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妖魔殿の子守  作者: 錆井
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第三話 妖後事変

 快調に進んでいた軍靴(ぐんか)の音が、扉の前で止まる。逡巡(しゅんじゅん)するように、謁見室と掲げられた標示を見上げ、長い息を吐いた。彼女がこの部屋に入るのは、三年ぶりのことで、部屋の中にいるはずの父親と顔を合わせるのは、それ以上に久しぶりのことだった。


 彼女の不安の理由は、その背に負った責任の重さによるものだけではない。むしろ、ウェレド神国軍大将というその役職は、自分を砦の防衛に左遷(させん)するための政略であったと彼女は疑っている。


 元々、国内のような狭い空間の防衛に自分は向いていないと、何度も国外での滞在を自分に納得させようとした。枢国(すうこく)との戦争が停戦協定下にあった当時、妖魔(ようま)からの防衛線を保つことは、国防の最優先事項だということは分かっていたが、それもどこか違和感がある。妖魔は未知の脅威(きょうい)存在だが、ならばこそ、防衛などと手をこまねいている場合では無かったはずだ。この三年の専守防衛には、兵士の育成以上の理由がある気がしてならない。


「ゼネア隊長、平気ですか」


「ああ、大丈夫だ。入ろう」


 ゼネアは力強く扉を叩いた。中から厳かな声が返ってくる。傍に控えた大将直下の補給小隊長(アルカ・ハルバン)と共に、彼女は気の進まない招集へと足を一歩進めた。室内には作戦本部の上官に加えて、自信気な顔でこちらを見る金髪灼眼(しゃくがん)の男が立っていた。ゼネアは殺気が漏れ出す前に彼から視線を外した。


「久しいな、ゼネア。今回のこと、私も無念に思っているよ」


「戦場では仕方のないことです。覚悟はしていました」


 父親である司令の言葉に、ゼネアは二つの話題のうち、おそらく召集の理由でない一方の話だと理解して返答した。ゴズニア司令は、わざとらしく浮かべた悲嘆(ひたん)の表情を引き締めると、会話の主導権を譲るように、隣席の軍務官に視線を送った。


「覚悟、か。貴様にとって覚悟とは、愛人の死に激昂(げっこう)し、国を捨てて前線に飛び出すことが覚悟だと言いたいのか?」


「失礼ながら、軍務官。あの場において、すでに侵攻の波は収まりを見せていました。戦場の状況を見て、あの人型妖魔を相手取れるのは私しかいないと判断しただけのこと。戦術的な失敗と思われたのでしたら、処分は甘んじて受け入れます」


 覇道(はどう)中将と呼ばれ、敵を(ほふ)る戦場の星として兵士たちの尊敬を集めていたヨーチェン・シェイの戦死は、その日の内に、誰からともなく知れ渡った。強力な人型妖魔との対峙、地を割るような熱戦の後に、奇怪な見た目の怪物に呑み込まれたと、はるか遠くで戦況を観測していた兵士の伝が、様々な尾ひれをつけて広まっている。その噂は、場に駆け付けた神国軍大将、ゼネア・シェイの二日にわたる攻防と共に、すでに街の劇場で新たな劇の台本に起草されつつあった。


「あの覇道中将を殺したという妖魔を、自分なら倒せるとは、慢心(まんしん)(はなは)だしいな。神都襲撃の被害を忘れたわけではあるまい」


 厳しい口調で問うたルイン総督(そうとく)は、その実自分を心配しているのだと、ゼネアはよく理解していた。父にとってのそれ以上に、ルイン総督にとってヨーチェンは息子のようなものであり、私もまた、かつては同じ小隊で苦難を超えた彼の門下の一人だ。


「その点については、返す言葉もありません」


「まあ、こうして生きているのだ。責任は言葉ではなく、その身で受けてもらうことにしようではないか。なにしろ、今はオーリタリアの兵も街をうろうろとしておる。貴女のような存在が国内にいるだけで、国民も安心するというものよ」


 アギスタイン統括長は、すぐそばにいるオーリタリア枢国の中将を気にする素振りも見せない。口を出したそうに、金髪の中将は鼻を鳴らした。


 ————ヨーチェンの死から二日。私が人型妖魔と継戦していた平原に、一羽の大鷲(おおわし)が舞い降りた。砦の大鷲として、神国軍にも名の知れたその大鷲は、枢国の魔法機動部隊である魔女のかぎづめ(レイド・ウィック)とともに戦場に加勢し、神国軍と対峙していた妖魔を撃退していく。その劣勢を感じ取ったのか、人型妖魔は名残惜しそうに撤退していった。二日の戦闘にもかかわらず消耗(しょうもう)した様子のないその背を、私は、膝をついて見送るしかなかった。


 戦場での被害把握や装備の回収、防衛線の見直しなど些事(さじ)に追われ、もう一週間が経つ。前線での後始末が一段落し、私はようやく国内に戻ってきた。妖魔撃滅(げきめつ)の任はまだ終わっていないが、それ以上の問題が国内には訪れていた。


 それはオーリタリア枢国からの共同戦線の申し入れだった。枢国からの書簡(しょかん)によれば、高原戦役以後、神国同様に妖魔による侵攻を受けていたという。この大規模侵攻により、妖魔撃滅の必要性を感じた枢国は、神国に共同戦線の提案を持ち掛けた、との話だが、神国内ではいまだに意見がまとまっていない。


 妖魔への対処にしろ、千年もの因縁(いんねん)を持つ枢国との戦争にも、神国は現在、深刻な戦力不足に直面している。最高戦力であるヨーチェン・シェイの死亡は、その最たる原因だ。六界門は傷の直りを早めたり、けがの深刻化を防いだりすることもできるが、すべての負傷兵がすぐに前線に出られるわけではない。


 つまるところ、神国は共同戦線の申し出を受けるしかない状況にあった。しかしそれは、枢国が裏切れば防衛することもできないという疑心暗鬼の渦中(かちゅう)に身を投じるということでもある。国民の多くも、怨敵(おんてき)と刷り込まれた枢国兵が街にいることに不安を隠せずにいるようだった。


「国内に、ということは、対妖魔防衛軍の任を外れるということでしょうか」


「ああ、お前にはこれから、訓練校で教官として兵の育成に努めてもらう。持ち場を離れるような将に前線は任せられない、というのが表向きの理由ではあるが、ゼネア。枢国の兵を見て、新兵たちが血の気立っている。お前の目があれば少しは溜飲も下がるだろう。防衛隊長の後任には、アキノール(堅穹隊大隊長)を充てるつもりだ。なに、死ぬまでというわけではない。我々もお前の力が必要になれば、すぐにでも前線に送り出すつもりだ」


 返す言葉もなく、私は静かに次の言葉を待った。あの時、人型妖魔のもとへ向かったのは、確かにその場の感情に流されてしまったからだ。ヨーチェンの魔力が消え、あの咆哮(ほうこう)を耳にしたとき、私は将としての自覚を失っていた。それでも、私を中将に降ろさないのは、混乱する内政を落ち着けるために私の立場が必要なのだろう。枢国の干渉で不安定な国民感情を、これ以上乱すわけにはいかない。


