第89話:苦悩、葛藤、そして
外とはまるで別世界かのように、
城内はとても暖かかった。
室温は常に24℃に保たれているキルフォー城内は、
まさに文字通り、快適な環境と呼べる場所だった。
暖房器具のパイプや換気口等がむき出しで飛び出ており、
内見こそであまり良くないものの、
そのマイナス要因を差し引いても、
外界の凄惨な環境など、足元にも及ばない。
地獄の中の楽園。
キルフォー城内はこの大陸での天国と呼べる地であった。
「しっかしアレだな、
悪いヤツが住んでる典型みたいな環境だよな」
あまりの快適さに、
先ほどまで心の友だったフードを脱ぎつつ、
プログはボヤく。
「初見の相手にあまり偏見は持ちたくないけど、
確かにそう思えちゃう場所ね」
謁見室に向かうレナの口からも、
思わず本音がこぼれている。
「居座るには天国だけど、
暮らすとなったら最高に胸くそ悪い場よね、
ホンッとに」
「キルフォーの、
いや、ディフィード大陸の現状を生み出している、
まさに癌みたいなモンだな、ここは」
先ほどの偏見云々の件はどこへやら、
口から出てくるのは、
どれもこれも天国に対する“不満”ばかりだ。
キルフォーの王に会うべく、
キルフォー城内を進むレナとプログ。
その過程で幾人もの城内に住む兵士、
貴族、子どもとすれ違ったのだが、
そこから感じ取れるキルフォーの“癌”は、
レナ達の感情を逆撫でするものばかりだった。
「これから市街地の見回りか、
チッ、面倒臭いぜ……」
「行ってもどーせ誰も居やしないのにな」
「まったくだぜ。
ったく、バカな市民共が街をほっつき歩くから、
俺らの仕事が増えんじゃねーかよ」
「こうなったら見せしめに、
今日これからの見回りで最初に会ったヤツ、
ボコしてやるか」
「お、いいねー。
やっちゃう? 殺っちゃう?」
「オイオイ殺ったらやべーだろ。
……ま、たまたま悪い所に当たっちまったら、
しょうがねェけどよ」
すれ違う2人の兵士がそう話せば、
「奥さん、最近城内、
少し暑すぎません?」
「あら、あなたも?
やっぱりそうよね?」
「ホントに最近の空調担当は何をしているのかしら。
こんなんじゃ、汗かいて風邪引いちゃうじゃない!」
「まったく、少しはこちらの身にもなって欲しいわよね。
こう毎日毎日室温を変えられては、
お洋服を選ぶのが大変じゃないの……」
「奥さん、今度あなたの旦那さんに相談してくださいな。
これじゃあ私達、まともに生活できませんって」
「そうね、今度言ってやろうかしら……。
ついでに最近稼ぎが悪いのも」
「あらあら悪いわねぇ、あなたも。
この間、そのドレスを買ったばかりじゃないの」
市街地では決して見ることのなかった、
煌びやか以上の派手なドレスを身にまとう、
2人のふくよかな貴族女性が話し込んでいる。
また、
「あーあ、何かお外も飽きたなあ」
「えー!
さっきまでお部屋で遊んでて、
ようやく外に出たばっかりじゃない!」
「だって外に出ても、
なーんにもやることないんだもん。
お菓子は食べちゃダメってパパとママに言われているし、
下界は行っちゃダメだって……」
「ねえねえ、パパとママに内緒で下界に行ってみない!?
