れんげの冠
学校に行く時間になると、私はマリリンに言った。
「学校が終わるまで適当に待ってていいわ」
「それはいけません。学校もお供します。ちっちゃいメイドさんのウリは24時間体制なのです。いかなる時もご主人様のサポートをさせて頂きます」
マリリンは気合いを入れてそう言った。
「そう。なら、一緒に行きましょう」
私はマリリンを肩にのせて登校した。
通学路では特に何事もなく過ぎたのだけど、昇降口に入り下駄箱に行くと事態は一変した。また例の三人組が私を待ちかまえていたのだ。
「ごきげんよう、白井さん」
「おっ、おはよう。高橋さん」
私は嫌な予感がしながらも挨拶した。
「最近登校する時間が遅いんじゃなくって」
「そうよ。時間がきっちりの白井さんがおかしいと思うのよね」
「私聞いちゃったんだあ」
三浦美紀がしたり顔で私を見る。
「三浦さん、何を聞いたの」
高橋真理子も嬉しそうに声をあげる。
「メイドの道子さんが解雇されちゃったんだって」
「まあ!」
「それは大変ね」
「お付きのメイドがいないから用意にも時間がかかるのよ」
「分かった。リボンしてこないのも時間がないからね」
「まさかきっちりしている白井さんに限って、そんなことあるはずないじゃない」
「ねえ、白井さん!」
三人がにやにやしながら、こっちを見る。
その時鋭い声が飛んだ。
「メイドならここにいます!」
それは私の肩からの声だった。まさかとは思ったけれどもそれはマリリンの声だった。
三人の目は私の肩に注がれた。
「あら、嫌だ。白井さんお人形さんなんて持ってきちゃってなんのつもり」
「まあ、ほんとだわ」
「ここまでお子様だとは思わなかったわ」
私の身体は火のように熱くなった。私が学校に人形なんぞ持ってくるか。私は恥ずかしくて恥ずかしくて、肩にのってるマリリンを振り落とそうかと一瞬思った。その時、マリリンがまた叫んだ。
「失礼な。私は人形なんかじゃありません。立派なメイド、マリリンです」
「ねえ、今の聞いた。人形がしゃべったわ」
「随分と巧妙な人形なのね」
「道子さんが解雇された代わりに人形で我慢しなさいとか親に言われたのかしら」
さすがに私の思考回路もぷつんときて、私は三人に言った。
「この子は人形じゃない。私の立派なお付きのメイドよ。あんたらに文句なんて言わせないんだから」
それだけ言うと、教室目指してダッシュで階段を駆け上がった。
くう~っ。むかつく、あいつら。それにしても道子さんが解雇されたことを知っているなんて、いったいどこからの情報だ。これだからあいつらの情報網は怖い。とは言うものの、リボンしてない理由が朝の時間がないからなんて噂が広がったら、私はどうしたらいいんだ。
優雅で聡明な私のイメージに傷がついてしまう。思わず髪をかきむしりながら、自分の席にたどり着くと、肩の上のマリリンが言った。
「あの、私がリボンつけなかったせいで、ほんとすみませんでした」
「いいわよ。あなたのせいじゃないんだから」
「でもこの埋め合わせは必ずします」
そう言うとマリリンは私の肩からぽんと降りると、トテテテって感じで歩いてどこかに行ってしまった。
「ああ、いったいどこへ行くのよ」
という私の声は彼女には届かないようだった。
と、私もこうもしてられない。もう授業が始まる。最初の授業は英語だったはず。集中して聴かなくちゃ。だって私は学年トップですもの。お付きのメイドがどんなであろうとこればかりは関係ない。
授業が終わると私は自分の席でくつろいでいた。はあ、それにしてもくたびれるわね。お付きのメイドはいても、結局私が自分でやってるんだもん。これじゃあ、メイドの意味がない。あの子には申し訳ないけど、解雇するしかないかしら。私がそんなことを考えていると、頭の上に何かが、ぽんとのるのが分かった。
「あら、白井さん。それ、どうしたの」
皆が不思議そうな顔をして私の頭を見る。なんだろうと思って頭の上のものを手にとってみると、それはれんげの花輪だった。見ると私の肩にはマリリンがにこにこした顔をして乗っている。
「これなら得意中の得意なんです」
彼女は胸を張ってそう言った。
って、花輪なの! 私今花輪被ってたの。子供じゃあるまいし!
