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描け、わたしの地平線  作者: まるそーだ
第4章:個別部隊編
126/219

第122話:サクラ・ムライズ

「おや? もしかしたらあなたたち、

 アルトのお友達ですかえ?」


「友人というか、知り合いだ。

 彼が旅をしている道中、

 偶然出会っただけだ」


「あらまあ」


「名乗り遅れてしまったが、

 俺はスカルドだ。

 そしてコイツはプログ」


「スカルドさんに、プログさんね。

 私はサクラ・ムライズ。

 お会いできて嬉しいわ。

 それでスカルドさんとプログさんは、

 どちらからお出でになられたの?」


「エリフ大陸からだ。

 エリフ大陸の道中、

 少しの間だけだったが、

 彼とは行動をともにしていた。

 事情があって今はもう、別れてしまったがな」


「そうでしたか」


「それでたまたま、

 俺たちがファースターへ行く機会があって、

 無事であることを伝えようかと、

 あなたを訪ねたってわけだ」


口調は今までと同じであれ、

まるで別人であるかのように、

スカルドは軽快に言葉を並べた。



(……コイツ、こんなに喋るヤツだったか?)



常日頃、耐え難い陰湿な言葉と、

冷ややかな視線を浴びることが多いプログは、

あまりのギャップに、

ポカンと口を開いてしまっている。


正直、アルトの祖母と面会したら、

どうせ『詳しい話はお前がしろ』とかなんとか言われ、

面倒事を押し付けてくるんだろうと踏んでいた。

よって、どういう話し方をしようかと思案していた、

そこからの、このスカルドの変貌ぶりである。



「そう……。

 アルトの無事を私に伝えてくれるだけのために、

 わざわざこんなところまで……。

 本当にありがとう」


「彼は元気でやっている。

 今はまだ、こちらには帰ってこれないようだが、

 目的さえ果たせば、きっとあなたのもとへと、

 帰ってくるはずだ」


「アルトは今、どこにいるのかい?」


「今はディフィード大陸へ向かっているはずだ」


「ディフィード大陸!

