第92話:待機から行動へ
「もうそろそろ、帰ってくるかな……」
たった今まで滞在していた宿屋から、
アルトは一歩外へ、踏み出した。
相変わらず、
外は突き刺すような寒さである。
特に理由が無いならば、
絶対に外を歩きたくない、
そう思わせるような冷え込みようだ。
「アルト君……!
おとなしく待機していましょうよ!!」
アルトの背後から、
慌てるしぐさを隠さない蒼音が、
アルトに中へ入るよう説得を試みている。
決して寒いのが嫌なのではない。
レナとプログに、
待機を指示された以上は、
忠実にそれを守るべき。
蒼音の考えは、間違ってはいない。
だがアルトは、
「とは言っても、
もうそろそろ帰ってくると思うんだよね。
だとしたら、万が一の時のために備える態勢は、
待機じゃなくて素早く動ける方だから、
外に出ておいた方がいいと思うんだ」
言って、宿屋に留まる選択肢を、消した。
レナ達と別れてから、
都合30分程度が経過している。
有事に備えて待機しておくのは、
あくまでも交渉を行っている最中だけ。
交渉が終わった後の備えは待機ではなく、
例えば逃げるなり、
例えば合流するなり、
例えば城の中に潜入するなり。
どの選択を取るにしても、
今の宿屋にいることがベストではなく、
建物の外にいることが一番大事。
アルトはそう考えていたのだ。
城の中で交渉が、
まさかの大失敗に終わったとは露知らない、
アルトにとってはそれが最良の動き、
という判断だった。
「でも……!!」
その提案になおも尻込みをする蒼音に対し、
「そしたら、蒼音ちゃんはここにいて。
僕が少しだけ、様子を見てくるから」
アルトはそう告げた。
ここで蒼音を強引に連れていく必要はない。
たとえこの場は別行動となったとしても、
キルフォー城内に入ることさえしなければ、
またすぐに合流することはできる。
ならば別に1人で動いても、
特に問題はない。
その考えに基づき、
アルトは宿屋からまた一歩、
外の世界へと足を踏み出した。
「おおおおッ、いきなり出ると、
やっぱり寒いなぁ!」
室温20℃から急転、
気温-13℃の世界へと変わった環境に、
アルトは思わず身震いをしてしまう。
あまり長居はしたくないなぁ、と考えつつも、
(よし、とりあえずお城の近くに行ってみようかな、
この辺じゃあ、あんまり人も多くないし。
そっちの方が母さんやフェイティの息子さんの事も、
聞き込みできるだろうし)
ほんの少しだけ心を躍らせていた。
そう、実はアルトが外へ出たのには、
有事に備えると同時にもう1つ、
大事な意味があった。
それは自らの母ヴェールと、
王都セカルタで待つフェイティの息子、
セントレーに関する情報の収集だ。
ローザの窮状を救うためにこの場にいるアルトだが、
そもそもアルトが故郷であるファイタルを飛び出てきた理由は、
幼くして生き別れた、自らの母を探すためである。
大々的にこそ動けないものの、
アルトにとっての今の状況、
すなわちディフィード大陸の王都キルフォーにいるということは、
今までほとんど得ることの出来ていない、
捜索者達の情報を探すには、
うってつけの環境だった。
よし、と1つ、
雲のような真っ白な息を強く吐き出すと、
アルトはレナ達の迎え、兼聞き込み調査を開始すべく、
目の前にそびえ立つキルフォー城を目印に力強く、
一歩を踏みだ
「待ってください!
あ、あの、やっぱり私も……、
ついていってもいいですか?」
そうとした寸前、
背後からたどたどしい、巫女さんの声。
アルトが振り返ると、
そこには蒼音が、
なぜか両手をモジモジさせながら、
うつむき加減にアルトを見ていた。
「?」
よほど寒いのか、
それとも体調が悪いのか、
アルトはなぜ遠慮がちな様子なのか疑問に思ったが、
すぐに、
(あーそうか。
蒼音ちゃん、自分の意思を……)
その答えが頭に浮かんだ。
そう、今まで自分の意思表示を、
一切示さず生きていた蒼音にとっては、
ただが一緒に行動したい程度の意思表示でも、
例えば誰かに告白するくらいに、
勇気が要ることだった。
「あ、あの……もし迷惑なら、
私は宿屋に……」
「そんなことないよ、
そしたら一緒に行こっか」
後ろ向きな発言をし始めた蒼音の言葉を、
アルトはバッサリと断ち切り、
ニッコリと笑って見せた。
「考えてみれば、
僕1人で出歩いて、
万が一のことがあってもマズイしね。
蒼音ちゃんが一緒に来てくれると助かるよ」
「本当ですか……!?」
ホントだよ、とアルトはもう1つ、
笑顔を作ってみせた。
まるでその笑顔につられたかのように、
蒼音の表情はみるみる明るくなり、
「ありがとうございます!
