第215話:その者とは
「……うーん」
とはいえ、本人は決して、
納得しているわけではなかった。
「なーんか、引っかかるんだよなぁ……」
先ほどまで一緒にいたローザは店の奥へと消え、
一人ポツンと店に残されたフロウは、
解せぬ表情をしたまま、
しきりに首をひねっている。
引っかかっている事というのはもちろん、
レナの事だ。
レナの事について訊ねてみた、
そのローザからの返答がなかったことについて、
フロウはそれ以上の追及をしなかった。
だが、それはあくまでも、
何も知らないであろうローザを、
これ以上困らせることはやめようとした、
それだけであって。
「絶対、どこかで見たことがあるんだよな……」
フロウ自身が納得した、という訳ではなかった。
「いつの時だったっけな……」
その事に思考を費やしすぎ、
少しばかり酔いが覚めてしまったフロウは、
よっこらしょと重たい腰を上げるとカウンターへと趣き、
彼にしては珍しく、ただのお冷の入ったコップを手に持ち、
再び店の椅子へと腰かけると、
「たぶん、ガキの頃だと思うんだよな……。
ここ最近レベルなら、
間違いなく覚えているだろうし」
と、再び思考を現在と過去へゆだねてみる。
少々口の悪いが、長い金髪が特徴的な、
端正な顔立ちをした女の子。
その姿、フォルムだけを切り取って記憶内と照合するならば、
おそらく同一人物を探し当てることはできない。
だが、今のフォルムで探し出せなくても。
「なーんかあの面影、
どこかで会っているような気がするんだよなぁ……」
面影。
そう、かつての姿を残している、
面影を頼りに記憶をたどるのなら。
それならばおそらく、
フロウの記憶から何かを、呼び起こせる。
「ガキの頃、ねえ……」
……かもしれない。
なぜ、断定できないかというと。
「……ガキの頃、か」
ポツリと、そう言っただけでフロウは。
「ま、どうでもいっか……」
次の瞬間、どことなく投げやりな言葉を、
発していた。
そこに先ほどまで必死に過去の記憶を引っ張り出そうとする、
彼の姿勢ではない。
まるで探し物のためにタンスの引き出したものの、
突然その引き出しをバタンッ! と閉じるかのように。
今までの要素を、その言葉ですべて寸断するかのように。
「ガキの頃の話なんざ、
どうでもいいわ」
どこか、他人行儀の様相を呈しながら、
フロウは言った。
だがそれは間違いなく、自分自身に向けた言葉でもある。
それでも急によそよそしく、そう言ったフロウは。
「今の俺は、政府をぶっ倒す組織、
暗黒物質の剣のリーダーのフロウだっつーの。
死んだも同然のガキの頃の話なんざ、」
自嘲気味に笑う青年はくたびれた机の上に置いてある、
瓶の中にわずかに残った高アルコール度数を誇るウイスキーを、
グビッと口の中へと流し込み。
そして、
「どうでも、いいわな」
その言葉とは裏腹に、
もう一度、その言葉を発した。
どうでもいい。
ならば固執する必要のない、
誰も気にかける事のない些細な事。
の、はずなのに。
「どうでも……」
青年は執拗に、意図的に、
その言葉を繰り返す。
まるで誰かにその言葉を、
聴いてほしいかのように。
あるいは自分自身に、
その言葉を改めて言い聞かせるかのように。
「いい……」
そして、最後まで言葉を紡ぐ、その直前で。
「……」
ピタリ、と。
フロウはまるで時間が停止したかのように、
その動きを止めて。
「――――っ、ワケねえよ」
それまでの自分を否定する、
真逆の言葉が、彼の口から零れ落ちる。
だが、続いて。
「どうでもいい、ワケない」
今度はしっかり、自らの意思で、
その言葉を口にしたフロウは。
「アイツのためにも、
どうでもいいなんて、絶対に言えねえ」
今一度、その言葉を自らに繋ぎ留めた。
誰に言う訳でもない、誰かに聞いてほしいわけでもない。
ただただ、自分のために。
そしてフロウは徐々に、
その発する言葉に熱を帯びさせて。
「アイツとの約束を果たすためにも……。
アイツの無念を晴らすためにも……」
小一時間でウイスキーひと瓶を空けたとは思えないほど、
一切の酔った雰囲気を抹消した、反政府組織のリーダーは。
「俺は、やらなきゃいけねえ」
最後は再び、自分に言い聞かせるようにして。
「そのために、俺はすべてを捨てたんだから――」
青年は己の中で、そして極寒のディフィードの地で、
闘志という名の炎を静かに、それでいて確実に燃やしていく。
「ぶえっくしょいッ!!」
どこぞのオヤジがするかのような、
豪快なくしゃみが、あたり一面に響き渡る。
「ったく、うるっせえなあ……。
何回も言ってるけどお前、
そのバカみたいにデカいくしゃみ、
何とかなんねえのかよ?」
気温40℃を超える酷暑の中で、
げんなりした表情でプログから、
そのくしゃみに対して文句を言われるが、
「しょうがないでしょ、
あたしだってワザとやってる訳じゃないんだし」
その不快指数絶賛爆上がりの中、
バカみたいにデカいくしゃみを響かせた張本人、
レナは歯牙にもかけない。
「……むしろその騒音レベルを故意にやっていないとなると、
その方が俺はよっぽど問題だと思うが」
続いてスカルドからも、
まるでまち針でチクリと刺すかのようなお小言を喰らうも、
「くしゃみの大きさは親方譲りなのよ、
親方の方がもっと大きいんだから」
その手の話はもう慣れています、
とばかりにレナはすぐさま、反論する。
「ってか、口くらい抑えるでやンス!
