第54話:消せぬ罪、癒えぬ傷痕
「はぁッ……はぁッ……!!」
ガラガラと巨大な音を立て、
次第に崩れゆく洞窟。
その中で少年は地面に這いつくばり、
必死に右手を伸ばす。
落石及び崩れ落ちる地形の変化により、
少年のいた洞窟内の空間の真ん中には、
洞窟の底へと誘う、巨大な穴ができていた。
その大穴に向かって、
天井から無数の岩の塊が、
まるで滝のように落下している。
一度落ちてしまえば、
きっと生きて戻ることはできないだろう。
その死の闇穴に向かって、
体中に無数の傷を負いながらも、
少年は懸命に腕を差し出していた。
その右手には、
細く、そして色白の小さな手が握られている。
そして、その小さな手から腕を伝うと、
そこにはまだ幼い少女の、
今にも泣き出しそうな表情が。
質素ながらも絢爛さを失わない、
立派な服装をしたその少女は、
しきりに首を横に振りながら、
何かを訴えるように叫んでいる。
少年は、“あの世への大穴”に、
今にも落ちてしまいそうな少女を助けるべく、
必死にその手を掴んでいたのだ。
こんなはずではなかった。
どうして、こうなってしまったのか。
自分の実力からして、
今までのハンターとしての実績からして、
こんなことが起きるはずではなかった。
いや、そもそも今、何が起きているのか。
目の前の、この状況は一体何なのか。
少年の思考回路は、完全に停止していた。
「早く! あなただけでも、
あなただけでも早く逃げてください!!」
「バカ言えッ……! お前を助けるまで、
ここから出られるかよッ……!!」
だが、たとえ思考が停止していても、
目の前で死の危険に晒されている人を放っておくことなど、
誰だってできるはずがない。
少年は体中のすべての力を右腕に込め、
少女を穴から引き揚げようとする。
しかし、これまでの戦闘で負った傷の数々が、
その力を発揮させない。
事実、現状で少年の力はほぼ最大限使われている。
少女の手を握り、彼女の落下を防ぐ力だけで、
少年の体に残る力のすべてが使われていたのだ。
そこから先に進む余力は、
もはや少年には残っていない。
「このままでは、あなたも助かりません……!
私のことはいいですから、
プログさんだけでも……!!」
「ふざけんなッ!
アンタの護衛で……ここまで来たんだ、
俺だけ無事に帰るワケには……いかねえだろうがッ!!」
プログと呼ばれたその少年は、
息も絶え絶えに叫ぶ。
(クソッ! なんで、なんでこんなことに……ッ!!)
顔面からはすでに大量の脂汗が吹き出し、
肌も真っ赤に紅潮している。
そもそも受ける前から、
うすうす怪しい依頼だとは感じていた。
確証があったわけではなかったが、
何か怪しい、そんな臭いは感じ取っていた。
それでも、積まれた大金に目がくらみ、
この護衛を引き受けてしまった。
なんであの時、
もっと色々と探らなかったのか。
あの時もっと警戒していれば、
きっと、こんなことにはならなかっただろうに。
結局は、金という欲、
そして自分自身の意志の弱さに、
勝つことができなかった。
あの時、自分に打ち勝ち、
護衛の依頼を断っておけば――。
「……聞いてください、プログさん。
あなただけでも生きてください。
このままでは、私もプログさんも、
両方助かりません!」
「だから何度も言わすな、俺は――」
「このまま両方助からなかったら、
この事件が表に出ることがなくなり、
ただの事故として扱われてしまいます。
これは事故ではありません、
何者かが私を陥れようとした事件です。
ですからプログさん、あなたは生きて、
この事件の真相、真犯人を突き止めてください。
必ず、私を殺そうとしたものが、
必ずどこかにいるはずです!」
「くッ……それ以上、もう喋んな……!!」
「そうすれば……私も……少しは気持ちが……」
最後は言葉に詰まりながらも、
少女はそう言い終えると、
自らの髪を整えていたヘアピンの一つを、
そっと抜き取る。
その様子を見て、少年は愕然とした。
あともう少しで、
少女の手を離してしまいそうになるくらい、
絶望の念に苛まれる。
わかってしまったのだ。
目の前の少女が、
ヘアピンを手に持つ彼女が、
この後、何をしようとしているかを。
「待て!
もう少し、もう少しだけ待ってくれ!
