第82話:戦いとは
(おいレナ、本気かハッタリか、どっちだよ?
2対4とは言え、相手は7隊長だぞ!?)
戦いのプロである元ハンター、
プログは耳元でレナへと囁く。
確かにあの大群がこの場から退いたことにより、
数ではこちらが優勢にはなっている。
ただ、相手は7隊長、しかも2人だ。
以前に戦った3番隊隊長、
あの天然ボケのイグノでさえ、
1対3だったレナ達は、苦戦を強いられている。
その経験を踏まえれば、
プログの発言は、至極当然の事だった。
(そんなのあたしだってわかんないわよ!
ただ、姿を見せた以上、
こうするしかないじゃない!)
小声ながらも強い口調で言う、
レナの表情はまるで銅像のように硬く、
引きつっている。
先ほどまでシキールに見せていた行動とは裏腹に、
その様子から余裕という言葉は微塵も感じない。
表では相手に気圧されぬよう、
気丈にふるまっていたレナだが、
心の中では迷いに迷っていた。
2対4とは言え、相手は7隊長。
それくらいはレナも重々承知している。
明らかに分が悪い、というよりも、
悪すぎる局面であるということも、
痛すぎるほど理解していた。
そして、次の瞬間、
その悪すぎる局面が、
最悪な局面へと変わる光景が、
レナの目に飛び込んでくる。
「やる気かい?
一応、俺らの今回の目的は、
君達を探すことじゃないんだけど。
それに、ここまで俺達と同じ道を辿ってきているなら、
あまり無理をしない方がいいと思うんだけどな」
そう言いながらシキールが胸元より取り出したのは、
美しく、そして怪しく銀光りする、
太さ1ミリ、長さ10数センチほどの、針。
両手の指の間に持つその数は8本。
それは紛れもなく、
あの虎ゴリラが一方的に虐殺された場に残っていた、
無数の凶器そのものだった。
「……ってことは、
道中の魔物はあんたが倒したってことね。
もはや状況が最悪すぎて、涙も出ないわね」
それくらいの皮肉を言うのが、
今のレナでは精一杯だ。
正直、このシキールという人物と会いまみえた時から、
嫌な予感はしていた。
隣に立つアーツこそ、
巨大なハンマーという武器を手にしていたが、
一方のシキールは、武器らしき武器を、
何も身につけていないことに、
途中から疑問を感じていた。
そしてその瞬間、ある仮定、
すなわちこのシキールという青年の武器が、
狂気のごとく突き刺さっていた、
あの針ではないか、という予測が、
脳裏をすぐに駆け巡っていた。
無論、そんなことを願った訳じゃない。
むしろ出来ることなら、
この八雲森林を立ち去るまで、
あの圧倒的破壊能力を持つ者とは出会いたくない、
そう願って止まなかった。
だが、目の前の真実は、
恐ろしく残忍だった。
あろうことか、
目下の敵である7隊長のうち、
2人と同時に遭遇してしまったのに加え、
さらにそのうちの1人は、あの針使い。
最悪に最悪を重ねた、
言うなれば“超悪”の事態。
それはレナ達の対応し得るキャパシティーを、
明らかに超えていた。
「最後にもう一度だけ、
聞いておくよ。
本当に戦うつもりかい?」
一触即発の事態とは裏腹に、
落ち着いた声色で話すシキールの声が、
焦るレナを、逆に追いつめていく。
「くッ……!」
敵を前にする以上、
何が何でも粋がってみせると決めたレナだったが、
シキールが発する、えも言われぬプレッシャーに、
思わず言葉に詰まってしまう。
「退くなら、今のうちじゃぞ。
我々とて軍人のはしくれ。
ひとたび戦いになれば、
一切の容赦はせぬ。
……王女がいないのなら、なおさらな」
そこへさらに追い討ちをかける、
アーツの威厳ある低い声。
気が付けば、今まで地面へと降ろしていた、
重さ70キロはゆうに超えるであろう、
巨大なハンマーを準備完了、
とばかりに右肩で担いでいる。
圧倒的な重量破壊力をもつ巨大ハンマーと、
圧倒的な手数破壊力をもつ銀針。
おそらく勝ち目は、ゼロではない。
ただ、現状でその可能性は、
限りなくゼロに近い。
言葉で表すなら、
今のまま戦うのは“勇気”でもなんでもない、
ただの“無謀”でしかない。
「クソ、どうする!?
