第22話:アックスの夜、二人の夜
「……」
「……」
アックス川の桟橋にいるアルトの元へ、
レナが合流してからすでに15分近くが経過している。
口をつけるのをためらう程に熱かったホットミルクは、
すでに生ぬるい液体へと変わっている。
だが、2人の間に言葉のやり取りは、
いっこうに生まれない。
(な、何しにきたんだろう……?)
アルトは気付かれないように、
チラッと横目でレナを見る。
コップを片手に、夜空の星々を見つめ続けているレナが、
そこにはいる。
てっきり何か話しかけられると思っていたアルトだったが、
そんな素振りはない。
というより、こっちをまったく見ていない。
まさか、夜空を見に来ただけなのだろうか?
それなら別にここじゃなくてもできるハズだ。
それに、ホットミルクを2つ持っているハズもない。
じゃあ、なんでわざわ
「……? どうしたの?」
ついさっきまで夜空に視線を送っていたレナが、
視線に気付いたのか、
いつの間にかこっちを向いている。
まったくの無警戒だったアルトは、
急に驚かされたかのようにビクッと体を震わせ、
そして焦りだす。
「え、いや、あの、レナって、
な、何しに来たのかなって……」
「あたし? あたしは夜空を見に来たのと、
アルトが出て行ったのが見えたから、
ちょっと気になって」
「そ、そうなん、だ……」
そう言うと、
アルトはレナから視線を右手に持つコップに逸らし、
すっかりぬるくなったミルクを一気飲みする。
「そっ。
やっぱり綺麗よねー、夜の空は」
その焦るアルトに特に構うこともなく、
レナはそう言うと再び、
夜空へ視線を向ける。
「……」
「……」
そして、言葉のない時間が戻ってくる。
……が、先ほどと違い、
今回はものの数十秒で、
その時間は終わりを迎えた。
「……理由、聞かないんだね」
今度は視線をしっかりレナに向け、
どこか意を決したようにアルトが口を開く。
「ん? 何の?」
「僕がここに来てた理由」
「……まあね。
だって、アルトから話してほしかったもん、そういうの」
まるでその言葉を待っていたかのように、
レナは小さく笑顔を作りながら、
今まで上空に向いていた視線を、
下に落とす。
「僕……から?」
「そう。だってバンダン水路に入った辺りから、
何か様子が変なのは、わかっていたしね」
「……気付いていたんだ」
「そりゃあ、ね。
ホント、アルトはそういうところわかりやすいもん、
表情とか行動にすぐ出ちゃうし」
「そう……」
「ま、その素直な所が、
アルトのいいトコでもあるんだけどね」
落ち込むアルトにそう言いながら、
レナは再び、視線を上空へと向ける。
夜空の星々、そしてその夜空に浮かぶ満月は、
明るく2人を照らしている。
「……どうやったら、
みんなみたいに強くなれるんだろう?」
それまで伸ばしていた両足を曲げ、
体育座りをしながら不意に、
アルトがぽつりと呟く。
「みんな……みたいに?」
「うん……。
レナとプログは戦っててすごく頼もしいし、
すごく強いよ。
それにローザも、
もちろん気術が凄いのもあるけど、
何ていうかこう、芯が強いというか……。
さっきのサンプル一号だって、
ローザのおかげで倒せた。
それに引き替え、
僕だけ何の役にも立ててない。
むしろみんなの足手まといになっちゃっている……」
「何言ってるのよ、アルトには治癒術があるじゃない」
「ローザだって治癒術は使えるよ。
それこそ僕なんかよりも、
よっぽど強力な治癒術を、ローザは使えるんだよ。
レナやプログみたいに戦えるわけでもなければ、
ローザみたいに、
2人のサポートをできるわけでもない。
僕が、僕が……弱すぎるから……」
曲げた両膝の上に顎を乗せ、
目の前に流れる川の水面にゆらゆら映る満月を、
ややうつろな目で見つめるアルト。
その瞳からは、
何の意志も感じ取ることができない。
「……」
一方、レナは夜空に浮かぶ満月を見つめ続けている。
いつの時からだろうか、
冷たい、本当に冷たいそよ風が、
2人の間をゆっくりと通り過ぎていく。
「……本当にゴメン。
僕がみんなみたいに強くなればいいんだ。
いつか、みんなの役に立てるように、
僕が頑張って追いつけばいいんだよね」
頭を2回、軽く左右に振り、
何かを吹っ切るかのように、
アルトがそう呟く。
先ほどまでは、
まるで死んでいたかのように見えたアルトの瞳も、
幾分か、光を取り戻しているようにも見える。
「ごめんね、何か気を遣わせちゃったみたいで。
何とか足手まといにならないように、僕も頑張るよ。
よし、風も吹いてきちゃったし、そろそろ戻
「無理ね」
そろそろ戻ろうかと、フェイティの家に帰るため、
体育座りを崩そうとしたアルトの動きを、
レナの言葉が押さえつける。
「え?」
思いもよらない言葉に、
アルトは思わずレナを見る。
いつの間にか、レナはその場に立ち上がっていた。
「みんなみたいに強くなればいい、って言ったわよね?
