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六月の雨が降っても 僕にはさす傘が無いので 濡れてゆく

 サッシの窓に叩きつける激しい雨音で、僕は目を覚ました。と言ってもパッチリと目覚めた訳ではなく、半分朦朧とした意識の中で、夜半から雨が降り出すでしょう、と言っていたアナウンサーの言葉を思い出していたのだ。

 手探りで眼鏡と腕時計を取り、時刻を確認すると午前四時だった。カーテンを開けてみると、思った通りの大粒の雨が、横殴りの風に乗って窓ガラスへとぶつかっている。

 窓を開けてみようかなと一瞬考えたけれど、雨が吹き込んで来る事は判り切っていたのでカーテンを閉め、もう一度ベッドに寝転がった。

 ザーッ、ザーッと誰かがシャワーを浴びている様な音が何時までも聞こえている。

 身体は疲れているのに意識は次第にハッキリとしてきて、目を閉じていても色んなものが瞼の裏に現われては消え、消えては現われ、目まぐるしい。

 そのうち窓に当たる雨の音と、瞼の裏の映像がシンクロをし始めた。


 あれあれ、と思っているうちに、突然玄関のドアが開き、小学生だった頃の友達が、その当時の姿のままで僕を呼びに来た。彼は何も言わなかったが、一緒に泳ぎに行こうという約束だったのは、なぜだか僕には解っていた。

「なぁ、こうちゃん、あいつら怒ってないかな? 僕たちだいぶ遅れちゃったよ」

 そうだ、僕は小学生の時、こうちゃんと呼ばれていたんだ。

「大丈夫さ。ねぇ、しんちゃん、それより 昨日のテレビ観た?お笑いワンダラーズ! おっかしかったよね?」

 そうだよ、この友達はしんちゃん。彼が小学四年生の夏に引っ越すまで、僕らは仲のいい友達だったんだ。当時流行っていたお笑いワンダラーズという芸人さんの真似をよく一緒にしたっけ。

 二人で隣町にある市民プールに行くと、すでに他の友達も来ていて、みんなは僕らに気づくとにっこりと笑った。

「おーい! こうちゃん、しんちゃん、遅いぞ! でもこれでお笑いワンダラーズのメンバー全員が揃ったね」

 四組のお笑いワンダラーズ。僕らは仲良しグループで、お笑いワンダラーズを名乗っていたんだ。

 僕としんちゃんも、いつの間にか水泳パンツを穿いていて、みんなの待ってるプールに飛び込もうとした。けれど、シャワーを浴びてないことに気づいたので、僕ら二人はプールの裏手にあるシャワー場へと急いだ。すぐにでもシャワーを浴びてみんなの待ってるプールへと行きたいんだけれど、僕の浴びてるシャワーは何時までも水が止まらず、僕は出るに出られない。しんちゃんは僕を置いてみんなの所へ行ってしまった。どうしよう? このままシャワーの栓を開きっぱなしにして行ってしまえば、役員のおじさんに怒られて、次の日には学校の先生にも怒られてしまう。どうしよう? 

 次第に空も曇ってきて、気づくと友達はみんないなくなっていた。小学生の僕は何時までも何時までもシャワーを浴びながら、どうしよう? どうしよう? とおろおろしていた。夢なら醒めてしまえ! と思いっきり目を瞑ると、ザーッという音だけが耳に響いている。 

 どうにでもなれ! と目を開けると、そこは線路沿いの原っぱに変わっていた。


 一瞬、何でこんな所に? と思ったけれど、さっき、お金を取りに行って来るからと一人で家に戻って、それからまたここに来た事を思い出した。

「こうちゃん、早く行ってきなよ。僕たち君が来るまでここで待ってるからさ」

「本当に? 待っててね。約束だよ?」

 友達は原っぱで待っててくれることになっていたから、僕は急いで家に戻り、もうすぐ晩御飯だからというお母さんの言葉も振り切ってまた原っぱに戻って来たのに。それなのに…

 いつもならそんなコトはしない。だけどその日は特別だった。一緒に遊んでいた友達の中に、好きな子がいたから。

 髪がショートで目がクリッとしたマキちゃん。その子と遊ぶのは初めてで、原っぱの傍の駄菓子屋さんでお菓子を買ってからマキちゃんの家にみんなで行こうという予定だった。でも僕はお金を持っていなかったから。あれ程待っててね、と約束をしたのに…

 みんなを探して原っぱ中を駆け回ったけれど、見つからなかった。夕闇がもうそこまで迫ってきていた。僕は半分泣きながら、線路沿いの道を一人で歩いていた。

 後ろからザーッという電車の迫ってくる音が聞こえ、僕は悔しいのと淋しいのとで、その迫ってくる音に向かって大声で叫んだ。バカヤロー!


