第128話:暗闇の孤独
とはいえ、トンネルは長い。
レナの里親であるマレクに、
彼女の無事を伝えることを諦めたプログ。
その活論を下すまでには、
(彼なりに)時間がかかった。
だが、その時間を差し引いたとしても、
トンネルを完全に抜けるまでには、到底及ばない。
延々に続くと錯覚を起こしそうな暗闇の中、
列車は今この時も、正確なリズムを刻みながら、
前へと進んでいく。
「なあ、今トンネルに入ってどれくらいだ?」
何となしに、プログは目の前にいるであろう、
現在の相棒に投げかける。
「お前、さっきの話聞いていたのか?
不必要な発言をするんじゃねぇよ、
誰かに見つかっちまうだろうが」
すぐに少年の素っ気ない返答が返ってきた。
そして、しばらくした後。
「こんな真っ暗な状況で、
時計なんて見られるはずがねぇだろ」
確かにそりゃそうだわな、と。
プログも途中で気づいていた。
如何せん、この暗闇の中である、
右を見ても左を見ても、
そして上を見ても下を見ても、
黒一面に支配されたこの空間で、
時計の針を確認して現在時刻を読み取ろうなど、
土台無理な話である。
「そうだな、わりい……」
そう言葉を返したプログの声は、
心なしか語気が弱い。
そしてまた、
列車の走る音だけの空間に戻る。
トンネル内、どこを見渡しても、
光が見えないこの状況。
(クソ、これじゃあ一人でいる時と、
何ら変わりないじゃねぇか……)
それは、プログがこの世でもっとも嫌う時間。
あの時、レナ達と一緒に牢から抜け出した、
その瞬間から一番、避け続けてきた状況。
実際、目の前にはスカルドという、
エリフ大陸の首都、
セカルタが生んだ天才少年という人物が、
確かに存在する。
だが、言葉を交わさず、
なおかつ目の前を闇で覆われている今。
その立ち位置は、孤独という立場とほぼ変わらない。
(あの小屋の時以来、か……)
間接的に一人となったプログが思い出したのは、
王都ファースターからダート王洞へと向かう際に立ち寄った、
旅人の宿泊施設として設置された名もなき小屋。
当時レナとアルト、そして当時はまだ、
王女と称されていたローザの4人で立ち寄り、
仮眠をとる際に見張りとして、
一人起きていたプログ。
あの時以来の、孤独。
(だから、一人になると、
色々考えちまうってのによ……)
そう、あの時も一人となったプログは、
過去、現在、そして未来の自分について、
見えない答えを探すことを余儀なくされた。
そして、今も。
(いや、そもそも答えなんて、
もうねーんだよ……)
プログはうつむき気味に、うなだれる。
(イリスがこの世にいない時点で、
俺に答えなんて、あるワケがねえんだ……)
忘れたくても決して忘れることのできない、
あの光景。
崩れゆく洞窟の中で、
死にゆく絶望の中で、
イリスが若き日のプログ少年に向けて見せた、
穏やかで、慎ましくて、そして、
あまりにも残酷だった、あの笑顔。
(俺は……何をしてんだか。
イリスが命を賭けてまで、
俺を生かしてくれて。
必ず真実を突き止めると信じてくれたのに。
結局何もできてないじゃねえか……)
大穴へと飲み込まれる直前に、
彼女が少年に伝えたこと。
『このまま両方助からなかったら、
この事件が表に出ることがなくなり、
ただの事故として扱われてしまいます。
これは事故ではありません、
何者かが私を陥れようとした事件です。
ですからプログさん、あなたは生きて、
この事件の真相、真犯人を突き止めてください。
必ず、私を殺そうとしたものが、
必ずどこかにいるはずです!』
そして、自ら命を絶つ決断をした彼女が、
最後にプログへ伝えたこと。
『あなたに生きてほしいと願う人がいることを、
決して忘れてないでくださいね』
(……)
一人になった時、孤独になった時、
その時に必ず訪れる、この葛藤、苦悩、
または……後悔。
そのたびにプログの心は、
まるで誰かにグチュ、
と握りつぶされているかのように、
きつく、強く締め付けられる。
(分かってるさ。
本来、俺がどうするべきかなんて、
とっくにわかっているんだ。
俺は……本当は……)
形はどうあれ、人を殺した。
その罪を償うためにするべきこと、
プログもそれは理解している。
いや、本心を言えば、
プログ自身もできることなら、
その行動をとってしまいたい。
そうすれば、すべてが楽になる。
この終わらない苦しみの輪廻から、
直ちに解放されることができる。
だが、それは決して許されない選択。
その行動をとることは、
プログ少年に対し生きることを願った王女、
イリスの想いを、
真っ向から踏みにじることに等しい。
彼女の願いを遂げられず、
自分だけが楽になる。
そんなこと、
許されていいはずがなかった。
(イリス……王女……)
王女殺しの極悪人として世間一般が望む行動と、
真実を探すことを願った、王女が望む行動。
どちらの道へ進んだとしても、
それは正しくもあり、間違いでもある。
そう、答えなど、どこにもないのだ。
(俺は……俺には……)
誰に見られているわけでもない、
目の前で座っているであろうスカルドに、
気づかれているわけでもない。
だが、それでもプログは思わず、
右手で顔を覆ってしまう。
やり場のない劣等感と罪悪感に苛まれ、
青年は肩と顔を落とす。
自分はあまりにも無力で、弱い存在。
戦いでの強さは、
