富山市安野屋町:ベガプルートってすっげえんだぜ?
LRVスノーダンサーが気の抜ける変調音を立てて足を止める。ほんの少しの慣性と、揺り戻し。LRVと言っても月面探査車ではなく、県産のライトレール(バリアフリー路面電車)だ。雪に強くてノー段差だからスノーダンサーという。……本当ですよ。
「ん。私路、タッチして行かんまいかー」
隣に立つ幼なじみが学生証でぱしっと肩を払う。立山奈月。高くポニーテールを結い上げた彼女とは、なじみ続けてもう12年目だ。こちらに引っ越してきた4歳の頃から変わることのない仲を保っている。
「奈月ちゃん。僕にタッチしてどうするんだよ」
僕は肩を並べる幼なじみに抗議する。うん、並べてる……よね。実は身長差を埋めるため靴にちょっとしたシークレットを強いられている。同級生でも奈月ちゃんの方が半年以上お姉さんだからこれはしょうがない。
伸びない背丈と童顔は僕の屈託になっている。小学生の頃はかわいい男の子扱いを単純に喜んでいたものだけど、この歳になるとさすがに負い目にもなってくる。男らしく発育しない、男の娘シンドローム。早生まれも相まって奈月ちゃんには弟のようにしか思われていない。妹のように思われていないのがせめてもの救いだろうか。
「ぼうっとしてるからよ」
彼女は微かに顎をしゃくると視線で扉を示す。いつの間にか神通改川を渡り、高校最寄りの電停に着いていたらしかった。
「ん。うぅ……ん?」
「うん」
疑問と感謝と驚きと、さまざま綯い交ぜになった曖昧な唸りのニュアンスを、しかし幼なじみは的確に捉えて頷く。それを冷やかす顔見知りはいない。地元越中市から飛越線と市電で1時間かかる高校に入ったためだ。わが中部地方高校は越中市の盆踊りの日に運動会を行うので、越中市からの進学者は極めて少なくなっている。その名の通り中部地方を代表するSFハイスクールである。ここ富山では、地方という言葉が中央と並び立つ誇らしいニュアンスを備えていて、妙に地方という名称を付けたがる。
富山では、と分析的な物言いをするのは、僕が旅の人だからだ。旅の人とは富山の古い言葉で他所者のこと。旅人を来訪神として歓待した名残の言葉で、見下す意味合いはないそうだ。ただ、敬意は敬遠でもあり、一線を引かれているのは感じる。おかげで富山ではどうのこうのと分析する習慣ができてしまった。ちなみに、奈月ちゃんのパパは富山出身のUターンだけど、Uの底の位置で産まれ落ちた奈月ちゃん自身は旅の人に括られる感じだ。判定基準が厳しい。
学生証で後ろドアの読取機を叩き、奈月ちゃんが降りていく。定期券機能付きのICANmyCA学生証だからなせる技だ。『ナガイゼ富山を応援しよう 4/20 13:00 KICK OFF ゴール裏自由席学割500円!』。デジタルサイネージの液晶画面が郷土愛を訴えかける。僕もいつものように彼女の尻尾を追う。
ICANmyCA。珪素基板に電子回路を刻み込んだ集積回路チップを、厚さわずか1mm程の名刺サイズの樹脂板に埋め込んだハイテクカードだ。SF――蓄積されし運賃――ICカードと呼ばれる交通系電子マネーの富山版である。格納できる情報量を磁気カードに比して飛躍的に向上させた電子技術の結晶。ICを取り巻くカード部分にはアンテナ役のコイルが仕込まれていて、電磁誘導を利用して給電、外部からの通信に応答する非接触型となっている。もっとも、通信距離が短いので実際は読取部にタッチする。サイボーグ刑事のようにニードルをコネクタに刺す電極接続の必要はない、ということだ。
電子マネーに付加できる機能も定期券と学生証だけじゃない。この手の電算化インフラの常として国民台帳Jナンバー11とのリンクが義務付けられているから、希望すれば保険証や年金手帳も統合できてしまう。SFICカードは本当、文字通り現実化したSFガジェットなのだ。一昔前ならプライバシーが気になるところ、現代日本ではそんな心配は不要になった。とっくに全部漏洩済みだ。
