第84話:再び七星の里にて
「おお、皆さん!
無事でしたか!」
無事に八雲森林を抜け、
再び七星の里へと戻ったレナ達を、
里長である石動は里の入り口付近で、
暖かく出迎えてくれた。
まるでわが子の帰りを心配する親のように、
石動はレナ達の元へと駆け寄ってくる。
「只今戻りました、お父様」
「ちょっとばっかり帰りが遅くなって、
ごめんなさいね」
自らの父へと深々と礼をする蒼音の隣で
レナはとりあえず、
差し障りのない言葉を発してみる。
「ここで立ち話も何ですので、
私の家へと移動しましょう。
皆さんも疲れているでしょうし。
詳しい話は私の家で聞きましょう」
と言い、石動はこの七星の里の、
一番奥に位置する石動神社の社務所へ向かおうと、
クルリと体の向きを変えようとしたのだが。
「あーその、なんだ。
お気持ちは大変嬉しいんだけど、
俺らもちょっとばっかし、
先を急いでいるもんで
できればこの場で報告させてもらいたいんだけど」
その石動の動きを、
プログの言葉が引き止めさせた。
瞬間、レナは内心、
ナイス、とその言葉を受け取った。
八雲森林の現状を報告することは、
もちろん必要だ。
そのために八雲森林に赴き、
あの気味悪い虎ゴリラとも、
必死になって戦ったのだから。
八雲森林が安全な場所へと戻った、
ということを知らせるのは、当たり前の事と言える。
ただ、とはいえここから一番遠くの石動神社まで行き、
そこでゆっくりと今回の報告をするほど、
レナ達に余裕はない。
言葉を悪くして言えば、
今回の八雲森林の調査は、
本来レナ達が成しえるべき目的ではない。
最優先事項はあくまでも、
一刻も早くディフィード大陸へと赴き、
王都キルフォーの最高責任者と面会することなのだ。
その何事にも超えられない重要任務を、
可能な限り早く達成するには、
ここで取るべき一番の行動は、
石動神社の社務所へ行くことではなく、
自分たちの船へ行くことだ。
レナ達がこの七星の里へ来ている間に、
セカルタの船乗りたちは全力をもって、
船の修理へとあたってくれている。
もしかしたらもう直っているかもしれない。
実際、つい先ほど差し障りのない返答をしたのも、
そのためだ。
まあもっとも、早くこの場から立ち去りたい理由は、
それだけではなかったのだが。
「そう、ですか。
わかりました、あなた方の都合というものもあるでしょう。
もし皆さんがよろしければ、
この場でお聞きしましょう」
小さく一つ頷き、しかし少しばかり残念な表情を浮かべ、
石動はどうぞお話し下さい、とばかりに右手を差し出した。
どーもですっと、軽く会釈をしながら、
「ホンッとに簡潔なんだけど――」
レナは事の次第を伝えるべく、口を開いた。
「ふむ……虎のようなゴリラ、ですか。
本当にそのような化物が、
あの森にいたのでしょうか?」
「まあ、そういう反応でしょうね。
あたし達もあんな気持ち悪いのを見たことないし」
「っつーか魔物よりも、
ウン十倍も気持ち悪ぃゲテモンだったぜ、ありゃ」
「私もこの目でしかと確認しました。
あれは間違いなく虎とゴリラが合わさった、
気味の悪い生物でした、お父様」
何度思い返しても気色が悪い、
プログのやや大げさに思える体を震わせる行動にも、
真剣な眼差しで自らの父へ訴える蒼音の言葉にも、
それほど違和感は覚えない。
ゴリラの胴体に反自然的様相で取り付けられた、
虎の頭。
その姿を見たことがない者が想像したとしても、
まず自然な現象として思い描くことはできないだろう。
仮に、自らを架空空間に身を委ねて、
身の回りに起きるものすべてが夢幻である、
という状況におかれて初めて、
その存在、姿かたちを象ることができるようになるのだろう。
それほどレナ達が遭遇したあの『化け物』は、
この世に自然に生み出されたものとは一線を画していた。
「……状況はわかりました。
あなた達が嘘をついているとは、私は思っていません。
蒼音も申している以上、それが真実なのでしょう」
今まで話を食い入るように聞いていた石動は、
不意にクルッとその身を反転させると、
「とりあえずしばらくは、
蒼音も含めた村の者に、八雲森林を巡回させるようにします。
レナさん達にすべてを駆逐して頂いたとは思いますが、
万が一残りの、という場合もございまして」
入口から見える八雲森林を頂きつつ、
ふう、と一つ息をついた。
村のすべてを預かる者としては、
報告だけですべての要素を安堵の域に高めることは、
断じてできなかったのだろう。
「そうしてもらえると助かるわ。
あたし達としても、全部倒せたかどうかはわかんないし、
万が一のことがあるしね」
全部倒せたか、をやたら強調するように、レナは言った。
蒼音を含めたレナ達は、ファースター騎士隊、
2番隊隊長のシキールと、6番隊隊長のアーツの事については、
実は石動に報告しないことを、事前に決めていた。
自分達がすべての虎ゴリラを倒したわけではないことは、
