第213話:ガンチさん
コンコン。
わずかに腐食した玄関の扉を、
アルトが二回ほど軽く叩くと。
程なくして。
「ハイ、どちら様でしょう?」
くたびれたドアの向こうから顔を出したのは。
「あ、えっと……」
その姿にアルトは困惑の色を示す。
そこにいたのは、おじいさん……ではなく、
見た目はスーシアと同じ歳くらいの、
白銀のショートヘアをわずかに揺らした若い女性。
「その……」
照れ隠しとばかりに自分の頬をポリポリ掻きながら、
アルトは適当なつなぎ言葉を呟きつつ、
次の言葉を探した。
想定外。
今の気持ちを表すならその言葉でしか、ない。
アルトの記憶が正しければ、
スーシアから聞いていたガンチという男は、
かなり歳を重ねた老爺であるはずだ。
しかし今、目の前にいるのは、
明らかかにその特徴とはかけ離れている若女。
もしかして。
(また、おっさんスーシアと同じパターン……なのかな?)
アルトの脳裏にふと、
あの記憶がよみがえる。
それは、しばらく前の出来事。
このディフィード大陸の王都であるキルフォーで、
暗黒物質の剣のリーダーであるフロウから、
まずはスーシアへ会うよう頼まれたアルト達。
そのスーシアのことをフロウは、
“おっさん“と称していた。
その言葉を受け、アルト達はてっきりスーシアを、
40代半ばくらいのおじさんという人物像を浮かべていた。
その中で対面した本物のスーシアは、
物静かで上品な若い女性という実像だった。
もっとも“物静か上品”という冠言葉は、
その後すぐに消し去られることとなるのだが、
いずれにせよ、スーシアの外見を隅々まで観察しても、
どこにもおっさん要素はなく、
それはそれはアルトを含め、
フェイティ、蒼音も困惑したものである。
そして、今。
(うーん……)
再び似たような状況に見舞われた、この中で。
(スーシアの時みたいに、
またこの人がじつはガンチさん、
だったりして……?)
そんな疑念が、
どこからともなく湧き出てきてしまう。
(いや、さすがに二回連続で、
それはないと思うんだけどなぁ……)
いや、もしかしたらただの考えすぎかもしれない。
でも、今までは――。
(暗黒物質の剣の中ではこういう、
全然見た目と違う特徴を言うのが、
ルールなのかもしれないし……。
あーもう、訳がわからな
「えっと、何か御用でしょうか?」
アルトが雑念と格闘しているさなか、
唐突な訪問に加え、急に言葉をなくす来訪者に、
やや訝しげな思いを持ったのか、
女性から先に声をかけられてしまった。
「あ、いや、えっと……。
僕らは――」
しどろもどろに、
アルトが言葉に困っていると。
「えっと、
もしかしてガンチ様に、何か用でしょうか?」
「あ……!」
その言葉を、アルトは聞き逃さなかった。
すかさず、
「そ、そうです!
僕たち、ガンチさんに用があって……!」
自分でもわかるくらいに早口で言って、
「えっと……シックディスにいるスーシアさん、
から伝言を頼まれてッ!」
続けて、本来の要件を女性へと伝えた。
もしかしてガンチ様に、何か用でしょうか?