あの針の使い手に巨大なハンマー使いと来たら、
コイツぁ、ちと分が悪いぞッ……!」
決断の時は、刻一刻と迫っていた。
勝利が困難な相手に立ち向かっていくか、
それとも、相手に背を向け、
この場から逃げ去るか。
「――――」
臨戦態勢を取っていたレナは、
自らの足をほんの少しだけ、後ろへとずらした。
ズ……ズズ………………。
まるでミミズが地を這うような速度ながらも、
レナは少しずつ、後方へと下がっていく。
つまり結論は、
そういうことだった。
「――――今度」
会った時はボコボコにしてやるんだから、
という典型的な負け台詞を言い、
レナはその場から立ち去ろうとしていた。
相手に背を向けるなど、
レナはもちろん望んでいなかった。
目の前の敵がいる以上、
全力で突進していきたかった。
だが、このシキールという青年と、
アーツという男に対しては、それができない。
2VS4という数的優位を作りだせても、
おそらく敵わない。
あの虎ゴリラたちの惨状を、
しかと目に焼き付けてしまったレナの脳内は、
“恐怖”という、たった1つの単語にして、
終末を意味する言葉が支配していたのだ。
悔しさを奥歯で、
グッと噛み殺しながらレナは口を開き、
せめてもの負け惜しみをと思い、
白旗と共に最後の捨て台詞を残そうとした。
ところが。
「私は戦います」
日本刀の切れ味が如くすべての流れを断ち切る、
その声の主は蒼音だった。
何が起こったのか分からず唖然とするレナの、
さらに前へと進み、七星出身の巫女は言う。
「目的がどうとか、
軍人だからどうとかなんて、関係ありません。
あなた達が誰であろうと、
この森を汚している存在に変わりはありません。
管理者である石動家の娘として、
ここであなた達を見過ごすことはできません」
清らか、かつ力強い口調で、
蒼音はシキールとアーツに言葉を投げかける。
その真っすぐな眼には、一切の迷いもない。
思わぬ人物からの思わぬ言葉に、
まるで後頭部を引っ叩かれたかのように、
騎士隊隊長2人は面食らった表情でキョトンとする。
「一刻も早く、ここから立ち去りなさい。
さもなければ……容赦はしません」
先ほどレナ達に放った言葉が、
まるでブーメランのように、
自らへと投げ返ってきたアーツ、そしてシキール。
だが、2人以上に唖然、
というより呆然、そして焦ったのはレナ達だ。
(ちょっ、ヤバ……ッ!)
そもそも、
レナとプログは今の状況では勝ち目が薄いと感じ、
戦いを避ける方向へ、
話を持っていこうとしていた。
無論、一番後方でビビりまくっているアルトも、
同じ考えだ。
そして、その目論みがもう少し、
あと少しで達成されようとしていた。
はずなのにいきなり、
この爆弾投下である。
例えて言うなら、
偶然見つけた地雷を、
神経をすり減らして何とか取り除けてホッとしたら、
その下に今度は時限爆弾が埋まっていた、という感覚だ。
できることなら、
すぐにでも話の修正をしたかった。
今すぐにシキール達と蒼音の間に割り込み、
『今のなし! また今度会ったら容赦しないわよ!』
と言って、この場からネズミのように、
そそくさと逃げ出したかった。
だが、その前に。
「……参ったね。
これじゃあまるで、
俺達の方が追い詰められている雰囲気だな」
レナの足が動く前に、
表情が動いていたシキールの口元は、
ほんの少しだけながら、緩んでいた。
「ほう、なかなかいい眼じゃな」
一方のアーツも、
一切の物怖じがない蒼音の立ち振る舞いに、
ピリピリしたこの場に似つかわしくない、
嬉しさのような空気を醸し出している。
先ほどレナへ最後通告をした時とは、
明らかに空気が変わっていた。
表情を緩める2人の隊長と、
なお強い眼を絶やさない蒼音、
そして固唾を飲んで相手の出方をうかがう、
レナ達。
3者の間に流れた沈黙の時間は、ほんの数秒。
だがレナやプログ、アルトにとっては、
その時間が10秒にも20秒にも感じられた。
「分かったよ」
両手に握っていた針を懐にしまいつつ、
シキールが沈黙を破った。
「もともと今回はシャックの調査に来ただけだし、
まさかこの島民が一緒にいるとは思わなかったからね。
ここは大人しく、引き下がることにするよ。
ただその代わりに、俺達がここにいたことを、
島民には内緒にしておいて欲しいな。
もう、この場所に立ち入ることもないからさ」
「……わかりました。
今回は許しましょう。
ただし次にまた、このようなことがあれば……」
「分かっておる。
安心せい、ワシらとて無用な揉め事を、
起こしたくはないからな」
先ほどまでの、
糸が切れんばかりの緊張感がウソのように、
蒼音の警告へ応える、
シキールとアーツの表情は穏やかだった。
そしてふと、蒼音の姿の向こうで、
安堵の様子を浮かべるレナ達に向けて、
「……と、言うことだから。
3人とも、命拾いしたね」
シキールは笑いながら言った。
決してビッグマウスでもなく、
余裕綽々というわけでもなく。
ただただ純粋に本当によかったね、
と感じているかのように。
レナは無理やり表情を作り、
「あら、こっちも残念ね、
せっかく一発でケリがつけられると思ったのに」
そう強がってみせた。
相手に弱みを見せないように。
次に会う時に、対等の立場として、
戦いの舞台に上がれるように。
精一杯の負け惜しみを言い放った。
だが、
「本当にそう思っていたのかい?」
まるで何かのスイッチが入ったかのように、
今まで笑顔を見せていた、
シキールの眼が一瞬にして変わった。
「どういうことよ?」
「まさか2対4だから勝機はある、
とでも思っていたのかい?
