第115話:救いとは
「ウィルにペストでやンスか……。
こんなところまで、どうしたでやンスか?」
「隊長こそ!
俺たち、必死で探したんですよ!?」
ウィルと呼ばれた、
背高の男が開口一番そう言えば、
「そうですよ! 隊長ったら、
僕らの前からいきなりいなくなるなんて……!」
ペストと呼ばれる男は、
やや言葉を詰まらせながら、
かつての上司へ言葉を投げかける。
上司は再び訪れた、
またとないチャンスに、
冷え切った体温を一気に上昇させながらも、
「もう、その呼び名はしなくていいでやンスよ。
俺はもう、お前らの隊長でもなんでもない、
ただのみすぼらしいクソ野郎でやンスから」
せめてもの姿を見せたいのか、
イグノは皮肉交じりに言う。
せっかくのチャンスをまた無駄にするのか、
やはりちっぽけなプライドが、
イグノの登り階段の歩みを阻むのか、
プライドの塊はまたも、
他人の懐に飛び込むのをためらった。
「止めてください隊長。
俺たちにとって、
隊長はいつまでも隊長ですから」
「そうですよ。
僕らの隊長は、あなたなんですから」
そんなクソ野郎に対する、
二人のまっすぐの目が、
一ミリたりともズレることがない。
だが、今のイグノにとっては、
その視線が槍の如く痛い、
というよりもあと少しで、
意識を持っていかれるくらい痛い。
自分の斜に構えたこの態度と、
彼らの純朴すぎる、まっすぐな視線。
「と、とにかくお前らよく、
俺がこの場にいることがわかってでやンスねッ」
とにかく話題を変えようと、
イグノはサッと視線を逸らした。
「任務でたまたま、
この近くによる機会がありまして」
「隊長はよく、
エリフ大陸で任務にあたられているのを思い出したので、
それでここまで」
「そうか、
任務で、でやンスか……」
もしかして自分を心配して探してきてくれた、
僅かでもそう思ってしまっていた自分を恥じ、
また、あれほどレナの時に悔いていながら、
いまだに過去の栄光にすがろうとしている自分の驕りを、
再び悔いながら、
イグノは力なく地へ座り込んだ。
思わぬ来訪で忘れていたのだが、
イグノは二日前から、何も食べていない。
本来立っているだけでも、
相当な力を消費する。
背筋を伸ばしてピシッと伸ばそうともすれば、
もれなく立ちくらみに襲われるくらい、
イグノのエネルギーは底をつきかけている。
少しでも気を抜けば、
腹の音が鳴り続ける、今の状況。
先ほどこそ、少し休憩をしようと思っていたが、
体中のエネルギーが切れかかっている今の体調で、
この極寒の外で睡魔に負けてしまったら。
命の保証は、どこにもない。
この場で寝ることは、
死のリスクを格段に高める。
生きる可能性を繋ぐには、
目の前にいる救世主、
かつて自分の部下として命を下していた、
ウィルとペストが差し出そうとしてくれている、
救いの手を取るしかない。
「隊長、ここは危険です。
とにかく今日は、
俺たちと一緒に休みましょう」
「そうですよ、
宿屋の部屋、僕らが確保していますので。
さあ、隊長!」
あとは、彼らの救いにあやかるだけ。
ただ、それだけだった。
だが、それでもイグノは、
その手を取ることをためらった。
理由は二つほどある。
一つは、
己は騎士隊を追われている一方で、
彼らはまだ、騎士隊の一員ということだ。
ウィルとペストは、
何かの任務を遂行している途中に、
偶然、自分と出会った。
もし、騎士隊を追われた者に、
助けの手を差し出しているのを、
他の騎士隊員に目撃されてしまったら。
イグノ自身はおろか、
ウィルとペスト、
二人にもあらぬ疑いがかかり、
自分と同じ道をたどらせてしまうかもしれない。
それは、くだらないプライドでも、
見栄を張りたい虚栄心でもない。
部下であるが故に現れた、