そうすれば俺がお前を……ッ!!」
「プログさん。
私からの最後のお願い、聞いてください」
「ま、待ってくれ……!」
必死にプログが止めようとする。
今一度、力を右腕に集中する。
しかし、少女の言葉は止まらない、力も入らない。
「これから何が起こっても、絶対に生きてください。
きっと辛いことも多くあるでしょう。
生きているのが嫌だ、
と思われることもあるでしょう」
「ダメだ……待ってくれッ!!」
「でもプログさん……これだけは忘れないでください。
これからどれほど、
あなたに辛いことが降りかかったとしても……」
「頼む、待ってくれ……待ってくれぇぇぇぇ!!」
瞬間、彼女は初めて年相応の少女らしい、
あどけない微笑みを、涙が伝う顏満面に浮かべた。
「あなたに生きてほしいと願う人がいることを、
決して忘れてないでくださいね」
そして少女は、手に持っていたヘアピンを、
プログの右手甲を目がけてプスリ、と刺した。
「……つッ!!」
ほんのわずかな痛みが、少年を襲う。
大した怪我も、血も出ないような程度の、
ほんの些細なものだった。
今まで負ったどんな痛みよりも、最も軽いものだった。
だが、その痛みによって、
ほんの一瞬だけ、少年の右手は力を失った。
「!!!!」
気付いた時には、もうすでに遅かった。
支える力を失った少女の体は、
重力の赴くまま、大穴へと飲み込まれていく。
この状況にはあまりにも不釣り合いな、
穏やかで優しい目で少年をずっと見つめながら、
少女は洞窟の底へと落ちていった。
「イリスッ!」
少年は彼女が飲み込まれた、
暗闇に向かって必死に叫んだ。
だが、闇の向こうからは、
もはや何の反応もない。
それでも、何度も何度も叫び続けた。
涙と汗が入り混じり、
まともに視界を確保することも出来ていなかったが、
少年は叫ぶことを止めない。
いや、もはや叫ぶことしかできなかった、
という表現が正しい。
「イリスッ! イリスッ!!」
今にも崩壊しそうな洞窟の空間で、
絶望と後悔、そして自責に囚われた少年は、
ただただ、少女の名前を叫ぶことしか、
できなかった。
「イリスーーーーーーーッ!!!!」
「! ッ……!?」
プログが目を覚ますと、
そこはお城の一室のベッドの上だった。
「はぁ……はぁ……ッ!!」
乱れた息を整えることなく、
プログはガバッと起き上がる。
部屋の中は快適な温度であるにも関わらず、
全身からは大量の汗が流れている。
プログはまるで何かに怯えるように、
辺りを何度も何度も見渡す。
いつの間にか、
隣に寝ていたアルトがいなくなっているものの、
それ以外は寝る前と特に変わりはない。
間違いなく、
そこはセカルタ城の男性用客室の中の一室だった。
「くッ……久々に、これかよ……」
プログは軽く舌打ちをすると、
髪の毛を乱暴に右手で掻きむしる。
いつもは1つにまとめている黒い長髪が、
ボサボサになってしまっている。
ここ最近は見なくなっていたが、
ファースターの牢屋にいた頃から、
幾度となく見ていた、この悪夢。
(レナの影響か……?)
プログは顔を隠すように手で覆いながら、
心の中で呟く。
昨日、レナがギルティートレインで、
スカルドに発した言葉と、
夢の中のあの少女が、
死ぬ間際に告げた、あの言葉。
状況や言葉尻は違えど、
それはあまりにもそっくりな言葉だった。
そのせいで、今まで記憶の底に眠っていたものが、
再び意識下に呼び戻されたのだろうか。
決して忘れていたわけではない。
いや、忘れたくても忘れることなど、
絶対にできない。
(くッ……イリス王女……俺は……)
何かを押し殺すように、
プログは歯を食いしばり、拳を握る。
いくら悔やんでも悔やみきれない。
いくらやり直したくてもやり直せない。
いくら願っても叶うことはない。
彼女はもう、戻ってこないのだから。
にもかかわらず、自分だけはのうのうと生き続け、
また彼女に託された事件の真相の、
シッポすら掴めずにいる。
結局、自分は何も進めていない。
あの日、あの時から、ただの一歩も。
そう、あれは夢なんかじゃない。
実際に――。
ガチャ。
「…………ッ!!」
突然のドアが開く音に、
プログの体は一瞬、ビクッと揺れる。
いつの間にか、
心臓の鼓動がいつもより早くなっていた。
キイィィ……。
緊張感を演出するかのように、
ゆっくりとドアが動いていく。
「あれ? ゴメン、起こしちゃった?」
しかし、次に耳へ飛び込んできた、
聞き覚えのある声に、
プログの高まった鼓動は一気に落ち着いていく。
声の主は、アルトだった。
フェイティとの出来事の後、
特に他の場所をうろつくことなく、
すぐにこの部屋へと戻ってきたのだった。
「なんだ、アルトか……。
焦らせんなよ」
「ゴメンゴメン、
そんなつもりは……って、
どうしたのプログ!?
