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妖魔殿の子守  作者: 錆井
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第一話 第一次妖魔戦役

 硬い軍靴(ぐんか)の音が長い廊下に響いている。聞きなれた自分の足音も、謁見室(えっけんしつ)前のこの長い廊下に反響すると、緊張を感じさせるものだ。


 二度のノック、(おごそ)かな返事を聞いて、形式張った挨拶と共に入室する。この部屋に入るのは、三年ぶりのことだ。第一次妖魔戦役(ようませんえき)が始まってから五年。僕、ヨーチェン・シェイがこの部屋で、ウェレド神国(しんこく)の対妖魔軍中将(ちゅうじょう)に任命されたのはその二年後だった。当時三十歳にも満たない青年としては異例の抜擢(ばってき)であり、高原戦役(こうげんせんえき)褒賞(ほうしょう)としては順当な対価だったと思う。


 謁見室に入ると、三年前と変わらず、五人の権力者が緊張感と共に座している。


「久しいな、ヨック(yoch)。元気そうで何よりだよ」


総督(そうとく)こそ、お変わりないようで安心しました」


 厳かな謁見の場でも、ルイン総督は僕を昔からの愛称で呼んだ。どこでも変わりないのが、彼の良いところでもあり、悪いところでもある。


 二十六年前、戦争孤児だった僕は、国境付近を巡回していたルイン総督の部隊に拾われた。神国陸軍の養成施設に六歳児として入れられた僕は、彼の経済的支援のおかげでこの国での居場所を手に入れることができた。親の記憶もない僕にとって、ルイン総督は上官でもあり父親のような存在でもある。


「元気そうなのは良いが、ヨーチェン。いい加減に休暇の申請を取りなさい。カルネィア(遊撃軍大隊長)でもあるまいし、仕事が休暇のうちとでも言うまい。ゼネアと共に休めるよう、士官を見繕ってやろうか」


「お気遣いありがとうございます、司令。ですが、今は妖魔戦役の任がありますので、前線を離れるつもりはありません。ゼネア()も同じ志かと」


 ゴズニア司令は、不服そうに腕を組むと鼻息を荒げた。僕が妖魔戦役の任を受けてから、司令はいつも休暇の催促をしてくる。それは上官としての優しさではなく、父親としての不器用な気遣いでもあるのだろう。


 ゴズニア司令は、僕の妻であるゼネアの父親であり、つまりは義理の父親ということになる。高原戦役が始まる前、娘が生まれたと聞いた時の彼の喜びに満ちた顔は、高原戦役中の兵士たちの一番のゴシップだった。実質的な出産休暇を取らせようといまだに言ってくるところを見るに、ゼネアはまだ、自分が不妊症を患ったことを言い出せていないのだろう。


「無駄話はそこまでにしたまえ。シェイ中将、前線の報告を」


 元老(げんろう)(いさ)められ、僕は粛々(しゅくしゅく)と妖魔戦役の現状を報告する。


 ————妖魔戦役は現在、膠着(こうちゃく)状態にある。


 五年前、ウェレド神国とオーリタリア枢国(すうこく)の国境付近に魔力の揺らぎが検出される。その規模は、竜巻や地中火山の噴火と見るには弱いものだった。当時、枢国との高原戦役の最中であった神国軍は、計器の乱れともとれるその異常に対処する余裕はなく、その乱れから現れた未知の脅威(きょうい)に対処する十分な戦力は、国内に残ってはいなかった。


 神国の辛勝となるかと見られた高原戦役は、市街地襲撃(しゅうげき)の報を受け、痛み分けの形で一時停戦となる。急ぎ帰投(きとう)した僕たちが目にしたのは、見たことのない怪物————妖魔に食い荒らされた街の姿だった。

 妖魔の侵攻により、国土の4割が崩壊し、国民の2割が死亡、あるいは生死不明となった。帰投した軍との挟撃(きょうげき)で、妖魔を撤退(てったい)に追い込んだ神国は、現在も復興(ふっこう)の最中だ。帰投後の死者は、片手で数えられるほどしかいないが、僕は今でも指折り数えてしまう。そのうちの一人でも、救えたかもしれないと。脳裏(のうり)に焼き付いた娘の最期を。妖魔の口に飲み込まれていったあの子に、手が届いていればと。


 妖魔の侵攻を一時的に退けた神国は、国境との間にある平原に防衛線(ぼうえいせん)()き、現在まで先遣兵(せんけんへい)を食い止めている。国家間の戦争と異なり、羽の生えた異形(いぎょう)や地を潜る怪物など、未知の対応に苦しめられた一年を経て、現在では防衛線の守りに隙は無い。防衛指揮(ぼうえいしき)の全権を委譲(いじょう)された僕は、そう断言できる。決して、あの時のような悲劇は起こさせない。


「魔力揺らぎの周期に変動がみられていると、計測部より報告がありました。早ければ一週間後に、妖魔の大規模侵攻があるとみられます」


「妖魔の使う空間の裂け目、彼奴(きゃつ)らの攻勢を逆手に取り、前線を裂け目の向こうに押し上げる。荒唐無稽(こうとうむけい)ではあるが、この国の安寧(あんねい)のためには必要な賭けだな」


 前線の膠着状態は、主に敵戦力の把握ができないことが理由であった。魔力揺らぎが計測された地点から、およそ30kmの同心円上の地域が妖魔の魔力によって汚染され、六界門(ろっかいもん)を開けない兵士では一歩を歩むこともままならない。対妖魔軍計測部はその中心の高魔力反応を空間の裂け目と推定し、妖魔の出入りによってその揺らぎが発生していると突き止めた。作戦本部では現在、敵軍の最大戦力を把握したうえで、要所となるその裂け目を制圧することで、停滞した戦局の進展を画策している。


元素部隊(げんそぶたい)の訓練は済んでいる。すぐに防衛線に向かわせよう。君の采配に期待しているよ、中将」


「もったいないお言葉です。防衛線は枢国の砦とも似た地形。今後の作戦行動のためにも、いくつか実験的な運用も予定しております」


「構わん、好きに使え」


 デギィヌ軍務官は鷹揚に頷いた。二重思考(ダブルシンク)のようなものなのか、目を合わせても視線が合ったように感じないのは訓練校の指揮官だった時から変わっていない。


 神国の軍部は、現在は半数が対妖魔軍として防衛任務に当たり、残りの半分は国内で警護と訓練にあたっている。大将と中将を除いて、半年ごとに人員が交代となるが、現在は目下の作戦のために戦力を防衛線に集中させている途中だ。


