第133話:その時、彼らは何を思う
とはいえ、ルイン駅から、
ファースター駅までは長い。
「なぁ、いい加減そろそろ、
見張り代わってくんねえか?
さすがに俺も疲れてきたんだけど……」
思考と心の悲鳴を言葉に乗せ、
プログは恨めしそうに語りかける。
無論、その対象はすぐ隣、
涼しい顔で居座る天才少年である。
若干12歳、もちろんプログよりも年下であるこの少年から、
外の様子、つまりこの車両に乗り込んでから今に至るまで、
彼らがずっと居続ける大きな空箱、
この外側の状況を見張るように強制されてから、
現在およそ30分が経過したところである。
それが例えば空箱の隙間から覗き見る、
というスタイルならば、
さほど疲労は溜まらなかっただろう。
ところが、現実はそうではない。
「腕、疲れてきたんですけど……」
およそ2kgはあるであろう、
空箱のフタを持つ右手をわずかに震わせながら、
先ほどよりも気持ち丁寧に、
プログは口調を変えて更に訴える。
プログは見張りを始めてから今に至るまで、
空箱のフタをわずかに開けて様子をうかがうという、
繊細かつ腕力を使う方法を実践していた。
その重さは、約2kg。
文字面だけみれば、
大した重さには捉えられないかもしれない。
だが、塵も積もれば山となる、
ということわざがある。
短期スパンで見れば大した重さではないものも、
長時間のスパンで見ると、蓄積されたダメージが、
徐々に力を奪っていく。
プログは、元凄腕のハンターではある。
だが、あくまでも凄腕なだけであって、
筋力ムキムキのマッチョには程遠い。
齢23、成人した大の大人とはいっても、
桁外れの腕力を持っているわけではない。
ゆえに、30分も経過すれば、
やや人並み以上の腕っぷしには、
大量の乳酸が絶賛蓄積中となる。
「……あの~、そろそろ代わっていただくことは、
可能でしょうか~?」
さらにもう一ランク言葉遣いを柔らかくし、
プログは今一度、少年へと懇願を投げかける。
だが、
「まだ半分も経っていないだろうが。
半分を超えたら代わってやるから、
それまで我慢していろ」
セカルタが生んだ天才少年様は、
取り合う素振りも見せない。
終点であるファースター駅と、
その一つ前の駅であるルイン駅。
その間の走行時間は、
およそ2時間とされている。
30分経過したということ、
それはつまり、
その行程の1/4を走破したということになる。
現在、1/4。
それに対し、スカルドが要求したのは、
半分までの見張り。
「待て待て待て待てッ!
さらにあと30分見張りしろってか!?
鬼かお前は!」
「うるせえな。
デカい声出すんじゃねえよ。
テメエ何回言わせりゃわかんだよ」
「アホみたいな要求されりゃあ、
そりゃデカい声も出るわ!
どんだけ俺の腕に乳酸溜めさせる気だよ!」
「ったく、ガタガタやかましいな。
俺より腕力あんだろうが。
俺が頭を動かしている分、
お前は体を動かすのは普通だろうが」
「モノには限度ってものがあんだよ、
限度ってモノが!
ドゥーユーノウゲンド!?」
「発音が悪いな。
限度はゲンドじゃねえ、Limitだ。
故に正解はDo you Know
「だああぁぁぁぁもう!
唐突に真顔でボケてくんじゃねえ!
収集つかねえだろうが!」
プログの虚しい叫びが、
空箱の中でほんのりと響き渡る。
叫びとはいっても、
ここで声量の限りを尽くして魂のシャウトをするほど、
プログの脳みそはツルツルではない。
吐息を思いきり混じらせ、
声量よりも空気の発散量を多くした、
思わず拍子抜けするような、
だがそれでも若干の怒りをにじませ、
プログは思いを吐露していた。
と、決死の願いが届いたのだろうか、
「ったく、しょうがねえな。どけ」
やや不満そうにしながらも、
スカルドは腰をゆっくりと上げる。
「! やったぜ……」
ようやく乳酸地獄から解放されると、
プログは心底から沸き立つため息を一つ吐
「キャアァァァァァッ!!!!」
「!」
突如として2人の耳へ届けられた、
女性の悲鳴。
(な、なんだッ!?)
(……ッ!)
瞬間、男たちの表情が一変する。
声の届き具合からして、
おそらく彼らの乗る3号車ではない、
もう少し遠くの車両からその悲鳴は聞こえた、
即座にそんな推測、思考の回転を始める。
だが、それ以上の情報は、まだないし、
得ることができない。
一体、何が起こったのか。
プログ、スカルド、
共に聴覚を最大限に研ぎ澄ませていると。
『命が惜しければ、大人しくするんだな』
(!)
どう切り取ってもただ事ではないことを予感させる、
いかにもといった、低い男の声。
『や、やめて、ください!