 馬鹿野郎! という彼女の罵声を背中で聞いて、僕は思わず振り返りそうになったけれど、ぐっと我慢をした。周りには沢山の学生達が居たし、振り返ればきっと彼女を殴りたくなることが分っていたからだ。

 どうしてこの女はこうなのだろう? 少しでも気に入らないことがあると、町中でもどこでもお構い無しに大声を出す。初めのうちは可愛いと思っていたことも慣れてしまえばただの我侭に過ぎず、そう思ってしまうと何から何までもが嫌になってしまう。

 さっきだって、心理学の授業中だというのに、昨日町で見かけたというタレントの話に一人で夢中になっていた。

 嫁き遅れた女教授が、僕らの方に幾度となく鋭い視線を送っていたのも、僕の気分を重くした理由のひとつだ。

 この女教授は陰険な事で有名で、直接学生に注意をすることはしないで、テストの結果に係らず、自分の気に入らない生徒は不可にするという嫌な奴だ。でもこの授業の単位を取らないと卒業が怪しくなるので我慢して出席していると言うのに、彼女はそんな事にはお構い無しに大声を張り上げたから、一言うるさい、と言ってやり、その後授業が終わるまで無視していたツケがこれだった。

 僕の後ろで大声を張り上げながら、もはや自分の大声でますます興奮して半分気違いの様になった彼女は、人目も気にせず、喚き散らしている。彼女を何とかして黙らせようと、なだめたりすかしたりしたけれど、彼女の声は止まる事を知らないかのようだ。

 彼女を体育館の後ろに連れ込んで、まだ喚いている彼女を何とか黙らせようと、彼女の口を手で塞いだ。苦し紛れに彼女は僕の手に噛み付いたが、僕は手に込めた力を緩めようとはしなかった。彼女がグッタリするまで、僕は頭の中で歌を歌いながら、手に力を込め続けた。

【♪雨 雨 降れ 降れ 母さんが 蛇の目でお迎え うれしいな

ぴちぴち ちゃぷちゃぷ らんらんらん♪】

 手から流れ出る血を水道の水で洗い流しながら、僕はまだ頭の中で歌い続けていた。

【♪ぴちぴち ちゃぷちゃぷ らんらんらん♪】


ちゃぷちゃぷという音にはっとして、手元の時計を見るともう午前八時だった。

 急いでテレビのスイッチを入れると、丁度天気予報をやっていた。降り続いている雨は午後には穏やかになり、夕方過ぎにはあがるでしょう…訳知り顔のアナウンサーがにこりともせず手元の原稿を読みながらそう言った。

 サッシの窓を開けて外を見たけれど、雨脚は衰えた様子も無く、水溜りはまるで池の様になっている。登校途中の小学生達が、水溜りをわざと選んで歩いている様子が伺える。

 そのうちの一人が口ずさんでいる歌が、風に乗って二階の僕の部屋まで流れてきた。

【♪雨 雨 降れ 降れ 母さんが 蛇の目でお迎え うれしいな

ぴちぴち ちゃぷちゃぷ らんらんらん♪】


 僕は今日、バイトがある事を思い出して、急いで着替えて部屋を出る準備をした。いざ部屋を出る段になって、傘が無い事に気づいたけれど、平気だった。だって雨は午後には穏やかになり、夕方過ぎにはあがるのだから。


 部屋を出ると、雨の音が耳にやけに心地良かった。

 手をかざして空を見上げると、雨が雲の中から降ってくるのが良く分る。手の傷が雨に沁みてちょっと痛かったけれど、心は晴れやかだった。

 少し位雨に濡れても、六月の雨が降っても、僕にはさす傘が無いので濡れてゆく、と思えば、これからの事はどうにでもなるさと、僕は心の中で何度も何度も繰り返し、思い起こしていた。

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