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【ミスで全削除したため再掲載】トワのキッチン

作者: 稲井田そう

 授業が終わり、休み時間が始まった。

 先生が教室から出て行くのを待たずに、クラスの皆は一斉に鞄からスマホを取り出す。

 もちろん、私──真昼ここなもだ。

 イヤホンをつけたり、何人かで集まって誰かのスマホを眺めたり、色々だけど、みんなきっと、同じ動画を見ようとしてる。

 約束したわけじゃない。

 クラスで決まりがあるわけじゃない。

 でも、たぶん、きっと。

「みなさーん、こんにちはー‼」

 スマホの画面の中、ライブのステージの映像が映る。

 ステージの真ん中にいるのは、今、大人気の女の子アイドルグループ『スター☆パルフェット』だ

「みんなの心をぎゅっと照らす‼ スター☆パルフェットです‼」

 スター☆パルフェット、略してスタパルのメンバーたちが、声を揃えていつもの挨拶をする。

 彼女たちは、小さい子から大人まで、男の子女の子関係なくみんなから大人気のアイドルだ。

 可愛いだけじゃなく歌もダンスも上手。

 テレビ番組では「実力派アイドル」と呼ばれ、メンバーはドラマや映画の主人公役に選ばれたり大活躍。

 雑誌でも表紙になっていたり、コスメのCMに出るとそのコスメがあっという間に売り切れになる。

 まさしく、トップアイドルグループ。

 皆の憧れ。

「好きなアイドル誰?」と聞かれたアイドルが、必ずその名前を出すほど、スタパルはすごいアイドルグループだ。

『早速自己紹介から入りたいと思います‼』

 そんなすごいスタパルのメンバーたちが、スマホの画面の中で自己紹介を始める。

 今、私や皆が見ているのは、スタパル公式チャンネルが配信しているライブ動画だ。

 ライブと言っても、今ステージに立ってるわけじゃない。

 最近、スタパルの公式チャンネルの登録者数が100万人を突破した。

 そのお祝いで、先月のライブが動画になってアップされているのだ。

 ネットでお知らせがあって、動画の投稿が予告されていたから、みんな授業中ソワソワしていた。

 そして動画を楽しみにしていたのは、うちのクラスのみんなだけじゃない。

 スタパルを好きな皆が心待ちにしていた。

 その証拠に、動画はさっきアップされたばっかりなのに、再生回数の数字はぐるぐる動いて、動画開いたときは20万再生だったのに、もう60万再生になっている。

 2分で40万再生増えた。

 すごいなぁと思いながら、私は画面に集中する。

『最後に、トワ‼』

 メンバーが名前を呼ぶと、動画の中でファンの歓声が上がる。今までいっぱいメンバー紹介をしていたけど、一番勢いがすごくて歓声が大きい。

 私のいる教室でもワッと皆盛り上がる。

『絶対あなたを幸せにするから、この手を取って! 大丈夫! スタパルのきらめきピンク‼ 星森トワです‼ よろしくお願いしまーす!』

 サラッサラの黒髪ツインテールと、宝石みたいにキラキラした目。

 きゅっと上がった笑顔に、元気いっぱいの明るい声。

 可愛いピンクのレースとフリルがいっぱいの衣装で、ステージの真ん中に堂々と立つ、絵本に出てくるお姫様みたいな私の推し。

 星森トワは、スタパルのセンターだ!

 センターというのは、アイドルグループがステージに並ぶとき、先頭ド真ん中の一番目立つ位置に立つメンバーのことだ。

 誰でも立てるわけじゃなくて、グループのなかで一番人気のアイドルが選ばれる。

 人気の決め方は、ファンの投票。

 つまり、皆がスタパルの中で一番大好きって選んだのがトワ。

 ダンスも歌もお芝居も全部完璧で、まさに皆が選んだ完璧なアイドル。

 一生の推し!

 でも私は、トワみたいに完璧じゃない。

 どこにでもいる普通の中学二年生。

 でも、どうしてもトワを好きなことはやめられない。

 だって、トワのおかげで、私の人生は変わったから。

 

 私がトワを好きになったのは、中学生に入ってすぐの新学期がきっかけだ。

 私は、中学校でちゃんとできるか不安だった。

 自分から話しかけなきゃと思っても、嫌われたらどうしようって勇気が出ない。

 学校のこと考えるとお腹が痛かった。

 そんな時、スタパルの曲がすっごく流行った。

 みんなスタパルが大好きになっていて、私はまだまだ、名前しか知らない側。

 輪に入れないって思ってた。でも。

 ──ここなさんって、スタパルって知ってる?

 ──ごめん、名前だけ。

 ──えぇ⁉ そうなの?

 ──じゃあ、教えてあげる‼ ね‼ みんな‼

 ──うん。最初に聞くのは、この曲がいいかも‼

 みんなスタパルについてお話してくれた。

 ──ここなちゃん‼ スタパルの曲聞いた?

 ──うん、聞いたよ。

 ──じゃあ、このドラマ見てみて、トワが主題歌なんだ~!

 ──ありがとう!

 そうやってクラスの皆と少しずつ話せるようになった。

 学校が楽しくなった。

 そうして仲良くなった子たちに、どうしてみんなスタパルについて教えてくれたのか聞くと、みんなはこう言ったのだ。

 ──トワが誰でも皆初めて、知らないことは、新しいことを知るチャンスって!

 ──スタパルを知らない子がいても、優しく教えてって言ってたから!

 トワの言葉で、皆は私に声をかけてくれた。

 トワの言葉で、何にも知らない私に優しく教えてくれた。

 だから、私はトワが好き。トワのおかげで学校が怖くなくなったから。


『どうか私の声が、あなたに届きますよーに!』

 動画終わりでニコニコ笑顔のトワが言う。

 届いたよ、と私は心の中で返事をし、あったかい気持ちでいっぱいになりながらスマホを鞄にしまう。

 ちなみに私の鞄には、スタパルのキーホルダーがついている。

 本当はトワ推しって分かるトワのキーホルダーをつけたい。

 でも、ランダムでトワだけ引くのは出来ないから、絶対買えるグループのキーホルダーをつけている。

 私はキーホルダーをぎゅっと握ってから、隣の席にちらりと視線を向けた。

 メガネをかけた、クールな雰囲気の男の子。

 朝日すばるくん。この間、このクラスに転校してきた子だ。

「すばるくん、スタパルって知ってる?」

 私はおそるおそるすばるくんに声をかけた。

「知らない」

 すばるくんは無表情で首を横に振った。

「興味ある?」

「ない」

「すばるくんお話するの好きじゃない?」

「普通」

 すばるくんはそう言って、また読書を始める。

 これじゃあどっちか分からない。

 現実は、推しがいてもちょっぴり難しい。


 放課後、私はクラスの子たちと一緒に真っすぐ家に帰った。

「あれ」

 ちょうど私の家が見えてきたところで、玄関の前に誰か立っているのが見えた。

 私の家の前にいるのは高校生くらいの女の子だ。

 だぼっとした黒いパーカーを着て、大きな黒い眼鏡と真っ黒なマスクをしている。

 長い前髪もあって、顔はよく見えない。

 女の子は手には紙袋を持ち、唸っている。

 怖くなった私は、鞄につけているスタパルのキーホルダーをぎゅっと握る。

「うぅ~ん……よし、いける、だいじょうぶ……だいじょうぶ」

 女の子は呪文のように繰り返し、私の家のインターホンを押そうとして顔を上げた。

 前髪に隠れていた女の子の顔がよく分かった私は思わず彼女を通報する手を止めた。

 横顔がトワに似てる──⁉

 あまりの驚きに動けないでいると、トワらしき女の子が、クルっとこちらに振り返った。

「なに」

 じっと見つめる私に、トワらしき女の子は困った顔で問いかけてきた。

「いや、えっと、あの、わ、私、真昼ここなです。あの、その家に、住んでて」

 私は自分の家をさした。

 女の子は私の家の表札と私の顔を交互に見返す。

「まひる……?」

「はいっ! 私、真昼ここなって言います!」

 これ、なにかのドッキリでは?

 ファンの前にアイドルが現れるドッキリ、テレビで何回も見たし。

 慌てて周りを確認するけど、カメラマンさんらしき人の姿が見えない。

 不思議に思っていると私の家のドアがガチャッと開く。

 家から出てきたのは心配そうなお母さんだった。

「おかえりここな~どうしたの~?」

「え」

「そこの窓から見えたから~。ず~っと立ってたから心配したのよ~?」

 どうやらお母さんは、私が立ち尽くしているのに気付いて、家から出てきてくれたらしい。

「あれ、あなたは……?」

 そして、トワに向かって首をななめにする。

「私、今日から隣に引っ越してきた星森トワと言います。よろしくお願いいたします」

 トワはぺこりとお辞儀した。

 隣に引っ越してきたって……今日から、お隣さんってこと?

「え……」

 今日から、推しが隣……!

 叫んじゃいそうになったけど、あまりにもびっくりしすぎて、何も言えない。

「そうなの~? 嬉しいわぁ~! じゃあよかったら、お茶でもどうかしら~?」

 お母さんはトワを誘う。

 いやいや、そんな簡単に誘っちゃ絶対だめだって。

 言いたいけど声が出ない。

 だってトワに会えるなんて思わなかったし。

「どうぞ~あがって~? ふふふ、これからよろしくね~」

「えっと……」

 どうしていいか分からなそうなトワに、お母さんは玄関のドアを開いて、「どうぞ~」と微笑む。

 トワはペコッと頭を下げて、私のお家に入っていく。

 これからどうしよう⁉


「わぁ~お仕事の都合で一人暮らしなんて~……すごいわねぇ~」

 リビングでお母さんがトワと話をしている。私はトワ、お母さん、自分のぶんの麦茶をグラスに入れながら、二人の話に耳をすませる。

「まぁ……仕事なので」

 トワはクールで、ライブの時とか動画の時と全然違う。

 いつもなら全部言葉の最後に「!」がつく話し方なのに。

「でもぉ、まだ学生さんよねぇ~? 何歳? どんなお仕事してるの~?」

 ママ、アイドルだよ!

 言いたいけど言えない。

 私はトワの麦茶を注ぐのに必死だから。

 こぼしちゃったりしたら大変だ。

「17歳、高校二年生です。仕事は……テレビ関係です」

 トワは言う。

 やっぱり公式サイトに出てるトワのプロフィールと同じだ。

「そうなの~! 高校生のうちから独り暮らしもお仕事も、いっぱい大変でしょぉ~。何かあったらいつでも言ってちょうだい?」

 ママはトワがスタパルのトワだって気付いてないみたい。

 一緒にテレビを見ているし、私の部屋にポスターだって飾っているのに。

 トワがメガネをかけているからだろうか。

「ご迷惑はおかけしないようにします」

 あと、話し方が違うからかも?

「迷惑だなんてとんでもな~い! 大丈夫よ~。それにほら、うちの子一人っ子だから~お姉ちゃん出来て嬉しいと思うし、ね~」

 お母さんがこっちに振り返る。

 トワを見ると、彼女は冷たい目で私を見ていた。

 私はうつむくと、お母さんは私を見て優しい笑みを浮かべた後、トワを見た。

「今は緊張してるみたいだけど~優しい子なの。困ったことがあって、私がいないときはあの子に聞いてみて。ね~、ここな~」

「う、うん……」

 お母さんに話をふられて、私は一生懸命頷いた。

 トワが困ってたら……いや、トワじゃなくても助けたい。

 困ってる子がいたら助けてあげてって、トワ、動画でいつも言ってるし!

 トワは「どうも」とお母さんと私に会釈する。

「あ、そうだ~! よければ一緒にお夕食はどうかしら~? 今夜カレーなの」

「カレー……」

 トワの雰囲気が、少し変わった気がした。

 さっきまで落ち着いていて静かな感じだったのが、氷みたいに冷たい気がする。

「大丈夫です。お引越しの片付けがあるので、私はこれで」

 そうやって立ち上がるトワは、仕草も声も全部、動画で見る姿と違っていた。


「ここな、トワちゃんのことお家に送っていってあげて。あ、あとコンビニの場所とかも、時間がありそうなら」

 玄関先でお母さんが言う。

 トワが帰る時間になり、私は彼女を家まで送ることになった。送るって言ってもお隣だけど、アイドルだし!

「じゃあ、いってきます」

「お邪魔しました。今後とも、どうぞよろしくお願いします」

 私とトワ、お母さんにそれぞれ挨拶をして家を出る。

 推しが隣を歩いてる。

 近づきすぎてないかな。

 不安に感じていると、トワが家の前で立ち止まった。

「あなた、気付いているでしょう。私がスタパルのトワって。鞄にスタパルのキーホルダーつけてたし」

「は、はい……」

「私は、ステージはステージで、この生活はこの生活って切り分けたい。だから、ネットにあげたりしないって約束して」

「そ、それはもちろん、わ、分かってます!」

 勝手にネットにあげたりするのは駄目って、学校で習った。

 誰が傷つくか分からないし、犯罪に巻き込まれてしまうこともあるから。

「あと、あなたのお母さんはああ言ってたけど、迷惑をかけるつもりはない」

 トワはきっぱり言う。

 離れていて、近づかないでって言われているみたいだ。

「だから、あなたは普通に今までどおり生活して。私のことは、いないものだと思って」

「え」

 オロオロする私をトワはジッと見つめた後、「じゃあ」と呟き、自分の家に帰って行ってしまう。

 き、嫌われた?

 いやでも、会ったばっかりだし……。

 トワって会ったばかりの人を嫌いになるような子じゃない気がする。

 でもそういうトワと、さっき話をしたトワは全然違う……。

 私はモヤモヤしながら家に帰る。

 お母さんが「あれ? 早かったわね?」と目をまん丸にした。

「コンビニとか行かなかったの? トワちゃん独り暮らしならコンビニとかお店知ってたほうが安心かと思ったんだけど」

「だ、大丈夫みたい……」

「そっか、でも大変ねぇ。高校生で独り暮らしなんて。それもお隣に独り暮らしって……でも、仲良くなれるといいね」

 お母さんは微笑む。

 さっきまでだったら「そんなの絶対無理だよ!」って言ってた。「相手はアイドルなんだよ⁉」って。普通の私が仲良くなんて出来るわけない。住む世界が違いすぎる。

 でも、今は違う。

 トワと仲良くなれない。

 だって、いないものだと思って、なんて言われちゃったし。

 ほんとに、これからどうしよう


☆☆☆


 夕食のあと、私は一階のリビングのソファでゴロゴロしていた。

 お母さんがお風呂に入っているから、順番を待ちだ。

 お母さんはさっき入ったばかりだから、しばらくゴロゴロできる。

 ああでも、お母さんが「しばらくしたら換気扇のスイッチ消しておいてね~」って言ってたっけ。

 今日の夕食はカレーだ。

「うーん」

 私は寝返りをうちながら、スマホを眺める。

 ホーム画面には、トワの顔。画面の中のトワは、元気いっぱいの笑顔で笑っている。

 ──私のことは、いないものだと思って

 私はトワの言葉を思い出す。 

「う~ん」

 私は唸りつつ、スマホを操作する。

 いつもこの時間、ネットでスタパル公式アカウントを見ていたから、今日も無意識のうちに開いてしまった。

 トワのアカウントを見ていると、新しい呟きがパッと出てきた。

『カレー大好き‼ 小学校の頃、給食がカレーの日は、四時間目からソワソワしてた‼ 余ってたらおかわりもしてたよ‼  みんなはどう?』

 え?

 トワ、カレー好きなの?

 トワの呟きには、早速コメントが来ていた。

『私もトワちゃんと同じでおかわりしてた‼ 一緒だぁ‼』

『給食のカレー、自分もおかわりしてましたよ。懐かしいです笑』

『トワ、カレーはご飯? ナン? どっちが好き? 醤油かける? それともソース?』

 いいなぁ。

 私はコメントを眺める。

 トワの呟きに、コメントしたことは一度もない。

 だって緊張するから。

 変なこと言っちゃったら嫌だし。

 だから、いいねを押して好きだよって伝えてる……つもり。

 ──私のことは、いないものだと思って。

 トワの言葉を思い出す。

 いいねもダメなのかな?

「……ん?」

 悩んでいると、焦げ臭い臭いがしてきた。

 この感じ、お隣から⁉

 私は慌ててリビングの窓に向かう。隣の家のカーテンは全開になっていて、トワが急いで窓を開け、すぐにまた部屋の中に戻っていってしまった。

 火事だったら早く逃げなきゃいけないのに!

「トワ‼」

 ここは一階。私は窓のそばにあるサンダルを履いて、大急ぎでトワのリビングに入った。

 中は私の家のリビングと違って、何にもモノが置いてない。

 きょろきょろ辺りを見渡すと、キッチンにトワの姿を見つけた。

「ううう、どうしよう、どうしよう……どうしよう……!」

 トワは泣きそうな顔でコンロのフライパンを前にウロウロしている。

 フライパンからはモクモクと煙が上がっていた。でも、火はついてない。

「トワ‼」

 名前を呼ぶと、トワがバッとこちらに振り返った。

 先生に怒られた子みたいな、助けてって顔をしている。

「トワどうしたの? 大丈夫?」

 すぐに駆け寄ると、トワは「わかんないよぉ」と声を震わせた。

 フライパンの中には、真っ黒なよく分からない何かがあって、煙はそこから出ていた。

「か、換気扇は?」

 料理をする前は、しっかり換気扇をつけなきゃいけない。

 お料理をするときに出てくる湯気や臭いがつくのもあるけど、こういう時危ないから。

 でも……、

「換気扇?」

 トワの返事に、私はすぐコンロに近づいて換気扇のスイッチを押した。換気扇の羽が回転する音がして、煙がどんどん吸い込まれていく。

 焦げ臭いのと煙は、火事じゃなくて換気扇をつけてなかったからだったんだ!

 臭いも煙も行き場が無くて、部屋の中をグルグルしたあと、私の家まできちゃったらしい。

 煙や臭いがこっちまで来たのは分かったけど……そもそも、なんで煙や臭いが……?

 私はフライパンの中を見る。プスプスいっているそれは、真っ黒焦げで何か分からない。

 まん丸っぽい、塊っぽい、テニスボールくらいの大きさの、何か。

「こ、これ何」

 トワに聞くと、彼女は「カレー……」と呟いた。

「えっ、カレーがなんでこんなに、塊みたいに……?」

「れ、レトルトのやつ、温めようとしてただけ……」

「でもレトルトのカレーって、袋のままお鍋で湯煎したり、電子レンジでチンするもの……」

「そ、そ、そ、そうだけど……袋から出してフライパンでやったほうが早いと思って……電子レンジは、ご飯温めてたし……うぅ」

 トワはさっきみたいな冷たい感じじゃなく、しょんぼりしていた。

「でもなんでこんな、真っ黒こげに」

 私はフライパンをじっと見つめ、ハッとした。コンロは火が消えていても、最後に弱火を使ったのか、中火だったのか、強火で使っていたのか分かる。

 見ると、最後に使っていた火力は強火だった。

「なんで強火?」

「早そうだと思ったから」

「いや、強火は早くするためのものじゃないよ?」

 軽く焦げ目をつけたり、水分をとばして外側をカリっとさせるためのものだ。

 だから、早く作るために使うものじゃない。

 でもトワは顔をぐしゃぐしゃにして、自分の手のひらをぎゅっと握り、ぷるぷる震え始めた。

「トワ……?」

「そ……」

 トワはか細い声で呟く。

「そ?」

「そんなの知らない‼ 分かんないもん‼ うわああああああああああああああああん‼」

 そして、まるで赤ちゃんが泣くみたいに、トワは泣きだした。


 私はトワが落ち着くまで待った。

 トワはわんわん泣いた後、ソファに座り頬を膨らませ、私を上目遣いでじっと見ている。

 さっきは煙とか臭いで分からなかったけど、部屋の中のお引越し用段ボールはひっくり返っていたりぐちゃぐちゃだった。

 片付けしないと駄目って怒られるかも……なレベルじゃない。

 関係ない私が、絶対怒られるって怖くなるくらい。

「お部屋……ど、どうしたの? け、煙で焦っちゃった?」

「違う。片づけてたらこうなった」

「え」

 驚くと「だってこうなっちゃったんだもん!」とトワは顔をぐしゃぐしゃにする。

 開きかけの段ボールの中は丸めた洋服や、教科書が混ざって、何が入ってるかよく分からない。

 トワ、完璧アイドルってイメージだった。

 普段ステージに立ってないときだって、お片付けとか料理とか皆より上手く出来るっていうか。

 だって一番だし……。

 でも、今目の前にいるトワは違うみたいだ。

「お料理とお片付け苦手なの?」

 トワに聞くと、彼女は首を横にブンブン振った。

 でもお部屋はぐちゃぐちゃだし、料理だって黒こげ。

「え、でもこれ、苦手な気が」

「全部」

 トワはもう一回「全部」と言う。

「全部ってなに?」

「全部できない! だから……いないものだと思ってって言ったんだもん。本当の私がダメダメだってバレたら嫌われちゃうからぁ‼」

「え」

 ──いないものだと思って。

 あれって、私が嫌いって意味じゃなかったの⁉

 色々苦手なことがあって、私に嫌われちゃうのを心配してたの⁉

「うぅ~こんなことになんてぇ~……ねぇ、ねぇ、絶対ネットにあげないでよ? 絶対だよ? うええええん!」

 トワは半泣きで私の手を握る。

 推しとの、握手!

