第131話:可能性
その瞬間、おそらくプログの心臓は、
確実に止まっていた。
生きた心地がせず、体のいたるところから、冷や汗をかく。
まさにその行動を実践していた。
まさか。
この車両に、人が入り込んだのか。
プログの精神は、
あとわずかで暴発してしまうのではというくらい、
極限まで追い詰められていた。
と、その時。
「駅を出発したか」
「……え?」
それまで眠るように目を閉じていた、
隣に座るスカルドの言葉にプログはおそるおそる、
箱の蓋を上げてみる。
乗客用の半分の面積もない、
50cm四方程度の窓から見えたのは、
静止画ではなく、動画。
ルイン駅のプラットホームをすべて駆け抜けた3号車は、
過ぎ行く炭鉱の山々の風景へと、
その場を移動させていた。
列車はルイン駅での停車を終え、
次の停車駅、
かつ終点でもあるファースター駅へ向け、動いている。
つまり、プログ達はルイン駅での駅員や警察、
政府関係者の目を、やり過ごすことに成功した。
彼らが設定した第二の関門を、
無事に通過したのだった。
「ふうぅぅぅぅ…………」
心身ともに極限を迎えていたプログは、
まるで魔物を目の前にした子どものように、
ヘナヘナとその場に力なく座り込む。
上昇の一途を辿っていた心臓の鼓動も、
崖から転げ落ちるように急降下し、
滲んでいた汗も、
満ち潮が引くようにスーッ、と引いていく。
まるで誰かと一戦交えたかのように、
顔には疲労の色が隠せず、
1人だけ5年くらいの年月が流れたかのような、
わずかにやつれたようにも見える。
わずか数分と5年。
それだけ、ルイン駅に停車していた数分間は、
緊迫し、それでいて長い時間に感じていたのだ。
「ったく、元ハンターとか言ってる割に、
随分と肝っ玉の小さいヤツだな」
年下のスカルドはため息交じりに、
プログの姿を見て皮肉を言っているが、
今のプログに、その言葉は通じていない。
列車に無賃乗車し、
ファースターまで向かう。
その中でプログが最も、
存在がバレることを恐れた地点、ルイン駅。
その鬼門を、何事もなく通過した。
その紛れもない事実を確認できるだけで、
プログはよかったのだ。
ここまで来てしまえば、あとは――。
「しかし、妙だな」
不意にスカルドが、
いつもにも増した、
低いトーンで呟く。
「は?」
「ここまで何もないと、逆に不気味だな」
プログの、“落ち着いた”とは明らかに違う、
スカルドの“落ち着いた”口調。
細い目を睨ませ、
どこか苛立ちの表情を含ませるその表情。
それは明らかに彼らにとって、マイナスでしかない、
不吉な想定を予感させるもの。
そして、天才少年が予感するものは、
今までもおおむね、
聞いておくに値するものばかりなのを、
プログは知っている。
一つ去った焦燥感が、
再び思考へ押し寄せるのをかき分け、
プログは真意を訊ねた。
「……何だがよ?」
「ここまで警備がザルなのが、
明らかにおかしいと思わないか」
「ザル……警備が薄いってことか?」
「薄いどころか、ゼロだ」
見てみろとばかりに、
スカルドは蓋をわずかに開け、
「途中でコイツに乗ってから今に至るまで、
警察どころか駅員すら、
この車両に一度も点検に来ない。
あまりに不自然だと思わないか?」
「まあ……言われてみりゃそうかもしれないけど」
スカルドに促され、
もう何度目だろか、
プログは蓋の隙間から車両、
そして景色の様子をうかがう。
仄かに暗い貨物車両に、
車両の速度に応じて移りゆく、
ワームピル大陸に連なる緑の山々。
列車を旅する者からしてみたら、
ごくごくありきたりの、平凡な光景。
そこには、
何一つ疑うものなどない。
唯一あるとするならば、
それは己自身の存在、
つまりプログとスカルドが、
誰の許可も得ることなく、
この3号車に忍び込んでいるという事実だけだ。
だからこそ。
(確かに、妙っちゃ妙だな)
再び思考に現れた焦燥の念を、
プログは認めざるを得ない。
列車を動かす駅員、
あるいは列車を管轄している警察、
そしてその警察を管轄する、ファースター政府。
彼らがプログ達の存在を、
100%把握しているという確証は、まだない。
もしかしたら、
アルトの故郷であるファイタルから、
ワームピル大陸の王都であるファースターへ向かう道中、
ここにいるプログとスカルドが、
こっそり乗り込んだという事実に、
気づいていない可能性だって十二分にあり得るだろう。
だが、今のプログ達に、
かもしれない、だろうという推定、仮定の言葉は、
絶対に必要ない。
いや、むしろ邪魔という表現が最も近い。
プログ達の存在を把握している可能性も、
いまだ気づかれていない可能性も、
共に間違いなく、0ではない。
これは絶対、間違いなく言えることだ。
