第77話:感謝
バシュッ!
レナが目の前の炎塊を長剣で斬った瞬間、
その勢いに押し出されるかのように、
綺麗な弧を描いた炎の衝撃波が発射される。
そして一瞬だけ、
動きの止まった虎ゴリラを目がけ、
唸りをあげて飛ん
バシュッ!
魔物に着弾するのを確認することなく、
すかさずレナは短剣で、
再び眼前の、炎の塊を切り払う。
「ガ……ッ!?」
1発目を難なく避けた虎ゴリラだったが、
その次は予期していなかったのか、
続けて飛んできた炎を、
回避する反応が若干遅
バシュ! バシュ!
なおもレナは2つの剣で切り払いを続け、
次々と“紅蓮”の“衝破”を繰り出す。
その数、現在4発。
だが、虎ゴリラにはまだ1発も命中しない。
回避された炎が地面へと着弾する衝撃音が、
水のカーテン内の空間に次々と響き渡る。
それでもレナの動きは止まらない。
「まだまだッ!」
バシュバシュバシュバシュ!
その間隔が、
たちどころに短くなり、
それにつれてレナの動きも、
激しさを増していく。
「ここからが本番よ!!」
バシュバシュバシュバシュバシュバシュ!
小気味よくリズムを取り、
まるで剣の舞を踊っているかのように、
一切の無駄のない動きで、
レナは無言で一心不乱に炎を斬り、
衝撃波を撃ち続ける。
15、16、17、18、19……。
次々と放たれる、数々の炎。
だが、少女の動きはまだまだ止まらない。
「ちょ、何だありゃ……」
初めて目にする、
レナの“本気”の攻撃に、
プログの口は、開きっぱなしだ。
「これが……レナの本気……」
一方のアルトも、
その言葉を絞り出すのが精いっぱいだった。
これほどの攻撃を、
あの最終列車から今に至るまで、
一度も見たことはない。
(やっぱりすごい……)
それは唖然というよりも、
改めてレナの強さを目の当たりにした、
感嘆の色の方が強かった。
「!?!?!?」
一方の虎ゴリラというと、
次々と絶え間なく襲い掛かる炎の波状攻撃に、
もはや飲み込まれる寸前にまで、
動きが追いやられていた。
相手から連続して攻撃を受けるということは、
現在の攻撃を避け、
次の攻撃を視覚で捉え、
どちらの方向へ避けるか判断して、
それから回避の動作に移る、
そしてさらに次の攻撃を視覚で捉え……
というサイクルの繰り返しになる。
このサイクルを要する虎ゴリラの回避の時間と、
連続して攻撃を叩き込むだけのレナの時間を比較すれば、
ほんのコンマ数秒ではあるが、
前者の方が長くなる。
たかが、コンマ数秒。
しかし、
この場においてはそのわずかの差が、
勝負の差となる。
最初のほうこそ、
回避の動きに余裕のあった虎ゴリラだったが、
連続攻撃によるコンマ数秒差の積み重ねで、
徐々に回避の猶予がなくなっていき、
もはやギリギリで避け続ける程度にまで、
反応に遅れをとっていたのだ。
そして、数えること27発目、ついに。
「ギャウッ!?」
コツコツと積み重ねたコンマ数秒差が、
虎ゴリラの回避能力の限界を超え、
レナの炎が直撃した。
それはすなわち、
魔物の動きが完全に止まることを意味している。
バゥンバゥンバゥンッ!!
