003 “楽しむために強くなる”って、こういうことだ
みなさんが楽しめるように精一杯頑張ります!
ドサッ――。
土の柔らかさが、思ったよりも鈍く、身体に重たくのしかかる。
衝撃の中でシュウユは転がりながら、肩を軸に受け身を取った。
反動で前へ一回転し、そのまま膝をついて着地する。
「……うっわ、ログイン後にこれかよ……昔の初見殺しゲーを思い出すぞ」
ぶつぶつ言いながら顔を上げると、そこは一面、深い緑の世界だった。
木々は天を突き、枝葉が空を遮る。
土の匂い、湿った空気、足元を撫でる草――五感がすべて“生きている”。
(……すげぇ)
目の前に広がる景色は、ただの風景じゃなかった。
まるで自分の体ごと、この森に“取り込まれていく”ような没入感。
《現在地:始まりの樹海》
その表示が脳内に浮かび、彼は少しだけ眉を上げた。
「ここか……なるほどな」
始まりの樹海。
第二の町「シェルファ」へと通じるルートの一つでありながら、初心者にとってソロ・デュオで踏み入れてはいけないエリアとして知られている。
モンスターの配置は不規則、地形は入り組み、視界は悪い。
だが――
「まぁ、俺には関係ねぇよな」
肩を回しながら、口角を少し上げる。
怖さや警戒ではなく、むしろこの状況を“楽しみにしている”表情だった。
静かに立ち上がり、彼は腰を落として草むらへと進む。
踏み込む足に余計な音は出さず、呼吸を整えながら全神経を集中させる。
(来るな……)
違和感。
風の流れが変わった。
草の葉が一枚、静かに揺れた。
「――超感覚、展開」
声に出さず、イメージだけでスキルを発動する。
周囲の空気がゆるやかに反転するように、情報が流れ込んでくる。
振動、熱、微かな動き。世界の密度が変わった。
草むらの奥、滑るような動き。
蛇、だ。長く、細く、青緑の鱗を纏った、獲物を探す影。
(距離、約6メートル。一直線で突っ込んでくる……なら、回避からの――)
「転移魔式、展開。右へ滑る」
魔式のパターンを頭の中で描くと同時に、空間がひしゃげた。
視界が一瞬ブレ、次の瞬間、シュウユの身体は数メートル横へ“滑るように”転移していた。
蛇が突っ込んでいた位置に、風だけが残る。
「空中歩行、接地感ゼロで――跳べ!」
浮き上がる身体。足裏に“見えない床”をイメージしながら空中で体勢を整える。
ジャンプというより、“空気を踏む感覚”。
彼は蛇の頭上へと一気に躍り出た。
「落ちろ」
重力に逆らわず、そのまま落下。右手の剣を下に向けて構える。
ズバァッ――!
湿った感触。刃が肉を裂き、鱗の奥へ滑り込む。
蛇の動きが止まり、息をつくより早く、光の粒になって霧散していく。
「……マジで、すげぇなこのゲーム。手応えってレベルじゃねぇ」
口の端が自然に上がる。
目の奥が、どこか獣のように鋭く光った。
倒した蛇の残骸が、きらきらと光の粒に変わって空気に溶けていく。
その様子を見届けながら、シュウユは腰を落とし、草をかき分けて周囲の音に耳を澄ませた。
「……足音、風、羽音、全部混ざってる。だけど、パターンはあるな」
再び《超感覚》を展開する。
色づいた風の線が視界に走り、葉の揺れと地面の震えを結びつける。
“何か”が近づいている――そんな実感が、頭ではなく、肌で理解できた。
(右後方……大きめ。突っ込んでくるスピードが違う)
「短距離転移、左へ!」
スッと空気が抜ける感覚。重力が一瞬だけ消える。
空間を滑るように移動し、シュウユは視線をすばやく敵へ向けた。
現れたのは先ほどよりもひとまわり太く、動きの鋭い蛇。
踏み込みの衝撃で葉が舞い、地面に細かな筋が残る。
「こっちの動きも見てるってか。なるほど、“鈍くない”な」
後ろに跳び下がろうとした瞬間、足が草にとられる。
わずかにバランスを崩した。
「空中歩行、前傾制御!」
宙を踏むように身体を持ち上げ、姿勢を立て直す。
落下しながら今度は逆に、蛇の脇腹へ突っ込むように突き出した剣が深々と突き刺さる。
手応え。
皮膚の奥、筋肉の緊張と収縮が伝わってくる。
「ちゃんと“生きてる”感触だな、これ……ほんとにやべぇって」
息を一つ吐いたとき、足元の草がまたわずかに揺れた。
(まだいる。2体目? 連続で来るなら――)
彼は足元の草をちぎり、汗を染み込ませると地面に落とした。
「嗅覚で来てるなら……これでどうだ」
音を消して草陰に滑り込む。
あとは待つだけだ。
数秒後、草の間から蛇が顔を出した。鼻先を地面に押しつけるように、匂いを追っている。
完全に“囮”に反応している。
(いける)
「疾翔――跳ぶ!」
背中を弾くように脚力を解放。
ジャンプと同時に空中を一気に滑空。飛び越えるように蛇の頭上に到達し、
「ファントムクラッチ――ッ!」
掌を前に突き出す。
空間に広がった“見えない手”が、蛇の全身を掴んで締め上げた。
身動きが封じられる。
そのまま重力に任せて、落下。
剣を振るわず、かかとで直接、蛇の頭を踏み砕いた。
パリン、と破裂するような音。
戦いが、終わった。
しばらくして、シュウユは近くの倒木に腰を下ろしていた。
額から一筋、汗が垂れる。
「……普通に疲れるなこれ。でも、すげぇ……」
呼吸を整えながら、近くの土に木の枝で簡単なマップを書いていく。
「東側に蛇が2体。あとは、あの硬いやつ。殻がやばかった。あれは剣が通らねぇ」
声に出しながら、出現パターンを反芻する。
「見える情報が少ねぇ分、自分で感じ取るしかない。それが……たまんねぇんだよな」
指を止め、ふと上を見上げる。
木漏れ日が差し込む空の色が、どこか懐かしく見えた。
(……兄貴も言ってたな。“楽しむために強くなる”って)
5つ上の兄――
幼い頃、一緒にVRゲームをプレイしてくれた人。
最初にヘッドセットをかぶせてくれたのも、その兄だった。
「“リアルより自由で、リアルより面白い世界がある”って……」
その言葉の意味が、今ならよく分かる。
「俺、今めちゃくちゃ楽しいよ。ありがとな、兄貴」
立ち上がる。
もう一度、剣を構える。
超感覚を展開。足の裏で風を感じる。
「次は……もっと速く、もっと上手く。俺らしく遊ばせてもらうぜ」
草を踏み、シュウユは再び、森の奥へと消えていった。
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