第196話:怖いヤツ
「どうしたんですか、そんな慌てて。
今、お客様が来ていらっしゃるのに、
いきなり入ってくるなんて失礼じゃないですか」
突如の来訪にも関わらず、
スーシアは冷静沈着といった面持ちで語りかけるが、
「す、すいやせん……!
でも!」
長い距離を走ってきたのか、
はたまた全力でここまでダッシュしてきたのかは不明だが、
乱れる息もそのままに男は、
「またアイツらが……!
ジョンとダーフの野郎共が、
村のど真ん中でドンパチを始めやがって……!」
「……何ですって?」
語ったその瞬間、ピクリと。
それまで穏やかだったスーシアの表情。
その眉間に、わずかにシワが生まれる。
「また例の件で騒ぎ始めやがって……!」
俺達じゃどうにも止められなくて!!」
申し訳ないッス! と、
男は何とも強い悔いの念を前面に押し出し、
深々と頭を下げる。
あまりに突如の出来事に、
アルト達の頭の中は、
絶賛?マークが行進中である。
どうやら何かよろしくないことが起きている、
そのくらいの認識はできるのだが如何せん、
何が何だか良く分からない。
だが、同時に大の男が、
こんなか弱き女性に対してケンカを止めろなどと、
くらいのことを少しだけ理解していた、
その中で。
「もう……しょうがないですねぇ……」
やれやれ、と。
深いため息をついたスーシアは、
まるで面倒な宿題を片づけない、
とくらいの雰囲気におもむろにその場で立ち上がる。
「スーシア……さん?」
アルトほか、フェイティや蒼音も、
ポカンとした表情を見せているが、
「すみません、ここで少しだけ、
お待ちいただいてよろしいでしょうか」
「え?」
「外で村の者同士がケンカしているみたいで……。
ちょっと止めてきますので、
このままちょっとだけ、待っていてください」
「え? でもケンカを止めるって……」
一人だなんて危険ですよ、
とアルトは言いかけたのだが、
「ではちょっとだけ、すみません」
その言葉を発する猶予すらもらえず、
スタスタと玄関へと歩き出すスーシアは、
あっという間にリビングから姿を消してしまった。
「すまんね、客人。
すぐに戻ってくるから、
それまでちょっとだけ、
ここで大人しくしていてくれ」
そんじゃな、と。
乱入してきた男も続けて、
有無を言わさずこの場から立ち去っていく。
あっと言う間に取り残された、
来訪者3人。
「えっと……」
困ったことになったのは言うまでもない。
とにかく何が何だかで、
現実に思考が追いついていっていない。
ようやくスーシアの家を探し当てた、
ここまではよかった。
だが、おっさんだと聞いていたスーシアは若いお姉ちゃんだし、
本題を切り出す前に突如として目の前からいなくなってしまうし、
息つく暇もなしに、予期せぬ現実が次々に襲い掛かってくる。
「あらあら困ったわねえ。
BBA達、おいてけぼりにされちゃったわね」
ホットミルクを匂いだけをしみじみ味わいながら、
何やらフェイティが呑気な事を口にしているが、
実際としては、そんな余裕をかましている場合ではない。
「なんか……とにかく色々と、
謎が多すぎるんだけど」
「そうですね。
フロウさんはスーシアさんは男性、
と仰っていたと思うのですが……」
「BBA、あのかわいらしい女性が、
さすがにおっさんには見えないわねえ」
どうやらあの女性がスーシアだったことへの驚き、
という見解は3人とも一致しているようだった。
だが、見解の一致を確認できたところで、
疑問が解決するわけでもない。
「てか、フロウさんは何で、
スーシアさんのことをおっさんって言ったんだろ……?」
結局、その疑問は残ったままだ。
「うーん……。
ああ見えて実はすごく歳を取っていたりとか、
かしらねぇ。
実はBBAよりも年上とか」
「うーん……どうだろうね……」
「でも見た感じは20代前半くらいな気もするし……。
うーん、さすがにBBAよりも上、
なんてことは考えづらいかも」
「うーん、どうなんだろうね……」
フェイティの言葉に、
アルトは凄まじく歯切れの悪い返答を選んでみる。
女性に対しての、年齢の話題。
そのテの話が非常にデリケートなモノであることくらい、
アルトにも理解できる。
いくら相手がのほほんオーラ全開のフェイティとはいえ、
迂闊な言葉を発することは厳禁。
仮に先ほどのフェイティの言葉に対し、
“いや、そんなことないと思うけど”という、
否定の意志を示せば、
目の前のBBAより、
“あらあら、私はそんなに老けて見えるかしら~?”
とクレームをくらうのが目に見えているし、
かといって“その可能性もあるかもね”という、
肯定の意志を示しても、
“あらあらアルト君はスーシアさんが、
そんなに年上に見ていたのね~”などと、
あらぬ疑い(?)をかけられるかもしれない。
つまり、どっちの意見を支持したとしても、
行きつく先は袋小路であり、
アルトにとって、何らメリットがない。
ゆえに少年は、
中途半端な立場でいることを決めたのだった。
どうだろうね、あるいはどうなんだろうね。
その言葉に、とにかく徹することにした。
結局、何の答えを選んだところで、
疑問を解決する術にはならないのだから。
と、アルトがそんな曖昧な思考に神経を尖らせていると。
「それはそうとスーシアちゃん、
大丈夫なのかしら……?
