第26話:ワナ? それとも……
学校の壁に体を預けるように、
もたれかかる少年。
黒い法衣を身にまとう少年の髪もまた黒く、
やや伸びた前髪が、両目ギリギリまで迫っている。
口元が法衣によって隠れていて、
なかなか表情をうかがい知ることはできないが、
なぜか口元をモゴモゴさせているのだけはわかる。
どうやら、この学校の学生のようだ。
レナたちは、何事になかったかのように、
その場を通り過ぎようとした。
考えを悟られまいと、
やや硬くなっている表情のまま、
3人は少年をやり過ご
「聞こえなかったか?
この学校が怪しいと思っているのか?」
……せなかった。
少年の声が、再び3人の足を止める。
1回目に声をかけられたときは、
人違いと思い込もうとしていたが、
2回呼び止められたということは、
どうやらレナたちに話しかけているので、
間違いなさそうだ。
「……何の話かしら?」
さすがに無視することができなくなったレナは、
少年に振り向くこともなく、淡々と話す。
「この期に及んで、シラを切るつもりか?」
「シラを切るも何も、何の話か、って言ってんのよ」
「いいのか? 俺がこの場でその話をしても。
学校の関係者が聞いていたら、
お前ら一発で牢屋行きだぜ?」
レナは話を隠してその場を逃れようとするが、
少年の言葉が決して逃がそうとしない。
口元が隠れてしまっているため、
表情の全容を窺い知ることはできないが、
その目つきは、
まるで標的を狙う狙撃手のように、細く鋭い。
「それで、少年くんは私たちの考えを知って、
どうするのかしら?
学長にでも言いつけるおつもりで?」
と、ここでフェイティがレナの一歩前に出て、
少年に語りかける。
「ちょっと、フェイティ!」
「先生!?」
フェイティの言葉に、レナとプログが驚き、
そして焦りの表情を隠せない。
レナ達は例の行方不明事件の犯人が、
王立魔術専門学校の学長であると睨み、
どうやって忍び込もうか考えていた。
そして今、目の前にいる少年は、
おそらくこの学校の学生だろう。
自分の通う学校の偉い先生を何者かが狙っていると知れば、
その危険を本人に伝える、と考えるのが自然だ。
一般市民にすら、あまり聞かれてほしくない会話だが、
殊に学長の関係者には、
一番聞かれたくない話である。
だからレナは、この場をなんとかごまかして帰ろうと、
シラを切り続けるつもりでいた。
それを、フェイティは堂々とバラしてしまったのである。
レナとプログが焦りの反応を見せるのも、当然である。
「こうなってしまったら仕方ないわ。
無理にごまかそうとしても、
どっちみち、言いつけられるだけよ。
それなら、少年くんがそれを知って、
この後どうするつもりなのかを聞いた方が、
私たちも色々と動きやすいと思わなくて?
……もちろん、あまり無粋な動きはしたくないけれど」
レナとプログの表情とは対照的に、
フェイティは静かな表情で少年を見つめている。
が、その目つきはいつもよりも細く、
少年の一挙手一投足を見逃さないよう、
様子を窺っている。
「それは脅しのつもりか?」
「そうね。もし学長さんに、
少年くんがこのことを伝えると言うのならば、
私たちはそれを全力で阻止しないとマズいですもの」
「フッ、それはそれで悪くない話だな」
フェイティの切り返しに、
少年はゆっくりと目を閉じながら静かに笑う。
「その言葉は、学長に言いつけるという形で、
受け取っていいのか?
だとしたら、このまま黙って、
お前を見過ごすワケにはいかなくなるが?」
そう言いながら、
プログはおもむろに胸元にある、
ナイフに手を送る。
「焦んなよ。
俺の口封じのためだろ?