百歩譲ってうるさいのは仕方ないにしても、
口を抑えるくらい、集団行動の中では、
最低限のマナーでやンス!!
それに、せっかくこの大陸まで、
誰にもバレずに来れたってのにデカいくしゃみをして、
もし誰かに見つかりでもしたら!!」
などと、ファースター騎士隊元3番隊隊長が、
なにやらブツクサ行っているのを聞き、
「うるさいわねー、
あたしのくしゃみなんかより、
今のあんたの声のほうがよっぽどうるさいじゃないの」
「レナのせいでやンス!!
そもそもレナが、うるさいくしゃみを
「あーはいはい、分かった分かった、
あたしがわるうございましたっと」
なんだか面倒なことになりそうだと感じたレナは、
自分の非をそれとなく認め、
イグノのアヒル口を強制閉口させた。
ただでさえ。
「あっつー……」
手で扇ぎ気休め程度に、
風を顔に送ってみても、
涼しいという感覚が、皮膚からまったく感じ取れない。
むしろ生暖かい風が汗滲む顔へと漏れなく直撃して、
不快指数がさらにうなぎ上りなところに、
言うても正論に近いクレームを被弾するとなれば、
否が応でも拒否反応を示したくもなるものである。
ウォンズ大陸。
この世界、グロース・ファイスに存在する4つの大陸において、
平均気温がもっとも高い大陸である。
しかも僅差でとか、そんな接戦レベルなものではない。
断トツ。
断トツも断トツ、ぶっちぎりの1位で、
気温が高い。
年中雪に覆われているディフィード大陸とは、
文字通り真反対の気候を持つ地、
それが今、レナ達が歩いているウォンズ大陸である。
見渡す限りに広がるのは何の面白みもない、
まるで巨大な絵画を延々と見せられているかのような、
何も変わることのない、延々と続く砂漠の風景。
草木など、生えていない。
無論、川や湖なども、存在しない。
そこに存在するのは、圧倒的な砂の大地のみ。
加えて、稀に飛び出してくる。
「シャアァァァァァッ!!」
「あーもう、うるせえなあ。
これで何匹目だっつーの」
ヒュンッ、と。
ダルそうにしながらもプログは右手に持つ短剣で、
襲い掛かってきたこの地に住む飛翔型の魔物であるサソリ、
フライピオンを真っ二つに切り落とす。
全長でおよそ20センチ近い、
フライピオンから耳をつく甲高い断末魔と共に、
バサッ! と地に落ちる、
その魔物を見て。
「ったく、あぶねえなあ……。
致死量の毒持ちとか、勘弁してほしいぜ……」
プログはため息交じりに言う。
サソリ型の魔物だけあって、
やはりその針には毒が含まれている、
というのはセカルタが生んだ天才少年、
スカルドからの忠告である。
そう、砂漠の大陸というだけあり、
今まで見たこともない、
狂暴、というわけではないものの、
毒やマヒといった恐怖に近い魔物に、
頻繁に襲撃されているという、この現状が、
暑さに参っているレナ達にさらなる圧力を負荷させている。
例えば、ただチカラが強い魔物であれば、
一撃は強烈かもしれないが、
それ以上に体を鍛えていれば、
その一撃が致命傷となることはない。
だがその一方で、一撃に破壊力はなくとも、
その一撃に、猛毒が仕込まれていたら。
考えるだけで、ゾッとする話のはずである。
……はずである。
の、だが。
「それにしても、すごい頻度ね。
これで7匹目、くらいかしら?」
「……13匹目だ。
全然違うぞ」
「スカルド……お前、わざわざ数えてたのかよ?」
「暇だったからな」
「暇だった、じゃねえ!
だったらお前も倒すの手伝えや!!
なんで俺ばっかり矢面に立たせてんだよ!?」
不快な世界の中でチリのように積もっていたプログのストレスは、
今の天才少年の言葉でおそらく決壊したのだろう。
4人の中でもっとも前を歩いていた元ハンターが、
恐怖という感情などどこかへ放り投げると、
なにやら1人で騒ぎ始めた。
「しょうがないでしょ。
あたしは女性、
スカルドは子ども、
イグノはポンコツ。
となれば成人男性であるあんたが、
先頭に立って行くしかないじゃないの。
それとも何? か弱い女性や子どもに、
危険な道を真っ先に進ませる訳?」
「こんな時だけ女とか子どもとか、
都合よくステータスを使うんじゃねえよ!!