さてSFICカードともうひとつ、実現したSFと言って差し支えないものの開発が過日発表されている。SRゲームマシン、ベガプルート。全感覚没入型のVRゲーム機だ。今まであったVRゲームは、HMDによる視聴覚VRや、筐体内に精細な映像を投影するシミュレータ、あるいはスマートフォンのカメラに架空の存在を映し込むARだった。そういったものとは一線を画す全感覚没入型VRが、SFでお馴染みのSRだ。
残念ながらSRマシンはまだ開発や限られたテスターの手で実証実験が行われている段階。ある程度の目星がついたから発表されたんだろうけども、ゲームセンターに置かれるのはまだ先になりそうだ。
「はぁ、やりたいな」
高校へのだらだら坂に踏み出しつつ、僕はぼやく。ダン、と隣で物凄い音がした。たたらを踏む幼なじみ。無意識に差し出した腕へ彼女はすがりつく。がっちり支えられたらかっこいいのに僕も一緒によろめいてしまう。自分で選んだ体ではあるが、成長のはかばかしくなさに情けなくなる。
「きっ私路ちょっと、朝から何言い出してんのよ!? ばかじゃないの!? ばっかじゃないの!」
奈月ちゃんは周囲を憚るように声を潜めて怒鳴るという器用な真似をする。ベガの新型ゲーム機の話はそんなに躊躇われるんだろうか。僕は世間の驚くべき扱いを目の当たりにした。
「鎮まりたまえ、なぜそのように荒ぶるのか。血圧上がるよ奈月ちゃん」
口元をわななかせながら怒ることじゃないと思う。どうせ普及はまだまだ先になる。運良く触れられてもせいぜい試遊体験で、ネットゲームに手を出して成績低下というような現実的な心配をする段階じゃない。だいいち、規制が年々強まって未成年のネットゲーム接続可能時間も時間帯もかなり限定されている。
「そのときは奈月ちゃんも一緒にしようね」
「わ、わたしだってそのっ、私路と……っ、やぶさかじゃないけどっ……」
ベガプルートには思考を24倍に加速するブレインアクセラレータが付いている。内部で丸1日プレイしても現実時間では1時間。ゲームセンターで筐体が専有されないためには間違いなく必須の機能といえる。仮に個人の手に入るようになって毎日遊んだって、1日576時間ゲームできると読み替えてしまう成人のネトゲ廃でなければ現行のゲームより実生活にやさしい。
「だいたい私路あんたその……、そういうこと、興味あったの?」
「あるって言ってるじゃないか」
「う。そっかー。そうよねー」
何かひとりで納得すると、幼なじみは抱え込んだ腕をようやく離してくれた。スカートを払いながら、紅潮した顔でちらりちらりとこちらを見る。
「あの……ね、4日前までに言いなさいよ。初めてなんだし、こっちの調整もあるんだから」
「待って奈月ちゃん。予約したらベガプルート触らせてもらえる伝手があるの?」
「……へっ? ベガプルート? あー……」
「ベガが送る世界初の全感覚没入型VRマシン、ベガプルートだよ」
「あーあーあーはいはいはい。なんだ、またその話?」
彼女はため息とともに肩を落とし、むすっと口を尖らせる。
「はぁ……。ベガプルートの話ならそうと前置きしてくんなきゃ、わっかんないじゃないのよ」
「……? 何の話と思ってたの?」
「なんでもないわよ……。はぅ」
ぶんぶんと首を振るものだから、髪の毛が別の生き物のようにポニポニ跳ねる。
「ベガなんてベガなんてダサいじゃない。帰ってプレイターミナルした方がいいわ」
「そうなのか。なんてこった」
呪詛を吐く奈月ちゃんが特に辛辣なわけではない。愛すべきバカゲーや愛すべからざるクソゲーを出してきたゲームメーカーVEGAに対する世間の評判はこんなものだ。先進的すぎて理解されないハードとソフトを出した上で自らネタにする炎上ブランディングを続けた結果、熱心な儲以外からの好感度が大変低くなっている。家庭用ハードは撤退済、ソフトとゲームセンター用筐体に絞っているのが現在のベガである。
「いや、でも、ベガプルートってすっげえんだぜ?」
技術的に。