「おっと、ゴズニア司令。もう一つ、大事な話を忘れているようですが」


 沈黙をわざとらしい声で遮った枢国中将(クレイアルド)に、司令は辟易とした様子でため息をつく。


「モータル中将。その件は、こちらですでに断ったはずだ」


「本人の意向も聞かずに断るというのは、いかに軍部の腐敗が進んでいるか分かるようですねぇ。それとも、そんなに僕のことが気に入らないのですか」


「中将、回りくどい言い方は結構だ。要件があるなら聞こう」


 私が口をはさむと、クレイアルド(オーリタリア枢国/)モータル(虹華中将)高慢(こうまん)な表情で笑いながら肩をすくめた。


「なに、簡単な話さ。ゼネア・シェイ大将。あなたを僕の妻として枢国に(めと)りたいと、お父上に伺いを立てていたところでね。神国では一夫多妻は認められていないそうだが、幸いにも、君は今()()なのだろう。どうだい、僕と共に、神国と枢国の和平を象徴する気はないかな」


「……戯れ事はそれだけか。訓練校の教官として、射撃場のかかしでも交換しようと思っていたが、どうやら安く済みそうだ」


「おっと、怖いなぁ。ククク、今は少しでも、戦争の火種は起こさないほうがいいと、忠告しておこう。和平交渉が進んでいる今の状況を、あなただって分かっているはずだ」


「脅しているつもりか?」


 死して間もない伴侶を馬鹿にするような言い方に、憤りが勝る。思わず握った手から魔力の波が溢れ、火花を立てた。割って入るような、ルイン総督の大きな咳払いで張り詰めた空気がほぐれる。


「そこまでにしたまえ。モータル中将、友好使節として来た貴殿がそのような発言をするのは、枢国にとっても望ましくないはずだ。和平会談は、貴殿の父君(カリオ伯爵)と私の顔で一面に載るだろうさ」


「それはなんと喜ばしい」


 クレイアルドは言葉に反して苦虫を噛み潰したような顔で、総督から目を逸らす。固められた前髪を手で撫ぜて、クレイアルドは鼻を鳴らした。


***************


 謁見室から出たゼネアの後を、室内では震えるばかりだった小隊長が小走りで追う。


「た、隊長っ。よかったのですか?」


「よかったとは、どういうことだ」


「あ、あんな言いがかりで隊長を左遷するなんて、あんまりですっ。それに、枢国兵が来て隊長の力を借りたいのは、むしろ防衛線のほうなのに」


 ヨーチェン中将の死、並びにゼネア大将の異属に伴い、それぞれの直下小隊はもともとの防衛の任から分散する形で再配備されることになっていた。砦の防衛には堅穹隊(メダン・ルソラ)の半分と、四門隊(クワラ・ナクル)の二小隊が残り、他の小隊はその機動力や優秀な能力を買われて、作戦立案や枢国との交渉役に回されている。アルカの所属している補給小隊は、それぞれが独立した能力を持つために、小隊ごと解体されていた。


「なに、予想していた範囲内だ。アキノールならうまくやるだろう。それより、アルカ。今のうちにアキノールに電信(エレミエル)を飛ばしておいてくれ。夕方には戻るつもりだが、準備は早い方がいい」


「は、はいっ」


 アルカは頷くと、ポニーテールに縛っていた組み紐を一本抜きとる。堅穹隊(メダン・ルソラ)の内線となっている赤い紐は、アルカの第五門能力である電信(エレミエル)によって、他方の紐に振動を共鳴する。一方の紐に与えられた音の波は、魔力のある限りは、どれだけ遠くとも他方に伝わり、その振動を再生する。


 すぐに返報が届き、アルカは元気よく敬礼すると、「すでに準備済みとのことですっ」と笑った。


「そうか、気の早いあいつらしい」


 ゼネアはそう笑い返すと、作戦本部の別棟に設けられた、風魔法の離着陸場から、アルカの手を引いて出立した。


 直属の部下であるアキノールが後任ということもあり、砦での引継ぎにはそう時間はかからなかった。赤毛を刈り込んだアキノールは、勇猛な目で上官を送り出した。


 配属となった訓練校で、ゼネアは眉をしかめる。新兵のころから変わらない意匠(いしょう)の軍服がまだらな列となっている。その理由は、交互に並ばされた枢国兵のせいだ。


「新兵教育というのは、敵国の兵にも行うものなのか、軍務官」


「そう言うな、ゼネア。これも和平条約の内容の一つだ。訓練校での同志の間に、かけがえのない絆が生まれることは、お前もよく知っているはずだ。軍部の深い溝を埋めるには、新兵からという考えなのだよ」


「ふん、同志という言葉の意味を、よく考えていただきたいものですが」


「今は妖魔の撃滅に志を向ける身。なにより、お前を(した)い見上げる目は、枢国とて変わらんよ、鬼神ゼネア」


 ゼネアは、怯えた顔を必死で隠しながら上官を見る新兵たちを睨みつけた。その表情は違う軍でありながら、一様であるように思える。


「新兵たちよ! 貴様たちは、何のためにこの訓練校にやってきた! 上官に怯え、残飯から這い出たようなその貧相な面で、訓練校の地面を汚すために来たのか!」


「ノー・マム!!」


「では貴様! 貴様は何のためにここに来た! 震えて小便を垂らす気なら、湧火街(とうかがい)で眠っているんだな!」


 上官である大将の目に留まった黒髪の新兵は、引きつる顔を、歯を食いしばって堪えた。


「わ、私は、生きるためにここに来ましたっ!! 覇道中将のように強くなり、敵をころ————」


「恥を知れ、()れ者が!」


 瞬間、容赦のない張り手が新兵に飛んだ。気骨のある新兵は地面に倒れこんだが、すぐに起き上がり、怯えた目で上官を見る。その頬は赤くはれているが、魔力の乱れはない。兵士たちは、魔法を使っていないにもかかわらずその手の動きを捉えられなかったことに恐怖する。


「貴様らがここにいるのは、生かすためだ! 貴様らのような、震えているだけのひよっこよりも、弱く抗う力を持たない無辜(むこ)の民を守るためだ! その命は生かすためにあり、貴様らのドブ臭い人生を長らえさせるためにあるのではない! いいか!」


「イエス・マム!!」


「力とは、傷つけるためにあるのではない! そのことを常に頭に入れておけ! 分かったら教場外周を30周だ!」


「イエス・マム!!」


 さっさとその場を去りたいのか、新兵たちは勇み足で走り込みへと向かった。事前に割り当てられた小隊として訓練を行うため、出口に向かいながらそれぞれが小集団に分かれていく。


「ふっ、やはりお前は作戦指揮よりも教官のほうが肌に合うようだな」


「父には似ていないと、ヨーチェンにもよく言われました」


「あいつは少し優しすぎる。それが枢国との交渉で不利にならねば良いが」


「それにしても、意外でした。妖魔への対処のためとはいえ、あの枢国と和平を結ぶことを、アギスタイン統括長が認めるとは」


「認めたわけではあるまい。彼奴とて、彼奴なりの考えがあるのだろうよ。それに、神国には選択肢が少ない。たとえ、千年の歴史に背くようなことでも、国を亡ぼすようなことはできん」


「……そうですね。本意ではないことは、重々理解しているつもりです」


 外周を走る新兵たちの声がだんだんと遠ざかっていくのを眺めながら、ゼネアは悲しげに呟いた。


***************


 訓練校からは少し離れた、軍部作戦庁舎。妖魔による新都襲撃の難を逃れた歴史ある建物は、新兵たちにとって、上層部の管轄(かんかつ)であるため、彼らの憧れの的だ。


 アルカ・ハルバンは、足音一つ立てずにその古めかしい廊下を進む。その耳元に寄せられた組み紐の一本は、絶えず微弱な振動を彼女の鼓膜(こまく)に伝える。音の先にいる相手は眠っているらしかった。


