第96話:酔っ払いちゃん?
「しっかしアレだな、
あれだけ空気が汚ねぇトコから外に出ると、
空気がおいしく感じるって言葉も、
あながち侮れねえと思うね、俺は」
まるで今まで寝ていたかのように、
プログは酒場を出た瞬間から、
体のありとあらゆる場所を伸ばしている。
何をワケのわからんことを、
とレナは外気同様、
冷ややかな視線をプログに注ぐが、
確かにこれほど外の空気を恋しいと思ったことは、
レナ自身もないかもしれない。
それくらい、酒場の空気は酒の臭いで淀んでいたのだ。
こんな具合じゃ、
たとえ二十歳になったところでお酒なんて、
絶対に手を出したいと思わないわね、
などとレナが考えてながら宿屋への道を歩いていると。
「ちょ、皆さん……。
できれば、あの……もう少しゆっくり……」
「ん? どうしたの――ッ!!」
振り返ったレナは一瞬、
自分の目を疑った。
そこにはまるで熟れまくったリンゴのように、
顔を真っ赤に染めた、蒼音の姿が。
顏だけではない。
ポニーテール姿から見え隠れする首元も、
上下の防寒服からわずかに姿を見せる手足も、
顏同様に、真っ赤っ赤なのである。
ふだんは透き通るような、
白い肌の持ち主であるだけに、
レナはその変わり果てた姿に思わず、
二度見をせざるを得ない。
同様に異変に気付いたアルトは、
慌てて駆け寄る。
「ど、どうしたの蒼音ちゃんッ!?」
「ごめんなはい、
なんか頭がボーっとしちゃって……。
風邪ではにゃいと思うんですが」
「寒気とかはないの?」
「寒気はないれす。
ただ、頭だけがボーっと……」
「頭だけがボーっとって……。
蒼音ちゃん、お酒にもしかして酔ったの?」
明らかにろれつが回っていない蒼音を見て、
アルトはすぐに、
症状の原因が分かった。
氷点下10℃を下回るこの寒さなら、
風邪を引いても何らおかしなことではないだろう。
だが、風邪初期症状、
例えば寒気やのどの痛み、鼻水等々。
こういったものがなく、
かつ頭がボーっとするとなると、
先ほどまでの環境と照らし合わせれば。
気術の一環で生態学も勉強しているアルトにとっては、
さほど難しくない判断だった。
だが。
そうだとしたら、
おかしな点が一つだけある。
「酒に酔ったって……。
俺ら、一滴も飲んでねーぞ?」
プログは真っ先に、
その“おかしな点”を指摘した。
先ほどまでレナ達が滞在していた、
大人の楽園、酒場。
その楽園内で、未成年のレナやアルトはもちろんのこと、
成人のプログ、そして今酔っ払い状態である蒼音も、
ただの一滴も酒を口にしていない。
フロウに何度か、
話の流れ抜きにして、
ということで勧められたのだが、
未成年であることと、
話の方が大事だからと言う理由で、
すべて断っていたのだ。
無論、途中で席を抜けた者などいない。
よって、隠れてこっそりお酒を、
という可能性はない。
というより、
自分の意志決定ができない蒼音が、
みんなに隠れてコソコソと酒を、
などということをするなど考えにくい。
つまるところ、
蒼音は酒を口にしていない。
にもかかわらず、
目の前の赤髪の巫女(成人)は、
まるでボトルを一本空けましたとばかりに、
全身を紅潮させているのだ。
「蒼音、もしかして……」
レナはすぐに思いついたその答えを、
届いているかいないかもよくわからない、
蒼音へと投げかけてみた。
体内にお酒を摂取していないとなると、
考えられる理由は、一つしかない。
「もしかして、
匂いだけで酔っちゃったの?」
「かも、しれましぇん……」
足元がふらつく中、
蒼音は力なく言った。
その姿は、
“呑兵衛フロウ”とまではいかずとも、
端からみれば立派な、
“酔っ払い蒼音ちゃん”となっていた。
「オイオイ、大丈夫か?