村の人たちのケンカを止めに行ったみたいだけど……。
BBA、ちょっと心配ね」
「確かに……。
私達に村の入口で絡んできた、
あの人達のような怖い人だったら……」
一人じゃまずいのではと、
蒼音は心配そうな表情を浮かべている。
そして実際、それはアルトも感じていて、
「確かになあ。
何か買い物行ってくる、
みたいなノリで出て行ったけど……。
大丈夫なのかなあ」
ポツリと、誰に言う訳でもなく呟く。
スーシアは、女性だ。
しかも、蒼音とそれほど変わりない年齢と思しき、
若い女性である。
使用人みたいな恰好をしていた先ほどの風貌を見る限り、
とてもじゃないが、腕っぷしの強いようには見えない。
いや、むしろどちらかと言えば勇敢や豪傑、
といった言葉とは正反対に位置する、
見るからに物静かで温厚そうな、
か弱い女性としてはごくごくありきたりの出で立ちだった。
そのごくごく平凡な体型をした女性が、
おそらく男同士であろう、
ガチンコのケンカの仲裁へと向かった。
しかも、手に何も持たずに。
いわば、丸腰の状態で。
これで心配するなと言う方が、
どだい無理な話であって、
むしろ見殺しに近いレベルで、
ひどい罪悪感に駆られることになる。
(助けに行った方が……)
いいのかなあ? と、
思わずにはいられない。
先ほど自分達が村の入り口付近で絡まれた、
何ともガラの悪い男3人衆の姿が、ふと頭によぎる。
女子供に対し、何のためらいもなく、
何の羞恥もなく、武器を片手に詰め寄ってきた、
あの、残念な愚の集団。
アルト、フェイティ、そして蒼音。
3人で立ち向かった時すら、
アルトは恐怖を感じた。
あの修羅場と言っていい状況に、
丸腰の女性が、放り込まれたとしたら。
(……いやいやいや、どう考えても危なすぎるでしょ)
行く末は、火を見るより明らかだ。
危険なのは、誰でもわかる。
「スーシアちゃんはここで待ってろ、
って言っていたけど……。
BBA、不安過ぎてしょうがないのだけれど」
「私も、です。
スーさん、大丈夫でしょうか……」
なおもスーシアの身を憂う、女性陣たち。
そして、その想いはアルトも変わらない。
スーシアは確かに、
アルト達にここで待っていてくれ、と言った。
だが、一抹の不安は、決してぬぐえない。
ゆえに。
「ちょっとだけ、
様子、見てこようかな……」
アルトの口からその言葉が出てきたのは、
ごくごく自然な流れだった。
「そうね、
いくらヨソモノだからって、
スーシアちゃん一人に行かせるなんて、
無責任すぎるわよね♪」
「ちょっとだけ怖いですけど……。
でも、スーさんはきっと、
もっと怖い思いをしているでしょうし……!」
反対する者は、いない。
ここにいる3人、すべての意見が一致した。
「よし、そしたら――」
ちょっとだけ様子を見に行こう、
とアルトが立ち上がった、
まさにその時だった。
「こンのクソ共がぁぁぁぁッ!!」
突如3人の聴覚へねじ込まれた、
それは爆音と表現できるくらいの怒号。
「ッ!?」
そのいきなりすぎる怒り声に、
まるで自分が怒鳴られたかのように、
アルトはビクッ! と体を震わせる。
一瞬、本当に自分が勝手な行動をしようとしたために、
誰かの怒りに触れたのか、と勘違いしそうになった。
だが、改めて周りを見渡しても、
同じく豆鉄砲を喰らったハトのような表情をしている、
フェイティと蒼音以外、人の姿を確認することはできない。
ということは、声は外の方で叫ばれたもののようだ。
「少しばっかり目を離してみりゃあ、
テメェら調子こきやがって……!!
同じ事、何回言わせりゃあ気が済むんだ、アァ!?」
そうこうしているうち先ほどに続き、
やはり罵倒にも近い、
怒りの声が家の中にまでバッチリ聞こえてくる。
「そんなに人生のお灸を据えて欲しいのかァ?
こんだけ忠告してもグダグタ喚き散らすんなら、
今すぐあの世にブッ飛ばしてやろうか、このバカ共がッ!」
さらに続く、怒りの言葉。
まるでその言葉を端から用意していました、
とでも言いたいくらいに、
説教の言葉が次々と放たれていく。
「え? え?」
あまりに突然始まった謎の公開説教に、
アルトは困惑の色を隠せない。
だが、少年達の戸惑いなど、
声の主は当然、知る由もない。
その主は、明らかに苛立っているようで、
「大体、テメェら男だろうが!
食いモンがねえとか、
こんな村の中で騒ぐくらいなら村の外に行って、
獲物の一つや二つくらい狩ってこいや、
このボンクラがッ!