こんな街中でドンパチ始めたら、
すぐに兵士が来て、本末転倒だろうが」
プログの臨戦態勢にも、
少年はまったく動じることなく、
静かに答える。
確かに、少年の口封じをするにしろ、
こんな街中で戦いを始めたら、
兵士がすぐに嗅ぎ付けてここへ来るだろう。
そこで少年に、
レナ達が学長を狙っているということを話されてしまったら、
何の意味もなくなってしまう。
「さっき、城の前で執政代理と何か揉めていたようだが、
お前ら、学長を潰す気か?」
前出の問いにレナ達が答える前に、少年は続ける。
いつの間にか、少年の眼は開き、
こちらに視線を送っている。
「別に。そこまでは考えてないわよ。
怪しいと思っているだけよ。
てかあんた、あの時盗み聞きしていたのね」
「人聞きが悪いな。
たまたま通りかかって、耳に入ってきただけだ」
「まあ、そういうことにしとくわ。
でも、怪しいと思っているだけなのは本当よ」
レナはふう、と小さくため息をつきながら話す。
どうやら少年は、
あの場に偶然居合せていたらしい。
だとしたら、そこからこの場所まで、
後を尾けられていたのだろうか。
レナ自身、街中で多少油断していたとはいえ、
後を尾けられているような感覚はまったくなかった。
もし、あえて気配を消していたとすると、
この少年、ただ者ではない。
「さあ、あたし達は話したんだから、
今度はあんたが話す番よ。
あんたはこの後、どうするのかしら?
学長にでも言いつけるつもり?
それとも、兵士でも呼ぶのかしら?」
ひと呼吸おいてから、
今度はレナが少年に質問をぶつける。
少年の返答次第では――。
考えは3人とも一致していた。
……が。
「今日の23時だ」
レナ達の想定とは完全にズレた言葉が、
少年の口から飛び出す。
「……は?」
その言葉に、まるで珍しい生き物を見ているかのように、
口をぽかんと開く3人。
23時?
「お前たちが、本気で学長を捕まえる気でいるのなら、
今日の23時に、この場所に来い」
そう言うと、
少年はそれまでもたれ掛っていた壁から体を離し、
静かにその場を去ろうと歩き始めた。
「ちょっ、は?
どういうことよ!?」
想像もしていなかった展開に、
レナは慌てて少年を呼び止める。
驚きを通り越して、意味が分からない。
違和感しか残らない。
「お前たちの考えている通り、
ここ最近の行方不明事件の黒幕は学長だ。
本気で学長と捕まえる気があるというのなら、
俺が手を貸してやる」
レナの言葉に足を止めた少年は、
チラリと3人に視線を送りながら話す。
「どういう風の吹き回しかしら?
少年くんは、ここの学生なんでしょ?
というより、少年くんはなぜ、
学長が黒幕って知っているのかしら?」
さすがの違和感に、フェイティが口を挟む。
先に話したように、
もし自分の通う学校の学長が、
何者かに狙われているとしたら、
何とかして学長を守ろうとするのが、
普通の学生の反応だろう。
だが、この少年は違う。
むしろ逆のことを勧めてきている。
どこをどう考えても、違和感しか見つからない。
「……俺は少年という名前ではない、スカルドだ。
学長の部屋に行けば真実がわかる、
今言えるのはそれだけだ」
フェイティの問いに答えることはなく、
スカルドと名乗る少年は、
冷静に言葉を並べる。
「部屋に行けばわかるって、どういうことかしら?
学長の部屋に、何か秘密があるってこと?」
ますます違和感が生まれる言葉に、
フェイティはさらに問いかけを重ねる。
「……いいな、23時だぞ」
しかし、やはり問いかけには一切応じず、
スカルドは一言、
そう呟いただけで学校の校舎に姿を消した。
「あ、ちょっ、オイ!」
違和感、そして意味不明な去り際に、
慌ててプログが呼び止めようとしたが、
スカルドが戻ることはなかった。
「……」
黙って、顔を見合わせる。
残された3人の間に言葉が生まれるまで、
少しの時間を要した。
各々、思うところはあったのだろうが、
それを言葉としてまとめるのは難しかったのだろう。
「とりあえず、ホテルに戻ろう。
さすがにアルトとローザも心配しているだろ」
「そうね、一旦整理しましょう」
ようやく飛び出したプログの言葉に、
フェイティとレナは小さくうなずく。
今の3人が早急にできること、
それはアルト、ローザを含めて、
話し合いをすることである。
こうして3人は、大きいのか小さいのか、
まったくわからない収穫を手にして、
アルトとローザの待つホテルへ戻っていった。
「なるほどね……それは確かに謎すぎるね」
場所は再び、ホテルのアルト、プログ部屋。
レナ達から事情を聞いたアルトは、
顎に手をあて、天井を見上げる。
「23時に行けば、学長さんの自宅に、
連れてってくれるのでしょうか?
