第75話:異変
「あの、皆さん!
火が! 火が燃え移って……!」
蒼音は必死に声をあげた。
古代に未曾有の災厄を祓うための祈祷の場所となった、
現在4人と魔物が戦うこの場所は、
大まかに円状を象っている。
この円状の外側は、
今までレナ達が進んできた道のり同様、
無数の草花と木々が所狭しと並ぶ一方で、
内部には一切の自然がなく、
まるで円の形の内部だけ穴でも開いているかのように、
剥き出しの地面が顔を見せている。
蒼音が目撃したのは、
この円状の外部に生える草木の、
一部分が炎によって燃えている光景だった。
しかし、それでも3人の耳には届かない。
「おいレナ! そっちに行ったぞ!」
「そんなの分かってるわよ!
ったく、ホントに厄介ね、この魔物ッ!」
「2人とも伏せて!
……ああ、また外れた!
ダメだよ、全然当たらない!!」
まるで両者の間にウィンドウを介しているかのように、
魔物と火花を散らすレナ、プログ、
そしてアルトは蒼音の声に反応することなく、
戦いを続けている。
無論、背後でわずかな火災が起きていることなど、
まったく気づいていない。
気付いているのはただ1人、
戦闘に参加できていなかった蒼音だけだ。
そうこうしている間にも、
魔物は両腕から炎を撃ち続けている。
そして、それを叩き落とす3人。
その際に飛び交う、
木の葉程度の大きさである火の粉。
それが周りの草木に付着し、着火。
この行動の繰り返しによって、
いつの間にかレナ達を囲む草木や木々は、
炎に蝕まれてしまっていたのだ。
蒼音は目下の敵である通称虎ゴリラがもたらした、
二次災害を3人に知らせようと、
なおも声を張り上げる。
「は、早く、
早く何とかしないと、八雲森林が!」
明らかにうろたえる様子で、
その場を行ったり来たりしている。
ゆっくりではあるが、
しかし間違いなく、
燃え広がりを見せつつある業火に、
蒼音の脳内は完全にパニック状態だ。
この八雲森林は、
古代から神々が降臨する絶対不可侵な場所として、
そして勇敢なる8人の使者が稀有なる災害から、
命を賭けて護った場所として、
七星の里の人々から崇拝されてきたところである。
そのような神聖な場所が万が一、
火の海になってしまうようなことがあれば――。
(そんな、そんなことがあってはいけません!)
たとえ動揺する脳内の中でも、
それくらいのことは、
七星の里出身の最強巫女なら分かっている。
早く、早く何とかしなければ――。
それは分かっている。
分かってはいても、
「お願いです皆さん!
聞いてください!」
蒼音はただ、
叫び続けるしかなかった。
必死に仲間へ、
自分がどうすればいいかを聞くことしか、
活路を見出すことができなかった。
それが石動蒼音という巫女が、
今までの人生の中で苦しみ、もがき、
そして悩んだ末に見つけた、
自分の意志を持つことなく、
常に他人の意見や考えに追随する生き方だったのだ。
「くッ、何か方法は……ッ!」
そんな中、近接戦の輪中にいたアルトは、
外部から魔物の動きを注視すべく、
少しだけ距離をとった。
一歩引いたところで敵の動きを観察することにより、
何か新しい気付きがあるかもしれない、
そう感じたためだ。
プログとレナが必死に魔物を追う姿を、
2メートル、3メートル、4メートルと、
少しずつ距離をと
「!? あっつ!!」
突然、何かが突き抜けるような痛覚に背中が襲われ、
それまで後ずさりで下がっていたアルトの脳は、
反射的に少年の体を前へと押し戻した。
まるでこれ以上は退くな、とばかりに。
「……え?」
予期しない方向からの痛みに、
アルトが恐る恐る後ろを振り返ってみる。
その目に飛び込んできたのは――。
「え、え、えぇ!?」
そこで初めて、アルトは理解した。
自分たちが気付かぬ間に、
周りの草木が燃えていたことを。
打ち消したと思っていた炎が完全には消えておらず、
それが八雲森林の木々に次々と着火し、
火の海になりかけそうになっていることを。
よく聞けば、パチパチ……と、
自然が炎によって焼き尽くされる音が、
いたる所から聞こえている。
魔物を倒すことに全神経を集中させていて、
まったく気づかなかったが、
しかし間違いなく、
確実に異変は起きていたのだ。
「ちょ、ちょっとレナ、プログ!
た、大変だよ!」
アルトは血相を変え、
慌ててレナとプログの元へ駆け寄る。
「ちょッ!
アルト、いきなり出てきたらあぶな
「そんなことより大変だよ!
