第二話 妖魔の子守
声が聞こえる。それは遠く、夢のようにおぼろげだ。肌を触れられている感覚に、それが現実のことなのだとゆっくりと思考が追い付いてくる。長く眠っていたらしい。記憶が混濁している。僕は何をしていたのだったか。
「予想通り肉は————長く——しすぎたのだろうか——だな……いっそ刺激を与え——を潰すのも————」
重たい足音が遠ざかっていく。紙を広げるような音が聞こえ、かすかな鼻歌が聞こえてくる。穏やかなその音色はぼんやりとした意識を眠りに誘う。体がだるい。疲労しているのだろうか。紙をめくる音が静かな部屋に響いた。新聞だろうか。そうだ、きっと号外が出たのだ。前線の状況が街に伝わる前に、僕は印象操作のために初版に目を通す。その時の音によく似ている。今の前線の状況はどうなっているのだろう。いや、そもそも僕はなんで眠って————。
「っ————!!」
その瞬間、唐突に記憶が奔流となって思い出される。そうだ、僕は人型の妖魔と対峙し、何らかの魔法によって自由を奪われて、そして————。
僕が意識を取り戻し、眼前の気配に視線を向けた瞬間、おそらくは無意識にその影から強烈な殺気が返ってくる。バックドラフトのように強烈な圧力は激しい雷を爆ぜさせながら通り過ぎ、部屋の照明が明滅しながら揺れる。
「……起きたか」
一瞬驚いたように目を丸くしたその影は、すぐに鋭い眼光で僕をにらみつけると、口を堅く結び周囲の空気が張り詰めるほどの威圧感をまとった。
「お前、人型妖魔だな。俺を人質にでもするつもりか? すぐに殺さなかったことを後悔するぞ」
「起き抜けにしては口が回るらしい。その強がりも、いつまで持つかな」
後ろ手に縛られ、椅子に体を拘束された僕の前で、妖魔は鷹揚と座る。深く息を吸うと、長く息を吐いた。何か言うのかと思ったが、厳粛な沈黙が重たく部屋を満たした。
貫くような眼光で僕をにらみつける妖魔の目を、僕もできる限りの圧をもって見上げ返す。怪物はしばらく無言で視線を交差させていたが、しばらくすると視線をそらした。数秒視線をそらした後、再び僕をにらみ返す。しかし、やはり無言のままだ。
「何が————」
「今から————」
たまらず口を開いた僕と、ようやく口を開いた妖魔の言葉が重なる。憮然とした様子で、妖魔は鼻を鳴らして言葉を続ける。
「今から、貴様に尋問を行う。答えないのは自由だが、身の安全は保障できない」
「……国を売れとでもいうのか?」
「貴様が一つ答えれば、貴様の問いにも一つ答えてやろう。今の状況を知りたいとは思わないか?」
僕は妖魔の視線をにらみ返しながら、頭の中で損得を考える。僕はこいつに敗れて拘束されている。戦線はおそらく絶望的だろう。こいつが敵本拠地と考えられるここにいるということは、戦局はすでに決着したと考えるのが自然だ。いや、あるいは交渉段階にあるのか。僕を人質とした降伏を求めている最中の可能性は? 妖魔たちは、人間を被検体にしようとしていると聞く。こいつらにとって、人間を全滅させることは目的ではないのかもしれない。
第六門を開けば、この拘束を抜けることは可能だ。しかし、眼前の脅威をどうにかすることができるかは別の話だ。とはいえ、こいつの、そして周囲に張り巡らされているであろう妖魔たちを振り切って、神国に戻るだけならばあるいは可能かもしれない。どんな質問をされるか分からないが、妖魔たちの情報を引き出せれば、それは大きな収穫になる。それに、僕ならどんな拷問を受けても傷つくことはない。黙秘権がないとしても、僕は黙り続けられる。この賭けは、受けるべきだ。
「……質問を言え」
「ふん、従順なのは結構だな。では、一つに、貴様の持つ力について知りたい。その体はいかなる傷を受けても再生していたように見えた。兵士たちは六界門と言っていたようだが、それはいかなる魔法だ?」