俊敏に動く力を奪われた、
虎ゴリラへ続けざまに3発、
炎の衝撃波が着弾する。
計30発もの炎撃を繰り出し続けたレナは、
ここでようやく、その動きを止めた。
どうやら衝撃波の乱れ撃ちは、
30発が限界のようだ。
炎の発射源となっていたあの炎塊も、
いつの間にか人の握り拳程度にまで、
小さくなっている。
だが、これで終わりではなかった。
レナはすかさず、
まるで腕組みをするかのように、
双剣を持つ両腕を、
自らの胸の前でクロスさせる。
そして、
「さあ、最後はド派手に決めるわよッ!」
やや得意げに、高らかに宣言した後、
残りの炎塊を目がけ、
まるで記号の×を描くように、
短剣と長剣を力の限り、斬り上げた。
どこか爆発に近い音を発して放たれた、
最後にして最大級の威力を持った一対の炎の牙が、
動きを奪われた虎ゴリラへと直撃した。
「グルアァァァァッ!!」
地を揺るがす爆発音、
そして自然と巻き上がった爆風と共に、
悲鳴と咆哮が入り混じったような、
低い獣声が響くと、
俊敏な動きと想定外の魔術で4人を苦しめた虎ゴリラは、
ゆっくりと崩れ落ちた。
と同時に、八雲森林を火災から護った蒼音の神術、
鏡水もまるで360°を囲んだカーテンが、
ストン、と落ちたかのように姿を消す。
まるでレナが魔物を倒すのを、
ずっと待っていたかのように。
そして辺りに、静寂が戻る。
「これがあたしの、全力全開攻撃よ」
魔物を撃墜させた、
レナのその一言だけが、
再び神秘の場所へと戻った、
この空間に颯爽と響き渡った。
とはいえ。
「ふぅぅ……。
やっぱりコレを使うと、
しんどいわ……」
格好よく決め台詞を言ってみたものの、
さすがのレナの顏にも、
かなり疲労の色が出ていた。
無理もない、
炎の魔術を使っただけでなく、
それからじつに左右各15の計30回、
剣を休むことなく振り続けたのだ。
何も持たずに腕を30回振るだけでも、
それなりの乳酸が溜まるところを、
重さ数キロにも及ぶ剣を手に持ちながら、
レナは無酸素運動を続けていたのだ。
これで飄々としていろ、という方が、
土台無理な話である。
(でもよかった……。
技は成功してくれたし、魔物も倒せたし)
しかし、いまだ乱れる呼吸を、
ゆっくり整えようとするレナの中には、
疲労とは別に、どこか嬉しさといった感情が、
見え隠れしていた。
無論、魔物を倒せたという事実もあったのだが、
それと同等程度に、
親方であり、師匠でもあるマレクに教わった大技、
紅蓮衝破を一発で成功させることができたという、
戦いに身を置く者特有の満足感が、
二刀流少女の心に、確かに存在していたのだった。
そのレナの元へ、
「お疲れさんっと。
まったく、恐れ入ったぜ」
と言いポン、と軽く頭を叩いたプログに続き、
「す、すごいよレナ!
めちゃくちゃカッコよかったよ!」
まるでヒーローでも見た子どものように、
目を輝かせてはしゃぐアルトが、レナの元へと駆け寄る。
……が、剣をしまうレナの手の甲を見た途端、
その表情は一変する。
「ってレナ、ひどい火傷!」
「え? ……うわ、何これ!?」
そこまで言われて、
レナは初めて自らの両手がリンゴのように、
真っ赤に腫れ上がっていることに気付いた。
先ほどまで草木に燃え移った炎を、
必死に消す際に負ったものだったのだが、
鎮火することと敵を倒すことに無我夢中で、
たった今、アルトにしてされるまで、
レナの脳には火傷による痛覚というものが、
まったく伝達されていなかった。
そして、人間の脳というものは、
残念ながら単純な構造をしている。
「痛ッ……あーもう、
ジリジリ来るわね……ッ!」
今まで何とも思わなかったものが、
たった一度視界に飛び込んできただけで、
あの火傷特有の、
痛みが刺すような、
それでいてジワジワと押し寄せるように、
レナに襲い掛かってきていた。
「ちょっと待ってて」
アルトはすかさず、
レナの手に向けて両手をかざす。
