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カンチレバー廃坑:銀河辺境のスコッパー

 宇宙に神はいない。地球から22.1光年(209兆km)、余剰次元をカラビ=ヤウ多様体マニホルドに折り畳んで辿り着く銀河辺境居住可能域(ハビタブルゾーン)。この巨大地球スーパーアース型資源星、さそり座142番三連星・GJ667Ccに人類が探査の手を伸ばした時も、無住の星に神はいなかった。

 神なき星ならば己が神になってやろうと考えたか。それとも死の行進(デスマ)に倦んで熱に浮かされたか。かつての遺伝子工学者ジェネティック・エンジニア、ジーン土方ひじかたたちは神の禁忌から解き放たれた興奮と少しの稚気で以ってテラフォーミング用生物をインテリジェントデザインし、そして、少々やりすぎた。

 過酷な環境に耐えるよう遺伝子導入トランスジェネシス改造された蓄積生物アキュムレータは地球のそれとは別物だ。あらゆるスペクトルの光を活かす真っ黒な改造植物は、錆びた砂を還元して重金属を蓄え、この星の大気に酸素を解き放つ。改造動物は食物連鎖を通じて重金属分を生物濃縮していく。すなわち角や甲殻、あるいは内臓が鉱物資源になるようデザインされている。のだが――。

「これを資源と呼ぶのは戦車を鉄資源と呼ぶようなものじゃないかな……」

 試掘廃坑の際で、僕は巨狼と対峙していた。狼と言っても体高が人の背丈を優に越えるバケモノ、それも金属質の毛皮を持つ変異体だ。地球にも鉄の鱗を持つ貝がいるから、そのあたりの遺伝子を導入した設定だろうか。

 フェンリル。伝承の怪物のユニークネームが蒸気ベイポクロミックディスプレイに翻る。そういえばフェンリルは鉄の森(ヤルンヴィド)生まれだ。鉱物資源惑星で生まれるフィールドボスにふさわしいといえばふさわしい。地球にこんな生き物は存在しないが、森を恐れる人々はこんなのがヌシを張っていると想像していた。


 天を仰ぐ。のしかかるような赤色矮星レッドドワーフを筆頭に3つの恒星がかがやく赤い空。強烈に地球との違いを感じさせる空。月2つのファンタジーはままあれど、太陽3つなんてのは全く空想の埒外にある。これが実在する天体なんだから、事実は小説より奇なりだ。

 リニアマスドライバー・マスキャッチャーを運用するには自転の遠心力を最大に利用できる赤道直下が望ましいため、低緯度地帯のみが部分パラテラフォーミングされている……と、されている。はっきり言ってテラフォーミング失敗だ。暴走寒冷化ランナウェイ・ウィンターを引き起こしてあわや全球凍結に至るところだった星の、赤道近辺だけが辛うじて入植可能になったというのが正しい。最も近いもので太陽の倍ほどに見える恒星のエネルギーは低く、3つ分の恩恵を合わせても地球より40℃分下回る。温室効果ガスの水蒸気や二酸化炭素が充満した状態で常温だった星の大気を作り変えたものだから、どんどん極地で氷やドライアイスができて気温は下がる一方。結局、まともに人が活動できるのは太陽光と温泉の恩恵を最大の得られる赤道付近に限られた。それも熱赤道の推移次第で雪解け水に悩まされる泥濘の地だ。


 泥を撥ね、周囲を回りながらじりじり距離を狭めてくる捕食者。今なら狼地獄の伝承を語り継いだ昔の人の思いが分かる。『町に迷い込んだ狼も崖から蹴落とせば死ぬ』。越中市八尾に伝わる伝承だ。町が位置する段丘崖の険しさを物語る逸話と説明されている。けれど今なら分かる。そうじゃない。狼の襲撃に晒されながら飛騨街道を往来する旅人には、人は狼に打ち勝てるという武勇伝が必要だったんだ。送り狼なんか蹴殺してやんよと語る河岸段丘上の集散地を頼もしく思ったに違いない。全感覚没入VRで初めて体感する真意。伝説が今蘇る。

 泥を塗り固めて銃弾が通らないようにした山野のヌシの伝説は洋の東西を問わず残っている。礫弾より比重の大きい銀弾の貫通力ならなんとか徹せるというアレだ。さらに重い鉛弾を使う鉄砲が主流化してからの銀弾には精神的なお守りの意味しかないけど、僕の手元にはその気休めの銀弾すらない。武器になりそうなものといえばスコップと蒸気発生器があるきりだ。最底辺の不遇職・採掘手スコッパーにレイドボスは荷が重すぎる。

 ……そうだ。伝説といえば、フェンリルに効きそうなものがあった。僕は何の変哲もないワイヤを引き出して周囲ぐるりに巡らせる。と、巨狼は足を止めた。よし。一時の膠着を得て、一息つく。フェンリルはグレイプニルに戒められてより紐を恐れるという。佐々木喜善の遠野物語にも、狼が紐を罠だと深読みして警戒するという口碑いいつたえが記録されている。頭がいいが故に引っ掛かる、狼の本能的な習性なんだろう。狼にだけ通じる一種の呪いとも言える。


