第66話:石動神社の看板巫女、蒼音
それは、まさかの宣告だった。
レナは即座に、先ほど遭遇した、
巫女姿の女性を思い出してみる。
それほど意識して、
彼女の顔を見たわけではなかったが、
言われてみれば確かに、
非常に整った顔つきをしていた。
……ような気がする。
大変失礼な話ではあるが、
レナの頭の中では、その程度の認識しかない。
そして、そのような認識レベルなのは、
どうやら自分だけではなかったらしい。
レナがチラッと横を見やると、
残りの男衆2人も、
必死にその顔を思い出そうと、
顎に手をあてて考え込んでいる。
「そうだ!
もしよろしければ、
蒼音に里を案内させましょうか?」
3人の様子に気付いたか気付いていないか、
指を軽くパチンと鳴らすと、
石動は妙案、とばかりに弾むような声をあげる。
「え? でも……」
「船の点検に半日かかるのでしょう?
でしたら、この里をぜひ堪能していってください!
神々が作りし大自然に、
きっと心も安らかになれますよ!」
「は、はあ……そう、ですか……」
石動の心弾む提案とは対照的に、
レナはやや戸惑いの様子を見せる。
決して里の案内を拒んでいるわけではない。
むしろこれほど趣のある神秘的な場所だ、
どちらかといえば色々な場所を、
余すところなく見学したい。
ただ、この場所に来ているのは、
決して自分達だけではない。
今、こうしている間にも、
船に残り、少しでも早く再出発できるよう、
船員たちが汗水垂らして、
点検や修理を行っているのだ。
レナはついこの間まで、
駅員としてルイン駅で働いていた。
列車の点検や修理が、
どれほど大変、かつ重労働であるかは、
もちろん知っている。
故に、仕組みは違うかもしれないが、
船舶を相手にする彼らの苦労を、
多少なりとも推し量ることはできる。
その彼らの頑張りを差し置き、
自分達だけ里の観光を楽しむ。
レナの倫理観は、
どうしてもその部分に、
抵抗を感じていた。
しかし、石動はレナのその様子を察したか、
「もしかして、
船の修理をされている方々を、
気にしていらっしゃるのですか?」
「え……」
「それでしたら心配ご無用です。
もし船の点検後、
少しお時間をいただけるのであれば、
その方々もぜひ、
里を案内させていただきますので。
ですので、どうぞ遠慮なさらず」
他人を癒すような、
安らかな微笑みを浮かべて石動は言う。
どうやら、レナのわずかな憂慮顔で、
彼女が何を考えているのかを、
石動は読み取っていたようだ。
「だってさ。
どうする? せっかくだし、
ここはお言葉に甘えてもいいんじゃねえか?」
「うーん、そうね。
石動さんがそこまで言ってくれるなら」
プログの投げかけに対し、
まさに重い腰をあげる、
といった様子でレナはようやく、
石動の提案を受け入れた。
完全に納得したわけではなかったが、
年長者であり、かつ他人に、
ソコソコ気を遣うことはできるだろうプログが、
提案を受け入れる姿勢をとっていたことで、
レナも多少は納得することができたようだ。
「わかりました。
では外にいる蒼音に、
里を案内する旨を伝えてください。
私からの提案だ、と話せば、
何の問題もないはずです」
「わかったわ。
色んなお気遣い、どーもでしたっと」
目的を果たしたレナは石動に対し、
珍しく深々とお辞儀をすると、
外にいるであろう石動の娘、
蒼音に会うため、社務所を後にした。
「あら皆さん、
里長様にはお会いできましたか?」
社務所を後にしたレナ達が、
いまだ落ち葉の掃き掃除をしている、
巫女さんの元へ近づくと、
石動蒼音はニッコリと笑顔を作りながら言う。
どちらかといえばピンクに近い薄赤色の長髪を、
大きな白いリボンでポニーテール風に1つに束ねる、
蒼音が浮かべる、屈託のない微笑み。
それはたとえ今まで元気がなかった者でも、
思わずフッと心が和むような、
まさに父親譲りの安らかさを生み出している。
石動に教えられたからだろうか、
レナほどの身長ながらもあどけなさの残る、
やや童顔気味の彼女の風貌は、
先ほど道を尋ねた時よりも
ずっと美しく、
それでいて可愛らしさも兼ね備えているように見えた。
「ええ、あなたのおかげで無事に会えたわよ、
石動蒼音さん」
「? どうして私の名を?」
いわば通りすがりの者に、
突然名を呼ばれた蒼音は、
あどけなさが残る、
丸い目をキョトンとさせる。
先ほどから今までの間、
ずっと外で神社内を掃除していた蒼音が、
レナ達が社務所内で話していた内容など、
当然知るハズもない。
「里長さんに教えてもらったのさ。
いやぁ、しかしホントに噂通りだな、うん」
レナの代わりにプログが事情を説明しているが、
心なしか若干口元が緩んでいる。
一方の蒼音は先ほどのキョトン顔のまま、
「? 噂通り?