後ろが、後ろが!」
振り上げた長剣が危うく、
目の前に現れたアルトに当たりそうになり、
レナはややムッとした表情を見せるが、
アルトは構うことなく言葉を遮る。
「後ろ? 後ろがどうしたって……うおわッ!
何だよこりゃ!?」
アルトの必死な言葉に、
しかたなしに背後をチラ見したプログだったが、
予想外の出来事に思わず二度見をしてしまう。
「ちょ……は?」
どうやって魔物に攻撃を当てようか、
そのことで思考回路のすべてを使っていたレナだったが、
突如として割り込んできた現実に、
その思考のすべてを止められてしまう。
なぜ?
自らは一切炎を撃ってはいない。
魔物からの炎も、
すべて斬りおとして消滅させていたはず。
なのになぜ、
今目の前で森林が燃えているのか?
炎を剣で斬った際にわずかに飛び散るであろう、
火の粉の存在を、
思考が入り乱れ状態のレナは、
完全に忘れていた。
「くそッ、このまま放置していたら
広がってく一方だぞ!!」
そうこうしているうちにも、
炎は隣の草木へ木々へ次々と燃え移り、
古くから護られてきた自然を、
次々と焼き尽くしていく。
「くッ……!」
いまだにこうなってしまった理由が、
まったく分からないレナだったが、
気がつけば魔物に背を向け、
徐々に焼け野原になりつつある、
火災地点へと走り出していた。
考えている暇はない。
やるべきことはそれではない。
魔物に構っている暇もない。
やるべきことはそれでもない。
今、一番やらなければいけないことは、
七星の里の人々にとっての大切な地である、
この八雲森林を護ることだ。
「アルトッ! 魔物の相手をお願い!」
「え!?」
言うなり、レナは炎によって燃える、
腰くらいにまでに伸びた草の一帯を、
長剣で一気に薙ぎ払う。
まるで紙ふぶきのように宙に舞う、
草と炎。
レナは続けてもう一度、
燃える一帯を切り払う。
切断された草花は先ほど同様、
空中へと舞い上がる。
草木の本体から切り離された炎は、
しばらくの間、空中を浮遊していたが、
草という可燃物を焼き尽くすと、
まるで役目を終えたかのように、
フッ、とその姿を消した。
「くそッ、それしか方法はねぇか……!」
レナのその姿に、
意図に気付いたプログも加勢する。
バサッ、バサッ、バサッ、
という音と共に、炎に燃える草木が、
空中を次々と飛び交っていく。
直接的な消火能力を持たないレナとプログにとっては、
燃えている部分と燃えていない部分を切り離し、
空中での自然消滅を促すことでしか、
火事の進行を食い止めることはできなかった。
無論、この行為も、
神聖な八雲森林の自然を破壊していることに、
何ら変わりないことは理解している。
だが、ここでこの行動を取らなければ、
自然破壊どころか、
自然消滅になってしまう。
それだけは、何としても避けなければならなかった。
(くッ……早く、早く何とかしないと!)
一心不乱に、剣を振り続けるレナとプログ。
その一方で、
「こ、これ以上は行かせないから!」
レナから背中を託されたアルトは、
若干震える声ながらも、
銃口を魔物へと向け続けている。
そして魔物がひとたび魔術使用の態勢に入れば、
「させないッ!」
と言い、同時にパァン、と銃弾を放つ。
レナやプログが背後にいる分、
アルトも今だけは何の気兼ねもなく、
銃を撃つことができた。
今までにない遠距離からの攻撃パターンに、
幸い虎ゴリラはやや戸惑っている。
アルトが時間を稼いでいる間に、
レナとプログが消火活動にあたる。
少しの間、その構図は続いた。
……のだが。
「あーもう!
全然追いつかないッ!」
イライラが頂点に達したか、
思いきり剣を振り切った後に、
レナは吐き捨てるように大きな声をあげる。
「くそッ、むしろ燃え移りが加速してやがる……!」
レナの言葉に続き、
プログからも思わず舌打ちが出る。
自然を斬れども斬れども、
燃え移る炎の勢いには追いつくことができず、
一向に沈静化する気配が見えないのだ。
いや、プログが言うように、
レナが薙ぎ払いを始めた初期状態から、
実は事態は悪化していた。
原因は2つある。
まず1つ目は、
八雲森林の自然の密集度だ。
レナは咄嗟の判断で、
可燃媒体から切り離すことによって、
炎を消すことを選んだ。
だが、人の歩くスペースが無いほど、
自然が密集しているこの場においては、
隣の草木へ炎が燃え移る速度は、
たとえば家が火災になり隣の民家へ、
といったものとは桁外れに違う。
2人が全力を尽くして消火活動に当たっていたが、
それ以上に炎の威力が勝っていた。
そして2つ目は、
レナやプログの繰り出す薙ぎ払いだ。
剣を振り回すということは、
そこにほんのわずかではあるが、風が発生する。
風が発生すれば当然、
隣の草花へと燃え移りやすくなる。
つまりレナ達は良かれと思っていたことが、
逆に被害をさらに大きくすることとなってしまっていたのだ。
風が吹けば、炎が燃え移りやすくなる。
冷静に考えれば誰にでもわかることだ。
だが、今のレナ達は、
そのような考えが完全に抜け落ちるほどに混乱、
そして動揺が走っていたのだ。
(このままじゃまずい! どうすれば!?)