 でも嬉しいドキドキより、トワの泣きそうな顔に不安のドキドキが勝つ。

「だ、大丈夫。学校で……人のこと勝手に書いちゃダメって約束があるから……」

「本当に? トワ全然ダメじゃん‼ とかネットに書かない?」

「もちろん。そ、それに、トワのこと応援してるし……す、好きだよ?」

「え!」

 トワは私の言葉に目を丸くした。

 そして「もしかしてもしかしてもしかして私推しなの⁉」と、早口で話す。

 勢いがすごすぎて、素直に「うん」って言いづらい。

「……う、うう、う……ん。トワ、推し」

「ええええええええごごごごごごごごめんねてっきり別の子応援してると思ってたっていうか引っ越してきたとしても、トワじゃなくて別の子が良かったのにってガッカリされてたら悲しいなーと思ってて、うえええええ」

 トワがいっぱい喋り出した。さっきの勢いもびっくりだったけど、どんどん勢いが増している。

「えぇ」

「うわあ、うわああああああ、私推しだぁ……⁉ 生きてる……‼ すごい……‼」

 トワは目をキラキラさせながら私を見つめる。

 逆じゃないかな?

 というかトワ……ファンいっぱいいるし。

 センターだし。

「トワのファンはいっぱいいるんじゃ……」

「この姿で気付かれたことないもん‼ 名前言っても漢字とカタカナで違うって言われるだけだし、スタパルのトワと名前いっしょですね~って馬鹿にされるだけだもん。」

 名前とカタカナで違う?

 不思議に思ってると、トワは段ボールからぐちゃぐちゃのテスト用紙を取り出した。

 科学と書かれたテスト用紙には『星森永遠』と書かれている。

「永遠って書いてとわって読むの。これが本当の私の名前。アイドルの名前は、小さい子でも読みやすいようにトワってしてるんだ」

「へぇ」

 推しの本当の名前。

 こんなすぐに知っちゃっていいのかな?

 ちょっと心配になっていると、名前の横の数字に私はびっくりした。

 13点。

 なにこの数字。

「トワ……これは……何点満点のテスト?」

 そう言うと、トワは「う……」と冷や汗をかきながら目をぎょろぎょろ動かした。

「トワ、これ、満点は、100点だったり……」

「う~知らない知らない‼ ヤダ‼ 私お腹すいた‼ 夕食作るから出てって‼」

 トワはまた首を左右にブンブン振って立ち上がると、ドンドン足音を立てながらキッチンに向かう。

 ものすごーく嫌な予感がする。

 フライパン、真っ黒だったし。

 今度は、家が燃えちゃったりして……。

 このまま、トワのこと放っておいていいの?

「私、なんか作ろうか?」

 そう言うとトワはくるっと振り返り、目をキラキラ輝かせた。

「い、いいいいいいいいいの?」

 その目の輝きはやっぱりアイドルのトワだ。

 私は緊張しつつも、うんと頷いた。


 私はトワと一緒にキッチンに向かった。

 そしておそるおそる冷蔵庫を開く。

「卵はあるんだ。卵かけご飯を食べるからね!」

 トワは何故か得意げに冷蔵庫を開く。

「卵かけご飯が好きなの?」

「ううん。一番好きなのは卵焼き! でも作れないから、卵かけご飯にしてる。まぁ私のお腹の中は、卵焼きだと思ってるハズ。だから毎日、卵焼きだよ」

 トワは、本当に、何を言ってるの……?

 不安になりながら、ほかに何か探す。

 冷蔵庫のそばに、お醤油があった。

 お箸とお茶碗とお皿も。

 たぶんさっき、トワが料理したときに使おうとしていたのだろう。

「ねぇトワ、油はある?」

「うん。番組で貰った、かっこいい油があるよ」

 トワはサッとリビングの段ボールの山に向かった。

「えいやっ……ない。えいやっ……ううん? そーい‼」

 トワは段ボールを開け、ぽいぽい中身を床に放り投げつつ、すぽんっとなにかを引っこ抜いた。

「ほら! あった!」

 キラキラスマイルで言うけど、床は大惨事だ。

 あとで片づけ、お手伝いしよう。

 心に決めながら、焦げたフライパンを洗う。

 そばに菜箸──料理用の長いお箸があったので、それも一緒に洗った。

 トワはフライパンの焦げが落ちていくのをじっと見ている。

「どうしたのトワ」

「卵焼きって四角のフライパンじゃなきゃダメなんじゃないの?」

「丸いフライパンでも出来るよ」

 私は手を洗って、お茶碗に卵を割り入れた。

 お茶碗の中に、ぷるんと卵が滑っていく。

 ぷっくりオレンジ色の部分が卵黄で、つるんと透明で弾力があるほうが卵白だ。

 お箸を使って、卵黄を割ると、トロリとほぐれる。

 オレンジ色の卵黄にぽこんと卵白が浮くから、卵白をお箸で切るようにして混ぜれば、卵白と卵黄でマーブル状だったお茶碗の中が、黄色く変わっていく。

「なんでそんなに混ぜるの?」

 トワが首を傾げる。

「よく混ぜないと、卵黄の部分と卵白の部分がいっしょにならなくて、食べたときモサモサするからだよ」

「なんで?」

「卵黄とね、卵白、温めると固まるんだけど……それぞれ固まる時間が違うんだよ」

 私は家庭科で習ったけど、トワは……知らないのかもしれない。

 お仕事とかあるから、早退するって呟いてたの、見たことあるし。

「だから混ぜて、固まる時間を一緒にするの」

「混ぜる機械が無いと駄目だと思ってた」

 トワは「お箸でもできるんだぁ」と魔法を見るみたいに言う。

「うん。それにきちんと全体が混ざれば、ずーっと混ぜてなくていいの。このドロッとした卵白がさらさらになれば大丈夫」


 私はフライパンをコンロにのせ、サラダ油をほんの少しフライパンに入れる。

 そしてフライパンの油が全体に拡がるよう、ゆっくり傾けた。

「油をこぼしたりしたら危ないから、気を付けてね。キッチンペーパーとかで、フライパンのなかを拭くようにしておくといいんだけど……無くても出来るから。あとここからは菜箸を使うよ」

 私はそばにおいていた菜箸を指す。

「さっきの卵混ぜたお箸じゃだめ? 面倒くさくない?」

 トワが少し不満げだ。

「うん。フライパンの熱で溶けちゃうお箸もあるし。それにフライパンに使うお箸は、長いものじゃないと手とフライパンの距離が近くて、火傷しちゃうこともあるから」

 説明すると、トワは「そっかぁ」と納得する。良かった。

「……でも何でさっきからそんなに詳しく教えてくれるの?」

「だって、説明したら、今度からトワがひとりでも作れるかなって」

「え」

 トワは「私もこれ作れる?」と聞き返す。

「もちろんだよ。危ないことだけ気をつければ、大丈夫」

 私は換気扇がちゃんと動いているか確かめて、火をつけ、中火にした。

「お箸で少しだけ、卵の液をフライパンにくっつけて、トロッと固まる感じだったら、大丈夫だよ」

「固まらなかったら?」

「少し待つ。そしてもう一回チャレンジ。もしもすぐ固まったり茶色くなる感じだったら、火を弱くして待つの」

 フライパンに少しくっつけた卵は、ふつふつと周りから固まっていく。

「ここで、お茶碗の中にある卵の液を、半分だけ入れる。ちなみに、混ぜるのが足りないと、全部どろんってフライパンに入っちゃうから気を付けてね」

「う……私……たぶんやっちゃいそう……」

 トワはまだ失敗してないのに、がっくりと肩を落とす。

「大丈夫だよトワ。最初はなんでも失敗しちゃうものだから」

 私はお茶碗の卵液を半分だけフライパンに流し入れた。さらさらとした黄色い卵液は、黒いフライパンに着地すると、しゅぅぅっと丸く広がって、周りがふっくらと波打つ。

「表面がちょっと乾燥してきた、と思ったら、はじっこを折るんだ。まん丸の真ん中を目指す感じね」

 私はフライパンの中の卵の右はじを、ぺったん、と折り紙みたいにして、真ん中へ折り返す。

 左端も同じように、真ん中へ折り返した。

 そうすると、まん丸だった卵は、左右はまっすぐ、上下は丸い長方形になる。

「難しそう……」

 トワは不安そうな顔をする。

「大丈夫。弱火か中火だったら、ちょっと破けてもお茶碗のなかの卵液をそこにちょんちょんってつけて、糊で折り紙を修理するみたいにできるから」

「へぇ!」

 トワの顔がぱっと明るくなった。

 私はフライパンの中にある卵の長方形の下の部分を、めくって、くるくるとロールケーキみたいに巻いていく。

「わぁ……なんでそんなにくるくるできるの?」

「力を入れないようにするの。サラダ油で卵がフライパンからはがれやすくなってるから、洋服とかタオルとかをクルクル巻くのと同じ力で出来るよ」

「じゃあ力入れすぎると?」

「うまくくるくる出来ないかも。潰れちゃったりとか」

「えぇ」

 トワは嫌そうな顔をした。

「でも潰れても大丈夫だし、どうしても見た目が嫌だなって思ったら、いっぱいほぐしてそぼろにすると良いよ! ご飯にかけてもいいし、サラダにしても可愛い」

「あ、失敗してもいいんだ」

「うん。危ないのは、あんまりよくないけど……」

 私は油をほんのちょっぴりフライパンに足した。

 そして今度はフライパンを動かさず、クルクル巻いた卵でフライパンに油を広げる。

 二回めはこうしたほうが楽。

 そしてお茶碗にある残りの卵液を、フライパンに流し入れた。

「フライパン、コンロの上に長く置いてあるぶん、1回目より温度が高くなってるから、気を付けて」

「ひええ」

 トワは怯える。

「そこまで怖がらなくて大丈夫。ここで、クルクル巻いた卵焼きの下にも、卵の液がくるようにするんだよ」

「なんで?」

「そうすると、固まってない卵の液と、クルクル巻いた卵焼きがくっつきやすくなって、バームクーヘンみたいにまたクルクル出来るから」

 私はクルクル巻いた卵焼きを、固まってない卵で出来た丸い円の一番下に寄せた。

 そしてさっきと同じ手順で、右はじをぺったんと真ん中へ折り返す。

 左も同じ、真ん中に向かって折り返した。

「ここは、初めての時よりもやりやすいよ」

 私は、クルクル巻いてあった卵焼きを支えにして、固まりつつある卵を巻き込みながら、下から上へ押し出すようにクルクル転がしていく。

 そうすると、一番最初の時より卵焼きはふっくらして、大きくなった。

「た、卵焼きだぁ」

 トワは目をキラキラさせている。

「あとは、1分くらい、焦げないよう気をつけながらフライパンの上でコロコロさせて完成。出来たらちゃんと火を止めてね。火をつけっぱなしは危ないから」

「はあい」

 トワは卵焼きを見てニコニコしている。私はコンロの火を消して、「お皿ある?」とトワに聞いた。

「ない。洗うの増えちゃうもん。お茶碗が一つなら、洗うのも一つ。それにお茶碗でも、卵焼きは美味しいよ」

 トワは卵液の入っていたお茶碗を洗い、「どうぞ」と私に渡してくる。

 私はあんまり、納得できないまま、お茶碗に卵焼きを入れた。

「ご、ご飯は……」

「パックご飯があるから。それより、た、食べてもいい? お腹空いてて……お隣からカレーの良い匂いしてたし……それでカレー温めてたんだけど……」

「ど、どーぞどーぞ」

「わーい、いただきまーす!」

 トワは立ったまま食べようとした。私は慌てて「座ってだよ、立ったままは危ないよ」と止めた。

「は、はい‼」

 トワはピャッとお茶碗とお箸を手に、ソファに座った。

 そして嬉しそうに「いただきます」と笑みを浮かべ、卵焼きを一口食べる。

「すごい! ふわふわで美味しい!」

 トワは大喜びだ。

「うん……でも、お料理苦手なら、カレー食べて行けば良かったのに」

 そうしたら、煙だらけにならずに済んだし、トワも怖い思いをしなかったはず。

 するとトワは「だってぇ」と私を上目遣いで見た。

「中辛、辛いもん。あれ甘口じゃないもん。赤ちゃんのじゃなきゃヤ‼」

 えええ⁉

 トワ、あ、赤ちゃんのカレー食べてるの⁉

「ねぇ、他の人に言っちゃだめだからね?」

 トワは私にお願いしてきた。

「う、うん」

「約束だよ?」

 トワは私に小指を出す。

 何もせずじっと見てると、トワは「指切り‼」と促した。

 私はドキドキしながらトワの小指に自分の小指を引っかける。

「約束ね‼ アイドルのトワのことも、ここにいる永久のこともぜーんぶナイショ、ね」

 トワはニコっと笑う。

 アイドルの時とはまた違った、明るくて優しい笑顔で。

 私は「うん‼」と彼女に合わせて頷いた。

「じゃあ、もしよかったらなんだけど……」

 トワは何かを言いかける。でも、

「ここな~? どこ~? お風呂出たわよ~?」

 私の家のリビングで、お母さんが私を探していた。

 そうだ! 私はお母さんに何も言わずにこっちに来ちゃったんだ!」

「ごめんね、トワ、また明日ね‼」

 私は大急ぎでトワの家から出て行く。

 また……って言っちゃった。

 また明日も、会えるといいな。お隣さんだけど。

 私はこれからの生活にワクワクしながら、家に帰ったのだった。



 トワに卵焼きを作った翌日のこと、私は学校に登校した

 そして皆と一緒に、教室の後ろ側でスタパルの話をしているけどー、

 トワがお隣さんなこととか、本当のトワについては、ヒミツにしなきゃだ。

 だから、私が何か言ってバレないようにしないと……。

「トワ、今度はお料理の番組に出るんだって‼ 生配信でトワの食べてるもののレシピ教えてくれるらしいよ」

「えええええええええええ‼」

 私は思わず声を上げた。

 心臓がバクバクしていると、「え~ここなちゃん、知らなかったの?」と皆が驚いた。

「危ないところだったねえ。配信は明後日だから、全然間に合うよ‼」

「大丈夫‼」

 みんな励ましてくれる。

 でも全然大丈夫じゃない。

 絶対、放送事故になるよね……?

 心配していると、チャイムが鳴った。私は皆とバイバイして、慌てて授業の準備に入った。


 トワのことが気になるけど、授業も大事。

 だから授業中はちゃんと集中しなきゃいけない。

「この問題は、昨日やった問題の応用なので、教科書を見てもいいですよ」

 先生は言う。私は教科書を開いた。皆も一斉にページをめくる。だけど。

「あれ」

 すばるくんはシャーペンも持たず、じっと俯いていた。

 机の上には教科書が無い。

「すばるくん」

 声をかけると、すばるくんは無言でこちらに振りむく。

「……」

「教科書忘れちゃった?」

 問いかけると「いや、別に」と首を横に振る。

 私は公式を見てなんとか解けたけど、すばるくんはその後も、問題を解くことなく、先生の言った答えを赤ペンでノートに書いていた。


 すばるくん、問題分からなかったのかな。

 教科書……何で見なかったんだろう。

 授業が終わった後、すばるくんに大丈夫か聞いてみた。

 「別に」

 すばるくんはそう言うと、サッと廊下に出て行ってしまった。



 すばるくんに嫌われてるのかもしれない。

 そう思った私は、そのあと、すばるくんに話しかけなかった。

 しつこくしたら、もっと嫌われちゃうし。

 だから黙って授業を受けて、放課後。私は急いで学校を出た。

 すばるくんのことも気になるけど、トワのお料理配信のこともあるから。

 そして家の近くのコンビニで、トワを見つけた。

 真っ黒なパーカー。真っ黒な帽子。真っ黒なマスク。全部真っ黒。

 サングラスまでつけてるトワだ。

 たぶんトワってバレないように変装してるんだろうけど……。

「不審者……」

 小学校の訓練、学校に知らない人が入ってきたらって時の不審者そっくりだ。

 トワはアイスや冷凍食品コーナーでピラフを手に取り、後ろの部分をじーっと見ている。

 そして、棚に戻した。

 オムライスのお弁当をまたジーッと見て、しょんぼりする。

 私は無言でトワのパーカーをツンツンした。

「ヒョァ……こっここなちゃん……」

「何してるの」

「ナ、ナンデモナイ。ナニモワルイコト、シテナイ」

 トワは分かりやすく焦った。

 でも、何を聞いても「シテナイヨー」しか言わない。

「それよりここなちゃん、どうしたの? コンビニに何かご用カナ?」

「ううん、用はないけど……見つけたから」

「見つけた? なにを?」

 トワ、とは大きな声では言えない。誰が聞いてるか分からないから。私はトワに近づいて「トワをだよ」と小さい声で話す。

 トワは「えぇ、私に会いに来てくれたの……?」と私を見て手を震わせた。

「ここなちゃん……流石私推し……嬉しい……!」

「う、うん……あとその、見つけただけじゃなくて、元々会いたいって思ってて……」

「ひゃー嬉しい! どうする? えー私どうしよう! えー何か欲しいものある? 何でも買ってあげる!」

「じゃあ、えっと、今度の料理配信について聞きたいんだけど」

「え」

 トワのテンションが一瞬にして下がった。

「なんで、知ってるの」

「友達に聞いて、大丈夫かなって思って」

「……ダイジョブ」

 トワは「ワルイコト、シテナイ」と、さっきと同じ言葉を繰り返す。

 え。

 もしかしてこれ、生配信とワルイコトシテナイは何か関係があるの?

 生配信で悪いことしようとしてる?

「ねぇ、生配信とコンビニにいる理由って何か関係ある……? なにか生配信で悪いこと……しようとか……」

「そんなことないよー」

 トワは否定する。

 でも、ホッとしたのもつかの間

「お弁当をどうにかして、手作りって誤魔化してもバレない方法考えてるだけだよー」

 トワ、料理生配信で嘘つこうとしてるの⁉

 それ、悪いことじゃないの⁉

「そんなの絶対だめだよ、悪いことだよ⁉」

「で、でも、火事とか起こしちゃうかもだし」

 トワも心配だったんだ⁉

「火事も駄目だけどお料理出来なくても嘘つくのもだめだよ!」

 私は慌てて止めた。

「でも、完璧に出来ます‼ って言っちゃったんだもん……」

 トワは泣きそうな声で話す。

 どうしよう‼ 

 生配信も大変だけど、コンビニの中でトワがわんわん泣き始めても問題になっちゃう。

「今のままだと嘘になっちゃうけど、嘘じゃなくせばいいんだよ」

「ど、どういう意味?」

「生配信でトワでも作れる料理を作ればいいんだよ!」

「無いよぉ」

 トワは即答した。

「えぇ」

「作れる料理……昨日の卵焼きは……作れるかもって思ったけど……生配信中失敗したら怖いし……」

「じゃあ、卵焼きとは別の料理にしよう!」

 そう言って、私はコンビニのお惣菜のコーナーを指す。

「ここで買って、作れるのにしよ!」

「誤魔化しに協力してくれるの……?」

「違う。このお惣菜を組み合わせて作るんだよ」

「お惣菜でお料理……ど、どういうこと……?」

 不安そうな顔のトワ。そんなトワが出来るかもって思えて、生配信の時に失敗しない。

 そんな料理を作って、トワの生配信を成功させなくては!