 おやまあ、随分と遠くまで……!」


「だが1人で、じゃない。

 俺ら同様、道中知り合った者達と一緒に行っているから、

 おそらくそれほど危険な状況には、追い込まれないはずだ」


「そう……あの子が……他の人と……」



サクラは、柔らかい表情のまま、目を細めて言う。

突如として聞かされた嬉しい情報に、

自然に口角もあがっている。



「あらら、私としたことが。

 もしよろしかったら、中へどうぞ。

 大したおもてなしはできませんが、

 お茶くらいならお出しできますから」



どうやら2人を信用してくれたのだろうか、

サクラはゆっくりと体の向きを変え、

家の中へと、スカルドとプログを招き入れようとする。



(ふう、やれやれ。

 とりあえず、落ち着いて――



中で話すか、

とプログは一歩を踏み出そうとしたのだが。



「お気遣いいただきありがたいが、

 俺達もあまり長居ができない」



スカルドは、

感謝の配慮をしつつ、その申し出を断った。



「ついで、といっては悪いが、

 俺達も、元々はファースターに用事があるからな」


「あら、そうでしたか。

 そんなお急ぎのところ、

 わざわざお越しいただいて、

 本当にありがとう」


「こちらこそ、大事な孫の話をしっかりできず、

 申し訳ない」



少年はサクラに対し、

そっと頭を下げた。

今までプログはもちろん、

レナにさえ強気の口調を崩さず、

敵とはいえ、学び舎の長でもあったレアングスですら、

鼻で笑うような態度しか見せてこなかったスカルド。

その高飛車な少年が、何の躊躇もなく、頭を垂れる。

たった一つ、孫の安否を気にする老婆を、

少しでも安心させるために。



「…………」



口は悪いが、

礼を重んじるスカルドの背後で、

プログもおもむろに、

サクラに対して深々とお辞儀をする。

それは驚くほど素直で、

何の引っ掛かりもなく、

プログは少年の行動に従うことができた。


このスカルドという少年、

悪い意味でも、

そして良い意味でも12歳とは思えぬ、

常人離れした人間であると、心に思いながら。



「お二人とも、どうか頭を上げて。

 頭を下げなければいけないのは、

 むしろ私の方よ」



サクラは突如の訪問者に対し、

優しく語りかける。



「あなたたちのような人と出会えているのなら、

 アルトにとって、とてもいい旅をできているのでしょう」



再び頭を上げた二人の前で笑うサクラの眼には、

ほんの少しの涙が見え隠れしている。



「あの子は本来、とっても内気な子なの。

 アルトの母親、ヴェールがいない間、

 あの子はずっと、さびしい思いをしていたわ」


「そんなことはないと思いますよ。

 ヴェールさんがいない時はサクラさんが、

 アルトの近くにいてあげたんですよね?

 それだけで、アルトは絶対に――」


「いいえ、それではダメなんです」



プログの言葉に対してサクラは静かに、首を振った。



「私ができるのはあくまでも母親の代わりであって、

 母親ではないのです。

 本来、子が一番愛情をもらえるのは、母親と父親。

 幼くして父親を亡くしたアルトにとって、

 ヴェールは、母親は特別な存在なのです」


「…………」



近くの椅子に腰を掛けて話す祖母の言葉に、

プログとスカルドは口を余計なはさむことなく、

耳を傾ける。



「あの日、アルトが私の娘、

 ヴェールを探しにいく言い出した時、

 心の中で、ついにこの時が来たか、と思いました」



懐かしむように、サクラは言った。



「いつか、この日が来るだろうと。

 母を追ってこの子が、

 いつかは私の元を離れる、

 その時が来るのだろうと。

 ヴェールにアルトを託されたその日から、

 覚悟はしていたの」



懐かしむように、

でもわずかに寂しげに、

サクラは言った。



「でもそれはきっと、自然なことだから。

 子が母を求めるのは、当たり前のことだから。

 母ではない、祖母という存在である私にできることは、

 ヴェールお母さんを探しに行きたいと願ったあの子を、

 快く送り出してあげること、

 本当ならば、それしかなかったはずだった」



懐かしむように、寂しげに、

それでいて悲しみを抱え、サクラは言った。



「でも私は、アルトの想いを無視してしまった。

 旅に出たいと申し出た彼の願いを、

 踏みにじってしまった。

 彼を心配するという建前を使って、

 アルトを何とかこの村に、

 一日を平和に過ごすことができるこの街で、

 ずっと暮らしてほしいと願ってしまった」


「でも、サクラさんは最終的には、

 アルトに旅立つことを、許してあげたじゃないですか」


「そうじゃないの。

 本来ならば、反対することもいけなかったの。

 他でもない、アルト自身の意志で決めたことならば、

 私は迷わず、送り出してあげなければならなかった」



プログの言葉にサクラは、

悲しげな笑顔で答えた。



「でも当時の私は、それができなかった。

 私の心が弱かったから」



悲しげに、そして悔いの心を胸に秘め、

サクラはうっすらと浮かんだ涙をぬぐった。


回顧、哀愁、悲哀、そして、後悔。

生まれて70近く年を重ねた祖母、

サクラ・ムライズは、

まるでマーブル色のような

いくつもの感情が絡み合う、

そんな表情を見せていた。



(…………)



