富山市芝園町:明日、ベガプルートで
振り返れば、長い髪を払って不敵な微笑みを浮かべる女生徒。選挙に勝って着任したばかりの新生徒会長だ。会長専用ロングスカートを器用に捌いてつかつか歩み寄ってくる。
「剱会長……?」
上背の高さも手伝って、ぱっと目を引く美人である。髪留めのヘアバンドには連峰稜線のワンポイント、"Powered by TSURUGI CYBERNET..."と自社ロゴが光る。薬品・医療機メーカーの社長令嬢なのだ。富山はますのすし屋とチューリップ園とバット工場で成り立っていると思われているけど、実際には医薬と金属加工が主産業になっている。ここテストに出ますよ。
有権者受けする公約を散々ぶち上げて支持も高い会長は、2SH――2年理数学級――でもトップクラスの頭脳をお持ちらしい。天が二物も三物も与えたハイスペックなリニア駆動の才媛。それが剱会長だ。ともすると存在自体が厭味になりそうなものだけど、こうも隔絶していると気後れこそすれ妬む気は起きないものである。背丈以外は。男としてはちょっとこう、背の高い女子に並ばれたくはない。僕の発展途上ぶりが弥が上にも際立ってしまう。くっ……。
「おはよう。1SHの乗鞍私路君、だね」
「おはようございます。あれ、お見知り置きいただけてましたか」
名前を呼ばれて驚いた。レアな飛越線民同士、お互い見知ってはいるんだけど、言葉を直接交わすのは初めてのはずだ。
「ああほら、名前と所属が頭の上に表示……」
「……されてませんよね!?」
いくらモラルが吹き飛んだ個人情報駄々漏れジャパンでも、スマホをかざせば氏名がAR表示される事態にはなっていない。モンスターカスタマーハント用に相貌認識がお店には導入されつつあるけど、氏名紐付けはさすがに見送られている。すると、新入生の顔を覚えて名前呼びする地道なアナログハックだろうか。人の上に立つ人はなかなかケレン味のあることをする。会長はいたずらっぽく口角を上げ、咳払いでもしそうに口許に拳をやると、本題に移った。
「実は、ベガを買ったのだよね」
「か、買えるんですか、ベガプルート。羨ましいです」
市販されても筐体を新品で買うとなると相当なお値段になるはず。まして未発売の機体だ。
「ベガ・エンタープライゼスを丸ごとね」
「はい。……はい?」
言葉の文面は理解できる。でも呑み込めない。意味の理解が追いつかない。こういう時「は?」と言わないから軟弱な坊や扱いされるんだけど、ガラ悪くてちょっと。
「さる遊技大手の子とパーティで組んだとき、ベガなんて要らないよと言っていたものだから、こう。兄に繋ぎを取って、会社ごと買収してみた」
「さらっと凄いこと言ってませんか」
「まあ他社さんと共同出資だがね」
それにしてもスケールが大きすぎてどう言葉を返していいのやらだ。隣の幼なじみは眼が泳いでいる。ベガを嘲っていたのだから聞かれていたら気まずいだろう。気で済まずに、まずいことにさえなりかねない。かといっていまさら足早に立ち去って先行するわけにもいくまい。ベガがいちばん面白いよって言えばいいと思うよ、今からでも。さあ言おう。
「ゲーム機って全然畑違いなのに、よく進出する気になりましたね?」
「や、従前から、弊社はベガプルートの開発に携わってきたのだよ。中枢の常温MEG-RWが弊社製でね。元来はMRIに代わる医療機器だ」
「そういう縁ですか。県産機器が使われているなんて初めて聞きましたよ」
工業立県アピールの激しい富山では、SRマシンに採用なんて美味しいネタはすぐ一般ニュースになりそうなものだけど。
「買収までは積極的に公表していなかったからね……。弊社としてはQOL向上のための福祉機器と位置付けている。アミューズメントで採算を取れないと判断された以上、引き取って活用するさ」
「うわお」
ベガプルート、普通のゲーム機としてはもう見放されてたらしい。そんな部分はゲーム誌や科学誌には書かれてなかったな。経済誌なら書いてあるんだろうか。
「現在はMMIRPG仕立てのαテストをしているのだが、中高生のテスターは少なくてね」