い、命だけは、命だけは―――』
『大人しく金目のものさえ出せば、
命だけは助けてやる。
たんまり持っているんだろう?
早く出した方が、身のためだぜ?』
悲痛と懇願に声を震わせる女性と、
決してそれに動揺することのない、
冷酷な男。
あまりに生々しすぎる声質。
「この声の感じだと……隣の車両か」
ここまで聞いて、
スカルドはすぐにそこまで、導き出した。
「声が微妙に通っていない、
故にこの車両じゃないが声量自体は大きい。
わりとすぐ近くで起こっているようだな」
事実を断定するにはまだまだ材料が足りないが、
少なくとも、それ(・・)が起こっているのは、
スカルドとプログが乗り込む3号車のすぐ後方、
4号車辺りと推測。
起こっている事象とは正反対に、
スカルドの表情と思考は、
母なる大海のように静かで、そして冷静である。
「そんな冷静にしてる場合かよ。
もしかして男の方、シャックじゃねえのか?」
一方のプログは、
今言葉にした仮定を脳裏によぎらせた瞬間、
体を前かがみにして外の気配にピリピリさせている。
列車専門の犯罪集団、シャック。
主に強盗や器物破壊に特化し、
列車という特殊な場のみで罪を犯す、
その大部分が謎に包まれた集団。
目的は、不明。
拠点も、不明。
規模さえ、不明。
ディフィード大陸を除いた、
全世界でその悪名を轟かせているが、
その素性を知る一般市民は、誰一人いない。
それが、シャックという犯罪集団なのである。
「口ぶりからして、おそらくそうだろうな」
プログの仮定にスカルドも、
否定の意を示すことなく、
それ自身はまるで取るに足らない事実、
とでも言わんばかりにサラリと言う。
だが、
「……ふざけんじゃねえぞ」
プログにとっては、十分取るに足りる、
優先度最上位レベルに匹敵する事実だ。
謎に包まれた正体不明の集団。
だが、それはあくまでも、
一般市民の場合においてである。
プログ・ブランズという、
つい最近までファースター城の牢屋で生活し、
現在お尋ね者中という存在は、
その一般市民には含まれない。
そして、それ以外にもプログは、
シャックに関する情報を1つだけ有している。
だが、それは唯一にして、
ある意味シャックの本質に迫る、
その1つの情報。
それは、ファースター騎士隊隊長のクライドが、
シャックのボスであり、
ファースター城がシャックの根城となっていること。
情報源は他でもない、
そのクライドの口から直接、
何の仲介、媒介を通すことなく直線的に耳にしている。
故に、信憑性もなにもない。
クライドが嘘を流していない限り、
それは間違いなく真実だ。
そしてその真実は、
シャックに関わる情報を辿って行けば、
いずれはクライドの、
ファースター騎士総長という肩書を持ちながら、
シャックの頭という、表裏を持ち合わせる彼の本質、
目的へと迫ることができることを逆説的に表している。
だが、今のプログにとって、
その意識よりもはるかに高いウェイトで、
念頭にあったのは。
「スカルド、助けにいくぞ。
このままじゃ女性が危ない」
とにかく、女性を助ける。
目の前で困っている、
いや、命の危険に晒されている一般人を、
みすみす見逃すわけにはいかない。
運も味方したのか、
スカルドの予測が正しければ、
事が起きているのは、隣の貨物列車であり、
多くの乗客がいるであろう、乗客列車ではない。
ならば助けに行っても、
さしてリスクは高くない。
とにかく、女性を助けたい。
プログは腰に携える短剣を手に取り、
中腰のまま、まるで綿あめを触るかのように、
音を立てずに空箱のフタを
「ダメだ」
開けようとしたのだが、
スカルドは小さく、
だがそれでも固い口調で、
それを阻む。
表情はその口ぶり同様、険しく固い。
「は?」
プログは一瞬、言葉を聞き間違えたかと思えた。
だが、
「今、助けにはいけない。
ここで待機だ」
もう一度言葉を聞き返しても、
少年から返ってくる言葉の意は、
さきほどと何ら変わりのないものだった。
「……オイオイ、冗談だろ?
下手すりゃ、命が危ねえことになってんだぞ?
それをここで、
指をくわえて待っていろってか!?」
「誰もそんな言い方をしていないだろうが。
今は待機、ただそれだけだ」
「ここで待ってるんなら
結果同じじゃねぇかッ!」
我が目を疑う、
とばかりにプログは食ってかかるが、
スカルドは一切、取り合おうとしない。
まるで巨大な岩石のように、
その体をピクリとも動かない。
まさに、冷静沈着。
だが、その憎たらしいほど静かな姿が、
プログのイライラをさらに助長させる。
隣で一般市民が、
シャックという魔の手によって苦しめられているのに、
この少年は、何とも思わないのか。
まさか、このまま死んでもいい、
とでも考えているのだろうか。
でも、今のプログにとっては、
そんなことはどうでもよかった。
シャックが人を襲っている。
情報がどうとか、ではない。
それだけで、元ハンターにとっては十分に、
戦う理由になり得た。
「お前がどう考えてんだか知らねえが、
俺は一人でも助けに行くぞ。
目の前で困っている人を、
見殺しになんて……しちゃいけねえ!