 

 コンビニでの買い物を終えた私は、変装を解いたトワとキッチンに立った。

「本当に、これでお料理が出来るの……?」

 トワがオロオロしている。

「出来るよ!」

 キッチンの台の上には、ポテトサラダのパック、溶けるチーズ、使い切りの冷凍エビ、そして塩だ。

 そしてトワのお茶碗と、お箸と、ラップ、タオルだ。

「一体、これで何作るの……」

「ポテトと海老のグラタン!」

「グラタン……? でもうち、オーブン、無いよ? トースターも……グラタン皿も無いし……」

「大丈夫! 今日は包丁もフライパンも使わないし」

 私は手を洗って、トワにも洗うよう促す。

「今日は私の指示のもと、トワにしてもらうから。生配信で出来るように」

「う、うん……」

「じゃあ早速、冷凍エビの袋、後でちょっと使うから、上側だけ開いてください。ポテチとか開けるときみたいに」

「うん」

 ぺりぺり、とトワは冷凍エビの袋を開けた。

「そうしたら、少しだけ塩を入れます」

「少しだけって何、どれくらい?」

「チェキ、知らない間にうっかりはじっこ折れちゃったくらい……?」

「おっけい」

 トワは塩をそっと入れる。

「生配信で使うお塩が、サッサって振るやつなら、4サッサくらいね」

「あ、そっかそのパターンあるんだ!」

「うん」

 お塩は自分で容器にうつすタイプとか、もう容器に入っているやつと色々ある。

 私の家はテーブルにフリフリするのがあって、キッチンにはスプーンで使うのと二種類だ。

「お塩入れたら、袋の上からちょっとだけ揉むの。それが終わったら、エビをお茶碗に入れて」

「はーい」

 お茶碗の半分くらいにエビが入った。

「終わったら、エビがひたるくらいお水を入れるんだけど、お水ジャーってするとすぐいっぱいになります!」

「大変!」

「なのでお水チョローって、コッソリ、周りに水道使ってるってバレないくらいすこーしずつ入れるといいよ」

「そーっと、こっそり……」

「ちなみに生配信で使うエビの量が多かったら、お茶碗の半分が必ず空けておく! って覚えてね」

「そっか……塩だけじゃなくエビも違う場合があるんだね……」

 トワはオロオロしながらお水を入れた。

「うん。お水を入れ終わったら、ふわっとラップしてください」

「ふわっとってどれくらい? テレビで見るけど分からないよー」

「ふわっとは、お茶碗を横から見ながらラップをかけた時、ラップがまあるく見えるくらい。それでも分かんなかったら……」

「分かんなかったら?」

「ピッチリかけない、それか、左右はお茶碗とくっつけない、でも大丈夫!」

「おお~」

「空気が逃げるようにすればいいの。ピッチリだと、風船みたいになって最後にパンッって弾けちゃうこともあるからね」

「爆発しちゃうんだね……ひええ」

 トワはお茶碗にふんわりとラップをかけた。そして「大丈夫?」と確認してくる。

「うん。大丈夫だよ! そうしたら、500Wから700Wくらいの電子レンジなら、1分くらいチンします。トワの電子レンジは……」

 電子レンジのワット数を確認すると、600Wとあった。

 トワは1分のメモリに合わせてお茶碗をチンする。

「トワ、温めている間に、タオル持ってて」

「うん……でも何で?」

「お茶碗が熱くなってる時があるの。その時火傷しちゃうから。鍋掴みでもいいんだけど……トワ、ある? 鍋掴み」

「ない」

「無かったら、タオルで大丈夫」

「フライパン熱かった時も使っていい?」

「うん。でも必ずコンロの火が消えたのを確認してからね! それと、タオルをきちんと水で濡らしてから! そうしないとタオルに火がついて危ない時もあるから」

「ヒエエ、お料理怖い……」

 トワはプルプル震えた。心配だと思って伝えたけど、怖がらせすぎちゃったかもしれない。

 でも、大事なことだし、ちゃんと気を付けていれば大丈夫。

 チン、と電子レンジの音が響いた。

 トワはそろーっと電子レンジの中を窺う。

「できた? 大丈夫? ラップ外す?」

「ううん、外さないで。ラップの隙間から見えるエビが、透明から白っぽくなったら大丈夫なんだけど……」

「半透明な気がする……?」

「なら追加で10秒チンして」

 トワは「はーい!」と追加してチンする。今度はすぐチンっと音が鳴った。

「白いよ、出来たー!」

「そうしたら、火傷しないように気を付けて、そーっと流し台の横においてね」 

「はーい……て、え、捨てちゃうとかじゃないよね?」

 トワはびっくりした顔をする。

「捨てないよ、どうして」

「だって流し台の横って、捨てるときだけじゃない?」

「食材を洗うときとかは? 土ついてるお野菜洗ったりとか」

「お野菜、買わない」

「トワ、お野菜駄目?」

「嫌いじゃないけど、切ったりするの大変だし……それに多分、お仕事忙しくてお家に帰れない時もあるし、腐らせちゃうから……」

「そっかぁ……」

 トワ、確かにアイドルで忙しいもんね。

 トワが色々苦手なのって、お仕事でやる時間がないことも、原因なのかも。

 お仕事休んで料理勉強するっていうのも出来ないし。

「今回捨てるのは、お茶碗のエビの中のお湯。ここには臭みがあって、食べるとき生臭くなっちゃうから。お湯だけ捨てるの」

「うちザル無いよ」

「大丈夫、今度はお茶碗に、ラップをピッチリかけて? 隙間なく」

「こう?」

 トワはお茶碗にラップがピンとはるくらいかけた。

「そうしたら、お箸で穴を開けます。大体、6つくらい」

「えー分かんない」

 トワはお箸を手に怯えた。

「カップ焼きそばを作る時をイメージして。そうやって穴開けて、お湯捨てるの」

 ザルがあればザルでいいし、お茶碗のエビが完全に冷めるのを待てるなら、手でやったほうが、エコ。

 ただトワがするとなると、多分このやり方が安全だ。

 トワはラップに穴を開けた後、ザーとお湯を捨てた。

「すごい料理した気分だぁ……」

「うん。もうこれで、大変なのは終わり! ラストスパートだよトワ」

「次は何すればいいの?」

「ポテトサラダをエビが入ってるお茶碗に入れて、エビと混ぜ混ぜするの」

「え、グラタンだよね? エビポテトサラダになっちゃわない?」

「ポテトサラダのマヨネーズはね、温めるとホワイトソースの代わりになるんだ。玉ねぎも入ってるし、人参とかコーンもいるから」

「でもキュウリ……大丈夫なの? 温めちゃって」

 トワはポテトサラダの裏側をじっと見る。

 食べ物の裏側には、原材料表示がある。何が入っているか書いてある部分だ。

 トワの買った袋に入ってるポテトサラダの中身は、じゃがいもや、コーン、玉ねぎ、人参とグラタンによくある具材が入っている。

 ただキュウリだけ、あんまりないものだ。

「海外では炒め物になってるのもあるし、なにより、彩りになるから大丈夫だよ」

「わ、分かった」

 トワはポテトサラダの袋を開け、お茶碗に入れた。エビとグルグル混ぜている。

「混ぜ終わったら、上にスライスチーズをのせて、ラップをかけずにチン」

「今度はラップなし⁉」

「うん、ラップするとチーズがくっついちゃうから」

「ヒェエ」

「大体1分30秒くらいで、チーズ溶けてなかったら10秒ずつ追加ね」

「う、うん……」

 トワはおそるおそるスライスチーズをのせたお茶碗を電子レンジにかけた。

「タオルの準備です」

「あっ」

 トワは慌ててタオルを構える。しばらくして、チン、と電子レンジが鳴った。

「あ、今度は追加せずでいいかも。なんで?」

 緊張した顔で電子レンジを確認したトワが、首を斜めにした。

「最初のエビは凍ってたし、それまでレンジ使ってなかったから。今は、ポテトサラダの中野エビも、器も温かかったのがあるんだと思う」

「うぇえ、難しい……理科みたい」

 トワは高校生だから理科じゃなくて、生物とか科学では……?

「でもでも、これで完成でいいんだよね?」

 トワは完成したエビのポテトグラタンを見て目をキラキラさせた。

 お茶碗に入ったそれは、スライスチーズがトローリとろけている。

「そうだよ、トワが作ったんだよ!」

「私が……黒こげも、火事も起こさないで、無事に……出来るなんて……! うわあああああありがとうここなちゃん」

 トワは感動した様子で、一瞬だけギュッと私に抱き着いてきた。

 今までのことがとても不安になる単語が聞こえてくるのが怖いけど、よかった。

「た、食べたい、な」

 トワは私をチラチラ見る。

「お椅子に座っていただきますするなら大丈夫だよ。それにあったかいうちに食べたほうがいいし」

 するとトワは、お茶碗と私をチラチラすごい速度で見た後、「待ってて!」とお茶碗を置いて部屋の段ボールへ向かった。

 昨日、油を発掘した時と同じちらかり状態だ。

 床に置いていたのもそのままになっている。

 ──それに多分、お仕事忙しくてお家に帰れない時もあるし。

 トワ、色々苦手って言ってたけど、お仕事で時間がないのもあるのかも。

 ライブとかでダンスの練習で色々、疲れちゃうだろうし。

「あったー!」

 トワが戻ってきた。両手にはスプーンがある。

「どうしたのトワ」

「発掘してきた」

 発掘?

 発掘って化石のこととか言うんだよね?

 トワの来たほうを見ていると、段ボールがぐちゃぐちゃになっていた。

 た、たしかに発掘……。

 段ボールを眺めていると、トワは「これで、一緒に食べれる!」と笑みを浮かべた。

 あ、私と一緒に食べるために、スプーン探してくれたの?

「はんぶんこ! はんぶんこできる!」

 トワは小さい子みたいにはしゃいで、流し台に向かうとスプーンを洗い始めた。

 トワ、一緒に食べようって思ってくれたんだ。

 嬉しいな……。

「あわわわわ、あわわわわ」

 でもすぐに流し台が泡でいっぱいになるくらいになって、私は急いでトワを助けに入った。


「じゃあ、いただきまーす」

 流し台のアワアワ事件を解決した後、私はトワの作ったエビのポテトグラタンをわけっこすることになった。

「わー、ポテトサラダじゃない味する! 酸っぱくない! なんで? 甘い」

「ポテトサラダに使われているマヨネーズもじゃがいもも、温めると甘くなるんだよ」

「なんで?」

「ジャガイモに入ってるでんぷんが、熱で」

「ギャア! 勉強みたい! ヤダー! ご飯の時に勉強の話はヤ!」

 り、理不尽すぎる。

 トワが聞いてきたのに。

「もっと楽しい話しようよ! あっ! 学校! ここなちゃんの学校のお話しよ!」

「私の、学校?」

「うん! 好きな人とかいる? どんな遊びが流行ってるの? 怖い先生の授業とかどうしてる?」

 質問が多い……!

「悩みとかあるなら相談のるよ! 私! 高校生だし!」

 えっへん! とトワは笑う。

 リビングが段ボールでぐちゃぐちゃなのが気になるけど、私は思い切ってすばるくんについて相談することにした。

 トワは私の話を「うんうん」「ほあー」と返事をしつつ、すべて聞き終わると「大丈夫!」と私の目を見た。

「すばるくんは、一人ぼっちが好きな子じゃないよ! そして声かけも嬉しかったと思う!」

「え……?」

「すばるくんが嬉しかった……?」

「勿論! 一人が好きな子はいるよ? でも教科書見せてもらうのがイヤな子はいない! 自分が忘れたわけだし」

「じゃあ、どうして?」

「忘れた自分が悪いから、ここなちゃんの見せてもらうの、申し訳ないなって思ったんだよ」

 申し訳ない……?

 それって、どういうこと?

「私も忘れ物めちゃめちゃするから分かるんだけど、教科書半分見せてもらうとき、ちゃんと教科書持ってきてる子が、私に見せてるぶんだけ、半分見辛い思いするわけでしょ?」

「うーん」

 見辛いなーとは思わないけど。

 でも、半分見せるわけだから、席はちょっと変わっちゃったりするかも。

「ここなちゃんは、ちゃんと持ってきてるのに、自分のせいでここなちゃんが不便になっちゃうの、ごめんねーって思って、大丈夫って言ったんだと思う!」

「そ、そうかなー」

 だとしたら、気にしなくていいのになって思う。

「あと、恥ずかしいとか。どうして忘れちゃったのー自分! って思って、心の中でえいえいって自分のこと叩いちゃってるのかも」

「えぇ」

「でもこれは、私の想像。もし気になってたら、ここなちゃんの気持ちを伝えるといいよ

「私の気持ち?」

「うん。私はこう思ってて、でもその気持ちがヤダったら、教えてって。それでヤダって言われたら、ちゃんとやめる。そうすればここなちゃんはだいじょーぶ!」

 トワは「それにね」と続ける。

「今日、声かけてくれて嬉しかった。こうして料理教えてくれたのもそう。もしすばるくんがここなちゃんのことイヤでも、私はここなちゃん好き。だから、もしもって怖くなったら、私がいるって覚えてて」

「トワ……」

「配信、頑張るし! すばるくんとまた何かあっても! 配信見て元気出して! 私推しなら!」

 トワはコンビニにいたときよりずっと明るく話す。

 その姿を見て、私も元気になった。

「うん!」

 私は嬉しくなって「あ、そういえば」と付け足した。

「そのまま食べてもいい冷凍のもあるから、お野菜食べてね。お料理にしなくてもいいから。ミックスベジタブルとか、あるし!」

 トワを励ますために言うけど、トワは「うぇえ」と一気に嫌そうな顔をした。

「ミックスベジタブル嫌い。なんでここなちゃんいっぱいある野菜からそれを選ぶの……緑のバケモンのなかま?」

「ば、バケモンってなに」

「……グリーンピース」

 トワは低い声で、すごく早口で言う。

「トワ、グリーンピース嫌いなの?」

「緑のバケモンの名前をそんなに大きな声で言わないで!」

 さっきまで優しいお姉さんに見えていたトワだけど、なんだか今は……暴れん坊怪獣みたいな……。

 私は混乱しつつ、トワと一緒に作ったグラタンをたべた。


 トワとグラタンづくりをした翌朝のこと。

 私は教室ですばるくんが登校してくるのを待っていた。

「あ、すばるくん、おはよ」

「……ども」

 教室にやってきたすばるくんは、私にサッと会釈で挨拶を返してくれた。

「ちょっとお話があるんだけど、いいかな?」

 断られたらどうしよう。不安に思いながら、私はすばるくんを誘う。

 すばるくんは「ん」と、短く返事をしてついてきてくれた。

 私はすばるくんと一緒に、廊下へ向かう。

 あんまり人がいなくて、二人で話がしやすいところだ。

「ね、すばるくん。昨日のことなんだけどね」

 早速、昨日のことについて聞く。

「うん」

「教科書さ、すばるくんに見るって聞いたの? やだった?」

「いや……別に、なにも……」

「私、すばるくんの嫌がること、したくなくて。その、き、嫌われちゃったのかなって、思ってたんだけど……」

「え」

 すばるくんはびっくりした顔で私を見た。

 目をぱちぱちさせて、視線をきょろきょろ動かして、迷子みたいな顔をする。

 この顔は、誰かを嫌いになってる顔じゃない気がする。

「あのね、教科書見せてもらうの、苦手な人もいるって聞いたんだ。相手に悪いよーって、自分のこと、責めちゃうって。昨日のすばるくんって、そうだったりした……?」

「……っ」

 聞いた途端、すばるくんの表情ががらっと変わった。なんだか泣きそうな顔をしたあと、「ま、まぁ、だって、忘れた俺が悪いし、自己責任だし……もう小学生じゃないのに、良くないし」と、ぼそぼそ話す。

「うーん。でも、教科書見ないと、困らない?」

「うん。だから、ちゃんと困って、次、忘れないようにしないとだし、真昼さんは、忘れてないんだから、巻きこんじゃ駄目だし」

 ああ、トワの言う通りだ。

 すばるくん、私のこと嫌いなんじゃなくて、自分のこと心の中で叩いちゃう人なんだ。

「私は、一緒に見たいな。それに私も忘れちゃうことあるし、そうしたら……すばるくんに借りたいもん」

「え」

「私は、教科書ナシにしちゃうと、テスト本当に駄目になっちゃうし。だから、すばるくん今度教科書忘れたら、一緒に見よ」

「わ、分かった……」

 すばるくんは視線をきょろきょろさせながらも頷く。

「良かった! ありがとうすばるくん」

「べ、べつに、俺何にもしてないし」

「でも、お話しできて嬉しかったから」

「な、なんで?」

「だって嫌われてたかもって思ったし、すばるくんあんまり喋んないし」

「そ、それは普通に……喋るの苦手って言うか、む、無口だから」

 すばるくんに嫌われてないなら、隣の席だし話が出来ると思ってた。

 でも静かなのが好きなら、静かにしたほうがいい?

 こうして話しかけられるのも、しんどいのかな。

「ごめん、話しかけちゃったの、きつい……?」

「そ、そういうのはない。お、俺面白い話、出来ないよってこと。普通に、なんか、ガッカリさせるって言うか、じ、時間を無駄にするというか」

「そんなことないよー! それにおしゃべりは、誰かを楽しませるものじゃなくて、相手のことを知るツールって、トワも言ってたし」

 前にトワが配信で言っていた。

 確か、お悩み相談コーナーで、うまくお喋りできない、新学期どうしていいか分からないって子の相談に答えたときだと思う。

 おしゃべりは一人でするものじゃなくて、相手がいてこそだから、一人だけで背負わなくていいんだよって言ってた。

 私はお悩み相談を聞いていただけだけど、それから人と話すのがちょっとだけ楽になった。

「トワって……あ、スタパル?」

 すばるくんもスタパルを知ってるらしい!

「うん、知ってるの?」

「テレビ出てるなーと思って。あと、教室の人たちも話してるし」

「うん。そのスタパルのトワって子……ピンクの衣装着てる子が言ってたんだ」

「へぇ、そ、その子が好きなの」

「うん! 私トワ推しなんだ!」

「推し……推しって何? 最近よく聞くけど……好きとどう違うの」

 推しが、好きと、どう違う?

 一緒の意味……でも良い気がするけど、でも、ちょっと違う気もする。

 私にとっての推しは……。

 そう考えて、なんていいか分かんなくなった。

「うーん……好きな人を推しって言う人もいるけど」

「真昼さんは違う?」

「うん……なんか言いづらい、かも」

 友達への好き。お母さんの好き。スタパルのトワへの好き。お隣さんのトワへの好き。

 なんか全部、違う気がする。

 スタパルのトワが推し、っていうのは、絶対だけど。

 でもそれが、どんなふうに違うのか説明してって言われると、とっても難しい。

「そっか、じゃあ、分かったら教えて」

 すばるくんは言う。

 良かった。今答えを出さなくていいみたいだ。

「うん」

 私はすばるくんと一緒に教室に戻る。

 トワに相談して、実際にすばるくんと話をしてみて、嫌われてるかも……って誤解がなくなった。

 トワに話をして、良かった。それにすばるくんに自分の気持ちを伝えてよかった。

 でも……。

 推しと好きってどう違うんだろう?


 とうとう、トワのお料理生配信の日がやってきた!

 時間は夜の七時から。

 生配信のために出かけているトワのお家は、真っ暗になっている。

 私は自分の部屋のベッドで、スマホの充電を満タンにして、トワの動画が始まるのを待つ。


 トワの公式アカウントでは、生配信の告知があった。


『生配信緊張だ~‼ みんな成功するよう見守ってて~! 【お料理リレー配信】コンビニ食材でお料理するよ!【スタ☆パルチャンネル】URL/……』


 みんなトワの呟きにコメントを送っている。


:コンビニ食材たすかるー!

:この間のドラマでトワちにハマって今めっちゃ配信と動画見てる‼ 今度のライブ絶対行きます‼

:前回包丁怖かったけど今回トワだから安心して見られるわ


 みんなトワの料理を心待ちにしてる様子だ。

 安心していると、やがて配信の待機画面が切り替わった。

 パステルカラーの可愛いキッチンがうつるスタジオに、エプロン姿のトワがアップで映る。


『絶対あなたを幸せにするから、この手を取って! 大丈夫! スタパルのきらめきピンク‼ 星森トワです‼ よろしくお願いしまーす!』


 トワの登場と共に、「待ってたよー」と、コメントがどんどん更新されていった。


『今日作るのは、コンビニで買えるもので作るエビグラタン‼ ポテト入り‼ オーブンなしで電子レンジで出来るから、お料理苦手、包丁キライでも、作れるレシピだよ~』


 そう言ってトワは満面の笑みで手を振る。


『実はねえ、このレシピは、私のとっても大事な子に教わったの~‼ すっごくかわいくて優しい子なんだよ~‼』


 え。


:大事な子?

:これは後輩グループデビューの伏線では

:ドラマ出てる?


 コメント欄は、トワの後輩やトワとドラマに出てる人じゃないかと予想が並ぶ。


『だから、私のレシピってわけじゃないんだけど、すっごく美味しくって、これからも作るから、皆一緒にがんばろ‼』


 トワは手際よく魔法みたいにグラタンを作っている。

 最初の頃と全然違う。私よりテキパキしていて動きが早い。

 まるでお料理の先生みたいだ。


『わーい‼ 完成しましたー‼ みんな出来たよー‼』


 トワは出来上がったグラタンを手に、ニコニコ笑顔だ。

 良かった。放送事故にならなくて。

 ホッとしてると、トワがアップになった。


『見てる? 私ちゃんと出来たよ‼ 教えてもらったおかげだよー‼ ありがと‼』


 これもしかして、私あて?

 これ問題になっちゃったりしないのかな?

