お兄ちゃんの新しい名前。
「ごちそうさまでいい?」
「………うん…。」
「は~い!ごちそうさまでした!」
「………ごちそ……うん…。」
お兄ちゃんが無事、お昼ごはんを完食してくれました。
焼き魚を食べさせるのになかなか苦戦しましたが、でも美味しそうに食べてくれました。
今晩は肉類も食べてもらいましょう。
腕によりをかけて作ります。
「………みみ…る…。」
「お?なぁに?」
「………あ………。」
「え?」
「………ごめ、ん……なにも……。」
「え、え?なに?言っていいよ?」
「………。」
「…うん?」
お昼ごはんの片づけをしている途中。
お兄ちゃんが私に何か求めてきたのですが、口を噤んでしまいました。
もしかして、まだ食べたりなかったのでしょうか。
「まだ、お腹空いてる?」
「………ううん…。」
「あれ?じゃあ…なにかな?」
「………な……なにも……。」
「ん~?」
頑張って考えたのですが、お兄ちゃんが言おうとしていることが解りませんでした。
何を言おうとしたのでしょう。
解らないまま、私は食器を洗う事にしました。
* * * * *
「ねぇお兄ちゃん。さっきなに言おうとしたの?」
「………。」
「ねぇ~~教えてよぉ~~。」
「………。」
「む~。」
その後、お兄ちゃんが何故かだんまりとしてしまいました。
どうしたのでしょう。遠慮せずに言ってくれていいのに。
「お兄ちゃ~ん?」
「………。」
「ん~わかった。さっきの事はもう聞かないから、他の事聞いていい?」
「………うん…。」
「やった!」
話を逸らすと、素直に応答してくれました。
さっきお兄ちゃんが言おうとした事は、よほど本人の中で何か引っかかる事だったようです。
「じゃあお兄ちゃん、一つだけ提案があってね?お兄ちゃんの…名前決めようと思うんだけど、いい?」
「………なま、え…?」
「うん。お兄ちゃんの呼び名…まだないからさ、決めよ?」
「………。」
「あ、それか『昔の名前』を憶えてるならそれでいいんだけど、憶えてる?」
「……………おぼえて、ない……。」
「そっか……じゃあ、新しいの決めよっか!いい?」
「………うん…。」
買い物しながら密かに考えていた、「お兄ちゃんの名前」。
本人もやはり「昔の名前」を憶えていないようなので、思い切ってもう考えてしまいましょう。
実は「姓」を私と一緒にするか別にするかも悩みましたが。
取りあえず別の「姓」にする事にしました。
本当は兄妹っぽく一緒の「姓」にしたかったのですが…。
一緒だと、後々不便な事がありそうだったので。
「じゃあ、どんな名前にしよっか?」
「………。」
「お兄ちゃんは、こんな名前がいいなぁ~とかってある?」
「………。」
「まぁすぐには思いつかないよね~…。」
「………。」
「一応ね!私が考えてみた名前があるんだけど、見てくれる?」
「………うん…。」
人の名前を勝手に考えるって、失礼ですよね…。
それは重々承知しています。
でも、これからお兄ちゃんに明るい人生を歩んでもらう為にも。
これは必要なことだと思っています。
「こういう字なんだけど…。」
「………。」
小さなメモ帳に、私の考えた名前をさらっと書いて。
それをそっと、お兄ちゃんに見せました。
「新咲 未来渡」。
私の考えた、名前の解らないお兄ちゃんの。
新しい名前です。
「ど…どうかな……さ、流石に変かな~?」
「………。」
「や、やっぱ変だよね~!ど、どうせならもっとカッコイイ名前にしたいよね!」
私は、その名前を書いた紙を切り取って捨てようと思ったのですが。
お兄ちゃんが、その私の手をグッと抑制して。
「………それで、いい…。」
「えぇ?」
「………それでいい…。」
「…こ、こんな名前でいいの?」
「………うん…。」
「私みたいな奴が考えた名前なんだよ?ただ文字を当て嵌めただけの名前だよ?もしかしたら凄く不吉な名前かもしれないんだよ?」
「………うん…。」
「本当に……いいの?」
「………いい…。」
承諾、されてしまいました。
どうしましょう。
景気のよさそうな字を当て嵌めただけなのに。
「じゃあ……これが、お兄ちゃんの名前…でいいんだね?」
「………うん…。」
まさかこんな名前を受け入れてくれるとは思ってなくて。
頭が若干混乱しています。泣きそうです。
もっと姓名判断士さんとかにお願いして、しっかり決めるべきでした。
こんな簡単に決まってしまっていいんでしょうか。
でも。
お兄ちゃんが、その私の書いた名前をじっと見つめていて。
まるで、捜していた何かを目で捕えた様な、すごく真剣な表情をしていて。
その眼差しを見ると、考え直そうなんて言い出せなくて。
「………みせ、て…。」
「え?あぁうん!はい!」
「………。」
見て覚えようとしてくれているのか、新しい名前をじっと見つめたまま動かなくなりました。
なんだか、そんなに真剣に見られると申し訳ないです。
もし縁起の悪い名前とかだったらごめんね…。
「………なんて、読むの…?」
「え、それ?えっとね、『しんざき みくと』って読むんだよ!」
「………しんざき……みくと…。」
「…ど、どうかな。やっぱ変かな?」
「………僕の……名前、なんだよね…?」
「う、うん…そのつもりだよ?」
「………ありがと……みみる…。」
「え…。」
「………嬉しい……名前……くれ、て………ありがと……みみる………ほしかった……嬉し………ありがと…。」
「……。」
なんだか。
すごく、そのお兄ちゃんの声が。
か細くて。
切なくて。
思わず、泣けてきてしまって。
よほど辛かったのでしょう。
誰からも、名前を呼んでもらえず。
「おい」だの「おまえ」だのとしか呼ばれなくて。
何時しか、自分の名前すら思い出せなくなって。
どんなに辛くても、寂しくても、誰も自分を呼んでくれない。
必要な時以外は、ずっと無視され続けて。
亡き者として、粗雑に扱われ続けて。
「お兄ちゃん…!」
「………。」
私は思わず、お兄ちゃんを抱き寄せました。
何だか、消えてしまいそうだったから。
すぐにでも崩れてしまいそうなくらい、お兄ちゃんの肩が虚しかったから。
儚かったから。
「大丈夫だよお兄ちゃん…!もう…寂しい思いなんてさせないからね……!」
「………みみる……ありがと…。」
「ううん…!」
私みたいな人間なんか。
お兄ちゃんにお礼を言って貰えるような奴じゃないのに。
私は、お兄ちゃんに肩に縋り付いて。
今まで散々苦労してきたであろう、そのお兄ちゃんの背中を。
そっと、撫でてあげて。
そしたらお兄ちゃんもそっと、私の背中に腕を廻してくれて。
そんな静かで優しい労り合いが。
しばらく続きました。