レナは明らかに焦っていた。
薙ぎ払ったことで飛び散る火の粉によって、
両手が火傷を起こし、
真っ赤に膨れ上がっていることにも気づかない程に。
それでも懸命に剣を振り続けた。
自らの行動が、
逆に火災を助長しているとも気付かずに。
「森林が……八雲森林が……」
3人のはるか遠くで、
蒼音は弱々しい声を漏らす。
蒼音は自分を責めた。
「私が……私がもう少し早く気付いていれば……」
3人が魔物との戦いに集中していた時に、
何もすることができなかった自らが、
もう少しでも早く、
草花に着火していることに気付けていれば――。
「もう少し、大きな声で叫んでいれば……」
何もすることができなかった自らが、
火災に気付いた時に、
3人の戦いの邪魔になるからといって遠慮した声を、
もう少し大きく叫んでいれば――。
「……」
そう、そして今だって、
本当は助けられるかもしれないのに、
皆の邪魔になってはいけないと思うと――。
(私は、私はどうすれば……)
迷える蒼音はゆっくり目を閉じると、
心の中で呟いた。
神々が降臨すると言われるこの場で、
誰かにその言葉を聞いて欲しいかのように。
誰かにその問いの答えを教えてほしいかのように。
だが、その問いに誰も答えることはない。
心の声が、誰かに届くことはない。
答えは、見いだせなかった
かに見えた。
しかし。
(……?)
真っ暗だった蒼音の目の前に、
ふと八雲森林の情景が浮かんできた。
(これは……)
目を開いたわけではない。
蒼音の目は閉じたままだ。
(……?)
蒼音自身も、
なぜ急に八雲森林が思い浮かんだのか、
まったく理解できなかった。
ついさっきまで歩いてきて、
そして今現在もいる、八雲森林の風景だ。
それは大きな木々や草花に囲まれ、
大小多くの動物たちが、
伸び伸びと地を駆ける、
何の変哲もない、
いつもの八雲森林の日常を切り取った、
ごくごくありきたりな光景だった。
(でも……)
だが、今の蒼音には、
その風景がとても美しく、
そして神秘的に見えた。
別にキラキラしていることもなく、
絶景が拝めるわけでもない。
でも、そこにあったのは間違いなく、
蒼音も幼いころから大好きだった聖地八雲森林の、
何物にも代えられない、
美しい日常だった。
(……私がやらなきゃ)
その光景はものの徐々に遠くなり、
やがて目の前から消えて消滅した。
その時間は蒼音にとって、
ほんの数秒にも、数分にも感じられた。
だが、再び目の前が真っ暗になった時には、
蒼音に迷いはなかった。
(私が護らなきゃ!
この八雲森林を!!)
カッ、と大きく目を見開いた時には、
七星の里が生んだ最強巫女は、
微塵も迷っていなかった。
(これ以上、私達の八雲森林を汚させはしません!)
蒼音は勢いよく、両手のヨーヨーを投げ下ろす。
キュイィィィ……と高速でヨーヨーが回転したのを確認すると、
蒼音は小声で小さく詠唱を始めた。
役に立ちたいとか、
迷惑をかけたくないとかは、一切関係ない。
ただ八雲森林を護るために、彼女は動いた。
前で消火活動にあたるレナとプログ、
そして敵の一挙手一投足を注視するアルトは、
蒼音の動きにまだ気づいていない。
それでも、蒼音は動いた。
強い決意に呼応するかのように、
ヒュンヒュン、と2つのヨーヨーが、
蒼音の詠唱を助けるべく、
前後左右上下、すべての空間に入り乱れる。
彼女を中心に、にわかに巻き起こる疾風。
「私が……護る!!」
キッ、と目を見開いたのに続き、
蒼音は自らを護ってくれたヨーヨーを、
両手に迎え入れる。
そして、
「石動流十神術その弐、鏡水ッ!」
出すことのできる、
ありったけの力を込めて、
蒼音は叫んだ。
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