第123話:村民の眼
「……ん?」
その違和感に、
サクラの家から出たプログは、
すぐさま気づいた。
「…………」
「…………」
その原因は明確で、
ファイタルの村民たちだった。
先ほどプログとスカルドをサクラの家に案内した途端、
蜘蛛の子散らすように散らばって行った村人たちが再び、
まるで磁石を近づけた蹉跌のように、
2人の近くへと集まっている。
老若男女、ありとあらゆる世代、性別の住民たちが、
姿を見せたプログ達を、待ち構えていた。
その数、ざっと数えて20数人。
先ほどサクラの家に来るまでに乗せられた、
通称村民号の数とほぼ等しい。
ゆえに、それほど驚く数字ではない。
だがおそらく、
事実がそれだけだったのなら、
プログはきっと、
違和感を覚えることはなかっただろう。
なんだ、終わったからまた様子を見に来たのか、
程度にしか思わず、意にも介さなかっただろう。
だが、事実はそれだけでは終わらなかった。
「……どうやら、
風向きが変わったようだな」
辺りを見回してポツリとつぶやいたプログの一言に、
すべてが集約されていた。
2人が気づいた、
違和感に直結する事実、
それは、村民たちの“眼”だった。
訪れた当初は、
外国からの訪問客という特殊性から羨望と物珍しさ、
そして若い男衆という特異性から明るさや輝かしさといった、
言わば“正”の眼を持つ村民が大半だった。
ところが、今は。
「…………」
「…………」
言葉を発さず、ただ黙って“よそ者”を見つめるその眼は、
明らかに“負”の性格を帯びていた。
あるものは罪を犯した者へと向けるであろう厳しい眼を、
またあるものは憐みの意を持つであろう、悲しい眼を、
またあるものは、いずれにも属さない、無に等しい眼で、
2人の心情へとまるで矢のようにグサグサと刺していた。
「……ちっとばっかし、
長居しすぎちまったな」
しぐじった、と。
プログは事実をそう受け止めた。
実際、サクラの家に滞在したのは、
長めに見積もっても、10分程度。
目的があって訪ねた人の家に居座る時間としては、
かなり短い部類であるはずだ。
だが、それでも事実は、見ての通り。
プログは失念していた。
田舎での噂が広がる、殺人的速さを。
プログは今、王女誘拐の罪を被され、
犯罪者扱いをされている。
きっと、村人の誰かが自分の顔と、
村のどこかに貼りだされているだろう、
お尋ね者、プログ・ブランズの顔を見比べ、
このような結果になったのだろう。
いくら平和という言葉を形にした村とはいえ、
ここはワームピル大陸。
スカルドはともかく、
プログにとっては圧倒的敵地。
間違いなく、意識はしていた。
だが、あまりの平和っぷりに、
わずか、ほんのわずかではあるが、
油断をしてしまった。
それが今、この状況につながっている。
ありとあらゆる、
負の感情で埋め尽くされた視線。
ついさっきまでの歓迎ムードと違うのは、
火を見るより明らかだった。
「お前さんたち……」
その中の一人の男が、口を開いた。
どこか気まずそうな様子を呈しつつ、
「いや、厳密に言えば、お前さんだけか。
一つだけ、聞いてもいいが?」
「ん、なんだ?」
どうせ聞かれることなど、わかっている。
指名を受ける格好となったプログは、
顔色一つ変えることなく、即座に返した。
一方の男は、
さらに気まずそうな表情を浮かべながら
まるで機嫌の悪い上司の顔色を窺うような様子で、
「いや、その……もしかして、
プログ・ブランズなのかい?」
やっぱりか、と。
当たりクジしか入っていない抽選箱から、
クジを引いたかのように、
予想していた100%の問いかけ。
「ああ、そうだぜ。
やっぱし、この村にも知れ渡ってたか」
「やっぱし……そうだったんけ……」
「今さら隠したところでどうにもならねえしな」
あえて開き直るかのように、
プログはわずかに笑ってみせた。
それは半分本音で、
残り半分はうわべだけの笑み。
というのも、口ではそう言いつつも、
プログの思考は、すでに次の行動について考えていたからだ。
(さて、こっからどう、ズラかるかだな……)
それこそが、直近の問題。
プログが、いや、正確に言えばプログ達が、
これからイの一番にやらなければならないこと。
最優先にされるべき行動は、
この村から速やかに立ち去ることだ。
このファイタルの村に入った直後は、
プログはスカルドに、
怪しまれないように行動すると話していた。
だがプログは、正直のところ、
ある程度までは覚悟していた。
ここはファースターの管轄大陸。
王女誘拐の汚名を着させられている自分のことを、
きっと知っているものはいるだろうと。
自分のことをお尋ね者と認識している者がいる、
それだけで村の中を歩き回ることへのリスクは数倍、
いや、数十倍にも膨れ上がる。
だが、プログはそれを押してでも、
サクラにアルトの無事を伝えたかった。
そして、それはきっと、
スカルドも同じ気持ちだったに違いない。
スカルドは、セカルタの王立魔術専門学校が誇る、
天才少年だ。
プログは皆まで言わずとも、
それくらいのリスクを読み取ることなど、
容易にできるはずだ。
だが、それでもスカルドは、
プログの行動に反対することをしなかった。
その理由はおそらく、
いや、間違いなく――。
「オイ、どうする」
そうこう考えているうちに、
気が付けば至近距離に、
無罪の天才少年がいた。
「説得、逃亡、どっちだ?