そんなに汗かいちゃって!!」
再びベッドに寝転がろうと、
近づいてきたアルトだったが、
すぐにプログの異変に気付き、
思わず声をあげる。
「ん? ああ……ちょっと腹が痛くなっちまってな」
「えぇ!? お医者さん呼んでこようか!?」
「大丈夫大丈夫、もう治まったから」
「ほ、ホントに?」
「ああ、心配ありがとよ」
余計な心配をかけさせないのと、
それ以上詮索されるのを避けるため、
プログは若干引きつりながらも笑顔を見せる。
「そう……ならいいんだけど……。
でも、また悪くなったら言ってね、
すぐに呼んでくるから」
不安そうな表情を垣間見せながらも、
アルトはそう言うと、ベッドに転がる。
「ああ……そうだな……」
その動きを確認すると、
プログもベッドに横になる。
そして一室に、
再び静かな時間が流れる。
5分、10分、15分……。
まるで時間が経過するのと比例するように、
ベッドから、わずかな寝息の音が次第に大きくなっていく。
(……)
だが、決して2人共に、
眠りに落ちたわけではない。
(…………)
目こそつぶっているものの、
悪夢によって一度覚醒してしまった意識は、
そう易々と彼を眠りの世界へは導いてくれない。
(………………)
隣から聞こえてくる、
年下少年の安らかな寝息をBGMに、
プログは自らにこびり付く、
重くドス黒い過去を回顧する。
(……………………)
それは、忘れてはいけない過去。
プログという奢った少年が犯した、
決して消えない、償うことのできない過去。
(俺は……どうすりゃ……いいんだよ……)
今のプログには、
その一言を呟くのが精いっぱいだった。
「誰かを残してディフィード大陸に、ですって?」
爽やかな朝日が差し込む謁見室に、
レナの言葉が響き渡る。
セカルタ城での夜が明け、
レナ達は三度、謁見室に集っていた。
昨夜に色々とあったアルト、フェイティ、
そしてプログに加え、
寝起きの悪さに定評があるレナとあって、
レイ以外の4人は、いまだに寝ボケ眼状態である。
だが、そんな様子を気にかけることもなく、
執政代理のレイは硬い表情のまま、大きくうなずく。
「ああ。
私なりに考えたのだが、
1週間というリミットがある以上、
色々な選択肢を作っておくことが必要だろう。
そこで考えたのが……」
「あたし達のうち誰かがここに残り、
残りがディフィード大陸に使者として行く、か……」
徐々に寝ぼけモードが抜けてきたレナはそう呟くと、
腕組みを始める。
ディフィード大陸に自分たちが赴く、
この程度のことぐらいは想定していたが、
誰か1人残す、
という発想までには至っていなかった。
「君たちも理解していると思うが、
一番理想なのは、
ディフィード大陸から6日以内に、
ここへ戻ってくることだ。
だが、その実現可能性は決して高くはない。
まず、ここからディフィード大陸まで、
船でおよそ1日近くかかる距離があるからな」
「つまり、順調に行っても、
往復で2日かかるってことかしらね。
そうすると……余裕を見て、
3日くらいは船に乗ると考えていた方が良さそうね。
BBA、そんなに乗っていたら船酔いしちゃいそう」
「先生の言う通りだ。
まず3日程度は船に乗っていると考えた方がいいだろう。
しかも、向こうの大陸で船が入港できるのは、
カイトという港町しかないそうだ。
そのカイトから王都のキルフォーまでは、
さらに歩いて半日程度かかるらしい」
「となると、向こうに滞在できるのは、
2日、ギリギリ3日しかなくて、
しかもそのうち1日はほぼ移動、ってことね。
カッツカツのスケジュール過ぎて泣けてくるわ」
レイの言葉にボヤくレナの表情は渋い。
レイの話をまとめると、
ここから船旅でディフィード大陸の港町カイトに辿り着き、
そこから王都であるキルフォーまで移動する。
まずここまでで、最速でも1日半はかかる計算だ。
つまり、往復を考えれば、