 ソロでフィールドボスと戦っても益はない。足止めしておいて逃げられるだろうか。それとも、このまま救援の参戦を期待するか。空気抵抗を排したスクランブル耐水装(スクみず)の薄い胸を申し訳程度に金属装甲なふだで護った体に、ちらりと視線を落とす。もう自分の意思で動かすことになじんだが、自身の体と認識するにはまだ抵抗がある華奢なアバターだ。手足に腰部と、部分的には無骨な非侵襲補機アウトプラントも装着しているものの、電蒸両系統の配管だけが渡る関節部に補強はない。生身のままだ。これで巨狼の大質量と真っ向からぶつかってはひとたまりもない。ごく単純な物理法則に従って吹き飛ばされ、弱い部分から砕けかねない。魔法など存在しない設定のシミュレーションでは、物理演算に入れてある範囲の物理法則が冷たく立ちはだかってくる。

 関節むき出しの姿には理由がある。電磁パルスと硫酸ミストが降り注ぐこの星では繊細な電子制御が使えないのだ。生体ならば無意識に補正する偏揺に迅速に対処することが、過酷な環境に耐える直接制御マニュアルのアクチュエーターでは難しい。簡単に言うと、関節部を機械化すると生体より反応が遅れてしまう。だから高速スクランブル対応も考慮すると関節部は生身のままが合理的なのである。生体の補正能力を使うわけだ。しかしその合理的判断の結果が生命の危機なのだから、全体の合理性が個体にとっては非合理になっている。微分の誤謬だ。

 巨狼が咆哮する。それはもはや音速で襲いかかる空気の壁だ。気圧が高いスーパーアースの大気は地球のそれよりも強烈な衝撃を叩き出す。

「しまっ……」

 ワイヤは軽々と吹き飛ばされ、禁足の境界線としての呪いを失う。伸び上がる巨体。矢になって飛び出した疾さの前には、横飛びに逃げる動きすら間に合わない。せめて当たり判定が中心にしかなければすり抜けられるのだけど、このゲームではぬかりなく全体にあると思っていい。両腕を交差させて首をガードするのが精一杯だった。

 激突。一瞬の衝撃を内蔵アブソーバが分散して緩和、へし折れた腕甲に腕が持って行かれないよう爆砕ボルト[PR]が弾け飛ぶ。辛うじて骨がぽっきり逝くことなく済んでいる。ただ、時間あたりダメージが分散されても全体のエネルギー収支が変わるわけではない。軽量な体は為す術もなく吹っ飛ばされる。痛みこそ再現されていないが、ほどほどに緩和された衝撃だけでも息が詰まる。

 蒸気溜のコックを捻り、空中でも唯一機能する排気抑速を作動させる。一気に冷えたドレンを撒き散らしながら落下。ボリュームアップしておいた脚部補機の重みが幸いして、足からの着地が叶った。制動靴ヘムシューが錆びたリアクションプレートをガツガツと噛む。レンツの法則に基づき、渦電流ブレーキ[PR]が自動的に機能し始める。負荷を受けるくるぶしが、膝が悲鳴を上げる。仮想の人体とはいえ、ゲームの負荷試験で体の耐久力を試されることになろうとは想像もしていなかった。

「極性反転、電磁吸着ブレーキ[PR]励起!」

 電磁誘導利用の高速用から吸着力利用の低速用ブレーキに切り替えて、大地に開いた大穴の崖っぷちに踏みとどまる。むやみと制動まわりの設定が細かいのは、加速ばかりでなく減速の重要性も意識してほしいというブレーキメーカーの広告費による。ゲームアイテムとしては性能決め打ちだから、実は意識して使い分ける必要はないんだけどね。……このゲーム、そんな妙ちきりんな要素が結構多いのだよな。飲食やファッションならともかく、メタルカラーの業態広告戦略が浸透してくるとは誰が想像しただろうか。

 この崖を背負った位置取りなら巨狼も手を出せないだろう。このゲームでは地形効果が強力になる。廃坑に落ち、位置ポテンシャルエネルギーを運動エネルギーに変えて叩き付けられれば大ダメージを受ける。フィールドボスも物理法則には勝てないのだ。迂闊な攻撃をしてこなくて粘れるはず。と、背後の縦坑を見やって生まれた甘い思考を嘲笑うように、影が落ちた。

「うぇっ!?」

 巨狼の、あまりに無思慮な特攻だった。先ほどのような全力の突進ではなくとも、少女ボディと巨狼をまとめて崖から落とすには十分すぎた。相討ちで穴に落ちてしまっては向こうには何のメリットもない。罠を警戒する知能があるのに崖からは落ちるのかよぅ。

 繰り出していたワイヤが廃立坑のキャットウォークに当たって、ガンと弾かれた。そもそもワイヤ先端の金具・カラビナは投げて引っかかる構造になっていない。最後のあがきで切り詰め整風板デフレクタを最大に展開してみる。と、風切音が増した。それだけだった。転落位置が何cmかズレるかもしれない、終端速度も誤差程度落ちるかもしれないが、その程度の効果しかない。これは……もう、助かる可能性を見いだせない。死に戻って有機物スープから再生されることになる。

 どうしてこんなことに、辺境の開拓星で鉱石を掘り怪物と戦う羽目になってしまったのだったか。スコッパー少女キサロの体は、僕の意識は、立坑に昏く落ちていき、やがて着底。フェンリルとともに霧散した。


――【タイトル:〈フェンリルを討伐した〉を獲得しました】――

――【タイトル:〈ソロでフェンリルを討伐した〉を獲得しました】――

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