家から姿を見せた女性は、確かにそう言った。
自分以外の特定の名、
ガンチという名前を、名指しで挙げる。
それはすなわち、
彼女がガンチという人物ではないことを意味する。
そして、それはつまり彼女とは別に、
ガンチという人物が、ここに住んでいるということになる。
ともなればガンチ“様”と呼んだ彼女は、
使用人か、何かなのだろうか。
いや、今のアルトにとっては、
そのようなことはどうでもよかった。
彼女は、ガンチではない。
それが分かってしまえば、
何も深く、考えることはない。
アルトの疑問はまるでチリ紙のように、
どこかへ軽く吹き飛んでいった。
もっとも彼女の、その言葉から明らかに、
口数が増えたことにより、
若干の怪しさが目についたのではと、
アルトは少しヤキモキした部分があったのだが、
どうやら思い過ごしだったようで。
「そうでしたか、皆様はスーシア様のお知り合いでしたか。
ガンチ様に確認しますので少々、
お待ちくださいませ。
あ、ちなみにお名前をお聞きしてよろしいでしょうか?」
その女性からの、それ以上の追及はなかった。
ひとまず第一段階は突破と、
アルトはほっと胸をなでおろし、
「あ、はい。
僕はアルト・ムライズです。
この二人がフェイティと蒼音といいます」
「どうも、BBAです♪」
「はじめまして、こんにちは」
「アルト様にフェイティ様、
それに蒼音様ですね。
かしこまりました、それでは少々お待ちくださいませ」
名乗り出たアルトに深々とお辞儀をしたのち、
女性は扉を開けたまま、家の中へと消えていった。
(……)
(……)
(……)
フルオープンとなったままのドアの前に立つ、
来訪者である3人。
(……あれ? これってもしかして)
礼儀上ドアは閉めておいたほうがいいのかな、
とかアルトがぼんやりと考えていると、
立ち去ってからものの10秒もしないうちに。
「お待たせいたしました。
中でガンチ様がお待ちですので、
どうぞお入りください」
再び姿を現した女性は、
来客を快く迎えるように、
屈託のない笑みを浮かべてアルト達を中へと招き入れた。
スーシアという名前を出したおかげだろうか、
どうやら警戒などはされていないようで。
「すみません、ありがとうございます。
……それではお邪魔します」
頭頂部や肩に降りかかった雪を玄関で軽く振り払い、
アルトは会釈をしながらガンチの自宅へと入っていく。
「遠路はるばる、ご苦労じゃったな」
リビングと思しき開けた室内へと入るとすぐに、
そこには齢にして70後半に見えそうな老人が、
笑顔で声をかけてきた。
「どうも、お邪魔します。
突然お伺いしてすみません」
「なに、気にすることはない。
もとより他の街からの来客もほとんどないしの、
突然でもなんでも来るもの皆、大歓迎じゃよ」
まるでサンタクロースです、
とでも言わんばかりに立派に拵えた白髭をなでながら、
その老人はホッホッホ、と笑う。
「えっと、あなたがガンチさん、ですか?」
「いかにも。
儂がガンチじゃよ。
主ら、スの字知り合いと聞いたが」
「スの字……?」
「スーシアのことじゃよ」
「え、あ、はい。
そうです」
「スの字と知り合いとなると、
リーダーの事も知っておるかの?」
「リーダーというと……フロウさんの事ですか?」
「うむ、そうじゃ。
フの字がすぐ出てきたということは、
確かに関係者の者じゃな」
そう言ってガンチは、再び笑う。
(あれ?
もしかして今、試されたのかな?)
などと、名前の呼び方といいアルトは少し引っかかる部分があったが、
「すまんな、若いの。
別に主らを試すつもりはなかったんじゃ」
その思考をまるで見透かしたかのように、
ガンチは再び、口を開く。
ハッとするアルトに息つく間も与えず、
「ただ、主らなら分かってくれるだろうが、
我々の組織は、決して今の政府に知られてはならぬのじゃ。
ひとたび、存在が知られてしまえば、
ドルジーハは全兵力をもって、
我らを潰しにかかってくるだろう。
そうなってしまえば、
我々、暗黒物質の次に勝ち目はない」
「…………」
「秘密にして、奇策。
相手にその存在を知られず、
かつ、相手が予期せぬ手段をとることで、
初めて我々の存在意義があるのじゃ」
老人らしい、まるで子守唄を聞くかのような、
ゆったりとした口調で話す、その中にも。
「ゆえに、外部からの人間を、
俄かに信じることは、立場上できんくての。
それが参謀を任されている身としては、
なおのことのなんじゃよ」
どこか、相手を説き伏せるような。
決して相手を、上の立場とさせないかのような。
口調のなかの鋭さを内包する、
今、目の前で話すお年寄りの老人に。
対して。
「…………」
アルトは、何も言うことができない。
「ふぉっふぉっふぉ、
少し意地悪してしまったかな」
ガンチはまるで子どものように、
アルトのその姿にいたずらっぽく笑顔を向けると、
「さて、本題に入ろうかの。
