第85話:再びの船旅
「あ……ありがとうございます!」
何かから解き放たれたかのように、
蒼音から淀みのない笑顔があふれ出る。
蒼音が伝えた懸命の意志は、石動にしっかりと伝わった。
「お礼を言うなら、レナさん達にしなさい。
お前が共に行くことを、許してくれたのだから」
父に深々と頭を下げる蒼音のお辞儀を解くと、
今度は石動がレナ達へ、こうべを垂れる。
「娘の身勝手な我儘に突き合わせてしまいまして、
本当に申し訳ありません。
ですが、今まで明確な意思を示してこなかった蒼音が、
ここまで言い切るということは、
あなた達とは、なにか不思議な縁があるのでしょう」
「そんな大げさな……」
ことでも、と続けようとしたレナだったが、
「いえ。
古くから縁というものは不思議な力を有していると、
この地では語り継がれています。
元々この地が目的地ではなかった皆さんがこの場所へ辿り着いたこと、
また、皆さんが来られた際に魔物が里へ侵入してきたこと、
そして蒼音と共に、八雲森林にて魔物を追い払っていただいたこと。
このうちどれか1つの要素でも欠けていたならば、
今、蒼音がこのような言葉を発することもなかったでしょう。
それもこれもすべては、皆さんと私、蒼音、
そして七星の里によって繋がった、
強い縁がもたらしてくれたものと思います」
極めて真面目な、濁りの無い石動の言葉に、
レナの軽い言動はあっさり押し潰された。
それもまた大げさな、
とレナは頭の中でぼんやりと呟いていたが、
縁を重んじる石動ということと、
とりあえず早くこの里から離れなければ、
という2つの想いから、
あえて何も喋らないでいた。
「あまりゆっくりできずに申し訳ないですが、
そろそろあたし達は失礼させていただきますね」
そう、とにもかくにも、
早くこの場所、いや、
この島から離れなければいけない、
それはこの地に降り立った時から、
常に持ち続けていた危機感だった。
そう、それはたとえ、
蒼音が一緒に来るとは言っても、
一体どこまでついてくるつもりなのか確認することを、
先延ばしにしても、だ。
色々とどーもしでしたっと、
最低限のマナーとばかりにレナは言うと、
まるで逃げるように入口付近から外へ出て行ってしまう。
「オイオイ、さすがにもう少し気を遣えよな……。
蒼音ちゃん、準備とかは大丈夫かい?」
プログはお得意の、やれやれとばかりに肩をすくめると、
八雲森林から帰ってきてそのままの姿だった蒼音へ、
今度は肩をすくめてみせる。
「あ、はい、私は大丈夫です。
あまり荷物があってもいけませんので」
「そうか、それじゃ早いとこ、
あのせっかち娘を追いかけるとしますか。
石動さん、色々と世話になりました」
「いえいえ、こちらこそ魔物の一件など、
大変お世話になりました。
何もない場所ですが、また近くを通った際は、
ぜひお立ち寄りください」
「その言葉を貰えただけで大満足でっせ、石動さん。
それじゃ、お元気で」
「あ、2人とも!
……石動さん、色々とありがとうございました。
それじゃ、僕もこれで」
プログに続き、
深々と頭を下げたアルトも慌てて七星の里を後にする。
「お父様、行って参ります」
「ああ。
その目、その耳、そしてその手で感じたことを大事に、
本当の石動蒼音を、見つけてきなさい。
里の事、そして魔物の事は私に……お父さんに任せなさい」
「……はい。
それでは」
蒼音はそう言葉を残し、
薄赤色のポニーテールをフワッ、
となびかせながら踵を返すと、
外へと静かに一歩を踏み出した。
まだに目にしたことのない、見知らぬ世界を知るために、
そして生まれてから今まで、
いまだ見つけることの出来ない、
石動蒼音の人物像という答えを、
自らの手で手繰り寄せて導き出すために。
「あ、皆さん!