 千年前、オーリタリア枢国の内乱を機に、平原西部の海岸線に国を作り独立したウェレド神国は、武闘派の陸軍幹部によって創設された経緯もあり、長く魔法を軸とした戦術は開発されてこなかった。肉体の鍛錬(たんれん)と六界門による身体強化で、枢国の魔法部隊と戦ってきた神国だが、体格の勝る妖魔との戦いにおいては、魔法部隊の必要性に駆られた。四元素それぞれに精通した小隊の運用は、小隊を組み合わせることで大規模かつ柔軟な対応を行える。もっとも、枢国のような圧倒的な個の運用と比べると、コストも時間もかかるのだが、結束と活力で補おうとするのは我が軍の特色といえるだろう。


「何も、この一度きりというわけでもあるまい。敵の殲滅(せんめつ)よりも、戦力の維持を意識しなさい。いつオーリタリアが停戦協定を破るかもしれぬ……シェイ中将、貴殿(きでん)はもはや一兵ではなく、戦場の起爆剤(きばくざい)として兵士たちに追い風を吹かせる存在じゃ。カルネィア(遊楽中将)でもあるまいに、要所以外での戦いは少将たちに任せておけばよい」


「身に刻んでおきます」


 妖魔戦役による国内経済の成長で枢国を上回ろうと画策するアギスタイン統括長(とうかつちょう)は、戦争を駒遊びのように考えているきらいがある。戦場での経験のない経済畑の人間からすればそんなものなのだろうか。


 対妖魔軍は、四百二十の小隊からなる。防衛線の砦から遠距離の火力支援を行う三十の小隊と、各地の伝令を受けて救護と戦況調査にあたる二十小隊を除いた三百七十小隊が、中将である僕の指揮下だ。大将と中将直下の各十小隊以外は、五連隊として七十の中隊として作戦行動を行い、その行動場所によりさらに七つの大隊に区分されている。作戦中は各大隊長に現場指揮は委譲され、僕は直下十小隊と共に前線で遊撃部隊として活動している。


 妖魔との戦いにおいて、個での接敵は避けなければならない。並の妖魔ですら、中隊長で辛勝、大隊長でも一撃では仕留められない。基本的には、複数小隊で足止めする狩りの形になる。


「…………ヨック。すまないな、これもすべて、神国の繁栄のためだ」


「分かっています。必ずや、期待に応えてみせます」


 どこかいつもよりも堅苦しい総督の言葉に違和感を覚えながら、形式上の礼を言う。


 軍部は圧倒的に人員不足だ。五年前の妖魔侵攻によって当時の中将や大隊長たちが戦死したことで、僕やゼネアのようなまだ若い人員の昇進が決まった。一方でそれは、作戦指揮の責任と前線の負担の両方を背負う立場に、通常よりも長く身を置くことになるということだ。もしかすると、総督にはそうした軍事決定をした負い目があるのかもしれない。


 けれど、僕はこの現状を苦痛には感じていない。僕にはもう、この国しかないのだから。すべてを捧げてでも、この国の安寧を守るのだ。決して、あのような悲劇を二度と繰り返させないために。


*******************


 防衛線の砦に戻った僕は、私室で休息をとっていた。元素隊の隊列案はすでに百を超えていたが、すでに頭に叩き込んでいる。各大隊長との関係性も、この三年で滞りないものとなっている。軍務官からは、現状はあくまで切り札として考えるように言われているため、苦戦を強いられたときに出撃させることになるだろう。とはいえ、前線から離しすぎれば、それだけ移動にかける部隊の負担が大きく————。


 ペン先が机の凹凸に埋まり、署名欄(しょめいらん)に小さな穴を作る。ため息をついて書類に目を通してみると、前線倉庫に溜まった遺留品処分の許可届だった。このくらいの業務なら、僕の署名がなくとも現場で対応できるだろう。もう一度ため息をついて、書類を丸めて捨てた。


「父たちの相手は疲れたろう。私が代わるよ」


「大丈夫だよ、ゼネアこそ働き詰めだろうに」


 見張り番を交代してきたのか、ゼネアが私室に戻ってきた。交戦地域の調査や実地指揮がメインとなる僕と違い、砲兵(ほうへい)指揮と戦況把握が主な職務となるゼネアは、一日のほとんどが司令部での当直だ。二年前から直下小隊の大隊長との交代制となり、少しは休む時間も増えたはずだが、それでも彼女の心労は計り知れない。淡い翠色(みどりいろ)の髪は、手入れする暇もないのだろう、すっかり伸びきっている。劇場歌手であった母親譲りの凛とした顔も、今は荘厳な父親と似た影が落ちていた。


 ふいに暖かい感触が首を包み、優しく体重が預けられる。頬に寄せられた体温に、僕も少しだけ顔を寄せた。鬼神(きしん)と敵軍に恐れられた神国の大将も、人の温もりを求めることがある。


「私には、もうこの国を守ることでしか貢献ができないのだ。少しくらい無理もするさ。それに、お前が隣にいてくれると思うだけで、力はいくらでも湧いてくる」


「僕だってそうさ、ゼネア。この戦役が終わったら、少し長めに休暇を取ろう。国の南に海が見える高台があったろう。あそこにモルタ()の墓を建てよう。それから、総督も呼んで正式に式を挙げるのはどうかな」


「しかし、私はもう神国の大将なのだ。休暇など取るわけにはいかない」


「そうでもないさ。妖魔を撃退できれば、次の軍事行動まで、半年は作戦期間を設けると思う。その間は国に戻れるはずさ」


「はは、海の風が懐かしいな。久しぶりにスクゥクス(海守中将)と会ってみるのもいいかもしれない」


「君が大将になったと聞いて驚いていたというし、きっと会いたがるよ」


 優しく抱擁(ほうよう)していた腕を離して、ゼネアは軽く僕の頭を()でた。こぶのできた大きな手のひらは、大石穹(だいせききゅう)で国を守ってきた彼女の勲章(くんしょう)といえる。七年前に交換した指輪は、永遠にその薬指にはまったままだろう。


「私はもう休む。お前もそろそろ休め。書類疲れで戦えないなどと言われては敵わんからな」


 軽い冗談を言ってゼネアはベッドに倒れこんだ。僕も分かったと返して、机上の明かりを消す。


 この国は今も昔も戦場の只中だ。だからこそ、このほんの少しの穏やかな時間ですら、こんなにも愛おしく感じられる。叶うなら、僕たちが生きているうちに妖魔も、枢国との戦争も終わらせ、神国に平和をもたらしたい。争いなど、本当はだれも望んではいないのだから————。


*******************


 五日後、計測部の報が前線に伝令された。魔力汚染とは異なる強大な魔力の移動、すなわち妖魔たちの侵攻だ。遠見を終えた観測班が敵軍の形状や戦力ムラを報告し、波状の迎撃(げいげき)体制を構築(こうちく)する。


「高魔力反応、計器の限界を超えていますっ! 第五門開放相当の敵個体と予測……データベース照合、一致ありっ! 神都襲撃の人型妖魔と思われます————!」


 計測部の伝令に、前線もざわめきを抑えきれない。焦るような報告に動揺する兵士たちを鼓舞するために、僕は出撃前に砦の上に立った。


「聞け! 高魔力個体には私が対応する。各位は目の前の敵に集中せよ! たとえ敵が脇を抜け、空を超えても心配する必要は無い! 我らの背には鬼神が付いている! 必ず神都は守られる! 我らは、神国の剣であり矛である! 目の前の敵を蹴散らし、未来を切り開くのだ————!」