少し意外な質問に、僕は面食らう。戦力を把握したいというならわかるが、すでに拘束した僕のことを聞くなんて、どういうつもりなのだ。僕を無力化したあの魔法は、僕の力を看破したために使ったわけではなかったのだろうか。
僕は相手にとって有益になりすぎないように情報を選別して、慎重に話し始める。
「……六界門は、肉体を魔力と同調させる身体強化術だ。魔法とは、少し異なる。この術を極めれば、肉体を魔力化し、身体の延長として魔力を扱える規模がより大きくなる。俺の再生は、大地を構成する魔力で肉体を補完しているのが再生に見えているだけだ」
「ほう、なるほどな。では、貴様の問いを聞こう」
答えれば約束を反故にされるとも思っていたが、妖魔は素直に僕の質問を待っている。この問答はいつまで続けるつもりなのだろう。もしかすると、自分が思っているよりも長く聞くつもりなのだろうか。それならば、まずは現状を把握しておくほうが、次の質問を検討しやすいだろうか。
「……戦場はどうなった」
「ふむ、一言でいえば停戦中だ。後方より挟撃を受け、魔力密度の濃い境界線で前線は拮抗していたな。怪鳥に水を差され、私が撤退してきたときにはそんな状況だった。はまは進軍を止めた故、魔力密度の濃い境界を侵さなければ、じきに交戦も無くなるだろう」
予想していた通り、現在は停戦中か……いや、それよりも気になる言葉があった。
「挟撃、だとまさか枢国が……?」
「それは質問か?」
妖魔の言葉に、僕は口を堅く結んで否定の意を示す。
妖魔侵攻の後方と言えば、オーリタリア枢国の砦の方角だ。それに怪鳥となれば、砦の大鷲、枢国の聖女キュルリア・ルンの使い魔に違いない。しかし、千年もの間敵対してきた枢国が神国に援軍を送るとは思えない。
思考を巡らせていると、嫌な可能性が頭をよぎる。妖魔の言い方には妙な違和感がある。戦況が停滞していることは理解できるが、枢国の援軍を受けて人型妖魔が撤退していくには、想定していた時間では短すぎる。僕はどれだけ眠っていたんだ————。
「では、二つに、先ほど述べた貴様の力。貴様と同じほどに極めている者を他に知っているか」
また、六界門についてか。力について興味がるのか、あるいは習得しようというつもりなのだろうか。それとも、答えやすい質問を最初にしておいて、徐々に警戒心を弱めさせよう腹積もりか。どちらにしても、質問が長くなるだけこちらにとって得は多い。
「刀の一振りで重力を書き換えることができる者を知っている。その一太刀は、山を一つ壊すことも容易で————」
妖魔の発した雷のような殺気に、僕は言葉を止めた。圧をかけるように妖魔は鋭い視線で僕を睨みつけている。
「その者とは、すでに二日ほど交戦している。身を尽くした戦いこそすれ、貴様のように身を捨てた動きはしなかった。その答えは質問の意にそぐわない。貴様のように魔力で体を補完できる者について聞いている」
「ま、待て! 二日だと? それに、ゼネアと交戦したのかっ!?」
「質問に答えるのは、正しく貴様が回答した後だ。正確に話せ」
ゼネアと二日交戦した、だと? 神国の大将とはいえ、彼女は第六門を開けない。一週間の行軍や作戦行動で寝ずの番をすることこそあったが、この人型妖魔と長く戦い続けられるわけではないはずだ。彼女を信じていないわけではないが、再生できるわけでもない彼女が二日も継戦するのはあまりにも無謀だ。むしろ、二日というのはゼネアが————。
最悪の想定を振り切って、僕は言葉を選んで質問に答えることにする。この妖魔は、第六門を再生術だと思っているらしい。ならば、不意などいくらでも突ける。なるべく正直に、しかし能力の詳細は伏せて話すほうがいい。
「……六界門には、六つの段階がある。お前の知りたい、その六つ目に至っているのは、四人。そのうちの一人は俺だ。後は、国の防衛に関わっている。一人は神都を守護しているエリアス・ゴドン。もう一人は、海岸線を防衛しているスクゥクス・メリダ。最後の一人は、オーリタリア枢国の魔女、グルルタ・アムダ。それ以外にもいるかもしれないが、俺が知っているのはそれだけだ」
