第172話:噂をされたら
「……クシュンッ……風邪かしら?」
最近それほど無理はしていないけれど……と、
思い当たる節がないナウベル。
いつも顔色一つ変えない彼女にしては珍しく、
首をひねりながら言う。
ちなみにナウベルの平均睡眠時間は2時間程度。
世間一般でいう“無理”とは、
一線も二線も三線も画している。
だが、それでもナウベルは、
体調を崩すようなことはない。
人としてもっとも、
弱みを見せることとなる、体調不良という状態異常。
世間から姿を消し、
裏の世界を生き続けているナウベルにとって、
そのような姿を見せることは許されない。
その彼女が、くしゃみをした。
「誰かに噂でも、されたのかしらね」
フッ、と。
ナウベルは僅かに笑う。
こちらも、思い当たる節はない。
だがなぜだろうか、
それでも自然と、笑みが出た。
それはきっと。
(人間味溢れていて、いいじゃない)
そう思えたからだろう。
表社会から外れた道を行くナウベルは、
基本単独行動である。
ファースターが誇るエリート集団、
ファースター騎士隊。
その中でも優れた7人を称して、
7隊長と呼ばれているが、
ナウベルを除く他の6名は、
部下を数百名程度抱えているが、
4番隊隊長であるナウベルただ一人だけは、
4番隊と言われながら、部下がいない。
理由は一つ。
誰かが近くにいれば、
自らの任務遂行に支障が出るから。
1+1は2。
これは自然の摂理である。
だがナウベルの場合、
この当然とも言うべき自然の摂理が通用しない。
彼女の場合は1と1を足すと、
解が限りなく0に近づいていく。
誰かがいることは、
ナウベルにとっては邪魔でしかない。
任務をこなすなら1人の方が、
効率がいい。
だからナウベルは、
部下を持つことを辞退した。
ナウベルは、常に1人。
(…………)
だから、
会話もなければ、
意志を表面化させることもない。
すべては自分から、自分で完結する。
それが弱冠10代にして完成された、
ナウベルの生き方。
ナウベル自身、その生き方に不満はない。
(任務をこなすのに、不要な要素はいらないもの)
先ほどまでの笑みは消え、
再び氷の表情と戻ったナウベルに、迷いはない。
だが、常に1人で、孤独で居続けること、
会話をしない、意志を言葉としてアウトプットしないということ、
それはつまり、“人間を人間たらしめる”、
行動原理を殺している事に等しい。
孤独を生きることは人間という、
生物を象っている要素から“人間味”という、
個性を、血を吸う蝙蝠の如く、
ジワジワと奪ってくこととなる。
だが、誰かが自分の事を噂しているという事。
それはつまり誰かが、
ナウベル自身を認識し、
この世界にその存在を肯定していることになる。
己以外の人間から、
存在を肯定されること。
それは人間味という、曖昧ながらも、
“ヒト”ではなく、“人”を形成する上で、
限りなく必要不可欠となるものと、
定義づけざるを得ない。
(人間味、か)
別にあろうがなかろうがどっちでもいいけどと、
ナウベルは空をおもむろに見上げる。
彼女の半アジト状態となっている、
エリフ大陸の王都セカルタにある、
王立魔術専門学校の屋上。
そこから無限に広がるかと錯覚しそうな、
雄大な晴天は、地上でみるそれよりも、
はるかに巨大なものに映る。
(私には要らない……)
だが、それとはまるで正反対に。
(この道を選んだ時点で、
そんなものはとうの昔に捨てたもの)
自らの存在を体内へと閉じ込め、
ナウベルは小さく、首を振った。
裏の、闇の世界を生きる。
その選択の時点で、
彼女は人であることを捨てた。
彼女は“人”であるより、
“ヒト”であることを、自らの意志で選んだのだ――。
「――――ッ」
ナウベルは何かを言いかけたが、
それを言葉として出すことはなく、
(……それよりも今は、レナの動向ね。
元部下が、レナとイグノが合流したと言っていたけれど……)
彼女は目下の課題である、
自分達に仇なす者達へと、目を向けた。
トーテンの町でレナと、
かつての同僚だった元3番隊隊長イグノが、
手を組んだという事実。
その事実は騎士隊側にとっては、痛い。
何せ今まで7隊長間で共有していた情報が、
すべて敵であるレナに筒抜けになってしまうのだ。
情報。
それはもっとも抽象的であり、
同時にもっとも具体的に収穫を得ることのできるモノ。
情報の漏えい。
たった一つ、その事実があっただけで、
国の根幹を揺るがす、
最悪の場合は滅亡にまで発展する、
それくらい言っても、決して大げさではない。
その破壊力は、想像以上のものである。
だが、
(余計なことをされる前に始末しておきたかったけれど……、
ま、仕方ないわね、そもそもあの2人に、
それほど期待もしていなかったし)
ナウベルは、
その破壊力を知りながらもサラリと流した。
まるで風によって舞い上がったカーテンが、
障害物をスルリと滑り抜けていくように。
ナウベルは、
意にも介さなかった。