でも、いくらなんでも怪しすぎますよね。
学長が犯人って知っているのもおかしいですし……。
もしかしたら、学長のワナじゃないでしょうか?」
一方のローザも、困惑した表情を隠せない。
結局、スカルドが何を考えていたのか、
聞き出すことはできなかった。
ローザが言うように、
もし、学長がスカルドというワナを仕掛けていたというなら、
スカルドが必要以上に語らなかったという部分の辻褄が合う。
「うーん、ワナねえ……。
俺にはそうは思えなかったんだがなあ」
だが、ここでプログがワナという結論に待った、
とばかりに口を開く。
「え、何で?」
窓際で腕組みをしながら話を聞いていたレナが、
プログの言葉にすぐ反応する。
「よくよく考えてもみろよ、
仮にワナだったとしたら、
あんなあからさまに怪しい態度なんてするか?」
「そう? あたしはベラベラ喋るヤツの方が、
よっぽど怪しいと思うけど」
「それはそうかもしれないが、
それにしても、だ。
去り際だって、
もしワナだとするならば、
もう少し俺らを23時に来させるようにするのが、
普通じゃないか?
時間だけ話して、あとはお前らの勝手って……。
まるで俺はどっちでもいいです、
みたいなスタンスだったぞ?」
「まあ、確かにワナにしては、
随分とやる気のない感じではあったけどさ……」
ここまで話して、レナは言葉に詰まってしまう。
みんなが言う通り、
あまりにも怪し過ぎるのは分かっている。
ワナである可能性は大いにあるだろう。
しかし一方で、プログが言う通り、
ワナにしては不可解な点が多すぎる。
もし、学長が怪しいと感じている人を、
消していくのが目的ならば、
どっちでもいいです、というスタンスはおかしい。
むしろ、もれなく危険因子は潰していきたいはずだ。
なのに、あのスカルドという少年からは、
そんな積極的な意思を感じることは、
まったくできなかった。
どういうことなのか?
何度考え直しても、
まるで越えられない壁があるかのように、
レナの思考回路はこの部分で行き詰ってしまう。
「どうする? 行ってみる?
今日の23時に」
アルトが他の4人の顔色を窺いながら訊ねる。
「そうね……」
「難しいトコだな……」
だが、確証を持つことができないレナとプログは、
曖昧な返事を出すことしかできない。
「……そしたら、ホテルに待機組と、
突入組にわけるのはどうかしら?」
と、今まで言葉を発することなく、
椅子に座りながら1人で考え込んでいたフェイティが、
ここでようやく口を開く。
「わける……ですか?」
「ええ。スカルドくんのところに行く3人と、
ホテルに残る2人に、ね。
確かにスカルドくんの話に怪しい部分は残るけれど、
私は行ってもいいと思うわ。
ただし、3人の方は、
まずスカルドくんが何を考えているかを、
もう一度ちゃんと聞く。
それで腑に落ちない部分があったり、
怪しい動きをするようだったら、
すぐに帰ってくる事。
……でももしかしたら、相手のワナにハマって、
3人が身動き取れなくなってしまうこともあるかもしれない。
そこで、万が一の時に備えて、
ホテルに2人残しておけば、
色々な策を打つことができるでしょ?」
ファイティは椅子から立ち上がり、
4人にいつもの微笑みを見せる。
フェイティは、他の4人が議論を交わしている間、
どちらに事が転んでも対処できるよう方法を、
ずっと考えていたのだ。
そして、導き出された結論が、
5人を2つのグループにわけるという事である。
「なるほどね……。
確かにそれなら、色々と動きやすいわね」
フェイティの言葉によって、
越えられない壁に穴をあけることができたレナは、
大きくうなずく。
「俺もその意見に賛成です。
……アルトとローザはどうだ?」
続けてプログも同意を示すと、
アルトとローザへ視線を向ける。
5人で行動している以上、
全員が納得した行動でないといけない、