「それはそうでしょう」
青少年健全育成環境の保護という形で未成年が年々ゲームから強制的に遠ざけられている現在、一般的なMMOのβテストでも成人が条件になってきた。まして新機種のαテスターなんて募集されてない。されていたら応募している。謎ワードのMMIはマンマシンインターフェイス、もしくはMMO的な何かだろうか。
「どうだろう、良ければ参加してみ……」
「是非お願いします」
「っと、即答だね」
食い気味に答えていた。そんな美味しそうな餌に釣られないわけがない。
「健康面のプライバシーを開示していただくことになるが、いいかな」
「いまさらプライバシーを気にする日本人はまずいませんよ」
「うぅん、弊社側としてはやりやすくて助かる……。しかし、それは気にしようよ……」
だって随時漏れているし。合法的な最新情報だって日本企業が申請すればいくらでも入手できるものだ。
「コンシューマー機ではないから、いろいろと制約があってね。まず、診断書を取ってきてもらう必要があるよ。費用は弊社が持つが」
「本格的なんですね……。ええ、ついでもありますし、書いてもらってきます」
子どもの権利条約で18歳未満の児童は守られる義務を課せられ、自己決定権を剥奪されている。ただし、日本企業の経済活動に資するときはこの限りではない、と例外条項がある。回りくどいね。簡単に言うと、子供は自分で物事を決める権利がなく、大人の指示に従わないといけないけど、日本の会社の儲け話に限り自由に乗れるということだ。この未成年を守りたいのか食い物にしたいのか分からない仕組みが今はありがたい。
坂を登り詰めると松川の橋に出る。神通川から岐れる支流だ。
「私路ぉ、休憩っ……」
いつものように息が上がったことを宣言する幼なじみの求めに応じて、僕はまた腕を貸す。ドッドッと速く打つ心音が伝わってくる。頻脈りかけている。会長もフインとかすかな変調音を響かせて歩みを緩める。
「ん、どうしたぃ」
「会長、僕は奈月ちゃ……立山見てるのでお先に行ってください」
「え、立山奈月、さん? ああ、いや、待つよ。……話に聞いてはいたが」
今初めて気づいたように会長が少し目を見開き、胸にそっと掌を添えた。奈月ちゃんを僕の連れと認識していなかったみたいだ。良かったね、ベガDISは聞かれてなさそうで。
幼なじみは川沿いの藤棚のベンチに腰を下ろす。スプレーを舌下にばしゅっとひと吹き、燃料補給。こういったアルミ製エアゾール缶も富山県特産で、全国シェア6割を誇る。これはテストには出ない。
「大丈夫?」
「んー」
ひらひら左手を振り、右手で額を押さえて考える人っぽいポーズ。これは休んだ後の立ちくらみ対策だからそんなに心配しなくていい。気がかりだからといってあまりしつこく構うと休憩にならない。
松川は小さな支流で、天井川でもないのに川の規模にそぐわない高い堤防を持つ。一見不可思議な地形だけど、これは富山県民なら誰でも知っている歴史的経緯によるものだ。実はここ、曲がりくねっていた神通川の旧流路で、坂はその頃の堤防の名残。度重なる洪水から城下町を守るために積み上げられた大河の堤防である。高いに決まっている。まっすぐな捷水路の神通改川に流れを移し、水が来なくなった部分を埋め立てて新市街にする際、防火・融雪用水路として残された細い流れがこの松川だ。昔の市民は地盤の緩い廃川地に住みたがらなかったから、公共施設が建てられた。僕たちの通う中部地方高校もそのひとつにあたる。学校の道向かいは舟橋町。江戸時代、急流すぎて橋脚を立てられないから舟を繋いで橋代わりにしていたところだ。橋の袂ではなく、水面に浮かぶ橋の上そのものだった位置である。舟橋から眺める立山連峰は江戸にまで名の知れた観光名所だった。奥の細道では作者急病のためパスされてしまったけど、浮世絵にもなっている。その絵はますのすしの桶の蓋に貼られている。今いちばん刷られている浮世絵かもしれない。