 慌ててコメントを見ると……、


:ありがとー‼ トワの大事な子‼

:ちょっと今からコンビニ行ってくる‼

:トワ、ちゃんとチンしてるとき洗いものとかしてて偉いなって思った。普段から自炊頑張ってるんだね。


 コメントのみんな、だいぶいつも通りだった。

 いつも楽しく見てた配信が……いや今回の配信も楽しかったけど、でも、なんだか心臓に悪いよ~。

 私は複雑な思いで、配信を見終えたのだった。



 配信が終わった私は、お風呂に入ってぼんやり過ごしていた。

 髪の毛を乾かしリビングで座っていると、お隣からバンバンバン! と窓を叩く音がする。

 びっくりしてお母さんを呼びに行こうとすると「ここなちゃーん」とうっすら声が聞こえてきた。

「トワ⁉」

 カーテンを開くと、トワの家の窓にトワがビッタリ貼り付いていた。

 私は急いで窓を開けた。するとトワも自分の家の窓を開ける。

「良かったーまだ起きてた」

「お、お、起きてたじゃないよ⁉ トワ近所迷惑になっちゃうよ」

「ハッ……ご、ごめんここなちゃん。ここなちゃんのお家ピンポンしようか悩んだんだけど、こんな時間にピンポンって、不審者っぽいじゃん? 怖がらせるのイヤで……だから、窓バンバンしちゃったの」

「それもそれで怖いよ‼」

「ふええ」

 トワは泣きそうな顔になった。生配信の時とは大違いだ。

「それで、トワ、どうしたの? お腹すいちゃった? それとも、何か、失敗を……?」

「違うよ‼ 生配信、ここなちゃんのおかげで上手く言ったから、ありがとーって言いに来たの‼」

 トワは「ありがとここなちゃん‼」とニッコリ微笑む。

「ううん。トワ……配信すごかったよ‼ 素敵だった」

「えーここなちゃん見てくれてたの⁉ 嬉しい‼」

「う、嬉しいって……と、トワ、生配信中に、レシピのこと言ってたよね……」

「うん、ここなちゃんに届け‼ って思って。だって私だけの頑張りじゃないし‼ ここなちゃんのおかげで成功したから」

「あ、私も……ありがと」

「ん?」

「トワのおかげで、すばるくんとお話できたんだ。ま、まだ友達ってわけじゃないかもだけど、お話、できた。ありがとう」

「えー‼ やったじゃん‼ 良かったぁ」

 トワはホッとした顔で、「心配してたんだぁ」と優しく笑い、「ありがとって言ってくれて、ありがとね」と改めて私を見る。

「え」

「元気出た。すっごく嬉しい……じゃ、おやすみ‼」

 トワは最後に満面の笑顔で手を振ると、窓を閉めた。最後にもう一回バイバイしたあと、カーテンを閉める。そのすがたは、配信で見たライブの終わりみたいだった。


 トワの料理配信は、ネットで話題になった。

 そして私の教室では……、

「トワの痛バ作った‼ 見て‼」

「え、めっちゃかわいい」

「でしょー、あ、トワの缶バッジデコったの? リボンついてるー‼ 手先やば」

「大変だった~。ねぇ海どうだったの」

「それがさ、写真撮るときトワのアクスタ鳶に取られちゃうとこで」

 トワ推しじゃなかったりスタパルにあんまり興味が無かった子も、料理配信がきっかけで、話をするようになった。

 痛バというのは、痛バッグの略だ。

 透明な部分があるバッグに、推しの缶バッジとかを沢山つけたり、推しのぬいぐるみお座りさせたり立たせたりする。

 人によって痛バは色々ある。私は……あんまりしない。缶バッジも、リボンをつけて飾ったりはせず、一つだけ買ってそのまま机の上に飾ってる。

 アクリルスタンドも、持っておでかけはしない。

 お部屋に飾る。

 お部屋にたくさん並べて写真をアップしてる人もいるけど、そういうこともあんまり。

 ちょっぴり、いいのかなって不安になる。

 私これでいいのかな。

 トワ推しって言っていいのかなって。

「私この間、ママの知り合いのトワ推しさんたちと集まってアフタヌーンしてきたよー」

 そう言ってスマホを見せてくれたのは、最近トワ推しになったらしい、みっちゃん。

 画面には、キラキラした真っ白なお部屋とテーブル、ソファーがあった。

 テーブルにはずらーっとトワの缶バッジや、カード、アクリルスタンドが並んでいる。

 数は……300個くらい?

 長くて大きなはずのテーブルの隙間が全然見えない。三段あるケーキスタンドには、一段ずつトワのグッズがのっていた。

「みっちゃんすごいよー私よりグッズ持ってるかも」

 ほかのトワ推しの子が言うと、みっちゃんは嬉しそうに笑った。

「だって推しは推せる時に推せって言うし、私の推し活の本番は100万円使えるか、だから‼」

 推し活の本番は、100万円も使ってから……。

 む、無理だ……。

 なんだか居心地の悪さを感じていると、「あ‼」と自分のスマホを見たみっちゃんが目を輝かせた。

「トワからいいね来た‼」

 みっちゃんが「やったー」と声を上げる。

「なんでトワからいいね来るの?」

 ほかの子たちがびっくりする。

「毎回コメントするもん‼ 番組とか配信も全部するし‼ ファンレターもガンガン送るしね‼」

 みっちゃんの言葉に、みんな「すごーい」と盛り上がる。

「ってか、今日の午後、トワ撮影するっぽいね。休憩時間に見てくれてるのかなー? いつか会ってお話してみたいな」

 みっちゃんは目をキラキラさせている。トワみたいだった。

 思えば私って、ネットにあるような推し活、全然してないかもしれない。

 スタパルのキーホルダーはつけてるけどランダムがちょっと怖くてしてないし。

 ほかの子たちみたいにお出かけもしないし。

 コメントもしない。

 何言えばいいのかとか失礼にならないかとか考えて、送れなかった。

 今トワと話が出来ているのは、自分でも信じられないけど、「トワの家火事になっちゃう」とか「放送事故になっちゃう」って思うから、出来てる。

 トワの役に立ってると、思う。

 でも今までの推し活、どうだったんだろ。。

 いや、トワはアイドルだし私なんか全然何が出来るのってところだけど。

 とても複雑……。


 放課後になって、私は皆と帰らず一人で帰ることにした。

 みっちゃんと話をしてから、授業の内容があんまり頭に入ってこない。

 帰り道を歩いていると、駅の近くで人だかりが出来ていた。

 なんだろう?

 不思議に思って近づけば、和菓子屋さんの前でカメラを持った人たちや、すごく難しそうな機械を前に腕を組む大人がいっぱいいた。

「ドラマかな」

「映画かも?」

 カメラマンさんたちを眺める周りの人が話をしている。どうやらなにかの撮影みたいだ。

「田中ひろし……? ああ、同じクラスの──こういう表情で、どうでしょう?」

 トワだ‼

 撮影するスタッフさんたちに紛れるようにして、黒髪ロングヘアのウィッグをかぶったトワが練習していた。

「うん。トワちゃんバッチリだよ‼」

「ありがとうございます」

 スタッフさんと話すトワは、お部屋をぐちゃぐちゃにしていたり、お皿が無いとキョトンとした顔で言うトワとは全然違う。

 配信で見る雰囲気とも違う。真剣そのもの。

「でもトワちゃん、この間はごめんね、共演の女優さん、キツかったでしょう」

「全然大丈夫です‼ 厳しい? のは、仕事を真面目にしている証拠ですから‼」

「そっか、ありがとう。大の甘党らしくて、甘いもの差し入れしておけば機嫌良くなると思うから、こっちでもサポートするね」

 スタッフさんのフォローにトワは会釈をした。

 トワ、厳しいプロデューサーさんともお仕事してるんだ。

 そして、甘党……。

 なにか出来ることは無いかなと思うけど……。

 でも、ファンレターとか送って、グッズを買うほうが応援になるよ……ね。

 私は、考えを全部消しちゃうつもりで、後ろに下がる。もう早く家に帰ろうと、トワから視線を逸らした瞬間──、

「‼」

 トワとバッチリ目が合った。

 私はドキッとするけど、それはトワがいたとか、感動のドキドキじゃない。

 手を動かしたら、そこに友達がいて、ぶつけてしまった、みたいな感覚だ。

 私は目が合ってないふりをして、その場から逃げるみたいに去っていった。


 家に帰った私は、スマホを開いた。

 見るのはトワのアカウント。

『撮影がんばるぞー‼ みんな応援してね‼ 今日のヘアメイクも衣装も超かわいーんだ!  衣装はネタバレになるから見せられないけど‼』

 大きな黒いジャンパーで自分首から下を隠すトワの自撮り。元気の出るいつもの笑顔。トワの投稿の下には、トワを応援するコメントでいっぱいだ。

:撮影⁉ ドラマか映画か分かんないけど絶対見る‼ 続報待ってます‼

:スタパルの最強レッドがてるてる坊主になっちゃったって聞いたんだけどフォームチェンジです?

:色々可愛いのは勿論だけどあなたが可愛いんだわ。ってかこの間の公演行った。トークいい。バラエティ増やしてほしい。

:ヘアメイクさん天才すぎ‼ トワ超可愛い‼ 最高の推しが見れて幸せ‼ ありがとう‼

:今日仕事でめちゃくちゃへこんでたけど生きてて良かった。

:トワちゃん今日も素敵だね。最近めっちゃ投稿してて助かるけど無理しないで。頑張り屋だから心配だし、無理しないでって言っても無理するのがトワな気もするけど、生きてるだけで幸せだから。本当に。

 そのコメントに続くように、みっちゃんのコメントがあった。アイコンで分かる。

:トワ最高‼ 生きててくれてありがとう‼ これからもずっと応援する‼

 私はみっちゃんのコメントを見て、トワの投稿にコメントするボタンを押そうとする。

 ──いつも、ありがとう。

 だめだそれは皆と一緒。

 ──好きだよ。

 ありきたりな気がする。

 ──応援してる‼

 言う資格、私にある?

 結局私は何もコメントすることなく、スマホをソファに置いた。



  コメントとか応援とかについて考えるようになってから。

 私はスタパルやトワの投稿を見るより、トワのファンの投稿を見ることが多くなった。

 なんとなく、苦しくて。

 本当は私、トワのこと好きじゃなかったり……するのかな。

 そんなことを考えながら、朝、教室でボンヤリしていると、机をトントン、とシャーペンで突かれた。

「……ど、どうしたのすばるくん、ご、ごめん、わ、私何かしちゃった?」

「いや……普通に何もしてないけど、ここ最近、具合でも悪いのかと思って、保健委員だから、言わないといけなくて」

 すばるくんは私に顔を向けつつも、私の机を睨むように言う。

「保健委員?」

 聞き返すとすばるくんは黙ったままシャーペンを自分に向けた。

 もしかしてこれ、自分のことだよ、って言ってる?

「え、すばるくんが保健委員なの?」

「うん。転校してきたから四月の委員決めの時いなかったから、免除になってて、保健委員やってた人がどうしてもやりたくないらしくて、やることになった」

「ええ……大変だね」

「まぁ、別にそこまで大変じゃないけど、だから、具合悪かったら、保健室の先生に言うけど」

 どうやらすばるくんは心配してくれていたみたいだ。

 最初にシャーペンでツンツンされた時は怒られるのかなと思ったけど、違ったみたいだ。誤解しちゃって申し訳ない。

「実は……具合悪いとかじゃなくて」

「本当に?」

 すばるくんは何だか厳しい口調で聞いてくる。

「……じ、実は、悩みがあって。悩んでて」

「悩み? あ、じゃあ、教室出たほうがいいか」

 すばるくんは独り言を言うみたいに立ち上がった。そして教室を出て行く。

 私は慌ててついて言った。

 心配してくれてたみたいだし、ちゃんと言わなきゃ駄目かな?

 迷惑になったりしないかな。でも言いかけて黙ってるともっと心配かけちゃう気がするし。

 すばるくんの後を追って辿り着いたのは、前にすばるくんと二人で話をした場所だった。

 私は勇気を出して、すばるくんに今までのことを話す。

「実は、私、スタパルの好きって言ってたじゃん。でも、なんかグッズとか全然買えないし、いいなぁって思っちゃって。自分駄目だなーってなって」

「夕島?」

 夕島は、みっちゃんの名字だ。

 でもここでみっちゃんだけって言うと、駄目な気がする。なんか喧嘩したって誤解されちゃうし。そもそも私、みっちゃんのこと見てるだけだし。

「みっちゃんだけじゃなく、ネットのみんな、いっぱいいるから。グッズいっぱい買って、トワの為になってる人。いいなとかすごいって思ってたけど、今はこうしなきゃとか、そういうの思うようになっちゃって……」

「こうしなきゃも何も、夕島は無理でしょ」

「そ、そうなんだけどね……おうち、すごい感じだし……」

「うちすごいって言うか、夕島がすごいじゃん」

「うん」

 それは分かってる。みっちゃんはすごい。だから……見てて辛くなる。すると「プログラミングのオリンピックプロとなんで自分のこと並べてんの?」とすばるくんは私を見返した。

「え」

 プログラミングのオリンピック?

 なにそれ。

「プログラミングのオリンピック、ってなに」

「パソコン動かす奴。情報の授業でするじゃん。夕島、プログラミングの高校生以下しか出れない大会で優勝してて自分でアプリ売ってる奴だけど、知らなかったの?」

「え、知らない」

「だから優勝賞金とか、中学生はバイト出来ないけど子役みたいな感じで、夢に向かって動くことはできるから、そのお金でグッズ買ってるんじゃない?」

「そうだったんだ……」

「ネットでは、悪口言われてるみたいだから、大変そうだけど」

「えっ」

 みっちゃんが悪口を?

 なんで?

「ど、どうして? みっちゃんが悪口なんて、く、クラスの誰かがネットで言ってるの?」

「違う。無関係の他人。優勝してるけど、そこまで強くないんじゃないかとか、ずるしてるとかそういうの、コメントするらしい」

「ひどい……なんで」

「羨ましいがだんだん、妬ましいに変わって、こんなに幸せならちょっとぐらい悪口言ってもいいって、やるんじゃない?」

 私、みっちゃんについて何も知らなかった。

 家がお金持ちなのかなとか、勝手に決めつけて羨ましいって思ってた。

 だけど、悪口言うなんて酷いって思う。

「でもなんですばるくん知ってるの?」

「インタビューで読んだから」

「すばるくんもプログラミングに興味があるの?」

「ちがう、クラスメイトの名前、全員ネットで検索してるから知ってるだけ」

「なんで⁉」

「転校してきたばっかりで、皆のこと何も知らないから」

「あ、なるほどね……」

 確かに、転校してきて何にも知らない中でお喋りするのって大変だし。

 それに部活とかで大会に出てる人もいるから、大会出てたねとかそういう話も出来る。

 でも、まさかみっちゃんがプログラミングでアプリを作って、それで推し活していたなんて。

 私なんにも知らなかった。

「夕島のこと、羨ましいって思うかもしれないけど、同じにならなくていいと思う。同じだと、大会の意味とかなくなるし」

「大会?」

「だってプログラミングのオリンピックでみんな夕島だったら、順位を決めたりするんじゃなくて、ただの夕島発表会じゃん。競う必要ないし。つまんないでしょ。そんなの」

「確かに……」

 大会って順位があるから大会だもんね。

「それに、グッズ買うファンだけ欲しかったら、グッズ屋さんになってるだろうし。そもそも、言われたの?」

「言われたって?」

「いくら以上使ってください、みたいな。別に本人に聞いたわけじゃないんだからさ、役に立たないかどうかなんて」

「……でも」

「好きでいていいかどうかは、相手が決めることで自分で決めることじゃないと思う」

 すばるくんの言葉に、私はトワの投稿を思い出した。

『撮影がんばるぞー‼ みんな応援してね‼』

 みんな。

 みんなって、みんな……でいいのかな?

「だから、スタパル? のトワ? が好きなことで疲れて離れるのもいいけど、離れても疲れるなら、追いかければ」

「すばるくん……」

「まぁ、僕には関係ないけど、でも、一番最初にスタパルについて話してたし、そこまで好きなら、そんな、離れなきゃって頑張らなくていいと思う。一般的に考えて。」

「一般的……? すばるくんの考えは違うの?」

「僕はまぁ、そっちが、楽だったらいいなとは思う。どうするかは、決められない。責任取れないし。好きにしたらいい」

 すばるくんは、サッと会釈して去っていった。

「あ、ありがとうすばるくん‼」

 ──好きにしたらいい。

 好きにしていいのなら。

 私は、このままの私で、トワを推したい。


 すばるくんと話をして、心がフワッと軽くなった私は、学校が終わって家に帰るとリビングで過ごしていた。

 今までちょっと避けてたトワの動画を見るぞーと意気込んでいると、ピコッと通知が入る。

 トワの呟きだ。

『アニメとか漫画のお菓子作りって、味が失敗の時と爆発しちゃう失敗の時あるけど、あれってどこが分かれ道??』

 え。

 めちゃくちゃ怖いこと呟いてない?

 なんでお菓子作りで爆発なんて言葉が入ってくるの?

 私はリビングのカーテンに視線を向ける。

 カーテンや窓の先にはトワのお家。

 そこでトワは……爆発するかもしれないお菓子を作ろうとしてるってこと?

 何を作ろうとしてるの?

 不安になった私はそーっとカーテンを開けた。

「換気、換気」

 トワは独り言をいいながら自分の家のリビングの窓を全開にする。

 そして消火器をリビングのテーブルにドン、と置いた。

 次にトワは大きなバケツをテーブルに置いた。ビチャッと透明な水が跳ねた。

 嫌な予感がする。

 ピコン。

 握りしめていたスマホが振動する。

『フライパン、電子レンジ、炊飯器、どれが一番爆発するんだろう』

 トワの投稿を見た私は、自分の家の窓を大きく開いた。

「待って! 私にお手伝いさせて!」




「ここなちゃん最近忙しそうだったからさー、嬉しい~えっへへへへへ」

 トワのお家のキッチンで、変わった笑い方で嬉しそうにするトワ。

 しかし、リビングは消火器があるしお水がいっぱい入ったバケツもあるし、いざとなった時にかぶるヘルメット、逃げる防災リュックまであった。

 トワの笑顔とトワの状況全部合ってなくて怖い。

「えっと……な、何をしようとしてたの?」

「実はね、共演者さんで仲良くなりたい人がいて、手作り大丈夫な人らしいから、なんか作って差し入れしようかなって」

 私はトワの言葉を聞きながらトワの撮影を見かけたとき、トワとスタッフさんが話をしていたやり取りを思い出す。

 ──でもトワちゃん、この間はごめんね、共演の女優さん、キツかったでしょう。

 ──全然大丈夫です‼ 厳しい? のは、仕事を真面目にしている証拠ですから‼

 ──そっか、ありがとう。大の甘党らしくて、甘いもの差し入れしておけば機嫌良くなると思うから、こっちでもサポートするね。

 もしかしてあの会話のことかな?

「そうなんだ! 何を作るかは決めて……る?」

「うん。共演者さんの好きなココアを使いたいんだけど、配信のスタッフさんが、おうちに炊飯器無いっていったらプレゼントしてくれたから、それを壊しちゃわないお菓子がいいんだ」

 トワは嬉しそうに台所の炊飯器を指した。

「あと、もう一個大事な条件があるの!」

「なに?」

「爆発してお家ひっくり返っちゃわないやつと、ここなちゃんのお家まで燃えやしちゃわないやつ」

「じゃあ、電子レンジを使ったレシピにしよっか。抹茶パウダーは……」

「材料、これかなーっての買ってきたの? 残ったら後で全部飲んじゃえばいいやつ!」

 そう言ってトワはパンパンのレジ袋から牛乳と、チャックで閉じる抹茶パウダー、ココアパウダー、ホットケーキミックスを取り出した。

「卵ってある?」

「卵は毎日あるよ! 卵かけご飯を食べるからね。最近はお塩で食べるのがこだわり」

 トワは堂々と言う。確かに卵かけご飯は爆発したりしない。最初に聞いたときは戸惑ったけど、今思えば、大事なことだったんだ。

「油は?」

「ある!」

「お砂糖は?」

「あ、スティックシュガーでいいかな? お家に人が来た時の為に買ったの! 紅茶とかコーヒーはまだなんだけどね」

 そう言ってトワは30本入りのスティックシュガーを取り出した。でもまだ大きな袋も開いてない。

「じゃあ、ホットケーキミックスでガトーショコラ風のケーキをつくろうかな?」

「え、ガトーショコラってチョコ使わなきゃ駄目だよね? ココアしかないよ?」

 トワは不安そうにする。

「ココアでも大丈夫、チョコを使ったお菓子とはまた違うけど、チョコだとしなきゃいけない湯煎の工程を飛ばせるし」

「湯煎?」

「うん。チョコレートを生地に混ぜるときは、お鍋とか鉄のボウルに熱いお湯を用意して、さらにもうひとつ鉄のボウルを用意して、そこに刻んだチョコを入れて溶かすんだよ。それを生地に混ぜるんだけど、冷めてくるとチョコはまた固まってきちゃって、でも、湯煎の時は火傷に気をつけなきゃで……色々あるんだ」

「ここなちゃんのお話聞くの好きだけど……湯煎聞いてると、なんか……自分駄目ですって思っちゃうかも……」

 トワはしょんぼりして、ぷるぷる震えはじめた。

「大丈夫、ココアにはそれがないんだ」

 私はテーブルに、長い菜箸、お茶碗二つ、炊飯器のおかま、ホットケーキミックス、スティックシュガー、牛乳、卵、抹茶パウダーとココアパウダーを並べた。

 ホットケーキミックスはコンビニに売ってる200gの3袋入りのモノ。

 牛乳は500mlで、冷蔵庫の開いたところにあるものより、ちょっと小さい。

 ココアパウダーは30gで、どこのスーパーでも見つけられるやつ。

 でも、ココアパウダーも牛乳も、あまる気がする。

 そしてトワのお家では計量器が無い。

「トワってさ、ホットケーキミックス200gの半分使ったとしてもう半分すぐ使う……?」

「お勉強じゃないときは数学の話しないでほしいな……」

 トワは遠くを見て、弱々しく、疲れ切った目で笑う。

 今そんな難しい数学の話してないよ⁉

 200って言っただけなのに。

 でも、トワがこういうなら、計らなくていいようにしたほうがいい。

「じゃあ、ホットケーキミックスは200g一袋のを使い切ろう。牛乳は500mlパックのやつだから……3分1を気合で。卵は2つ。こうすればちょっぴり牛乳が多くても固まるから。ココアパウダーも、3分の1ね。30gのだから」

