六月十三日
六月十三日。
朝補習によって残り少なくなったHPバーを想像しながら、俺は机に全身を預けていた。朝ごはんが食べれない体質なので、通学でほぼ全てのエネルギーを使い尽くしてしまう。そんな俺にとって朝補習とは荒行そのものなのである。簡単に言うと、へたれの俺にはキツイ。
「朝からへばってるな~。どうした?」
すると、俺とは対局に朝から元気な澤村が話しかけてきた。ねぇ。マジで何でそんなに元気なの?
「その変人を見る目はやめてくれ」
どうやらそんな目をしていたらしい。澤村が大人しくなった。
「すまん。俺は朝が弱い」
視線を澤村から机上へと移して、焦点が合わずにぼぅっとする視界に心を投げ出す。あぁ・・・・・・。意識が薄れてきた~・・・・・・。
「ヘェ~。昨日あんだけ寝とったのにな」
やめてぇ~。頭の上で話さないで~っ。響くぅ~。・・・・・・ってちょっと待て。お前気付いてたのかよ。なら起こしてくれりゃよかったのに・・・・・・。やっぱりお前の中でも俺ってどうでもいい位置づけなんだな。いや、知ってたけどねっ!
「・・・・・・寝不足じゃねーよ」
頭ん中で組み立てられた台詞は言うことなく、苛立たし気にそれだけ返した。いつにも増して声を出すのが億劫だ。
「え?なら風邪?」
こいつくどいな。俺を口説こうとでもしてんのか?何考えてんだ俺はバカか。
「・・・・・・違う」
と思う。どうせ本当に風邪でもコイツに教えようとは思わないが。それにしても脳が栄養失調だな。単語しか喋れない。
「じゃあ何だよ」
「・・・・・・・・・・・・朝飯」
駄目だ。考えてることを上手く文章化できない。
「あぁ、食ってねぇのか」
ごんごん。
澤村は上手く察してくれた。突っ伏しながらコクコク頷いたら机に頭をぶつけた。痛くないな~。俺の思考は麻痺しているらしい。
今、金魂姦根と予鈴が鳴っている。明らかに誤変換だ。
「じゃーお元気で」
「ん゛~・・・・・・」
先と変わらぬ突っ伏したまま、くぐもった声で応えた。
何とか一限を乗りきり、死にかけの俺を気の毒に思ったのか、隣の席の女子(茶色がかった黒髪で結構普通な娘)がパンを半分恵んでくれた。普段こんなことしてもらえないのでちょっと目が潤んだ。そして幾分か活力を補充して臨んだ二時限目・数学Ⅱ。
見るからにタチの悪そうな男性教諭・大嶋の説明を聞きながら、教科書に目を落としている俺の耳に、ガラガラという場違いな音が舞い込んだ。
音源と思しき方角に目を向けると、教室の後ろ側の戸が開けられている。戸を開けたのは、一人の女子生徒だった。
シャキーン!
説明しよう。大抵の男は女を見ると容姿の徹底観察に移行するが、俺の場合はそれを光をも上回る速さで行うことが出来るのだ!(すいません光の速さは上回れません。)
純黒髪の肩までのショートに、長めの前髪の間から覗く黒光りする瞳。背丈はおそらく150cmあるかないか。その小さく華奢な体躯も相まって、どこか文学少女っぽい雰囲気がある。本を食べそうではないが、本は持たせたら似合いそう。
「桐林。遅刻か?」
大嶋がその女子に問うた。へぇ~。あいつ桐林っつーんだな。知らんかった。というかクラスメートのほぼ全員は顔さえ覚えてないが。
「・・・・・・・・・・・・はい」
すごく小さい声だった。教室が静かでよかったね。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
桐林は無言、無表情を貫き、自分の席に着いた。皮肉にも俺の前の席だ。大嶋は何事もなかったかのように授業を再開した。
「起立。礼」
『ありがとうございました』
二限が終わった。とりあえず催したのでトイレに行ったら、人が多くて軽く苛ついた。まぁそんなことどうでもいいけど。どうでもいいんなら苛つくなよ。とセルフツッコミをしながら教室に入ろうとしたら、ちょうど桐林と出会い頭になった。
「ぁ・・・・・・」
そして運悪く(見方によっては運良く)、足を縺れさせた俺は、前方に向かって倒れた・・・・・・らしい。一瞬目眩がしたんで何が起きたかわからんかった。
「えっ・・・・・・」
「おい大丈夫か?」
周りから心配そうな声が聞こえる。目を開くと、正面に桐林の顔があった。存外整ってるな。
「ねぇ」
「ん?あぁ」
桐林に睨まれた。それもその筈。俺の左手は地面に着いているのに、何故か右手は柔温かい桐林の下腹部をしっかり押さえているからだ。
「あぁ・・・・・・。すいません」
立ち上がるとまた目眩がしたが、壁に寄りかかって持ちこたえた。桐林も立ち上がり、俺に何か言いた気な視線を向けてくる。おぅおぅ。怒ってらっしゃる。謝ったってのに全然気が済んでないらしい。では何を言えと・・・・・・。うん、何も浮かばない。浮かばないので行動で詫びてしまおう。いつものように。
俺は懐から、たまたま今日持ち歩いていた小刀を抜いた。
「え・・・・・・?」
「何あれ」
「何であんなもん持ってんだ?」
「これで赦してくれないかな」
小刀を回転させて左手で逆手持ちにし、ほぼノーモーションで繰り出した。小刀が右手の掌に突き刺さる。刺さり具合は浅かったものの、人の体には血液がめぐっている。血が数滴宙を舞った。周囲から悲鳴が上がる。目を見開く桐林に、俺は尚も言った。
「これで赦してくれないかな?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
桐林はコクコクと頭を振った。ちなみに、周囲はドン引きしていた。
俺は保健室で借りた包帯を掌に巻き付け、残りの授業もやりきった。ちなみに小刀は大事に懐に仕舞ってある。掌が相応の痛みを訴えてくるが、無視し続けた。どうせこんな怪我、一月とちょっとあれば治ってしまう。
桐林とはあの後、目も合わせなかった。というか逸らされた。まぁ興味ないからいいけど。
家に帰ると、我が母は玄関に立つ俺の手を見て何をしたのかすぐ見抜き、額に鋭い手刀を見舞ってきた。かなり痛かった。