脳地図――脳のどの部位がどんな機能を司っているか――が全領域確定したのは僕たちが小学生の頃だった。ヒトゲノム解読と同様、10年単位で時間が掛かるはずの遠大な国際プロジェクトが民間企業の殴り込みで速攻完了した。その頃は、フルダイブと仮称されていた没入型VRゲームがすぐにでも実現されるムードだった。スクリーンゲームが色褪せる日を子供心に待望していたものである。
けれどそこからは足踏みだ。脳科学こそ発展すれ、小学3年生が高校1年生になるほどの時を経てもフルダイブVRゲームが世に出ることはなかった。まあ無理もない。ひとつの世界を作り上げて処理するには、それこそアナザー現実を再現するラプラスの魔ばりの能力が必要になってしまう。いや、ラプラスだって世界を把握しているだけで作りはしないんだから、それ以上だ。フルダイブの需要はかなり細い。ソリッドな産業用途にはシンプルな仮想現実や拡張現実でも用が足りてしまう。模擬現実は、作られたら使ってもいいが開発する気はないという感じだ。軍事用途でもリアルすぎるとPTSDを引き起こすそうで、米軍による採算度外視の開発も見込めなくなっていた。
フルダイブは叶わない夢なのだ、たとえドッグイヤーでコンピュータの処理性能が追いついたってコンテンツを作る方の人間が神に及べない、……と諦めが蔓延した中に突然出現した開発中ハードがベガプルートである。ラプラスの魔を不要にしたのはクオリアモデリングというブレイクスルー。人の目を騙せる細密な形状実装を目指すからデータ量が膨大になり、制作も演算も通信も追いつかないのだ。人の認識を騙せばいいのである。ベガはイメージを設置する概念実装にアプローチを切り替えてデータ量を劇的に減らし、SRマシンの稼働に漕ぎ着けた。そう聞いてもよく分からないけど、3Dオブジェクトを置いて物理演算で動かして見せるのをやめて、『電柱』『樹木1』といった概念を置いてプレイヤーの持つイメージに任せるようにした。画像・映像の転送量だけなら、300万ポリゴンの究極の画像でインターネット通信ゲーム対戦もできる128ビット級ゲームマシンとそう変わらない軽さらしい。ハード面で人と機械を繋ぐマンマシンインターフェイスは、超電導量子干渉して脳内の神経パルスを直接読み書きするMEGスキャン。超電導状態を利用し、電子対単位で電気信号を捕捉するものだ。もう何を言っているのか全く分からない。しかもさらっと常温常圧超電導仕様。液体窒素を注ぎ込みながら利用するゲーム機など取り回し辛いにも程があるので、これもまたSRマシンに欠かせない突破口だったといえる。
「はろはろー、えにばでぃほーむ?」
奈月ちゃんに軽く小突かれる。通学路のざわめきが戻ってくる。余計な探究心に富む僕は、関心事に集中力を発揮するあまり人生を忘却してしまうことがままある。CPU使用率100%状態だ。
「あ、うん、ごめんごめん」
悪い癖だと分かってはいる。保育園の遠足で神隠しに遭いかけたこともある。あの時僕は多分、幽明境に立っていた。不在に気付いて見つけ出してくれた奈月ちゃんはまぎれもなく僕のヒーローだった。それ以来僕は、奈月ちゃんのお嫁さんになるーと言っては笑われて頬を膨らませていたものである。一方、奈月ちゃんはと言えば、わたしは綺麗なお星さまになるのーと世迷い言を唱えてらせん状星雲のお絵かきをしていた。
ともかく、だ。ベガプルートには、理解不能だがとりあえず使うことだけはできる感じの技術が盛り込まれている。ゲーム機に最先端技術を惜しみなく投入しているのが魅力だ。
クオリアモデリングはその特性上、画像や映像に落とすことができない。ベガが誇るMMOタイトル・ファンシースターオンラインを模した開発中風デモムービーが公開されているけども、あくまで旧来の3DCGで再現された擬似的なものにすぎない。実際のところは体感してみないと分からない。
「やってみたいよな、ベガプルート」
「――その言葉を待っていた」
朝の喧騒をびしりと打って一声が響いた。