何のことですか?」
「あーゴメンなさい、説明不足で。
僕達がここに来るまでに色んな人から、
蒼音さんがすごく美人さんだって話を聞いていて」
「そうそう、誰一人として悪い風に言わなかったよな。
でも確かにこの可愛さなら、
誰も文句は言えねえわな、うんうん」
野郎2人、特にプログは目を逸らすことなく、
まるでライオンやパンダといった類の、
人気動物を凝視するかのごとく、
食い入るように蒼音を見つめている。
「そ、そうなんですか。
そう言っていただけるのは嬉しいですが……」
対する蒼音はというと、
どういう反応を示したらよいか、
困惑の色を隠すことができない。
無理もない。
今の状況を端から見ると、
レナさえこの場にいなければ、
立派なナンパ状態だ。
神々、そして自然を崇拝し、
ゆっくりとした時間が流れるこの里に、
そのような輩は存在しない。
故に今のプログ達のように、
野郎に唐突に声をかけられた時の対処法が、
まったく備わっていないのだ。
「ったくもう、
初対面の人を困らせんじゃないわよ」
……という雰囲気を感じ取ったか、
レナは呆れ顔で蒼音と2人を、
強引に引き離す。
はっきり言って自慢話にもならないが、
ルインにいた頃、街を歩けば、
最低1人はナンパ男に遭遇していたレナにとって、
この手の男の扱いは手馴れている。
無論、そのナンパ男たちの行く結末は、
もれなく全員、
見るに堪えないものであったが。
いまだ困った様子を浮かべている蒼音に向けて、
レナは少しばかり笑顔を見せる。
そして仕切り直し、とばかりに口を開く。
「えっと、里長さんの計らいで、
あんたと一緒に里巡りをさせてもらうことになったの」
「里巡り、ですか?」
「うん。
僕達の船の点検が終わるまで時間があるし、
よろしければぜひ、
って里長様が仰ってくださったんです」
「俺達もここに来るのは初めてだしな。
お前さんに案内をしてもらえると助かるぜ」
「そうだったんですね。
お父……里長様の仰せでしたら、
喜んでご案内させていただきます。
では、少々お待ちくださいね」
綺麗な斜め45度の屈折を描くお辞儀をすると、
蒼音は竹箒を片付けるべく、
足早に倉庫へ向かう。
程なくして再び同じ場所へと戻ってくると、
「さて、そしたらどこから行きましょうか。
皆さんはどこか行きたい場所とかあります?」
赤髪の巫女さんは再び、
癒しの笑顔を3人に見せる。
その笑顔が内心、
羨ましいなぁ、と思っているレナが、
「そうねぇ……」
と、七星の里観光に頭を働かせようとした、
その時だった。
カーンカーンカーン……。
無機質な、乾いた鐘の音が、
森林に囲まれた七星の里内に響き渡る。
「! これはッ……!」
瞬間、蒼音の顏から笑顔が消えた。
そして何かを警戒するかのように、
辺りに目を素早く配らせる。
ほんの数秒ほど前の彼女とは、
まるで別人のようだ。
「何かあったのかしら?」
何の前触れもなく急に現れた緊張に、
思わずレナ達も身構え、眉をひそめる。
詳細は不明だが、
良くないことが起きている。
何も聞かずとも、
そのくらいの認識を持つことは容易にできた。
「またですか……。
蒼音!!」
ガシャンッ!という乱暴な引き戸を開ける音に続き、
石動が焦りというよりは、
怒りに近い舌打ちをしながら、
社務所から飛び出すと、
近くにいた愛娘を呼び寄せる。
「お父様ッ!」
「お前は里民の避難誘導を!