そして何やらブツブツと言葉を唱えた後、
ハッ! と少しばかり気合の入った声を発する。
今までも何度か目にしてきた、アルトの治癒術だ。
淡い光に包まれたレナの両手から、
みるみるうちに赤みが引いていく。
数秒ほどして消えた、
光の施し受けた後のレナの手は、
薄肌色の元の手へ、すっかり戻っていた。
感触を確かめるように、
レナはグーとパーを繰り返してみる。
当然、まったく痛みは感じない。
「どーもですっと。
こういう時、やっぱりアルトがいると助かるわ」
「どういたしまして。
こっちこそ、レナの攻撃で助けられたしね」
レナの感謝の言葉に、
アルトは満面の笑顔で応えている。
ひとまず危機を乗り切り、
文字通りホッと一息、といったところのようだ。
「……」
一方、3人によってできた輪から、
1人離脱した蒼音は魔物の炎によって、
その姿を変えられてしまった、
焼け野原の真ん中にいた。
燃えカスから立ち込める、
あの独特の匂いが未だ残る焼け野原を、
蒼音はただ見つめていた。
(……ごめんなさい)
蒼音は心の中で、
八雲森林へと語りかけた。
(私がもっと早くに気付いていれば、
こんなに傷つかずに済んだのに……)
まるで怪我人を介抱する医者であるかのように、
蒼音は静かに、悲しげに呟く。
実際、魔物の炎によって焼失した面積は、
巨大な敷地面積を誇る八雲森林の、
およそ1%にも満たない程度だった。
もし蒼音があの時、
神術のひとつ、鏡水を使用していなければ、
それこそ取り返しのつかないことに、
なっていたかもしれない。
そう考えれば、蒼音の神術によって、
被害は最小限に食い止められた、
といっても過言ではない。
だが、七星の里で生まれ育った蒼音にとって、
被害の大小などは一切関係ない。
七星の民が敬って止まない八雲森林を傷つけた。
その事実を突き付けられた時点で、
蒼音の心は耐え難いものとなっていたのだ。
「あちゃ~結構燃えちゃったわね……」
「!」
突如聞こえた言葉に、
蒼音は思わず後ろに振り向く。
気がつけば、
先ほどまで向こうで話していたレナが、
いつの間にか蒼音のすぐ背後に立っていた。
「アンネちゃん……」
「ゴメン、迂闊だったわ。
まさか斬りおとした後の火の粉で、
草に引火しちゃってたとはね」
おそらく蒼音が悲しげな表情で、
八雲森林に話しかけていた頃から、
レナはその様子に気付いていたのだろう、
何ともバツの悪そうな表情をしている。
「いえ、そんな……。
アンネちゃんは魔物を倒そうとして」
「そう言ってもらえるとありがたいけれど、
実際にこんなになっちゃってるしね……」
蒼音も慌ててフォローを入れるものの、
レナの歯切れはいっこうに良くならない。
魔物との戦いに必死になっていたと言えばそれまでだが、
結果として火の粉をまき散らす、
張本人となってしまったレナにとっては、
決してそれを言い訳にはしたくなかった。
だが、それでも蒼音はそんなことはありません、
と静かに首を横に振る。
そして代わりに、
「それに私、火を消すのに精いっぱいで、
結局また戦いでは、
お役に立てませんでした……」
それだけ言って再び、
視線を下に落としてしまう。
確かに、戦場の周辺で起きていた火災を、
蒼音は鎮火させることに成功した。
多少の犠牲は出したものの、
八雲森林の消失という最悪の事態を、
回避させることができた。
だが蒼音にとっては、そこまでだった。
炎の進行を食い止めただけで、
魔物に対しては、
いつものように躊躇の連続になってしまい、
結果、何らレナ達の助けになることができなかった、
という思いに苛まれていた。
レナはその言葉に一瞬、
キョトンとした表情を見せたが、
やがてその表情を崩しながら、
「そんなことはないわよ」
どこか諭すように、レナは話す。
「蒼音は気が付かなかったのかもしれないけれど、
あの神術がこの空間を水で覆ってくれたおかげで、
あたしは何の気兼ねもなく、
炎を撃つことができたのよ?