そんなの、無理に決まってるじゃない」
腰に右手を置きながらここでようやく、
レナは夜空からアルトへ視線を向ける。
「そ、そんなのやってみないとわからな
「いいえ、無理ね」
自らの決意を真っ向から否定され、
ややムッとした表情を浮かべるアルトの言葉を、
レナはさらにかき消す。
「プログにはプログの、ローザにはローザの、
そんでもって、アルトにはアルトの、
みんな違う強さを持っているんだから、
みんなみたいに強くなんてなれるわけないし、
なる必要もないじゃないの」
先ほどまで優しかったレナの眼差しは、
いつの間にか力強い、
何かを訴えかけるような瞳をしている。
「……」
2度も言葉を遮られたアルトは、
視線を下に落としてしまう。
今度は特に言葉を発しようとしない。
……が、レナは続ける。
「強くなりたい、って人はよく言うけど、
強さって何かしら?
魔物を倒せること?
何事にも動じない心を持つこと?
それとも、頭が切れること?
アルトがどう考えているかはわからないけど、
強さって、何でもいいんじゃないのかしら。
どんな些細な事でもいい、
あたしより何か優れているものがあれば、
それがその人の強さだと思うんだけど、違うかしら?」
「……それは強者の理論だよ。
レナは強いから、そういったことも言えるんだよ。
僕が言ったところで、その理論は誰にも通用しないよ。
ただの負け惜しみにしかとられないし、
僕自身、惨めな気持ちにしかならないよ」
視線を落としたまま、アルトは小さな声で、
川の流れる音にかき消されそうになるくらいの、
小さな声でぽつりと呟く。
徐々にではあるが、
2人の間を吹き抜ける風が強くなり、
レナ自慢の長髪が、
風に乗るようにフワフワとなびき始める。
その強くなった風を、
果たして2人にはどのように感じただろうか?
「……ねえ、アルトって、
何でファイタルを出てきたんだっけ?」
そんな風になびく髪を、手で軽く押さえながら、
レナがアルトに訊ねる。
「え? 母さんに会うためにだけど……」
「じゃあ、それやめる?」
「え!?」
レナの言葉に、思わず声を出しながら、
アルトが驚きの表情でレナの顔を見る。
そして、そのタイミングに合わせるかのように、
レナもアルトの目を見つめる。
その表情は、真剣そのものだ。
「この先、これから魔物との戦いは続くし、
シャックからも、そしてファースターからも、
あたしたちは狙われる。
魔物と人間、両方相手にしていかなければならない。
今以上に厳しい状況にな
「ダメだよ!! 絶対、そんなのダメだよ!!」
言葉の終わりを待たずして、
思わず立ち上がり、声を荒らげるアルト。
声を荒らげるとは言っても、
怒りとか、そういった雰囲気ではない。
感情どうこうという前に、
咄嗟に出た言葉といった雰囲気が近い。
「絶対に、母さんを見つけるんだ。
絶対に見つけて、必ずファイタルに一緒に帰るんだ。
ばあちゃんとも約束しているんだ、だから……!!」
グッと両手に力を握りしめながら、
レナの目を見続けながら話すアルト。
先ほどまでの言葉とは比べ物にならない程、
その言葉には力がこもっている。
一方のレナは、引き続き真剣な表情を崩さず、
ただ黙ってアルトの目を見ている。
……が、次の瞬間、
今まで真一文字に結んでいたレナの口元が、
フッ、と緩み始める。
そして、それに呼応するかのように真剣だった表情も、
徐々に穏やかなものになっていく。
「……それがあるじゃないの」
完全に穏やかな表情に戻ったレナは、
ふう、と小さく呼吸した後、そう切り出す。
「……え?」
「アルトには、それがあるじゃないの。
その気持ちが、お母様を絶対に探し出すっていう気持ちが、
アルトの何よりも強さじゃないの」
もう何度目のことか、思いもよらない言葉に戸惑い、
思わず力が抜けるアルトを横目に、レナは続ける。
「形の見える強さに居場所を求めすぎて、
何か大切なものを、忘れていたんじゃないかしら?