ほら、何か面白そうじゃない?」
「ダメだよ。下界は人の住むところじゃないって、
パパママは言うし、
すごく寒くて汚いところだって言っていたじゃないか」
「えーダメー? つまんないのー」
城内を“外”、市街地を“下界”と呼ぶ貴族の子どもたちの、
無邪気で残忍な会話が、
届けてほしくもない、
ワームピル大陸出身の少女、
エリフ大陸出身の青年の耳へと入ってくる。
悪い細胞は、非常に厄介なものである。
ひとたび一つの集合体に放り込まれれば、
たちまち周りに伝染していき、
しまいにはその集合体を、
すべて同類へと染め上げていく。
そして気付いた時には、
すでに手の施しようがないほどに、
全体を悪性の混沌へと陥れる。
今のディフィード城内は、
まさにその悪い細胞の巣窟と化していた。
「しかし子どもが下界、か。
どこをどう間違えれば、
そんな呼び方になるんかねぇ」
「わざと、でしょ。
城内の貴族たちが、
自分達と外で暮らしている人たちとは違う、
とでも教えているんじゃない?」
プログの言葉に、
レナはつまらなそうに答えた。
見聞するだけでも、
ふつふつと腹の中で沸き立つものがあるのに、
自ら言葉にすることでより一層、
苛立ちは募る。
その様子を察したか、
「オイオイ、気持ちは分からなくもねぇが、
本来の目的、忘れんなよ?
俺達はケンカを売りに来たわけじゃ、
ねーんだからよ」
隣で苛立ちが顔に出始めていたレナを、
プログは半ば宥めるように諭す。
そう、あくまでもレナとプログは、
ここの一番偉い人と面会し、
不可侵の秘密協定を取りつけるために来たのだ。
決してこの劣悪な環境を打破するために、
ケンカをしに来たわけではない。
「……わかっているわ。
冷静に、クールに行くわよ」
個人間の話ではなく国家間レベルの話を、
セカルタの執政代理であるレイの代わりに話すため、
ここに来ている。
レナはもう一度そのことを、
思考の最先端へと整えなおすと、
ふう、と一つ大きく息をつく。
「着いたぞ」
ぶっきらぼうな兵士の声が、
レナ達の足を止めさせたのは、その直後だった。
気が付けば、
目の前にはいかにも重そうな、
重厚感のある鉄製の扉が。
どうやらこの奥が、謁見室と呼ばれる場所らしい。
このキルフォー城内において最も格式の高い場は、
この扉を隔てたすぐ先に存在している。
当然、中の様子を窺い知ることはできない。
「我らの案内はここまでだ。
ノックは不要だが、
せいぜい、無礼のないようにするんだな」
最後は愉快気に、兵士はレナ達に告げると、
スッとその場から立ち去った。
客人とも、敵かもわからぬ相手を尻目に、
兵士は一切の躊躇もなく、レナ達の前から退いた。
「オイオイ、いきなり放置プレイかよ」
「ホンッと、この国はどういうマナー教育をしているのかしら。
案内を前に客人をほったらかすとか、
正気の沙汰とは思えないんだけど」
「ま、こっちとしてはいきなり謁見室に入られるより、
ちっとばっかし心の整理ができるからいいけどよ」
確かに、唐突に謁見室へ案内されるより、
たとえ案内役が居なくても、
自分たちのタイミングで入室できる今の方が、
今のレナとプログにとってはありがたい選択肢だった。
ここまで来たら、もう後戻りはできない。
「さて、いよいよね――」
ふぅー! とレナはもう1つ大きく、
空気を吸い込み、その息を強く吐き出す。
自分の意志とは無関係に心臓の鼓動が大きくなり、
まるで喉を圧迫しているかのように、
心臓が体全体をドクッドクッ……と揺らす。
緊張。
ほんのわずかではあるが、
指先も小刻みに震える。
不安。
実際この場に立つまでは、
いつものようにプログを茶化してみたり、
蒼音と会話を繰り広げたり、
アルトと共に魔物を倒してきたり、
普段と変わらない気持ちで、
ここまで来たつもりだった。
口ではここからが本番と、
何度もみんなに言い聞かせながらも、
まずはいつもと同じ行動を、
と動いてきたつもりだった。
そしてついさっき、
レナとプログだけですぐに謁見を申し込むという、
大きな決断をした時も、
これですべてを吹っ切った、
頭の中ではそう思っていた。
だが今、この場に立ち、
レナは気付いた。
違う。
あたしは緊張している。
そしてとてつもない不安を抱えている。
セカルタの最高責任者の代理、
つまり国を背負ってこの場に来ている。
それがどれほどの重責だったか。
頭では分かっていたつもりだった。
だが、体は正直だった。
もし、これで失敗したら?
