六月十七日
哲学に挑戦
人のことを理解するには、まず知っておかなければならないことがある。それは本当の意味で人を理解することは不可能だということ。これは一見、矛盾しているようで実はちゃんと成立している。それは何故か。
世の中で言う『人を理解する』とは、他人と関わる上で、怒らせてしまったり悲しませたりしないための、つまり『うまくやる』ための表層的なイメージや歴史を理解する。ということだろう。そこに本質的な理解はなく、ただ目的に必要な資料でしかない。つまり、俺は桐林を、どちらの意味でもっても全くもって理解出来ていない。というわけだ。
よって週末が明けて二日目の火曜日である今日(六月十七日)も、俺は桐林をスルーしたまま放課後を迎えた。目が合っても逸らし、擦れ違っても何も言わない。元々俺は、自分から他人と接点を持とうなんて考えがない。中二ぐらいまではあったけれど、もうない。自分が何程自分勝手で退屈な人間なのか、気付いたから。便利な道具と友達は同義語だ。そして俺は不便な道具だ。だから関わらない。拘わらない。係わらない。
「・・・・・・雨、か」
ぽつぽつと枝葉を水滴が打つ。帰宅しようとする生徒を嘲笑うかのように、それはたちまち勢いを増した。俺の眼下で、二人の男が一つの傘に入ってダッシュで校門を抜けた。
相合い傘は友達を使う行為の典型だろう。濡れ鼠になりたくないから、友達を使って雨を凌ぐ。実際には違うのかもしれない。ちゃんと双方が気遣いと申し訳なさを孕んで、『美しい友情』を作り上げているのかもしれない。でも俺には、世間言うところの『美しい友情』なんてものが、打算の塊にしか見えない。それが俺の信じる真実で、それ以外は詭弁でしかなくて。だから俺は、一人でいる。いるしかない。他人なんて、受け入れることも、受け入れられることも出来ないんだから。
「風邪だね。今日は休みな」
水曜日。ふわふわする意識を自覚しつつも登校しようとした俺を、母は一目見て風邪だと断じた。
「先週からちょっとおかしいとは思ってたけど。どうやら今日になって熱が出たわけじゃないみたいね」
先週というと、桐林のお腹を触った日か。あの目眩は風邪のせいだったらしい。
「病院に行く時間はないから、薬飲んで寝てな。水分はちゃんと摂るのよ」
そう言って母は仕事に出かけた。家には俺一人。ベッドの中にも俺一人。教室にいても俺一人。あれ?いつもとあんまし変わんない?
とりあえず母に渡された薬を飲んで布団を被った。だけど一向に寝る気にはなれなかった。平日に学校を休むという特殊な状況に、少々気分が高まっていた。せっかく学校行かなくてもいいんだ。何で寝てなくちゃいけないのさ。俺はベッドから降りると、パソコンの電源をつけた。
それからどれぐらい経っただろうか。エロゲというのは時間を忘れさせる。ちゃんと水分を摂りながらも、椅子からは動かずに一人ハイテンションでエロゲをやり続けていたら、いつの間にか夕方になっていた。もう学校も終わっただろうか。それにしても・・・・・・なんだろう。最近時間を忘れることがやけに多い気がする。
ピンポーン。
と、丁度意識が現実に戻ったあたりで呼び鈴が鳴った。こんな時間に来客とは。まぁ宅配便かなんかだろうけど。
「はいはいはいはい」
パジャマのまま玄関まで行き、覗き穴を確認もせずドアを開けた。
「あ・・・・・・」
「こんにちは」
俺は膠着した。脳機能が低下しているのは風邪のせいか、はたまた来客の正体のせいか。多分俺のコミュ障のせい。何それ結局俺が悪いのかよ。
「元気そうね」
「あ、あぁ・・・・・・」
呼び鈴を鳴らしたのは、宅配便のお兄さんでも近所のおばちゃんでもなく、柔温かいお腹の桐林だった。
「お邪魔してもいいかしら」
「あぁ・・・・・・」
何あっさり許可してんの?俺。桐林は冗談でも何でもなく入ってきた。靴をきれいに揃えて、俺が出した来客用スリッパを突っ掛けて。で、入れたけど。どうすればいいの?というかさ。そろそろ訊いていいよね。
「何しに来たの?」
「お見舞いよ。じゃんけんで負けたの」
じゃんけんて・・・・・・。わかってはいたけど。俺って嫌われてんのね。ちょっと気分下がるわ。廊下で突っ立っているのもなんなので、桐林を、とりあえず自室ではなくリビングに通した。桐林をソファーに座らせて、俺も向かい側に座った。
「ねぇ」
「ん?」
桐林は神妙な顔つきで訊いてきた。
「お見舞いって何をすればいいのかしら」
ほんとにこの人は何しに来たの?あぁ、罰ゲームか。何それ俺の存在罰ゲームなの?バラエティとかで重宝されそう。
「ねぇ。聞いてる?」
「すいません。聞いてませんでした」
宇宙人っぽく言ってみたら睨まれた。まぁ聞いてたけど。思考が脇道にそれた、ってことで執行猶予くださいな。っととと。また思考が寄り道した。えっと~。お見舞いに何すればいい、だって?そんなの決まってる。
「ノート写させてくれ」
他のやつは多分、もっと青春っぽいことを言うと思うよ?お粥つくって~とか。身体拭いて~とか。他にはおっぱい揉ませて~とか。俺は薄ら寒くて言えないけど。
「・・・・・・いいわよ、それぐらい」
桐林は数冊のノートを貸してくれた。今日は文系科目が多かったので助かった。
「明日には学校、来るの?」
ペンを走らせつつ考える。明日までに体調が回復している見込みは・・・・・・五分五分だな。つまりわからん。
「俺は一応そのつもりだ。ノート。出来れば今日一日貸してもらいたいんだが。いいか?」
「明日来れるかどうかわからないんでしょう?それでは困るわ。今ここですべて写すか、コピーとるかして頂戴」
なるほど。その手があったか。やっぱり前会ったときから思ってたが、桐林はよく頭が回る。
「じゃあ、コピーとらせてもらうわ」
「そう」
俺はプリンターのコピー機能を使って、桐林のノートのコピーをとった。改めて見る桐林のノートは、とても丁寧に書かれていてわかりやすそうだ。
「ありがとう」
ちゃんとお礼を添えてノートを返した。清き日本人たるもの、礼儀作法は大切にしないとな。桐林はただ頷いて受け取った。礼儀作法・・・・・・まぁ別にいいけど。俺は礼を払うべき人間じゃないってことね。わかってましたよそんなこと。気持ちよく自虐の海に浸っている俺をよそに、桐林は立ち上がった。わぁ~クララが立ったぁ!
・・・・・・・・・・・・俺は馬鹿か?
うん、馬鹿だね。
「帰るわ」
「そうか」
一応玄関まで見送る。
「気を付けて帰れよ」
ここでテレビでよく聞いた定型文をバ~ン。
「えぇ。心配ないわ。さようなら」
「あぁ」
桐林はあっさり帰った。そういえば、女子が自宅に来たのは何年ぶりだろう。思い出せない・・・・・・が、一度もなかったわけではないと思う。まぁ、どうせそこに青春らしい要素はなかっただろうから、どうでもいいんだけどね。さて、薬飲んだらノート写そっと。
次回はまとめて投稿するつもりです。ところで、時間泥棒って頭の中にいるって知ってた?