何とも堪えられぬ可能性だった。
助けてほしい。
でも、助けてもらえば、
今度は彼らが、
窮地に立たされることになるかもしれない。
これが一つ。
そして、もう一つは――。
「――――っ」
イグノはゆっくりと口を開き、
彼らに“もう一つの理由”を伝えようとした。
――が。
「……お前ら、早く任務に戻るでやンスよ」
結果、イグノの下した結論は、
そういうことだった。
「隊長ッ!」
「もう一回言うでやンス、
俺はもう、お前たちの隊長じゃないでやンス」
「ですが……ッ!!」
「ウィル、ペスト、
よく聞くでやンス。
今ここで俺を助けてしまったら、
後々取り返しのつかないことに、
なってしまうでやンス。
元隊長だった俺としては、
そんな姿だけは、絶対に見たくないでやンスよ」
「隊長……ッ!!」
徐々に言葉を失っていく彼らに対し、
イグノはトレードマークでもある、
バンダナを風になびかせながら、
アヒル口でニカッと笑ってみせると、
「さあ、これが元隊長として、
最後の命令でやンス。
お前ら、早く任務に戻るでやンスよ。
こんなところで道草食っていたら、
クライド騎士総長様に、
大目玉をくらうでやンス」
言って、イグノはおもむろに、
今にも泣きそうな二人に、背を向けた。
彼らが早く、
任務に戻ることができるように。
きっと自分の顔を見ていては、
なかなかこの場を、
立ち去ることができないだろうから。
せめてもの贈り物、
とばかりに、
イグノは彼らの視線から外れた。
彼の、
結局はこんなダサい、
終わり方しかできない彼なりの、
せめてものけじめだった。
元上司から託された言葉、そして思いを受け、
二人の元部下はしばらく黙りこんでしまったが、
やがて、
「…………わかりました」
ウィルは軽くうつむくようにそう言い残すと、
「では俺たちは任務に戻り――」
隣にいるペストと顔を合わせ、
小さく一つうなずくと、
「あなたをぶっ殺させていただきます」
「ッ!!」
腰に携えていた剣を引き抜き、
大きく振りかぶってイグノをめがけて突き刺した。
グサッ!!
相手の動きを待つことなく振り下ろされた剣は、
すんでのところで対象者から逃げられ、
深々と地面へと突き刺さる。
完全な不意打ちながらもイグノは間一髪、
ウィルが放った致命的な攻撃をかわしていた。
あとコンマ数秒でも遅れていれば、
間違いなく歪んだ凶剣の餌食になっていただろう。
「チッ、勘だけは鋭いな」
忌々しく吐き捨てたペストの目つきは、
今までのそれとは明らかに違う。
憎き者、
いや、むしろ汚らわしい者を睨み付けるかのような、
どこか賤しみの目で、イグノを蔑んでいる。
「……やっぱり、でやンスか」
一方、イグノは予定通りとばかり、
しかし少しだけ悲しげな表情を垣間見せながら、
口を開いた。
「大きな機密情報は持っていないにしろ、
少しでも騎士隊の秘密を知っている俺を、
あの騎士総長様がそう簡単に、
野放しにするはずがないでやンス」
「フン、少ない脳みそで、
よくわかっているじゃないか」
つい数分前までの態度とは180°変わり、
ウィルはかつての隊長に対して鼻で笑う。
「近々追手が来ることくらい、
分かっていたでやンスけど……。
まさかとは思っていたが、
本当にお前らが来るとは」
「僕たちもがっかりですよ。
せっかく隊長候補に格上げしてもらって初めての任務が、
こんなポンコツの追跡とはね」
「まあでも、覚悟はしていたでやンス。
お前らがもし姿を現したら、
それはおそらく、俺を殺しに来た時だろう、とね」
そう、イグノは最初から、
予期をしていたのだ。
イグノが途中で導き出していた、
彼らの手を取ることをためらった、
二つの理由。
一つは、彼らの未来の処遇を案ずること。
そして、もう一つは、
彼らが自分に対する追手である可能性がある、