プログは、何も言うことができなかった。

言えるはずもなかった。

何と声をかければいいか、わからなかった。


どれだけ思考を重ねても、

20年強の人生しか歩んでいない彼にとって、

その3倍以上は時を重ねているであろう、

目の前の老婆を納得させる言葉など、

過去に囚われ、

負の螺旋から抜け出すことのできない彼女を救い出す、

そんな言葉など、一切見つけられなかった。


プログはチラリと、スカルドの方を見やる。



「…………」



プログと同じ感情なのだろうか、

天才少年もまた、

一切の言葉を発することなく、

静かに目を閉じたまま、微動だにしない。


チッ、チッ、チッ、チッ、チッ。

時を刻む針のわずかな音だけが、

正確に、無機質に、空間を支配する。


実際、先を急ぎたい。

だが、それは決して許されない行為だった。


サクラに許されないわけではない。

プログの心が、それを許さない。


今はただ、目の前の淑女が次の言葉を発するのを、

見守ることしかできなかった。



「……ごめんなさい、

 少し取り乱してしまったわね」



先の言葉から、どれくらい経っただろうか。

サクラは再び微笑みを取り戻すと、言葉を紡ぎ始めた。



「不思議なものね。

 お二人とも初対面のはずなのに、

 ここまでお話ししてしまうなんて」


「あ、いや、その……」



すみません、と。

プログはすぐに謝ろうとした。

故意ではないにしろ、

結果としてサクラの辛い過去の記憶を、

蘇らせてしまったのだから。


それは、“不思議なもの”という、

サクラの気遣いで有耶無耶にしていいワケがなかった。


だが、



「ごめんなさい、少し話すぎてしまったようね。

 あなたたち、先を急ぐんでしょう?

