第83話:勝者と敗者
「しかし珍しいな、
お主が敵を見逃し、
さらに他人に説法とは」
八雲森林を戻る道中、アーツはシキールへ、
そう投げかける。
「うーん、確かにそうかもね」
一方、戦わずして勝者となったシキールは、
坦々とした表情で答える。
問いに対して真剣に答えた、というよりは、
どちらかといえば適当に相槌を打つという雰囲気だ。
「なんじゃ、若者の真っすぐすぎる眼に、
釘でも刺したくなったか?」
「まさか。
そんな若いヤツ等に説教垂れられるほど、
俺はまだ歳を喰っちゃいないさ。
むしろそれはアーツの役目だろ」
「なんじゃ、お主はワシが年寄とでもいいたいのか?」
「7隊長で最年長。
年寄扱いを受けるには、
それだけで十分すぎる理由でしょ」
「バカは言うもんじゃない。
それに、男の魅力ってのは、
40になってより際立っていくもんじゃぞ、
ガッハッハ!!」
アーツはその大柄な体型を裏切ることなく、
豪快に笑う。
その声の大きさは、周りにいた小鳥たちが、
慌ててその場から飛び立ってしまう程だ。
ああそうですか、とばかりに、
シキールは手を振りつつ適当にあしらい、
「ま、冗談はさておき、
今回はあくまでもシャックの討伐が目的で、
彼女たちを捕まえることが目的じゃなかったからね」
急に話を本題へと戻した。
当然、緩んでいたその表情も、
クッと引きしまったものになる。
「まあ、それはそうじゃが、
ナウベルからは、
シャック討伐と並行してレナ・フアンネと、
その仲間を捕える任務を与えられているぞ」
「そうなんだけどね。
ま、関係ない人もいたし。
あんまりあの場でいざこざ起こしても、
俺らにメリットがないからさ」
「それは言えてるな。
あの蒼音とかいう娘、
この島の出身だったようだしな」
「それに……」
そこまで言って、シキールは唐突に、
考え込むしぐさを見せる。
何か昔の記憶を、
脳の底から引っ張り出してくるかのように。
「それに……なんじゃ?」
「数的有利はあったものの、
彼女たちはイグノに勝利しているだろ」
言葉を溜めた分、
シキールの発した、
短いその言葉には妙な重み、
そして説得力を帯びていた。
「……なるほどな」
その空気を感じ取ったか、
アーツもただ一言、そう発しただけだった。
レナ達はイグノに勝利している。
事実はそれ以上でもそれ以下でもない。
すべての言葉を言わずとも、
そして聞かずとも、互いに何を言いたいのか、
何を聞いて欲しいかが理解できている、
そんな絆を読み取れるやり取りだった。
「ま、イグノもあんなヘマしなけりゃ、
あんなことにはならなかっただろうにね」
「ああ、アイツか。
……そうだな、ワシらもああならないよう、
気を付けないといけないな」
「そういうこったね。
ま、とりあえず今回、
ここでレナ達に遭遇したってのは、
内密に頼むよ、アーツ」
「わかっておる。
ワシとて、わざわざ地雷を踏んでまで、
お前を裏切るつもりなどない」
皆まで言うな、とばかりにアーツは2つ、
大きくうなずく。
一回り近く歳が離れているはずなのに、
その様子はどこか、比較的年齢の近い戦友、
といった印象を受ける2人。
どうやら今まで出会ってきたイグノやナナズキとは違い、
彼らは単独であまり動かず、
ペアという形で動くことが多かったようだ。
「まあ、次に会った時は今度こそ、
ヤツ等を捕まえて、
王女の居場所を聞き出すぞ、シキール」
これでお喋りは終わり、
とばかりにアーツは力強く口調で、
そう締めくくった。
周りに人の気配を感じないとはいえ、
ここはファースターの管轄外の土地である。
仮に誰かが近くに潜んでいようものならば、
必要以上のお喋りはその言葉の数に比例して、
身の危険が高まっていくことになる。
ここはあくまでも、管轄外の土地。
ほんの少しばかり忘れていたその事実を、
アーツは再び思い起こさせようとしたのだ。
「そうだね」
アーツの言葉に対し、
シキールの答えは一言だけだった。
……ハズなのだが。
「……ちょっと残念だったかい?」
針使いの青年はその後それだけ、
付け加えた。
「? 何がじゃ?」
「王女がこの場にいなくて、さ。
いないとはわかっていても
やっぱり一目だけでも見たかったんじゃない?」
まるで友達を茶化すかのように、
シキールはいたずらっぽく笑っている。
「……」
だがアーツは、厳しい表情を崩さぬまま、
