これから「幸せ」になろう。
「湯加減どう?熱くない?」
「………うん…。」
「そかっ!熱かったら言ってね?」
「………うん…。」
今私は、お兄ちゃんと一緒にお風呂に入っています。
一緒に入っているというよりは、入れてあげてるという表現が正しいかもしれませんが…。私は一切衣類を脱いでいないので。
でも、立派な兄妹での入浴です。これも人生初です。
お兄ちゃんと一緒にいるだけで沢山の「初体験」があります。とても幸せです。
でもその反面、素直に喜べない現実があります。
こうしてお風呂に入れる時に露わになる、お兄ちゃんの身体の至るとこにある「痣」。
これらのほとんどは、私の「家族」が虐待によってつけられた物だからです。
そしてその大半は、私がつけた物。
お兄ちゃんをここまで傷つけた理由は、ありません。
ただあの頃の私が、横着でイタズラ好きで、少々過激な性格で…。
面白半分と言わんばかりに、お兄ちゃんを散々痛めつけていたのです。
泣き叫ぶ幼いお兄ちゃんを助ける人は、誰もいませんでした。
家族の誰も、私の「凶行」を止めようとはしませんでした。
むしろ逆で、「痛い目に合うのは自業自得だ」「お前が汚いからこんな扱いをされるんだ」などの暴言をお兄ちゃんに吐き捨てて。
私はその様子を、高笑いしながら見ていて。
本当に私は最悪の人間です。
その頃の私がしていたことは、人のすることではなかったと思います。
当然、お兄ちゃんが自分の過去を警察等に打ち明けてたなら、間違いなく私たち家族は何らかの「法」によって裁かれる事になるでしょう。
お兄ちゃんが虐待を受けていた証拠も、いくらでも出てきます。
もしお兄ちゃんが私たちを裁きたいなら、私もそれを手伝って自ら自首します。
でもお兄ちゃんはそんな事、微塵も思っていないらしくて。
私たちのような「化物の家族」を、ちゃんと家族として愛してくれていて。
そんな無垢で健気な―――。
「……みみ、る…熱いっ……。」
「へっ、うわぁ!ご、ごめんっ!大丈夫!?」
「………うん……熱いの………嫌…。」
「う、うんっ。もうしないからっ!本当にごめんなさい!」
「………もう…平気…。」
「ご、ごめんね…。」
私が思いに耽ってしまったせいで、お兄ちゃんに熱湯を掛けてしまったようです。
ごめんなさい…もう痛いことしないって言ったばっかりなのに…。
もうホント、私は馬鹿です。
お兄ちゃん、こんな最低な人間が貴方の妹でごめんなさい。
その分死ぬ気で頑張って、お兄ちゃんをこれから幸せにしてあげるから…。
「………お風呂……出る………ありがとう、みみる…。」
「う、うん!もう出るんだね?わかったっ!はい、私の肩持って?」
「………みみる……濡れるよ…。」
「平気平気っ!着替えればいいからさ!」
「………いい、の…。」
「うんっ!」
こんな細かい所に気遣いができるお兄ちゃん。素敵です。
私ももっとお兄ちゃんを労らないと。
ただ虐げることしか出来ない化物じゃなく。
もっとしっかりした、妹になるんだ!