「え、計らなくていいの?」

「うん。大きい1リットルの牛乳だとまた話変わってくるけど……今回はこれで大丈夫」

「へぇ」

「ということで、まず炊飯器のお釜にホットケーキミックスとココアを入れてみて」

 私はトワに「これとこれだよ」と材料を渡した。

「うん……」

 トワはおそるおそるホットケーキミックスを炊飯器のお釜にいれ、ココアパウダーを入れた。

「そうしたら、まずは粉だけ混ぜるの。先に牛乳とか卵とか水分を入れると、だまになるし、ココアも混ざり切らないから。今回は菜箸だから、混ぜるの大変だし」

 本当は泡だて器があると便利だけど、洗うのが面倒だったりしてトワがしなくなっちゃう気がする。

 菜箸を使うことは苦手じゃないみたいだし、今回は菜箸でいったほうがよさそう。

「ダマ……か分かんないけど、ココアとか粉のスープ、あれ私下手なんだ。混ぜるの。上が薄くて下がドロドロでさ」

 トワが「うぅー」と目をぎゅっとつぶった。

「最初に粉入れて、そのあとお湯を少しだけいれて、グルグルって混ぜると、多分そこまでにならないよ」

「今回なっちゃったらどうしよう」

「私がいるよ」

「そっか、ここなちゃんがいる……ね」

 トワはホッとした顔で私と目を合わせた。安心するように私も笑うと、彼女は「がんばる」とココアパウダーとホットケーキミックスを菜箸で混ぜる。

「じゃあ、二分くらい混ぜたら、卵を入れます。本当は牛乳と卵だけ混ぜたほうがいいんだけど……」

「大変かも……」

「だよね……」

 トワならそう言うと思った。

「なので、さっきホットケーキミックスとココアパウダーを混ぜたお釜に、卵を入れてまたグルグルします」

「はーい」

 トワは卵をひとつ割り入れた。卵かけご飯を毎日食べてる、といっていたけど卵を割るのはすごく上手だ。そのあと菜箸でグルグルしていく。

「ど、どうしよう固いよう」

「大丈夫。卵もう一個入れて」

「う、うん……あれ、まだ固いかも……」

「そうしたら牛乳をちょっとずつ入れて、混ぜてってするの」

 生地はたくさん混ぜすぎると、膨らまなくなっちゃう。

 でも最初はこれくらい混ぜればいいかって考えるのは難しい。

 それに今回、卵を二つ使うレシピだ。

 卵には生地をふわふわにさせる効果がある。

 混ぜすぎても卵でなんとかなるし、元々ホットケーキミックスには生地を膨らませる材料が入ってる。

 ちょっと失敗しても、問題ない。

「牛乳は、三分の一なんだよね……」

「うん。三分の一かどうかは、パックの残りを見てもいいし、生地でも分かるんだ」

「生地でも?」

「うん。食べ物で例えたほうが本当はいいかもしれないけど、チューブで出した絵具、ヨーグルト、マヨネーズくらいの柔らかさになれば大丈夫。牛乳を入れて、水分無くなったら足してって? ちょっとずつでいいからね」

「おっけい……」

 トワはそーっと牛乳を足して、ぐるぐる混ぜる。「うーん」と頭を悩ませて、またそーっと足して、ぐるぐる混ぜた。

「これくらい?」

 しばらくして、トワは菜箸を混ぜる手を止めた。

 炊飯器釜の生地は、菜箸で混ぜた後がうっすら残って、じわーっと消える。

 丁度いい柔らかさだ。

「うん。そうしたら、このまま炊飯器の窯に入れて、ポチってするだけで大丈夫だよ」

「なんかこの炊飯器色々モードがあるみたいだけどどうしたらいい?」

「ケーキってあればそれだけど、普通にご飯炊くみたいな炊飯モードで大丈夫」

「おっけい……」

 トワは慎重に炊飯器に釜を入れて、蓋を閉じてボタンを押した。

「ば、爆発しないよね」

 そして、目をぎょろぎょろ動かしながら私に聞いてくる。

「大丈夫。炊飯器が料理のせいで爆発するのは、水分が多すぎるときとか、量を沢山いれ過ぎた時とか、ほうれん草とか葉っぱのものをいれた時とかだから」

「ほ、ほうれん草駄目なの? 私と同じで葉っぱキライなの?」

 ほうれん草は野菜であって葉っぱじゃない。

 いや、葉物野菜ではもちろんあるけど、トワの言い方だと木とか雑草をイメージしてしまう。

 キライって言ってるし。

「炊飯器って、蒸気とかが出るんだけど、その穴をほうれん草とか、菜の花とか、小松菜とか、ひらひらしたお野菜が塞いじゃうことがあって、出ていけないよーって……爆発しちゃう」

「ヒエエ……じゃあ葉っぱは食べないほうがいいんだね」

「ほうれん草はあく抜きしなきゃいけないから、大変かもだけど、冷凍のはもうそういうの済んでるからチンして食べてもいいよ」

「そこまで頑張って食べなきゃだめ?」

「家庭科で鉄分が豊富って習ったよ。レバーもあるけど」

「レバニラは好き。レバニラでほうれん草食べなくてもいいようにする」

 ふへへ、とトワはアイドルの時はあまり見ない笑い方をする。

「そして、これからどうすればいいの?」

「もうこれで、ちゃんと焼けたら完成だよ」

「えー! エビグラタンより楽な気がする!」

「確かにそうかも」

 あれは確かにエビを電子レンジでチンしたり、することの種類が多かった。

「じゃあ、焼くまで動画見よう! 私の出てるやつ!」

 トワはササっとリビングに走っていこうとする。私は「まーだ」と止めた。

「この時間に、菜箸を洗って、お片付けしよ」

 材料がまだ出しっぱなしだ。お菓子作りも料理作りも、道具と材料を片づけて、終わり。私はトワと一緒に炊飯器が炊けるのを待ちつつ、お片付けを始めたのだった。

 

  ピーッピーッピーッ

 トワとお掃除が終わってすぐ、炊飯器から音が鳴った。

 冷蔵庫に買ったものをしまったことで体力を全部使い切り、うつ伏せで床にぐったりしていたトワは「できたー⁉」と立ち上がり、炊飯器に向かってダッシュした。

「トワ待って、炊飯器を開けると湯気が出てくるから火傷しちゃうよ」

「ギャギャ‼」

 トワは炊飯器に向かっていた足を急に止め、ビャッと猫みたいに後ろに退いた。「怖いよー」と私の腕をギュッと握る。

 そこまで怖がらなくて大丈夫だけど、ダッシュしちゃうしあんまり大丈夫って言わないほうがいい気もする。

「よしよし、顔を近づけなきゃ大丈夫だよ」

 私は菜箸を手に、炊飯器のボタンを押した。こういう危ないものは、私が先にしたほうがいい。パカッと炊飯器の蓋が開くと、むわっと蒸気が広がった。

「うわーココアのいい匂いがする」

 トワはふっくらと膨らんだココア色のスポンジを見て目をキラキラさせた。

 私は菜箸でスポンジの真ん中をズドン、と刺す。

「ギャアアアアアアアアア⁉」

 トワが怪獣みたいな声で叫んだ。スポンジを刺したのにトワが刺されてるみたいだ。

「どしたの」

「だって刺しちゃうから‼」

「こうして菜箸を刺すんだよ。つまようじだと蒸気で火傷しちゃうし、竹串はおうちに無い……よね?」

「ない」

「竹串買って、そのあと使……」

「わない。なんにも刺さないから。アイドルは何も刺さないの。危ないことは好きじゃないの……ファンの皆の好きを否定しないけど……」

 トワは私をおそるおそる見る。

「私も別に何かを刺すのが好きなわけじゃないよ‼」

「だって炊飯器開けてすぐ嬉しそうにして刺したじゃん‼ 刺すの好きなんでしょ‼」

「こうして刺して確認してるんだよ。菜箸にべっとりした生地がくっついてるとまだ焼けてないから、炊飯器でもう一回焼くの」

 ほら、と私はトワにスポンジから引き抜いた菜箸を見せる。

「何にもついてない……ってことは完成?」

「うん。冷めたらまな板にひっくり返して出して、前後左右を切るんだ。そして上と下を切って、正方形にするの。その後は、さらに細かく長方形に切ったりして、プレゼントしたいサイズにすれば大丈夫」

「ほわー‼ じゃあもうグルグルもしなくていいの?」

「そうだよ」

「完成?」

「切ったらね」

 そう言うとトワは「ヤッター‼」と、子供みたいに喜んだ。


 差し入れ用のガトーショコラ風ケーキは、綺麗に切った真四角のものをラッピングした。

 そして私とトワは、残ったはじっこのケーキを分けっこして食べることにした。

「わーい! 私も食べられるの嬉しい! いただきまーす!」

 トワは嬉しそうにケーキにフォークを刺して、そのまま一口かぷっと食べる。

「あまい! ふわふわ! しっとり! おいしい!」

 子供みたいな言い方に、笑うのを我慢しているとトワは「なんだー!」と不満そうに私を見た。

「いや、トワ、ちっちゃい子みたいだから」

「ちっちゃい子って⁉ 私もう高校生なんだよ⁉ ど、どういうこと?」

「だって……お片付け……」

「確かにお片付け下手だけど、色々大人だもん。コンビニも一人で行けるし、一人で電車に乗れるし、カフェだって一人で入れるよ」

「へえ……」

「疑ってるの? まぁ確かに、ファンの人にバレないようにってセルフレジだから、店員さんとのやりとりは何か……苦手になっちゃった感じあるけど」

「ファンの人にバレたくないのは、私と最初に会ったときみたいな理由?」

「勿論だよ! ダメダメだってバレたら嫌われちゃう!」

 トワは首をぶんぶん振る。

 嫌われないと思うけどな……。

「トワはファンの皆のこと……好き?」

「もちろんだよー‼ 私は、どんなファンの人も好き。私のこと好きな人はみんな好き。相手がどんなに困ったさんで、周りの人がやだなぁって思ってる人でも、私のこと好きなら、私は大好きだよ」

「トワは、優しいね」

「ううん。助けてもらってるから。私は、皆に応援してもらって優しくなれてるだけ」

「え……」

「私が歌うとファンの人が、曲の間にハイっって言ってくれたり、私が踊ってるの、他のファンの人が見てるの邪魔しないように、小っちゃく真似してくれたりすると、届いてるんだなっていうのが、わかって嬉しいの」

 ──嬉しいとさ、ちょっと人に優しくなりたいな~って思ったりしない?

 トワは目を細めながら聞いてくる。

 私は小さく頷いた。

「ある、かも」

「そういう時、優しくなりたいなーって思うし、ひとりぼっちじゃないって思う。勿論、じっと見てくれるひとも嬉しいよ。目でわかるから。私のこと応援してくれるって。会場にいない人も、嬉しいいてくれたらそれだけで嬉しい。全然応援出来ないって思わないでほしい。私もほら、出来ないことあるし」

 確かにトワは出来ないことがある……けど、コンビニのお料理で嘘つこうとしたし。

 悪いことするし、苦手も多いし完璧じゃないかもしれないけど、素敵だなぁと思う。

 トワのこういう所が好きだ。

 今までトワの生配信の言葉とか、ステージでの姿とか、キラキラなところをいっぱい見てきたけど、そういう輝きのもとは、トワのこういうところに繋がっている気がする。

「トワは、優しくて強いんだ」

 さっきの言葉を少し変えた。でもトワはゆっくり首を横に振る。

「強くないよ。怖いのいっぱいあるし」

「お片付け?」

「お片付けもあるけど、スクープとかあるし」

「エ、トワ、スクープされちゃうの?」

「されることはしてないよう‼ そもそも、スタパルが恋愛禁止だからとかじゃなく、私、スタパルのファンじゃない人、怖いもん。誰かと付き合うなんて出来ないよ~」

 スタパルのファンじゃない人が、コワイ?

 スタパルは大人気だけど、知らない人もいる。好きじゃない人も……。その人たちが皆コワイってこと? 

「それにファンの人も、怖くなるときあるし」

「え、ファンもなの? なんで?」

「だってホラ、がっかりさせたらって。私のこういうところ見て、完璧アイドルじゃないって……お片付け下手だし、でもテレビではお掃除が上手そうなアイドル、お姉さんになってほしいアイドル、叱ってほしいアイドル第一位とってるし……う、嘘つきって、いなくなっちゃう……」

 トワはブルブル震え始めた。唇も、腕も肩も全部スマホみたいに震えている。

「トワを応援してる人がいなくなる時は、多分、自分がダメダメだ~って考えて、いなくなっちゃう気が……するけど……ね」

 私はそーっと話す。

 ここ最近の、推し活についての悩み。

 スバルくんに言われて少し元気になったけど、あれが続いていたらちょっと離れてたかもしれない。

「自分がダメダメって? ここなちゃんがそんな風に思うってこと?」

 トワは直球で聞いてきた。

 誤魔化したいけどあまりに真っすぐ見つめられて、はぐらかせない。

「CDはお小遣いで買ってるけど、ライブ、全然行けないとか」

「いや、中学生はわりと多くない? 保護者さん同伴だし、大人の予定もつけなきゃいけないから。っていうか大人でもお仕事忙しいとか、色々病気があるとか、身体が痛いとか、ライブが全てじゃないし」

「う……」

 トワの言葉があまりに真っすぐで、私は返事が出来なかった。色々考えて、「コメントできないし、出来たとしても、多分無難なことしか言えないし」と呟く。

「無難って何?」

 トワの返事が早いよー!

 普段、お片付けとかお掃除の話をすると「ビャビャビャ」とか「えっとね、えーっとね」と言っていなくなるのに。

「……お、おめでとうとか、すごいとか」

「そういうのって無難なの? 私はすごく嬉しいよ」

「お、推し部屋、作れなくても」

 そう聞くと、トワは黙った。やっぱり、いっぱい貢献できるファンでいるべき……と悲しくなっていると、トワは「たとえばね」とガトーショコラ風ケーキを指す。

「一個のステージがあったとして、そのチケットを一人の人がぜーんぶ買っちゃうと、ステージは一人なの。ファンが一人しかいなくても、私は勿論、全力でするよ? でも、その人一人が、私が応援してほしいよー‼ 見てほしいよー‼ って気持ち、背負わなきゃいけなくなっちゃう。それは、その一人に対してすっごく、辛いことになっちゃわないかなって、思う」

「辛い……」

「自分だけがいい、ならまた違ってくるけど、自分が支えなきゃって思うのは、ちょっとあけ苦しいことだから、それに私の気持ちは多分、こうして分けっこしたほうが、苦しくない。だから、私は色んなファンの人に見てもらいたいよ。私のこと分けっこ出来るように」

 トワを、分けっこ。

 私、ファンの皆と繋がって、トワを分けっこして支えてる……ってこと?

「それに、ほかのファンのこと見る時間があったら、私のこと見てよ」

「え……」

「ファンなら、私のことだけ見ていて欲しい。私だけ見てて?」

 トワは私の手をぎゅっと握った。

「そんなこと言われたら、悪いファンになっちゃうかもよ」

 ネットで見るすごいファンと同時に、こうしちゃだめだよってファンも見る。

 迷惑かけたくない。するとトワは、「ふふ」と大人のお姉さんみたいに笑う。

「ここなちゃんがほんとにダメな子になっちゃったら、事務所が止めるよ。周りのひとも止める。ここなちゃんのお母さんも。だから、ここなちゃんがしなきゃいけないことは、これ大丈夫かな? って考えた後、不安になっちゃうんじゃなくて、止めてくれる人を探すこと。今いる? そういう人、お母さん以外に」

 問いかけられて、すばるくんの顔が浮かんだ。

 彼なら止めてくれるかもしれない。

「大丈夫そうだね」

 トワはテーブルの上にのせていた私の手を握手とは違う触り方で握った。

「私推しなら、安心して、私のことだけ見てて」



 翌朝、私は早速すばるくんにいつもより明るく挨拶をした。

「おはようすばるくん」

「……はよ」

 すばるくんはサッと会釈と共に、挨拶を返してくれた。

 いつも会釈だけなのに、なんか、話すの大丈夫って言ってもらえた気がして嬉しい。

「すばるくん、私ね、トワ、好きなんだ」

 なんか、突然言うのも変だけど。

 こう伝えるのが一番いいのかなって思った。

「ふーん」

 すばるくんはあんまり興味なさそうに返事をする。

「ありがとね、すばるくん」

「別に何もしてない」

「すばるくんの言葉で元気出たから」

「出ること言ってない」

「私は出たの。だから、ありがと」

 もう一度お礼を言うと、すばるくんは「べつに」と言いつつ、少し雰囲気が柔らかくなった気がした。



 トワとガトーショコラ風ケーキを作ってから、しばらくして。

「さよ獄のトワめっちゃやばくない! 演技やばって思ってさぁ」

 授業が始まる前のこと、教室で誰かが言った。さよ獄は怖い漫画のこと。

 私が前に見かけたトワの撮影が、どうやらそのさよ獄の実写映画だったみたいだ。

 見てみたいと思ってたけど、怖い。

「すばるくんホラーって平気?」

 私は隣の席のすばるくんに話しかける。本を読んでいた彼は「場合による」と短く答えた。

「どういう場合は大丈夫?」

「幽霊とかおばけとか、怪物? 宇宙人出てきたりはいいけど、あんまりグロいのは、好きじゃない。あと、あんまり大きい音出されんの嫌い」

「そうなんだ! 映画館は」

「それも場合による」

「どういう時がイヤ?」

「煩い、ドンみたいな、音で脅かしてくるのは嫌い。突然耳もとで大きい音出されると、びっくりするじゃん。それがキツい」

「へぇ……」

 確かに、ドキドキするもんね。車のブレーキの音とか、心臓がギュってする。

「普通に静かに怖いのは問題ない。だから本は煩くして来ないから好きだし、マンガも読む」

「じゃあさよ獄も読む?」

「好きだよ」

「えー、こ、怖い?」

「なんだろう。さよ獄はホラー映画っていうより人間が怖いというか、シリアルキラーものに近いからホラー映画っていうかお化け屋敷を期待して見に行くと多分違う、ってなるかもしれない。心理サスペンスとかそういうシナリオ運びだし。たださよ獄の実写化って映画監督が他人に実写化されてめちゃくちゃにされるくらいなら俺がするって言ってスポンサーおどして出版社に乗り込んでいった話だから今いち傾向が読めないって言うか……」

 すばるくんは早口で話しながら考え込む。

 しかしすぐにハッとして、「ごめん」と謝ってきた。

「なんでごめん? すばるくん何も悪いことしてないよ?」

「だってなんか、話し過ぎたから」

「うーん。分からない単語とかは確かにあったけど、でも、色々お話してくれて嬉しいし、すばるくんが好きなもののお話ししてくれるの嬉しい」

「なんで?」

「だって誰かの好きなものの話、楽しくない?」

「……普通、興味ないものの話をされても楽しくない……ものでは。っていうか好きなものを話すほうが、楽しいんじゃない? そっちだったら、スタパルとか……知らない好きを話されても、迷惑かなって」

「そうなのかなぁ」

 私は、あんまり通じなくても、誰かが自分の好きを話してるのを見るのが好きだ。そういうのが好きなんだって相手のことを知れるし、どうして好きなのか聞けるし、相手の好きをしればこれも好きなのかな? っていっぱい考えられるし。

「私は、すばるくんのこと知らないし、すばるくんの好きなもの好きじゃないかもしれないけど、すばるくんが好きなものの話をしてるときは楽しいよ」

「ふーん」

「だからすばるくんが良かったら、聞きたい」

「……わかった」

 すばるくんは、一瞬だけ私と視線を合わせた後、スッと席を立つ。耳がほんのり赤い。

「ん、どうしたの、具合悪い?」

「普通に、トイレ……普通に」

 そう言ってすばるくんは教室を出て行った。聞いて悪いことしちゃった。すばるくんはただトイレに行くだけだったのに。

 反省していると、後ろから「はーあどうしようかなぁ」とみっちゃんの声が聞こえてきた。

「どうしたの?」

「最近、トワの配信見てお腹すいちゃってさ、お菓子食べてたら太っちゃったかも。だから痩せなきゃなぁって」

「えー、みっちゃん全然太ってないよー」

「そうだよ。すっごく細いし!」

「でも3キロも太っちゃったんだもん」

 みっちゃんはがっくり肩を落としている。

「こんなんじゃトワに会えないよー」

「そんなことないよ」

「そうだよ、何にも問題ないよ」

「いやーダイエットしなきゃなんだよー、今ネットで流行ってるやつとかも食べなきゃだし、その分食べるの駄目だし……はーあ」

 みっちゃんはため息をついて、「ちょっとウォーキングしてくる」と、しょんぼりしながら教室を出て行った。

 みっちゃん、3キロ増えたんだ。でも一番最初にみっちゃんを見たときと、今のみっちゃんと、本当に変わった気がしない。

 3キロってどこから来たんだろう。

 不思議に思っていると、「なんかやだね」と、さっきまでみっちゃんと話をしていた女の子たちが呟いた。

「ね、みっちゃん。全然太ってないのに」

「みっちゃんが太ってたら、みんな太ってるしトワに会えないよ」

「なんかさ、みっちゃんがアレで太ってるんだったら、私たちはみっちゃんにとってどう見えてるんだろ」

「トワと会えないってことは、嫌ってことだよね?」

「……ね」

 みっちゃんのいない間に、女の子たちはどんどん表情を険しくしていく。

 私は不安を覚えながら、女の子たちの様子をうかがっていた。


 みっちゃん大丈夫かな。

 心配しながらおうちに帰る。今日お母さんは仕事だ。

 きちんと手を洗ってうがいをした後、そのままリビングのソファにばふん‼ と突っ込む。

 お母さんがいると出来ないから。

 そうしてゴロゴロしていると、視線を感じた。

 今、おうちにいるのは私だけ。

 不思議に思って辺りを見渡すと──、

「ギャッ」

 トワがいた。

 トワのお家の窓にべったりはりついている。

 私は慌てて窓を開けた。

「トワ何しているの⁉」

「えへへ、実はこの間、ガトーショコラ風ケーキ、スタッフさんたちも美味しかったって言ってたんだけど、ここなちゃんのおかげで、お料理対決することになって……」

「えー‼ トワすごい‼」

「ここなちゃんのおかげだよー‼ それでね、お仕事はすごく、嬉しいんだけど……その……もう、三分くらいですぐ出来る、誰も死んじゃわないの教えてほしいなって……」

 誰も死んじゃわない料理。

 大事だけどお料理ってもっと、楽しかったり色々考えるものでは……?

