強君
それから数日後、照美ちゃんと強君が家にやってきた。
私は二、三日まえからそわそわしていて、マリリンに何度も何度も着る服の相談をしていた。ふわふわのドレスと、今時のシンプルのデザインのかっこいいスカートとどっちが着た方がいいかでもめていた。私はシンプルの方がいいのではないかと言っていたのだけど、マリリンは、
「お嬢様なんですから、ふわふわのドレスと相場は決まっています」
というのだ。
「そうかしら。でも男の子はシンプルな方が好きなんじゃないかしら」
「いえいえ、ドレスです」
と、そんな議論がいつまでも続いていたのだ。それもこれも強君の為なのだ。強君、いったいどんな男の子になっているのだろう。胸がとてもどきどきする。
あの時のことを思い出す。初めてのキス。それはまだ私達が幼稚園生だった時のことだ。私は強君と一緒に遊んでいて、その合間にお母さんの好きな雑誌のキス特集なんて本を開いていて、それを見ていたのだ。キスっていう文字だけは読めたけど、あとはなんのことだかさっぱり分からない。でも私は思ったのだ。
「ねえ、強君。強君はキスしたことある?」
「あるよ。お母さんとキスしたことある」
強君は得意げにそう言った。
「お母さんかあ…。でもさあ、どんなだった」
「どんなって?」
「たとえば甘かったとか、いろいろあるでしょ」
「えっ、俺分かんねえよ」
「ええ、分かんないの」
私がつまんなそうに言うと、強君はこう言った。
「ほら、これなら分かるだろ」
そう言って彼は私の口にキスをしたのだ。初めてのキス。嬉しかったのか悲しかったのか、それも何にも分からなかった。あの後、私はどうしたのか、ちっとも思い出せない。でも強君とキスをした記憶は鮮明に残っている。彼は覚えているだろうか。私とのキスを。
「あ、今また何か思い出してましたね」
マリリンがすかさず言ってきた。もうマリリンったら。
「私に隠し事はなしですよ」
マリリンはにこにこしながらそう言った。
マリリンにそう言われると、なぜかなんでも話してしまうのだ。これもマリリンが妖精だからなのかしら。
私は言おうかどうしようか、ちょっと迷ったけど、マリリンにその話をした。
「まあ! じゃあ今度会う方は本当に特別な方なのですね。私も粗相のないようにしないといけませんね」
「えっ、いいよ。マリリンはいつも通りで」
私は顔を赤らめながらそう言った。
「そうですか。それならそうしますが」
そう言いながらも、マリリンは私の胸の鼓動を察してくれるみたいで、強君に会えるまでの数日を一緒になってはらはらしてくれたのだ。ああ、やっぱりマリリンはいてくれると助かる。
そして当日が来た。結局服はマリリンの意見が採用され、ふりふりのピンクのドレスを着ることになった。
「お嬢様、お客様が見えましたよ。応接間に通しておきました」
執事に言われ、私は緊張した。いよいよだ。いよいよ、この日が来たのだ。期待を胸に私は応接間へ向かった。
扉を開けると、照美ちゃんと見知らぬ男の子がソファに並んで座っていた。
「照美ちゃん」
「あ、唯ちゃん! わあ、今日は素敵なドレスだね。すごい」
「照美ちゃんもリボン似合ってるよ」
照美ちゃんはこの間私があげたリボンをつけてきてくれたのだ。
「これ気にいっちゃった。唯ちゃんありがとう」
「どういたしまして」
「ねえ、強君も何かしゃべりなよ」
照美ちゃんがその男の子をつつくと、彼は言った。
「おまえ、ほんとに白井なのか?」
「ええ、そうよ」
「もっとおもしろいやつになっているのかと思ったら、とんでもないお嬢様になってるんだなあ、なんだかがっかりだぜ」
私は一瞬わなわなと震えだした。これが強君。よく見ると、長いまつげにぱっちりとした黒い瞳、色白の肌に鼻筋はすっと通っている。見た目はどうみても美男子だ。しかし言葉づかいが乱暴で、私の心にはぐさぐさくるものがあった。私は泣きそうになった。じゃあ、いったいどんな私だったら気に入るのよ。その時照美ちゃんが言った。
「強君。唯ちゃんは本物のお嬢様なんだから、そんなこと言っちゃ駄目だよ」
「お嬢様より、俺は昔の白井の方が好きだった。男達とやりあってたあの頃の白井の方が」
強君は私に気安いものを求めていたのだ。ああ、私は何をやってるのだろう。
「それはありがとう。強君は変わってないみたいだね」
私は気丈に振る舞った。側ではマリリンが心配そうに私を見ている。
「それより二人は今でも仲がいいの?」
「まあ、仲がいいといえば仲がいいのかもなあ」
「何して遊ぶの」
「TVゲームしたりとかDVD一緒に観たりしてるぞ。なあ、照美」
「えっ、うん」
て、照美?!