そう考えていたからだ。
「ワナの可能性が0じゃない以上、
僕もその作戦がいいと思う」
「私もいいと思います」
そんなプログの考えを読み取ってか、
アルトとローザも、
すぐに賛成の言葉を並べる。
どうやら、5人の腹は決まったようだ。
「よし、そしたら決まりね。
後は、誰がホテルに残るかだけれど……」
レナが一旦話をまとめたところで、
新たな問題を提起する。
だが、こちらの問題は、
一瞬で解決することとなった。
「そしたら、今回みたいに僕とローザが、
残ったほうがいいんじゃないかな?」
「わたしもそれがいいと思います。
私とアルトはそのスカルドって方はよくわからないですし、
事情をよく知っている人が、
行ったほうがいいと思います」
レナの言葉を聞き、アルトとローザは、
すぐに自分たちが残ることを提案する。
前回のセカルタ城に行く時とは違い、
ローザも渋るようなことは一切しなかった。
自分のやれるべきことをやる。
レナ達がセカルタ城に行く前に決意を固めたアルトの姿勢に、
どうやらローザも感化されたようだ。
「いやまあ、俺らもアイツのことは、
よくわかってねえんだか……。
でも、お前らがそう言ってくれるなら、
俺達で行くか」
「そうね。
危険なこともあるだろうし」
「なら、私達3人で会いに行くことにしましょう
ありがとうね、アルトくん、ローザちゃん」
2人の言葉を受け、プログとレナ、
そしてフェイティは互いに大きくうなずき合う。
もとより3人としても、
今回はあまりに危険すぎる決断のため、
アルトとローザを、
ホテルで待機させておくべきと考えていたのだ。
問題は、そのことを2人に、
納得してもらえるかどうかだったのだ。
その部分が、2人の意思によってクリアにできたのである。
「よし、そしたらちょっと早いけど、
少し休むことにしましょ。
今日は長い夜になりそうだしね」
今度こそ腹が決まったところで、
レナは部屋のドアに向かって歩き始める。
「そうね。
そしたら、夜の22:40に、
下のロビーでどうかしら?」
「了解です。
そしたら、アルトとローザはこの部屋で待機を頼む。
万が一、何かおかしなことがあったら、
学校の方へ来てくれ、いいか?」
「うん、わかったよ」
「わかりました、
3人とも、お気を付けて……」
5人がそれぞれの約束を交わした後、
レナとフェイティ、
そしてローザは自分たちの部屋へ戻っていった。
ホウホウ、ホウホウ……
ホテルの外からは、
どこからともなくフクロウの鳴き声が聞こえてくる。
それ以外の音は、
薄暗いホテルのロビーからは何一つ聞こえてこない。
「う~、寒ッ!
そういえば夜は寒いってこと、
すっかり忘れてたわ……」
エレベーターのドアが開き、
フェイティと共に姿を現したレナが、
思わず体をブルッと震わせる。
「おー、来たか。
てっきり寝坊して遅れてくるかと思ったぜ」
2人の姿を確認して、
先に待っていたのだろう、
プログがニヤニヤ笑いながら、
手をあげている。
「うっさいわねー、
こういう時はちゃんと起きるわよ」
「あらあら、緊張感ないわねえ」
茶化すプログを軽く睨むレナと、
その姿を微笑ましい笑顔で見つめるフェイティ。
これから相手のワナかもしれない人物と、
会いに行くというのに、まったく緊張感がない。
「いいかしら? まずは相手の目的を聞くことが第一よ?
それで、場合によっては……」
「戦いもやむを得ない、ってことね。
わかっているわ」
「もしかしたらスカルドがいなくて、
敵や魔物がわんさか、って可能性もある。
気を引き締めていかないとだな」
だが、フェイティの言葉を皮切りに、
3人の表情は一気に変わる。
和やかムードが、
一瞬にして緊張感のある雰囲気に姿を変えた。
「よし、行きましょう」
レナは一言、そう呟くと玄関のドアをゆっくりと開け、
夜のセカルタへ繰り出していった。




