022 境界が揺らぐ
霧が晴れつつある。
静まり返った〈眠らざる庭園〉の中心。壮絶な戦いの余韻だけが、なお空気を震わせていた。砕けた転位座標、焦げた草花、そして地面に走る魔式の痕跡。そのすべてが、この場所にかつての戦いの熱量を刻んでいる。
「……なんとか、なったな」
シュウユは背中を地に預けたまま、青白い空を見上げていた。
横には、ゆっくりと浮かぶように座る創零の姿。彼女もまた、戦闘の中で大きく負荷を受けたのか、肩を小さく上下させながら、無言で呼吸を整えていた。
ふと、彼の手元に浮かぶステータスウィンドウが揺らぐ。
「……っ?」
ほんの一瞬。魔式座標のいくつかが、勝手に再編成を始めていた。
(偽蛇王転位陣……じゃない。これ……座標情報そのものが、再構築されてる?)
本来なら動作するはずのない範囲――システム外の領域にまで、魔力の“干渉”が流れ込んでいる。リフレクター・ルートが最後に放ったエラーパルス。そして、自分が使った未確定魔式の暴走。
(もしかして……こいつらが干渉し合って、庭園と外部の“境界”を、壊しかけてる?)
すぐにシステムログを確認するが、何も表示されない。まるでこの現象自体が、“公式の監視対象外”であるかのように。
「創零……なんか、空気、変わってないか?」
「……うん。光の密度、流れが……いつもと違う」
彼女はふと、東の方角を見つめた。普段は閉ざされているはずの森の入口、その向こうから――微かな、足音のようなものが届いてきた。
「……どこだ、ここ?」
深緑の霧をかき分けるようにして、一人のプレイヤーが茂みから顔を出した。
ハンドルネーム《ロム》。自称・隠し要素ハンター。〈NeoEden〉を発売日からプレイしているが、攻略よりも景観探索やバグ地形発見を楽しんでいるタイプのソロゲーマーだ。
「いや、おかしいって。転送ポータル使っただけで、いきなりこんなエリアに……?」
マップはグレーアウトされていて、場所情報すら読み取れない。チャット機能も反応せず、ログアウトもなぜかタイムアウト状態が続いている。
「こえぇ……でも、アツい……!」
視界に広がるのは、どこか神話的な趣を感じさせる庭園。
崩れかけた円柱、空中に浮遊する断片、透き通った水の流れ、花が咲き誇る中庭。
だが、整いすぎていない。どこか“構築途中”のような、不完全な美しさを持っていた。
ロムは、震える指で画面をキャプチャする。
「やべえ、これ絶対スクショ案件。バズる……いや、これ……運営、なんか隠してんじゃね?」
*
その数時間後――
《【速報】未発表マップ? 謎のエリアに迷い込んだプレイヤー現る!?》
《【画像アリ】ログアウト不能バグ?》
SNSと掲示板に、ざわつきが広がる。
「……来るぞ」
霧の向こうから、確かな気配が近づいてくる。
シュウユは剣の柄に手を添えたまま、まだ鞘から抜かずに立ち上がった。その横で、創零は無言のまま、いつでも展開できる魔式を両手に宿している。
やがて――足音。
まるで物語の舞台に迷い込んだかのように、緊張と興奮がない交ぜになった面持ちで、一人のプレイヤーが霧の奥から現れた。
「うわ、誰かいる……って、え、NPC? いや、プレイヤー?」
現れたのは先ほどの男、《ロム》。
彼は、装備からしても典型的な探索特化の軽装ビルド。戦闘慣れしている雰囲気はない。だが、ここが“公式に存在しないはずのエリア”であることは本人もわかっているのだろう、警戒を解かずに距離を取っている。
「こっちは敵意ないっす! ただ、なんか……気づいたらここにいて、道が消えてて……!」
その叫びを聞き、シュウユは少しだけ肩をすくめた。
「……あー、やっぱ来ちまったか」
「シュウユ?」
「さっきから、庭園の座標がバグってたんだ。多分どこかの転送ルートと干渉したか、ポータルの条件を満たしたやつが誤って“落ちた”……」
創零がうっすらと眉を寄せた。
「じゃあ……今後も、他のプレイヤーが?」
「来るだろうな。問題は……どこまで“ここ”が外にバレてるか、だ」
*
一方その頃――
《NeoEden》運営本部、監視ブロック。
オペレーターが騒然とする中、一人の技術責任者が、額に手を当てて呻いた。
「……あー、やっべぇなコレ」
「原因は?」
「おそらく、あの“転移魔式”と“ルートの防壁コード”がぶつかって、空間座標の干渉エラーを起こしたんだ……って、どう説明すりゃいいんだよこれ。まさかこのバグ経由で庭園に到達する奴が出てくるなんて、想定してねぇ……!」
「報告、どうします?」
「……できるか、こんなの。“想定外のアクセス”だ。マニュアルに書いてねぇ」
*
「シュウユ……どうするの?」
創零の問いに、彼はわずかに笑って答えた。
「ま、来たもんは仕方ない。なら、迎える側の準備をするだけさ」
ロムが困惑した表情でこちらを見つめている。
「ここは、“面白い”を全力で拾う場所だ」
ようこそ――眠らざる庭園へ。
お読み頂き誠にありがとうございます。