当然のことながら承知しているし、
むしろその多くが(おそらくは)シキールとアーツ達が、
次々と根絶していったのだろう事は理解していた。
だが、その事実を七星の里の長である石動に、
レナ達からの口から伝えることはしなかった。
決してレナ達が隠そうとしたわけではない。
実は、蒼音たっての希望だったのだ。
八雲森林から七星の里へ帰る途中、
レナやアルト、プログは蒼音に対し、
すべてを石動に報告してもいいか、
という問いを蒼音に投げかけていた。
ただでさえ虎ゴリラという、
半ば迷信的な魔物の話をしなければならないところ。
さらにファースターの兵士たちが、
自分たちの土地を無許可に歩き回っていたという、重大な事実。
どこの世界にでも共通して言えることだが、
自らの領域に他人が無断で侵入することなど、
許されるハズがない。
例えて言えば、自分たちの家に泥棒が、
我が物顔で堂々と侵入するようなものだ。
異様な形相の魔物の出現に、領域侵犯。
この2つの重い現実が、
一切の躊躇なく里長の石動の脳へと伝達されたならば。
いきなり現れた2つの重い課題に、
石動が耐えられるかどうかわからない。
だからこそ、蒼音はレナ達に伝えた。
幸い、2つの懸念のうち、
シキールとアーツに関しては、
色々と思うことはあれども、
事を荒げることないまま場を治めることができた。
ならばあえて、この場で報告する必要はない、
いつかしかるべきタイミングで、
みんなで報告すればいい、と。
そしてレナ達も、賛成の意を示した。
たとえ報告をしたところで、
七星の里全体を含めたこちらに、
何もメリットはない。
こちらにデメリットが生じていない以上、
むやみに話をとりあげるべきではない、と。
結果、石動にはシキールとアーツが、
聖なる八雲森林に出現したことを、
伝えることはしなかった。
「そうしたら、皆さんはもう、
ここから旅立たれるのですか?」
「ああ。俺らにはそもそも、
別の目的があるからな。
それに部外者がいつまでもブラブラしてたら、
里の人たちも落ち着かねえだろ」
レナの思惑を知っているか知らずか、蒼音の問いに、
プログはいつものように、肩をすくめながら言う。
わかりました、
と石動は小さく笑い、
「奇縁ではありましたが、
皆様には、本当に助けられました。
里を代表してお礼申し上げます。
レナさん達のこれからの旅路に、
多大なる幸福が
「待ってください」
旅立つ者へ惜別の言葉を贈ろうとした石動を、
蒼音はまっさらな流水を断ち切るかのように、
スパッ、と断ち切った。
「? 蒼音、どうしたの?」
事前に打ち合わせた段取りにはない挟み方に、
純粋な戸惑いを見せるレナの横で。
「アンネちゃん、アルト君、ブラさん。
私も……」
ほんの少しだけ下を向き、
やがて、自分の中で何か意を決したように1つ、
小さくうなずいた直後に、
「私も、皆さんと一緒に、
同行させてもらえないでしょうか?」
やや震える声で、
しかし誰しもが聞き取れるはっきりとした口調で、
蒼音はレナ達の方へと振り向いた。
「え?」
余りにも唐突、そして予想外の申し入れに、
3人ともに各々の時を止まらせてしまう。
そのレナ達の様相を感じ取ってか、
蒼音は決意を表したその深紅の瞳を、
今度はもう一人の申し入れ相手である自らの父、
石動へと向けると、
「私、今まで何も、
自分で決めることができませんでした。
他人からの言動を恐れるだけで、
自らの意志を持つことができず、
他人へ従うことしか今までしてきませんでした。
そんな自分が嫌で……でも、やっぱり周りの目が怖くて……」
「……」
石動は表情一つ変えず、
沈黙を保っていたが、
蒼音は続ける。
「でも、アンネちゃん達と一緒に話して、
一緒に戦っていた時になにかこう、
うまく言葉では表現できないですけれど、
自分の気持ちに少しだけ、素直に慣れた気がしたんです。
だからもし、アンネちゃん達ともう少し、
一緒に過ごす……時間があれば……
もしかした……ら……」
意を決して伝え始めたものの
尻すぼみになっていく、蒼音の声量。
余りにも多く、
そして長く自らの意志を伝えようとしたからか、
石動を一点に見据えていた視線も、
自信と共に徐々に下降を辿ろうとしていた、
まさにその時だった。
「こっちは全然、構わないぜ」
救いの手を差し伸べたのは、プログだった。
「あれだけ強い蒼音ちゃんが、
仲間としていてくれるなら、
こっちとしても大助かりだぜ」
大風呂敷を広げるかのように、
プログは一切の迷いなく言う。
「ちょ、あんた―――」
そんな適当に決めるんじゃないわよと言うべく、
是非の選択時間をあっさりと奪われたレナは、
慌ててプログへと詰め寄ったが、
(そう慌てるなって。
大体考えてもみろ、蒼音ちゃんが来てくれれば、
最悪の状況を考えた時の切り札になるだろ。
下手に断って居場所バラされるよりは、
身内を1人連れていった方が、
ヤツらに見つけられる確率は減るだろ?)