 号令に小隊は拳を上げて応じる。精神を奮い立たせるように、雄叫びが地を震わせるほどに響く。


「進軍っ————!」


 各小隊が進み始めたのを確認して、僕は計測部に戻る。まだ少し、手が震えていた。計測部の伝令を受けてから、手の震えが止まらない。それは恐怖ではなく、闘志と怒りからだった。


 五年前、妖魔戦役の始まりといえる神都の襲撃。壊滅的な被害は、妖魔たちの数に対して、圧倒的に防衛線力が足りなかったこともあるが、それ以上に、圧倒的な人型個体の強さが原因だった。蝙蝠(こうもり)のような飛行する怪物、巨大な岩塊(がんかい)のような化け物。その後ろから悠々(ゆうゆう)と現れた人型の妖魔は、その体躯(たいく)の二倍はあろうかという巨大な斧を振るい、城壁を一太刀で破壊したという。


 人型妖魔によって崩壊した前線を立て直すことはできず、当時の防衛軍はその侵攻を少しでも遅くするために、さらに戦力を投入した。統括長はその戦略は誤りだったというが、それは結果論だろう。三人の中将とその直下六十小隊を失った神国軍は、人型妖魔との直接対峙(たいじ)を諦め、牽制(けんせい)に切り替えるとともに周辺戦力の排除に作戦を切り替えた。その転換は国土の侵攻を早めたが、それ以降の兵士の死亡者数は激減している。


 高原戦役からとんぼ返りした僕たちとの挟撃で、市街地の妖魔はほとんどが死滅(しめつ)した。しかし、人型妖魔を撃滅(げきめつ)することは敵わず、包囲網(ほういもう)を突破された神国軍には追撃する力が残っているはずもなかった。


 あの時逃げた人型妖魔。僕の目の前でモルタ(愛娘)を丸呑みにし、戦う価値もないとでもいうように消え去った仇敵(きゅうてき)が、再び現れたのだ。


「————ヨーチェン」


 僕は強く肩をたたかれ、我に返る。心配そうな目で見つめていたのはゼネアだ。


「…………()()()は勝つ。そうだろう?」


 ゼネアは口下手ながら、強い意志を持った瞳でそう激励(げきれい)した。


 そうだ。奴を殺すでも倒すでもない。これは戦争なのだ。僕たちはこの戦いに勝つ。僕だけのためではない、娘のためにでもない、この国のために、その未来のために勝つのだ。


「ああ、勝つさ」


 強いハイタッチの音が、雷魔法でも使ったように前線基地の空気を震わせた。


 直下小隊はすでに砦の上で出撃命令を待っている。僕が出撃場所に現れると、精悍(せいかん)な表情で指示を待っていた。その顔のどこにも、不安も弱気も見られない。あるのは祖国への忠誠心と絶対的な勝利への自信だけだ。


四門隊(クワラ・ナクル)、行くぞ————!」


 号令と共に、爆発的な突風に包まれながら僕たちは出撃した。第一部隊の出撃からすでに半刻が過ぎている。少し先に最前線の行軍が見える。


「二時方向に敵影二、十一時方向に敵影四ッ!」


「デアドラ小隊は二時方向の敵を、レイワス小隊は十一時方向の敵を撃墜後合流せよッ! グラハム小隊は私に続いて人型妖魔へ向かうッ!」


「承知ッ!!」


 散開した両隊が、飛行する妖魔と接敵する。風の力を借りて高速で飛行しながら陣形を組み、逃げ場を塞いでいく。陣形術の良い点は、効率的に各個撃破を狙える点だ。


 四門隊(クワラ・ナクル)は、中将である僕の直下小隊だ。補給小隊を含めた全員が六界門を四門まで開放できる精鋭が揃っている。機動力、殲滅力はもちろんだが、各小隊の作戦遂行能力も高い。交代制の一単位である三連隊で、僕一人分の代わりが務まるように教育されているが、それはむしろ、これまでの作戦行動における戦闘ではほとんど役割が無いほどの実力者とも言える。高原戦役の功労者で構成された四門隊は、軍内でも特に結束が深い。本来なら全員が大隊長を任せられるほどの人材だが、直下小隊として魔力汚染調査などのために再編されたのだった。


 行軍を追い抜き、魔力汚染地域も視界に入る。敵歩兵の前線もすぐそこまで迫っていた。


「隊長ッ、人型妖魔、視認範囲内ですッ! デアドラ、レイワス両隊、敵を撃破ッ。合流まで二分!」


「いや、すでにこちらも視認されているッ! 来るぞッ、六門まで開放するッ! 散開して衝撃に備えろ————!!」


 視線の先、国の端から端ほどの距離はあるだろうそこで、確かにその怪物がこちらを見て笑ったように見える。刹那(せつな)、熱気とも思える大気の振動が肌を割くように通り過ぎる。炎のような高魔力の塊が一層弾け揺らぐと、その殺気をこちらに向けた。


()()くは始まりの海、連なるは芽吹きの命。(めぐ)れ脈動ッ、六界門————!」


 初めに消えるのは聴覚だ。次に触覚、嗅覚と融けていき、視覚は案外変わらない。世界と一体になり、全能感が体を満たす。世界の全てがスローモーションに見える中で、爆発的なスピードで怪物は迫ってきていた。小隊への被害を抑えるため、僕は迎撃に出る。


 六界門(ろっかいもん)は、ウェレド神国に伝わる身体強化の秘術(ひじゅつ)だ。古くは英雄が使ったという選ばれた力だったそうだが、軍教育の一環で、現在では多くの兵士が第二門まで開放できる。


————一門は脈を整え、二門は血流を隆起(りゅうき)させ、三門は鼓動(こどう)を超える。

 第三門までは、基礎的な身体強化だ。戦場での冷静な判断能力の補助に始まり、筋力強化は極めれば破城も叶うほどだ。大隊長の半数は、第三門の習熟度(しゅうじゅくど)で選別されている。


————四門は自然を呼び、五門は自然と溶けあう。

 第四門を開くことができれば、大気中の魔力と体が同調し、魔法の効率と破壊力が増す。第三門との大きな違いは、身体への魔力密度が高まることで、風魔法による高速移動が可能になる点だ。単純な飛行だけでなく、水平方向の移動も高速化され、使いこなすことができれば、閉所においてもアドバンテージとなる。軍務官によれば、第四門までは修練によって至ることができる、らしい。事実として、高原戦役後の中将以上の昇進は、第五門の開放を基準に選ばれた。