「失礼します。アルカ・ハルバン、参りました」


 大将の前で見せるのとは違う、静かな声色で扉を叩いたアルカを、部屋の主は招いた。アルカは部屋に入ると、一本だけ紐を髪から抜き取ると、内側のノブの上にかけた。


「周囲に振動なし、盗聴の心配はありません」


「それで、近況はどうかね」


「はっ。旧堅穹隊(メダン・ルソラ)は、変わらず砦の任に精を出しています。和平条約の締結にあたり、第二・第三小隊が総督の護衛にあたるとのこと。電信(エレミエル)で枢国の様子を聞きましょうか」


「ほう、ライラとメルズの隊か。よいよい、わしの手駒には後で報告させる。地形も警護の状況も、それだけで強襲の嚆矢(こうし)になり得る。まさに、風が吹いてきたということかの」


 老獪(ろうかい)は肩を震わせながら笑う。


「それで、ゼネアの様子はどうじゃ。デギィヌ(ぐんむかん)の監視下では、迂闊(うかつ)なこともできまいが」


「今のところ、不審な動きはありません。堅穹隊(メダン・ルソラ)とも、連絡を取る様子はなく、教官の任に従事している模様です。初めは新兵に恐れられていた様子でしたが、今では新兵たちのほうから進んで懲練(ちょうれん)を受けるほどの人気で、ああ、羨ましいです。私も隊長に指導していただきたかったなぁ————」


「アルカ・ハルバンよ。なぜ、六界門の習得も未熟で、座学も不振だったお主を、小隊長にまで押し上げたと思う。そのような私見を垂れ流させるためではない。神国の真なる発展と枢国打倒のため、お主が利用できるからじゃ」


「は、はいっ。肝に銘じております、アギスタイン統括長」


「和平条約が進む今こそが、枢国の喉元に手が届く好機。武力だけが国を落とす術ではないのじゃ。長らく交易もない彼の国の脆弱性(ぜいじゃくせい)をわしが突き、ウェレド神国をこの大陸の支配者とする。大望のために、今は力のある部隊に沈黙してもらう必要がある。そして何より、革命の狼煙(のろし)を上げるのはわしでなくてはならん。ふん、今は大人しいとはいえ、ゼネアはいつ和平条約に反抗するか分からん。しっかりと監視しておくのじゃ」


「承知しておりますっ」


 もういいといった風に手で示した老獪に、アルカは静かに背を向けて部屋を出た。周囲の振動を集める組み紐は、変わらず反応がなかった。


「枢国は私たちウェレド神国の敵。それはずっと歴史の中でそうだと教わってきたけど、初めて直接見たあの士官も、枢国の新兵たちも、そんな悪い人には思えないなぁ。でも、心の中では神国を滅ぼそうと思っている、妖魔と変わらない獣だってアキノールも言っていたし……」


 アルカは作戦庁舎から音も立てずに離れ、再び訓練校へと向かう。その口からこぼれた言葉は反響することなく溶けるように空気に消えていく。


「って、だめだめアルカっ。そんなこと、私が考えたって分からないんだし。駒は駒として、守れるもののために奉仕するのみ。よしっ、お姉ちゃん、頑張るからね」


 組み紐をきゅっと髪にくくり直すと、アルカは風に乗って飛び、その姿は町の雑踏に消えた。


***************


 ゼネアが訓練校に配属されてから一週間が経った頃、アルカは休日のゼネアを尾行し、神都の高台に来ていた。神都の設立とともに植えられた大樹が葉を茂らせる見晴らしの良い草原を、少し離れた建物の陰から観察する。


 アルカの魔法は、組み紐を用いた振動伝達だ。しかしそれは、堅穹隊の連絡員としてのものである。堅穹隊(メダン・ルソラ)に配属されて以降、遠方の部隊とも間断なく会話できる彼女の能力は、その有用性を以て認められてきたために、彼女が能力を伏せたままでいることに誰も気づいてはいなかった。


 堅穹隊(メダン・ルソラ)にも明かさないままでいる秘密の一つが、記憶した相手の振動を傍受する受信機の存在だ。現在は、堅穹隊(メダン・ルソラ)のリーダーといえるアキノールと、さらにその上官のゼネアの動きを内偵するよう、他の上官にも内密に、統括長から命を受けているが、アルカには小さな不安がある。


 その不安は、本来隠しておくはずのもう一つの能力のせいだ。

 それは、魔力の動きを静止させる氷魔法に属する、彼女の静音能力だ。話し声から心臓の鼓動まで、彼女の出す音は、その周囲に振動していくことはない。隠密にも尾行にも有用なその能力は、堅穹隊(メダン・ルソラ)にもバレていないと統括長にはうそぶいているが、その実、食料調達のための狩猟の際にうっかり使ってしまい、ほとんどの補給小隊員が知るところとなった。当然、上官であるゼネアも把握しており、もしも彼女が少しでも自分を怪しんだなら、隠れることは容易ではない。アルカはまだ、能力を完璧に扱えるわけではないために、自分の周囲で発生した音を自然に残すことができないからだ。


 そんなわけで、アルカは環境音が不自然にならないかと、尾行中であっても周囲をいつも見回しながら隠れるのであった。幸いにも、見晴らしのいい高台では、多少の静音は気にならないようだ。


「隊長、こんなところで何しているんだろう」


 アルカはゼネアの死角にある壁に背を預け、伝わってくる振動に意識を集中させた。肉眼では何をしているのかわからない距離でも、振動は鮮明に情景を伝える。


 草原の土を軽く掘り返し、海を見るように小さな石の塔が建てられた。膝丈もないその石塔にゼネアは跪くと、静かに嗚咽(おえつ)を漏らした。感情の乱れで不安定になった周囲の魔力が緩やかな風を起こす。二十年以上も幼年兵の遊び場に置かれているスコップが、大樹にもたれたまま静かに揺れた。


「懐かしいな、ヨーチェン。あの頃の私は、死というものすら知らず、ただ強くなれば、父のようにこの国を守れると思っていた。

 なぁ、ヨーチェン。今では、あの鬼のデギィヌ教官よりも、私は恐れられているらしいぞ。不思議と、新兵を指導するのは肌に合うのだ。まだまだ未熟な奴らだが、まるで我が子の、ように————」


 ゼネアが拳を握りしめると、骨の軋む音まで伝わってくるようで、アルカは後ろめたくなって地面に座り込んだ。アルカは家で自分の帰りを待つ弟たちの顔を思い浮かべる。戦場でどうしても辛いとき、アルカはそうやって自分を励ましていた。


 鬼神と呼ばれた大将だって、人目のない場所では涙を流す。戦禍の中では、誰が死ぬことだって、ありえない話ではない。神都襲撃の時も、国の下層の民衆は簡単に切り捨てられた。もし、弟たちがいなくなったら、私はそれを割り切ってしまえるのだろうか。国のためにと、軍に従うことができるのだろうか。


 そんな問いに意味はないと、アルカは膝を抱える。力の無い声には何の意味もないのだ。世界の不平を叫んだって、それが上層部の心を少しでも動かすことはない。守りたいものを守るためには、力がいる。家族を守るための特権は、軍にいなければ手に入らない。私は幸運なのだ。この国には、日々の食事もままならない人がたくさんいるというのに、家族の幸せを願えるのだから。


「モルタ、私はね、本当はお前を軍に入れたいとは思っていなかったのだ。ヨーチェンも父さんも、陸軍二将の子なのだからと、幼年校に入れさせたがっていたが、私は、モルタにはお姫様になってほしかった。幼年校は良いところだよ。でもね、あの日々がかけがえのないものだとしても、お前には、争いを知ってほしくなかったのだ」