お前の蒔いた種だ、
お前が判断しろ」
囁くようにスカルドは、
年長者の男へ、決断を促した。
察するに、どうやらプログの決断を、
全面的に支持する構えのようだ。
プログは、ポツリと呟く。
「どうすっかな……」
だが、口ではそう言ったものの、
大方の結論は、すでに出ていた。
プログとスカルドは、
ファースター騎士隊騎士総長のクライドが、
セカルタで行われている、
3国首脳会議へ参加するために留守にしている、
王都ファースターの様子をうかがうために、
このワームピル大陸へと乗り込んできた。
つまり、この大陸においてもっとも優先されるべき行動は、
王都ファースターへ向かうことになる。
その道中で直面した、現在の状況。
ここでプログが考えなければいけないことは、
どの行動をとれば、より早く、より手短に、
そしてより容易に最終目標へと到達できるかを見極め、
実際の行動に移すことである。
そこでスカルドより与えられた選択肢、
説得と、逃亡。
前者の説得は、
今、目の前で冷ややかな視線を送る群衆達に対し、
自分が無害であることを証明する、
もしくは科せられたものが冤罪であるという、
対話による落としどころを探し、
その結果、円満にこの村から立ち去ることを目的とする。
一方、後者の逃亡は、
文字通りこの状況からの逃亡を意味する。
ただ、間違っていけないのは、
あくまでも逃亡であり、強行突破ではないという点だ。
とにかく逃げることに特化する逃亡に対し、
強行突破は武力突破の意味合いが、
どうしても付きまとってしまう。
もしここで自分たちが持つ、
武力というものに頼ってしまったら、
それこそ今どころの騒ぎでは済まなくなる。
ゆえに、あくまでもここから姿を消すだけという、
逃亡を用いて、強引にこの村から、
フェードアウトすることを目的としている。
(まあ、どっちがファースターへ行くのに近道か、
って言われりゃぁ……)
プログの腹は、すでに決まっていた。
ここで判断材料となるのは、
感情的な問題ではなく、論理的な問題だ。
説得という選択と、逃亡という行動。
どちらが、より最終目的へ到達するための時間を、
短くすることができるのか。
少なくともプログにとっては、
その答えは、わりと簡単だった。
最優先は、“とにかく”この場から脱すること。
“円満に”この場から脱することは、決して必要ない。
手段、方法は問わない、
“とにかく”早く、このファイタルという村から、
プログとスカルド、揃って逃げることが、
彼らの目的を達成する、一番の近道となる。
となれば、だ。
説得と逃亡、どちらを取るべきか。
(……ま、多少後味は悪いが、
しょうがねえわな)
複雑に絡み合う感情とは正反対の、
清々しいほどの青い空を見上げ、
プログはそう呟くと、スカルドの耳元で、
「俺らの背後が若干空いてるから、
そこから逃げ切るぞ」
「わかった。
遅れんじゃねーぞ」
「お前こそな」
答えは断然、逃亡だった。
彼らの最終目的を達成する中の条件に、
ファイタル村民達との仲を、
良好なものに保つという要素はない。
極端を言ってしまえば、
ファイタルの人たちを、
どれだけ怒らせようが悲しませようが、
目的さえ達成できるのであれば、
その部分は気にする必要がない。
無論、アルトの心情を考えれば、
そこまでぐちゃぐちゃにしようとは思っていないが。
と。
(ん? ちょっと待てよ?)
プログはここで、あることに気づいた。
(俺が犯罪者として追われてることを、
村の人は知っているのに……)
それは素朴にして、
しかし、ある意味恐怖にも思える疑問。
(なんでアルトが犯罪者扱いってことを、
知らないんだ?)
確かにプログは現在ファースター、
というより騎士総長クライドより、
王女誘拐の罪で犯罪者扱いをされている。
ただ、それは単独犯として、ではない。
元王女、ローザと行動を共にした者、
すなわちレナとアルトも、
同じ業を背負わされている。
同村出身のアルトが突如、
犯罪者として貼り紙が出された。
そうとなると通常ならば、
突然の来訪者が犯罪者、
プログ・ブランズと判明した時点で、
いや、もっと早い段階で考えれば、
自分がアルトと知り合いであることに気づいた時点で、
いち早くアルトの犯罪に関する情報を聞きたくなるはずだ。
ところが、ここの村民たちの反応は、そうではなかった。
いや、むしろアルトの無事を、
まるで自分の事のように喜んでいた人たちばかりだった。
プログという男が犯罪者であることを、
貼り紙によって知っているにもかかわらず、だ。
アルトが犯罪者扱いを受けている。
まるでその事実を、
まったく知らないかのように。
まるでこの村から、
アルトに関する情報のみを削ぎ落としたかのように、
村人たちは、何の反応も示すことはなかった。
(マジで知らねえのか?