確かに目には見えないかもしれないけど、
想いも……想える強さも、
その人の立派な強さなんじゃないかしら?」
まるで落ち込む子どもを優しく見つめる母親のような、
穏やかな笑顔を浮かべながらそう言うと、
レナはクルッと体の向きを変え、
アルトに背を向ける。
「それに、最終列車で列車を止める時、
緊急レバーを倒せたのは、誰のおかげだったかしら?
あたし1人じゃ動かせなかったのを、
気術で助けてくれたのは誰だったかしら?」
「そ、それは……、
あれはもうちょっとやっていれば、
もしかしたら、レナの力で動かせたかもしれないし……」
「そんな呑気ことをやってたら、
ファースター駅で列車と一緒に、
ぺちゃんこになってたわよ。
ただでさえギリギリだったのを、
忘れちゃったかしら?
それと、地下水道であたしとプログが答えられなかった問題を、
咄嗟のひらめきで答えて救ってくれたのは、
どこの誰だったかしらね?」
「あれは……、
もしかしたらもうちょっとしたら、
どっちかが答えられたかもしれないし……」
「それこそ、さっきアルトの言っていた、
強者の理論ね。
もし、助けられたあたしが同じこと言ったら、
負け惜しみにしかならないわ」
アルトの自信なさげな言葉を、
次々と返していくレナ。
「実際、アルトのおかげであたしやプログは今、
ここにいることができている。
そのアルトが弱いってことは、
あたしとプログは、一体どんだけ弱いのかしらね?」
ここまで話した後、レナは再びアルトの方へ、
クルッと体を回転させる。
その表情は、まるでイタズラがバレてしまったことを照れ隠しする、
小さい子どものように、肩をすくめながら笑顔を見せている。
2人を吹き抜ける風は、相変わらずレナの長髪を、
ゆらゆらと揺らし続けている。
イタズラっぽく笑うレナの表情に、
風になびく、どこか大人びた雰囲気を醸し出す、
レナの長髪。
そしてレナの言葉。
様々なモノが、アルトの心の中に強く打ちこまれていく。
決して強引ではなく、
むしろアルトの思考や心に合わせるかのように。
「べ、別にそういう意味で言ったわけじゃ
「フフッ、冗談よ」
笑いながそう言うと、レナは両手を背中の後ろで組み、
再び夜空を見上げる。
光り輝く満月が、笑うレナの顔を、
ほのかに明るく照らし出す。
「あたし自身が強いか弱いかなんて、わからないわ。
だけど、これだけは自信を持って言える、
アルトのおかげで、
あたしはここにいることができている。
その事実は揺るがない。
その事実を認めるってことだけで、
今はいいんじゃないかしら?