 アルカは、なるべくゼネアに感情移入しないように、瞼を閉じる。彼女には、力がある。だからこそ、立ち上がっていなければならない。誰の前でも強くあらねばならない。それがこの国を守るということであり、上に立つ者に課せられた義務でもあるのだから。だから、彼女の辛さを分かろうなんて、そんなことは傲慢だ。


「ヨーチェン、上層部は枢国との和平交渉を受け入れるそうだ。国内にも、枢国兵の姿が見えるようになってきた。いったい、私はどうしたらよいのだ。奴らは敵だ。高原戦役がなければ、モルタだって…………ああ、そうだな。分かっている。国を守るというのは、外敵を打ち倒すだけではないというのだろう。ああ、そうだな。弱気になってすまない」


 静かに、亡き伴侶に愛の言葉を置いて立ち上がったゼネアの音に、アルカも移動の用意を始める。


 娘と夫を亡くしても、隊長は立ち上がるのだ。この世界の理不尽な争いに、立ち向かっていけるのだ。アルカは、自身の上官が国を裏切ることなど決して無いと確信した。それは誰に報告するでもないことだったが、とても誇らしいと彼女は思った。


***************


 それから、二週間が経った日のことだ。ウェレド神国、オーリタリア枢国の両国において、ほとんど同時にその事件は幕を開ける。


 ゼネアは、新兵たちの稽古をつけている最中、その爆発音に気が付いた。


「誰だ、この演習において一切の魔法の使用は禁止だと伝えたはずだ!」


 地面に記した円形のエリアから相手を押し出した後で、ゼネアは周りの兵を振り返った。しかし、その誰にも発煙(はつえん)形跡(けいせき)も魔力の乱れも見えない。ゼネアはすぐに、震える腕で訓練場の開けた天井の先を指す一人の兵士に気が付いた。その視線の先には、神都上空を飛行する枢国兵の姿があった。


「総員、自分の身を守る行動を取れ! 貴様らは新兵だ! 誰かを倒す必要はない! 死なないようにその場で震えていろ!!」


 基本的に、ウェレド神国において、城壁内での魔法の使用は禁じられている。国内での使用許可を持つ大隊長以上の階級の士官も、移動の際に、民衆の目につくような風魔法は使わない。ウェレド国民の多くは魔法を使えず、またその多くは、三年前の神都襲撃で生き延びた人々であるため、それが平時であっても、魔法に恐怖を覚えてしまう。軍の戦力不足には、そうした人々が、子を軍に所属させることを躊躇(ちゅうちょ)しているという背景もある。


 メイオール・カリモワ(知徳中将)中将が十年前に掲げた富国政策により、国民は教育の義務を負った。その負担を抱えきれない貧民層が湧火街に追い出され、その子だけでも三食の支給される軍に徴集(ちょうしゅう)されているのが現状だ。神都内の若者たちは、教育を受けることで軍役から逃れようとし、実際に、軍部は士官育成のために兵士を増やせないでいた。


 神都の人々にとって、魔法とは、軍とは死の象徴なのだ。彼らは自分たちが平和な人生を送ることしか頭にはない。それが当たり前のことだと思っている。しかし、彼らを、この国を守るために存在する軍所属の兵士に、その幸福な思考を否定することはできない。むしろ、彼らがそうあらねば戦う意味などどこにもないのだから。


 そんな神都の上空に、堂々と魔法を使う者がいる。その(ほうき)を使った独特な飛行方法は、自ら所属を明かしているようなものだった。


魔女のかぎ爪(レイド・ウィック)っ————!」


 ゼネアが神都の様子を見るために訓練場の上まで一足に跳ぶ。その眼前には、枢国機動部隊、魔女のかぎ爪によって、魔法空襲を受ける市街の姿があった。


 愛刀であるクロツムジを軍に回収されているゼネアには、街の反対側にまで広がった敵の手を、一薙ぎで払う術はなかった。


「各個撃破に何分かかる……二小隊と同じ数、友好使節として来ていた枢国兵が暴動を起こした? いったい何の意味があってこんなことを———考えている場合ではないっ!」


 再び爆撃の準備を始める魔女たちに、ゼネアはたまらず飛び出した。

 風魔法による余波を防ぐため、ゼネアは国内から砦に移動する際は一定の速度まで出力を調整する。それでも鳥ほどの速度で飛び出し、二時間ほどの時間がかかる。しかし、第五門を完全に開放したゼネアは、魔女が火球状の魔力を掲げるほんの数秒の内に、神都中央の上空に飛び上がった。魔力の移動を掌握する風魔法によって、目前の空間ごと移動した彼女を、摩擦は襲わない。代わりに彼女の進んだ道を、遅れて火花のような魔力衝突が走った。瞬間的な移動により発生したエネルギーは、上空の彼方でつむじ風となって消えていく。


「直ちに魔法の使用を止めて投降せよ、暴徒!!」


 ゼネアの発破に、一時空中を旋回して体勢を立て直した枢国兵は、苛立たしそうに火球を地面に撃ち放とうとする。しかし、まるでゴムに弾かれたように、落下していった火球は地面に落ちることなく中空で浮き上がり始め、枢国兵たちの遥か上空に地面があるかのように、一定の高度で浮き上がり続けている。


 逃げまどっていた市民は、上空のゼネアの姿を、安心したように見上げた。その背を避難誘導(ひなんゆうどう)に当たる兵士が優しく促した。


「神国軍事規定に則り、身柄を拘束する!」


 ゼネアが魔女のかぎ爪(レイド・ウィック)を風魔法で強制的に一か所に集めようとした時、箒に乗った魔女たちはそのローブのような軍服の下から怪しげな注射器を取り出すと、迷わず自分の首筋に打ち込んだ。遠目では何も入っていないように見えるその中身が注入されると、魔女たちの体は膨張していき、四つ足の巨大な化け物となり上向きの重力を切り裂いて落下していく。


「何を————っ!」


 刹那、動揺から思考を切り替えたゼネアは、最も近い怪物に標的を定め、そのがら空きの胴に拳を叩きこみ、神都外壁を超えて平原に殴り飛ばした。しかし、二小隊分の怪物の流星群はどうしようもなく神都を破壊していく。


 戦場において、兵士を魔法で救助することは簡単だ。魔法を扱える兵士は、少なからずその体に魔力が適合しており、傷を炎魔法で焼き塞ぐことも、折れた腕を氷魔法で一時的につなぐことも、負傷兵を風魔法で運ぶこともできる。しかし、神都の市民は魔法への適性がなく、その負傷は魔法では癒せないうえ、風魔法で運ぶことはできない。いかに重力を変化させるゼネアでも、その力で民衆を逃がすことはできないのである。


「せめてクロツムジがあれば、などと言っている場合ではないか————!」


 暴れまわる怪物を、なるべく人の多い方から片付けるべく、ゼネアは光のように飛び出していった。


***************


「これは一体どういうことかっ、アルカ・ハルバン! 友好使節として向かった堅穹隊(メダン・ルソラ)が、枢国で暴動を起こしたとはっ」


「わ、私にも、わかりません」


 アギスタイン統括長の怒声に、アルカは怯えながら答える。古めかしいデスクの上に置かれたティーカップには、澄んだ橙色の茶が湯気を立てている。アギスタインは、気持ちを落ち着かせるために、その華やかな香りを嗅いだ。


「で、ですが、その。少なくとも、ゼネア隊長には、この一月の間、不審な動きも、誰かと連絡を取った様子もありませんでした」


「アキノールの独断というわけか。しかし、そうだとしてなぜ貴様は気付かなんだ!」


「だ、大隊長は、書類業務も多いので、その、私の能力では筆談を盗み見ることはできない、ので、もしかすると、初めから、密偵(みってい)を警戒していたのかも……ひぃっ!」