では早速、行きましょう!」
先ほどとはうって変わり、
いつもの満開の笑顔でアルトよりも先に、
キルフォー城めがけて歩き出した。
その姿はまるで、
遠足を楽しみにしている小学生のようである。
ありがとうございます、
っていうのも何か違うような、
とぼんやり思うアルトだったが、
蒼音の気分上々姿を見ていると、
まぁ別にいっかと思い、
「蒼音ちゃん、歩くの早過ぎだって!!」
ちょっとだけ嬉しく感じながら、蒼音の後を追う。
宿屋からキルフォー城の近くまで辿り着くのに、
それほど時間はかからなかった。
計測すれば、ざっと10数分程度、といったところだろうか。
アルトと蒼音は、
あのレナとプログが足を踏み入れた城門から、
およそ100数メートルの所まで来ていた。
あと1つ、2人のすぐ前にある、
T字路を左に曲がってそのまま進めば、
そこにはキルフォー城が姿を現す。
ここまで結局誰もすれ違わなかったなー、
せっかく話を聞けるチャンスだったのに、
などとアルトは残念がりながら、
T字路の死角を使い、
キルフォー城の入り口の様子を、
壁の端からコッソリと覗いてみた。
曲がり角から直線に伸びる、
お城へのストリートにはやはり今まで同様、
人の姿はまったくない。
それどころか。
「あれ?
門番がいない……」
アルトはすぐに、その異変に気付いた。
市民がいないどころか、
城の入り口を護るべき門番の姿も、
近くに見当たらない。
「どうしたんですか?」
「おかしいな。
門番がいないんだよね……」
「門番がいない、ですか?」
アルトの言葉に誘われ、
背後から蒼音もちょこっとだけ、
顔を出して様子を確認してみる。
そこで見えたのは、
門番のいない、
キルフォー城の立派な入門口。
「本当ですね……。
普通はこういうものなんですか?」
「いや、そんなことはないと思うんだけどなぁ。
エリフ大陸のセカルタ城には、
ちゃんと門番がいたし」
「やっぱりそうですよね。
私も何となくですが、
そういうイメージがありますけれど」
七星の里から外に出たことがなく、
城の概念がない蒼音にとっては、
アルト程の強烈な違和感はない。
「そう、なんだよね……」
無人の入り口という現実を目の当たりにした、
アルトにふと、ある1つの考えが浮かんだ。
(今なら……お城の中に入れるんじゃないか?)
唐突、かつ強烈なその思考は、
急速にアルトの脳を駆け巡る。
(門番がいないってことは、
もしかしたら城の内部で何かあったのかな?
まさか、レナとプログの身に何か……!)
アルトの表情が、急上昇の勢いで強張っていく。
まさか、レナとプログを城から出させないために、
門番は城内にいるのか?
だとしたら、自分と蒼音で、
今すぐにでも助けに――。
時を同じくして。
ギイィィィィ……。
「……ッ!!」
今まさに観察していたキルフォー城門がゆっくりと動き始め、
アルトと蒼音はまるで猫に睨まれたネズミのように、
瞬時に頭を引っ込める。
(兵士が出てくるのか!?)
アルトの鼓動が、
ひとりでに高まっていく。
別に隠れる必要などないはずなのに、
自らの思考を見透かされていたかのような、
絶妙を超えた恐怖のタイミングで開いた扉に、
反射的に身を潜めてしまっている。
なおも開き続ける、城の扉。
人の声は、聞こえてこない。
それどころか、人が出てきた気配もない。
(誰だ……誰が出てくるんだ?)
心でそう思わずにはいられないアルトだったが、
だからといってまだ、
壁から身を乗り出す勇気はない。
「ど、どうしましょう?
一旦、宿屋に戻ります?」
すぐ横で蒼音は動揺を隠さずうろたえているが、
今のアルトには年上の女性をフォローする余裕などない。
誰が、何人で出てきて、どうするのか?
全神経を聴覚へ集中し、
わずか100メートル先で起こる、
ありとあらゆる音を拾うべく、
アルトは感覚を尖らせる。
シャッ、シャッ、シャッ……。
(……ッ!)
はるか遠くで生み出された新雪を踏む繊細な微音が、
アルトの神経がキャッチした。
誰かがキルフォー城から、姿を現した。
だが、その人物とは誰なのか。
交渉に成功したレナとプログなのか。
それとも門番が出てきただけなのか。
はたまた――。
なおも続く緊張感の中、
アルトは意を決し、
様子を覗いてみることにした。
まだ見ぬ相手に気付かれないよう、
息を殺しながら5センチ、10センチと、
城と自分達を遮る壁の端へと、
強張る顔を近づけ
「あーもうッ! 最ッ悪なんだけど!!」
(……!!)