自分が強いかどうかなんていう、
最高に曖昧なモノで悩むより。
少なくとも、そんなもので悩むなんてこと、
あたしは絶対にしたくないわね。
そんなんやってたら、
考え過ぎて、頭ハゲちゃうわ」
「は、ハゲちゃうって……」
アックス川を眺めながら、
アルトは軽く苦笑いしながらも、
レナの言葉が心の中の黒い霧を、
少しだけ打ち消してくれた、
そんな思いが体中を巡っている感覚を覚えていた。
目の前で起こり続ける様々な出来事にとらわれ過ぎて、
元々自分が何をしたかったのか、
何をすべきだったのか、
大事なことを忘れてしまっていたようだ。
ファイタルを出てくる、
最初の最初に決意した強い、確固たる強い想いを。
アルトは三たび、レナへ視線を向ける。
光り輝く満月は、相変わらずレナの顔を、
ほのかに明るく照らし出している。
その顏は、やはり輝いて見えた。
そう、以前、小屋に泊まったあの時のように輝いて見えた。
でも、前とはちょっと違う。
太陽と月の違いかもしれないが、
今回は眩し過ぎることはない。
アルトにも、しっかりその表情を見ることができる。
今なら言えるかもしれない。
レナによって気づくことができた、
強い想いを胸に持つ、今なら――。
「レナ」
「ん?」
「あの……セカルタまでローザを送ったら、その……」
「? 送ったら?」
下を向きながら、言葉を懸命に絞り出すアルトと、
その姿を不思議そうに見つめるレナ。
いつの間にか、先ほどまで吹いていた風は止んでいた。
「ぼ、僕と一緒にか、母さんを……探してくれない、かな?
あ! も、もし、ルインに帰らないといけないんだったら、
全然断ってくれてか
「いいわよ、別に」
断られてもいいようになのか、
妙な保険(?)をかけ始めたアルトの言葉を、
あっさりとしたレナの言葉が、
一瞬にして切り捨てる。
「え!? ほ、本当に!?」
以前、言いだすことができなかった小屋の時には、
レナはルインに戻ると言っていたため、
てっきり断られるとばかり考えていたアルトの表情が、
一気に明るくなっていく。
「まあ、クライドの一件がある前は、
ルインに戻ろう、って考えたんだけど、
状況が状況だしね。
それに、アルトのお母様も今回の一件に絡んでいるみたいだし、
ますます放っていくわけにもいかなくなっちゃったしね」
「あ、ありがとう!
よかった……本当に……!!」
「いえいえ、どーもですっと、
まったく大げさね」
まるで告白が成功したかのようなアルトの感動っぷりに、
やれやれ、といった感じに肩をすくめるレナ。
しかし、アルトからしてみたら、
それほど重要なことだったのだ。
「さて、と。
随分と遅くなっちゃったわね、
あたしはそろそろ寝るわ。
アルトはどうするの?」
話が落ち着いたところで、
レナはフェイティの家に向かって歩き始めようとする。
「あ、うん。
僕は、もうちょっとしたら帰るよ」
「あらそう。
ふわぁぁぁ……めっちゃ眠。
それじゃ、あたしは先に帰るわね。
人生相談にも乗ってあげたんだし、
明日あたしが起きられなかったら、
アルトがちゃんと起こしてよね、んじゃおやすみー」
妙に理不尽な言葉を残し、
レナは手を軽く振りながら、
フェイティの家へ戻っていった。
「ははは……わかったよ、おやすみ」
そんなレナの言葉に苦笑いしつつ、
同じく手を振りながら、
アルトはレナを見送る。
そして、おもむろにアルトは夜空を見渡す。
そして、どの星々よりも大きな光を放つ満月のところで、
その動きを止める。
アルトの心の中にこびり付いていた黒い霧は、
レナによって少しだけ打ち消された。
だが、まだまだこの満月のように光り輝くほどには程遠い。
だが、それ以上に、
アルトの中には光を見出していける、
そんな希望が生まれていた。
レナは大げさね、と言っていたが、
アルトにとって、レナと旅を続けるということは、
特別な意味を持つことだったのだ。
それは、レナがいれば心強いということもあるが、
それ以上に、レナと一緒に旅ができるという、
2つの想いがあるからだ。
レナと旅することによって、
色々なことを知ることができる。
世界のことを、世の中のことを、自分のことを、
そして、レナのことを。
もっと色々なことを知りたい。
知って、自分自身を成長させたい。
それが、母親を探し出す近道なのかもしれない、
そんな想いが、アルトの中で膨らんでいったのだ。
(レナ、ありがとう)
心の中で一言、そう呟くと、
アルトはレナが持ってきてくれた、
ホットミルクの入った2つのコップを持つと、
桟橋を後にして、フェイティの家に戻っていった。