存在を隠している身としては、
たとえ事象の可能性が1%であったり、
または99%あり得る事象であったりしても、
その確率の大小関係なく、
すべてを思考という名のテーブルに乗せなければいけない。
となれば、である。
今起きている現象、
この3号車に、
誰一人として近づかないという事実を、
どうとらえるか。
ファースターの関係者に、
存在を気づかれていないという側面の可能性で考えるならば、
この事実、すなわち誰一人として、
この車両に近づかないという事実はそれほど、
歯牙にかけるものではない。
だが別の可能性、
つまり自分達2人がここにいることを、
ファースターの者達が知っていて、
そのうえでこの事実を突き付けられているというならば。
事態は、思っている以上に深刻なものとなる。
何せ密入国者が乗車しているにもかかわらず、
捕えることをせずに静観しているのだ。
何事も起きていない。
今は、それで済むかもしれない。
だが、これからの時間を迎えるにあたっては、
現在の事実だけを切り取り、
安全を確定させることは、あまりにも不用意だ。
人という生き物は、
時間を与えられれば与えられるほど、
より効率的で、より高度な考えを生み出すことができる、
脳という便利な機能を備えている。
つまり、静観する時間が長くなればなるほど、
ファースターの関係者、
この場合駅員や警察、政府すべてをひっくるめるが、
彼らがプログ達を捕まえるために、
より高度で、より確率の高い罠を、
仕掛けることができるようになることを意味する。
嵐の前の静けさ。
まさにこの言葉が当てはまってしまう。
それを踏まえての今。
プログ達はいまだに、
何らアクションを起こされていない。
平穏無事に、貨物列車の中で潜み続けている。
「お楽しみはまだまだ先にアリ、ってか」
おそらくはな、と、
スカルドはプログの言葉に対してアッサリ言う。
「気づかれていないというなら、
それはそれでいい。
杞憂で終わるのならば、
それが良いに越したことはない。
だがもし、万が一を考えれば――」
「ま、大いにあり得るわな。
スカルドの言った、
あの不自然な鷲のことを考えれば、
相手方には俺たちの存在はバレてると踏んで、
行動してった方がいいか……」
もとよりプログも、
その部分に関して、
とやかく言うつもりはない。
石橋を叩いて渡る、という言葉があるが、
今のプログ達にはそれでは足りない。
石橋を叩きに叩き、
本当に大丈夫なのかを、何度も確認する。
あるいは仮にそれで壊してしまったとしても、
それはそれで構わない。
とにかく、橋の下に落ちる、
すなわちファースター関係者に捕まるという、
最悪の状況だけを、とにかく回避できるならば。
その鉄則だけは、是が非でも守らなければいけない。
そのくらいは当然、元ハンターの青年も承知していた。
それを踏まえ、
「んで、実際どうするよ?」
プログは改めて天才少年へと語りかけた。
「気づかれているとなれば、
同じ場所に留まるのは危険だろ。
どうする? 俺らも隣の車両に移動するか?
それともいっそのこと、車両から降りるか?」
それは実際、
プログ自身も決断しかねている選択だった。
このまま列車に乗り続けていることが、
果たして得策なのかどうか。
後に訪れるかもしれない、
敵からの仕掛けを回避するためには、
どのような行動をとるのが、
ベストとなるのか。
この場で考えるべき唯一の、
それでいて最大の問題。
プログ個人の意見だけでは、
絶対に進めてはいけない課題へと取り組み。
年上の元ハンターは、
年下の天才少年からの意見を待った。
スカルドはわずかに考える素振りを見せたが、
やがて、
「まあ、ここは待機だろうな」
結論を端的に口にした。
「ぶっちゃけここまで来たら、
もうどうにもできねえ。
下手に動いて、
相手の思うツボにはまるほうが、
臨機応変の対応がしづらくなる。
どう転ぶかはまだ分かんねえが、
ひとまずはここで大人しく、
今後の対策を練っていた方が、
相手の動きに対応しやすいハズだ」
「ファースター駅に到着するまで、
この場に隠れておくってか?」
「最悪、それも想定しておかないといけないだろう。
できればどこか、
相手に動きを把握されにくい場所があれば、
素早くおりたい所ではあるが……」
スカルドにしては珍しく、
最後は言葉を濁して言う。
「把握されにくいかどうかは分からねえけど、
ファースター駅の直前に、
地下に潜るためのトンネルがあるぜ。
もしかしたらそのトンネルを利用できれば――」
「いや、直前はダメだ。
整備という名目で、
駅員が待ち伏せしている可能性が高い。
それに駅に向かうために地下へ潜るということは、
そのトンネルの出口の先には、もう駅があるんだろう?