匂いだけで酔っぱらうって、
下手な下戸よりも、
酒に激弱じゃねーか」
心配そうに、
だがどころなくやや呆れ気味に、
プログが言うのももっともだ。
この広い世界グロース・ファイス、
酒にとても強い者もいれば、
とても弱い者もいる。
夜通し飲んでも表情一つ変えないツワモノもいれば、
ほんのコップ一杯分を飲んだだけで、
フラフラになってしまう猛者もいる。
また、下戸と言ってお酒がまったく飲めない、
と宣言する者だって、それとなくはいるだろう。
だが、匂いだけで酔いの症状を見せるとなれば、
話、というより次元が別だ。
下戸の人だって、
酒場にいくことはある。
そして、そのアルコール臭を鼻から摂取することもある。
さらに言えば、その臭いを不快に思うことだって、
しばしば起こり得ることだ。
だが、それだけで、
いわゆるベロベロに酔っぱらう状態にまでなる、
という人物が、はたしてどれだけいるだろうか。
いくら弱いと言っても、限度がある。
それほど、蒼音はアルコールに、
滅法弱かったのだ。
(それならそうと、
早く言ってくれればよかったのに)
酒場に向かうという確定情報があったのだから、
例えば入口の扉を開ける前に、
私、アルコールに弱いので等、
自己申告さえしてくれれば、
レナもいくらでも対処のしようがあった。
だが。
「ゴメンね、
あたし達も蒼音がアルコールに弱いってこと、
知らなかったから。
今度から気を付けるようにするから、
蒼音も、もしあたし達が忘れていたら、
遠慮なく言ってくれていいからね」
「は、はい……。
ありらとう、ございまふ……」
耳まで真っ赤にしている蒼音に対し、
レナは決して責めたり、
落胆の色を出すようなことはしない。
なぜなら、理由が明白だったからだ。
その理由とは、
蒼音は、自分の意志を、
周囲に知らせることができない。
ただ、この事実だけだった。
ここでレナが例えば、
冗談交じりであっても注意しようものなら、
眼前の巫女さんはさらに委縮をしてしまい、
ますます自らの意志表示をしなくなるだろう。
自らの明確な意志を持ち、
自分自身を変えたい。
そのために蒼音は七星の里から、
思い切って飛び出したのだ。
ならばその旅を共にする自分達が、
その芽を摘んでしまってはいけない。
蒼音は自分を何とか変えたく、
慣れない土地にまで足を踏み入れてまで、
自分と戦っている。
それなら、あたし達も蒼音の頑張りを、
全力でサポートしてあげたい。
それが、レナの蒼音に対する、
強い意志だった。
「とりあえず、宿に戻ろうぜ。
フロウの件について話し合うにしろ、
さすがにこの寒さで外に居続けたら、
蒼音ちゃんだけでなく、
俺達だって風邪引いちまうぜ」
「そうね。
まずは宿屋に行って、
色々と整理しましょう。
蒼音、歩ける?」
「だ、大丈夫れ~す」
こういう時のプログの仕切りは、
何だかんだ助かるわね、
レナは多少見る目が変わった、
プログへの思いを持ちつつ、
いまだフラフラしている蒼音を、
抱きかかえるようにして宿屋を目指す。
「ふう、ガッツリ冷えたぶん、
暖かいところに入ると沁みるわねー」
チェックインを済ませ、
宿泊する部屋に入って開口一番、
まるで急に30歳近く歳をとったかのように、
レナは言う。
「いや、まった……ぜ。
エリフ……夜に慣れ……俺で……、
この寒……堪えるわ……」
ベッドへ大の字になり、
完全オフモードへと突入した、
プログが何か言っているが、
顔を枕にうずめているため、
半分近く、何を言っているか分からない。
「とにかく2人ともお疲れ様。
今日はもうゆっくり休んで、
と言いたいんだけど……」
プログとは別のベッドに座ったアルトは、
一方でバツの悪そうな表情を浮かべる。
ちなみに宿屋に着き、
酔いがさらに回ってしまった蒼音は、
女性陣用にとった別の部屋にて、
絶賛熟睡中である。
「そうね、さすがにこのまま、
寝るわけにはいかないわね」
蒼音を部屋に押し込み、
隣の男性陣部屋へと乗り込んできたレナ。
当然疲れはある。
朝がべらぼうに弱い少女からしたら、
一刻も早く床に眠りに落ちたいのが本音だ。
だが、そうも言っていられない。
キルフォーの最高責任者、
総帥ドルジーハとの交渉は、
完全に決裂した。
この事実は変わらない。
だが、そこにと舞い込んできた、
反政府組織である暗黒物質の剣という、
思わぬ救いの手。
絶望と救済。
時計の針は、夜の8時を刻んでいる。
長い旅を踏まえれば、
寝るには決して速すぎる時間ではない。
だが、3人が床に就くためには、
整理しなければいけない事柄が、
あまりに多く残っていた。
「2人はどう思う?