 アギスタインは、茶を一口飲むと、苛立たし気に机を叩いた。


「報復に、魔女のかぎ爪(レイド・ウィック)どもが、今も神都で暴れておる。ゼネアが応戦してはおるが、市民はともかく建物の被害は甚大になるだろう。それにあの怪物、防衛のために待機しておる兵を集結させて、ようやく一個体と相手できるほどの力じゃ。今は動く気配を見せていないが、こちらに向かってくるつもりならば、静観もしておれん」


 アルカは、アギスタインの無責任な言葉に愕然とする。すでに神都内の住民の避難は終わり、エリアスの影と呼ばれる、国内の最終防衛線内に収容されていた。しかしそれは、一般市民の話だ。湧火街に追われた非納税者は、未だ国内の様子すらわからないまま、怪物の脅威に怯えていることだろう。


「あ、あの……と、湧火街の人たちは、無事なんでしょうか」


 アルカが思わず問うと、アギスタインは静かにもう一口カップを運んだ。


「アルカ・ハルバンよ。お前の末弟たちはすでに避難を終えておる。それが、これまでお前の働きに対する、最低限の対価であるからじゃ。だがのぅ、現状はどうじゃ。お前の内偵は意味をなさず、堅穹隊(メダン・ルソラ)の反乱によって国内は壊滅状態。いずれ食糧問題が起これば、真っ先に切り捨てられるのは、自分の力で最低限の権利も買えない惨めな逸れ子じゃろう」


 アギスタインは、ゆっくりとカップを机の上に置くと、長い溜息をついた。


「こうなってしまえば、お前を密偵として置いておく価値もない。然れば、これ以上の支援をすることはできまいよ。疾く失せるか、この場で二階級特進の賞与を遺すか決めるとよい」


「と、統括長っ! お願いです、私は、私はどうしていただいても構いません! ですから、弟たちは、弟たちから教育を奪わないでください! あの子たちは、私なんかよりもずっと優秀でっ———」


「物乞いの子が、くどいわっ! 成果もない兵に払う物など————ぐぼぁっ!?」


 立ち上がり激高したアギスタインは、胸を押さえると吐血した。皺の寄った口から、小さな果実ほどの肉片が溢れ出た。手で掬いきれないほどの赤い吐瀉物(としゃぶつ)は、机上の書類を染め、こぼれ落ちたカップを弾いて床に落とした。割れたカップを気に留める余裕もなく、アギスタインは前後不覚の様相で壁に背を預けた。


「こ、れは————」


 気を待ちわびていたように、私室の扉が蹴り開けられる。金髪の中将(クレイアルド)は、数人の兵士と神国の軍服を着た壮年の男を引き連れて室内に踏み入る。


「クレイアルド・モータル!? それに、メイオール中将、どうしてっ」


「おや、僕にも中将と敬称を付けていただきたいのだがね、アルカ小隊長」


 余裕そうな顔でにやりと笑ったクレイアルドに、アルカは一歩壁際に後ずさった。


「統括長に何をしたんですか」


「枢国で開発中の魔法毒ですよ。魔力汚染に着想を得た新型で、魔法を使えないご老体のような者は体が拒絶反応を起こし、このように肉体が崩壊していくのです」


 答えたのは眼鏡越しの表情がうかがえないメイオールだった。検体を興味深く観察するように、垂れた前髪を手で押さえて姿勢を前のめりにしている。


「失礼ながら、会話は聞いていましたよ。ご安心を。湧火街の皆さんは、枢国の小隊がお守りし、和平条約の内容に従い、こちらで身柄を保護させていただきます。元より人権のない身、御国の陸軍教育を受けることとの交換条件として、彼らを引き受けることとなりました」


「引き受けるって、いったいどうする気ですか」


 クレイアルドは肩をすくめ、視線だけを変わり果てた姿のアギスタインに向けた。殺気を向けたアルカに、クレイアルドは薄笑いを浮かべながら、諭すように両手を彼女に向けた。


「統括長の工作、大将直下部隊の反乱に、あまりにも早い枢国兵への対処。これらはすべて、ゼネア大将の策謀(さくぼう)ではないかと、あなた方の上層部は考えているようです」


「ゼネア隊長が、そんなことっ!」


「するわけがない、だなんて関係がありません。和平条約において、そのような強い力を持つ個人がいるということ自体が障害となるのです。我々は、()()にならなければならない」


「平等なんて、そんなものっ————」


 生まれたその日から、アルカにとって世界は平等ではなかった。幸せな街の幸せな人々が捨てた廃棄物(はいきぶつ)は軍の回収業者によって、火口付近の集積場に運ばれる。湧火街に住むのは、働くことのできない体の弱い大人と、その子供たちだ。


 湧火街は、ウェレド神国の端にある捨てられた街だ。ある時、その街の地下に活火山が存在していることがわかり、多くの国民は逃げるように神都へと移住した。その後、軍部が再開発を諦めたことで、土地が放棄され、神都内で物乞いをしていた貧民層が、金のかからない廃墟を住処にし始める。初めこそ湧火街を疎んでいた軍部だが、その過酷な環境を国内改革の廃棄物処理場として扱い始め、税金を払えない国民や罪人を閉じ込めることで見せしめとするようになった。


 湧火街で育った子供の多くは体が弱く、神都の残飯を漁る日々だったが、火口というエネルギーの奔流に近い場所で暮らすためか、六界門への適合者が多く見つかった。軍部は、逸れ者の流刑地(るけいち)として、そして食によって手懐けられる従順な新兵の生育場所として、湧火街を黙認するようになった。


「君に問うことにしよう。アルカ・ハルバン。僕に従って、この国でスパイを続けるか、それとも、ここで兄弟ともども殺されるか」


 アルカにとって、選択肢は一つだった。静かに頷くと、クレイアルドは満足そうに背を向けた。取り残されたアルカには、故郷である湧火街に残した母親の無事を祈ることしかできなかった。


***************


 突如空から現れた怪物によって甚大な被害を受けた神都は、その場に居合わせたゼネアと、援軍としてやってきたクレイアルドの私兵隊により鎮圧された。一方で、オーリタリア枢国内の市街地を占拠した堅穹隊(メダン・ルソラ)は、未だに防衛を続けている。事件の発生から五日が経ち、市街の復旧に目途がついたタイミングで、枢国での堅穹隊(メダン・ルソラ)の反乱への対策と、神国内での暴動の審問会(しんもんかい)を兼ねた会合が開かれた。空いた統括長の席には、次代統括長と目されていたメイオールが座した。


 ゼネアは、室内を軽く見て、改めてウェレド神国の政治体制の不安定さに憂いを覚えた。ウェレド神国の意思決定機関である軍の評議会は、今や六人となってしまった。


 ウェレド神国は、神国と名こそ付いているが、信奉する神がいるわけではない。かつてこの国が神国として成立したのは、英雄と呼ばれる一人の男によるものだ。歴史にのみ名を遺すその英雄は、六界門の果てに神がいると告げ、その果てを目指すことこそが至高だとした。

 二百年ほどが経ち、歴史から英雄が姿を消した時には、すでに神国にその使命はなく、権力の中枢を握った軍幹部による枢国への威信誇示だけが国家の目的となっていた。民の幸せと軍の強靭さ。それをもって自らの正しさを示そうとするように、神国は軍部政治の一極集中を強めた。


 現司令であるゴズニア・ガザノフは、私にとって曾祖父にあたる代からガザノフ家で司令の役職を独占してきた。その門閥(もんばつ)による力に不満を出させないほどの指揮能力で、あまたの枢国兵を退けてきた父は、初めこそ、私が女であることに悲しんだという。しかし、私が訓練校で頭角を現し始めると、我が事のように喜んだ。それは私にとって、いずれこの腐った政治の手綱を手渡されるのだという暗雲に思えたのだった。


