006 道なき森で、ルートを刻め
できるだけ話を変えていきたいです。
森の奥へ進むにつれて、空がどんどん狭くなっていく。
光が届かない場所はじっとりと湿っていて、葉の擦れる音すら遠ざかっていくようだった。
始まりの樹海。
そこは確かに、最序盤のフィールドとは思えない密度をもっていた。
シュウユは、何度か立ち止まっては辺りを見回し、また歩き出すということを繰り返していた。
「……本気で地図もないのか。これ、笑えないレベルだな」
ここのマップはなぜか存在しない。もう少し前の方だったらあったが、ここに入ってきたら自然と無くなっていた。
だが、そういう不便さこそが、この世界の“自由度”を物語っていた。
(テンプレのルート? 知らん。そもそも見てねぇし)
足で、目で、匂いで、空気の流れで。
この森を“感じて”進んでいく。
ときおり草の中を何かが走り抜け、遠くで鳥の鳴き声が響く。
ただ歩くだけで、何かを発見できる気がして、楽しい。
「正直な話、戦ってる時より……こういう探索のが好きかもな、俺」
森の一角、傾斜のゆるやかな丘の下に回り込んだとき、不意に――音がした。
カン……カン……と、何かを叩くような金属音。
「……ん?」
森の中で金属の音は、場違いだった。
戦闘の音とも違う。誰かが作業しているような、リズムのある叩き方。
「NPCか……? それともプレイヤー?」
だが、プレイヤーがこんな奥に来ているとは考えにくい。
逆に、誰かがいるのなら――何かある。
「面白くなってきたじゃん」
足音を殺して草を踏み分ける。
一歩ごとに、地面の感触が少しずつ乾いたものに変わっていく。
木々の隙間から、かすかに火の明かり。
そして、焚き火のそばで動く人影が一つ。
白髪まじりの男。ぼろぼろのローブに、重そうな鉄槌。
丸太に座って、何かを必死に叩いている。
(……あれが音の主か)
シュウユは一歩、また一歩と近づく。
すると、男がこちらに気づいたように顔を上げた。
「おや……?」
皺の深い顔に、目元だけが異様に鋭い。
だが、敵意は感じなかった。
「珍しいな。旅人か? こんなところを一人で歩くとは」
「まあ、そんな感じっすね。……あんたは?」
「俺か? 俺は鍛冶屋みたいなもんさ。
この森の片隅で、誰に頼まれたわけでもない仕事を続けてるだけの、物好きだよ」
そう言って、彼は作業台の上に置かれた金属片を指差す。
「世界に名前なんて覚えられちゃいないが……“メルビオ”とでも呼んでくれればいいさ」
木炭の匂い、油の滲んだローブ、火花の散った跡。
どこからどう見ても、生活している気配がある。
まるで、ここにずっと“生きていた”かのように。
(この人、NPC……だけど、そういう自覚はない)
ゲームの世界だという空気は、彼のどこにもなかった。
「この辺で旅人に会ったのは、もう何年ぶりかな……いや、何季ぶりだろう。
ま、せっかくだし、変わったもんでも見ていくかい?」
彼はそう言って、作業台の下から何かを取り出そうと身をかがめた。
「……ほら、見てみな」
メルビオが作業台の下から取り出したのは、金属製の円盤だった。
手のひらに収まるほどの大きさで、表面には細かく彫られた刻印がびっしりと並んでいる。
中心にはくぼみがあり、何かを差し込むようなスロットがあった。
「これは“魔式拡張装置”って呼んでる。まあ、俺が勝手にそう名付けてるだけだがな」
「魔式……拡張?」
「術の形ってのは、もともと“思考のかたち”に近いんだ。
それを操る力を、ほんの少しだけいじる道具さ」
メルビオは、焚き火の光を背に装置をかざすと、わずかに笑った。
「たとえば、術の発動の間合いを少しだけ変えたり、効果の向きをずらしたり。
あるいは、不完全な術式でも、イメージの補強で無理やり通したり……な」
「便利そうだけど……代償もありそうだな」
「察しがいい。そうだ、力の均衡を崩すものでもある。
制御が甘ければ、術は暴走する。最悪、術者自身が吹き飛ぶこともある」
メルビオは肩をすくめた。
「だからまあ、誰にでも渡すような代物じゃない。
だが、こうしてこんな場所にたどり着いたってことは……お前さんには、多少なりとも“寄り道をする理由”があったんだろう」
「……まあ、そういうのが性に合っててな」
「なら、覚えておくといい。この装置、扱いこなすには、少しばかり“遠回り”が必要だ。
一度に強くなろうとすれば、器が壊れる。時間をかけて、自分の術と向き合える者にこそ意味がある」
メルビオは装置を作業台に戻し、静かに槌を握る。
「いずれ、その時が来たらまた来るといい。その頃には……遊び方の幅も、もっと広がってるかもしれん」
「……わかった。楽しみにしとくよ」
軽く手を上げ、シュウユはその場を離れた。
焚き火の光が徐々に遠ざかり、再び森の静寂が辺りを包む。
その中で、彼はひとりごとのように呟いた。
「面白いな、この世界、確かに生きてる」
ステータスやスキルを得たわけでもない。
だが確かに、何かが“手に入った”感覚があった。
それは情報ではなく、経験。
データではなく、確信だった。
斜面を少し上った先で、木々の間からうっすらとした人工物の輪郭が見えた。
屋根、煙突、壁。
ようやく、人の暮らしの気配が感じられる場所――町。
「お、あれが次の目的地か。じゃ、行きますか」
遠回りに見えて、正解。
誰も通らない道の先に、ちゃんと道はあった。
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