その弱さを覆い隠していただけの、偽りの強さ。
それに気が付いたのは、
すべての事が終わってから。
決して取り返しのつかない、
何もかもが終わった後に初めて気づいた。
少しだけでも、
ほんの少しだけでもいいから、
あの事件が起こる前に、
それに気づいていたのなら。
もしかしたらあの事件が、
起こることはなかったかもしれないし、
イリスが命を落とすことも、
なかったのかもしれない。
そう、もしあの時、
自らの強さを過信し、
すべてに自惚れていたあの時に、
その弱さを、少しでも認めていることが、
できていたのなら――。
(――――ッ)
もしかしたら。
もしかしたら――。
(わりい、イリス――)
瞳から零れ落ちそうなものを懸命に繋ぎとめ、
(俺に……俺にその使命は重すぎだわ……)
プログは心の中で、
力なく呟くことしかできなかった。
「おおよそ、25分経過か。
あと5分くらいで、
トンネルを抜ける算段だな」
スカルドは、周りに聞かれぬよう、
細心の注意を払いながら、小声で呟く。
周りには相変らず、
暗闇がまとわりついている。
決して、時計を確認したわけではない。
だが、スカルドには自信があった。
なぜなら、トンネルに入った、
その瞬間から今に至るまで、
常に時間を計測していたからだ。
途中で目の前にいる、
年上の元ハンターに話しかけられようが、
または自ら言葉を発しようが、
この暗闇の中で時を測る事を、
決して怠らなかった。
人は周りに景色が見えれば、
たとえ時計で時間を確認することができなくても、
視覚による情報をもとに、
どの程度時間が経過したかということを、
導きだすことはできる。
だが、暗闇の中では、
視覚という、唯一の情報源ですら奪われてしまう。
ゆえに、暗闇の中では一体どの程度時が過ぎているのか、
混乱をきたすことがしばしばある。
20分くらい経過したと思っていたら、
実は5分しか経っていなかったり、
また、10分程度と思いきや、
いつのまにか30分近い時間になっていたり。
そしてその混乱に付随して、
盲目の時間が長くなると、
不安という感情が生まれる。
一体何分経過しているのか。
いつになったら、
この黒の空間から解放されるのか。
一度不安を覚えれば、
それは光がもたらされるまで、
絶対に離れることなく、常に人の周りに、
まるでヘドロのようにへばりついている。
スカルドは、
その状況を避けたかった。
いくらスカルドと言えども、
終わりの位置が見えない暗闇の時間を、
長く過ごすことには慣れていない。
だからこそ、少年は時間を測り続けていた。
そして、プログの言った言葉がもし正しければ、
この長いトンネルを抜けるまで、
残りは約5分。
ここまでくれば、
もはや時間を計測する必要などない。
およそ300秒後に訪れるであろう、
黒の空間の終焉。
ゴールさえわかってしまえば、
それほど恐れるほどのことでもない。
時間が分からず30分もの間、
常に暗闇の中に居続けることは、
人間にとっては容易にできることではない。
だが、スカルドは違っていた。
残り5分を迎える今まで、
少年は常に自信と、
確信に満ち溢れていた。
そして、その自信と確信を更に深めさせるかのように、
今まで黒の空間だった列車内が仄かに、
ほんのわずかにオレンジ色で照らされ始めた。
スカルドは、空箱の隙間から、
外の様子を観察する。
(松明の火か)
僅かに明るくなった、
その正体はトンネルの壁に置かれた、炎を纏った松明。
それは駅員や作業員が、
トンネル内での作業を行うために必要とするもので、
この松明が現れたということは、
それはつまり、そう遠くない時間に、
トンネルの終焉が訪れることを意味している。
つまり、スカルドの読み、
そして時間のカウントは、ほぼ完璧だった。
「これだけの時間暗い場所にいたんだ、
出口が見えてきたら、
しばらくは目をつぶっておいた方がいいぞ。
いきなり照度の高い光を直視したら、
視界の回復が遅れる。
万が一駅員が来た時に、
そのせいで動けなかったといっても、
俺はお前を助ける余裕なんざ、ないからな」
ほんの一握り程度の優しさなのか、
はたまた足手まといにさせない警告なのか、
スカルドは年上の青年へとアドバイスを送った。
「ま、それでも逃げ切る自信があるってんなら、
別に聞かんでもいいがな。
ルイン駅さえ越えれば、と言っていたが、
俺はトンネル直後も怪しいと睨んでいる。
駅へ到着する時ももちろんだが、
ここのトンネルを抜けた後も、
充分注意――」
しとくんだな、と締めくくろうとした、
スカルドだったのだが。
「…………」
「……おい、どうした」
ふと、目の前からウンともスンとも、
反応がないことに気づく。
顔こそ見えないものの、
眼前には間違いなく、
年上の元ハンターであろう、
黒い人影がうずまっているのが確認できている。
まるでそこには人がいないかのように、
自らの言葉に対する手ごたえがない。
「おい、プログ」
「…………!」
スカルドがもう一度だけ、
目の前にいるはずの男の名前を呼ぶと、
ようやく目の前から、
生体反応を感じることができた。
そして、
「あ、ああ、わりいわりい。
少しボーっとしちまった」
仄かに姿が映る黒影から、
聞き覚えのある、
年上の元ハンターの、
心なしか少し弱い声質の反応が。
間違いなくそこには、
プログ・ブランズがいた。
「お前、アホか?