僕は話しながら、妖魔の様子を観察する。妖魔は人間の腕くらいに太い指を、五本のうち四本立て、そして、二本折った。目的は六界門の第六門解放者なのか? 折った指の一本は拘束した僕だとすれば、もう一本はいったい誰だ? 既に捕らえた、あるいは……。
「ふむ。では、貴様の質問はなんだ」
場所も添えて教えたことが功を奏したのか、その力の詳細について深堀りされることはなかった。立てた二本の指に視線を落としたまま、妖魔は聞いた。ゼネアのこと、そして自分がどれだけの時間眠っていたのか。聞きたいことは多いが、今は国のために心を殺さなければならない。
「お前たちの目的はなぜだ。なぜ俺たちの国を攻める」
「その質問に答えることは容易だが、今の貴様に理解できるとは思えない。無駄な問いと分かっていて、その問いを掲げるか」
「それはお前が心配することではない」
無駄な答えで質問を消費できるなら、得しかないはずなのに、なぜか妖魔はそう聞いた。僕に理解できないとしても、情報部に報告できれば、どんな情報でも妖魔攻略の核心になり得る。僕たちは、まだこいつらについて何も知らないのだから。
「ならば、答えよう。我ら妖魔の目的は、カンラによる生命の解放だ。そのために、貴様のような力を持つものを探している」
「俺はお前たちに協力するつもりはない」
僕がすごんでも、妖魔は内心の知れない石のような表情を崩さない。僕を説得する気はないのか、それ以上答える気はないようだった。詳細を説明しても僕に理解できると思っていないのか、妖魔は質問を考えるように顎に手を当てた。
「では、三つに、その質問を返そう。なぜ貴様はあの国を守る」
その質問は僕の意表を突いた。一体この妖魔は、その質問で何を知りたいというのだ。
言葉を話す人型の怪物。五年の間駆逐し続けてきた妖魔の首魁かあるいはそれに近い立場にいるはずのこいつを、どうして人間のように錯覚してしまうのだろう。僕がウェレド神国のために戦う理由など、知ったところで戦場では何の役にも立たないことだ。中将だとしても、その意志など国の総意の下では簡単に捻じ曲がるものでしかない。一兵の愛国心でも聞いて、人間の愚直さを笑おうとでもいうのだろうか。
「祖国のために戦うことに、理由が必要なのか」
「祖国、か。貴様の国は、およそ千年前に独立した多民族国家。種族が違えど、それを祖国と呼ぶことはできるだろうが、中でも貴様はあの国に生まれたわけではないはずだ。貴様は拾われた恩義のために、国に忠しているのか。それとも、あの国が掲げる正義や自由とやらに共感しているのか」
いや、違う。この怪物は、純粋に投げかけているのだ。
なぜ、六界門を、世界を操るような壊滅的な力を振るうことの責任をどう負うのかを。何のために、僕はあの国を背に戦うのかを。そしておそらくは、僕がどう答えるのかをすでに知っている。知っていて、僕の口から引き出させようとしているのだ。
すでに僕は、眼前の妖魔を、ただの怪物だとは思えなくなっていた。知性があり、判断力があり、己の考えを持ち、そして迷いがある。冷静な尋問官ならば、僕の質問によって己の問いを変えることなど、そもそも、僕に質問を許すような情けはかけないだろう。こいつは怪物でも、軍人でもない。人間のような一個の知性体として、甘い性格を隠しきれていない。それならば、望む通りの本心を答え、服従したように見せるほうが逃げ出すチャンスは増えるはずだ。
「確かに、軍に入ったときは拾われた恩義からだったさ。初めて昇進した時も、自分には強くなる以外に道がないからだった。だが、今は違う。神国は僕と、ゼネアと、モルタの祖国だ。お前に殺された娘の魂の帰る場所は、あの国にある。あの子の魂の安寧のために、あの国をお前ら妖魔などに侵させはしない————!」