そこで降りたら、挟み撃ちをくらう可能性もある」
「あー……」
確かにと、プログは天才少年の言葉に、
完全同意をせざるを得なかった。
この列車の終点であるファースター駅は、
ファースター城近くの、地下に存在する駅である。
それまで地上を走っていた列車は、
ファースター駅に到着する数分前から、
地上から地下へと潜る、
人工的に生み出されたトンネルを通ることになる。
そして、そのトンネルを抜ければすぐ、
旅の終着地である、ファースター駅が姿を現す。
要は、トンネルと駅は直結しているのだ。
スカルドが説明し、
プログが同意した、
挟み撃ちを喰らうというリスク。
もし、このトンネルでスカルドとプログが、
列車からの離脱をじっこうしたのならば。
そこから彼らが進める道は、二つしかない。
一つは、列車の進行方向、
つまりファースター駅へと向かうこと。
そしてもう一つは、列車とは逆の方向、
つまりトンネルの入り口へと進むこと。
この中で前者のファースター駅へ向かうという選択肢、
まずこの選択は皆無だ。
そもそも駅に到着するのを回避するため、
列車から降りたのに、
そこからわざわざ駅へと向かう、
メリットが何一つない。
明らかに罠があると分かっていながら、
自ら進んでそこへと進んでいく。
それは愚策以外の何物でもない。
となれば、彼らが取れる選択肢は一つ。
トンネル入り口へと向かうことしかできない。
だが、ここでもし、
ファースター関係者がプログ達の存在に、
気づいていると仮定するならば。
だとするならば当然、
ファースター駅周辺の警戒を、
最高レベルに上げているだろう。
そして、その最高レベルの警戒は、
ファースター駅へ直結するトンネルにも、
きっと適用されているに違いない。
ともすれば、トンネルの入り口に、
警備を配置していても、何らおかしくはない。
そうなると、トンネルの入口と出口、
両方に警備を置かれることになり、
プログ達はトンネル内からの脱出方法を、
完全に塞がれることになってしまう。
「どこか隠し通路でもあるのならば話は別だが、
そんな不確定なものにすがって、
結果自滅なんぞしたら、目も当てられねえだろうが」
「ま、おっしゃる通りだわな。
敵さんど真ん中の場所で、さすがにザル警備を、
期待する方がアホな話だわ」
自虐気味にプログは笑った。
淡い期待にもならない、
自らでも思う、出来過ぎなご都合主義。
そんなことが、有り得るはずがなかった。
プログは蓋を閉じ、
再び貨物列車の床へ座り込んだ。
「とりあえず、果報は寝て待て、ってか?」
「アホか。誰が寝ていいといった」
一つ大きく息をついたプログに対し、
スカルドは冷静に言葉を突きつける。
「隙があれば列車から降りる選択肢を、
俺は完全に排除したワケじゃねえぞ」
プログが外界を遮断した空箱のフタを、
スカルドは再び開ける。
「最後まで乗り続けている選択だって、
リスクがかなり大きい。
もしここから逃げ出せる、
確実な道筋が見えたのなら、
すぐにでもこの列車を降りる方がいい」
「誰にもバレないように、だろ?」
当然だろうと、
スカルドは突き放すように言うと、
蓋を開けたまま、プログの方へと向き直り、
「さっきは俺が外の様子を見張っていたんだ、
今度はプログ、お前が見てろ」
「……は?」
「ここから逃げ出せる機会があるかどうか、
お前がここで見張って、
もしチャンスがくれば俺に知らせろ」
呆気にとられるプログを気にすることもなく、
スカルドは早くしろ、とばかりに、
アゴで来いと、プログへ指示を送る。
「待て待て待て、
そもそもさっきのはお前が自主的に――」
「無駄口を叩くな、早くしろ」
年上の青年による至極全うな反論を、
年下の少年は発言する機会すら与えない。
(……なんつーか)
なんでこう、残念なくじばかり引くんだかと、
もう何度感じただろうか、
プログは自らの運のなさを呪わずにはいられない。
もっとも、この生意気な少年とのコンビを選んだのは、
他でもない、プログ自身である。
自業自得、仕方のない事。
結局は、その便利な言葉で、
この状況を納得させるしかない。
とはいえ、
(……解せぬ)
もはやいつものお決まりとなりつつある、
その言葉をプログは心で力なく呟くと、
スカルドに代わり、太陽が完全に沈んだ、
群青色から黒へのグラデーションを彩った、
ワームピル大陸の夜に染まる風景へと、目を向けた。
次回投稿予定→1/21 15:00頃




