを植え尽くしたらこういう環境を活かした地場産業が衰退してしまう。
もちろん農業だけが薄膜電池の用途ではなく、透ける・貼れる・曲げられる特性の応用範囲は広い。窓に貼って遮った光で冷房をつけたり、カーポートの屋根に使ってEVに充電したりもできるはず。薄膜太陽電池は人類と太陽電池が国土の4分の1しかない可住地で共存するための希望といえる。
「ん、ぱっと見オールグリーンね」
「言葉にするとすごく杜撰っぽいね……」
文字通り、リレーボックスごとに緑のLEDが灯っている。電力線そのものを通じたメタル線ICTで発電状況はリモート監視されているけど、影を作っているのが鳥か木の葉か飛んできたビニールシートか、なんてのは目視しないと分からない。そういう異状がないかチェックしながら歩いていく。高圧電線がジリジリ唸りを上げて湿った空気を灼き、色とりどりの半透明膜が発電効率や劣化具合を測られているサイバーな夕まぐれを、僕たちは帰るのだ。
*ますのす市 現実の(新)富山市でも本当に候補にあった。
*かもつれっしゃごっこ 現実には貨物列車の廃止に伴いショッピングモールファボーレ行バスごっこになったらしい……。またひとつ文化が滅んだ。なんてこった。
*コンパクトシティ 現実の富山市では新築住宅が都心で3割増、郊外で2割減で、誘導大成功とされている。なお90軒から3割増、2200軒から2割減であり工務店は死ぬ。