 第五門は魔力の性質に干渉する。空気中に微細(びさい)な粒子として存在する魔力は、その運動によって性質を変え、元素と呼称される特定の性質を示す。魔法はその運動を人為的に引き出す術だが、第五門ではその性質を変容させる。例えば、現大将であるゼネアは第五門開放者の一人で、彼女の風魔法は魔力の移動によって風を起こすだけでなく、その移動方向に引力を発生させる。


 ————そして、六門は秘匿の果て。

 この力が六界門と呼ばれるのは、かつてこの力を使った英雄が、段階ごとに力を六つに分類したからであり、果てである六門の向こうへ行った者がいないからでもある。現在のウェレド神国で、第六門を開くことができるのは、三人。第六門を開けば、体は完全に魔力と融け合うが、それは必ずしも魔法効率の最適化を意味するわけではない。第六門は()()()()()()であり、自分自身が天変地異となるこの力は、どう足掻いても仲間を巻き込む力だ。魔法の影響範囲を収斂(しゅうれん)させ、魔力で人間の体を再構築できる僕でさえ、攻撃の余波で仲間を傷つけてしまうため、広い場所での戦闘以外でむやみに使うことはできない。


「————ハハハッ!!」


「————っ!?」


 怪物の石斧(せきふ)を、高密度に収斂した魔力塊を剣状に伸ばして受け止める。人型妖魔が戦いを楽しむように笑ったように見えた瞬間、衝突の衝撃波が走り、散開していたグラハム小隊が受けきれずに墜落していくのが見えた。大地への引力も借り、僕は怪物の石斧を押し切って地面に弾き落とす。土埃の向こうで確かにこちらを見据えている怪物に、僕は追撃をかけた——————。


*******************


 ヨーチェンと人型妖魔が激突したとき、彼の直属の部下であるグラハム小隊は、第四門の副次的(ふくじてき)効果である動体視力の強化を以てしても衝撃波の到達に反応できず、なすすべなく空中を吹き飛ばされていった。とっさに衝撃緩和(かんわ)のため、墜落と逆方向に風魔法を展開するも、発動が間に合わず墜落していく体の上に風が吹く。


「グラハムっ————!」


 勢いの止まらない隊員たちを、高度50m地点でレイワス小隊が受け止める。通常の戦闘における被弾撃墜(ひだんげきつい)ならば、十分に勢いを殺せる高さだが、いまだ力の衰えない衝撃波は、レイワス小隊ごとグラハム小隊を、平原の端にある深い森の地面に叩き落とした。


「げほっごほっ…………すまない…………」


「一蓮托生だぜ、兄弟? だがこれはさすがに想定外だ。ありゃあ第六門だろう、俺も生では初めて見るぜ」


「支援に戻りたいが、我らではむしろ足手まといだ。それに、どうやら今日は、敵には困らないらしい」


 グラハムとレイワスが視線を向けた先で、木々の向こうから二つの影が近づく。


「止まって、ルイザ。()()()


「ふぅん、砂色で重そうな体……あんなので実験するなら、剛魔(ごうま)でも変わらないんじゃないの?」


「ルイザ、汚れてるけど、あれは(よろい)だよ。剛魔とは違う。あそこだけ魔力の流れが違うでしょう」


「どっちでもいいけどさ。メイは、あいつらに何秒かかると思う?」


「今が戦闘態勢なら、()()かな。でも、人間は見た目より強いって聞いたよ」


 森の中を散歩でもするように、二人の少女が歩いてくる。それは平時ならばほほえましい光景なのかもしれないが、戦場においては奇妙極まりない。()せた禽肉(とりにく)のような赤紫の短髪をした少女は、値踏みするように兵士たちを眺めて笑う。部屋の隅に積もった埃のような灰色の長髪少女は、うんざりしたように伏し目を地面に落としてため息をついた。


 余裕そうな少女たちと対照的に、四門隊(クワラ・ナクル)の隊長二人は、冷や汗が背筋を流れていくのを、互いに気づかないふりをする。戦場において、恐れは何よりも不要な感情だ。


「人型の妖魔が、二体……」


「ああ、それも人間みたいにしゃべりやがる」


「二連隊ッ! 迎撃陣形を取れッ! 容姿に惑わされるなッ!」


 隊長の号令に、小隊は小回りの利く盾を構えながら魔法発動の合図を待った。対象を囲むように半円状に広がり、次の合図があれば瞬く前に森は焦土と化すだろう。


「じゃあさ、ルイザがヤっていいってことでしょ?」


「ティパは殺すなって言ってなかった?」


「障害は排除しろ、とも言ってたよ? それにぃ、Trrrrrrrr(トゥリィィィィィ)! 勝手に死んじゃうほうが悪いって、ルイザは思うなぁ」


 紅い少女が、怪物じみた二股の舌を出して不敵に笑う。まるで遊び感覚で、戦場只中の森を歩んでくる少女のような妖魔に、大隊長は交戦開始の号令を指した————。


*******************


 ヨーチェンたちが進んだ場所にぽっかりと穴をあけて、波状の群れがウェレド神国の砦を目指している。海を背にした神国は、他方を城壁で囲んでいる。その城壁の数十km先に、前線の砦が存在している。魔力汚染地域との直線状に設置された前線基地を中心として、いくつかの中継基地が存在し、陸路を行く兵士の頭上を越えていく魔物たちを観測している。それぞれの基地には、ゼネア大将の直下小隊(堅穹隊)がそれぞれ配置され、種々の砲台を以て迎撃を行う。


「火砲隊、撃てッ————!」


 ゼネアの号令と共に、前線基地の砲撃が放たれる。平時の防衛では無類の命中精度と火力を誇る火砲は、魔法による加速によってさらに威力を増していた。


「隊長ッ! 対象魔力濃度、未だ変わらず、緩やかに降下を開始していますッ!」


「良かろう、私が迎え撃つ。砲撃隊には悪いが、重力変動の影響を弾道計算に入れさせろ」


 ゼネアが懐の(さや)から黒い刀を抜くと、その刀身は彼女の体に合わせるように鞘の二倍近くまで伸びた。風を割くように軽く振ると、振動は大気を震わせ遠くの梢が揺れた。


「おいおいなるほどねぇ、よく訓練された軍隊じゃあないの。射線に入ってやっても、俺様のことを見もしない。Trrrrrrr(トゥリィィィィィ)! 検体にはちょうどいい!」


 蝙蝠(こうもり)のような翼の生えたその怪物は、冗談を言うように笑いながらゼネアの前に降りてきた。紫色の体躯はまさしく異形だが、それ以上に、そのやせぎすの体はこれまで撃退してきた妖魔と比べても魔力濃度が高い。


「言葉を話すか。人型、とはいささか違うようだが、危険な個体であることには間違いない。悪いが、この砦を通すわけにはいかないな」


「おいおい、怖いねぇ。ようやくたどり着いた街だ。少しくらい見せてくれたっていいだろう?それでもって、ちょびっと実験させてくれりゃあいいだけだ。なぁ、悪い話にはしねぇよ————っと!」


