第126話:決断と不安
ファイタルから、王都であるファースターまで、およそ3時間弱、
途中でレナの育ったルイン駅を経由してからたどり着く。
ちょうど昼に出発すれば、
夕方ちょい前くらいには着く算段である。
だが、それはあくまでも、
移動に列車という、
非常に便利な手段を用いた場合である。
「ったく、列車が使えない状況とはいえ、
ここから歩いて王都まで行くとなると、
こいつはかなり面倒だぜ……」
はあ……と。
これからの事を考えればプログは大きく、
疲労の色を帯びたため息を、
つかずにはいられなかった。
プログは現在、
お尋ね者としてファースター政府から、
その身を追われている存在である。
その政府が運営している列車に、
もちろん乗車できるワケがない。
つまるところ、
徒歩でしか王都を目指す手段がない。
だが、列車で3時間弱のところを、
徒歩で移動するとなれば、
その所要時間は、
もはや換算したくもない時間となる。
(1日……じゃ着かねえよなぁ……)
プログは嫌々ながらも、
その時間を換算してみるが、
どう考えても1日ではたどり着くことができない。
それどころか、歩き続けることの疲労や、
魔物との戦いによる疲弊を考慮すると、
その数倍は軽く要しそうな計算になる。
(さすがにそれはヤバいよなぁ……。
帰りの船の事もあるし、
なるべく早めに事を済ませないと……)
プログはチラリと、
後ろをみやる。
自分の後ろ、およそ数メートル後方で、
スカルドは無表情のまま、黙々と歩を進めている。
いつもの癖か、はたまたストレス発散のためか、
相変わらず口にはガムをふくみ、モゴモゴさせている。
いまのところはまだ、
少年より不満の声が漏れることはない。
(でもいつかは絶対、
不満の声が出るわなあ……)
だが、間違いなく予期できる今後の展開も、
プログの頭を悩ませる種の一つである。
自分がとっている現在の行動は、
おそらく間違ってはいない。
列車が使えないこの状況で、
表舞台に立つことができない、
2人に許されている移動手段は、
限りなく狭い。
こうなることは、仕方のない事。
それは分かっている。
分かっているのだが。
(どーすっかな……。
このまま歩いて地道に目指すか?
それとも……)
考えて、プログは横を見た。
そこには、ルイン方面へと走る列車が通る、
木製の線路が何気なく敷かれている。
この線路を通る列車には、
2種類の車両構成がある。
1つは、乗客のみを運搬する車両。
レナがアルトと出会ったファースター行き最終列車は、
この車両構成に該当する。
そしてもう1種類は、
乗客を乗せる車両と貨物を運搬ずる車両、
両方を連結したものだ。
こちらのタイプは前者に比べると、
それほど本数は多くないが、
乗客以外に大型の荷物を運ぶ際に、
重宝されるものとなっている。
約1時間に1本通っている列車が、
次にここを通るのは、
時刻通りならば、おおよそ5分後。
そして通るのは……乗客貨物連結車両。
(…………)
乗客運搬専用列車は車掌が定期的に、
乗客確認をする一方で、
乗客貨物連結車両では、
乗客が乗る列車は巡回をするものの、
貨物部分には必ずしも、
列車関係者が立ち入るとは限らない。
要は、貨物が載る列車において、
車掌に見つかる可能性は、意外と低いのだ。
(………まあ、イチかバチか、
アリっちゃアリか?)