 室内で一人、重苦しい(よろい)のせいで椅子に座れないのか、置物のように立ち尽くしている巨体がいた。こうしてきちんと拝見するのは初めてになるのだろうか。その大鎧こそが彼の象徴である、エリアス・ゴドン(影の大将)、私と双頭を成す陸軍大将だ。彼が影の大将と呼ばれるのは、その鎧の下の素顔を誰も知らないためであり、軍幹部による評議会にもほとんど出席しない。


 陸軍、というのは便宜上の呼び名であり、軍内紛争の結果、二百年前に空軍は無くなっている。また、海からの敵もおらず、内地の枢国に海から回り込む必要性もないため、海軍は形ばかりが残され、中将としてスクゥクス・メリダ(一人海軍)が灯台守として海の監視を続けている。


 本来、こうして軍幹部が召集されるほどの評議会では、中将以上の士官が出席するが、妖魔戦役によって、本来ここにいるべき中将たちがいなくなってからは、より顕著(けんちょ)に上層部の一極支配が強まった。私やヨーチェンは政治に明るいわけではなく、また防衛の任があった際は共に砦を離れることも容易ではなかった。灯台守であるスクゥクスは欠席を続けており、エリアスは神都防衛のためと参加しない。むしろ今日は集まりが良い方というわけだ。


 とはいえ、私は罪人として嫌疑(けんぎ)をかけられる身であり、エリアスが何か話すとも思えない。まして、枢国のクレイアルドも出席しているとなると、あまり都合の良いことにはならないだろう。


「いやぁ、この度は我が国の兵が誠に申し訳ない! すでに交渉の進んでいる件ではありますが、神都の復興作業は枢国兵が全霊をもって援助いたしますよ」


「クレイアルド中将。まだ貴殿の発言は許可されていない」


「これは失礼。しかしまぁ、なんです。お互いに災難ですねぇ。飼い犬の力が手に余れば、被害を受けるのはいつも罪のない市民ばかりだ」


「今回の暴動について、友好使節であった貴殿に責はないと言いたいのかね」


「ええ、それはもう。僕も被害者だと声高に主張したい。でなければ、大事な魔女のかぎづめを殺すようなことはしませんよ」


 暴徒であろうと怪物化していようと、本質として罪人であるあの怪物を、本来は捕らえなければならないのだが(どこに収容するかはともかく)、援軍として駆け付けた枢国軍は、ためらいなくかつての同胞を攻撃し、その生体反応を消してしまった。ゼネアが無力化していた残兵も、夜が明けるころには、砂塵(さじん)と化したように、巨躯(きょく)は跡形もなく消えていたのだった。


「彼らは枢国で研究中の新薬を持ち出した、枢国としても処分の対象でした。デギィヌ軍務官殿とは交渉した通り、神都の被害補填(ほてん)の一環として、新薬の共同研究を枢国は歓迎します」


「人間を妖魔にする薬物の研究をか」


「これはゼネア大将。直接対峙したあなたは、そう感じられましたか。しかし、あの新薬はそのような目的で作られたものではありません。その点については、神国のほうが、研究が進んでいるはずですが。そう、肉体を魔力と同調させる術については」


 ゼネアは思わせぶりなクレイアルドの言い方に眉をひそめた。防衛線における妖魔研究において、彼らの体が魔力でできているということはほとんど共通認識となっていた。しかし、それと六界門のつながりについて論じたものはない。あるいは、未だ謎に包まれた六界門の果てというものが、完全に魔力で構成された妖魔の肉体であるとでも言いたいのだろうか。


「危険性について心配しているのなら、そのための共同研究であると言えるだろうね、ゼネア。神都に壊滅的な被害を与えたあの怪物はまさしく失敗作というわけだ。もし、あの力を適切に扱えれば、我らは覇道中将の如き力を容易く運用できるようになるかもしれない」


 また彼の名だ、とゼネアは静かに拳を握った。ヨーチェン・シェイの死、それこそが枢国の提案を飲むきっかけとなったのだ。ほかのどんな策謀よりも、彼を作為的に殺すことなどできないということは、誰よりも自分には分かる。仮に、この中の誰かが妖魔と通じていたとしても————。


「では、神都で起きた暴動における枢国の負う責については、以上で相違ないな」


「ええ、引き続き、防衛線への戦力提供と、新薬の情報共有を以て代価とさせていただくことにしましょう」


「であれば、続けて、オーリタリア枢国皇域における堅穹隊(メダン・ルソラ)の暴動についてだ。現在でも堅穹隊(メダン・ルソラ)は皇域を占拠し、籠城を続けている。クレイアルド中将、被害の報告を」


 ルイン総督に視線を向けられ、クレイアルドは机上の資料に目を落とした。


「幸いなことに、今のところ死傷者はおらず、皇域から五十キロにわたる範囲を占拠されている状態です。占拠された皇域南部は貴族院の居住区であるため、産業に大きな影響はありませんが、枢国評議会は神国への反発を強めることになるでしょう。あるいは、そこまで見越して生かしたままでいるのかもしれませんが」


 クレイアルドが意味ありげに視線を向けてくるのを、ゼネアは無視して返答する。


「本件に関しては、私の指導不足であると同時に、彼らの独断行動であることを強調したい。今回、総督の護衛として枢国に向かった第二・第三小隊は、堅穹隊の中でも、枢国への反発の強い部隊です。事前に総督にお伝え出来なかった私に責があります」


「責、ですか。直下小隊である堅穹隊(メダン・ルソラ)の不始末は当然、その上官の責任でしょうが、本当にそれだけの話でしょうか」


「何が言いたい、クレイアルド中将」


 思わせぶりな言葉に、ついゼネアは言葉を荒げる。


「ゼネア、言いづらいことだがな。我々はすべてが、神国の指揮体制を崩壊させるための、策謀ではないかと疑っているのだ」


「軍務官、そのようなことは決して————」


「しかし、そう考えれば、このタイミングでの統括長の暗殺も辻褄が合う。君は、堅穹隊(メダン・ルソラ)が総督を殺し損ねたことを知らずに計画を実行したのではないか、とね。総督と統括長がいなくなれば、君が利を得ることは明白だ。三年前の神都襲撃で大将になったことで、そんな考えが君の中で生まれたんじゃないかな」


「妄言を吐くのはそのくらいにしておけ、メイオール。その理屈では、自分が統括長を殺したと言っているように聞こえるがな」


「いやだなぁ、私は根っからの文官なんだ。統括長とは言えど、武官上がりの人間を僕が殺せるわけがないことくらい、君もよく知っているだろう」


 メイオールは、この場で唯一魔法が使えない軍幹部だ。その傑出(けっしゅつ)した頭脳と政策提案で中将として上り詰めてきた。もっとも、その背景には、彼の脈々と受け継いできた軍幹部家系の力があるのもまた事実ではあるのだが。


「ゼネア、我が娘よ。我々はお前を信じたいのだ。然れば、本件にお前を関わらせることはできない」


 重苦しい声が室内を支配する。ゼネアは静かに目を伏せて、父からの裁きを待った。


「ゼネア・シェイ。枢国における反乱の扇動ならびに幇助、および統括長暗殺の疑いを以て、お前を拘禁(こうきん)刑とする。神国内での影響力も考慮して、刑務は枢国の監視により遂行されるものとする。クレイアルド中将、以上の点に相違ないか」