ということだった。
腐っても鯛、とは言い得て妙で、
イグノはこれでも、7隊長の一人として、
ファースター騎士隊の前に立っていた男だ。
情報の大小はあれど、
数多の軍事行動、作戦に関与してきた以上、
否が応でも何かしらの機密情報を、
イグノは保持していることになる。
そして、その情報は間違いなく、
クライド、いや、
王都ファースターを仮初とした犯罪集団、
シャックにとって漏れてはいけない情報となる。
人をクビにすることは簡単だ。
その対象者の上司にあたる人物が一言、
『お前はクビ、明日から勝手に生きろ』とさえ伝えれば、
いとも容易く、解雇が成立する。
事実、イグノも今から一週間弱前、
急にクライドに呼び出され、
『明日から暇を与える、
好きに生きてくれていい』
と、伝えられただけ。
そこに、事前の通知や、
申し送りもない。
ただただその瞬間、
騎士隊隊長から無職へと変わる、
それだけだった。
だが、解雇という、
物理的に存在を消す行為は容易にできても、
イグノの脳に蓄積された、
騎士隊隊長として在籍していたころの経験、
または知識といった、
精神的な存在を消す行為は容易ではない。
それこそ、記憶喪失にでも陥らない限り、
イグノの思考の一部をそぎ落とすことはできない。
だが、クライドにとって一番恐れるものは、
そのイグノの知識である。
もしクビにされた腹いせに、
イグノがファースター、
そしてシャックに関する情報を、
他の王都へ漏えいしたとなれば。
はじめは小さな綻びが、
大きな綻び、そしてひいては、
取り返しのつかない、
大きな反乱組織を形成する可能性が出てくる。
それだけは何としても避けたい。
そしてクライドが導き出した答え。
それが、イグノの抹殺だった。
本人の意思関係なく、
口を封じなければいけないのなら、
その命を絶てばいい。
クライドの行動は早かった。
イグノに解雇を言い渡した、
わずか数時間後には、
かつての部下だったウィルとペストを呼び寄せ、
元上司の抹殺を命じた。
無論、ウィルとペストが動揺することも想定し、
しっかりとニンジンを用意していた。
すなわち、隊長候補。
イグノを仕留めた方を、
新たに騎士隊の隊長を任せるという、
一介の兵士からすればこれ以上ないチャンスを、
二人に与えたのだ。
かくしてウィルとペストは、
隊長を敬う義理堅い部下から、
出世欲にまみれた殺人鬼へと姿を変え、
イグノの前へと、再び現れたのだった。
「隊長候補、か」
イグノは自嘲気味に笑う。
「出世したいお前らにとっては、
またとないチャンスでやンスな」
「その通りさ。
まさかお前みたいなポンコツを倒すだけで、
隊長のイスを用意してくれるなんて、
まったく、騎士総長サマサマだぜ」
「おっと。
わるいが隊長のイスは僕がいただくよ。
こんな雑魚、僕の魔術で一撃だろうし」
「何言ってやがる。
最初に攻撃を仕掛けたのは俺だぞ。
お前はしばらく黙ってそこで見ていろ」
「冗談。
ウィルはすでに一回、
攻撃外しているだろうが。
次は僕の番だ」
ニンジンに踊らされる二人は、
イグノを前にして小競り合いを始める。
(哀れでやンスね)
イグノが心の中で呟いた、その言葉。
二人に対しての言葉、
そしてこのような部下を持ってしまった、
自分への戒めの言葉。
どうしてこうなったでやンスか。
イグノは悲しみを覚え始めていた。
「まあいい。
トドメを刺した方ってことでいいだろ。
今はとにかく早く、
このポンコツを殺すぞ」
「分かったよ。
まったく、自分から仕掛けたってのに……ッと!!」
瞬間、ペストの指先から、
野球ボール程度の大きさの火球が放たれる。
ビュンッ、と風を切りながら迫りくる火の玉を、
イグノは体をひねるだけでよけた。
「まだまだッ!
