第62話:海の猛者
ディフィード大陸を除く3大陸、
すなわちワームピル大陸、エリフ大陸、
そしてウォンズ大陸がドーナツ状のように、
形成されていることによって存在している内海。
この内海には、昔から年に数隻ほど、
港に帰ることのできない船が存在する。
その要因となっているのが、
つい先ほどレナ達を急襲した海の魔物、
シップイーターである。
どれだけ大きいタコでも9メートルと言われるなか、
その全長は15メートルを超え、
重さにいたっては数百キロにも及ぶ。
内海を渡る船に貯蔵されている食料と、
そして人間を食い尽くすために船を襲うのが特徴だ。
そのあまりにも獰猛な姿が、
まるで船舶自体を食い尽くしているかのようと、
過去の人々が恐れたことから、
この名がついたと言われている。
性格はいたって勇猛。
当然、理性などという感情は存在しない。
目の前の獲物を喰らうため、
8本の強靭な触手を用いて、
破壊の限りを尽くす。
この凶悪すぎるバケモノと遭遇した、
不幸な船客が辿った道は、
歴史を紐解いても2つだけ。
1つは目の前で繰り広げられる、
破壊行動になすすべなく、
船もろともシップイーターの餌食になる。
もう1つは、助けを呼び、
運良く近くを通った別の船によって、
かろうじて助かる。
この2つしか、今まではなかった。
そんな魔物が今、レナ達の前にいる。
「ど、どうしたの!?
プログから魔物に襲われたって聞い……うわぁッ!!」
と、ようやく甲板に姿を見せたアルトが、
レナ達の近くまできたところで、
思わず悲鳴をあげる。
魔物といっても、
空から襲ってきた鳥の類が数匹、
くらいの認識でいたアルトにとっては、
シップイーターの容姿が、
さぞかし不気味に映ったことだろう。
「クソッ、はやく片付けないとヤベェぞ!」
「そうね、早く引き剥がさないと、
船がマズイわ……!」
2つの剣を急いで構えながらレナは吐き捨てる。
その視線の先には、
甲板の床を突き破った触手の根元から、
チロチロと沁みだしている海水が。
まるで水たまりを作りだすように、
ゆっくりではあるものの、
確かに海水が甲板へと入り込んできている。
つまり、どこからか海水が浸水してきているのだ。
一気に海水がなだれ込んでいないため、
おそらく船の底を破壊されたわけではないようだが、
それでもこのまま放置し、
しばらくすれば甲板は海水に飲み込まれてしまうだろう。
それに、今はまだ1か所で済んでいるものの、
これからシップイーターが、
更なる破壊行動に出たとなると、
とてもじゃないが、1か所では済まされない。
そうなってしまったら、
過去の事例通り、
船は魔物の餌食か、
海の藻屑へと消え去ってしまうだろう。
「そうと決まれば、
サッサとコイツを引き離すしかねえッ!
アルト、支援は任せるぞッ!」
早期の決着を目指すべく、
短剣を手にしたプログは、
巨大な魔物へと突っ込んでいく。
あのレナをして早いと言わしめた、
プログの身のこなし。
一瞬にして、シップイーターの間合いへと入っていく。
「ウウウウウウ……ッ!!」
どこかうめき声にも近い音を発して、
シップイーターは邪魔者を排除すべく、
8本ある触手の1本を、
まるで丸太をブン回すかのように、
プログの腹を目がけて振り降ろす。
「上等だぜッ!