 アルトの無事を教えてくれて、ありがとう。

 それに、バアバのつまらない話に付き合ってもくれて、

 本当にありがとう」



プログの謝罪の言葉よりも早く、

サクラは椅子から腰を離し、にっこりと笑った。


歳を重ねたものだけが表現できる、

破顔一笑とはまったく違う、

暖かさと朗らかさが同居する、

どこか安心した笑顔。


その光景を見せられてしまっては。

サクラのその姿を目の当たりにしてしまっては。



「いえ……そんな、俺達は……」



もはや謝罪など、できるはずがなかった。


きっとサクラは、

そんなことは望んでいないと思ったから。

きっとサクラは、

プログ達に前を向いてほしいと、

思ってくれているから。


プログはもう一回、

無言のまま深々とお辞儀をした。

対するサクラも、

会釈をするように軽く頭を下げる。


これで当初の目的の一つは、達成した。

プログはもう一つの目的を果たすべく、

サクラの家を後に



「……それでもアイツは」



ふとスカルドが、口を開いた。



「……?」



見送りの笑顔を浮かべるサクラに対し、



「それでもアイツは、

 あなたに感謝していると思うぞ」



それまで閉じていた眼を細く開き、

腕組みをしながら壁にもたれかかる少年は、続けた。



「スカルドくん?」


「俺はアイツじゃないから、

 あなたの孫がどう思っているかは知らない。

 だが、もし俺がアルトと同じ立場だったのなら、

 たとえ母親探しを一度反対されていたとしても、

 あなたに対する感謝の気持ちは、

 少しも揺るがないな」


「…………」



徐々にサクラの顔から、

見送り笑顔が消えていく。

おそらく自分よりも50近く歳が離れているであろう、

ひよっ子少年の言葉に、真摯に耳を傾ける。



「12歳の俺ごときが、

 何を言っても尻が青いと思われるだろうが」



そう前置きしたうえで、



「あなたがここまで孫を育てたから、

 アルトは今、母親を懸命に探すことができている。

 立場は祖母と孫であれ、

 その事実は変わらない。

 もし母親じゃないからと、

 あなたが育てるのを放棄していれば、

 今のアルトはいなかったはずだ。

 でも、あなたはそれをしなかった」


「…………」



「アイツが母親を探しに旅に出たのは、

 もちろん、自分のためということもあるだろうさ。

 ただ、おそらくだが、

 それ以外にも貴女のために、

 自分を我が子のように育ててくれた、

 サクラさんのために何としても、

 という気持ちも、少なからずあると、俺は思うがな」



スカルドは、もたれかかっていた上体を起こす。

それこそ祖母と孫ぐらい歳の離れる少年からの、

まさかの説法に驚くサクラの表情を見ることもなく、

邪魔したな、とでも言いたげに首だけ軽く下げ、

あいた口が塞がらない状態で立ち尽くすプログの横を通り、

家の外へ、何事もなかったかのように歩き出す。



「スカルドくん……あなた、もしかして……」



思わず口から漏れ出すかのように、

サクラは少年を呼び止める。


人生70年も生きていれば、

一つの言葉、発言だけで、

それ以上の意味を感じたり、

その発言者のバックグラウンドを読み取ることが、

それまでの自らの経験でできるようになる。


その経験則から、サクラは気づいていた。

この少年、もしかして――。



「…………」



一方のスカルドは、

サクラの五分の一にも満たない、

わずかな人生しか、送ってきていない。


そのわずかな経験で、

先のサクラの発言の意図、真意を、

どこまで読み取れたかは分からない。



「……残された身というのは、確かに辛い。

 ただ、前に進むことができない人間を見ることは、

 もっと辛いことだと、俺は思いますよ」


「!」



最後にそれだけ残し、

スカルドはサクラの家を後にした。

何かに気づいた、

少年の言葉によって心の底に眠っていた何かに気づかされた、

そんな表情を浮かべたサクラの方を、一切見ることなく、

少年はその場を去った。



「…………」



一方、取り残される形となったプログ。

いつもならまったくアイツはとか、

オイオイ俺だけ置いていくんじゃねぇとか、

お決まりの言葉を残して出るのが相場なのだが、



「……。

 俺達みたいな若い奴らが、

 生意気言ってすいません。

 今度また、アルトに会うことができたら、

 サクラさんのこと、伝えておきますから」



プログは真摯に、真剣に伝えた。

それはきっと、プログもスカルドと、

同じことを考えていたからだろう。



「それじゃあ、長居しちゃって、

 すいませんでした」



もう一回だけ、プログは深々と頭を下げると、

スカルドの後を追おうと、サクラに背を向けた。



「……プログさん」



入口の扉のドアノブに手をかけた瞬間、

サクラの言葉がプログの足を止める。



「はい?」



プログが後ろを振り向くと、



「……アルトの無事を伝えてくれてありがとう。

 それに、私の事も気遣ってくれて、本当にありがとう。

 スカルドくんの言うとおり、

 私も前を見て、しっかり進まなくちゃ、いけないわね」



そこには今にもこぼれそうな涙を懸命に堪えながら、

それでも精一杯に微笑む、サクラの姿。

そこには、先ほどまでの悔い、悲しみ、寂しさの面影は、ない。



「アルトがヴェールを連れて帰ってくるまで、

 バアバもしっかり長生きしてないとよね」


「……そうですね。

 アルトにとっては、ヴェールさんも、

 サクラさんも、きっとどちらも大切な存在でしょうから」


「今日はわざわざ来てくれて、本当にありがとう」


「とんでもないです。

 それじゃあ」



プログは今度こそ、

次なる目的へと扉を開けようとしたが。



「あ、最後に」



再び、サクラの言葉がプログの体を止めた。



「私はスカルドくんが、

 どのようなご家庭で育ったのかはわからないけれど、

 彼もきっと、すごく寂しい想いをしてきているでしょうから、

 プログさん、彼の、スカルドくんのことも、

 よろしくお願いしますね」



サクラは再び、朗らかに笑った。


「…………」



スカルドの、寂しい想い。

プログは、その理由を知っている。

確かに、あの天才少年は、

癒し難い寂しい想いを身に受け、

ここまで生きてきている。


サクラの今までの人生経験は、

スカルドの言動だけで、

そこまで背景を映し出したのだろう。


だが、それはおそらくサクラが考えているような、

生易しいものではない。


彼が背負った悲しみ、寂しさ、

そして、憎しみ。

決して、プログがどうにかできるものではない。


彼の持つ負の感情を、

取り除くために必要なこと、

スカルドがとろうとしている行動、

それは――。


「…………わかりました」


まるで機械のようなぎこちない笑顔を浮かべ、

プログは一言、それだけ口にすると、

サクラの家を後にした。


次回投稿予定→11/12 15:00頃

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