何で私がここまで言わなきゃ、
いっつもいっつも動かねェンだよ!!」
怒号の第一声目の時点で、
すでに怪しい雰囲気ではあったが、
徐々に言葉遣いが乱暴、
というより汚くなっていき、しまいには。
「そのキ○○マは何のためについてんだよ、
このチキン共がッ!!」
「うわぁ……」
ついに言うところまで言っちゃったーと、
アルトはもはや軽く引くレベルに、
罵詈雑言が飛び出してまっている。
「き、き……」
唐突に飛び出した、破廉恥な放送禁止用語に、
蒼音が烈火のごとく顔を真っ赤にしている横で、
いくらなんでも、そこまで言わなくても……などと、
少年は同情の意すら考えていたが、
「……って、あれ?」
ここで、ようやく気付いた。
……私?
その後の放送禁止用語の衝撃に、
すっかり隠れてしまったが、
確かに声の主は、自分の事を“私”と言っていた。
例えば畏まった場やフォーマルな場では、
男性も私と言う敬称を、自分に対して使うことはある。
だが、ここはシックディスの村。
この世界、グロース・ファイスにおいて、
もっとも治安が悪く、貧困に苦しむ集落である。
前出のような、畏まった場と想定するには、
あまりにも環境が厳しい場である。
しかも相手は、おそらくガラの悪い、
血気盛んな野郎共と容易に想像できる。
そうとなれば、畏まって挨拶、
などといった礼儀が通じるような、
整然としたシチュエーションということは有り得ない。
それは例えていうならサラリーマンが、
動物園にいるライオンに挨拶代わりに名刺を差し出すようなものだ。
そんなことは、有り得るはずがない。
ゆえに、この場で私という敬称を使うのは、
おそらく女性でしかない。
ということは、である。
「アンだよ、その眼はッ!!
たかがクソ共のクセして私に逆らおうってかッ?
上等じゃねえか、やれるモンならやってみろよ、
その代わりこっちも全力でぶっ殺しにかかるからな?
キ○○マ潰れて悶絶しても、知らねえからな?
どれだけ無様な姿でのた打ち回ろうが、
テメエのバカさ加減を死ぬまで恨んで、
後悔しながら地獄へ行くんだなッ!!」
先ほどからもはや聞くに耐えない、
禁止用語連発のこの声の主は、
まさかの女性であることが、仮定されることとなる。
(……? え?)
アルトの脳裏に、ふと一人の女性の姿が、
誰かに頼まれることなく浮かび上がる。
この村に来て唯一たった一人、
男女問わず知り合いとなった、
あの人物を。
(え? ……え?)
先ほどまで共に同じ空間にいた、
ケンカが起きていると聞き、
静かに外出していった、あの女性の姿を。
そう思い込みがはじまってしまえば、
怒りに任せた凄味の利いた声を分析すれば、
何となく聞いたことがある声のような。
「え、まさかなんだけど……」
アルトはとてつもなく、嫌な予感がした。
いや、冷静に考えれば、有り得るはずがない。
『どうしたんですか、そんな慌てて。
今お客様が来ていらっしゃるのに、
いきなり入ってくるなんて失礼じゃないですか』
突如として来訪した、
無礼な客人に対しても決して乱れることなく、
冷静に言葉を紡いでいた、あの女性が。
『すみません、ここで少しだけ、
お待ちいただいてよろしいでしょうか』
この家を出て行く直前、
そんな丁寧な言葉遣いをしていた、
あの子が。
「アァ? 文句あるなら言ってみろよ、
文句を言う度胸があるならな!!
あるワケねえよなあ、
てめえら如きが私に能書き垂れる、
ンな度胸、あるワケねえよなあ!
だったらハナからそんな、
反抗的な態度をとるんじゃねえよッ!!」
この汚い言葉遣い極まりない、
声の主だと、言うのだろうか。
否。
認めたく、ない。
光と、影。
その二つの姿を重ね合わせるには、
あまりにもかけ離れて過ぎている、
二つの様相。
どうにも一致させられない。
だが、
「ねえねえ、今の声って……」
「もしかして……」
フェイティや蒼音も薄々気づき始めている、
その姿。
認めたくない、と心では望んでも、
概況が、それを許さない。
まるで兵糧攻めを受けているかのように。
時間はかかりながらも、着実にジワジワと、
外堀を埋められていくかのように。
“仮定”の事案を事実という一色に、
無機質に染めていく。
「まさか……」
ついに逃れようのなくなったアルトが、
その“認める”言葉を口にしようとした、
その瞬間。
「いいか、これに懲りたら、
二度とこの私、
スーシアに刃向おうとするんじゃねえぞ、
このガキ風情がッ!!」
事実を決定づける、
アルトの微かな望みを完全に粉砕する、
この家の家主である女性、
スーシアの汚れた声が、
家中ならず、シックディスの村中に、
乱暴に響き渡った。
次回投稿予定→9/1 15:00頃
作者の私用により次回は3週間後の更新となります、すみません。