「と、トワ、お料理……苦手?」

 今まで、たまご焼きとか、えびグラタンとか、ガトーショコラ風ケーキをトワと作ってきた。

 でも、トワが自分で作っているのを見たことが無い。

「何食べた?」って聞くと、「ロケ弁貰ってきたんだー‼」とニコニコ笑顔だし、「たまごかけご飯に、最近はケチャップをつけるのが、好き」と教えてくれて「良かったー‼」って私は喜んでいた。

 トワが嬉しそうだと私は嬉しくなるから。

 でもトワ、お料理、苦手なまま……?

「お料理はさ、ここなちゃんいるし、ね」

「えええ……で、でも、覚えていたほうがいいよ」

「私が、ここなちゃんの家の子になるか、ここなちゃんの家の子に、私がなるとか」

「どっちも同じ意味だよ‼」

 それにトワが私のお姉ちゃんになるってこと?

 びっくりだよ‼

「トワの家族もびっくりしちゃうよ」

「どうだろう」

「ねえ、チンして食べるのとか、コンビニで買う食べ物で、苦手なものが混ざってるときはない?」

「あるよ。グリーンピース。いっつもいる本当にイヤ」

 トワはうんざりした顔をした。

 本当は苦手をなくすほうがいいけど、でも、今はトワの説得に使えるかもしれない‼

「そういう時に、自分で作ると、好きに出来るよ!」

「なんで」

「ピラフとか、グリーンピース抜きに出来るんだよ。トワが作れば! トワ勿体ないの嫌いでしょ?」

「むー……」

「カレーだって、自分で甘口作れば大丈夫だよ!」

「カレー……確かに……」

「それに失敗しちゃっても大丈夫‼ カレーのルーを入れたら、何でも、カレー味になるから‼ ちょっぴり塩辛くなっちゃったら、水で薄めてカレーを入れちゃえばいいんだよ。だから、料理うまくなくても、挑戦はしていこう?」

「うーん……」

 トワは唇を突き出し、つーんと尖らせた。

「ねぇトワ、他にも苦手とか嫌いはある?」

「煮た鶏肉がイヤ……あと、正直お野菜は……仕方ないな……元気になるための、引き換え……と思いながら食べてる」

 トワって野菜、あんまり好きじゃないのかも。

「引き換えって……あ、アレルギーは?」

「? 花粉症かなぁ、なんで?」

「食べ物にもアレルギーってあるんだよ」

 トワは「へぇ」と不思議そうにしている。

 知らなかったらしい。

「花粉症で死んじゃうことは少ないけど、食べ物とかのアレルギーは死んじゃうことも多いんだよ。喉がギュって詰まったりして。だから食べ物の裏に、このアレルギーの人は気を付けてって書いてあるし」

 私はトワの持ってきてくれたお菓子のパッケージをひっくり返す。

 そこには、小麦粉、卵、牛乳、に赤いラインが引かれている。

「ほら、トワのくれたお菓子には小麦粉とか、卵とか書いてあるでしょ。小麦粉とか卵が駄目な人が食べると、危ないんだ」

「へえ……味とか、触感が駄目なのとは違うんだ」

「そうだよ。だからトワのアレルギーあったら知りたいなって思ったんだけど……今まで食べててアレ? って思ったこととか、病院で言われたことはある?」

「ないや」

 じゃあ、大丈夫かな。

「そういえば、お料理対決のお料理ってなに?」

 質問すると、トワはニッコリ笑ってこう言った。

「お野菜‼ だから、すごく、つらい」 


 トワはお野菜を元気の引き換えとして食べている。

 だったら、普段の「元気の引き換え」に食べてるものはなんだろう?

 そう思って冷蔵庫を開けると、お野菜室は空っぽだった。

「トワ、お野菜は……」

「冷凍庫です‼」

 聞いた通り冷凍庫を開くと、そこにはチョコレートのアイスがいっぱいあった。

「お野菜……どこ?」

「お野菜? 見えないようにしてる。見るのも……辛いからね」

 トワは顔を青くしながら、冷凍庫に入っているアイスをはじっこに避けた。奥深くに、冷凍ブロッコリーとほうれん草の袋がある。

 アイスで隠してたんだ……。

「じゃあ、冷凍のブロッコリーとほうれん草を使った料理にしよっか」

 両方コンビニで買えるから、配信でも作りやすいだろうし。

 それにトワも……これから作れるだろうし。

「両方使うの? お野菜だよ。お野菜の味になるよ」

 なのにトワはちょっと嫌そうな顔をする。

「1日、350gくらいのお野菜を取るといいんだよ」

「そんな法律はないよ」

「ないけど……取ったほうがいいんだって。家庭科の教科書にあったから」

「うちには重さはかるもの、ないもん。わかんないもん。わかんないならもう、出来ないもん」

「葉っぱのお野菜とか玉葱とか大根とか人参とかパプリカとかピーマンとかを、トワの両手でいっぱい、を三回分くらいかな」

「わ、忘れちゃうもん……」

 トワは目を泳がす。

「じゃあずっと言うよ」

「ギエエエエエ」

「ギエエエエエじゃないよ。ほら、なるべく食べやすいようにするし……」

 そう言って冷蔵庫をのぞく。中にはケチャップがあった。

 前までは卵しか入ってなかったのに。

「ケチャップ?」

「うん。たまごかけご飯にね、入れると、おいしい。ここなちゃんも真似していいよ。トワクッキング。お腹の中でオムライス」

 ふふん、とトワは得意げに話す。

「今度ね」

「お野菜やめて今日でもいいよ」

「今日はお野菜だよ」

 私は台所でトワのお茶碗とお箸、ラップを並べた。ケチャップ、そして冷凍のほうれん草とブロッコリーも並べる。

「使うのはこれね」

「ほうれん草とブロッコリーの変わりにご飯とたまごにしたらダメ?」

「ほうれん草とブロッコリーのかわりにグリーンピースとグリーンピースにしてもいいよ」

「両方グリーンピースじゃん‼」

 トワは「やだー」と私の腕を掴む。かわいそうだけどトワのためだ。

「さて、お茶碗にブロッコリーとほうれん草を半分くらい入れて、表示の通りにラップでチンします」

 私は準備をして、電子レンジにお野菜入りお茶碗をかける。チーンとすぐに鳴った。

 火傷に気をつけながら取り出す。

 ラップはまた使うからちょっとだけはがす。

 そして、ケチャップを野菜全体に円を描くようにぐるーっと一周。

 お箸でかき混ぜて、ちょっとほうれん草とブロッコリーの緑が見えるくらいの量がちょうどいいとき。

 後で食べたときに足しても大丈夫だけど。

「また、ふわっとラップかけて、10秒くらいチンするの。ふわっと感は、この間の、ポテトサラダでつくったエビグラタンのときと同じだよ」

「なんでもう一回温めるの?」

「ケチャップは温めると、甘くなるんだよ」

「最初にほうれん草とかブロッコリー入れるときに一緒は駄目?」

 トワが首を傾げた。

「そうするとケチャップが飛び跳ねて危なくなったりするんだ。ブロッコリーとほうれん草は凍ってるけど、ケチャップは冷蔵庫にいるから、先に熱くなっちゃって」

「爆発、する⁉」

 トワが怯える。大丈夫だよ、って言ってあげたいけど、大丈夫じゃないときもある。「順番を守れば怖くないよ」とフォローしていれば、チン、と音が鳴った。また火傷に気をつけながら、そーっとレンジから取り出す。

「これで完成?」

「うん、これで完成。お野菜はケチャップと一緒に食べて、美味しいなーって思うものなら何でも大丈夫。コーンとかでも、なんでも」

「へぇ……料理って、こういうのだけでもいいんだ」

「うん。ケチャップはトマトとか玉葱が入ってるし、勿論、トマトそのまま食べれるならそのままのがいいけど、お野菜にも色々あるから」

「ほわー……じゃあ、ケチャップ飲むと健康?」

「それは絶対駄目‼」

 トワがとんでもないことを言うのですぐに止めた。

 爆発はちゃんと怖がるのに、なんでこんな怖いことポンポン思いつくんだろう。

「こういう、ちょこっとしたお野菜少しずつ食べるほうがいいよ。毎日のことだし。ほら、トワもケチャップずっと飲むの飽きちゃわない?」

「飽きないよ」

 トワが真顔で答える。

 怖いよー‼

「絶対だめだよ。ケチャップ飲むの。約束して」

「その約束守ったら、なにかいいことある?」

「ええ」

 これはトワの為なのに。

 なんで?

「いいことってなあに」

「うーん、たとえば、ここなちゃんのおうちの子にしてもらう、とか?」

「トワのおうちが困っちゃうよ」

「困らないよーへへ」

 トワはなんだか、さみしそうに笑う。

 なんだか胸がギュッとして、私は慌てて言葉を変えた。

「それにほら、ファンだし、私はトワの。それにほら、何にもこう、特技ないし、うちお金持ちじゃないもん。ファンとしてもちょっと、あれというか」

「あれってなあに?」

「なんて言うんだろう、ファンです‼ って言えないファンというか、可愛くないし」

「ファンに可愛いなんて求めてないよ。というか、可愛いって何?」

 かわいい、の塊みたいなトワが聞いてきて、私はつい言葉に詰まってしまった。

「え、可愛いってトワみたいにかわいい子」

「アイドルだからね」

 トワは即答した。 

「ファンだって、可愛いほうがいいんじゃない?」

「なんで?」

 トワはまたまた即答する。

「ええ、だって可愛いって、いいことだよ、ね……?」

「うん。アイドルは可愛いからね」

「なら、ファンだって」

「だってファンの皆にはマネージャーさんもいないしメイクさんもいないしスタイリストさんもいないし照明さんもいないし音声さんもいないしお弁当のスタッフさんもいないしアシスタントさんもいないし、他にも色々、皆がいないよ」

「お、え」

 よく分からない……多分お仕事の名前が出てきて、私は混乱した。

 トワは「アイドルの可愛いは一人で出来てないし、ファンはだもん」と、普段の弱々しい感じや、テレビで見るキラキラな感じでもない、でも、真面目な感じで話す。

「ファン……にこうなってほしいは、ないの? こういうファンがイイみたいな」

「生きててくれればいいよ。死んじゃっても好きだけど」

「なんだろ、本当に、こういう子がいいとかはないの?」

「ない。私のこと好きなら、みんな好き。動いてたら動いてるなって思うし、止まってても好き。姿はどうでもいいよ」

 トワの言葉に、みっちゃんのことを思い出した。みっちゃんは、このままじゃトワに会えないと言っていた。

「ほ、ほんとに? た、体型とかも」

「うん。どうでもいい」

「痩せてたほうがいいとかもないの?」

「ないよ。軽ければおうちに持って帰りやすいな。重ければ台車でおうちに持って帰ろうかなって思うだけで」

「も、持って帰るって何」

「ファンのみんなが好きだから、おうちに持って帰っちゃおうかなって思う。握手会の時。でも、全員持って帰るとおうちがパンパンになっちゃうから、我慢してる」

 トワはいつもたまごかけご飯づくりを話す時みたいに「ふふん」と得意げな顔をした。

 なんか……トワって、ちょっと変わってる……?

 怖い、感じに……。

 でも、ファンのみんなが好きだというトワの言葉は、安心する。

「ファンの人、みんな好きだよ。たとえそのファンの人が、みんなに嫌われてダメダメでも、私のこと好きな人は、好き。だいじだいじ‼」

 ニコ、とトワは笑う。さっきはちょっぴり怖かったけど、その笑顔はすっごく輝いていた。

 トワのお野菜配信。

 電子レンジで作るブロッコリーとほうれん草のケチャップ合えは、今までトワと作った料理のなかで、たぶん一番簡単。

 私はグラタンのときより安心だなーと、放送の日を待ちわびていた。

 だけど、不安なことが起こった。

 みっちゃんのことだ。

 みっちゃんは、有言実行のごとくダイエットを始めたけど、その内容はいろいろすごかった。

 お弁当は野菜とお肉でご飯抜きの日とか、お水しか飲まない日があったりとか。

 一週間で4キロも減ったとみっちゃんは話をしていて、女の子たちは盛り上がった。

 お話を聞いた先生は「危ないよ」と注意したけど、みっちゃんは聞かなかった。

『ネットであるような怪しい薬を使ったダイエットじゃないから大丈夫』

『病院で使う薬を勝手に使うような、悪いダイエットじゃないから大丈夫』

 だけど、その後すぐみっちゃんは体調を崩して、十日以上休んでしまったのだ。

 その後、元気になってまた学校に来るようになったみっちゃんだけど──、


「ねぇ、休んでいる間の話なんだけどさ」

 朝のホームルーム前。

 みっちゃんが、教室で女の子に話しかける。

「あ、ごめんみっちゃん、その話はまた今度ね」

 でも、女の子たちは、びっくりしたような顔をしたあと、さっといなくなってしまった。

 みっちゃんは「わかったー……」と言いつつ、どこかしょんぼりしている。

 みっちゃんが休んでから、うっすら、クラスの女の子の間で変な空気になった。

 皆、みっちゃんがダイエットで体調を崩したことを、「そういうこともあるんだね」「怖いね」と最初は心配していた。

 でも、みっちゃんのお休みの分、誰かが授業のグループ発表でフォローに入ったりとか、そういうことが増えた。

 みっちゃんと仲良しだった子たちが、「そういえばみっちゃんってさ」「前から思ってたんだけどさ」と暗く盛り上がり始めたのだ。

 推し活にすごいお金を使ってるとか。

 住む世界が違う感じがするとか。

 推し活が好きなんじゃなくて推し活してる自分が好きなんじゃないか、とか。

「みっちゃん」

 だから、私はみっちゃんに話しかけるようになった。

 私はみっちゃんとトワへの応援の仕方が違うし、トワへの好きも違うかもしれないけど。

「あ、ここなちゃん」

 話しかけたみっちゃんは、ふわっと顔を明るくした。

「身体の調子は、どう?」

「うん。だいぶ戻って来た」

「良かったぁ」

「でも、病院で怒られちゃった。無理なことしないで、病院で言われてないのに痩せようとしないでって」

 みっちゃんは落ち込んでいる様子だ。

「元気が一番だからねー……」

「うん。でも、推し活もあるからさー」

 その言葉を聞いて、ハッとした。みんなとのこともあるけど、多分みっちゃんは、まだトワを推すための、みっちゃんの考えるみっちゃんになりたいのだ。

「うーん。変わりたいって思うのはいいことだけど、元気じゃなくなって、ライブとか行けなくなったら、それは……どうなんだろ」

 みっちゃんの気持ちを、否定したくない。

 だって、頑張ろうとしていたわけだから。

 手段はすごく、駄目というか、やっちゃいけないことだったけど。

「ん──……」

 みっちゃんは視線を落とした。

 ちょっとだけホッとする。

 だって、「関係ない!」とか、「私頑張ってるのに!」と、言いたくなる気持ちもあるだろうから。

 でもやっぱり、健康じゃなくなるようなことは、やめてほしい。

「トワ、前に、配信で、どんなファンでも好きって言ってたよ」

「アイドルなら、そう言うと思うんだけどね……トワ優しいし。でもそれに甘えず……トワの前に立てる私でいたいし」

「それは、そうなんだけど、甘えてもいいんじゃないかな……」

「え……?」

 みっちゃんは、目をぱちくりさせながら私を見る。

「トワ、私を見ててって、ファンに言ってたし、もちろんみっちゃんがみっちゃんのこと見て、頑張りたいって思うのは、いいと思うけど、トワのことも、トワの気持ちも、見るっていうか、トワがどんな姿のファンでも私を見てって言うなら、ファンとして、叶えて、あげたい……という……」

 上手くいえないや。

 全然まとまらない。

 思えば小学校の頃も作文苦手だったし。

 私、トワがいなきゃクラスに馴染めてもないし。

 みっちゃんみたいな、自分の意見をハッキリ言える子と喋るなんて絶対できないし。

 アワアワしていると、みっちゃんは「うん……」と首をななめにした。

 駄目だったのかな。

「ご、ごめん。なんか、上から目線というか、ごめんね」

「いや、ちがくて、トワの気持ちも見るって、たしかに、そうだね。私……勝手にトワの気持ち、決めつけてたかも」

 みっちゃんは「うーん」と目をつむったあと、「駄目だー!」と明るく、トワみたいに言った。

「トワにはトワの気持ちがあるもんね。トワが応援してほしい、見てって言うなら、ちゃんと、元気でいなきゃ駄目だよね」

「うん」

「ありがと、ここなちゃん。ちょっと気が抜けちゃった」

「え?」

「ご飯抜くのやだなー、でもトワのためだしなーって、ちょっと苦しかったから」

「そっか」

 みっちゃんは、ダイエットがしんどかったみたいだ。身体を壊すくらいだし。

「私、トワのこと、ちゃんと見る!」

「うん」

「ありがとね、ここなちゃん」

 みっちゃんは改めてお礼を言って、微笑む。その笑顔は、少しだけトワに似ていた。


 そしてやってきた休日。

 とうとう、トワの配信だ。

 夜8時、ドキドキで配信を待っていると、画面がいつもと違うクッキングスタジオに切り替わった。


 スタジオにいるのは、生配信の進行役をするらしい司会者さんと、トワ、トワと対決するすご腕と評判のお料理インフルエンサーさんと、実食をしてどっちがいいか比べる審査員さんたちだ。


『絶対あなたを幸せにするから、この手を取って! 大丈夫! スタパルのきらめきピンク‼ 星森トワです‼ よろしくお願いしまーす!』


 クッキングコスチュームに身を包んだ、いつものトワの挨拶。

 これこれ、私は心の中で拍手した。

 配信が始まる前からコメントは賑わっていたけど、トワが表示されるとさらに盛り上がって、コメントがずらーっと流れていく。


『今日はお料理対決! ですね。星森トワさんは普段アイドルとして活躍されていますが、お料理の配信がバズって、今……再生数は200万再生だとか』

『はい、ありがとうございます!』

 

 司会者さんの言葉に、トワは満面の笑みを浮かべた。


:おめでとー!

:238万再生。絶妙に四捨五入しづらい。

:グラタン作りました。調理実習以来料理してこなかったけど全然大丈夫でした。

:トワちゃん可愛い;;だいすき;;


 コメントも、トワの言葉に反応してる。


『さて、そんなトワさんと対決するのは……女子大生ながら料理動画を投稿し、SNSの総フォロワー数200万人超え! まさにシンデレラガールと名高いふゆみーなさんです‼』


 次に司会者さんが紹介したのは、トワと雰囲気の違う、ちょっぴり大人しそうなお姉さんだ。200万人もフォロワーがいるなんてすごい。


『よろしくお願いします。料理大好きで、小さい頃からずーっと作ってるので、実は今日、自信があります。頑張ります』


:かわいー

:大学行きながらしながら動画ってすご

:芸能人?

:お料理関係の大学なのかな? トワヤバいじゃん‼


『今日は、お野菜対決‼ お野菜が苦手なお子さんに向けて、二人にはお料理を作ってもらいます‼』


 司会者さんの言葉を合図に、バーンと、画面いっぱい食材が映りこんだ。


 そこには色とりどりのお野菜のほか、ナッツやお豆腐、お肉にお魚と様々な食材が並んでいる。


『今回は、ご家庭で再現できるよう、冷凍野菜も準備しておりますのでご安心くださいね』


 司会者さんの言葉に、コメントの流れが早まった。


:良かった。

:たすかる

:こういうので出てくる調味料一生使わん

:今日の食材は、デン‼ メロンパンもありなんかこりゃ


 トワとちょっと似てる考えが……ある?


『さて、普段料理動画を投稿中のふゆみーなさんは何を作るのでしょうか?』

『節約時短お手軽アクアパッツァで‼』

『ひゃー、映えますねえ』


 どうしよう、お野菜って聞いてたからお野菜メインのお料理を伝えたけど、ブロッコリーとほうれん草のケチャップあえって、ちょっと地味な気が……。


 アワアワしていると、トワが『質問イイですかー』と手を上げた。


『トワさんなんでしょう』

『審査員さんで、アレルギーがある方、いらっしゃいませんか?』

『あ、僕ナッツ駄目です』


 トワの質問に、審査員さんの一人が手を上げた。トワは『はーい、教えてくださり、ありがとうございます』と、ペコリとお辞儀した。


:かわいい

:かわいい

:かわいい

:おいマネージャーコメント見てるか? スタンドが売れるぞ


『それでは、早速調理開始‼』


 ピーッと司会者さんが、体育で吹くような笛を吹いた。トワと女子大生インフルエンサーのふゆみーさんが、一斉に調理を開始する。


 トワはすぐ冷凍庫に向かった。冷凍で下処理が済んでいるブロッコリーとほうれん草、そしてコーンを手に取っている。


:ブロッコリー?

:ほうれん草は小松菜でも代用できますか?

:もう美味しそう

:今日のトワも可愛いよ‼ ありがとう‼


『おーっと、見事な魚捌きですねー』


 一方、インフルエンサーのふゆみーさんは、お魚をさばいていた。


:魚さばけるのやばすぎ

:解体ショー?