ちょうどよかった、
たった今修理が完了して、
皆さんを呼びに里の方へ行こうとしていたところですよ!」
修理の中心にいた船の整備士は、
帰ってきたレナ達の姿を見つけるなり、
嬉々とした表情で飛んでくる。
およそ1日ぶりに戻った、
エリフ大陸の首都セカルタから、
ディフィード大陸へ向かうためにレナ達が乗り込んだ、
セカルタ王国の船。
海の魔物、シップイーターに襲われ、
損傷した船がやむを得ずこの島に到着してから、
およそ半日程度しか経過していないが、
乗組員たちの必死の作業の甲斐あって、
レナ達が船に到着した時には、
以前の元の姿……とまではいかないものの、
再び大海原に飛び出すことのできるレベルまでに、
修復されていた。
シップイーターの丸太のような触手で破壊された、
直径にして5~60センチほどの側部の穴の部分は、
予備用として搭載されていた板で継ぎはぎした形こそあるものの、
肝心の風穴部分は完全に封じられていたのだ。
「おー、見事に塞がっているわね。
超特急での修理、どーもでしたっと」
「これでようやく本来
「んでどうよ?
船はもう動きそうなのかい?」
「はい、完全とまではいきませんが、
それでもディフィード大陸までは確実に運行できます。
向こうの港町に着いたら改めて道具等を調達して、
皆さんが戻ってくるころまでには、
完全に修理を終わらせるようにします」
とりあえず目的地までは辿り着けるから、
本格的な修理は向こうに到着してから。
整備士の話を要約するとそういうことらしい。
まあ完全に直らないのは、
この状況じゃしょうがないわよね、
レナはさほど気に掛けることはせず、
「そしたら疲れているところ申し訳ないのだけれど、
早速出発してもらってもいいかしら?
ちょっと、色々とあったもんで」
とりあえず説明は後で、
とばかりにレナは船の出発を促す。
「あ、はい、わかりました。
そしたら操縦士にすぐに出発するよう伝えておきます。
……っと、そちらの
「えっと、こ
「あー、この子は気にしないで。
ここの里出身の子で特に怪しい人じゃないから」
七星の里での出来事をまったく知らない、
船員にとって当然出てくる質問を途中で遮り、
レナは先に蒼音の話を切りだした。
ただ、切り出しただけで、
「ちょっとした成り行きで、
行動を共にすることになったの。
詳しくは後でプログが説明するから」
「って俺かよ!?
そこまで言ったんなら自分で説明しろし!」
「そしたら僕
「あたしよりプログさん(・・)の方が、
そういう説明がお上手ですし、ね」
「うわ、コイツ急にキャラ変しやがった!
面倒なことだけ俺になすりつけんじゃ
「それじゃ蒼音、行こっか」
当然のように、息をするように男の弁明を無視し、
レナは苦笑いを浮かべる蒼音を連れ、
船内へと消えて行った。
「ったく、何だって俺ばっかり、
こんな面倒なことを……」
一方、なんか役目を任された年上の男は、
それはそれは深いため息をつきながら、
船にかかる階段をトコトコあがっていく。
自分にだけ、いつも面倒ごとがふりかかる。
年長者にもかかわらず。
年寄りはもうちょっと労わって欲しいんだが、
と言葉に発さない程度の呟きでボヤくプログ。
トントン。
「ん?」
その年寄りの肩を、誰かが2回ほど叩く。
プログが振り返ってみると、そこには。
「…………」
そこには、爽やか……とは程遠い、
どちらかと言えば哀愁に近い笑顔を、
満面に浮かべて立つ、アルトの姿が。
「………………」
マンガで言えば、
もの寂しい時に吹く冷たい風が抜群に似合う表情を浮かべながら、
アルトはただ黙ってプログの方を見つめていた。
「あ……」
アルトの様子で大体を察したプログは、
それ以上何も言わずにその場から立ち去ろうとした。
……が、残念ながらそれより一足早く、
アルトの口の方が動いていた。
「僕、なんか最近雑な扱いが多くない?」
七星の里を抱える島、仁武島を出発してからは、