それと……頼んだぞ!」
「はい!」
言うなり、蒼音はその容姿から、
想像もつかないスピードで、
ポニーテールの髪を揺らしながら、
里の中心地へと走り去っていく。
里長の口から発せられた、
里民の避難誘導という言葉。
つまりそれは、
今、何か不吉なことが、
間違いなく七星の里に迫っている、
ということを意味していた。
そして無論、
そのような状況を、
3人が放っておくわけがない。
「魔物かしら?」
「ええ。
あの鐘が鳴らされたということは、
どうやら里に魔物が侵入したようです。
ですが心配には及びません、
ささっ、皆さんは社務所の方へご避難ください」
レナの問いに石動は、
意外にも冷静な口ぶりで答える。
魔物襲来という逼迫した状況とは、
あまりに不釣りあいな、
まるで何事もないかのように、
非常に落ち着いた口調だった。
「人里に魔物!?
つか、そんな冷静に分析している場合じゃねぇだろ!」
「そうですよ!
早く何とかしないと、里の皆さんに被害が!」
「里長さん、魔物はどこに現れたのかしら?
魔物ならあたし達が――」
当然、3人は今すぐにでも、
魔物の所へ向かおうと、
足をムズムズさせる。
レナ達がこの里に足を踏み入れてから、
しばらくの時間が経過している。
だが、その時間の中で、
例えばコイツなら魔物と太刀打ちできるな、
といった屈強な者は一切見かけていない。
すれ違う人々のほとんどが、
見たこともない形の服を着た、
華奢な体型をした里民ばかりだった。
どのくらいの大きさの魔物が何体、
押し寄せてきているのかは分からない。
だが、このまま里内で暴れられてしまっては、
自分達以外に追い払うことができない、
そう感じずにはいられなかった。
ところが、その3人の言葉を聞いてなお、
石動は静かに首を振ると、
「本当に大丈夫ですので。
それに、せっかく外国から来て下さった方々に、
危険な目に遭ってほしくはありませんし」
「いや、あたし達が言ってるのは、
そういうことじゃなくて……」
「ささっ、早く社務所の中へ」
「え、ちょ、里長さん!?」
レナやアルトの言葉を、
石動が聞き入れることはない。
まるで家にあがるのを遠慮する隣人を、
強引に招き入れるかのように、
3人の背中を押していく。
優しい穏やかな表情からは想像できない、
予想以上のグイグイと押す力の前に、
3人はあっという間に、
社務所の中へと非難させられてしまった。
部屋の窓からこっそり外を覗くと、
そこには全身黒毛に覆われた大型熊、
キルベアが里の中心部の広場を、
ゆっくりと徘徊している姿が、
3人の目に飛び込んできた。
どうやらこのキルベアが、
警鐘の元凶だったらしい。
蒼音の迅速な対応が功を奏したのか、
幸い、広場には人の姿はない。
……が、よく見ると、
広場の周りにある住居から、
レナ達と同じように窓から様子をチラ見している、
人々の頭を確認することができる。
一方、全長約4メートルを誇るキルベアは、
まるで獲物になるニオイを探すかのように、
地面を鼻でクンクンさせている。
見る限り単体でのご登場のようだが、
どうみても、
里に住む者達が、
対等にやり合えるようなスペックの魔物ではない。
「オイオイ、ホントに大丈夫なのかよ?」
「結構大きいよね……」
窓枠から頭だけ出しているプログとアルトは、
焦りと苛立ちの色を隠せない。
もし許されるのならば、
いますぐにでもこの場から飛び出し、
あの広場へと駆け付けたい、
そんな気持ちでいっぱいだ。
「つかそもそも、あの魔物をどうするんだよ?