:やば

:最近の大学生すごない?



 ど、どうしよう……。


 私のせいでトワ、負けちゃうかもしれない。


 ソワソワするけど、トワはニコニコ笑顔で料理を作っている──かと思いきや、


『完成です‼』


 すぐ出来てしまった。


 うん。出来ちゃうよね。だってトワがすぐ出来るように、そして毎日色んなお野菜で作れるようにって伝えたレシピだから。


 でも配信ってこと、すっかり忘れてた。


 こういうのって、映えとか、そういうの必要なんだよね……?


:トワ出来上がり爆速

:爆速のトワ

:トワ昔から着替え早いよねメイキング爆速だし

:トワは何でも早い完璧

 

 コメントは大丈夫そうだけど……。


『トワさんは、野菜を温めて、ケチャップで和えたんですね』

『はい。私お野菜、あんまり得意じゃないんですけど、教えてもらって』


 トワまた私の話してる……。


 言わなくていいのに。


 でも、トワが負けちゃうなら私のレシピって広まったほうがいいのかな。


 トワの考えたレシピだと、負けちゃうのもっと嫌だし……。でも私のせいでトワが負けちゃうのも嫌だよー。


『あ、待ってください‼』


 それまで司会者さんとお話していたトワが、あっと声をあげた。


『それ、ナッツです‼ あぶない‼』


 トワが指す先が、アップになる。


 インフルエンサーのふゆみーさんが、ナッツを砕いているところだった。


 するとふゆみーさんは、『あ、なんで言っちゃうんですかトワさん‼』と驚いた顔をする。


『トワさん、勝負だからって、酷いですよ! バラしちゃうなんて』


 ふゆみーさんの言葉に、トワは『え』と戸惑った。


『でも、ナッツ使ったら……』

『はい。だからコッソリ入れようとしたんです』

『駄目ですよ! 絶対! アレルギーは命に関わるんです! 死んじゃうかもしれない!』


 トワはすぐにふゆみーさんの前に立った。ふゆみーさんは、『ええ?』と首をかしげる。


『なんで死んじゃうんですか? ナッツが嫌いすぎてですか? 大人なんだから、そんな』

『違うんです。アレルギーは好き嫌いじゃない。その人にとっては、危なくなってしまうものなんです!』


 トワは必死で訴える。ふゆみーさんは『えぇ』と周りを見渡した。本当にアレルギーについて知らないみたいだ。


:俺アレルギーあるやつ食うよ

:個人差あるけど普通に死ぬ

:危ないところや

:トワいなかったら放送事故じゃんこれ


『ふゆみーさん、好き嫌いとアレルギーはまったく別の話なんです。死んでしまうこともあるんですよ』


 すると、審査員の一人が声をかけた。


『ぼく、小さい頃、親に嫌いな野菜を刻んで食べ物に入れてもらったりしてたよ。ふゆみーさんも、同じように克服させてあげようとしたのかな』

『はい……』

『でも、さっき言った通り、アレルギーと好き嫌いは、別。アレルギーがある人に、お医者さんもいない中で、勝手に食べ物を入れるのは絶対にしてはいけないことなんだ』

『……』

『それにできれば好き嫌いはないほうがいいけど、どうしても駄目なら、似た栄養が取れる食べ物を探したりすればいい』


:どうするのこれ

:死ぬところよ

:まずい

:というかみんな大丈夫か?


『勝負は中止にしよう』


 審査員さんが言う。


:どうするのこれ

:死ぬところよ

:まずい

:というかみんな大丈夫か?


『では、今回の勝負は……中止ということで、よろしいでしょうか、トワさん?』


 司会者さんがトワに聞く。トワは真面目な顔で『はい』と頷いた。


『画面を見てる皆さん、アレルギーについては、お医者さんに聞いたりして、考えてくれたらなーって思います。いまはネットでいーっぱい情報があるけど、広まるうちに変わってきちゃうこともあるので』


:うんうん

:アレルギー怖いんだな

:調べるわー

:審査員さん大丈夫でよかった


『そして好き嫌いはあるかもですが、無理せず! 頑張るのも必要ですけど、駄目ってときは駄目ですし……あ、でもでも! 画面を見てるちびっこのみんな、あんまり周りの人を困らせちゃったら駄目だよ、どうしてもって時ね』


:画面をみてるちびっこわかったか

:はーい

:わかったー!

:ニンジンだけ! ニンジンだけゆるして!


 ど、どうしよう。なんだかとんでもないことになってしまった……。

 アレルギーがあった審査員さんは、まだ食べてないから大丈夫だよね?

 トワ、大丈夫かな。

 不安に感じながら画面を見ていると、『では本日はこれで終了で……』と、そこで配信は終わったのだった。


 配信から一時間後のこと。トワがSNSを更新した。

──今日は配信を見てくださってありがとうございました。

 普段よりもずっと控えめで、落ち着いた雰囲気の呟き。

 出来なくて悔しいとか言っちゃうと、ふゆみーさんを責めちゃうし。ごめんなさいって謝ると、謝ることしてないのにトワを謝らせたって、ふゆみーさんを責める人が出てきてしまう。

 アレルギーについて念押ししても、そう。

 だから、こんな感じなのかなーと想像してみる。

 答えは分からない。しばらくして、ふゆみーさんのSNSが回ってきた。

『アレルギーに対しての私の発言、および行動でファンの方々にご不快な思いをさせてしまい申し訳ございませんでした。反省しています。これからはアドバイスのもと、気を付けていきます』

 うーん。

 ご不快じゃない気がする。アレルギーって安全のことだから。

 考えていると、追加のメッセージが回ってきた。

『私は、お母さんやお父さんにそういうことを教わっていたので、ついやってしまいました。トワさんに助けて頂いて良かったです。お母さんやお父さんがいない人ならではの視点だと思いました。ありがとうございました』

 え?

 トワにお母さんとお父さんがいない?

 ふゆみーさんのその投稿は、ふゆみーさんの謝罪文よりずっと早い勢いで伸びている。

 トワはそんなこと、今まで一言もいってなかった。

 トワ、お母さんとお父さんがいないから……うちの子にって言ってたってこと?

 そういえば、お家も一人で住んでるし。

 私は、トワ推し。全部見てるわけじゃないけど、お母さんやお父さんのことを話ししていたら、絶対覚えてる。

 もしかして、誰にも言ってなかったこと──?

 そんな予想を裏付けるみたいに、生配信が終わった後、トワは家に帰ってこなかった。

 翌朝、スタパルの所属している公式アカウントで『所属タレントのプライバシー情報、製作中の話を第三者に流布することは、ご遠慮してください』と、投稿があった。

 お母さんに聞くと、流布っていうのは、広めること。

 つまり人がお話してくれたことをネットに書いたりしたらだめ、ってことで、トワは広められてしまったのだ。

 それからまたまた10日と経っても、トワはおうちに帰ってこなかった。

 トワが家に帰らなくなって、とうとう一か月が経ってしまった。

 ネットは普通に更新している。

 トワのおうちのことについて書いたふゆみーさんは、もう一度謝罪文をアップした後、ふゆみーさんの所属してるインフルエンサー事務所で、見習いとしてイチからスタートってなったらしい。

「どうしたの?」

 放課後になって、俯きがちに階段を降りていると、いつの間にかすばるくんが横にいた。

「うーん、ちょっとね」

 隣に住んでたトワが帰ってこなくなっちゃった。

 そんなこと言ったら、びっくりされちゃう。

 なおかつ、トワの住んでるおうちバラしちゃうことになるし。

「そっか」

 すばるくんはそのまま質問してくれることなく、黙って隣を歩く。

 ちょっとホッとした。

 どうしたのって聞かれても、うまく答えられないから。

 どうしたのって、聞いてほしいこともあるけど。

 実は、隣に住んでるトワがいなくなっちゃって。

 そんな風に言えたら、すばるくんはどんな反応をするんだろう。

 また、アドバイスくれるのかな?

「そういえばすばるくんっておうちどこ?」

「高校の近くだよ」

「どっち?」

 この学校のそばの高校は二つある。男の子だけ通える学校と、天世女学園と呼ばれる女の子だけ通える学校。両方とも私立だ。

 中高一貫と呼ばれる中学校と高校が繋がっている仕組み。

 中学校を受験するか、高校を受験して、合格すれば入学できる。

「天世女学園のそば、ほしうみ園があるほう」

「ほしうみ園? 幼稚園?」

「養護施設」

「そっかー」

 お話をしながらすばるくんと校門を出ると「ここなちゃーん」と、ヒッソリした声がした。

 この声は……!

「トッ」

 思わず呼びかけ、慌てて止めた。

 校門を出てすぐの電柱から、サングラスをかけ、真深に帽子をかぶり、だぼだぼの黒パーカーに身を包んだトワが立っていた。

 ど、どう見ても、不審者スタイル……!

 悪い人ってこういうことするよ、みたいな防犯用の動画に出てくる人みたいだ。犯人役として……。

 すばるくんは、サッと私の前に立つ。

「あの人、誰? 知ってる人?」

 すばるくんは静かにトワを見据えている。

「お隣さん……ぇえ?」

 トワはのっしのっしと、何だか圧がある感じでこちらに向かってくると、じーっとすばるくんを見つめ、声をかけた。

「こんにちは。はじめまして」

「はじめまして」

 すばるくんはそれきり喋らない。

「ここなちゃんを、校門まで送ってくれてありがとう。あとは私がおうちまで送るから、お家帰って大丈夫だよ。暗くなる前に帰ったほうがいいからね」

「今日、お母さんとかに頼まれて迎えに来たんですか?」

 すばるくんは冷静に質問した。

「ううん。たまたま学校の近くにいたから、来たんだよ」

「そういう、誘拐ってあるんですよ」

「私ここなちゃんのお隣さんだから大丈夫だよ」

「お隣さんが誘拐することだってありますよ」

 すばるくんはどうやら私のことを心配してくれているらしい。トワ……確かに挙動不審な感じあったから、無理もないのかな。

 で、でも、トワだし、誘拐は絶対ない。

「心配してくれてありがとう。でも、ここなちゃんは私のおうちに来てくれることもあるから、安心して」

「出来ません。お家に遊びにおいでって何度かおびき出して、犯罪する人だっていますから」

「なんかすっごく怪しんでくるけど、なんで? もしかして君こそ、ここなちゃんに怪しいこと考えて、その邪魔をされたくないとか?」

 あやしいなーと、サングラス越しにトワが言う。

 トワが、今一番、怪しいよ……!

「あ、あのね、この子はすばるくんって言って、前にお話ししたいって相談した子。だから大丈夫」

 私がトワに説明すると、なんでかすばるくんは「話したい……?」と目をぱちくりさせた。一方でトワが「え、この子が隣の席の?」と、なんだか声が暗くなった。

「う、うん。隣の席のすばるくん」

「ウゥ……ここなちゃん、私のその子どっちがだいじなの……⁉」

「えぇ……何言ってるの?」

 どっちがだいじって、何?

 「だって、ここなちゃん、よく隣の席の子の話するじゃん……今日はお話できたって、嬉しそうに!」

 トワは悲しそうに言う。一方すばるくんは「うれしそう」と淡々と復唱した。

「隣の席の子は隣の席以外に何もないからいいけど、一緒に帰るまでになってるなんて、私のこと好きなんじゃなかったの」

 トワは「うぇえ」と唸る。

 校門の前なのに。床に一瞬視線を落とし転がろうか悩むそぶりをした

「トワもすばるくんも好きだよ」

 思わず言うと、すばるくんが「トワ」と呟く。

 まずい、トワのことトワって呼んじゃった。

 どう誤魔化そうか悩んでいると、すばるくんはジーッとトワを見る。

「え、えっと……」

 校門のまわりは誰もいない。でもすばるくんにバレちゃう。どうしよう。

「スタパルの?」

 すばるくんが聞く。

「あ、あのね、ちがくて」

 私は咄嗟に誤魔化そうとする。でも……、

「そうだよ。ここなちゃんは私推しで私が一番なの」

 トワがハッキリと、すばるくんに宣言してしまった。

 言っちゃ駄目でしょ! 絶対!

 それに、突然いなくなって突然現れて……!

 しかしすばるくんはびっくりすることなく呟く。

「脱走のトワ」

「え?」

「ほしうみ園の、園長先生が探してる」

 脱走のトワ。

 ほしうみ園?

 ほしうみ園って養護施設だよね?

 そこを脱走したってこと?

「ウっ」

 トワは後ずさると、ピャーッと走り出してしてしまった

 完璧アイドル、とバラエティでリレーに出たとき、アンカーを務めていたトワ。

 一瞬のうちに見えなくなってしまい、追いかけることすら出来ない。

 それに、気になることもあるし……。

「すばるくん、トワのこと知ってるの……?」

 問いかけると、すばるくんはこっくり頷いた。

「うん。探偵見習いだから」


 すばるくんが、探偵見習い……?

 私はあれから、すばるくんと近くの公園のベンチでお話しすることにした。

「それで、探偵見習いってなに」

「探偵の見習いってこと。今は中学生でバイトが出来ないけど、探偵の下で勉強しているところ」

「た、探偵って、事件を解決したりする、探偵?」

 じゃあ、殺人事件とかを解決したり、謎を解き明かしたりするの?

 推理小説みたいに?

 するとすばるくんは、「いやー」と、少し元気がなくなった。

「違うの?」

「なんていうんだろう。調べ物がおおい。アニメとか映画に出てる、殺人事件を解決するのは警察官がするから」

「じゃあ探偵は何をするの?」

「調べたり」

「なにを?」

「警察が調べられないこと……あと、事件になる前の問題を、なんとかする」

「うーん、たとえば?」

「師匠は、お仕事で、上司の人にいじめられてる人の、いじめの証拠を集めて、これよくないことだよって偉い人が動けるようにしてる」

「へぇ、ヒーローみたい!」

 私が言うと、「うん」とすばるくんが頷いた。

「すばるくんも、ヒーローになりたくて探偵見習いになったんだ!」

「うーん、ヒーローっていうか、変わりたい、みたいな。そんな大それたことじゃないよ。それに、助けられないし」

「前に、どうしようってなったとき、すばるくん助けてくれた」

「助けてないよ」

「でも私は嬉しかったもん」

「……うーん、じゃあ、そういうことでいいけど、次もどうにかできるとは思わないでほしい……僕は何にも出来ないから」

 すばるくんは口をぎゅっと結んだ。

「次は私が助ける番だからね」

「うーん」

「あ、それで、トワについて聞きたいんだけど……ほしうみ園の人が探してるってこと?」

 脱走のトワ、ほしうみ園。

 その二つだけで考えると、トワが脱走した、ってなる。

「うん。その通り。星森トワは生まれてすぐから三か月前までほしうみ園で暮らしてて、脱走した」

 三か月前。

 トワが引っ越してきた時期と一緒。

「え、トワ……隣に住んでるけど……」

「うん。ほしうみ園に帰らなくなって、事務所に住むところをやってもらったみたいだけど、殆ど家出だった。この間までうまくやってはずなのに何でって、ほしうみ園の人は調べてほしいって探偵にお願いして、僕もお手伝い」

「そうだったんだ……」

「人がいなくなったら警察だけど、星森トワはお仕事してるし、本当にただ、ほしうみ園に帰らない。普通に一人暮らしするとか、あるけど、本当に突然出て行っちゃったから、理由が知りたいって言ってた」

「そうだったんだ」

 だから、行方不明とかそういう事件になってなかったんだ。

「あと、突然いなくなる人は、いじめとか、おうちの中で酷いことされて隠れなきゃいけないこともあって、完全にお別れしようとする。でも星森トワ、いなくなった後もほしうみ園に寄付してて」

「寄付?」

「お金を送ること。養護施設は沢山の子供が暮らしてるけど、お金ないところとか多いから。これ使ってくださいって」

「そうなんだ……」

「なら、ほしうみ園を嫌ってるわけじゃないのかな」

「毎月脅されてお金出せってされてる可能性もある。でも、いなくなってからお金送り始めたみたいだからその線は薄いって師匠が」

「そっか……」

 トワ、一体どうしたんだろう。

 話を聞いている限りだと、ほしうみ園のことが嫌いじゃないのに出て行っちゃった感じがする。

 料理配信の時にコンビニで作ったものを誤魔化そうとしたり、ヤダヤダと駄々をこねるトワだから、理由があって脱走したような気がするし……。

「じゃあ、私から聞いてみるね。トワがおうちにいたらだけど……」

「いいの?」

「うん、任せて!」

 トワのことが心配。

 すばるくんの役にも立ちたい。

 私はトワのおうちに向かうことに決めたのだった。


 家に帰った私は、バッグを置いてトワのおうちの玄関をピンポンした。

 返事はない。

 お家にいないのかもしれない。

 いる可能性を信じてもいいけど、これでピンポンピンポン繰り返して鳴らしてしまうと、相手に迷惑だ。

 私は家に戻って、自分のキッチンを見渡した。

 冷蔵庫の中を見回して、牛乳と卵が余っているのを確認すると、サッと電子レンジでプリンを作る。

 電子レンジプリンは、簡単そうに見えて難しい。

 滑らかになるまで混ぜなきゃいけないし、バニラエッセンスを入れないと、茶碗蒸しみたいな感じになってしまう。

 だから簡単電子レンジって言葉に惹かれて作ると、「私って料理下手なのかも」って思ってしまう、そんなお菓子。

 だからまだ、トワにまだ伝えていないレシピだ。

 私は電子レンジプリンをつくり、リビングの窓を開け、プリンを窓際に置いた。 

 ぱたぱたとうちわでプリンを仰ぐ。

 冷めるようにじゃなく、トワの家にバニラエッセンスの香りが届くように。

 しばらくして、トワがカーテンを開けた。

 バニラエッセンスは、片側の窓を開けてても案外香りが届く。

 思った通り、トワが釣れた。

 トワはカーテンからじーっとこちらを見ている。

「食べる?」

 訊ねると、ガラガラガラッと窓を開けた。

「それは、誰のプリン……? ここなちゃんのママの? それとも、あの男の子の」

「トワのだよ」

「わわわわ、私の?」

 トワは、パアアアッと顔を明るくした。

「そうだよ。トワのプリンだよ」

「食べていい?」

「食べていいけどその前にお話しよ。まだこれ出来たてで冷えてないから」

「冷えてなくてもお腹の中で冷えるかもしれないから今食べていい?」

「プリンが冷えるお腹だったらトワ死んじゃってるよ」

「えぇぇ怖いよ~」

 トワはじーっとプリンを見つめる。

「冷蔵庫に入れて冷やしておくから、お話しようよ」

「なんの」

「なんでこのおうちに引っ越してきたのか」

 問いかけると、「ヤ!」とトワは大きい声で拒否してきた。

 嫌がることはあんまり聞きたくないけど、でも、探偵が探すくらいだし、ネットでちょっと騒ぎになっていたし。

 そっとしておくのも、だいじかもしれないけど。

 でも次いつ会えるか分からない。

 トワはこの一か月、ずっとおうちに帰ってこなかったし。

 また明日会えるか分からないし。

「トワ一か月いなかったの心配だった」

「心配してくれたの⁉」

「当たり前だよ。心配だよ」

「でもお仕事ちゃんとしてたし」

「お仕事ちゃんとしてても、おうち電気つかなかったら心配するよ。元気してるのかなって」

「ふええ……」

 トワは意外そうな顔をした。

 心配するって、全く想像していなかったみたいだ。

「ねぇトワ、なんで……脱走しちゃったの」

「ほんとの私知ってる人なんて、いないほうがいいから」

 ぼそ、と呟く。

 いないほうがいい。

「ど、どういうこと?」

「言葉通りの意味だよ」

「言葉通りの意味って? 意味が分からないよ」

「お母さんとお父さん、いないの。小さい頃からいない。だから、施設で暮らしながら、アイドルしてたの」

「うん……」

「施設には、色んな子がいるの。お金なくてどうしても施設に入ることになった子、お父さんとお母さんが死んじゃった子とか、色んな事情があって」

「うん……」

「で、私だけ、お母さんとお父さんが、いらないって、した子」

 トワが、いらない──?