プログは、その行動について
思いを巡らせてみる。
確かに、誰かに見つかるリスクをとるならば、
このまま歩いて、
ファースターを目指すのが、
一番安全ではある。
だが、果てしなく続くであろう、
ファースターへの道中には、
当然、障害も多くある。
険しい山々然り、魔物も然り。
誰かに見つかる可能性の高低と、
ファースターにたどり着く安全性の高低は、
決して反比例の関係にはなっていない。
簡単に言えば、誰かに見つかる可能性が低ければ、
ファースターに安全にたどり着ける可能性が高くなる、
というわけにはなっていない。
ともすると、である。
ここで一つ、博打を打ってみるとする。
つまり、次にこの線路を通るであろう、
貨物列車に飛び乗り、
静かに身を隠す選択肢を取るとする。
その車両に車掌でも来ようものなら、
もれなく牢屋行きが確定となるだろう。
だがもし、
その車両に誰も入ってこなかったとしたら。
ありとあらゆる移動手段の中で、
最も早く自分たちは、
ファースターへたどり着くことができる。
車掌が来る場合と、来ない場合。
まさに表裏一体であるこの仮定は、
どちらの事実が起こるかによって、
文字通り天と地の結果が生まれる。
誰かに見つかる可能性が一番高い選択肢が、
もっとも危険な移動手段にも、
もっとも安全な移動手段にもなり得る。
(このまま歩いていても埒が明かねえし、
ここは一発、かけてみるか……?)
プログは迷っていた。
虎穴に入らずんば虎児を得ずの精神か、
はたまた急がば回れの精神か。
と。
ちょうどのタイミングというべきか。
「オイ、どうするつもりだ」
「!」
「このまま歩いて目指すつもりか?
それとも、いずれ来る列車に忍び込んで、
ファースターを目指すつもりか」
まるでプログの頭をパカッと開け、
思考をすべて見通したかのように、
スカルドはプログへ投げかけた。
「あれ? 俺、独り言でも言ってたか?」
あまりに正確かつ詳細に、
自分の思考を見透かされたことに、
プログはわりと本気で疑ってみた。
もしかしたら、
自分が気づかぬうちにブツブツと、
独り言のように思考を外へと漏らしていたのか、と。
だが、
「アホか。
ンな大事なこと、
仮にお前がベラベラ喋ってたら、
俺がとっくに口封じしているわ」
「口封じって……誰かを殺したわけじゃあるまいし」
どうやら、
そういうわけではなかったらしい。
ともなれば、プログが当然、気になるのは。
「ちょっと待て。
だとしたらお前はなんで、
俺が列車に乗ろうかどうか、
考えているのが分かったんだ?」
「簡単な話だ。
お前がさっきから、
この線路沿いの道を選んで歩いていたからだ」
こともなげに、当たり前のように、
スカルドは涼しく言った。
「考えてもみろ、ここからは極力、
誰にも見つからないように、
王都を目指すつもりだっただろうが。
なのにお前は、
あの村を出てからずっと、
線路沿いの道を進んでいる。
最初はアホかと思ったが、
あえてその道を選び続けていたってことは、
お前の選択肢の中に、
列車を活用するものがあると考えるのが普通だろ」
いや、別に普通じゃないと思うが。
プログはすぐさま、心の中でツッコミを入れる。
事実、言われてみれば確かに、
列車が通る線路の近くを、
ここまで歩んでいる。
だが、それはあくまで無意識下のなかで選んだ道であり、
特段、列車に乗ることを明確に意識して、
ここまで来たわけではない。
つまるところ、
今回においては、
天才少年の考えすぎである。
(まあ、列車に乗ること自体は考えてたから、
完璧な無意識、ってワケじゃねえかもしれねえが)
深層心理、という単語がある。
人間が自らの思考を自覚できている部分は、
しばしば氷山の一角程度と例えられることがある。
つまり自らが考えて行動するものより、
無自覚に起こす行動の方が、
圧倒的に多いのである。
熱いものに触れたら思わず手を離すといった、
反射行動などは、その最たる例だ。
となれば。
プログの思考、無自覚の思考の中で、
あえて線路の近くを選んで通っていたということも、
絶対間違いとは言えない。