加越新線の高架を銀色の電車がゴロゴロと通って行く。東大最寄りの帝王井の頭線から中古車をもらってきたもので、学業成就のご利益があるとかないとか。
「そうそう、何でも聞いてみるのだが、乗鞍君」
ちらほら登校してくる列と挨拶を交わしていた会長が、ふと、という風に呼びかける。
「あ、はい」
「ベガプルートのテストプレイにどこで参加していただくかだが……、お住まいは東八尾駅でよかったかな」
「最寄り駅はそうですね。なぜご存知なんでしょう……」
「ほら、越中八尾では降りないだろう」
「ええ」
会長の降りる駅で僕たちは降りない。つまり会長はその先、僕たちがどこで降りるか分からないはずだ。
「笹津では遠すぎる。まして楡原、猪谷ならなおさらだ。笹津線やバスの利便性が勝る。残るのは間の東八尾駅だけじゃないかい」
「……っ、完璧な推論。確かに東八尾駅です」
「だろう。だったら、拙宅がいちばん近いだろうかね。中核工業団地の下部エリアと言えば分かるかな」
「ええ、分かります」
話が逆で、薬草を採ったりしていた裏山が工業団地になったのかもしれない。
「いつ伺ったらご都合がよろしいでしょう?」
「そうだな……、申し訳ないが、生徒会の引継で平日放課後は当面難しい。土日かGWだね。最速だと今夜か明日午前に病院で診断書を取ってもらって、明日の午後かな」
「最速でお邪魔します」
「だよねえ。連絡先を交換しておこうか」
会長が苦笑して、腰のポーチからスマートフォンを引き出す。
「え……まずいですよ。校則違反じゃ」
中部地方高校には今なお携帯・スマホ持込禁止の校則がある。奈月ちゃんは緊急用で申請して認められたけど、僕はダメだった。会長が廃止を公約にしているぐらいだから、今はまだ禁止されているはずだ。
「ん? 校内での使用が禁止で、登下校中に使うために持ってくるのは容認だよ。きっちり朝没収して下校時に返すのが煩雑という理由で便宜的にそうなっているのさ。聞いていないかい」
「それは初耳です。持込禁止と言われて家に置いてきてますよ……」
「……んー、この解釈運用の申し合わせは職員会議も通っているのだが、どうも気に食わない一部の先生方が新入生にだけ厳しく言うようだね。昨年もそうだった。これだから形骸化した規則は改正しないと」
会長は会長らしい抱負を述べながら、カードを取り出してさらさらと何か書いていく。
「来る前に電話かメールをもらえるかな、手書きの方に。何か後で質問があればそれもね」
「すみません」
女子の電話番号とメールアドレスだ。でも、名刺だと全然浮かれた気分になれないのを初めて知った。それも遊びで作りそうなファンシーなものではなく、会社のロゴが入ったビジネスライクなもの。業務用だからね勘違いしないでよねと念を押された思いがする。僕も、単語帳から1枚抜いて住所、氏名、電話番号……とメモをお返ししておく。
「……てか、会長、ベガの常務さんなんですね」
「うん、なんでだろう……」
令嬢どころか既にいくつも肩書が付いていた。剱薬品化成、剱医科工機、新呉羽トランザム、ベガ・エンタープライゼス、富山県並行非並行在来線対策協議会。別世界に両足突っ込んでるな、この人。
髪留めのCYBERNETにはまだ続きがあったらしく、医科工機の英訳がCYBERNETICSになっている。一方、薬品化成はPHARMA CHEMICALSだ。こちらもDRUGSにでも意訳されていればサイバネとドラッグでとてもサイバーなのだけど、これは薬都富山では禁句だ。医薬品のイメージ悪化に神経を尖らせているし、富山市内で中学に覚醒剤が出回ってヤク都扱いされてからは特にピリピリしている。結局英語講師が輸入してバラ撒いていたと判明したときには、不逞外人排斥運動を始めてカリキュラムから英会話を消し飛ばしたほどだ。
「妹がベガプルートに興味しんしんなんですが、連れて行っちゃいけないでしょうか?」
希羽は中学生に認められた平日1日2時間をフルに使い切るネトゲ廃人だから喜ぶだろう。連れずに試遊に行った日には拗ねられそうだ、とも言う。
「それを答えるには少しプライバシーに踏み込む質問をしなければならないが、いいかな」