スの字に頼まれて、
まさかここまで観光をしに来たわけではないじゃろ?」
先ほどの使用人と思しき女性が運んできた、
ホットミルクに口をつけながら、事を切り出し始めた。
「あ、はい。
えっと……」
唐突に話のベクトルが正常な向きに修正され、
アルトは少々面食らった部分があったが、
それでも気を取り直して、口を開く。
「スーシアさんからの伝言で、
時が来ましたので準備をお願いします、だそうです。
そう言ってくれればガンチさんなら分かってくれる、
とのことなのですが……」
「ほう、そうか。
しかし、ここへきてフの字も、
ずいぶん急に決断したのう。
何かあったのかの?」
「あ、えっと……すみません、
僕たちは伝言してくれればとだけ、
スーシアさんから言われまして……」
「おお、そうじゃったな、
すまんすまん。
ま、少々やぶさかではある気もするが、
フの字の事だ、何か考えあっての事だろう」
「ずいぶんとフロウくんに、
絶対の信頼を置いていらっしゃるのですね。
さすがは反政府組織を束ねるリーダー、
てところかしら♪」
「まあのう。
あやつのカリスマ性は、
ワシも長年生きてきたが、
もしかしたら一番かもしれんからの」
「ふーん、そう、なんだ」
アルトにはどうにも最初に出会った、
ウイスキー瓶片手に千鳥足で街をふらついていた、
あの印象がチラつくため、
なんとも中途半端な相槌となってしまったが、
ガンチがそこに触れることはなく、
「そう、あやつは人を惹きつける、
力を宿している。
世に言う、『持っている』というヤツじゃな」
「持っている、かあ……」
再びどっちともつかない反応を示すアルトだったが、
「もっとも、
あやつならそれくらいのカリスマ性、
幼い頃から持っていて当然なんじゃがな……」
「……?」
ふと言葉を溢すようにして言った、
そのガンチの言葉に、違和感を覚えた。
幼い頃からカリスマ性を持っていて、当然?
(ガンチさん、昔からフロウを知ってたのかな?)
言葉から考察するに、そういう結論になる。
ガンチは確かに高齢ではあるし、
暗黒物質の剣のメンバーの中でも最古参と聞かされている。
ゆえに、組織結成当初から、
フロウの事を知っていても、何もおかしなことではない。
だが、それはあくまで組織結成という期間の話であって、
フロウの幼少期の部分まで、その効果が及ぶものではないはず。
だが、先ほどガンチが口にした言葉は、
明らかに何かを含んだものだった。
嘘とかハッタリとか、
そのような類のものではない。
まるで本人が身内であるかのような――。
(あ、もしかして――)
と、アルトがなんとなしに仮説を象ろうとした時に、
「そうじゃなきゃあ、
赤の他人であるワシが、
この歳になってまで動くことはなかろうて」
(あれ、違う……)
その仮説らしき具象ははかなく霧散した。
本人から“赤の他人”という単語が出てきた以上、
ガンチ身内説は、その一切が成立しなくなる。
ゆえに。
(そういえばフロウの両親とか、
小さい頃の話って)
全然聞いたことないなあと、
アルトは思うしかない。
フロウが今、反政府組織である暗黒物質の剣のリーダーとして、
反乱分子の陣頭に立っていることは、もちろん周知の事実。
だが、彼の私的な部分については。
(こっちから聞かなかったってこともあるけど……)
そういえば、全然知らなかった。
正確に言えば、知ろうともしていなかった。
フロウはなぜ、暗黒物質の剣を組織しようとしたのだろうか。
もしかしたら、幼いころにそうする理由があったのだろうか。
何の気もしない当たり前と思ったことが、
実は当たり前ではなく、そこには何か思慮するものがある。
リーダーとしてメンバーを率いるフロウにも、
何か理由があって、しかるべき。
彼の過去には、その行動が帰結する、
何かがあったのだろうか。
あるいはその答えを、
ガンチは知っているのかもしれない。
「ふぉっふぉ、要らぬ話をしてしまったの」
だが、アルトの思考が交通整理をし終える前に、
ガンチが一足早く、口を開いていた。
「まあ、いいじゃろ。
今はともかく、話を進めようじゃないか。
フの字がそこまで急いで話を持ってきたんじゃ、
こちらとてのんびり茶をシバいている訳にもいかんしの」
「え、はあ……。
まあ、そうですね――」
茶じゃなくて飲んでいるのはミルクなのにという、
初歩的なツッコミすら思いつかないほどに、
アルトはどうにもまとまらない脳の中で、
そう言うしかない。
「さて、そしたらスの字の伝言通り、
こちらも動くとするかの」
言うなり、
よいしょと言いながらガンチは、
ゆっくりと自らの腰をあげる。
「ガンチさん、何を――?」
アルトの問いに対し、
「決まっとるじゃろ、
現政府をぶっ倒すための、作戦会議じゃよ」
言って、
ガンチはまるで悪ガキが浮かべる笑顔のごとく、
ニカッといたずらっぽく笑った。
次回投稿予定→5/31 15:00頃