ンなモン、切り落としてタコブツにでもしてや
ガゴォッ。
重く、それでいて鈍い衝突音が響く。
「なっ……!」
目の前で起こった光景に、
アルト、そしてレナまでもが言葉を失う。
「ご……がぁッ!!」
腹の底から吐き出されたうめき声に続き、
触手によって空中に浮いたプログの体が、
甲板に叩き付けられる。
迫る触手を短剣で、
素早く斬ろうとしたプログだったが、
シップイーターの触手は、
例えるなら鉄の塊のような強度だった。
当然、短剣で鉄塊を切れるはずもなく、
触手がプログの腹部を直撃することとなってしまい、
まるでバットをフルスイングしたかのように、
吹っ飛ばされたのだった。
「だ、大丈夫!?」
アルトは慌ててプログの元へと駆け寄ると、
気術による治癒を試みる。
「くッ……なんだよありゃ……。
あんなの反則……だろうが……」
額に脂汗が滲み、
乱れる呼吸と戦いながらプログは力なく呟く。
「ったく、冗談じゃないわ!
あんなの見せられちゃ、
うかつに飛び込めないじゃないの……!」
プログの先制攻撃に次いでと、
攻撃態勢に入っていたレナは、
思わず後ずさりをする。
プログの短剣で触手を斬れなかったということは、
おそらく自分の2つの剣でも無理、
その程度の想定など容易にできる。
だとすれば。
(それなら……ッ!)
レナは静かに気持ちを集中させる。
たちまち、左右に持つ剣の周りに炎が出現。
「喰らえ、双炎!」
叫ぶレナの声に続き、
大小2つの剣から放たれた轟炎が、
ヒュンヒュン!
と小気味よく風を切る音を発して飛んでいき、
シップイーターの触手、そして本体へと直撃する。
「ウウウウウウ……」
約700℃の炎の渦に飲まれたシップイーターは、
低いうめき声をあげる。
……が、それ以外の動きが一切ない。
「や、やったか……?」
帆柱の陰に隠れていた1人の船員が、
体を震わせ恐る恐る、
様子を覗き込む。
パチパチという火の燃える音が、
船上の緊張感を、
より一層際立たせる効果を生んでいる。
と、ちょうどその時、
烈火に飲み込まれていたシップイーターの上体が、
まるで壊れた振り子のように、
ゆらゆらと不規則に揺れる。
「ウウウウウウッ!!」
「! プログ、危ないッ!」
レナが叫んだ時を同じくして、
シップイーターが、
何やら黒い液体を発射、
まるで矢のような軌道で、
起き上がろうとしたプログへと襲いかかる!
「あぶ……ねぇッ!!」
標的となったプログは転げるように体を回転させ、
ギリギリ回避する。
ガァンッ!
ターゲットを失った“矢のスミ”は、
そのまま甲板の床へと直撃、
その衝撃で板製の床が破壊された。
「オイオイ、冗談きついぜ……。
床に穴とか、マグナム弾か何かかよ……」
シュウゥゥという煙音を発する、
すぐ隣の破壊跡に、
プログの顏は完全に引きつっている。
一方のシップイーター。
包まれていた炎はいつの間にか消え。
若干焦げ臭いニオイと、
体中から黒煙を発しながらも、
まるで何ともない、とばかりに、
左右にユラユラ、不気味な動きを繰り返している。
約700℃の威力を持ったレナの炎を以てしても、
シップイーターは倒れなかった。
「炎が……効いてない?」
レナは目の前の光景を、
すぐには信じることができなかった。
通常、700℃の炎を喰らえば、
大抵の魔物は倒れる。
それどころか、
下手をすれば骨以外のすべてを焼き尽くしてしまう。
それほどの威力を持った攻撃だ。
ましてや軟体動物の一種であるタコなら、
それこそ文字通り、
跡形もなく消え去るハズだ。
なのにこのシップイーターという魔物は、
その炎の直撃を受けても、倒れない。
いや、倒れるどころか、
ほとんどダメージを与えられていない。
「まさか」
レナにとって、
似たような経験が2度ある。
忘れたくも忘れられない、
いや、今の自分たちにとっては、
決して忘れてはいけない、