まるでその行動を予期していました、
とばかりにプログは間髪入れずに耳打ちする。
無論、石動や蒼音には聞こえないように、だ。
そう、プログとて決して、
適当に物事を決めたわけではなかった。
いや、むしろ八雲森林に突入した当時の、
レナの考えとほぼ同じ考えを持っていた。
八雲森林に突入する際、蒼音と行動を共にするという意味は、
レナ達にとって大きく2つあった。
1つは言わずもがな、
道案内及び魔物との戦闘時において強力な助っ人として、
一緒に戦っていくということ。
そしてもう1つは、
ある種の『人質』という意味合いである。
反復になるが、
世間の流れ、社会から離れ、
秘密裏に行動を起こしているレナやアルト、プログは現在、
七星の里という地に立っている。
だが、ここは本来、3人が目指した場所ではない。
秘密裏に動く者にとって、
予定外の土地へ踏み込むことは、
ほぼ自殺レベルに等しい。
例えていうなら、
お城の牢屋に捕まっている仲間を助けようとしたら、
間違って城内に暮らす人々の部屋から侵入してしまったようなものだ。
船の損傷という、止むを得ない事情だったとはいえ、
レナ達は見知らぬ目的外の土地へ、
降り立ってしまった。
いや、それどころか、
目的外の土地に住む人々に、
バッチリ顔を確認されてしまっている。
そうした背景の中知り合ったのが、
今、目の前にいる石動という里長とその娘、
蒼音だ。
船が動かせずこの土地から動けない上に、
顔まで知られてしまっている、
いわば丸腰状態の3人。
この里はどこの王都にも属せず、
完全に独立した無所属集落ということは、
出会った当初に石動の口から聞き出したものの、
その言葉を100%信用するには、
信頼関係があまりにも足らなさすぎる。
口ではそう言っていても、
レナ達が姿を消した瞬間、
すぐにどこかに告げ口する可能性は否定できない。
そこでレナが目をつけたのが、
偶然というかたちではあるものの、
一時的に一緒に行動することになった、
蒼音だった。
里長である石動の娘、
蒼音とレナ達が行動を共にしている間は、
石動がおかしな行動を取る確率は一気に低くなる。
里長という立場であっても、
石動だって人間だ。
自らの娘に危害が与えられてしまう行動を、
一切の迷いなく取ることはしないだろう。
だからこそ、
蒼音と共に行動していれば――。
八雲森林前に考えていたレナの考えと、
今しがた聞くことのできた、
プログの言葉の真意は、
まるでパズルが完成するように、
ピタリとハマった。
「……そうね。
こちらは特に問題ないわ。
同じ女性が一緒に来てくれるなんて、
あたしも嬉しいし」
あまり時間をかけずに、
建前半分、本音半分でレナはサラリと答えた。
乱暴な意味での“人質”的意味合いもあるが、
事実、ローザやフェイティと離れ、
再び女性が一人となっていたレナにとっては、
ここで蒼音が加入してくれることへ、
ちょっとした喜びも感じていた。
「うん、僕も2人と同じだよ。
一緒に来てくれれば心強いよ!」
プログとレナの真意を汲み取ったか……かどうかはわからないが、
後ろに控えていたアルトも、レナに続く。
3人の意志は確認できた。
となれば、残りは……
「ふむ……」
里長にして父である石動はふと、目を閉じる。
そう、いくら3人が賛成の意を示したところで、
彼からの許可がなければ、事態が動くことはない。
思考を脳内に巡らせているかのように、
石動は静かに、瞳を閉じ続けている。
「お父様……」
蒼音の心臓の鼓動が、
まるで好きな人に告白した瞬間かのように、
急激に早くなる。
今までの自分を変えるため、
他人からの干渉を避けるように、
自らの意志を殺し続けてきた、
石動蒼音という人生を変えるため、
決死の思いで伝えた彼女にとっては、
その時間は、とてつもなく長く感じた。
「蒼音よ、それが自分の、
お前が考え抜いた、揺るぎない意志か?」
「……! は、はい」
思わぬタイミングで発せられた石動の問いに、
誰かに驚かされたかのようにビクッと一瞬、
全身を震わせた蒼音の声は完全にうわずっていた。
ほぼ裏声にも等しい、
愛娘の答えを耳にした石動は、
ふうと1つ、小さく息をつくと、
「わかった。
それがお前の意志ならば私は止めはしない。
蒼音の人生だ、好きに生きなさい。
里を襲う魔物に関しては、
こちらで何とかしよう」
穏やかな言葉、そして晴れやかにも似た、
柔和な表情で父は言った。
次回投稿→1/15 15:00頃
ご無沙汰しております、復活が遅れに遅れてしまい、
大変申し訳ありませんでした。