アルトだけ、貼り紙がされてねえのか?
いや、そんなこと、有り得るのかよ……?)
逃亡のことを考えていた思考は、
いつのまにかそちらの方へと、
領域を増やしていく。
自分が冤罪とはいえ犯罪者、
という意識はもちろん持っていたのだが、
ここにきた当時は、完全に失念していたが、
レナも、そしてアルトもこの大陸においては、
犯罪者扱いなのだ。
「アルトの無事を知らせてくれたことには、
オラ達も感謝してるだ」
「そんな人が、犯罪を犯しただなんて、
信用したくないだ。
ただ……」
「おめーさん達が犯罪者ということをアルトが知ったら……。
いくらあんたらが良い事をしてくれたとしても、
オラたちは……」
相変わらずファイタルの民達は、
各々が負の感情を表しているが、
今のプログに、それらは届かない。
(どうする?
あえてここで知らせて、
あたふたいるうちに逃げるか……?)
おそらくアルトの詳細な事情を知らない彼らに、
有効な作戦としてプログがふと思いついたのは、
彼らの動揺を誘う作戦だ。
アルトの事情を知らない彼らに、
アルトが自分と同様の罪で犯罪者扱いであることを伝えれば、
きっと、いや、間違いなく動揺をするに違いない。
その隙をつき、ここから逃げ出す。
シンプルに逃げるという方法よりは、
心を揺らしているうちに逃亡する方が、
ミッションを達成する可能性が明らかに高いだろう。
それは事実として揺るがない。
心も言葉も、真っ黒な鬼にしてそれを成せば、
きっとうまくいくだろう。
だが、
(……いや、それは止めとこう)
プログは真っ黒い鬼となることなど、できなかった。
(それをやっちまったら、
アルトは二度と、
この村に戻ってこれなくなっちまう。
そんなん、アルトのためにも、
サクラさんのためにも、何にもならねえ……)
理由はそれに尽きた。
アルトが犯罪者であることを伝え、
彼らを動揺させることができれば、
おそらく2人は、この場から速やかに立ち去ることに、
成功することができるだろう。
それは目的を達成する上では、
必要な成功かもしれない。
だが、その成功は決して、
すべての問題をクリアできる、万能薬ではない。
彼らは脱出成功という成果と同時に、
この場に立ち会わぬアルトの名誉と、
そして居場所を犠牲に払うことになる。
他人を陥れる。
ましてや、この場にいない人物を。
もっと言えば、母親を探す少年が目的を達した後、
いずれ戻るであろう郷里を奪い去る。
(できるはずがねえよ、そんなこと……)
許されるはずがなかった。
たとえ目的が、
すべてにおいて優先される場合であっても。
つい先ほど、あれほど孫の事を想う、
サクラ・ムライズのことを思えば、
それだけは絶対に、してはいけないことだった。
「オイ、いつのタイミングで動くつもりだ。
チンタラしてんじゃねえよ」
苛立ちともとれる、
スカルドからの声が耳に届く。
プログだって、
そんなことは分かっている。
ただでさえ数十人に囲まれているこの状況、
これ以上の敵の増加は、
さらなる場の混乱をもたらす。
勝負の時は、
それほど遠くないところへと迫っていた。
「分かってるっての。
……10秒後だ。
俺が10秒数えるから、
その後全力で駆け抜けるぞ、いいな」
ようやくプログも、腹を決めた。
動揺は、誘わない。
ある意味正々堂々と、勝負に出ることを、
ここで決断した。
「俺らも、手荒な真似はしたくねえだ。
だから……」
村人の一人がそう切り出し始めたが、
「10、9、8、7、6、5……」
プログは構うことなく、カウントダウンを始めた。
これでいい。
俺らが何を話すことなくこの場から逃げれば、
少なくともアルトが、何かを疑われることはない。
戻ってきたアルトには、ほぼ間違いなく、
今まで通りの平穏な生活が、送れるようになる。
そう心に留めながら。
「4、3、2……」
ザッ……。
その時に備え、
わずかに右足を後ろに引いて重心を置き、
転進の態勢を整えた、まさにその時に。
「だから……。
サッサとこの村から、
出て行ってくれねえか……?」
村人の一人の口から2人に向け、
ファイタルからの、
退去命令が下された。
次回投稿予定→11/19 15:00頃