役に立ってないどころか、
MVPレベルだったと思うんだけど」
「そんな……偶然ですよ、偶然」
「たとえ偶然だったとしても、
結果魔物は倒せたんだしさ。
それに……」
「……それに?」
いまだ表情に影を残す蒼音に対して、
レナはニヤッと、
無邪気な子どものように笑い、
「八雲森林を何とかしたいという、
ちゃんと自分の意志、持ってるじゃない」
「……え?」
レナの言葉に、
今度は蒼音がキョトンとしてしまう。
自分の意志、持っているじゃない。
それは蒼音にとっては完全に、
不意打ちな言葉だった。
「だって、本当に自分の意志がなかったら、
神術を撃つ前に、
絶対にあたし達に聞いてきたと思うんだけど」
「それか、指示をずっと待ってて何もせず、かな。
まあ少なくとも、
レナか俺に確認くらいは取っていたハズだぜ」
いつから聞いていたのか、
背後には、プログの姿があった。
プログだけではない。
「あれほどの威力を持つ神術だと、
なかなか決断も難しいよね。
僕だったら、もしかしたら確認してたかも。
でも、結局あの炎を消せるのは、
蒼音さんしかいなかったし、
すごく助かったよ、ありがとう!」
さらに後ろから顔をのぞかせるアルトは、
嬉々として言う。
ここに新たに、4人の輪が作られた。
「ありがとう……」
アルトの言葉を、
まるで奥歯で噛みしめるように、
赤髪巫女はその言葉を反芻する。
ありがとうという、何気ない感謝の言葉。
だが今の蒼音にとっては、
非常に大きな意味を持つ単語だった。
無論、今までありがとうと言われたことが、
ないワケではない。
七星の里に魔物が襲来して、
それを追い払うたびに、
蒼音は里の人々から多くの感謝の言葉を受けている。
だが、それらはあくまで里長である、
石動から『魔物の撃退を』という、
指示を受けたことによってもたらされる、
いわば“約束された感謝”であり、
自分から行動を起こすことによって得られる、
“生み出された感謝”ではない。
自らの意志を殺し、
人に追随する道を選んだ、
蒼音は生まれてこのかた、
後者の“生みだされた感謝”を受けたことが、
一度もなかった。
今までの“ありがとう”は、
すべて言われることが決まっている、
約束された言葉でしかなかった。
だが、今のは違う。
アルトから発せられた“ありがとう”は、
八雲森林を何とかしたいという、
蒼音の強い意志が生んだ、
紛れもなく“生みだされた感謝”だったのだ。
(私の行動で……感謝してもらえた……)
自分でも気が付かないうちに、
顏には自然と笑みがこぼれる。
それは蒼音が今まで受けてきた、
何百回もの“約束された感謝”よりも、
何倍もの価値のある、嬉しい言葉だった。
「さて、そしたらもう少しだけ、
奥に行ってみようぜ。
もしかしたら、まだ何か原因が残っているかもしれねえしな」
「そうね。
これほど大きな森林地帯だし、
あの虎ゴリラだけが原因とは限らないわよね」
八雲森林のさらに奥を見据えながら、
レナとプログは言う。
八雲森林は、巨大な敷地面積を有している。
となれば、レナ達が今倒した虎ゴリラ一匹だけが、
七星の里魔物侵入の謎の答えと決めつけるには、
さすがに時期尚早、と判断したのだろう。
アルトも異論は特にないようで、
黙って首を縦に振っている。
「よし、そしたら先へ進みましょ。
蒼音、また案内よろしく頼むわね」
「……はい! 任せてください!」
レナの言葉に、
すっかりあの笑顔が戻った蒼音は力強く返事をする。
(アンネちゃんにブラさん、
そしてムライズ君、本当にありがとう)
心の中で“生みだされた感謝”を3人にしつつ、
蒼音は再び、八雲森林探索の先頭を歩み始めた。
次回投稿予定→3/13 15:00頃
※次週はまるそーだの都合により、更新できない可能性が高いです。
本当に申し訳ありません。