 ゼネアが刀を振るうと、衝撃波が飛び怪物がいた場所で炸裂する。高く後方に跳んだ怪物は、興味深そうに自分がいた場所を眺めて笑う。


「これは炎……いや、なんだ? まだ俺様の知らないことがあるってわけかぁ。Trrrrrrr(トゥリィィィィィ)! 面白れぇ! おいお前、名前は何だ。俺様は、テリリリア。こう見えて、検体には名前を付けて可愛がってやるタイプなんだぜぇ!」


 名乗りを上げた怪物は、マントのように垂れ下がった内皮から、手品のように小瓶を取り出すと、恍惚とした表情で首筋に注射した。奇怪に光る緑色の液体が無くなっていくにつれ、怪物の体は脈打つように膨らみ、その体躯は数倍に膨れ上がった。


「騎士道において、一騎打ちでは名乗りを上げるそうだが、貴様にはその価値もない。見世物(みせもの)を終えたなら()く息の根を止めよ、道化(どうけ)


Trrrrrrr(トゥリィィィィィ)! その見下すような目、いいねぇ。それでこそ来た意味があるってものだ。よく回る口も、いつまで持つかなぁ!」


 怪物は飛翔し、覆いかぶさるように羽を広げてゼネアに襲い掛かる。右の手で握った刀身でその槌撃(ついげき)を受け止めたゼネアは、間髪(かんぱつ)を入れず左の拳を叩き込む。弾けるような音と共に、紫電(しでん)(まと)った風が吹く。


 テリリリアは身をよじると、折り畳んだ体に衝撃を逃がすように、拳を足で受け止めると、そのまま距離を取った。感覚を確かめるように地面に足の裏を擦りつけ、ぶつぶつとなにかを呟く。


「やはり炎と似ているが、より鋭い刺激だ……切り裂くような風の密度、お前は風魔法を得意としているのだなっ!」


「それがどうしたというのだ」


 ゼネアは一瞬眉をしかめたが、すぐに言葉を返す。


Trrrrrrr(トゥリィィィィィ)! 強がるなよ。風魔法では、俺様を捉えられない。俺様は風よりも早いからな。お前は手札を無くし、追い詰められ、泣き叫ぶ。ああ、そんな未来が見えるぜ。諦めきった顔で俺様を見上げる無様な顔がなァ!」


 テリリリアは奇声を上げながら、再びゼネアに飛び掛かる。その一撃はそれほど重くないが、翼によって空中を自由に動く怪物は、ゼネアに休む暇を与えない。激しい猛攻の最中、一瞬距離を取って勢いをつけた怪物に、ゼネアはタイミングをずらして間合いの外から刀を振る。


「衝撃波のブラフなんて、今更通用すると————っ!?」


 テリリリアは身を旋回(せんかい)させて衝撃波を避けようとしたが、視界の外、真上からの衝撃に倒れ伏す。巨人に踏みつぶされたように地面に押し付けられ、ピクピクと震える怪物を見て、ゼネアはゆっくりと体勢を戻し、侮蔑(ぶべつ)の視線を落とした。


「が……くそ、な……何をしやがった……?」


「答える必要はない。それほど見上げられたいのなら、天上にでも昇っていろ」


 強い重力に喘ぐテリリリアに、歩み寄ったゼネアが刀を振るう。一陣の風が吹き抜け、青い火花が舞うと怪物の体は焼き()ぜて消えていた。遅れて、空気に白雷が弾ける轟音(ごうおん)が響いた。


「わずかな魔力残滓(ざんし)……計測部の言っていた通り、妖魔の肉体は魔力でできているのか。飛行するものは風元素を体内で生成できるのか? あるいは……ふん、話せるならもう少し情報を聞き出すべきだったか……」


 ゼネアが砦に向けて歩き出す。爽やかな風が吹き抜けると、すでにわずかな魔力残滓もなくなっていた。


*******************


 交戦開始から二時間が経過し、混戦(こんせん)状態と化した戦場は、しかしわずかばかり神国軍の優勢であった。膠着(こうちゃく)した前線を強襲部隊である元素隊が火力支援し、じわじわと異形の群れを後退させていく。だが、六界門の開放が未熟な小隊にとって、それ以上の進軍は魔力汚染による被害を意味し、そのリスクを負ってまでこれ以上前線を進めることはできなかった。


 人型妖魔の撃退が待たれる戦場の反対側で、神国軍はまだ知る由もないことだが、オーリタリア枢国の砦にも怪物の軍勢が侵攻していた。高原戦役以降、中立地となった中央高原から数キロ先に設置された砦は、枢国の前線基地である。高原から連なる起伏のある土地が、歩兵の行く手を阻む防衛に適した土地だが、羽を持つ怪物たちには関係が無いようだった。


深淵(しんえん)なる神子(みこ)嚆矢(こうし)よ。滔々(とうとう)(あふ)るる生命の奔流(ほんりゅう)よ。祈るは星導(せいどう)の子。どうかその神威(しんい)を示したまえっ————」


 詠唱(えいしょう)を終えると、聖女は(すが)るように砦の外を見つめる。グラグラと地響きが鳴り、突風が空へと吹き上がると、砦の上に、山を抱えるほどの炎の巨人が現れる。緩慢(かんまん)とした動きで、その巨大な拳を振るうと、怪物たちは立ちどころに消滅していく。拳の衝撃が再び大地を震わせ、山肌に何度目かのクレーターを作ると、巨人は蠟燭(ろうそく)の火のようにあっけなく消えていった。


「えーい、どーんっ! やっちゃえ~! ねね、グルルタ。これって何て読むの?」


()()()()()()


「よし。蕭々(しょうしょう)たる女神の涙よ。哀切(あいせつ)なる死神の鎮魂歌(ちんこんか)よ。焦がれるは永遠、与えるは永劫(えいごう)峭寒(しょうかん)凛れちゅたりゅかんけんこんかんきんああああああっ!!」


「あ~あ、噛んじゃったわ」


「何なのこの呪言(じゅごん)! もうちょっと読みやすいものにするべきだと思わないっ?」


 頬を膨らませながら怒る聖女に、傍らでハンモックに揺られていた魔女は、興味なさげに返す。


「一時間も読んでいたら、何でも読みづらくなるでしょうに。それにしてもこの羽魔たち、全然止む気配がないねぇ。繁殖期なのかしら」


「もうキュル疲れちゃった。グルルタぁ、一週間くらい交代して?」


「別にいいけど、それより、クレイアルド(枢国中将)に伝書は送ったの? そろそろ、あいつの軍が来てもおかしくないと思っていたんだけど。これって、あいつが言っていた好機でしょ」