里長の『大丈夫』の根拠が分かんねえぞ」
「確かにそうだね……誰かが倒すのかな?
それとも何かを使って追い払うのかな?」
決して答えが出ない議論を、
2人が交わしていると。
「ふ~、危なかったです……ってあら?」
部屋のドアが開いたと同時に、
入口で会話した、
あの黒髪の女性が部屋の中へと入ってくる。
発した言葉と安堵する表情から察するに、
どうやらこの女性も社務所へ避難してきたようだ。
「皆さんもここへ避難されていたのですね」
「里長さんに言われてね。
ホントはサッサと、
あの魔物を退治しに行きたいんだけど……」
もどかしい気持ちを抑えるように、
レナは広場でいまだうろつく魔物を睨み付ける。
プログやアルトが感じている以上に、
レナもいますぐここから飛び出したい。
慢心や蔑みなどではなく、
おそらく3人ならあの程度の魔物は、
すぐに倒すことができるだろう。
なのに、それが許されない。
焦りとか怒りとも違う、
何かモヤモヤしたものが、
体全身を縛り付けるような、
そんな感覚に、レナは囚われていた。
ところが。
「ああ、それなら大丈夫ですよ。
複数ならともかく、
一匹なら何の問題もないと思います」
この女性もまた石動と同様、
表情のどこを見ても、
憂慮や焦燥といった属性が見当たらない。
さも当然、といった様子でこの状況を捉えている。
まるでそれが日常です、
と言っているかのように。
「……里長さんも、
言っていたけど、
何が大丈夫なのかしら?
あのまま魔物を放置していいってこと?
それとも時間が経てば、
あの魔物は帰るのかしら?」
結局、疑問の原点はそこだった。
石動の話にしても、
この女性の話にしても、
何が大丈夫なのかが、そもそも分からない。
例えばこのまま何の手も加えることなく、
魔物を徘徊させていていても大丈夫、
ということなのか。
例えば誰かがスーパーマンのごとく駆けつけ、
魔物を退治してくれるから問題ないのか。
例えば自然と魔物が森へ帰っていくから、
心配は不要なのか。
もっとも、
どの選択肢が答えとして返ってきたところで、
また新たな疑問が枝分かれ的に発生するのだが、
今はそもそも論として、
“大丈夫”という単語が示す行為が何なのか、
その根本が分からなかった。
レナ達は、ここでは外部の人間だ。
もし七星の里ならではのルールがあるのであれば、
それに従う。
レナもそれは理解しているし、
今回の件も理由が明確なモノがあるならば、
何もここまでいきり立つこともなかっただろう。
しかし、現状を3人が納得するには、
あまりにも情報が少なすぎる。
「何が大丈夫なの、ですか?
それはもちろん――」
レナの問いに対して、
女性がその解を口にしようとした、
その時だった。
ザッ。
「……!」
変わらず広場を徘徊していたキルベアが、
何かの気配を察知し、
ピタリと動きを止める。
そして今まで地面へ向けていた顔を、
気配のした方へとゆっくりと向ける。
そこに、1人立っていたのは。
「……え?」
目の前の光景に、
レナは目を大きく見開き、
思わず身を乗り出す。
何かの見間違いではないかと、
一度目をしっかり閉じてから、
再び目を見開いてみる。
……が、変化はない。
その場にいたのは、
間違いなくあの彼女だった。
ここから先は通させないとばかりに、
魔物の前に立ちはだかったのは、
つい先ほどまで、
神社の掃除をしていた赤髪ポニーテール巫女、
石動蒼音だった。
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