あの暗黒物質の剣とかいう組織のことを」
レナは率直に、
プログとアルトにぶつけてみた。
この場に集まった以上、
個々に考える時間を持つよりも、
3人でざっくばらんに意見を交わした方が得策、
と考えたからだ。
「俺はどうにも信用できねえな。
口だけなら何とでも言えるが、
今の政府をひっくり返すとなりゃ、
並大抵な覚悟じゃ、絶対にできねえだろうからな。
その準備がしっかり進んでいるとは、
さっきの話だけじゃ判断できねえよ」
レナの思考を瞬時に読み取ったか、
プログが真っ先に声をあげた。
先ほどまで顔をうずめていたのだが、
レナの言葉を聞いた瞬間、
待ってましたとばかりにスッと起き上がる。
一方のアルトは、
「でも、この大陸の事を話してるフロウさんの目、
すごい悲しそうだったよ。
計画がどこまで進んでいるかは分かんないけど、
何とかしたい、って思いは持っているじゃないかなあ」
「まあ、確かにアイツの目は真剣そのものだった、
俺もそれは感じたさ。
だが、思想と行動は別モンだからな。
アルトの言うことはもちろん分かるが、
それだけじゃアイツを、
完全に信用するまでには至れねえ、ってことよ」
「そうなんだけどね。
プログが言うように、
口先だけで実際は何も伴ってない、
ってこともあり得るだろうしね……」
やや臆するところはあるものの、
それでも自分の考えを、
しっかりと表へ出している。
「うーん。
正直、判断に困るわよね。
悪いヤツじゃなさそうなんだけど、
腹の中で何を考えているかまでは、
あんまり分かんなかったし」
ここでようやく、
レナも2人の意見の場へと参加する。
おおよそレナの考えていることも、
プログやアルトとほぼ同じだった。
プログが言ったように、
確かにフロウの話したことは、
乱暴に表現するならすべて机上の空論である。
彼が何を語ったところで、
それを証明しうるものが、何一つない。
論より証拠とはよく言ったもので、
彼が話す、
例えば反政府に対する具体的活動や、
同志の人数確認等、
実際に物的証拠があれば信用度も増すのだが、
フロウが示したのは、
すべて言葉での表現だけだった。
口だけなら何とでも言える――。
プログが言った言葉、
まさにそのものだった。
だが、一方でレナが同時に感じたのは、
フロウの、この大陸に対する想いの強さだった。
確かに、
物的証拠もなければ、実績もない。
だがそれでも、
アルトが言ったように、
このディフィード大陸の現状を語る時に見せた、
リーダーとしてのフロウの姿は、
それまでに見せていた醜態とは、
真反対の表情だった。
現状を憂いながらも、
どうすることもできなかった、過去。
その過去を変えるべく立ち上がった、今。
そして今、反旗を翻すことによって開ける、未来。
そのすべてを背負い、
同志たちの先頭に立つリーダーとして語る。
あの姿すべてが嘘で塗り固められていたとは、
レナにも考えづらかった。
決して、信用はできない。
だが、彼の想いだけは、
受け取るに値するものがある。
その狭間でレナは、
一致した見解をまとめるのに、
苦労していた。
先ほど発したレナの言葉を最後に、
部屋に沈黙が姿を見せ、
3人の無音の空間へといざなう。
結論は、出ない。
セカルタの使者としてここまで来た以上、
反政府組織との接触をしたことが知られれば、
それはもはや、
自分達だけの問題だけではなくなる。
自分たちの行動、
それはすなわち国家の行動として見られることとなる。
軽率な行動は、許されない。
それは重々承知している。
だが、ドルジーハとの交渉が、
続行不可能レベルになっていることも、
また事実だ。
この現状を打破するには、
表現を選ばなければフロウ達を利用することも、
決して捨ての選択肢ではない。
彼らの申し出を、
受けるか捨てるか。
「とりあえず、今日はもう休むか。
疲れた脳で考えても、
良い案は浮かんでこねえ。
今日はもう一度、
個々で考えよう。
んで、明日の出発を1時間遅らせて、
結論をアイツらに伝えに行こう。
1時間くらいの遅れなら、
それほど影響はないはずだ」
これ以上の沈黙は無意味な労力と判断したか、
年長者のプログは、
そう言ってこの話し合いの場を締めた。
考えることも大事だが、
忘れてはならないのは、
彼らは今日、
港町カイトからここまで歩き、
かつドルジーハとの胃が軋むような交渉を行い、
そしてフロウ達との出会いを果たした。
その消費労力は、
レナ達の持つキャパシティーを、
はるかに超えている。
「……そうね。
今日はもう、休みましょう。
蒼音がいない中で、
話を進める訳にもいかないしね」
レナも、素直にその提案を受け入れた。
この場に蒼音がいないという、
真っ当な理由もあったのだが、
それよりも何より、レナは明らかに疲れていた。
身体的にも、精神的にも。
まるで体のあらゆる場所に鉛をくくりつけられたかのように、
体が重くなっていた。
「そしたら明日は、
予定より1時間遅らせて、
8時にロビーでいいかしら。
それまでに、それぞれ考えをまとめとくってことで」
「オーケーだ、俺は構わないぜ」
「僕も大丈夫。
それじゃあおやすみ、レナ」
2人の言葉を背に、
レナは疲れ切った重い体にムチを打ち、
見えないこの先のことを、
ぼんやりとだけ考えながら、
男たちの部屋を重い足取りで後にした。
次回投稿予定→4/9 15:00頃