「国の重要人物である、
王女が、
行方不明とならば、
まずは身の安全を確認したいのは当然のことじゃろ」
心なしか不機嫌な様子を見せながら、
大男は呟くと、今までの歩調を急に速め、
スタスタとシキールの先を行ってしまう。
まるでその質問を、忌み嫌うかのように。
「――――ッ」
その後ろ姿にシキールは咄嗟に、
何かを言いかけようとしたのだが、
「……ま、俺としてはそういう意味で、
聞いたわけじゃないんだけどね」
グッとその言葉を飲み込み、
ちょっとばかり機嫌の悪くなった相棒を宥めに、
大きな背中を追いかけて行った。
「……ッ」
去る勝者がいる一方で、
敗者は、いまだ“戦場”を立ち去れずにいた。
今彼女達がいる地点は、
八雲森林の最深部と言われる場所だ。
つまり、これ以上の探索はできない。
よって、ここからレナ達に残された選択肢は、
今回の結果を報告するため、
速やかに七星の里に戻る。
この一択しかない。
なのに、レナは動くことができなかった。
レナだけではない。
プログ、アルト、そして蒼音の3人も、
まるで何かの暗示をかけられているかのように、
ただただ立ち尽くしていた。
完全なる敗北だった。
戦わずして、負けていた。
彼ら――シキールとアーツの方が、
冷静に事を進めていた。
腹をくくって草むらから飛び出した時から、
厳しい戦いになることは気付いていた。
4人VS2人+50人。
圧倒的な数的不利。
だがそれでも、正面衝突ならば、
まだ勝機は見いだせる、そう考えていた。
プログを最前線に立たせ、
自分とアルトが中距離から支援攻撃をしつつ、
後方から蒼音の神術で敵数を削る。
戦術をしっかり組んでの、
戦線布告をしたつもりだった。
ましてや、蒼音の言葉に従い、
シキールが部下達を下げたとなれば、
限りなく低かった勝率が、
わずかにあがったとさえ、
レナは感じていた。
だが、現実はそうではなかった。
シキールもアーツも、
すべてお見通しだった。
知ったうえであえてレナ達の土俵にあがり、
自分達を追いこんでいると錯覚させながら、
すべて計画通りに事を進めていたのだ。
決して、戦って敗れたわけではない。
まだ力関係が、はっきりしたわけではない。
だが、今となってはその考え自体が、
非常に浅はかで陳腐な負け犬の考えに思えてしまった。
それはかつてダート王洞で、
ファースターの騎士隊騎士総長である、
クライドに敗れた時よりも、
はるかに屈辱で、堪えるものだった。
悔しさと自分に対する怒りを、
握り拳と歯を食いしばることによって、
レナは懸命に抑える。
指の骨が歪むのではと思うくらい、
強く、強く拳を握っていた。
「……とりあえず、戻るか。
里長に状況を報告しねえとな」
重い空気を打ち破るためか、
はたまたその空気から脱したかったのか、
年長者のプログはそれだけ言って、
数分前にシキール達の通った道へと、
足を踏み出した。
後ろを振り返ることもない。
黙って俺についてこい、とばかりに、
1人だけ先に、今まで通ってきた道へと、
プログは進んでいく。
レナの足はそれでも一瞬、
動くことを躊躇ったが、
アルトや蒼音も、
黙ってプログの後を追ったのを見ると、
プログ達に吸い込まれるように、
一番背後から元気なく、
八雲森林の最深部を後にした。
「……」
「……」
「…………」
「…………」
道中の空気は、
まるで大気に鉛の成分が入っているのではと、
疑うくらいに重かった。
誰一人として、言葉を発しない。
いや、発せない。
いつも軽口を叩いては、
レナにいじられているプログも、
今回ばかりは言葉を発しない。
鉛の空気が例外なく
4人の発言する気力を押し潰していた。
ザッザッ、という、
重い足音だけが、レナ達の耳に届く。
重い雰囲気に縛られるまま、
レナ達は最深部側から見て最初、
つまり行きでは最後の、
陽だまりの場へと到達しようとしていた。
あの虎ゴリラが唯一、
針ではなく爆死していた場所である。
アーツが持っていた、
あの巨大なハンマーからして、
おそらくここの虎ゴリラは、
アーツによって倒されたのだろう。
8人目の聖者が祈りを捧げた、
その聖域に、帰り道中のレナ達は再び、
足を踏み入れようとした。
「ん?」
時に、ふと先頭を歩く、
プログの足がピタリと止まった。
「どうしたの?」
長い静寂を破り、