これ以上、誰かを助けられないなんて、
俺はゴメンだ!」
言葉以上の想いを腹底に秘め、
腹をくくり、
プログは再びフタへと手をかける。
救助の助けを得られない、
ならば自分だけでも――と。
とにかく、助けることができるのならば。
「勝手にするがいい。
ただ――」
スカルドの言葉を後押しに、
プログは僅かに、箱外の世界との繋がりを開
「約束しろ。
この場にはもう二度と戻ってこない、とな」
「……あ?」
突き付けられた少年の言葉に、
プログは思わず、
少年の方へと視線を向ける。
「加えて今後、
俺とは一切関わりを持たないことも、ここで約束しろ」
まるで目下の敵を睨み付けるかのように、
スカルドはそう続け、プログを突き放す。
まるで言葉を理解できない赤子のように、
プログが固まっているが、スカルドは止まらない。
「それともう1つ、
万が一お前がファースターの連中に捕まってとしても、
俺はお前を助けになんざ、絶対に行かねえからな。
それだけの覚悟があるというのなら、
勝手に行けばいい」
「なっ……!」
ほぼ絶縁宣言とも受け取れるその言葉に、
思わずプログは動きを止めてしまう。
お小言の一つや二つくらいをもらうことは想定していたが、
スカルドが突き付けた言葉は、
お小言などという、小さな範疇におさまっていない。
「プログ。
確かにお前が言うとおり、
誰かを見殺しになどしていいはずはない。
助けにいけるのならば、いくのが当たり前だ。
だが今一度聞くぞ。
お前がここに来た目的は何だ?
お前がここで救助に向かうことによって、
その目的は達成しやすくなるのか?
答えは真逆だろうが」
「そりゃ……確かにそうかもしれねえけど……!
でも!」
「でも、じゃねえ。
それが事実だ。
それに、お前の目的を達成するのを、
待っている奴らがいるんだろう?
ここでお前が先走って、
目的を達成できなかったら、
俺だけじゃなくそいつらにも、
お前が考えている以上に迷惑がかかる。
それをお前は、本当に分かってんのか?」
グサリ、と。
憎いくらいに冷たく、静かに、
スカルドは正論という名の槍を、
次々と投げつけていく。
プログは、
何も言い返すことができない。
「それを理解して、
それでも行きたいというのならば、
俺は止めはしない。
レナ達には俺から、
お前は途中でシャックに襲われた人を助けるため、
途中で離脱したとでも伝えといてやる」
「…………」
まるでそれが正義とでも言うように。
スカルドは言った。
悔しいが、プログの足はそれ以上、
動くことはなかった。
年下の少年という、
あまりに高くて、あまりに真理な壁を超えようと、
試みることさえもできなかった。
自分らの目的を達成するという側面で、
どちらが正しいのか。
考えずとも、その答えは分かり切っていた。
誰かに迷惑をかけて、
救いに行けるはずなど、なかった。
「何か行動を起こすうえで、
自分の意志、信念は大事だ。
誰かを助けようとする、
その気持ちを失うことは、
ある意味人間性を失うものと同義だ。
お前の起こそうとした行動そのものは、
人間としては間違っていない行動だろう。
だが、その意志、信念を貫き通すだけでは、
人は生きていくことは絶対にできない。
何かを選ぶということは、
同時に何かを捨てることになる。
すべてがうまくいく、
そんな都合のいいことなんて、
世の中絶対に有り得ねえんだよ」
12歳の少年は、
そう言葉を締めくくった。
まるで世界の理を、
すべて理解しているかのように。
まるで世界のすべてを、悟っているかのように。
怒りもせず、悲しむこともせず、
波紋一つ起こらない水面のように、
静かに少年は語った。
分かっている。
プログだって、それくらいは、
痛いほど理解している。
すべてがうまくいく、
そんな魔法のような事なんて、
有り得るはずがない。
もし、そのようなものがあれば、
過去に起こした、あの出来事だって――。
気が付けば、隣からの女性の悲鳴と、
男性の脅迫の声は、
プログ達には届かなくなっていた。
すでに解決したのだろうか。
それとも――。
果たして、あの後、
2人はどうなったのだろうか。
それを知る術は、今のプログにはない。
とにかく、事件は終わった。
隣の車両で事件が起きていることを知っていながら、
助けに行かなかったという、
紛れもない事実だけを残して。
「……クソったれッ!!」
プログの、
体に残っていた非常に曖昧でモヤのかかった、
行き場のないすべてを吐き出す声だけが、
3号車内に響き渡った。
次回投稿予定→2/4 15:00頃