もしキルフォーの責任者との話し合い、交渉が決裂したら?
それだけはない、
もし、あたし達がこの場で、
相手に拘束されるような事態になってしまったら?
もし、あたし達が殺
「四の五の考えてもしょうがねぇ。
ここまで来たら、なるようになれ、だ。
俺らの一世一代の大勝負、行くぜ……!」
「……!」
まるでレナの迷いを見透かしたかのように、
隣でプログはニヤッと笑った。
体に纏わりつく、
ヒリヒリするような緊張を、
プログも当然、感じていないハズがないだろう。
にもかかわらず、レナに向けて笑って見せた。
極限に張りつめたこの緊張感の中で、
とても笑えるような状況にない、
この場において隣にいる男は、笑った。
「……そうね。
ここまで来たら、
後はなるようになるわよね」
言って、レナもほんの少しだけ、
口元を綻ばせた。
笑顔というものは不思議なもので、
ふと人の笑顔を目の当たりにすれば、
自然と緊張が解かれていくことがある。
それがどれほど困難な場面でも、
耐えがたい苦痛な状況に身を置いていたとしても、だ。
レナ自身もなぜ自分の口が綻んだのか、
理解はできなかった。
決して安心できるような材料が見つかったわけでも、
この後の戦いに勝機を見いだせたわけでもない。
戦況は何一つ、変わっていない。
だが、隣にいる年上の男が見せた笑顔によって、
レナの張っていた緊張と焦燥の糸は、
わずかながらに緩んだのだ。
17歳の少女は出会って初めて、
隣にいるプログという元ハンターを、
頼もしく見ることができた。
「うっし、行くぜ!」
「ええ、こっからが大勝負よッ!」
そして2人は目の前の扉を、
自分たちの手で押し開いた。
「皆さん……」
エリフ大陸の首都、セカルタ。
そのセカルタの象徴であるセカルタ城にある、
とある客室で元ファースター王女、ローザは1人、
窓から空を見上げていた。
ここ数日にわたり、
セカルタは快晴が続いていた。
澄み切った青空を遮るような雲は、
どこを見ても一つたりともない。
文字通り、爽やかな陽気だ。
だが一方でローザの心はそれとは正反対に、
光の見えない曇りという曇りに満ちているかのような、
迷いと不安が広がっていた。
(レナやアルト、それにプログは、
私のせいで危険な所に……。
それにフェイティも、お家に帰ることができない……)
ローザは迷い、悩んでいた。
ディフィード大陸との関係づくりは積年の課題だった――。
セカルタの最高責任者である執政代理のレイは、
口でこそ、そう言ってはくれたが、
ローザは分かっていた。
(とはいえ、元々はこれほど早い動きは、
想定されていなかったはず、ですよね……。
きっと私のせいで……)
何度考えても、結局はそこに行きついていた。
確かに、関係を構築していくこと自体は、
長年取り組み続けようと考えられたものなのかもしれない。
だが、問題はそこではなかった。
そう、この場合問題になるのは、
その課題へのアプローチが、
レイが考えていたタイミングより、
明らかに早まってしまっていることだった。
通常、国家間レベルで信頼関係を構築していくには、
長い期間の話し合いは当然、
その話し合いまでに至るまでの、
綿密な準備期間が設けられる。
交渉事が行き当たりばったりになることを防ぐため、
もしもの緊急時に柔軟な対応をできるようにするため。
理由は他にも挙げられそうだが、
とにもかくにもファーストコンタクトの前に、
十分な準備をしておくための時間をとっておくのが、
本来あるべき行程だろう。
まして、今まで何の繋がりもない国家を相手にするなら、
なおさらだ。
ところが。
