027 旅立ち、境界の街へ
──視界が、反転する。
色と音が一瞬だけ崩壊し、静寂の中に浮かぶ光が、ゆっくりと再構築されていく。
そして次の瞬間――世界が“切り替わった”。
「……ここが、“リム=アルス”……か」
シュウユはゆっくりと目を開ける。
見渡せば、そこはこれまでのどのエリアとも違う光景だった。乾いた草原、霞んだ遠景、そして空に浮かぶ不自然なリング。
隣で、創零が静かに膝をついて地面に触れていた。
「すげーなここ」
二人は草原を進み始める。
その先には、古びた石橋があり、さらに向こうには《緩衝地帯・リーヴェル方面》と呼ばれる未探索のエリアが広がっていた。
「正式ルートは後回し。俺は俺の道を行く」
森を抜けると、風の匂いがまた変わった。
花の香り、乾いた大地、そしてどこか懐かしい牧歌的な旋律がBGMとして流れ出す。
「……お?」
足元に、小さなイベントマーカーが浮かぶ。
〈野良クエスト発生:迷い羊の帰還〉
「やらねぇけどな」
簡易イベントはスルー。彼は、他の誰とも違うルートを歩いている。
予定調和に乗る気はない。ただ、自分の“面白さ”を信じている。
そのとき――風が変わった。
(……なんだ?)
風の中に、視線の気配が混じる。
〈超感覚〉が、一瞬だけ反応した。
「草の中か……?」
低い茂みの奥。そこにあったのは、動かない影。
不自然な沈黙。そして――
その瞳だけが、じっとこちらを見つめている。
じっと動かない。モンスターのAI挙動ではない。不自然な静けさ。
そして、そこにいたのは――
フードを深くかぶった人物。
その目だけが、じっとこちらを観察していた。
「……プレイヤー、か?」
問いかけは返らない。ただ、その人物は静かに、視線を逸らさずこちらを見ていた。
――誰だ?
そして、何のために?
疑問を残したまま、シュウユは〈境界の街〉の門へと歩を進める。
「……なるほど。リーヴェルってのは、こんな感じか」
石畳の広場に立ち、シュウユは街の全景を見渡した。
〈境界の街リーヴェル〉――
公式にはまだ「準開発都市」とされているこの街は、メインストーリーでの登場予定地ではない。だが既に生活感は強く、プレイヤーとNPCの活動が自然に融合していた。
鍛冶屋の金槌音。露店の客引き。酒場の笑い声。
(ああ、なんか懐かしい……。こういう“ごちゃごちゃした街”の空気、嫌いじゃねぇな)
だが、足を止める暇はない。目的もルートも、まだ曖昧なままだ。
「さて、問題は……どこから探索するか」
ログを確認する。
現在位置:リーヴェル北区《風切りの坂》
南西斜面・港湾倉庫群/北門外・狩猟地帯
そんな中、ふと視界の片隅に“見覚えのある”フード姿が映った。
「……また、お前か」
振り向くと、すでにその人物は石畳の角を曲がり、細道の向こうへと消えていた。
(なんなんだ、あいつ)
プレイヤーか? NPCか? あるいは……
シュウユは軽く舌打ちし、後を追う。
坂を下り、街路を曲がり、古いレンガ作りの建物の裏へと回る。
そこに――そのフード姿の人物が、立っていた。
「なあ。そろそろ、話してくれてもよくねぇか?」
問うと、その人物はゆっくりとフードを外した。
現れたのは、柔らかく波打つ白銀の髪と、左右で色の異なる瞳。
――美しくも、どこか不安定な印象のある、少年だった。
「君が……“あのエリア”から来た人?」
「……〈眠らざる庭園〉のことか?」
少年は頷いた。
「やっぱり。あそこから来た者は、空気が違う。特に君みたいな、“型に嵌まらない”奴は、ね」
「お前……プレイヤーじゃないな?」
その問いに、少年はふっと笑う。
「さあ、どうだろうね。僕はただ、ある“仮想存在”を探している。君の連れている少年――創零。彼に、とても興味があるんだ」
「……!」
名を呼ばれた瞬間、シュウユの空気が変わる。
「何のつもりだ。創零に何かする気か?」
「違うよ。ただ……彼は“選ばれなかったもう一つの線”に関係している存在。元・九大超越者だった、あるAIがね。君と彼を見ていると、何かが動き始めた気がするんだ」
「君たちはこれから、もっと“大きな地図”の上に立つことになるよ。今はまだ、ほんの“前奏曲”にすぎない」
少年は再びフードをかぶる。
「また会おう、シュウユ。次は、君自身が“選ぶ”番だ」
そう言い残し、彼は風のように消えた。
(あいつ……何か知ってる)
しかも、創零に関係する“何か”を――
「大きな地図、ね。いいぜ。面白くなってきたじゃねぇか」
そう呟いたシュウユは、広がる街の全体図を見渡し、ゆっくりと歩き出した。
すでに〈眠らざる庭園〉は過去になり、新たな舞台が幕を開ける。
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