想定内。
理由はただの一言、それに尽きた。
イグノの追っ手として、
差し向けたウィルとペスト。
イグノを殺せば3番隊隊長の座をくれてやるという、
あまりに大きすぎるニンジンをぶら下げて、
2人を向かわせた。
だが、ナウベルは分かっていた。
所詮、あの2人では無理だろうと。
決してレナとイグノが手を組んだから、
ということが理由ではない。
たとえ一人でも。
2人が戦う相手が、
イグノたった一人だったとしても。
きっと、返り討ちにあう。
そこまで彼女は想定していた。
(レナとイグノが合流した。
その事実さえ知れれば十分よ)
この事実さえ、確認できれば。
元々孤児で、
行くアテがないイグノなら、
もしかしたら直近で関わりのあるレナ、
あるいはその仲間たちのところへ向かうのではないか。
その動向さえ確かめることができれば、
ナウベルは良かった。
正直、ウィルとペストが任務を完遂できるかどうかなど、
どうでもよかった。
いや、期待していなかったという表現の方が、
どちらかといえば正解に近い。
というよりそもそも、
別にウィルとペストを必要としたわけでもなかった。
確かめようと思えば、自分で確認できた。
たまたま2人が志願してきたから、
任務を与えただけ。
(クビになったとはいえ、イグノは元3番隊隊長。
ファースター騎士隊でも最上位に君臨する7隊長相手に、
平凡な騎士隊員ごときが、敵うわけがないじゃない)
ナウベルは、どこまでも冷淡で、
冷静に突き放していた。
彼らごときが7隊長を倒すことなど、
できるはずがない。
たとえそれが、
ドジで間抜けで、任務を失敗することが多々ある、
自称クソ野郎の元3番隊隊長が相手だったとしても。
それだけは、確実に言えた。
(誇り高き7隊長。
騎士総長様に選ばれ、
直にその任務を与えられることのできる、
最高の栄誉を受ける7人の戦士。
その力はたとえ誰であろうと、
決して劣るものではないもの)
誇り。
理由はたった、それだけ。
7隊長という枠組みに存在していることに対する誇り。
それこそナウベルが、
どんな任務でも取り組むことのできる、
最大最高の原動力。
7隊長であることは、
ファースター騎士隊に選ばれるそれとは、
その意味が天と地ほど差がある。
(7隊長はファースター、
いえ、ワームピル大陸に住む、
ありとあらゆる平民の中から、
たった7人にしか許されない称号。
極限まで努力と研鑽を重ね、
それでもごくわずかな人間しか、
到達することのできない無限の高み……)
だからこそ、
彼女は一切の迷いを持つことなく、
前へと突き進むことができる。
自分は、7隊長の一人。
決して選ばれた人間だとか、上に立つ人間だとか、
そんな低俗で陳腐な優越感に浸っているワケではない。
無限の高みへ到達したからこそ、
自らの、自らに対する迷いは許されないし、
許したくもない。
7隊長であるということの、揺るぎない誇り。
その想いを胸に、ナウベルは先を、
未来を見据える。
(……少しばかり、感傷に浸りすぎたようね)
たかがくしゃみ一つで、とナウベルは自らの行為に対し、
恥ずかしと自虐を込めて鼻で笑うと、
(とにかく、レナとイグノが合流したというのは事実。
問題は彼女らがこれから、どのような行動を取るか、ね)
すぐに次なる手を打つべく、
思考を未来へと定めた。
元来から敵であったレナと、
結果論ながらも敵側へと回ることになったイグノ。
ただでさえ単体でも厄介な奴らが合流した。
それだけで、ナウベルは早急に、
次の一手に思案を巡らせる必要が出てきたのだ。
緩やかな南風に、
膝上でおさまるミニスカートをひらひらなびかせながら、
(現実問題としてあり得るのは、
このまま2人でエリフ大陸を行動するか、
プログ達と合流、
あるいはアルト達と合流。
あとは……)
そこまで考えて、
(……いえ、他の選択肢は現実味に欠ける。
実質この3つが選択肢か)
ナウベルは可能性の詮索を、
いともあっさり終えた。
その時間、わずか10数秒。
そして、
(そもそもレナ単独でエリフ大陸をうろついていたという事は、
おそらくシャックか騎士総長様に関する情報を狙っていたはず。
そこにイグノが加わり、ある程度の情報を得られたとなれば、
彼女にとってエリフ大陸に留まる意味はもはやないはず)
絞り込んだ選択肢をまるで探偵のように推理して、
可能性、仮定の幅を、瞬く間に狭めていく。
(騎士総長様はまだセカルタ城で首脳会議を開いている。
つまりレナがセカルタに戻る可能性は限りなく低い。
とすれば、次にあり得るのは仲間との合流、か)
その思考の加速は、留まる事を知らない。
まるで列車が発車し、
徐々にそのスピードを上げていくかのように、
4番隊隊長の脳内は活性化していく。
(プログ達とアルト達。
どちらも合流するメリットはあるけれど、
キルフォーのドルジーハ総帥に顔を知られているレナが、
いきなりディフィード大陸へ向かおうとするかしら?