だとしたら、君はまだまだ、
周りの状況が読めていないね」
シキールは再び笑ったが、
その笑みが、レナには何とも不気味な、
背中にゾワッとくるものに感じた。
「確かに俺は、さっき部下達に下がっていいとは言ったさ。
でも――」
そこまで言った時、
出会って初めてシキールの眼が、
氷のような冷たいものへと変わった。
「この森から出ていい、とは一言も
言ってないよね?」
「!?」
その言葉の真意、
そしてとてつもなく嫌な気配に気付いたレナは、
慌てて後ろを振り返った。
そこには、先ほどこの場から立ち去ったはずである、
2隊長の部下達がいた。
50名ほどの兵士は半円を作り、
レナ達の退路を塞ぐように、
周りを取り囲んでいたのだ。
誰一人として、気付くことができなかった。
「なッ……!」
レナは思わず絶句した。
確かに先ほど、
この兵士たちはこの場から撤退したはずだった。
なのに今、この者たちは、
レナ達に圧倒的な数的不利な状況へと追い込むべく、
毅然として直立している。
一体、いつからいたのか?
レナを始め、4人はまったく、
気配を感じることができなかった。
(まさか、このシキールって男、
ハナからこの状況を作ろうとして、
わざと兵士を……!)
その仮定は、容易に浮かんだ。
口ぶりや素振りからして、
このシキールという男はかなりの切れ者、
このレナの第一印象が正解だとすると、
わざわざ自分たちの部下を立ち退かせ、
あえて不利な状況を作りだすことによって、
相手を油断させつつ、
いざ戦いとなったら背後から大量の部下を送り込み、
形勢を一気に逆転させる。
有り得ない話ではない、
というよりも十分に考えられる話だった。
「安心しなよ、本当に今回は戦う気はないから。
君たちにも、そのつもりがなかったようにね。
でも、これだけは覚えておいた方がいい」
シキールは茫然とする4人の横を悠然と通り抜け、
今まで通ってきた道へ戻る際、そう口を開いた。
「今の君たちなら、
卑怯とか正々堂々勝負しろ、とか言うかもしれない。
でも、これが戦いだよ。
どれだけ勇敢な気持ちで立ち向かっても、
逆境にめげずに相手へ食ってかかっても、
負けは負けなんだよ。
戦いってものは綺麗か汚いかを争うんじゃない、
生か死かを争っているんだ。
どんなに義を以って事を成そうとしても、
死んでしまったら、ヒーローでもなんでもない、
ただの敗者でしかないのさ」
シキールから放たれる矢が、
次々にレナ達の心へと突き刺さっていく。
「君たちはまだ若い。
故に、甘い。
自分の力で何でもできると考えているのなら、
それはあまりにも甘すぎるし、
傲慢な考えだよ。
何かを為そうとしているならば、
まずはその甘さと、向き合わないとダメだね。
そうしないと、自分の身を滅ぼすだけでなく、
もっと大事なものを失うことになるよ」
それじゃあ、と言って、
シキールは部下を引き連れ、
八雲森林の最深部を後にする。
ただの一度もレナ達を振り返ることもなく、
来た道を悠々と引き返していく。
「……次会う時は必ず、王女を連れて帰る。
覚悟しておくんじゃな」
それだけ告げて、
アーツは一列に並んで歩く部下達の最後尾につき、
その巨体を揺らして引き返していった。
「くッ……!」
相手に背を向け、
堂々とその場から退いていく相手。
しかし、レナは追いかけることができなかった。
足を動かしたくても、
脳内に残る本能が、
それを許してくれなかった。
ただひたすら、唇をかみしめることしか、
できなかった。
すべてにおいてシキール、
いや、アーツを含めた彼らの方が、
一枚上手だった。
戦力においても、実力においても、
戦略においても、戦局の見方においても。
そして、心の余裕においても。
どの要素一つをとっても、
勝てる要素がなかった。
実際に剣を交えるまでもなく、
彼らの方が、戦いに強かった。
4人は、ただただ呆然と、
敵が引き返す姿を見送る事しかできなかった。
つまりは、レナ達の完敗だった。
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