だが、なんだと言うのだろう。なぜ僕の戦う理由などを聞きたがるのだ。娘を殺し、僕を何らかの罠にかけ、おそらくはゼネアをも退けた怪物に、心の弱さがあるとでも考えているのか。それとも、だからこそと、そんな人のような心を持つ相手だからこそ自分は負けたのだと思い込みたいのだろうか。自分が敗れたのは、その残酷さや凶暴さにではなく、何かを守る気持ちにこそだと。それが正しいと思うほどに、己の卑怯さが増すようだ。それが戦争だと頭の中で殺してきたはずだ。枢国の兵士にだって祖国がある。家族がいる。考えないようにしてきたことを、どうして今更考える。己を天変地異だと誤魔化して、目を逸らしてきた一つ一つの命に詫びることなどもうできないというのに。
「そうか————」
妖魔は、そう短く呟いた。何かの感傷にでも浸るように、ほんの少し口の端が上がる。穏やかな息がほんの少し漏れる。
————緩んだ。今この瞬間こそ好機だ。いかなる存在にも、ほんの一瞬の隙は生じうる。僕だって隙を突かれたからこそ敗北した。残忍になれ、ヨーチェン・シェイ。目の前の怪物は、家族の仇なのだ。妖魔は不死ではない。今ここを逃せば、好機など訪れようもない。ここで殺してしまえ————!
「っ————!?」
体を世界に同調させようとした瞬間、何者かに掴まれたような感覚に襲われ、僕は硬直してしまう。それは囚われた時とは違う、もっと大きな何かに貫かれたような感覚。巨大な視線に見られている。その眼圧に、魂が釘付けにされているような、根源的な恐怖。
「この揺れ、感付かれたか! くそ、私としたことが、少し気が緩んだか」
刹那、地響きが起こり、部屋の家具が落ちてくる。ままあることなのだろう、割れ物のない部屋の小物が床を転がっていく。衝撃に警戒した怪物には、すでに一片の隙も無い。僕は最後の好機を失ってしまった。
僕が妖魔にばれないように、世界との同化から体を戻すと、徐々に大いなる視線は薄れていくように感じられた。一方で、地鳴りのような揺れは収まりそうにない。こんな地震は、魔法を含めて体験したことがない。ここは妖魔たちの世界なのだろうという予測が確信に変わった。
「少し待っていろ。いいか、貴様が少しでも動けば、命の保証はできない。いいな」
妖魔は少しずつ出口のほうへと歩き出しながら、焦るように飛び出していった。別に約束を守る必要もないだろう。僕は音をたてないように、静かに炎魔法を使って拘束具を融かした。火力だけが六界門の強みではない、繊細さも戦争を生き抜くためには必要な知恵だ。
外がどんな状況か知れない。十分に時間をおいて、僕は外に出ることにした。少し物色した室内は、拷問室というわけでも、尋問室というわけでもない、私室のように思えた。
「ゼネア、無事でいてくれ————っがぁ!?」
扉を開ける前に、六界門を開こうとした僕は、再び何者かに押さえつけられるような視線を感じて、床に座り込む。耐えられない苦しさ、というよりは生理的な反射行動に抗うことができない。
「————ようやく見つけたっ。ねぇ、どこにも行ったらだめだよ?」
声が聞こえる。その声はどこにも振動していない。僕の頭の中に流し込まれるように聞こえている。その声に僕は敵わないと、直感的に悟る。これは天敵だ。原理も法則もわからないが、こいつの力は僕の上にいる。ただ僕を抑え込むだけに存在していると言っていいほどの相性の良さ。しかしやはり、あの平原で使われたものとは違う。もっと、相手の意思を感じる独善的な力だ。
体が肉体を取り戻すにつれて、視線は薄れていく。しかし今度は、じっとりと細い、けれど確かな一筋の視線が残されているように思える。まだ見られている。また第六門を開けば、同じように抑え込まれるだろう。人型妖魔の力を考えれば、第五門が使えるとしても、逃走は絶望的だ。いや、ともすれば、第六門がトリガーなのではなく、この視線は逃走することに反応しているのだろうか。