「俺はアクション観たいのに、こいつはディズニー映画観たくて、よくケンカするんだ」
「ケンカって言ってもたいしたことないけど」
名前で呼ぶなんて、二人はつきあってるの? それになあに。強君の照美ちゃんを見る目つき。すごい優しそうな気がするんだけど。ああ、私ってなんだろう。今までドキドキしていて損してしまった。
とりあえず、学校の話や、友達の話をして私達三人はお茶を飲みながら優雅に過ごした。
といっても、話しているのは照美ちゃんと強君といった構図。私の入る隙はどこにもなかった。強君の言葉を借りれば、なんだかがっかりそのままだ。それでも二人は楽しそうに帰っていってくれたので、家に招待して良かったとは思ったのだけれども…。
それにしても疲れた。自分の部屋へと戻る時は息もたえだえといった感じで、マリリンは心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫ですか。お嬢様」
「いえ、駄目って感じ」
「そりゃあ、そうですよね」
マリリンも察して肩を落とした。
私は自分の部屋に着くと、ベッドに寝っ転がった。天井を見上げながら考える。
昔の私は好きだったと強君は言ってくれた。とにかく昔は好きでいてくれたのだ。それが分かっただけでもよかったのかなあ。
私が悲嘆にくれていると、マリリンが歌いだした。
悲しくて、せつなくて、どこか暖かい歌が私の心にしみわたり、私は涙にくれていた。
次の日になるとマリリンはどことなく、はりきっていた。一方私は昨日のことを引きずっていた。
「そんな元気ないんじゃ、お嬢様らしくないですよ」
「もう放っておいてよ」
「そうはいきません。私は思ったんです。強様の気持ちを確かめた方がいいのではないかと」
「強君と照美ちゃんはつきあってるのよ。昨日みてて、そう思ったもの」
「そうでしょうか。単なる幼馴染に見えましたが」
「そんなことより、そういえばマリリンはもう帰るんだよね」
私はすっかり忘れていたことを思い出し残念そうに言った。
「いえ、私は帰りません。この恋がどうなるか決着が着くまでここにいます」
「決着って。私何もして欲しくないよ」
「そんなはずはないでしょう。お嬢様。お嬢様は今でも強様のことが好きなんです」
私はマリリンに真剣に言われてたじろいだ。
「それなら強様にその想いを伝えましょう」
「でも待って。照美ちゃんも強君のこと好きかも知れない」
「それなら私が訊いてきましょう。照美様に」
それはそれでなんだか怖いような気がするけど…
「でも照美ちゃんはほんとのこと言わないような気がする。あの子シャイだから好きとか嫌いとか、たとえ私でも言わないと思うわ」
「しかしお嬢様は強様のことが好きなのでしょ」
「それはそうなんだけど」
昨日照美ちゃんと強君が楽しそうに話しているのを見て、私は強君のことが好きになっていた。昔ファーストキスをしたとかそういうのは一切関係なく。
「あ、そういえば学校に行く時間ですよ、お嬢様」
マリリンの一声で私は慌てて学校の準備にとりかかった。
いつものように登校すると、またもやあの意地悪三人組が私を待ちかまえていた。
「白井さん。あなた昨日男の子と会ってたでしょう。しかもかなりの美男子とか」
と、高橋真理子。
「成績が最近奮わないのは男の子にうつつをぬかしているせいじゃなくて」
ふふんといった顔で水倉綾は私を見る。
「いやあねえ、公立の子と会ったりするから、頭が悪くなるのよ」
三浦美紀がふんぞり返ってそう言った。
私の頭の血管はぷっつり切れまくった。
「うるさい! 私が公立の人達と会おうと何しようが、あなた達には関係ないでしょ。あなた達ってよっぽど暇人なのね。失礼するわ」
私はものすごい大きな声で怒鳴ったので、廊下を通りがかっていた他の生徒達が怯えてこちらを見た。体面なんて関係あるか。私はこいつらと一緒じゃないのよ、強君。
私はそのまま教室へと向かった。