「え? グルルタが送ってくれていたんじゃないの。キュルは、ずぅっとここで詠唱してたんだから、送れるわけないっ」


「詠む前に送れって言われてたでしょうがっ、バカ。そもそも、伝書を送れるのはあんたが飼ってる(バケモノ)なんだわ!」


 聖女は不服そうに口を尖らせると、物見窓に背を向けて歩き出す。魔女がのっそりとハンモックから起き上がると、窓に背を預けてため息をついた。


「はぁ……夜明けと共に進むって伝えといて~。それまでは、適当にその辺()()()()からさ」


 魔女が窓枠に身を乗り出し、空中に体を預けた瞬間、聖女が窓際の地面に駆け寄って、散らばった呪言の紙束を集める。


「あっ、ねえこれグルルタにおすすめのやつ……」


「いらなぁい。詠唱なんてキュルリアみたいな未熟者がするやつなんだか————」


 砦から自由落下していく魔女の声がだんだんと遠くなり、その体が空気に溶けていくように見えなくなると、声も薄れていった。魔女の消えていった先から、白い煙のように(しも)が立ち上がり、砦の壁面を駆ける。砦の城壁をすっかりと覆った霜柱は、冷たい吹雪となって、怪物たちの向かってくる方角へ吹きすさぶ。晴れていた空は、いつの間にか重たい雲に覆われる。雨は無い。しかし、冷気で一歩先すらも見えない重たい(きり)がかかり始める。凍り付く大気中の結晶を走るように、縦横無尽(じゅうおうむじん)な雷が(とどろ)いた。地平線の見えない丘の上では雷嵐(らいじん)が壁のように吹き荒れ、その魔手に飲まれた魔物たちの体が焼き裂かれる音だけが響いていた。


「いいなぁ、私も六門が開けたらなぁ~」


 聖女が口笛を吹くと、砦の西側半分を破壊して、巨大な(わし)のような生物が飛んでくる。(すみ)をこぼしたような薄黒い体毛は、羽ばたくごとに不穏な風を起こしているようだ。


「あは~、タアくんったら、また鳩舎(きゅうしゃ)を壊したの?まあいいや。タアくん、モータル中将に伝令をお願い。うん、あの金髪を捕まえて、持ってきてくれたらいいから」


 地滑りのような怪鳥の鳴き声に、聖女は何度か頷くと優しくくちばしを撫でた。大鷲が飛び去ったのを見て、聖女は一人、ハンモックに身を預けて眠った。


*******************


火鋭槍(かえいそう)ォ、放てェ————!」


 大隊長の号令に、一等兵たちが魔法を込めた槍を放つ。独特の穴が開いた長槍は、その柄に風を取り込みながら標的を目指す。特攻兵たちが押さえつけた怪物に刺さった槍は、花火のように爆発した。怪物は苦悶(くもん)(うめ)き声を上げながら後ずさる。すかさず追撃をかけた兵士たちの攻撃に、ついに怪物は砂のように霧散(むさん)した。


「次の波が来るぞッ! 気を引き締めろッ!」


 大隊長の指揮に、歩兵たちは汗を拭う。兵士たちが魔物と苦闘を続ける後方で、地鳴りのような轟音が響く。思わず歩兵たちが振り返ると、前線を(にら)む隊長の遠景で、噴火のように大地が盛り上がり土埃は天まで舞っていた。


「あれがシェイ中将(覇道中将)の六界門……俺も昇進を目指したいが、あの規模の戦闘となると震えちまうな。やっぱり、小隊のほうが肌に合うぜ」


「ハハッ、心配しなくても直下小隊はしばらく変わらないだろうな。枢国の精鋭でも四門隊(クワラ・ナクル)は突破できまい」


「言えてるな。ならまぁ、まずは俺たちもこの戦いを生き延びるとしようかッ!」


 士気を高めた兵士たちの戦線の後ろで、再び轟音が鳴り響く。新たな谷ができんばかりの大地の隆起はむしろ戦場では集中力を高ぶらせるものだといえる。


 交戦開始から半日が経過し、前線の兵士たちは補給部隊によって送られてきた後方部隊と交代することで一時の休息をとる。一方で、激しい轟音と地鳴りの衝撃を平原の端まで響かせながら、ヨーチェンと人型妖魔の戦いは終わる気配を見せない。常人では瞬く間に擦りつぶされてしまうようなエネルギーのぶつかり合いに、歩兵たちは近づくことすらできない。


「ハハハッ! どうしたっ、それで全力かッ!!」


「獣が舐めた口をきくなッ! モルタの仇、国の仇、必ずここで討つッ!」


 ヨーチェンが平原の大地に手をかざすと、吸い込まれるように大地がうねり、波のように盛り上がると、巨大な(あぎと)のように人型妖魔に襲い掛かる。ヨーチェンの声など聞こえていないのか、爛々(らんらん)と目を輝かせた妖魔は、大きく広げた手の先で、虚空(こくう)から巨大な石斧を作り出すと、なだれ落ちてくるような大地の猛攻を一()ぎに切り返す。その衝撃は大地の波を割り、天を覆っていた大地のカーテンに一筋の光を差した。その陽はすでに茜色に染まりつつある。


「大地の子ッ、ここまでとはなッ!」


 感嘆するように吠える妖魔の肩を、風のように現れた細身の影がそっと触れる。鈍色の頭部は、整えた前髪のように規則的に流されている。


「プラティパ、戯れはそこまでにしてくれ。戦興(せんきょう)ならばいくらでも時間を与えてやろう」


 プラティパと呼ばれた妖魔は、言葉を反芻するように肩で息をしながら、石斧を強く握る。やがてその握力で石斧が崩壊してようやく、人型妖魔は言葉を発した。


「すまない、取り乱した。ここまで(たかぶ)ったのは久しぶりだ。アーロイロ、お前も少し運動していけばどうだ」


「悪いが、私は君ほど頑丈ではないのでね。彼と戦えば死にかねない」


 アーロイロと呼ばれた妖魔は、プラティパに杭のように()びた長剣を手渡す。巨大な人型妖魔は、その腕よりも小さな長剣を受け取ると、体の前で構えた。


「呼応せよ。大地の母よ、豊穣(ほうじょう)の父よ。汝の子はその御前(ごぜん)にあれば、寵愛(ちょうあい)を以て抱擁したまえ」


 怪しげな動きを取る二体の妖魔を空から観察していたヨーチェンは、わずかな悪寒(おかん)を察知して攻勢に出る。大地を力に変え、天変地異の如き神力(しんりき)を行使する彼は、いつも通り手をかざし魔法の予備動作を行ったが、世界からの反応はなかった。それどころか、大気全てが自分を圧迫するかのように、この世界に締め出されるような閉塞感の睥睨(へいげい)を感じた。


「なに、が……なにをしたッ————」


 ヨーチェンの六界門は、大地の魔力と自身の体を同調させることで、いかなる傷をも再生することができる。彼が攻勢に出たのは、己の不死性を前提としたゆえの慢心であったが、それもまた結果論であったというほかにない。