* * * * *
「スッキリサッパリしたねっ!」
「………。」
「よし、じゃあ髪の毛乾かそうか!」
お兄ちゃんの髪の毛は、長い間切っていないのか結構長めです。
それもそのはずです、帰る家もなく「外」で過ごすしかなかったのですから…。
この髪を乾かすのには結構時間がかかりそうです。
私は「くし」と「ドライヤー」を持って、いざ髪を乾かさん!とお兄ちゃんに近づいたのですが。
「………!…それ……嫌だ……。」
「…へ?」
「………来ないで……熱い………痛い………。」
「え、え?」
「………嫌……。」
お兄ちゃんが。
突然何かに怯え始めました。
もしかして、この「くし」と「ドライヤー」でしょうか…。
しまったと思い、私はそれらをサッと後ろに隠しました。
「あぁ!えっと!も、勿論別の奴で乾かすから、熱くないし痛くないよ!だから平気だよっ!」
「…………怖い…。」
「え…えっと。」
どうしましょう。
お兄ちゃんが完全に警戒モードです。
このままではまた信用を無くされるかもしれません。
「くし」と「ドライヤー」の使用は断念して、「タオル」だけで工夫してみるしかありません。
「ほ、ほら!タオルだけなら怖くないよね?」
「………。」
「だ、大丈夫だからね?」
「…………うん……。」
まだ少し怯えていますが、何とか許容してくれたようです。
これからは、身の回りの物がお兄ちゃんを怖がらせないかどうか細かく確認する必要があるようです。
「くし」等の物を怖がったのは、やはり「虐待」によるトラウマが関係しているのでしょう。
思い出せませんが、もしかしたら私が「くし」を使ってお兄ちゃんを虐めてしまった事があるのかもしれません。
だとしたら、本当に申し訳ないことをしました。
「痛くない?」
「………うん…。」
「さっきはごめんね…怖がらせちゃって…。」
「………いい、よ…。」
「『ドライヤー』、怖い?」
「………熱いし……うるさい……だから…怖い…。」
「た、確かにそうだねぇ…私もそう思うよ!でも、この『ドライヤー』は熱くないよ?それに音も静かだし!」
「………。」
「も、勿論使うのはやめとくけどねっ!だから安心して!」
「………うん…。」
なんというか。
お兄ちゃんとの会話はどうしても、子供をあやしているような感じになってしまいます。
それがちょっと、何か悔しくて。
別に嫌という訳ではありません。お兄ちゃんと話せるだけで私は嬉しいから。
まだまだこれからですよね。
お兄ちゃんと一緒に住み始めてまだ「一日目」なのですから。
きっとそのうち、お互いの心が開けてくると信じています。
「大体乾いたかな~?」
「………。」
「まだ髪の毛冷たい?」
「………。」
しばらく、お兄ちゃんとの無言のやり取りが続いて。
なんとか髪の毛を乾かすことに成功しました。
まさかこんな所で手こずるとは。
先が思いやられます。でも、頑張ります。
お兄ちゃんのために。
* * * * *
お風呂場から出て髪も乾かして、今はリビングに戻りました。
お兄ちゃんの体の汚れはこれで落ちました。
もし私の読みが正しければ、これで近寄ったり抱き着いたりしてもいいはず。
そして、お兄ちゃんと今はソファーに並んで座っています。
隣にいるお兄ちゃんの肌の温もりを感じます。
その温もりで、私の。
スイッチが入ってしまって。
「隙あり~ッ!とお~っ!」
「………え…。」
我慢できず。
私は思い切りお兄ちゃんに抱き着きました。
「えへへ~!いきなりごめんねっ!」
「………。」
予想通り、お兄ちゃんは拒絶してきません。
少し困惑しているようにも見えますが、でもほんのちょっとだけ。
このまま抱き着かせてください。
私の、夢だったんです。お兄ちゃんに抱き着くの。
お兄ちゃんは、とても温かいです。
痩せ細って、今は私よりもほっそりした体ですが。
それでも、やっぱりどこか男の人らしい体付きをしています。
「私に抱き着かれるの、いや?」
「………。」
「いやなら離れるよ?」
「………みみる、は……。」
「ん?」
「………みみるは、嫌、じゃないの……僕に……だきつくの…。」
「いやじゃないよ!むしろ凄く好きかもっ!」
「………。」
それ以降は、お兄ちゃんは何処か落ち着いた表情になって。
私の方に、ちょっとだけ寄ってきてくれました。
そんな仕草に、ドキッとしました。
胸がときめきました。
ほんのちょっとだけ、お兄ちゃんとの距離が縮まった気がします。
この調子で、どんどん「兄妹生活」を育んで行きます。
次は何をしましょう。
どんなことをすれば兄妹っぽいでしょうか。
したいことはいっぱいあるはずななのに。
意外と、何も思い浮かびません。
ううん。
ゆっくり、一個ずつでいい。
これからは一緒に住むんだもん。
二人きりの、生活だもん。
私もやりたいことをやって。
お兄ちゃんにも沢山いい思いをして貰って。
私たち二人が、常に「幸せ」でいられるような。
そんな生活にしていくんだ。
お兄ちゃん、私頑張るからね!