「動くな、といったはずだが……まったく、余計な手間を取らせるな」
しばらくして、動けないままでいた僕を、帰ってきた妖魔が軽く摘み上げ、拘束椅子に座り直させた。けれど、拘束具を付け直す素振りもなければ、先ほどのような殺気もない。それに、幾分か疲れているようにすら見える。
「何があった? 疲労しているように見えるが、お前をそこまでにするものがここにはいるのか」
「少し黙れ。今考えている。それと、私の名はプラティパだ。一度で覚えろ」
不機嫌そうに名乗ったプラティパは、頭を抱えると大きなため息をついた。名前を覚えさせるということは、僕を殺す気はないらしい。一体何なのだ。さっきの声といい、戦場よりも考えることが多い。
「……ヨーチェン、だったな。貴様の収監先が決まった。しばらくの間、貴様にはそこで暮らしてもらうことになる」
「しばらく、というのは具体的に期間が決まっているのか?」
「しばらくとしか言えない。次の行軍の手筈が整うまでだ。それまでは雑事をこなしてもらう」
ついてこい、と立ち上がったプラティパに僕は仕方なくついていく。再生能力が失われたわけではないにしろ、第六門が開けない以上、暴れるだけ時間の無駄だ。
出口から階段を上ると、少し家具が大きいが平凡な家の光景が広がっている。それはむしろ奇妙だ。大きな机に、本なのだろうか、紙束を置いて歩き進むプラティパを見て、余計に奇妙さは際立つ。やはりここはこの妖魔の家なのだ。しかしそれが、こんなにも人間的なものか。
入り口と思われる大きな門から外に出て、その異様な光景に、むしろ安心する。目に見える風景すべてが魔力汚染されている。それは宝石の結晶のようにも、いまにも崩壊する直前の世界にも見える。
魔力汚染は、妖魔たちが現れた門のような魔力異常地点から放射状に広がっている現象だ。二年前、僕と四門隊の調査によって、動植物への魔力の浸透が発生していると明らかになった。簡易的に結果をまとめれば、あらゆるものが第六門を開いた状態になっていたのだ。その細胞は魔力に置き換わり、色素が消滅した透明な状態と化す。植物は光合成ができなくなるが、枯れるでもなくそのままの姿で咲き続ける。平原の付近に生息していた動物は、輪郭が見える程度の透過率で全身が透けた遺骸が見つかっている。
「この風景は、貴様には珍しく映るか」
「軍では、魔力汚染と呼んでいる。六界門を扱えない兵は、足を踏み入れるだけで全身の激痛に襲われ、呼吸もままならない」
「汚染、か。言いえて妙だな。こちら側はすでにその汚染とやらが覆い尽くしている。雑兵がその有様で、あの門からこちら側に来たとして、貴様らの上層部には何か策があったのか?」
「俺を含めて汚染の影響を受けない兵は少なくない。どちらにしても、汚染に対抗できない兵は、門を超えられても戦力にならないだろう」
「ふん、ずいぶんと舐められているらしい。汚染の影響を受けなければ戦力になるとでも? 我ら妖魔を倒したこともないくせにずいぶんな自信だな」
「今ここで一匹倒してやってもいいが?」
「ふん、できるものならな」
軽口だと思われたのか、プラティパは大きな声で笑い飛ばした。その背中は隙だらけのようにも見えるが、今の自分では歯が立たないだろう。せめて第六門が使えさえすればと思うが、ここが妖魔たちの世界だと分かった以上、ほかに何が起こるとも知れない。余計なことはしないほうが身のためだ。
「ついたぞ、ここだ」
プラティパの指す先には、巨大な門があった。それは宮殿のような、神殿のような厳かな場所だ。門の中からは、全身が怖気立つような強烈な魔力の圧を感じる。自分の体にある魔力が引き合って共鳴しているようだ。プラティパと対峙した時にも感じた戦慄に似た、強大な力への予感だった。
「貴様には、この妖魔殿で生活してもらう。妖魔殿はこの世界でも魔力密度が高いが、貴様なら心配する必要もないだろう」