「ええ、相違ありません」


 ゴズニア司令の合図で、部屋へ入ってきた枢国兵に、ゼネアは抵抗せずに両手を差し出した。この国のどんな鉱物で作られた手錠も、彼女を拘束することはできないが、軍規命令は彼女を縛り付ける。猛獣を連れ出すように、恐る恐るといった様子で、枢国兵はゼネアを廊下へと連れ出した。


「暴れる気はない。そう心配しなくても————」


 不安げな兵士に声をかけようとしたとき、ゼネアの両腕に細い注射針が刺され、一瞬の隙をついて未知の薬物が流し込まれた。透明なそのシリンジ内部に、ゼネアは、怪物に変化した魔女たちを思い出した。


 全身の力が抜けて膝をついたゼネアに、枢国兵は淡々と告げる。


「我が国で開発された魔力絶縁薬だ。たとえ一本でも打ち込まれれば、二度と肉体は魔力を通さなくなる。はなから心配などしてはいないさ。魔力の使えない貴様などにな」


 全身が空になるような感覚と共に、ゼネアは意識が遠のくのを感じた。


***************


 目を覚ましたのは、暗い房の中だ。すでに両手の錠は外されていたが、まるで空気の抜けた風船のように、自分の体から魔力が感じられなくなっているのが分かる。


 ガシャンと雑な動作で、配色口に質素な食事が置かれた。評議会が昼だったから、おそらくもう外は夜なのだろう。高い位置にある独房の窓からは、もう陽光は見えていない。


 あざ笑うような鼻息を鳴らして、配給役の枢国兵が房を去る。檻越しに周囲を見ると、他の房には誰もいないようだった。おそらくは、私のように邪魔な人間をここに隔離(かくり)しようという魂胆なのだろう。檻に近づいていると、監視の兵士が横目にこちらを見たので、静かに房の奥へ戻った。


 魔法が使えなくなった。それは同時に六界門の喪失も意味している。


 神国軍において、六界門が使えない人間は新兵か老兵だけだ。それ以外で使えないものは、神国内での事務仕事か、メイオールのように知恵が働かない限りは雑用に回される。いかに体を鍛え、怪力を自慢したとしても、六界門の第二門には及ばない。赤子の手をひねるように、容易くあしらわれてしまう。


 私は無力になってしまった。強さだけが、私が認められた意味だったというのに、もうその力はどこにもない。努力して、研鑽(けんさん)して得た力があれば、性別など関係なく、父に恥じない人間になれると、そう信じて進んできたというのに、軍における未来は閉ざされてしまったのだ。司令の娘という、未来を期待された立場でありながら、こんなことで簡単に過去のすべてを奪われてしまうのだ。最愛の娘を(うしな)い、伴侶を喪い、そして力も失くした。いったい、私に何が残されているというのだ————。


「っ————!?」


 思わず握った手に、火花が散る。それは紛れもなく魔法の発露(はつろ)だ。私は思わず、監視しているはずの兵士を見る。どうやら発火には気づかれていないようだった。


 改めて手のひらを見やると、だんだんと魔力が流れ込む感覚があった。それは第五門を開き、重力を曲げた時の感覚に近い。そこにある世界の法則を、魔力というものの自然な流れが自分に合わせてくれているような感覚だ。これまでよりもむしろ、明瞭に魔力の流れを感じられる気がする。どこからやってくるのかわからなかった魔力の入り口を、そして出口を、ようやく見つけたような気持ちだ。

 魔法を起こすのと同じ感覚で、体の魔力をその通風孔のような右手の一点に集中させると、再び体から魔力が抜けていくような感覚が訪れた。左手で強く手を握っても、その指は一切の魔力干渉を起こさない。


 私が少し不思議な気分で、魔力をすり抜けるようなその感覚を確かめていると、不機嫌そうに兵士が檻を蹴りつけた。時計を気にするように何度も腕に顔を落としている。


「食事が不満なら、便所の糞にでも替えてやろうか」


「結構だ。すぐに済ませる」


 再び腹立たしそうに檻を蹴ってきた兵士に、私は食事の乗ったトレーを受け取ることにした。防衛線では食事をとらないことも多かったが、このように追い詰められた局面では、少しでも栄養がある方がよい。渋々取り出したトレーに目を落とした私は、思わず息をのんだ。


「なっ————」


 急かすような檻の音に、私は言葉をしまって独房の奥へと下がる。トレーには、小さな薄い石の欠片に、文字が刻まれていた。


「魔力が漏れすぎだ。もっと集中しろ」


 私がそのメッセージを黙読(もくどく)すると、溶けるように石片は消えていった。


 さっきの給仕兵、いや、監視をしている兵士の魔法————。しかし、枢国とはいえ、一介の兵士にこんなことができるはずがない。できるとすれば、第五門以上の能力者だ。今のこの国では、そんな能力者はエリアス・ゴドン以外にあり得ない————!


 私は従順に食事を続けるふりをしながら、思考を巡らせた。エリアス・ゴドン、影の大将と呼ばれるその存在には、いくつかのうわさが流れているが、その真偽は定かではない。影の大将という呼び名は、その不透明さからも由来するのだ。噂では、エリアス・ゴドンは四つの(かお)を持つとされている。三年前の神都襲撃の際は、四方向から侵攻する敵をそれぞれ同時に相手取ったと語られた。果たして、それが真実なのかはわからないが、第六門の解放者であるとされている彼が、いかなる超常的な力を持っていても不思議ではない。


 四つの貌を持つというその力で、わざわざ私にメッセージを寄越した真意はなんだ。いったい、どんな立場で監視兵を装うリスクを負う必要があるのだ。


 硬いパンを口にしながら、思考を巡らせる。


 少なくとも、確かなこととして、彼には私と敵対する意思は無いということだ。そして、私が魔法を使えることで不利を被る相手、すなわち、クレイアルド・モータルと利害を共にしているわけではないはず。いや、目的が違うのだろうか。ともかく、魔力絶縁薬とやらが私に効かなかったことは、クレイアルドにとっては誤算だろう。どうにかして、この状況を利に変えなければならない。


 そう考えていると、再びトレーの上に(しも)が張るように薄い膜のような石片が現れた。その表面に刻まれた傷のような文字を見る。


「二日後にクレイアルドが来る。それまでに(しと)やかさを覚えておけ」


 余計な世話だと兵士の影を睨むと、メッセージはまた溶け消えていた。私がトレーを戻すと、用が済んだのかエリアスと思われる兵士はトレーを持って交代していった。


 それから、丸二日の間、私は魔力の出し入れを練習してみることにした。どうせやることもない寂しい独房だ。悲観するくらいならできることをした方がいい。監視の兵に気づかれない程度に、指の先に魔力を集中させ、同調と反発を繰り返す。次第に、その入り口——便宜上(べんぎじょう)、魔力弁とでも呼称するべきだろうか——を完全に閉じることができるようになった。それで何か得をするでもない気もするが、傍目から見れば、私は市民と同じく魔法が使えないように見えるはずだった。


 その夕、エリアスのメッセージ通り、監獄の中にクレイアルドがやってきた。変わらない自信に満ちた表情は、相変わらず憎たらしい。


「ククク、こうしてみれば市井(しせい)の民と変わらないな、ゼネア」


「気安く呼ぶな、下衆が。どうせ、堅穹隊(メダン・ルソラ)を攻めあぐねて助けでも乞いに来たのだろう」


「はっ、すごんでも圧がないな。魔法の使えない貴様など、所詮はか弱い乙女というわけだ」


 高笑うクレイアルドに、今すぐ檻を殴り壊して首を折ってやろうかと思ったが、そんなことをしても意味がない。私はか弱い乙女とやらを演じるべく、悔しげに俯いた。


「第一、攻めあぐねているのではない。殺さないように投降させるのが難しいというだけでね。中途半端な強さはこれだから困る」


 クレイアルドは意地の悪い笑みを浮かべて、手を一度叩いた。静かな房に音が消えていく。


「そこで提案だ。ゼネア・シェイ、僕の物になりなよ。ウェレド神国の元大将が僕の妻となれば、和平条約は円満に民にも認められ、無駄な血は流れない。君は和平のシンボルにぴったりだ。まして、その子は両国の未来を繋ぐことだろうねぇ」