 まるで何かに抱きとめられたかのように、ヨーチェンは失速していき、人型妖魔の眼前の空中で身動きが取れなくなる。追い打ちをかけるように岩塊がヨーチェンの体に突き刺さり、宝石の結晶のように歪な塊になると、意思を失ったかのように地面に落下した。


「号令を出す。アーロイロ、護送は任せる。殿(しんがり)は私がしよう」


「構わないがね。()のような言い訳はもう聞かないと、先に忠告しておこう」


 アーロイロが指を鳴らすと、かすかに炎が起こり、それを合図にしたように巨大な円盤状の背を持つ大口の化け物が跳び現れる。四足で素早く()いまわる化け物は、ヨーチェンに突き刺さった岩塊の端を器用に食べ砕くと、楕円の岩塊となった残りを丸呑みにした。アーロイロは仕事を終えた化け物の背に飛び乗ると、うっとうしそうに両耳を(ふさ)いだ。刹那、夕暮れ(なず)んでいた世界が震えるほどの咆哮(ほうこう)がプラティパから放たれた。


 その叫び声は、遥か100km先の前線基地にも響いた。風に乗った戦場の声を収集していた計測部が真っ先に咆哮を捉える。その異様な空気を感じ取ったゼネアは砲首から前線を睨んだ。


「この、声は————!」


 刹那、すでにゼネアの体は咆哮を切り裂く風となっていた。その体が世界の魔力と同化し、弾丸よりも早く前線を目指し始めた時、基地を(えぐ)った彼女の跳躍(ちょうやく)痕と爆発音で、小隊の精鋭たちはゼネアが飛び出していったことに気が付く。ゼネア自身が、己が防衛すべき砦を離れて飛び出してしまったことに気が付いたのは、むしろ冷静だった部下よりも遅いほどだった。


 咆哮を発したプラティパは、仲間の退路を確保するために魔力汚染地域へと戻ろうと、兵士たちの怯えるような視線を感じながら(きびす)を返そうとしたが、その時、ひときわ強い殺気が自分に向いていることに気が付いた。それは聴覚で何者かがやってきている音に気が付いたわけではない。ましてや、地平線上のその一粒と呼ぶべき姿を視認したわけでもなかった。第六感とでもいうべき闘争本能が共鳴し、確かに呼び声を受け取った。それだけで、彼女が振り返るには十分だった。


 音をも超えて、風となったゼネアは前線にたどり着く。近づく静寂に、ゼネアは生涯の伴侶(はんりょ)の、暴力的なまでに強大な魔力の片鱗(へんりん)すら感じられないことに気が付く。直観的に戦況を理解した彼女が次に見つけたのは、かつての神都襲撃での(かたき)。同じ咆哮を残した怪物の姿。娘を食い、咆哮を残して逃げ去った怨敵(おんてき)の姿だった。


 勢いを少しも緩めないまま、愛刀を抜いたゼネアは、全霊を込めて人型妖魔に一撃を浴びせる。巨大な石斧でしっかりと受け止めた妖魔は、楽しそうに笑う。導火線のような視線が交差したとき、一拍置いて大地を割るような衝撃と爆風が周囲に広がっていった。


「ヨーチェンをどうした————!」


()()()()()、と言ったら、貴様はどうする?」


 口の端に笑みを浮かべた妖魔に、怒りに任せてゼネアが刀を振るうと、プラティパの頭上から見えない力が降り、地面が重みに耐えきれずに亀裂を走らせる。その重力の圧をものともせず、感覚を確かめるように手を握った妖魔の体から、エネルギーを発散させるように激しい電光が弾けた。


 一片の油断もない強者の目が再び交わる。そして、全く同じタイミングで、両者は地を()り、己の武器を手に渾身の一撃を叩き込む————。


*******************


 戦場から少し離れた森の中、名うての精鋭が地に付している。四門隊として有数の実力を誇った兵士が、為すすべもなく体のあちこちに石の杭を打ち込まれて、地面に縫い付けられるように磔にされていた。戦場の中心から遠く離れた森にも、妖魔の咆哮は届いた。


「ルイザ、号令だ。もう帰る時間だよ」


「もう少しだけなら大丈夫だよ。次は、この青い花の人とデアドラね」


「それ、最初にやってなかった?」


 紅い髪の少女が、地に伏せられた兵士を指さすと、灰髪の少女が呆れる。兵士たちの髪には、森の中で摘まれた色付きの花が挿されている。


「何度だってやってやるさ。俺たちは四門隊(クワラ・ナクル)、ここで倒れては中将に顔向けできん!」


 ルイザが指を軽く振ると、デアドラの体に刺さっていた石の杭が抜ける。傷口からは一瞬血が噴き出したが、呼吸が整うにつれて出血は収まっていった。四門隊(クワラ・ナクル)にとって、傷を塞ぐ第三門は呼吸と同じなのだ。


「ん~、じゃあ五本刺さったら負けね」


 ルイザの言葉と共に、五本の杭が宙を舞う。髪に青い花を挿された小隊兵も立ち上がり、魔法の準備を整える。


 すでにデアドラにはこの少女を殺そうという、戦士としての殺意はなかった。眼前の少女が妖魔であることは確かだが、その目的が侵略ではないという違和感も、一方で確信じみたものへと変わっていた。デアドラ・グラハム両隊の目下の目標は生還である。そして、同時に少女たちから妖魔の侵攻の目的を聞き出せればなおよい。戦争とは情報戦だ。どれだけ今の自分たちが無様になろうとも、戦線から遠い場所で(もてあそ)ばれていたとしても、祖国の勝利のためになれるのならば構わなかった。


「まず一本っ」


 五本の石杭を飛ばし、注意を逸らしたルイザは、素早くデアドラに近づき、手元で生成した六本目の杭を突き出す。小隊兵の魔法で強化されたデアドラは、実力以上の力でその手を抑え込み一撃を食い止めた。しかし、その手を起点に身軽に体を宙に投げ出したルイザは、デアドラの肩に片手で逆立ちをする。刹那、デアドラの四肢に死角から杭が突き刺さった。


「がはっ————!?」


「後ろに目がないのに戦えるなんて、勇気があるんだねぇ」


 クスクスとルイザが笑った瞬間、デアドラに魔法で補助をしていた兵士も、後方からの攻撃に倒れこむ。ともに致命傷ではないものの、体の自由は奪われている。


「な……なぜ————」


「ん、何か言った?」


「なぜ、こんなことをする?」


 杭から流れ込む微弱な魔力の汚染で(しび)れる思考の中、デアドラは言葉を絞り出す。ルイザはまたクスクスと笑うと、デアドラの(ほお)()まんだ。


「なぜって、ぷふ、()()()()()でしょ」


「……ルイザ、何かが近づいて来てる。気が済んだなら帰ろ」


「え~? ティパも帰る気無さそうだけどな~」


「アロにまた叱られるの、嫌なんだけど」


 渋い顔をした灰髪の少女がため息をついたとき、森の中に戦場の殺伐(さつばつ)さと似合わないのんきな音が響いてきた。それは馬の蹄の音のようだったが、時折その音を真似る人の声も聞こえていた。