「収監というには開放的な場所だな。俺が逃げられないとでも思っているのか」
「ああ、逃げることはできないだろうな。貴様は逃げることなど考えもしなくなるだろう。はぁ……悪いが、私はここで失礼する。中に監視の者を待たせている。貴様に課す雑事の詳細は、その者に聞け」
ではな、と門に背を向けたプラティパは、しかし足を止め、振り返る。かと思うと、四メートルはあろうかという門の上の空へ向けて跳躍した。
刹那、門の中で爆発のような魔力の波が起こり、砲弾のような小さな影が飛び出す。その進路に突如として壁のように岩塊が盛り現れたが、影は身軽に体を翻すとさらに外へ向かおうと跳躍する。しかし、その先にはプラティパが構えていた。砲弾のように飛び出した影は、なすすべなくプラティパに首根っこを掴まれる。遠目に見るに子供のようだ。妖魔の子供はあんなにも俊敏なのか、四門隊が見れば顔を真っ青にするだろう。と思った瞬間、プラティパは掴んだ子供を躊躇いなく殿内の地面に投げつけた。土煙はプラティパの浮遊した場所をはるかに超え、轟音は門越しにも肌を震わせる。デギィヌ軍務官でもあんな容赦のないことはしないだろう。あれでは大隊長も数週間治療にかかる。
「何事かッ!」
僕が門を押し開いて中の様子をうかがったとき、門の上に降り立ったプラティパが怒声を響かせた。殿内にはまだ土煙が漂っている。中で喧嘩でも起こっているのだろうか。少し用心しながら中を見回すと、子供の泣きじゃくる声と共に大地が揺れる。その震源は目の前で震える童女のようだった。童女の体はゆっくりと宙に浮き、盛り上がった地面が彼女の体に吸い込まれるように寄り集まっていく。その体は巨大な岩の巨人となっていく。
「なんでそんなこと言うのっ! グリグルなんて、グリグルなんて潰れちゃえっ!!」
岩の巨人は、その巨体に似合わない軽い動きで、その足元で後ずさる少年のような妖魔に右腕を振り下ろす。その破壊力は僕の力には及ばないまでも、神国軍の砲撃を思わせる威力だ。地面に大きな跡を残したこぶしの上に、風のようにふわりと降り立った少年がからかうように言う。
「冗談だって、じょ、う、だ、ん!ただちょっと、カミラみたいにのろまな攻撃は、誰にも当たらないよぉ~んって言っただけでしょ?」
さらに煽るように、顔の前で手をひらひらと動かした少年を、弾け現れた杭のような石の矢の先端が向いた。まばらな間隔で放たれるその攻撃を、風に乗る綿毛のように気ままな動きで少年は躱す。すべての矢を躱した少年が、また憎たらしい顔で笑うと、刹那、巨人の体躯が両断され砕け散ったかと思うと、少年はプラティパの巨大なこぶしに握りしめられていた。
「げぇっ、プラティパ!」
「何事かと聞いている。日直は貴様か、グリグル」
「ち、違うよぉ! に、日直はレプタンだよっ」
グリグルと呼ばれた少年のような妖魔が指した先には、ドーム状の氷塊が不自然に地面に盛り上がっている。プラティパは、やはりグリグルを地面に勢いよく投げ捨てると、氷のシェルターに苛立たしそうに歩み寄る。門を閉めて目を凝らしてみると、その氷塊の魔力精度はかなり高い。妖魔戦役のために整備された元素隊の氷部隊が、小隊単位で作る障壁にも匹敵するだろう。プラティパは、軽い足蹴でそのドームを半壊させる。中まで魔力結晶で詰まった高密度のドームがあっさりと暴露される。中心で眠るように震えていた小柄な妖魔は、鳥に食われる虫のように引きずり出された。
「ぼ、ぼぼぼぼ、僕は何もしてない、ですっ」
「傍観は同罪だと前に教えたはずだ。なぜ止めない」
「ぼ、ぼぼぼ僕には無理ですよぉ……」
プラティパが、レプタンと呼ばれた妖魔を詰問しているとき、土煙の中から立ち上がった妖魔が、再び門外を目指して飛び出そうとしていた。なんだか分からないが、止めたほうがいいのだろうか。幸いにも、第六門を開くまでもなく捕らえるのは容易ではある。なんとなく、嫌な予感が頭をよぎっているが、とりあえずこれ以上場が混乱するのは避けるべきだろう。