それだけじゃねえぜッ!!」
続けざまに、ウィルが剣を振り上げながら、
猛然と突き進んでくる。
「甘いでやンスよ」
イグノは半身のまま、
真上から振り下ろされた剣筋を、
バックステップでかわす。
グギュルルルルッ!
瞬間、イグノの腹部に襲い掛かる、
胃を溶かさんとばかりに刺激する、
ジワリと沁みる痛み。
(クッ……!
お腹が……ッ!!)
バックステップを踏んだイグノの膝に、
いつもはしっかり入るはずの力が入らない。
空腹によるエネルギー切れ。
約二日間、何も口にしていないイグノにとっては、
いつもは何ともない、
ほんのちょっとの動きでも、
まるで短距離走を走った直後のような、
体力低下をきたしてしまう。
「ホラホラ、ここからが本番ですよッ!」
ペストは愉快犯のように、
後方から続けざまに火球を放ち続け、
「ハッハッハ、いいねえ踊るねえッ!」
ウィルは高笑いを響かせながら、
剣を振るい続ける。
一撃必殺を狙うかのように、
ウィルの攻撃は大振りで狙いも甘く、
またペストの火焔は、
下手な鉄砲も数打ちゃあたる、とばかりに、
無規則にイグノの周りに着弾する。
いつもの、
あのレナ達と異空間で戦った時のイグノであれば、
この程度の攻撃は難なく避けられる。
いや、それどころか、
様子をうかがいつつ反撃に転じる、
それくらい雑なコンビネーション、攻撃。
だが、今のイグノには、
ギリギリでかわし続けるのが精一杯だった。
空腹、熱量切れ、そして、疲労。
「はあっ……はあっ…………!!」
彼らの襲撃を受けてから、
わずか数分後には、
徐々に息が上がり始め、
ぜえぜえと、肩で息をせざるを得なくなる。
膝はわずかに笑い始め、
踏ん張りが利かなくなってきてしまう。
攻撃に対する反応も、徐々に鈍くなり、
回避する動きも遅くなる。
極寒にも関わらず、
前進から滝のように噴き出す汗。
「いいですねえいいですねえッ!!
とてもいい無様な姿ですよ、元隊長様ッ!!」
「オラオラッ!!
まだまだ楽しませてくれよッ!!」
だが、二人は攻撃の手を緩めることはない。
トーテンの町郊外でひっそりと繰り広げられる、
無慈悲な虐殺。
住宅エリアからは距離があるため、
助けに来てくれるはおろか、
この悪夢のような光景に気づく住民はいない。
次々と制限、奪われてイグノの行動範囲。
もはや、捉えられるのは時間の問題だった。
(……お似合いかもしれないでやンスね)
まるで眠る前の脳状態のように、
鈍くなる思考を必死に巡らせ、
イグノは悲しく笑った。
(仕事もできずにクビになって、
最後部下に裏切られて死ぬ。
俺みたいなクソ野郎には、
こんな最期がちょうどよかったんでやンス)
これが、運命。
そう受け入れてしまえば、
あとはすぐに楽になれる。
(どうせ行くアテもない、
職も金も知り合いもない、
誰も悲しむヤツなんていないでやンス)
死に物狂いで動き続ける、
この足を一瞬だけでも止めれば、
すべてを終わらせることができる。
ならばもう、いっそのこと――。
自らが口数の多い、
やかましいヤツであることは自覚している。
せめて最期くらいは静かに。
何が来ても恐れることなく、
恐怖を覚えることなく、安らかに。
イグノは足を止め、
そっと、目を閉じようとした、
まさに、その瞬間だった。
「随分と面白そうなことをしてるじゃない」
悪夢の中に聞こえた、その声。
「あ?」
予想外の事態に、
ウィルとペストも思わず手を止め、
声が聞こえた方へと振り返る。
3人の視線の先にある木の陰から、
ゆっくりと姿を現したのは。
「面白そうだから、
あたしも混ぜてもらっていいかしら?」
そこにいたのは、
明らかに何かを企んでいる、
ニヤッとした笑みを浮かべ、
腕組みをするレナだった。
次回投稿予定→9/3 15:00頃