と、プログはここまで考えてみたのだが、
実際、意識下か無意識下か、
そんなことはどうでもよかった。
「んで、どうするつもりだ。
乗るのか、乗らないのか」
再び訊ねたスカルドの、
その言葉がすべてだった。
乗るか、乗らないか――。
ほんの数秒だけ訪れた沈黙を破り、
「よし、乗ろう」
スカルドの問いに、
結果として背中を押された格好となったプログは、
小さくうなずいた。
どのみちこのままチマチマ王都を目指しても、
もしかしたらファースター兵士に、
見つかるかもしれない。
ならばここで一発、
イチかバチかの賭けに出て、
一気に相手の懐へと潜り込む。
ローリスク、ローリターンより、
プログはハイリスク、ハイリターンを選んだ。
「……分かった。
ならば次に通過する貨物車両に、
素早く飛び乗るぞ」
スカルドはここでも、
プログの意見にあっさりと従う。
「オイオイ、随分とあっさり了承したな」
「言ったはずだ、俺はこの大陸を知らない、と。
無駄な論議をするくらいなら、
お前の出した選択肢を受け入れ、
何かあった時に備えた方が、
時間も無駄にならないからな」
「そういうもんかね……」
俺の選択も、
絶対に正しい保証はできねえんだが、と、
プログは喉の先端まで言葉が出かかったが、
なんだかめんどい事になりそうな気がしたので、
やめてお
「かといって、
お前の選択すべてが絶対に正しいと、
俺は微塵も思っていないがな」
……いたのだが、
これまた見透かされたかのように、
スカルドに先走られてしまった。
そして。
「ま、万が一の事があっても、
いざとなりゃ自分の身くらいは守れるようにしとけよ。
俺は自分の身を削ってまで、
お前を助けるつもりなどないからな」
「ハイハイ、そんくらい、
モチのロンでわかっておりますがな」
やっぱり面倒なことになる。
こりゃまだまだ気苦労が増えるぜと、
プログがふと
青く澄む上空を見上げた、
その時。
ピイィィィィ……。
「ん?」
雲一つない上空に1つ、
黒い点のようなものが飛び、
まるで円を描くように、
グルグルと旋回を続けている。
「……なんだありゃ。
鳥か?」
よくよく確認してみたら、
翼のようなものを広げるものに気づいたプログ。
群れをなしているわけでもない、
単独飛行をしているその鳥を、
さらに目を凝らしてみた。
はるか上空を飛ぶ、その鳥の種類は。
「鷲だな」
視線を真上に向けるプログとは対照的に、
半ば流し目程度に目標物を確認したスカルドは、
すぐさま大型の鳥類に分類される、
ワシであることに気づく。
ピイィィィィ………。
なおも数回、
旋回を続けたそのワシは、
やがてプログ達の進行方向とは逆へ、
僅かに聞き取れた鳴き声を残し、
飛び去って行った。
程なくして再度訪れた、2人の静寂。
「ま、田舎の方までくりゃあ、
鷲の一匹くらいはいるか」
それほど憂慮する事柄でもない――。
プログは地に足をつけ、
再び前を向き始めようとした。
だが。
「なんか臭うな」
「は?」
決して田舎の情事では済ませない。
天才少年の言葉が、
その行動に待ったをかけた。
「アイツ、何か動きが、
おかしかった気がするな」
「そうか?
そこら辺にいるワシと、
俺はそんなに変わんなかった気がするけどな」
「いや、そんなことはない。
明らかに動きが不自然だった」
「どの辺がよ?」
「アイツ、明らかに俺らの真上で、
何度も旋回していなかったか?」
「あー……」
言われてみれば、と。
プログはつい、数分前の出来事を、
思考回路に引っ張り出してみる。
完全記憶能力などない故、
8割程度のうろ覚えでしかないが、
思い返してみれば。
はるか上空とはいえ、
自分たちと直上の位置で、
あのワシはグルグルと、
一定のリズムを刻みながら、
およそ10数回、旋回を続けていた。
まるで明らかに自分たちを、
標的にしているかのように。
「もし俺らを獲物としてターゲットにしていたのなら、
多少なりとも、襲撃のアクションを起こすはず。
なのにアイツはただ旋回しただけで、
すぐに立ち去りやがった」
「途中で俺らが人間と気づいて、
敵わねえって逃げたんじゃねえか?