「ぱからっぱからっ~。むむっ、こんなところに誰かいるなぁ」


 蹄鉄(ていてつ)の音が近づいてくるにつれて、ルイザも警戒して音の主に目を向けた。影のように暗い馬のような形のナニカに乗った兵士は、能天気に笑う。飾りのような(かぶと)から、伸び切った長い髪が揺れている。


「やぁやぁ、ボクは、カルネィア・リリタリア。伝説の英雄の血を継ぐ天才騎士だよ~。こっちは愛馬のドルーキア。ほら、挨拶してね~」


 カルネィアが軽く首を叩くと、ドルーキアと呼ばれた黒馬は海藻(かいそう)のように黒く伸びた()()()()を、威信を誇示するようにブルブルと震わせた。


 四門隊(クワラ・ナクル)は苦しい表情をいっそうくたびれさせると、目を背ける。高原戦役を共にした彼らにとって、カルネィアの遊説(ゆうぜい)は聞き飽きているのだった。


障馬(しょうま)を駆る人間……? なに、コイツ」


「ルイザ、早く帰ろう、今ならまだ逃げれる」


「何言ってるの、メイ? これから楽しくなってきたところでしょ」


 ルイザは、兵士たちから少し距離を取ると、騎兵を警戒するようにねめつけた。


 神国と枢国間の戦争において、騎兵は両国で長らく採用されていない。それは馬という生物の有用性が、六界門、中でも風魔法の移動力に劣るからである。ウェレド神国において、移動の基本は、六界門によって身体能力を補助したうえでの徒歩移動、あるいは風魔法による大規模な空中移動である。作戦行動などの隠密を必要としない場合、魔法による移動が最も速く、また、体力的な消耗が少ない。


 移動手段としての馬の利用は、神国においては郊外農場や神都内の商人などに限られている。国外においては、神国同様にオーリタリア枢国から独立し、現在は平原を移動しながら生活しているヌスタン遊民が使用しているとされるが、決まった国家形態を持たず変動を続ける彼らの実情は知れない。


 つまるところ、この戦場において騎兵というものにメリットはなく、動きは遅く前時代的なものであると言える。それは(ひるがえ)って言えば、その問題を覆すだけの何かを、この騎兵は持っているはずだということでもあった。


「あれ、よく見たら四門隊(クワラ・ナクル)じゃないか。すっかり汚れた隊服だから気づかなかったよ。隊服を汚さない強さが売りだから、白にしているんじゃなかったっけ?」


 カルネィアは今更になって気が付いたように、グラハムに話しかけた。しかし、杭に自由を奪われた大隊長からの返事はない。


「え~、無視は酷いな~。一応、立ち位置が大隊長なだけで、肩書はまだ中将のはずなんだけど、ボク。もしかして、知らないうちにまた下げられているとか?」


 大隊長という割に小隊すらも連れていない騎兵は、しまったという風に頭をかいた。緊張感のない態度に、ルイザはさらに警戒を深めた。どう見てもがら空きの側面、正面から投げたって当てられそうだ。ルイザは牽制として三本の杭を投擲する。


「のわああああっ、ドルーキアっ! どうどうっ」


 ルイザの放った杭は、暴れだした黒馬の(ひづめ)に弾かれた。


「ルイザ」


「分かってるっ! 手なんて抜いてない!」


 目の前の光景が信じられないという風に、ルイザは続けて十発の杭を生成し射出した。流れるように連続で、石杭は標的を目指す。カルネィアは腰に下げていた(さや)から細長い銀の刀を抜くと、冷静に杭を斬りおとす。


「これが妖魔の魔法かぁ。もうちょっと見たいけど、ボクも戦場に行かないといけなんだよね」


「る、ルイザ……!」


「攻撃を止めたのは魔法で間違いないとしてその方法は? 炎? 風? 氷? 風だとして飛来する杭を正確に宙に留めておけるわけがないしそもそもルイザの杭が風魔法の干渉を受けるはずがないからこいつの魔法は氷に違いないとしてもその効果範囲はどのくらい広いどのくらい強い? ルイザの風魔法より強い力で止めたとしたらそれはいやそれ以上に重力を無視して空中に固定できるほどの凝着(ぎょうちゃく)力なら範囲はそれほど広くできないはずそもそも前提としてあの馬は干渉を受けていないから対象は物体のみとすれば剣はなぜ動ける自由に対象を選択できるかタイミングを合わせて解除しているなら————」


「——ルイザっ!」


 もう一人の少女の叫びに、ルイザは静かに騎兵を向いた。深紅の双眸(そうぼう)には能天気な騎士の姿が映っている。


「悪いけど、通らせてもらうね」


 静かな森に、黒馬の足音が高らかに鳴る。それは戦場の足音としてはいささか遅いが、今この瞬間においては、運命の近づく足音に等しい。


「ここ————ぎ、があああああっ!!」


「あれ、案外タフなんだ、キミ。いや、妖魔だからか」


 騎兵が向かってくるのに合わせて、魔法を展開しようとしたルイザの体が、何かに噛みつかれているようにその場に固定されて動けなくなる。その肌で(くす)ぶる種火は発火することができず、細く煙を上げた。ルイザが世界の拘束を振り切るように、歯を食いしばって無理やりに腕を騎兵に向けて振りかざすと、彼女の細腕が微細な粒に引き裂かれ粒子レベルで粉砕していく。彼女の放とうとした炎は、かすかな光だけを残してかき消えた。


 カルネィアと愛馬がルイザの脇を走り抜けると、その静かな斬撃でルイザは膝から崩れ落ちた。魔力でできた彼女の体は、出血することこそないが膝より先が無ければ立ち上がることは叶わない。修復のために、彼女の意思とは無関係に、兵士たちを(はりつけ)にしていた杭がルイザのもとへ戻ってくる。


四門隊(友達の部隊)を殺さないでいてくれたみたいだし、ボクもキミを殺さないであげるよ。今日のところは、それでお預けってことでね」


「……カルネィア、だっけ?」


 体になりきらない魔力を吐き戻しながら、ルイザは呟く。悠々とその場を去ろうとするカルネィアを振り返って、満面に笑みを浮かべながら、ルイザは続けた。


「また遊ぼうね、カルネィア————!」


 強がるように口角を上げる妖魔に、カルネィアは振り返って優しく微笑む。


「うん、もちろん」


 ファンサービスのように手をひらひらと振って、蹄の音は遠ざかっていった。


次回、第二話「妖魔の子守」

妖魔に囚われたヨーチェンは、見知らぬ場所で目を覚ます。神国にとって未踏の地で、大きな運命が動き出す————。

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