瞬間、アルトの心臓が一瞬だけだが、
間違いなく止まった。
無防備の状態で大声を出されたのと同じ感覚で、
その声を聞いた刹那、少年は生きた心地がしなかった。
……が、
「あれ、今のって……」
先ほどまでの緊迫感とはうって変わり、
キョトンとしている蒼音と共に、
アルトもすぐに、理解ができた。
安心した2人がT字路から一歩、
前へと踏み出すと、視界に入ってきたのは。
「ったく、何なのよあの頑固頭ッ!
ハナからあたし達の話聞く気ゼロじゃないのッ!!」
「うーん、あんまり考えたくはないが、
ありゃあ最初から負け戦だったな~」
「こっちが下手に出ているのをいいことにズケズケと…!」
「オイオイ、不満爆発なのは分かるが、
この街を出てからにしようぜ?
あんまり爆音で話していると
そこら辺の兵士に聞かれるぞ」
「わかってる、それはわかってるわよ!
あ~もう! めっちゃくちゃムカつくんですけどッ!!」
そこにいたのは見覚えがよくある、
明らかにご機嫌ナナメな、細身の金髪少女に、
その少女を苦笑いで宥める長身の青年が。
キルフォー城から出てきたのは、
交渉を終えた、レナとプログだった。
「アンネちゃんに、ブラさん!!
良かった、無事で――!!」
確認するなり、蒼音はすぐさま、
厳しい戦いを終えた2人のもとへと駆け寄ろうとするが、
アルトはそれを手で制した。
「たぶんだけど、
今はやめた方がいいと思う」
そう言うアルトには、
大体の結果が見えていた。
城を出るなり、
抑えきれぬ怒りをぶちまける、
今のレナの状況。
出会ってから結構な日が経過し、
そこそこな付き合いとなってきた、17歳の少女。
その経験からして、
今の状況を推察するならば、
考えられる結論は、ただ一つ。
自分たちの思い通りに事が運べず、
交渉が失敗に終わった。
それが、少年の出した結論だった。
そして、その結論が正しいものならば、
今のレナは脳内が、
非常にヒートアップしてしまっている。
すぐに訪れるであろう、
冷静の時になるまで、
下手に声をかけると、
逆にこちらにも矛先が向けられる――。
これがアルトの作成した、
レナ・フアンネという人物の取説(一部)だ。
本当はアルトも、
今すぐにでも2人の傍へ駆け寄りたい。
そして直ちに、結果を聞きたい。
でも、取説によれば、
その行動は決して、最良の行動ではない。
だからこそ、アルトはその場で待つことにした。
自分達から駆け寄るのではなく、
怒り心頭中の2人の方から、
自分と蒼音を見つけてくれる方を選択した。
そして、冷静な少年のその選択は、
見事な正解であることが、すぐに証明される。
「あら? アルトに蒼音じゃない。
どうしたの?
宿屋にいたんじゃなかったっけ?」
道を曲がったところでアルトと蒼音を見つけ、
そう切り出したレナの表情は、
先ほどとはうって変わり、
ごくごく冷静ないつもの姿になっていた。
ふーよかった、
と内心ホッと胸を撫で下ろしたアルトは、
「ゴメン、ちょっと時間がかかってたから、
もしかしたら、と思って、
蒼音と一緒に様子を見に来てたんだ」
とりあえず、差し障りのない言葉で返してみた。
外向きは沈静化したとはいえ、
またすぐに噴火でもしたら、という恐れがあったためだ。
「そっか、あんまり気にしなかったけど、
結構な時間が経っていたのね」
「ま、待機組と突撃組じゃ、
感じる時間は全然違うわな。
2人とも、心配かけたな」
「全然。私達は何もしていませんし。
アンネちゃんにブラさんこそ、
本当にお疲れ様でした」
「はぁ~~~~。
ホント、最悪だわ……。
ここまで来てまさかの全面拒否、とはね」
体の内部にへばりついた疲労感を絞り出すかのように、
レナはまるで仕事に疲れた中年オヤジのような、
深く、重いため息をついている。
「ということは、
もしかして……」
「大失敗よ、大失敗。
散々説明させといて、
最後に断る、の一言でバッサリ」
「そう、だったんだ……」
ここでようやく、アルトの判断は、
推察から確定へと変わる。
セカルタを出発し、
人生初の船旅を経験し、
夜中に魔物に襲われ、
神秘の地である七星の里を経て、
ディフィードの道なき雪道を乗り越え、
やっとたどり着いた、
この王都、キルフォーの地で。
セカルタとキルフォーの交渉は決裂したのだ、ということを。
次回投稿予定→3月12日 15:00頃