ほら、タカとかワシって、
めちゃくちゃ目がいいっていうだろ?」
一般的に、
鷲の視力は人間の8倍優れているといわれる。
視力検査でいうなら、5.0に近い数値。
いくら空高くを旋回していたとはいえ、
その驚異的な視力をもってすれば、
獲物として標的を定めていたものが、
想像以上の大物、すなわち人間だったと、
判別すことくらいはできるだろう。
プログの言った言葉は、
それほど的外れなものではない。
「アホ言え。
だとしたらあんなに長い間、
バカの一つ覚えにグルグル、
飛んでるワケねぇだろうが」
だが、懐から風船ガム(味噌味)を取り出すスカルドは、
冷たく突き放した。
「あの去り方は、おそらく強敵を目の前にした、
“逃げ”の去り方ではない。
“あえて”ここから去った感覚に近い気がする。
それも自分の意志ではなく、な」
「自分の意志ではなく、か……」
その言葉を聞いてすぐに、
プログは嫌な予感に襲われる。
逃げるために立ち去ったのではなく、
グルグル飛び回ったあげく、
“あえて”立ち去ったという仮説。
加えて、自分の意志ではない、
何かからの働きかけがあっての、
奇妙な行動。
「ってことはアレか?
アイツは野生じゃなくて、
誰かに飼われているワシってことか?」
「低くない可能性だと、俺は思うがな」
いともあっさり、天才少年は認めた。
そのあっさりさが、さらにプログの、
胸のざわつきを助長させる。
猛獣類最強とも称されるあの鳥が、
野生のものではなかったとすれば、
その驚異度は、ある意味野生のものよりも高くなる。
「あんまり、それ以上の事は、
考えたくねーな。
スカルドの言ってることがもし正しかったら、
あのワシはおそらく、俺たちの所在を――」
「だからこそ、
早くここから逃げる必要があるってことだろうが」
吐き捨てるように、スカルドは言った。
スカルドの仮定通り、
もし誰かに使役されているとするならば、
おそらくあの飼い鳥は今、
飼い主のところへと戻っている真っ最中になる。
そして、こんな辺鄙な場所でわざわざ、
自分らの現在地を探ろうとしている者として、
もっとも考えられるのは。
それは間違いなく、
自分たちにマイナスになるもの。
だとするならば、
取るべき行動はおのずと見えてくる。
もっとも、
「まあ、ここで俺達が列車に飛び乗ることすら、
飼い主は想定しているのかもしれないがな」
最後はやや自嘲気味に、スカルドは笑った。
ここまで回りくどく捜索している奴だ、
それくらいの思考が働いても、
なんらおかしくはない。
「んじゃ、どうするよ?
裏をかいて、このまま歩いて目指すか?」
「バカ言え。
それだとなおさら、
早く追いつかれちまうだろうが。
相手の手の中で踊らされている感があるのは気に食わねえが、
ここは列車で早く立ち去るべきだろ」
結論は、あっさりと出た。
言ってはみたものの、
別にプログもその案に反対ではない。
場所を知られたと仮定される今、
やらなければいけないのは、
とにかく一刻も早く、
この場から立ち去ることだ。
シュッシュッシュッシュ……。
そして、ここにきて彼らに追い風が吹いたのだろうか。
背後から、彼らが待ちに待った、
遠路から伝わる列車の動く音が聞こえてきた。
「おっ、完璧なタイミングじゃねえか!」
一転、嬉々とした表情でプログは急いで、
線路のすぐ横へと動く。
チャンスは一度きり。
それを逃したら、
次の列車がいつになるかは分からない。
腹をくくった以上、やるしかない。
「フン、面白い。
いいだろうよ、相手の手で踊らされるのなら、
最後まで踊り切ってやるまでさ……!」
まるで挑戦者を正面から受け付ける王者のように、
スカルドは笑い、そして間もなく通る、
列車へと近づいた。
次回投稿予定→12/10 15:00頃