 気持ちの悪い声に、私は思わず拳を強く握った。これまでなら、魔力が奔流を起こし、火花と閃光が弾けていたことだろう。この二日の自己鍛錬(たんれん)完璧(かんぺき)に閉じた魔力弁のおかげで、私はか弱い乙女として等身大の拳を握ることができた。


「たとえ、今回のことで私が大将を降ろされるとして、それは貴様のような外道に身を売り渡し、国を裏切る理由にはならん」


「そう強情になるな。僕のもとに来た娘たちで、悲しませたものなど一人もいない。地位を求めるのなら、第一夫人にしてやろう。僕が枢国の権力を手にしたとき、その隣にいる権利を与えてやろう」


「私が地位に固執するとでも? つくづく呆れた脳みそだな」


 私はクレイアルドの言葉を煽りながら、エリアスの助言の意味を考えていた。クレイアルドがわざわざ魔力絶縁薬などという回りくどい方法で私を監禁した理由はなんなのだろう。それはきっと、彼の独占欲だ。虹華(こうか)中将と揶揄(やゆ)されるクレイアルドは、その実力以上に、父親であるカリオ伯爵の地位によって成り上がってきた。そんな彼にとって、ウェレド神国司令の娘である私の立場は、今後の関係構築においても、交渉の札としても押さえておきたい駒なのだろう。あるいはもっと単純な支配欲。自分よりも強い相手を従えたいという下卑た自我だろうか。


 そんな彼の自尊心にこそ、付け入る隙があるはずだ。そうエリアスは伝えたかったのだろう。だが、こいつの妻になることに、いったい何の意味があるというのだ————。


「ふん、そうもあの男が忘れられないというのか」


「…………?」


 私が黙ったままでいると、クレイアルドはそう冷たい表情で言い放った。


「現実を直視できないのなら、言ってやろう。覇道中将、ヨーチェン・シェイは死んだ。お前の愛した者は、この世界にもう存在しないッ! 奴は妖魔の手にかかったのだ! ハハハッ、まったく、()()()()で笑ってしまうぞ!」


「————!?」


 私は思わず問いただしたくなる気持ちを堪えて、言葉の続きを待った。


「ウェレド神国はじきに終わる。妖魔の知恵を借りた枢国に、田舎軍国風情が抗えるわけもあるまい。なあ、ゼネア。その命を長らえたいなら、僕と一緒に来い。こんな国にかかずらう必要はない」


「娘を、伴侶を殺した妖魔と手を組んでいる賊国に寝返り、父に矛を向けろとでも?」


「なに、これは餌だ。上位でいるつもりでいるあの妖魔どもは、すぐに駆逐してやるさ。それに、お前も気づいているのだろう、ゼネア。この国はすでに腐っている。いずれお前は父と敵対することになるだろう。そのときのために、敵はなるべく少なくしておくべきだと思わないか?」


 静かに視線を落として、彼の言葉に揺らいでいるふりをする。果たして、クレイアルドの言葉が真実かどうかは定かではない。ただ私を辱めるために虚言を弄している可能性すらある。


 私は不安をかき消すために、改めて拳を握り直した。瞼を閉じれば、戦乱の中で育まれた暖かい愛情が思い出される気がした。どこか安心するような視線を感じる。たとえその命が失われてしまったとしても、絆まで消えてしまうわけではない。モルタ、ヨーチェン、見ていてくれ。私は、進むよ。


「————一つだけ、条件がある」


「ククク、ついに僕の魅力に気が付いたかい?いいとも、何でも言ってみろ」


「五年前、娘のモルタを産んだ時のことだ。当時のことは、貴様も知っているだろう。苛烈(かれつ)な戦禍の中、私は彼女をこの手に抱いた。救護班の手は悪くなかったが、私自身の体の問題か一昼夜を通してもあの子は出て来ず、最後は腹を裂くことになった」


「それは難儀な話だな。よもやあの戦乱の中で子を成していたとは、舐められたものだ」


「あの時の私は小隊長、替えの利く存在さ。だが、子を取り上げようと腹を開いた救護班は驚いたという。透明な膜の中で眠るように赤子は丸まっていたそうだ。計測部からは、魔力汚染に近い状態だったと聞かされた。同時に、私は生殖機能を失ったともな」


「この僕が、子を成せないからというだけで君を諦めるとでも思ったのか」


 クレイアルドは、苛立たし気に軍靴の音を立てながら歩き回ると、向かいの檻を蹴りつけた。甲高い金属音が響き渡る。


「条件というのは、この話を黙っていてほしいということだ。私が子を産めない体になったことは、当時の救護班を除けば、ヨーチェンにしか話していない。貴様にとっても、不都合な話だろう」


「だが、本当に機能を失っているのか? 魔力汚染域とやらの生物は見た目こそ透けるが、死は別の要因であると報告を受けているが」


「ああ、無理だ。ヨーチェンと()()()————」


「その忌々しい男の名を出すなッ!!!」


 突然、クレイアルドが檻を激しく殴りつけると火花が散った。少し煽りすぎたらしい。檻の鉄柵が熱で溶けていた。


「貴様の条件を飲んでやる。だが、俺からも条件を出す。飲めなければ、貴様の直下小隊は皆殺しにするッ! 第一に、その汚らしい死人の名前を口にするなッ! 第二に、貴様には俺の佩物(おもの)として、常に俺に忠実であれッ! 血の匂いが染みついた軍服など二度と着させん。貴様は宝石と同じ、俺の所有物になるのだ、いいなッ!!」


「————外道がッ!」


 条件を断り切れない風を装って、クレイアルドを睨みつけながら、私は悪くない条件だと考える。クレイアルドは、枢国の評議会にも顔を出すはずだ。彼に随行しなければならないなら、妖魔の情報を集めることも容易になるだろう。


「愛想の一つでも覚えておくといい。男を喜ばせる方法は、教わらなかったらしいな。凡愚(ぼんぐ)の視線で(ねぶ)られ、恥辱(ちじょく)(まみ)れる表情(カオ)が今から楽しみだよ」


 捨て台詞を吐いて、クレイアルドは房を去っていった。私はどうにか、魔力を隠し通せたことに安堵する。


 しかし、問題は山積みだ。破綻が約束された和平条約、枢国と妖魔のつながり。果たして、ウェレド神国に残された時間がどれだけあるのか分からない。


 私はもう、進み続けるしかないのだ。その果てに、願った平和があると信じて。


***************


 五日後、モータル家の第一夫人としてゼネアが迎えられたことが発表された後、ウェレド神国は和平条約の調印を決定した。オーリタリア枢国で反抗を続けていた堅穹隊(メダン・ルソラ)は、その報を受け、意味を無くしたように投降を始める。

 かくして、後に妖後事変として語られる両国における一連のクーデターは終結を迎えたのだった。



次回第四話「妖魔の子守II」

神国が騒乱の気配に包まれていたころ、ヨーチェンは妖魔たちの世話に手を焼かれていた。

奔放で暴力的な怪物の世話に辟易とするヨーチェンだったが……。

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