今回は明らかに、
その準備期間が足りていない。
相手に関する情報収集も、
交渉に関わる相手からの想定質問も、
そしてその質問に対する回答も。
すべてにおいて、足りていない。
こちらから働き掛けをするのに、
なぜか後手後手感が否めないという、
奇妙な矛盾の状況が作りだされてしまっている。
そして、その要因を作ってしまったのが。
「私が……」
ローザは、
深く、そして自責の念がこもったため息を、
つかずにはいられなかった。
自分がついて行っても、
レナやアルト、プログに迷惑がかかってしまうから――。
その想いから、
ローザはこの場、セカルタ城に留まる事を決断した。
その判断は、決して間違っていない、
ローザもそれは理解している。
だが、この決断をしたことにより、
レナ達と離れ、1人で日々を過ごすことになった。
誰かに襲われることもなく、
また誰かの影におびえることもなく、
この場所は平穏そのものだ。
だが、何も起きない平穏な日々が続くこと、
それはつまり、
1人で考える時間の、
爆発的な増加を意味する。
ローザは毎日、
1人で考えるようになった。
自分のことはもちろん、
レナ達のこと、フェイティのこと、
スカルドのこと、ファースターのこと、
そして、セカルタのこと。
自分を取り巻く、
ありとあらゆる環境のことを、
じっくり考える時間ができた。
その結果、
あまり深く考えるべきではないようなことも、
否が応でも考えてしまう現況を作りだしてしまったのだ。
(私は……この後どうすればいいのでしょうか……)
自分はファースターの王女ではない。
でも、ファースターの騎士総長であるクライドは、
この命を狙ってきている。
幸い、まだローザの居場所は見つけられていないようだが、
それもいつかはわかってしまう。
もしクライドが自分を見つければ、
きっとどんな手を使ってでも、
この場に乗り込んでくるだろう。
そうしたら、自分を匿ってくれているレイ、
いや、セカルタ全体に途轍もない迷惑がかかることになる。
今は平穏でも、
いつかは終焉が必ず訪れる、偽りの平穏。
この偽りの平穏が、いつか真の平穏になる日は、
果たして来るのだろうか?
ローザはもう一度、
雲一つない、セカルタの晴天を見上げる。
眩しいくらいに降り注ぐ、太陽からの陽光。
その空を、数十羽の鳩が、
まるで自由を満喫するかのように、
翼をはためかせて飛んでいく。
「私もいつか、あの子達のように、
自由に羽ばたける日が、くるのでしょうか……」
元王女は願うように、ポツリと呟いた。
と、その時。
まるでローザのその言葉が届いたかのように、
飛び立った鳩の群れから一羽だけ、
ローザのいる部屋めがけてスゥーッと近づいてくる。
平和の象徴とも言われるその純白の鳩は、
そのままローザの部屋にある窓辺へ、
まるで示し合わせたかのように、
ちょん、と降り立った。
「あら、みんなと一緒に行かなくていいの?」
その姿に多少驚きながらも、
ローザは優しく、
自分の立場とは180°違う者への羨望も込めて、
その鳩へ語りかけた。
言葉が理解できなかったのだろう、
鳩は無表情のまま、
カクカクと首を動かしている。
「フフッ、せっかくだし、
何かゴハンでもあげないとね」
ローザは微かに笑みを見せると、
近くに食べ物がないか、
窓辺から部屋の中へと目を向けた。
瞬間。
『お久しぶりです、偽りの姫君よ』
「!!」
突如ローザの耳を貫いた、低い男の声。
この瞬間ローザの、
偽りの平穏は終わりを告げた。
次回投稿予定→2/19 19:00頃
次回のみ、更新時間が少し遅くなります、申し訳ありません。