あの組織によって生み出されたと仮定している、
恐ろしい技術。
「これもシャックの仕業なの……?」
愕然とするレナの口からは思わず、
その言葉が漏れ出していた。
そう、ルイン西部トンネルで戦ったコウザや、
バンダン水路で相対した、サンプル1号。
彼らはどれだけ攻撃しても傷一つつかないという、
摩訶不思議な体をしていた。
打撃、斬撃、術。
どの類の攻撃を試みても、
体の中のある(・・)一か所、
“核”の部分以外は傷を負わせることのできないという、
絶望的な状況を作りだす構造をしていた。
そして今、目の前にいるのは、
プログの斬撃やレナの炎を受けても、
平然と生きている。
もしかして、この魔物も――。
「いや、そんなことはねえよ!」
しかし、その仮定をどこかに吹っ飛ばすように、
プログは声を張り上げる。
彼は魔物から視線を離さず、
「前にサンプル一号の時には、
あんな煙は出てなかったハズだぜ」
見てみろよ、とばかりに、
プログは顎だけをクイッと魔物へ向ける。
確かにシップイーターの体は、
いまだに軽く黒みがかかった煙を、
全身から発し続けている。
プログが指摘したのは、
たったそれだけのことでしかなかった。
「……あ」
だが、その煙は、
シャックによって生み出されたという、
最悪の考えへなだれ込んでいた、
レナの思考回路を元に戻すには、
十分すぎるモノだった。
以前戦ったサンプル一号は、
レナの炎を喰らっても、
目の前のシップイーターのように、
黒い煙があがるようなことはなかった。
それだけではない、
レナの記憶が正しければ、コウザの時も同様だ。
まるで強固な壁にぶち当たったかのように、
煙をあげることなく炎は消滅していた。
多少の例外はあるものの、
黒煙の正体は物が燃える際に、
酸素不足や炎の温度不足によって生まれる、
炭素の粒子、言うなればススである。
このススが、
熱せられた空気によってできる上昇気流に乗って、
上へ上へとあがっていくのが、黒煙の仕組みだ。
つまり、何かを燃やしていないと、
黒煙は決して発生しない。
それは逆を言えば、
煙があがったということは、
何かしらを燃やしている、
ということに等しくなる。
シップイーターから黒煙があがったということは、
少なからずシップイーターの体を燃やした、
つまりダメージを与えている、
と結論づける証拠と言えるだろう。
一方、コウザやサンプル1号戦では、
煙は一切立ち込めていなかった。
煙が上がるのと、上がらない。
見た目ではたったそれだけの差であるが、
中身を見れば文字通り、
天と地の差があるといっていい。
「……そうね。
冷静に考えれば、
おかしな話だったわね」
その差に気付くことができたレナは、
すでにふだんの姿を取り戻していた。
あの技術が使われていない魔物なら、
わざわざ攻撃対象である“核”を探さないで済むし、
何より精神的なプレッシャーがない。
それだけで、本当に天地の違いになる。
……とはいえ、
すぐに新たな問題が浮上する。
(でも、だとしたら、
コイツはどうやって倒すのよ?
まさか炎乱れ撃ち?
そんなことしていたら
船を先に壊されちゃうわ)
レナはふと、
水が溜まり始めている甲板部分に目を向ける。
先ほどまで、ほんの水たまり程度だったものが、
すでに約2倍程度の大きさになっている。
この水たまりが肥大すればするほど、
船が沈むリスクは高くなっていく。
長期戦は圧倒的に不利だ。
「ハッ!!」
と、短く気合の入った声が、
背後から聞こえたのに続き、
レナの全身を薄赤い光が包む。
「あ、これって……」
レナは後ろを振り返る。
そこには、両手を前にかざし、
コクリと小さくうなずくアルトが。
その光に、レナは見覚えがあった。
そう、ファースター最終列車で、
錆びついたレバーを動かす時。
一時的に腕力を向上させるために、
ぶっつけ本番の少年が使ってくれた、
あの気術。
「もう2つッ!