こんな状況でよくボーっとしていられるな」
「スマンスマン。
今後は気を付けるって」
「ったく、呑気なヤツが羨ましいモンだ」
皮肉半分、そしてもう半分も皮肉に、
スカルドは言う。
いつどこから、
誰がこの車両に入り込んでくるのか。
このトンネルを抜けた後、
どのような状況が起こり得るか、その対処法をどうするか。
そしてルイン駅に着き、
もし荷物の搬出等があったら、移動はどうするか。
また、首尾よくファースター駅まで、
無事たどり着くことができたとしても、
次々と貨物が下されていくであろう状況で、
そこからどうやって誰にも見つからずに、
降車を試みるのか。
考えなければいけないことなど探せば、
そこらへんに落ちている石を見つけるくらい、
いくらでもある。
にも関わらず、この男は。
愚策すら考えようとせず、
この期に及んで何も考えず、
ただ無駄に時間を過ごしていたと云う。
スカルドが呆れ、皮肉を言葉一杯に込めるのも、
無理はなかった。
「足手まといになられたら困る、
もう一度だけ言うぞ。
トンネルを抜ける直前に目をつぶれ。
いきなり照度の高い光を浴びると危険だ」
「あーハイハイ、了解。
分かったぜ」
今度はあっさり、
プログから返事が返ってきた。
(コイツ、ホントに分かってんのか……?)
先ほどとはうって変わり、
まるで暖簾に腕押し状態の、
手ごたえのなさにスカルドは、
さらに呆れの度合いを強める。
せっかく人が忠告してやったのに、と。
そんなことを考えずにはいられなかったが、
「まあいい。
それよりも問題はこれからだ」
ここで面倒くさがり、
必要最低限の意識共有をせず、
結果として自分にマイナスを、
被ることになってしまうことを避けるべく、
とりあえず、話を先に進めることにした。
「まずは気を付けなければいけないのは、
トンネルを出た直後だ。
これだけの長い距離のトンネルを走り続けたんだ、
トンネルを出た直後に、
何らかの対策を講じている可能性はあるだろう」
「対策って、俺らのか?」
「俺らを含めた、密入国者の対策だ」
自らが身をひそめる空箱の蓋をわずかにずらし、
プログは様子を見渡しながら、
可能な限り声量を落として言う。
「通過に30分近くを要する、
常に真っ暗なトンネル。
ここに身を潜めて列車に乗り込めば、
さぞかし密入国しやすいだろうよ」
「ってことは、
政府も当然、対策をしていると?」
「おそらくな」
「だったら、トンネル内を監視している方が、
政府や駅員にとっちゃやりやすいんじゃねーか?
トンネル内に潜んでいるのなら、
直接そこを捜索した方が手っ取り早いし。
何でわざわざ、いるかどうかも分かんない、
トンネルを出た後に、
取締りの策を置く必要があるんだよ?」
「アホか、そんな短絡的な対策を、
ファースターレベルの国家が、
実践するワケねェだろうが」
予想通りと言わんばかりに、
スカルドはプログの意見を一蹴した。
そして、
「いいか、トンネル内を取り締まろうとすれば、
取り締まる側は必ず、暗闇を照らす光が必要になる。
一方、隠れる密入国者からすれば、光など必要ない。
この事実関係が何を意味するか、
少し考えてみろ」
まるで言語・論理の宿題を出すかのように、
スカルドは目の前で?マークを掲げる、
悩める青年へと投げかけた。
次回投稿予定→12/24 15:00頃