男女平等のこのご時世に、時代遅れも甚だしいがな!!」
レナは、第三者が見たとしても小憎たらしいと思うくらい、
冷静な意見を述べたところで、
元ハンターの騒ぎは収まらない。
さらに、
「男女平等の概念は、あくまでも男性と女性という、
二つの属性によって成立するものだ。
そこに子どもという、
性質を異にする要因を直接的に介入させる行為は、
客観的に捉えて明らかな誤
「だあぁぁぁぁっ!
てめえはてめえでド正論を言ってくんなッ!!
今、そーゆーのは要らねえんだよ!!」
天才少年様の、ぐうの音も出ない正論に、
やはりギャーギャー騒ぎ続ける、年長者の男。
「ったく、ホントにうるさいわねー。
誰かに見つかったらどうすんのよ?」
「お前は少し黙ってろ!
こっちがまだ処理しきれてねえのに、
話を被せてくんじゃねえぇぇ!!」
のおぉぉぉぉぉ!!! と、
どうにも立ちいかなくなり、
魂の叫びを心の底から吐き出すプログの、
その横で。
「あのぅ……。
俺のポンコツって部分は、
誰もツッコんでくれないでやンスか……?」
言うなれば一人だけ、
思わぬとばっちりを受けることとなったイグノは、
誰かに聞こえるほどの声量を出すわけでもなく、
何とも寂しげにポツリと呟くしかなかった。
「まあ、プログが騒いでいるのはさておき、として」
そんななか、
ふとレナは今まで孤独だったイグノのほうへと視線を向け、
「そういえばイグノ、
一つ聞きたいことがあるんだけど」
「へいへい、何でやンスか」
どうせ俺は一人だけ適当な扱いでやンスよとでも言いたげに、
まるでお菓子を没収された子供のように、
ぷーっ、と膨らませるイグノに対して
「この前話してた1番隊隊長、だっけ?」
ツッコんだら絶対面倒くさいと確信するレナは、
その態度に一切触れることなく、話を先へと進めた。
「名前ってなんていうの?」
「? 1番隊隊長の名前、でやンスか?」
「そっ。
好戦的で残忍なヤツ、
ってのは分かったんだけど、
肝心の名前を聞いてなかったな、と思って」
「俺も同意だ。
これから突如遭遇する可能性もあるし、
向こうから名乗ってくる保証などない。
もしお前が知っているのなら、
そいつの名前についてはしっかりと共有しておくべきだ」
レナに続いて、スカルドが口を挟む。
周りにじんわりと、
汗が滲みながらもやはり12歳の少年とは思えぬ、
まるで鷹が獲物を狙うかのような、鋭い目つきのままで。
「オイ、道化。
そのサイコ野郎の、
外見の特徴と名を教えろ」
「そうね。名前だけじゃ、
誰かが判断つかないし、
見た目で何か特徴があれば、」
初見の人物でも、
それが誰かを特定することが、できるかもしれない。
それは、相手がおそらく自分たちのことを知っているという、
スタートラインからすでにビハインドを背負っているレナ達にとって、
相手との差を埋める、大きな要因となる。
レナもおおむね、スカルドの意見に同じだった。
「……ま、レナとスカルドの言うとおりだな。
てなワケでぜひご教示いただこうかね、
元3番隊隊長さんよ?」
さっきまでふくれっ面でいたプログも、
ここだけは真面目に、とばかりに、
ポリポリと頭をかきながらも、
狂気の1番隊隊長と元盟友であるイグノへと、
話を投げかけた。
「特徴も、でやンスか、
うーん……」
俺もあんまり直接会ってないから、
と悩むイグノはそう前置きしたうえで。
「今更な情報でやンスけど、性別は男で、
髪の色は確か銀で短髪。
背は小柄な方だと記憶していたでやンス。
年齢でいえば……そうでやンスねぇ、
天才少年君以上、レナ未満ってとこでやンスかね」
「え、ってことは10代中盤じゃないッ」
「オイオイ男、ってか少年じゃねーか」
狂気の最強隊長という文字並びから、
屈強な30代前半くらいの男を想像していたレナ、
そしておそらく同じ感覚でいたであろうプログは、
唐突にイメージ図が崩れ、わずかに動揺を見せる。
自分より年下の少年が、
他の7隊長をはるかに凌駕する実力を持つ凶戦士。
その衝撃だけで、
レナの思考に相当な衝撃が打ちつけられる。
その中で、イグノは続けた。
「んで、1番隊隊長の名は――」
次回投稿予定も含めて、今後の更新についてお知らせがあります。
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