「構いませんけど」
「助成金の絡みで、このテストプレイは全くの健康体の方は対象外なのだよ。本校生徒分は生徒会で把握しておくべき健康情報を知らされているが、妹さんの分は存じ上げないので、その、なんだ。何らかの既往症をお持ちだろうか」
あっこれ遠回しにお断りされているやつ……じゃないな。それならもっと定番のお祈りがある。プライバシーをむやみに守りたがっているらしき会長は、持病があるかと聞くのが心苦しいんだろう。
「花粉症では弱いですか?」
「いけるね。あと……念のため申し上げておくと、ペースメーカーやICD等の電磁的な侵襲式補器をご使用だと今のところベガプルートは利用できないのだが……」
「それは大丈夫です。磁気がまずいんでしたっけ」
「そうそう。地磁気のノイズにも負ける繊細なセンサーを使用する関係上、筐体の防磁シールド内に磁石や電子機器を持ち込むことができないのだね」
「すると、金属のボタンがある服ではいけませんね」
「磁化していて磁気干渉エラーではじかれたらスクラブに着替えてもらわないといけなくなるね。避けてほしい」
「スクラブ? ……洗顔フォームですか?」
「ん、何と言えばいいのかな。医療用の基準を満たしたTシャツみたいなものだよ。発塵防止……、ホコリが立ちにくい加工や抗菌性能を付与してあるものだ」
エンチャントて。
「それに着替えるつもりで行った方がいいんでしょうか」
「いや、金具を避けた服装で、そのまま、というのが標準だね。アクセサリーやベルト、腕時計、非侵襲式補器はその場で外せるものなら問題ないよ」
「分かりました。僕と立山と妹と、3人でお邪魔します」
と、制服の袖を引かれた。むすっとした表情の、幼なじみだ。
「ちょっと、わたしも数に入ってるの?」
「え、せっかくだからやろうよ」
「わたしSFファンタジー苦手なのよね。3D酔いもするし……」
ニシンのパイみたいにのたまう。奈月ちゃんは頑迷な科学の徒で、宇宙が舞台のゲームを勧めても魔法や獣人といったファンシーでパステルカラーな部分があまりお気に召さなかったことがある。
「クオリア描画だから3D酔いは大丈夫だって。帰ってから奈月ちゃん蚊帳の外で希羽とベガプルートの話で盛り上がるの心苦しいんだけど……。僕、奈月ちゃんとも一緒に遊びたいよ?」
「……しょ、しょうがないわね」
彼女はひくっと口許を引きつらせる。一瞬で撥ねつけるけどお願いすれば聞いてくれるから好き。
さて、彼女も復活したことだし、学校へ急ごう。遅刻はしないまでも、不文律である始業5分前着席にはそろそろ危うい時刻になっている。
雪国の歩道と車道の段差は激しい。低い縁石は雪に紛れることがままあって、踏み外して転んだ事故で裁判沙汰にもなっている。だから高くしておくのが雪国でのたしなみ。多少の雪では埋もれない高い歩道は、バスや市電に乗りやすい一方、車道を横断する時は長い擦付部か段差をいちいち登り降りする感じになる。一長一短だ。
「ほら、きーさろっ」
高架下をくぐる道の段差を軽やかに降り、奈月ちゃんが手を差し出す。
「いや、ひとりで降りられるからね」
「そう?」
幼なじみはどことなく不満気だ。冷やかしなら怒るところだけど、善意なのが分かるからこう、忸怩たる物がある。小学生の頃はスロープになっていないこの手の段差が怖くて、奈月ちゃんに手を引かれてぴょんと飛び降りていたものだ。が、15cmかそこらの段差、男子高校生の脚にかかればどうということはない。ないったらない。問題なく降りられる。
「えいっ、とこんなもんだ」
「……うわ、いちいちかわいいな」
会長が思わずといった風に呟く。これはあまり好ましくない評価だな……。高校生にもなってかわいい扱いされると複雑な気分になる。じゃあ丸坊主にでもすればと思われるだろうけど、そうもいかない。首が細いものだから、後ろ髪がないとずいぶん異様な見た目になるし、冷える。髪を上げるとこけしみたいで気持ち悪い、首がぽっきり行きそうで心臓に悪い、とは口さがない幼なじみの弁だ。