シップイーター遭遇前同様、船旅は順調そのものだった。
出発直後こそ、本当に修復されたのか、
と気をもんだレナ、アルト、プログ、そして蒼音の4人だったが、
半日もすれば、航海に支障をきたすことはないと、
ホッと胸を撫で下ろしていた。
そして修復問題が解決した後、
レナ達は改めて蒼音に、
今回の旅の目的を改めて、詳細に話した。
自分達はセカルタの執政代理から命を受け、
ディフィード大陸に向かっていること。
そして、ディフィード大陸を統括している王都、キルフォーへ赴き、
その代表と面会をすること。
さらには、その場である程度の繋がりを持っておきたい旨を伝える、
ということ。
無論、今までの話は、
七星の里長である石動には、
直接報告しないでほしいという条件を課して、である。
その前提、言うなれば国家レベル等しい前提を知らせた上で蒼音には、
どこまで自分達と同行するつもりなのかを聞いていた。
「あくまでこちらの希望は、だけど、
セカルタに戻ってレイ……執政代理に報告するまでは、
一緒にいてほしい、かな」
レナは先に、自分たちの最低限の要望は出した。
というより、セカルタは何があっても、
蒼音にはついてきてもらなければいけない、と内心感じていた。
「そうだな。
石動さんの前ではあえて言わなかったけど、
なんだかんだで俺ら、
これから結構なヤバ所に行くからな。
万が一のこととか最悪の事態を想定して、
セカルタの執政代理とは、
顔を合わせておいたほうがいいかもしんねえぞ。
あの人、情に厚い人だからな」
すかさず、プログがレナの援軍、
とばかりに話を滑り込ませる。
相変わらずこういう口だけはうまいのよね、
とレナは感心半分、
懐疑半分といった視線を年上男に向けていたが、
一方質問を投げかけられた蒼音は、
その様子には目もくれず、
「そう、ですね。
わかりました、皆さんにお任せします。
そこら辺の事情は、皆さんの方が詳しいでしょうし」
蒼音は屈託のない、
眩しいほどの笑顔でそう答えた。
一切の疑いをかけることなく、
目の前の金髪少女と黒髪長髪男の言うことを、
まるで真っ白なキャンパスにいきなり絵を描き始めるかのように、
七星の神に仕える少女は万人を癒すような、
透き通る微笑みを見せた。
「…………ど、どーもですっと。
そしたら、とりあえずセカルタまでよろしくね。
そうでしょ、プログ?」
「お、おう。
本当に物わかりが早くて助かるよ、蒼音ちゃん」
だが、純粋無垢な意思は、
純粋すぎるが故に、
逆に人を傷つけることもある。
本音と建前、
そして表と裏を常に考えながら言動を計算して発していた、
レナとプログは、その笑顔がむしろ、
各々の良心へグサグサと無慈悲に突き刺さっていった。
別に悪いことをしているわけではない。
自分達を取り巻く混沌とした環境の中で、
最適の行動を取るべく、
思考に思考を凝らして発しただけの言葉だ。
決して、何か悪いことをしているわけではない。
だが、なぜか悪いことしている気分になる。
(なーんか……)
(あの笑顔を見ていると、
すげー罪悪感を覚えるぜ……)
自分達が思い描く方向へと話が進むにつれて、
持ち覚えのない、モヤモヤがどんどん増していく、
社会に汚れたレナとプログなのであった。
そんななか、
セカルタを出発してから2回目の夜を超え、
航海3日目に入った早朝、
七星の里があった仁武島を出発しておよそ半日経過した頃には、
ディフィード大陸まで残り1時間程度、
といった場所にまで船は達しようとしていた。
「さ、さっむ~~~~~~!!!!」
目的地が近いことを船員から聞き、
船の甲板へと出てきたレナは開口一番叫ぶと、
すかさず両手で自らの腕を勢いよく擦りはじめる。
船の外はいつの間にか、雪と風が舞っていた。
まるでパウダーのようなキメの細かい雪と、
それを無慈悲に吹き流す北からの風が、
容赦なくレナ達の体温、そして体力を奪い取っていく。
「寒ッ! 寒いッ!! こりゃぁ想像以上に寒いぞッ!!