私はかーっと顔を赤らめると、教室から飛び出した。
「マリリンのばかっ!」
私は怒ってマリリンに言った。
「ごめんなさい。私、私そんなつもりじゃなくて…」
そこまで言ってマリリンは大粒の涙を流して泣きだした。
「うえーん、うえーん、ごめんなさい」
彼女の涙で私ははっとしてマリリンを見る。リボンの代わりにこんなに大きな花輪を作ってきてくれたのだ。それなのに、私ってば。なんとなく胸が痛い。
「ごめんね、マリリン。この花輪とてもきれいだよ」
「そうね。れんげなんて懐かしいわね。この辺りでは咲いてないから」
そう言ったのは担任の中沢先生だった。
「これはリボンの代わりなのね。なら、あなたはそれを被らなくては」
「でも、先生」
「季節物はきれいなのよ」
先生は笑って答えた。
結局その日は花輪を被ったまま授業を受け続けた。意地悪三人組がからかってくるかと思ったが、先生のお墨付きなので、何も文句は言ってこなかった。それどころか、他のクラスメートが、昔を懐かしむかのように、みんな寄って来てはしゃいでいた。
「小さい頃よく作ったよね」
「ここらじゃ、れんげの花なんてないからね」
「なんかほんとにいい香りだね、白井さん」
とか言いながら肩を叩かれたりした。
マリリンもマリリンで、満足そうに微笑んでいる。
それから私も昔のことを思い出した。
私がまだまだ小さく幼稚園生だった時のこと。住んでいる場所もここではなく、別の場所だった。家の近くには土手があってそこにはたくさんのれんげの花が咲き乱れていた。気がつくと髪を二つに分けて赤いリボンをつけている小さな女の子がいる。彼女は元気いっぱい手を振っている。
「唯ちゃーん」
思わず私は顔をあげて声をあげそうになる。
「照美ちゃーん」
と叫ぶ前に私は現実に戻った。
気がつけば学校の授業も終り、下校途中である。しかし私が何か言いかけたのをマリリンはめざとく見つけた。
「今、何か言いましたか?」
「ううん。別に」
「でも何か思い出してるような感じでしたよね?」
うっ、なかなか鋭いわね。
「よかったら、私に話してくれませんか」
まあ、別に隠すようなことでもないし、私は昔の話をすることにした。
昔、私はこことは別の場所に住んでいた。豪邸でもなんでもない普通の家。側には川があって鯉が泳いだりしていた。
その近所に幼馴染の川崎照美ちゃんが住んでいた。照美ちゃんは泣き虫で、よく男の子にいじめられていた。私は見かけると、男の子を撃退し、照美ちゃんを助け出してあげた。すると照美ちゃんは満面の笑みを浮かべて私に礼を言った。私も私でかわいい照美ちゃんに尊敬の念を抱かれるのは悪くなかった。そのうち私達はよく遊ぶようになった。ボール遊びやあやとりもしたけど、春になるとれんげが咲いて、たくさんれんげの冠を作った。私はあの時から不器用だったから、いっつも照美ちゃんに教えてもらって作っていた。きれいな輪っかができると、私達は王女様になったつもりで腕にも頭にも輪っかをつけて飛び歩いた。ああ、なんて楽しかったろう。
それがうちのお父様の事業が成功して家が引っ越すことになり、私と照美ちゃんは離れることになった。
引っ越しの日。照美ちゃんはれんげの冠をたくさん作って持ってきてくれた。
「また遊ぼうね、唯ちゃん」
照美ちゃんは泣きながら言った。私もつられて泣きだした。
「うん、手紙書くね」
「きっとだよ、唯ちゃん。私もきっと書く」
そう言って私達二人は別れた。
あれから六年経つけど照美ちゃんとは会っていない。すぐに手紙を書こうと思ったけど、まだ字が書けないくらい小さくて思いを伝えられなかった。そして現在に至る。
この話を聞いていたマリリンは目を真っ赤にして泣いていた。
「会えないってつらいことです。今からでも遅くはないです。会いに行ったらどうですか」
「えっ、私が会いに行くって」
私は一瞬戸惑った。なんだか気恥かしくて今更会ってどうするというのだろう。彼女はどう思うだろう。今の私を見て。あの当時はお嬢様でもなんでもなかった。でも今の自分はお嬢様なのだ。彼女はなんと言うだろう。
でもその前に私は、以前住んでいた家の正確な位置を覚えていなかった。ここから電車で三十分はかかるところだ。駅名だけは知っているけど、場所がどこだったか分からない。
「だったら私が探します!」
私が照美ちゃんの居場所を全く知らないことをマリリンに告げると、彼女はきっぱりそう言った。
探すって言ったって、私はマリリンをじーっと見た。この小さすぎる手と足を持つ彼女に何ができるのだろうか…。そう考えるとまたため息が出た。
「いいよ、マリリン。気持ちだけ受け取っておく」
「えっ、でも」
マリリンは眉根を寄せて口をすぼめた。
「いいの、いいの。気にしないで。さあ、家に着いたわ」
ようやく家に着くとまた執事が
「今日はいかがでしたか」
と訊いてきた。
「まあ、上々よ」
それだけ言うと私は自分の部屋へと向かった。