 そう聞いて、胸がギリギリ痛んだ。「そんなことない!」ってすぐに大きな声で否定したいのに、うまく言葉がでない。

「施設の人たちも、子たちも、仲良くしてくれたよ。でも、ほんとなのかな? って疑っちゃう。お母さんとお父さんは私のこと、いらないってしたのにっって」

 トワは視線を落としながら話を続ける。

「だから、アイドルとして、スカウトされて、君が必要って言われて頑張りたいって思ったし、実際、めちゃめちゃ頑張ったよ? でも、ほら、完璧アイドル、でしょ? 星森トワって」

「うん……」

 トワは完璧アイドルだ。

「でも、本当の私は、完璧じゃない。本当の私なんか誰も好きじゃない。私は作ってるだけ……いっぱいテレビとかに出られるようになって最初は嬉しかったけど、だんだん、本当の私なんか誰も好きじゃないって、思うようになって……」

「トワ……」

「そうしていくうちに、施設のみんなの、頑張れとか、好きだよが、すっごく怖くなってきちゃって。そんな風に好きって言われても、私何にも返せない。がっかりさせたら怖い、って、逃げちゃった」

 だからトワは、うちの隣に引っ越してきたんだ。

「施設の人、心配してるみたいだよ」

「でももう、三か月経ってるし」

「顔を出したほうがいいよ」

「でもテレビに出たりして、元気なの知ってるだろうし」

「三か月経ってても、元気なの知ってても、生きてるよ、ここにいるよって言わなきゃ心配だよ」

「でも……迷惑になるかもしれないし、結局、ずっと一緒にいるわけじゃないし」

 そもそも──と、トワは続けた。

「こんな私のこと知ってて、好きとか心配って思う人いるのかなぁ……」

 トワが言った瞬間、私はぎゅっと手のひらを握りしめた。

「私はトワのこと好きだもん」

「それはスタパルのトワが好きだから、延長で……」

「違うもん! そんなことなくないもん‼ 私の好きを否定しないでよ‼」

 私は大きい声で否定した。

 よくないって分かってるけど、止められない。

「確かにトワは、料理へたっぴだし、材料はからないし、レンジ爆発させちゃおうとするし部屋の中ぐっちゃぐちゃだし、すぐ弱音吐くけど、そういうの含めてトワだって思ってるよ。完璧なのにこんなことするんだって、それもトワだから!」

「まだ、見せてない、駄目なところあるもん」

「それが何? トワは、私がトワの全部が好きで困ることがあるの?」

「だって完璧アイドルじゃないもん……」

「おうちのなかまで完璧アイドルでいてなんて求めてないよ! アイドルはメイクさんとかいるからキラキラしてるってトワが言ってたんじゃん!」

「で、でも……」

「好きだって言ってるじゃん! それを嬉しいか嬉しくないか感じる権利は、トワにあるよ、でも、私がトワのことを好きだよって言ってそんなことないって否定する権利はトワにない!」

「でも答えられないし」

「答えられないなら答えられないって言えばいいでしょ。トワはその前のところで躓いてるんだって! 私がトワの全部が好きって言ってそんなことないって決めつけるのは、おかしいよ! トワは、傷つきたくないだけだよ!」

「……え」

 トワは目をまん丸にした。

「施設の人たちだって、分かんないんだから。トワに嫌われちゃったかもって、トワが脱走して、怖くて逃げてる間に、がっかりさせてるんじゃなくて、トワに嫌われたんじゃないかって傷ついているんだよ」

「傷つけたなら、なおさら会わないほうがいい……」

「いいわけないじゃん! 探してるんだから! 会いたくないって言ってるんじゃなくて相手はどうしたんだろうってトワを心配してるんだよ」

「でも、本当に会って、相手の為になるのかな……?」

「トワは、自分を守ってるんだよ。相手のためって言って、自分が楽なほうを、安全なのを選んでる。相手のためだって言えば、いい人な感じするもん。でも本当にそれでいいの?」

「うぅ……」

「傷つけられてもいいから、一緒にいたいって、思ってるから探してるんじゃないの? 施設の人たちは」

「ここなちゃん」

「施設に行こう?」

「でも……」

「今日も悩んでるかもしれないよ。施設の人たち、トワに嫌われたって。今夜も悩んで寝れないかもしれない。明日うとうとしてて転んじゃったりするかもだよ」

「ウゥゥ……」

 トワは弱々しく唸る。やがて地団駄を踏んだ後、私をじーっと睨むみたいに見た」

「そんな言うなら一緒に行ってよ」

「いいよ」

「ええ、い、いいの?」

「いいよ、行こう。今すぐ行こう。ほしうみ園でしょ。近くだ」

「うええええ何でえ? そういうの緊張する子じゃないの? し、施設だよ? 知らないところだよ?」

 トワはオロオロしている。

「私は平気だもん。私が平気なのと、トワの思う私の平気と平気じゃないは違うからね」

 キッパリ言い切ると、トワは「ふえええ」と半泣きになった。私は「行こう!」と、トワの手を引っ張ったのだった。

  トワが脱走した養護施設、ほしうみ園に向かう間、大変だった。

 トワは立ち止まったり、「やっぱり帰らない?」「今日じゃないほうがいいんじゃない?」「突然行ったら迷惑にならない?」「前に電話したほうがいいんじゃない?」とすごく、正しいみたいに言い出す。

「本当にそう思うならね」と返せば、「うう」と唸って歩き出す。

 そうやって、なんとか辿り着いた。

 一階建てで、学校の門みたいになっている。門の内側に、男の人が立っていた。作業着で掃除をしている。施設の人だろう。

「すみません。この近くに住む、真昼ここなと申します。いなくなっていた、星森トワさんを連れてきました」

 なんか、迷子の猫とか犬を見つけて、飼い主さんに連絡する時みたいだな。

 言っている間にちょっと思ってしまった。

「あ……ありがとうございます」

 作業着の男の人は、ポケットから鍵を取り出して門を開けた。

「すみません、不審者とかが入り込んだりしないようになってて」

 そう言って、男の人はトワを見る。トワは「怖いよー」と言って帽子サングラスマスク黒パーカーと怪しいコーディネートだから、無理もない。子供たちが過ごす場所だし。

 作業服の男の人は私たちが入るのを見計らって、ガチャン、と鍵を閉めた。

「中へどうぞ、今、責任者……じゃなくて、偉い人? ちゃんとしてる人……学校で例えるなら……校長みたいな人、呼んできますから」

「ありがとうございます!」

「いえ」

 男の人はサッと施設の奥に入っていく。

 今、もしかして私やトワが分かりやすいように、言葉を変えたのかもしれない。

「トワ、あの人、知ってる人」

「知ってる。ボランティアに来てる人。あと、探偵さん」

「へー……」

 もしかして、すばるくんのお師匠さんかな?

 施設の中に入ると、大きな玄関に靴箱が並んでいた。傍には来客用のスリッパが並んでいる。トワは「これ履いてて」と、スリッパを出した。

「ありがとう」

「いーえ、靴はここに」

 言われた通り靴をしまい、スリッパに履き替える。

 しばらくして、パタパタパタ、と白いワイシャツの優しそうな雰囲気の男の人がやってきた。ワイシャツの上からはベージュのエプロンを身に着けている。エプロンには、いっぱいの絵具のあとがついていた。

「星森さん」

 静かにトワを呼ぶ男の人は、私へ視線をうつす。

「はじめまして、白木真です」

「真昼ここなです」

「トワさんを連れてきてくれて、ありがとう。お隣さんなんだってね」

「はい……」

 ゆっくりと落ち着いた話し方のはずなのに、なんだか心の奥底を見透かされているみたいでドキドキする。

「えっと」

 何を言わなきゃいけないんだっけ。

 白木さんの目を見ていると、よく分からなくなる。

「トワー!」

「トワだー!」

 ぼんやりしてると、奥から子供たちがダッシュで飛んできた。トワは「ヒェ」と私の後ろに隠れてしまう。私は「駄目でしょ」と横にずれた。

 ぼふんっと、子供たちはトワに抱き着く。

「探してたんだよトワ」

「どこに行っちゃってたの?」

「お仕事忙しかったの?」

「振りつけ覚えたんだよ!」

「トワ、トワ~! トワトワトワトワ……キャッキャッ」

 やっぱり、みんなトワのことを心配していたみたいだ。トワは「うぇえ……ごめん……」と謝っている。

「ちょっとお話ししましょうか、真昼ここなさん」

「え」

 白木さんに提案され、私は驚く。

 だって、お話するのは私じゃなくてトワだと思っていたから。

「トワさんは、しばらく子供たちに説明してもらうからね」

 白木さんは私に微笑みかけると、トワに「ちゃんと、いなくなった理由、説明しなきゃ駄目だよ。これからのことも、あるんだから」と声をかけた。

「う……」

 トワは嫌そうな顔をする。私はその後、案内されるままに白木さんと別室へ移動した。


「実はね、トワさんが真昼さんの隣に住んでいたってことは、分かっていたんだ」

 別室に移動して早々、白木さんは言った。

 え?

 どういうこと?

 トワって、勝手に出てきちゃったんじゃないの?

「トワが、ちょっと落ち込んだりが激しくなった時に、事務所さんにトワが、施設は嫌じゃないけど出て行きたいって相談があったって、連絡がきて」

「え……」

「トワの事務所さんはね、アイドルがすごくだいじって言うのは、分かる?」

「はい」

「事務所さんは、アイドルを守らなきゃいけない。それが、お仕事。だから、トワが施設で嫌な目にあってるんじゃないか、あってたら、住む場所をつくる。それが普通の流れ」

 確かに、トワはみんながいるからアイドルになれる、みたいなことを言っていた。マネージャーさんとか。それって、こういうことにも繋がってくるんだ。

「でも、今回はトワはうちの施設は悪くないって言ってて、わざと言わされてるのか調べたい、本当は誤解があるんじゃないかって、話で」

 白木さんのお話は、こういうことかな。

 芸能事務所さんはトワが家を出たいのを、施設で嫌なことがあるからかも、と心配した。

 でも、調べてみるとなんか違う。

 だから、白木さんに聞いた。ってこと?

「施設が意地悪してたら、絶対会わせちゃいけないんだ。トワが、危ない目にあってしまうから。でも今回は、違う。だから様子見をしようって話になった」

「様子見?」

「うん。事務所が、トワのおうちを用意する。トワは、施設をこっそり脱走する。そして住んだおうちが、君の隣だったわけだけど……」

「えええ」

 じゃあトワって、自分は脱走と思いこんでたけど、脱走じゃなかったんだ。

「で、でも、すばるくん……って子が、探偵さんの見習いで、トワを探してる……って」

「うん。彼は探偵の見習いだよ。さっき門の前を掃除していた男の人がいたでしょう? あの人の、弟子。でも、ここなさんにわざと近づけた、とかではないんだ」

「そ、そうなんですか?」

「うん。偶然が重なってね。すばるくんが、探偵のお弟子さんになった後に、トワがトワの心の為に、脱走した」

 確かに、すばるくんが転校してきてしばらくして、トワがお隣に引っ越してきた。

 だとすると、トワが脱走して探偵としてすばるくんが近づいてきた……ってわけじゃなさそう。

 順番が違うもんね。

 物事の順番を考えないと、誤解してたかも。すばるくんが、ただ、トワの居場所を知るために仲良くしてくれたんじゃないか、とか。

 良かった。

「その後、施設や事務所の大人は脱走が、ちょっとした心のお休みって知ってるけど、トワは、知らないから。自分のこと心配してないのかなって、思わないように、探偵見習さんに依頼したんだ。探偵のお師匠さんに依頼しちゃうと、一日で見つけちゃうから」

「え、すごい」

 確かに、推理ものの小説とか映画、すぐにパッと見つけちゃうイメージだ。

「それに、師匠の探偵さんは、うちの施設がトワをいじめてないか、調べるっていうお仕事もあったみたいだからね」

「え……」

「まぁ、少ないけど、無いわけじゃないんだ。施設の人が意地悪したりとか。元々ここは、色々、辛いことがあった子供たちが、安心して、生きてていいんだって思える場所だけど、悪い大人もいるからね」

「そうなんですね……」

 私は、トワのお話を思い出す。トワはお母さんとお父さんがいないって言ってた。

「あの、トワのお父さんとお母さん、トワがいらなくなっちゃったって……」

「そうだよ、すごく悲しいけど、事実だ」

 白木さんは、真っすぐ私を見つめる。

「ここにいる子のなかには、事情があって、施設に預けられる子供もいる。トワさんはそうじゃなかった。それを、君のところへ引っ越す前に知った」

 そう言って、白木さんは窓の外に視線を向けた。

 そこには、楽しそうに遊ぶ子供たちがいっぱいいる。

「周りの子のなかには、親が死んでしまってここに来た子もいる。それまで仲良しで、大好き、愛してる、好きだよ、守ってあげるって言われて育った子も。そうじゃないどころか、叩かれて死んじゃいそうになって、救急車で病院に行って、そこからここへ来た子も、いる」

 救急車……。

 すごく酷い事故に遭ったりしたときとか、大きな怪我をして、乗るもののはず。

 それくらいの怪我を、させられるなんて。

「そういう中で、多分、もしかしたら自分の親は違うんじゃないか、何か理由があって、自分は施設にいるんじゃないか。そう、信じてた。トワさんは。でも違うって分かって、辛くなったんだと思う。周りの子たちを見るのも……色々」

「トワが……」

「好きでも、一緒にいるのが辛い時とか、見てるのが苦しくなっちゃうとき、あるんだ。お互い、何にも悪いことをしてなくても」

 見てるのが苦しい。

 みっちゃんの推し活を思い出した。

 みっちゃんは羨ましいって、思って勝手に見るのが辛くなってた。

 全然違うことだけど、相手は悪くないのに、辛くなる気持ちは分かる。

「孤立と孤独は違う。みんな、ちゃんと責任を持っていかなきゃ駄目だけど、一人と独りは違う。だから、トワのそばにいてくれてありがとう」

「いや、全然、私なんか何も」

「君が、トワとどう過ごしていたか、何も知らない。でも、そばにいてくれたことは確かだ。何も話さなくても、褒めなくても、慰めも励ましも出来ずとも、隣にいるだけで、違うと思う──だから、ありがとう」

 白木さんは頭を下げる。私は慌てて「いえ、大丈夫です、全然」と頭を下げた。

「これから、トワは……施設に、戻るんでしょうか」

「分からない。君は、どう思う? トワが施設に戻ったら、さみしい?」

 問いかけに、チクッと胸が痛む。

 寂しい。

 トワが施設に戻ったら、いつもみたいに会えないだろうし。

 それに、ここ最近ずっとトワがおうちに帰らない状態が続いたとき、ずっと不安だった。

 でも施設の子供たちはもっと不安で心配だっただろうし……。

 そもそも、トワが決めることだ。トワが、一番幸せで楽であれば、それでいい。

 推しには推しの生活があるし。

「トワが、自由に、好きなようにしてくれるのを、応援したいです。近くにいなくても、これからずっと会えなくても」

 それが、私の気持ちだ。本当は心配だし、ずーっとお隣さんでいてほしいなと思うけど、選ぶのはトワだから。

 私はそのあと、トワを養護施設において帰った。

 だってトワは養護施設に行くまでの間、駄々をこねていたり立ち止まっていたから。

 お別れをするにせよ、私がいたら、邪魔になるかと思ったのだ。

 その後、トワがおうちに帰った感じはしなくて、私はいつも通り、ただのファンに戻った。

 なんとなくだけど、トワのことがネットで流れたとき──お料理対決のあと、トワの帰らなかった1ヶ月が、練習になった気がする。

 お別れの練習。

 その後、一日だけお話したわけで。

 お別れもあんまりちゃんと言えなかったけど、ハッキリお別れを言うのも違う気がするし、これでよかった気がする。

 教室でしんみりしていると、みっちゃんがバンバンバン、と私の机を叩いた。

「ここなちゃん、スタパル今度、武道館決まったんだって!」

「えー!」

 すごい!

 だってそれってすっごく大きい会場でトワが歌うってことだよね?

 すごすぎる!

 ライブ当たるといいな。当たらなくても、ネットで席を買って配信で見れるやつやらないかな。

「これネットで見れるかな」

「オンライン公演ありってあった! 骨折しても行ける!」

「やったー!」

 みっちゃんと一緒に、公演の情報をスマホで眺める。

 しばらくして、チャイムが鳴って、みっちゃんとバイバイした。私は今、前の席でみっちゃんは同じ列の最後尾だから。

 さて、私も授業に備えなきゃ。

 そう思っていると、隣の席のすばるくんがジーっと私を見ていた。

 すばるくんとはもうこれで3回隣の席になっている。元々一緒で、お料理対決でトワがいなくなった時に席替えがあって隣で、一昨日したばかりの席替えでもそうだ。

「すばるくん、どうしたの?」

「武道館、大変そうだなと思って」

「あー……でも、トワならきっと大丈夫だよ」

「ふーん」

 すばるくんは、あんまり興味なさそうに相槌をうつ。

 でも、誰かから見たその仕草が、実はすばるくんにとって興味がある時の反応だってことを、私は知ってる。

 だって、すばるくん興味のある歴史や現代文の授業は、ふーんって感じだけど、数学とか自分の苦手なもの、歴史とかは明るい感じで相槌をうつから。

 数学とか、あんまりにも楽しそうに先生と話をしているから、好きなんだなーって思ったけど、先生のことが苦手だから明るくしていたらしくて、真逆でびっくりした。

 色々すばるくんを知ってから、ホッとしたことが増えた。

 最初の頃、静かだったの、嫌われてたんじゃなかったんだーって安心するから。すばるくんを知るたびに。

「私は、陰ながら応援するんだ!」

「そっか」

「すばるくんのことも応援してるよ」

「僕は、アイドルじゃないよ」

「トワは推しだけどすばるくんはすばるくんとして応援してるよ」

「なんで」

「好きだからね」

 すばるくん、優しいし。何かあったら、すばるくんが困ってなくても助けたいなって思う。でも、友達だからねって言うと、「え、まだ友達じゃないけど」って言われたとき、気まずいし、嫌われるかもだから、言えなかったけど。

「あー……まぁ、そ、な、なるほど」

 すばるくんはスーッと視線をそらす。

 嫌われてるかもとショックを受けてたすばるくんの、全然目が合わない感じ。今はすばるくんはよく目を逸らす習性があるって分かってるからショックじゃない。

「うん! これからもよろしくね」

「ん」

 すばるくんは会釈した。すばるくんと仲良くなれたのも、みっちゃんと仲良くなれたのも、トワのおかげだ。

 ライブで応援して、ありがとうっていうかわりに、感謝を伝えたい。

 心の底から思った。


「あれ」

 放課後のこと。

 ちょうど私の家が見えてきたところで、玄関の前に誰か立っているのが見えた。

 鞄につけている、スタパル全員集合キーホルダーと、トワのキーホルダーを、ぎゅっと握る。

 まるで、初めて会ったときみたいな姿で私の家の玄関の前に立つのは、トワだった。

「久しぶりここなちゃん久しぶりここなちゃん絶対いける。絶対言える。大丈夫。ここなちゃんは突然私のことを嫌ったりしないここなちゃんは私推しなんだから探偵見習にきいてそこはちゃんと証拠出てるここなちゃんは大丈夫なにがあっても私推し絶対一生私推しいける大丈夫私から推し変したらその時はもう一度私推しにもどってもらえばいいだけなんだからっていうかそんなことあるわけないもん大丈夫」

 ぶつぶつ暗い顔で呟くのは、間違いなくトワだ。

「……トワ?」

 おそるおそる呼びかけると、トワはバッとこちらを見た。

「ここなちゃん!」

 そう言ってトワは飛びついてきて、そのまま捕まえるみたいにギュッと抱きしめてきた。

「わわわ」

「わーい! ここなちゃんだ! ここなちゃん! 嬉しい! 持って帰りたい!」

「えええ、な、なに、っていうかトワどうしたの」

「帰ってきたの!」

「また脱走したの?」

「違う! 正式に、ここなちゃんのお隣に住むことが、決まったの!」

 トワは嬉しそうに私を抱き上げ持ち上げると、ぐるんぐるん回し始めた。

 え?

 トワが正式に、お隣さん⁉

「前は脱走だったけど、あれから施設の人とお話して、社会勉強のためにって‼ ちゃんと、施設の皆のこと心配させないようにするけど、ひとり暮らし頑張るの‼ ここなちゃんのお隣で‼」

「え、えぇぇ~」

「だからずーっと、一緒だよ‼」

 そう言ってトワは私をぎゅーっと抱きしめたのだった。


 トワと初めて会った時も思ったけど、トワと一緒にいると「これからどうしよう⁉」がめちゃくちゃ増える。

 トワが突然戻ってきて、脱走じゃない独り暮らしが始まった……らしい。

 正直「本当かなあ?」と疑って白木さんのいる養護施設に聞きに行ったら、本当に、トワは色々話し合って、正式に一人暮らしを始めたみたいだ。

 私の住んでいるおうちの隣で。

「ピクニック、ピクニック、ピクニック‼」

 そして、休日。

 トワと私は近くの公園でピクニックをすることにした。

 お弁当のメニューは、卵焼きと、エビとポテトサラダのグラタンに、ブロッコリーとほうれん草のケチャップ和え、デザートはガトーショコラ風ケーキ……メインは……。

「ピラフおにぎりだー‼ 緑のバケモンがいないー‼ 食べられる―‼」

 トワは目を輝かせる。

 炊飯器でピラフおにぎりをつくった。ピラフはフライパンを使うけど、普段のご飯を炊く時、お米一合につき小さじ1杯……ティースプーンとかでさーっと入れたコンソメに、好きな具材を入れて炊くだけで出来る。

 グリーンピースが嫌いなら、抜く。

 そしてグリーンピースが食べられないうちは、その代わりの栄養を足せば、大丈夫。

「いっしょに、いただきます、する‼」

「うん、いただきます」

「いただきます‼」

 トワはパクっとおにぎりを食べた。「美味しい‼」と満面の笑みを浮かべる。

 一時は、どうなるかと思ったお隣さんのトワとの生活。

 でも、トワと一緒にいるだけじゃなく、お話しできなかったすばるくんと仲良くなれたり、みっちゃんのことを知ったり、トワを通じて、トワ以外のことも分かった気がする。

 その一方で、まだ知らないトワのこと。

 色々知った時、トワのこと全部、分かってあげられないかもしれない。

 全部好きって言えないかもしれない。

 それでも、トワと一緒にいたいなって思う。離れ離れでも、繋がりはあるはずだから。

「トワ」

「なーに」

「私、トワが大好き」

「私も、ここなちゃんが大好きだよ、ずっと‼」

 青空の下、トワはニコニコ、太陽みたいに笑った。


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