3日は移動に費やさなければならない。
ただ、それはあくまで何のトラブルもなく、
順調そのもので進んだ場合の所要時間であって、
もし何かしらのアクシデントが起こった場合、
この日数よりもさらに時間を要することになる。
仮にこのトラブル用猶予を1日分設けたとする。
この時点で、すでに全行程の4日分を、
移動だけで消費している。
そして、クライドがこのセカルタ城に来るのは、
昨日の時点で1週間後だった。
日付が変わった今日、
リミットはもう6日しかない。
つまり、レナ達が王都キルフォーの代表と面会し、
話をつけるための時間は2日分しかない。
なんだ、2日もあれば――。
ただ会って話をするだけならば、
その発想になるだろう。
だが、レナ達が果たすべき任務は、
それだけではない。
今のファースターの状況を話し、
そして裏で密かに関係を築く。
そこまでの交渉を、
たった2日だけで取り付けなければいけない。
しかも、今までまったくと言っていいほど、
国交のなかった国に対して、である。
ゆっくりと時間のある時ですら、
明らかに困難な交渉ごとを、
あろうことか48時間という期間だけで、
100%確実に成功させなければいけない。
例えて言うなら、
街のお宝を狙う盗賊団のいる洞窟へ、
一般市民が丸腰で、
しかも早足で説得しに行くようなものだ。
誰がどう考えても、無謀な算段でしかない。
しかし。
「……とはいえ、
ローザの安全を考えてここに1人残しつつ、
残りのメンツでデイフィード大陸に行く。
ベストじゃないにしろ、ベターな判断ね」
そう続けるレナの言葉に、
他の3人も示し合わせたように、
それぞれ大きくうなずいている。
そう、この作戦の肝になるのは、
決して無謀な渡航計画の部分ではない。
レナ達4人のうち1人、
この場に残るという部分である。
レイが執政代理を務めるこのセカルタには、
残念ながら参謀や大臣といった、
レイが不在時に信頼して、
事を任せられるような側近が存在しない。
国家に関わるすべての意思決定を、
レイが務めている。
よって、レイがクライドとの首脳会議に出席している間、
ローザの命、そして安全な場所を確保する、
その重要な大臣の様な役目をこの場に残った人物が担う、
これこそが、この作戦の一番重要な部分なのだ。
レナを含めた4人の反応を見て、
レイも大きくうなずくと、
「もし万が一、ディフィード大陸から、
セカルタに戻るのが間に合わなかった場合、
俺が会議に出席している時、
ローザ王女を護る者いなくなってしまう。
それだけは絶対に避けなければいけない。
よって、ここは人材を分離して1人はここに残り、
最悪の場合はローザ王女をセカルタから連れ出し、
どこかに一時的に避難していただく。
レナさんの言う通り、
あまり誉められたものではない、
苦肉の策であることには間違いないだろう。
本当に申し訳ないのだが……」
「こればっかりはしょうがないでしょ。
リスクと迅速を第一に考えれば、
他に有効な手立てもなさそうだし。
まっ、少なくともこれからは1人くらい、
信用できる側近を作っといた方がいいわよ。
でないと、あんたも精神的に参っちゃうでしょ」
今回の件に限らず、
レイにかかる負担を考え、レナは言う。
どんな超人であっても、
国の政治、経済、軍事等々、
すべてを1人で担うことなど、
到底できるはずがない。
もしただの凡人が、
今のレイの仕事をやろうものなら、
おそらく数日も経たないうちに発狂しだすだろう。
近いうちに考えておこう、
超人レイはやや苦笑いを浮かべて話すと、
「さて、それで問題は、
誰にここで残ってもらうかだが……」
この案で最大の争点について、
目の前にいる4人の候補者へ、視線を泳がせる。
そして、レイの考える、
ある1人の側近候補者の所で目を止め、口を開いた。
「できれば先生に、お願いしたいのですが」
次回投稿予定→9/27 15:00頃