アルトは前で止まるプログへと話しかけたが、
「シッ! ……あれ、見てみろよ」
口に指を立て、プログはアルトへ、
再び静寂を作るよう指示する。
そしてそのまま、
ゆっくりと後ろにひかえる3人へ、
視界を開くべく、横に動く。
その表情は、多少緩んでいるように見えた。
「どうしたの……よ?」
シキール達に敗れたことばかり考えていたレナは、
面倒くさそうに、
プログが開けた視界の先へと、
眼を向けたのだが、
その瞬間、その面倒という感情は吹っ飛んだ。
先ほど通った時は、
虎ゴリラの死骸とえぐれた土地以外、
何もなかった場所に、
リスや小鳥、ウサギといった小動物が何匹もいて、
降り注ぐ太陽をいっぱいに浴びていたのだ。
そこに、警戒心や威嚇行動はまったくない。
まるで前からこの場所は安全でした、
と言わんばかりに。
八雲森林本来の姿が、そこにはあった。
そしてその姿は不思議と、
今まで耐えがたい空気に包まれていたレナ達の心に、
とてつもなく響いた。
敗れた心の傷を癒すとは違う。
何かこう、その傷を超越し、
すべてを“平穏”という布で、
優しく包んでくれるような感覚だった。
「どうやらこの様子だと、
あの虎ゴリラが原因だったみたいだな。
……ま、色々あったけど、
これでよかったんじゃねえの?」
後ろの3人よりも一足早く、
その光景を目にしたプログは言う。
「俺達がここに来た目的は、
アイツ等に勝つことじゃねえ、
この八雲森林を調査することだ。
その結果がコレなら、
たとえアイツ等に何を言われようが、
悪くない成果だと思うぜ。
どうよ、蒼音ちゃん?」
「……はい。
皆さん、本当にありがとうございました。
きっと森林も、
動物たちも喜んでくれていると思います」
そう言って深々と頭を下げた、
蒼音の目には少し、
涙が浮かんでいたように見えた。
おそらく、相当なプレッシャーや使命感と、
戦っていたのだろう。
それがほんの一片とはいえ、
今までの厳かで平穏な八雲森林の、
あるべき姿をようやく確認することができたのだ、
本来とは逆の意味で、心中穏やかではないのだろう。
「…………」
その赤髪巫女さんの嬉しそうな姿に、
レナは少し、
自分が恥ずかしく思えてきていた。
あまりにも目の前の敵を追いかけすぎて、
完全に本質を見失っていた。
今回、ここに来た目的は、
八雲森林の調査、
言うなれば非常事態が起こっている、
八雲森林を救うためだった。
間違っても、
騎士隊隊長達と戦うことではない。
むしろあの最深部でもし、
あのまま剣を交えていたとしたら。
ただでさえ傷ついていた八雲森林の自然を、
さらに傷つけてしまいかねない状況だった。
にもかかわらず、
自分は炎で支援だの、後方で神術をだの、
森林を破壊することばかりを、
結果的には考えていた。
悔しさのあまり、今回の敵、
本来の敵を、見誤っていたのだ。
しかし、今の蒼音の姿、
そして再び蘇った陽だまりの場を目にして、
忘れていた本来の目的を、
思い出すことができた。
確かに彼ら――シキールとアーツには、
完全なる敗北を喫したのかもしれない。
だが、八雲森林を襲う脅威は、
取り除くことができた。
それだけで、今回レナ達がこの森に来た目的は、
達成されていたのだ。
「――――ッ」
レナは今一度、
陽だまりの場へと目を向ける。
先ほどまで数匹だった小動物たちが、
いつのまにか14、5匹まで集まり、
太陽の差し込むその場を、
縦横無尽に走り回っていた。
その姿はまるで、
今までそうすることができなかった分も動こうと、
脅威の去った喜びを、全身で表すかのようだった。
ありがとう。
その姿から、
そんな言葉が聞こえたような気がした。
「――ま、それもそうね」
少し照れくさそうにしながらも、
そう呟いたレナの表情が、
ようやく緩んだ。
この動物たちの平穏が戻った。
それは今までの鉛のような重い雰囲気を、
一気に吹き飛ばすには、十分すぎる事実だった。
「さ、早いところ里長のところへ戻ろうぜ。
ちゃんと結果を、報告しないといけないしな!」
同じ言葉でも先ほどとはまったく違う、
晴れやかな口調で言ったプログの言葉に、
他の3人も大きくうなずくと、
軽やかな足取りで、陽だまりの場を後にした。
今後の投稿に関しまして、
作者よりお知らせがあります。
詳しくは夜報告予定の活動報告をご覧ください。