かわいいと言われるのが絶対に嫌ってわけではない。コンプレックスと呼ぶからには単純な劣等感ではなく、思いが渾然と複合しているのだ。見た目をかわいいと評されるのは決して嫌いじゃない。でもその延長で頭の緩さを期待されがちなのが嫌だ。網状流路だの初回肝通過効果だのと小難しいことを言い出すと、ギョッとされたるだけでなく、裏切られたと思われるようなのだ。自分で言うのも何だけど、かわいい顔して小賢しいガキだ、と思われるのだ。そういうことまで考えるとざらついた心境になる。心が弾んでしまうからこそ余計に気が滅入る、この面倒な心理。我ながらなかなか度し難いね。
名誉挽回、頼れる男を演出しようと手を差し伸べてみる。かわいいと頼もしいは決して両立できないものじゃないはずだ。
「会長?」
「ん? あぁありがとう、お気遣いなく。弊社のアクチュエータは優秀だからね」
会長も危なげなくトンと降り立つ。余計なお世話だったみたいだ。
学校グラウンド脇に出る。ドーナツ化で廃校になった小学校敷地を乗っ取ったものだ。
富山市は日本の県庁所在地の中でもっとも都市圏人口が希薄な街だ。日本地理では人口密度4000人/平方km以上の人口集中地区を都市圏と定義するのだけど、富山市都市圏は3800人/平方kmで割り込んでいる。元から散居村がぱらぱらとある平野だった上、全国共通のスプロール現象は他以上に起きた。平野内に住んでいれば車で30分でどこへでも行けるから、適当な田んぼを1枚潰して10軒ほど建てた新しい宅地が至る所にできた。無比が丘のかゆみ止めが有名な上市町まで伸びていた都市圏は既に消滅した。そこで最近は、ドーナツの穴を埋め直すコンパクトシティという都心集中政策を取っている。
「そうそう、ひとつ伺っていいですか?」
「うん?」
「MMIって何でしょう?」
「ああすまない、いわゆるMMOだ。オンラインゲーム規制を回避するためにインラインゲームに言い換えているのだね」
「……。もしかして、VRをSRに言い換えたのも」
「バーチャルリアリティ規制をクリアするためだよ」
「お役所仕事すぎる」
青少年の健全な愛国精神涵養のため、VRやMMOにはだいぶ締め付けがきつくなっている。団らんの時間が設定されて以来、未成年のMMO接続時間・時間帯はどんどん制約されている。HMDが目の筋肉の発達を狂わせるという理由で、方式の違うものも含めたVR全体に制約がかけられていたりもする。それが、名前を変えれば対象外なのか。結構ザルな規制だ。
「官僚ってちょっとアレなんですかね……?」
「や、え、えぇー……。うぅん……、ほら、本校OBもおられるし、同級生も幾人かはその道に進むのだし、あまりストレートな物言いはその、ね? 間違いなく頭はいい方々だから、支援すべきだと考えれば規制の文面に触れない抜け道を作文してくれるのだよ」
「なるほど、そうだったんですね。納得です」
官僚がアレなんじゃなくて、官僚が一般国民のことを騙しやすいアレだと思っている感じかな。ありがたくその恩恵に与るけど、大丈夫なんだろうかこの国。っと、我が国と言わないと最近は唇寒い。
「それでは明日、ベガプルートで」
「はい、ベガプルートで」
昇降口で会長と別れる。奈月ちゃんが軽く肩をぶつけてくる。
「よかったじゃない。なぁに、嬉しそうにデレデレしちゃって」
「そりゃ、よかったよ」
昇降口に下駄箱はなく、靴を履き替える時間も、ラブレターや果たし状で呼び出される時間も省略できるようになっている。だからそのまま4階の教室へ階段を昇る。
「夢のSRマシンを使わせてもらえるんだから。ここでデレずにいつデレるんだよ」
「……はぁ。もういいわ」
額を押さえる不機嫌な彼女。幼なじみの気分がたまに掴めなくて戸惑う。……と、とぼけるのはやめておこう。奈月ちゃんは構ってあげないと不満を募らせがちだ。放置しておいたらどうなるか分かったものじゃない。多少強引にでもベガプルート試遊に誘って正解じゃないだろうか。
ともかく、かくして全感覚没入型VRを体験させてもらえることが決まった。