何も考えない脳筋バカならまだしも、
レナならそれくらいのことは考慮するでしょう。
それにアルト達はアルト達ですでに何らかの行動を起こしていると、
レナも想定するはず。
そう考えると、現実的にあり得る選択は……)
そして、思考の巡回開始から、わずか1分強で、
ナウベルが導き出した仮定は。
(プログ達との合流、か)
そう考えている可能性は高いと、
ナウベルは結論付ける。
プログ達が、
ファースターにおいて情報収集活動を行っているということは、
7番隊隊長であるリョウベラーから報告を受けている。
情報収集をしているのならば、
どこかで必ず摺合せをするはず。
ともなれば、どこかで合流する可能性は高い――。
それがナウベルの、おおよその見方。
だが、ナウベルの思考は、
これだけでは終わらない。
(合流するのはいいとして、
問題はその後どう動くか、ね)
それは、今打つことのできる一手ではない。
彼女はさらに、次に打つべき一手を睨んでいた。
自分以外の人、つまり他人の、
先の行動を読むことというのは、
実はそれほど難しい事ではない。
例えば家の中で夕方、
外に出る準備をしていたなら、
夕飯の買い出しか外食するんだろうとか、
昼に街で食料を買い込んでいる姿をみれば、
これから旅に出るんだろうとか。
今、その人が取っている行動をもとに、
次にどのようなアクションを起こすのか、
人々は容易に想像することができる。
だが、そこからさらにもう一つ、
先の行動を読もうとすると、
その難易度は飛躍的に向上する。
予測の上に、さらに予測を重ねるということ。
例えば家の中で夕方、外に出る準備をして、
夕飯の買い出しか外食すると予想して、
さらにそこから、次の行動を考える。
買い出しにいったとすれば、
そのまま夕食をとるのか、
はたまたその前にゆっくりするのか、
あるいはそのまま寝るのか。
また買い出しではないとするならば、
どこかへ出かけるのか、
そしたらその行先はどこになるのか。
まるでツリーダイアグラムのように、
その可能性は枝葉の如く広がっていく。
例えばすべてが2択、
“はい”と“いいえ”だけの予測だったとしても、
一手先を読めば2通り、
二手先を読めば4通り、
三手先を読めば8通り。
たった二つの選択肢で先読みしたとしても、
すでに8通りもの未来予測が生まれることとなる。
当然のことながら、人の行動となれば、
すべてが2択とは限らない。
ゆえに、これ以上の未来予測が必要となってくる。
なぜ、これほどまでに予測のパターンが増えていくのか。
その理由は行動という事実を、
目にしていないからである。
事実という強固な土台の上に積み上がる予測と、
予測という不安定な土台の上に積み上げる予測。
すべての予測が○○だろう、という表現から、
○○かな? という語尾に変化して、
明らかに断定度が下がる。
一手先、二手先、三手先……。
相手の行動を先へ先へと読めば読むほど、
難易度の数値が乗されていくし、
仮に途中で行動を読み間違えてしまえば、
それ以降の予測は、
すべて無に帰すこととなる。
(……………)
だが、それでもナウベルは。
「その後も考えて、
こちらも動かした方がいいわね」
事もなげにサラリと言う。
まるでそれが当たり前であるかのように。
まるでそんな事など造作でもない、
とでも言うかのように。
裏社会を生きる彼女は、その言葉を残して、
王立魔術専門学校の屋上から、
僅かに表社会に見せた姿を、再び消した。
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明けましておめでとうございます。
今年もなにとぞ、よろしくお願いいたしますm(_ _)m