これでイケるハズだよ!」
アルトは同じ気術を、
プログ、そして自らに対しても使用する。
やはり暖かな光が、
各々の全身を包み込む。
「な、なんだこりゃ?」
初見のプログは戸惑いの表情を見せるが、
いずれ分かるだろうと判断したレナは、
特に構うことなく、
「プログ、あんたは本体に集中して。
あたしが周りの触手の相手をするから。
アルトはあたしが迎撃しきれない分のカバーと、
あのピストルみたいなスミの対処を頼むわ!」
言って、すぐに2つの剣を構え、
炎を出現し始める。
「マジかよ、俺一人であのど真ん中にかよ……。
ったく、しゃーねぇな!
了解だぜ、元ハンターの意地っつーのを見せてやるよ!」
多少のボヤキを挟みながらも、
プログはレナの横を通り抜け、
魔物の中心部へと突っ込んでいく。
同時に、身の危険を察知したのか、
シップイーターは8本の触手のうちの3本を、
まるで針のように突き刺そうと、
プログを目がけて襲い掛かかる!
「させないわ、双炎ッ!」
レナの剣から放たれた2つの炎が、
襲い掛かる2つの触手へと直撃する。
気術によって強化された炎によって、
シップイーターの触手は、
まるで静電気に触れたかのように、
ピン、と大きく弾き飛ばされる。
が、本体へと突進するプログは、
その動きに見向きもしない。
振り向くことなく、
ただ魔物の本体へと直進する。
……がしかし、
レナが動きを妨害したのは2本だけで、
残り1本の触手の動きまでは止め
「貫け、ブレイクショットッ!」
パァンッ!
アルトが発射した光を纏う弾丸が、
残った触手の根元へと命中する。
かつてファースター騎士隊3番隊隊長、
イグノが操る符術で、
どんな攻撃をも無効化する特技、
鴉雀無声を打ち破った、
アルトの攻撃、ブレイクショット。
その威力は、
シップイーターにも絶大だった。
プログの攻撃を跳ね返したほどの硬度を持つ、
あの触手を、アルトの弾丸はぶち破った。
さすがに貫通するまでには至らなかったが、
それでもあの強固な、
防弾チョッキなど比較にならない、
シップイーターのボディへ、
銃弾をねじ込んだのだ。
「ウウウオオオッ!!」
明らかに、
シップイーターのうなり声が変わった。
どこか苦痛に歪んだ、
腹の底からではない、
うめき声を漏らし、
ダメージを受けた触手を激しく動かす。
「よし! これが効くなら……!」
手応えを感じ、
1人大きくうなずいたアルトは、
なにか意を決したかのような素振りを見せると、
ふと両目を閉じる。
「うわぁ……ッ!」
触手が暴れたことによって、
船はまるで嵐の中の航海のように揺らぎ、
足を取られた船員たちの悲鳴が飛んでくる。
……が、今の3人に、
それを気にしている余裕などない。
炎で動きを止めたレナは息つく間もなく、
素早く次の攻撃へ備える。
そう、あくまで動きを一時的に止めただけで、
根本から動きを止められたわけではない。
よって、いつ次の攻撃が繰り出されるか、
まったくわからない。
レナの炎にしろ、
アルトのブレイクショットにしろ、
いずれも意識を集中する必要があるため、
あらゆる動きを予測して、
先に先に行動しておく必要があった。
「よっしゃ、もうチョイ頼むぜ、
お前らッ!」
プログは弾むように言い残すと、
懐から細長い物体を取り出す。
ギルティートレインの時に使用した、
あの爆薬の詰まった物体だ。
そしてそれをシップイーターの頭上目がけて、
高々と放り投げる。
「派手に決めてやるぜ!」
落下する爆薬物体を前回同様真っ二つにすべく、
プログはさらに敵の懐へと突進する。
一度に数十体もの魔物を吹き飛ばした、
プログ最大の技、
イグニテッドインフェルノをぶっ放すべく、
今自分が出しうる最速のスピードで、
シップイーターへと立ち向かっていく。
が、しかしその時、
「ウオォォォッ!」
轟音にも似た咆哮に次いで、
シップイーターは激しく、
体、そして触手を左右に動かし始めた。
次回投稿予定→11/22 15:00頃
 