っつーか痛ぇ! 寒すぎてもはや痛いッ!!」
続けて登場したプログも、
よほど気を紛らわしたいのか、
自身の皮膚に次々と襲い掛かるピリピリとした痛みを相手に、
やたら大声で悲痛な叫びを響かせている。
空を見上げれば、
先ほどまで透き通るようだった青空から一転、
まるで煙でも焚いたかのような厚く、そして暗い灰色の空に、
その姿を変えている。
仁武島を出発して一時間をしないうちに、
船内へと入ったレナ達。
だが、彼女たちが知らないところで、
気温は滑落のごとく急降下していった。
年間平均気温が30℃近くを推移する、仁武島を含むウォンズ大陸。
一方で常時氷点下を記録すると言われている、ディフィード大陸。
この二大陸付近を航行するとなれば、
当然、このある(・・)種恐怖に近い寒暖差の直撃を、
モロに受けることになる。
それに加え、レナ達は船内という寒さとは全く無縁の、
それはそれは快適な空間で過ごしてきていた。
そこから一気に、急転直下の厳寒の空間。
まさに文字通り、天国から地獄だった。
いきなり外に出るんじゃなかった、
今更すぎる後悔をしながらレナは、
「と、とりあえず……悪いんだけど、
到着まで残り10分くらいに……なったら、
もう一回……呼んでもらってもイイかしら……」
言うと再び船内へ、まるで猫から逃げるネズミのように、
素早く引っ込んでしまう。
そして、
(こんなんなら、セカルタで上着とか、
ちゃんと買っておけばよかったわ……)
軽く鼻をすすりながら、
またも今更すぎる自責の念に苛まれていた。
「やれやれ、こりゃ向こうに着いたら、まず防寒対策だな。
このまんまじゃ、王都のお偉いさんの所に行く前に凍死しちまうわ」
同じく船内へと戻ってきたプログは、
自らに降りかかった雪を払うと、
寒さにやられて急に老け込んだ顔に、
無理やり笑顔を灯す。
「そっか、この船で直接、
キルフォーに行くんじゃないんだよね」
自身が外に出る前に、
レナやプログが船内に逆戻りしてきたため、
幸い無事(?)だったアルト。
いつ、どのタイミングで用意したのか、
ホットミルクの入った2つのコップを、
それぞれ被害者Aレナと被害者Bプログへと手渡した。
「お、気が利くねえ少年。
そうそう、キルフォーには港がないから、
一番近くの港町、カイトに船を置いて、
そこから歩いて行かないと、ってトコだな」
「……防寒対策は、くれぐれも怠らないようにしないとダメね。
あーしかし、ホントあったまるわー」
まるでお茶を有難そうにすする老夫婦のように、
ホットミルクのコップを両手持ちですするレナとプログ。
体の深い所まで沁み渡る一杯に、
一口飲むたびにふぅ~という、安堵with白い息を漏らしている。
だが、程なくしてホットミルクを体に補填し終えると、
「さて、こっからが本当の勝負どころね」
わずかな安らぎを経て、
レナの表情はすぐに引き締まる。
そこにはつい先ほどまでの、柔和な年頃の女の子の姿はない。
戦火に生きる戦士レナの姿が、そこに出現していた。
そう、ここからは冗談を、
おいそれと話している余裕も、時間も、隙もない。
今から行く場所は、周りがすべて敵。
そう考えていても、決して過度な思い込みではない。
何が起こるか分からない、
どういう結果が待っているかもわからない。
そして、100%生きて帰って来れる可能性など、無い。
そのような危険地域に、4人は行くのだ。
ひとたびこの船から大陸へ足を降ろした、
その瞬間から、戦いは始まるのだ。
「みんな、気を締めて行くわよ」
「おうよッ」「うん!」「はいッ!」
まるで隊員を鼓舞する隊長のようなレナの言葉に呼応する3人の、
それぞれの強い意志を乗せた返事が、船内へと響き渡った。
次回投稿予定→2017年1月22日 15:00頃