四門隊と変わりない速度で飛び出した童女のような妖魔を、僕は空中で捕まえる。子供というよりは野生動物のようだ。首根っこを抱えて地面に降り立つまで、猛獣のように暴れくるっていた。
「誰だお前っ! ナリィに触るなっ! くそっ、くそっ!」
やけくそになって放ってくる炎魔法は、火力こそ高いが高原戦役の時に見た魔女の嵐と比べれば、まさしく児戯に等しい。魔法による相殺を、意識しなくても対処できる。
「あらあらぁ、ごめんなさい、プラティパ。王女がぐずってしまって、目を離した隙に」
「構わんが、まったくこいつらは相変わらずだな。ああ、ヨーチェンも済まないな」
プラティパは、心底疲れたという風に感謝した。妖魔殿の建物から出てきた、落ち着いた印象の妖魔が、両手を体の前で合わせて、得心がいったように僕を見る。
「あらあら、もしかしてこの方が?」
「ああ、そうだ。マリアナ、こいつが今日から教育役を任せるヨーチェン・シェイだ。少しは役に立つだろう」
「ちょ、ちょっと待て、教育役とはなんだ。ここは監獄ではないのか?」
プラティパは僕に同情するように、ふっと笑うと憐憫の目で見ながら説明する。
「ここは妖魔殿。我ら妖魔の中でも、まだ魔力の扱いに慣れていない者が一人前になるまで教育する場だ。雑事をこなしてもらうと言っただろう。貴様にはここで、教育役としてこいつらが勝手なことをしないように教育してもらう」
「俺に、妖魔の子守をしろとでも言うのか?」
「そう言っているつもりだが、ほかに質問はあるか? 無ければ私は帰るぞ」
僕が言葉をなくしていると、僕の小脇に抱えられたナリィが不満を垂れる。
「プラティパ、もっと遊んでよ! こんな人間臭いやつ、ナリィは嫌だぞっ」
「そうか? こいつは、私とも対等に戦える実力があり、何より体が再生できるんだ。魔法の授業の時に、壊れない的が欲しいと言っていただろう。うってつけじゃないか」
プラティパの言葉に、僕は頭を抱える。謎の力に監視され第六門は使えない。逃げることもできず、直属の兵士たちよりも強い魔法を使う子供の面倒を見なければならないなんて、自分の不死性が恨めしいほどだ。高原戦役の中で、モルタを育てていた時は、補給部隊の支えもあり、それほどしんどいものではなかったが、それは最愛の娘だったからだ。この憎たらしい子供に愛情など向けられるわけもなく、傷つければ何をされるか分からない。
「そう険しい顔をするな、ヨーチェン。こいつらが余計なことをすれば攻撃しても構わない。いや、むしろためらわずに攻撃しろ。その程度でどうにかなるほど、こいつらも弱くはない。まぁ、だからこそ厄介なのだがな」
プラティパは面倒そうに、しかし子供たちを愛らしく思うように、柔らかい笑みを見せた。気を抜きすぎたと思ったのか、すぐに厳めしい顔に戻ったプラティパは、今度こそ帰ろうと門に向けて歩き出す。そして、僕のほうを振り返って言った。
「そうだ、貴様の伴侶、ゼネアと言ったか。なかなかに心躍る戦士だった。この私と対峙して、最後まで決着はつかなった。まさに、将というに相応しい人間だな」
「————当たり前だ」
ゼネアの生存を知り、安堵したことを悟られないように返した僕に、プラティパは満足げに笑って、今度こそ去っていった。
そうして、妖魔の世界での子守生活が始まったのだった。その時神国で起こっていたことなど、僕には知る由も、予想することもできなかった。
次回第三話『妖後事変』
第一次妖魔戦役は、オーリタリア枢国の支援を受け、最高戦力である覇道中将を失うという手痛い被害を受けながらも、何とか終息を見せる。千年もの確執がある枢国との、妖魔追撃のための共同戦線。それは神国の兵士にとっては受け入れがたいことであったが……。




