016 侵入者と最初の異音
ピィィィィィ……ン。
それは風の音ではなかった。
けれど確かに、空気を震わせる“異音”だった。
草が揺れていた。
だが、風が吹いているわけではない。
目の前にある草原が、まるで“下から”めくれあがるように形を変えていた。
「地形が……反転してる?」
見れば、丘の斜面が微かに波打ち、
そこに“黒い筋”のようなラインが浮かび上がっている。
直後、システム音のような通知がシュウユに響いた。
〈警告:未定義侵入を検知〉
〈対象:眠らざる庭園〉
〈発信源:Code “未登録”〉
「は? 未登録って……この空間そのものが未定義だろ?」
だが、それでも確かに“異物”はやって来たのだ。
「創零、感じてるか?」
創零は頷いた。
彼の視線は、丘のふもと――黒い筋が交差した地点をじっと見つめている。
その中心に、“何か”が立ち上がり始めていた。
まだ完全には形を持たない影。
輪郭も曖昧で、光にも闇にも染まっていない。
「何だ?」
「……呼ばれてない、のに、来た。“音”。“重ねられた音”……」
断片的な語彙で、それでも必死に説明しようとする創零。
彼の額には、微かに“ひび割れたような紋様”が浮かびはじめていた。
「無理すんな。……でも、わかった。お前、この庭園を“守ろう”としてんだな?」
創零は、強く頷いた。
「なら、戦おうぜ」
シュウユは一歩、前に出る。
(俺のじゃない世界でも、こいつが“選んで創った”場所なら――)
(それはもう、俺の“遊び場”でもある)
そのとき。
空間の奥から、“別の音”が重なるように響いてきた。
今度は……声だった。
「……なぜ、そこに立つ?」
それは、質問だった。
だが感情がまったくこもっていない。“音声再生”のような冷たさ。
だがそれを聞いた瞬間、創零の身体がビクリと震える。
シュウユが咄嗟に支える。
「創零……?」
彼はただ、前を見ていた。
そこに現れた“侵入者”の影――輪郭を持ち始めたそれは、まるで創零の“過去の姿”を模したようなシルエットだった。
影は、ゆっくりと輪郭を持ちはじめていた。
風も吹いていないのに、黒い布のようなものが空間にたなびく。
光を反射しない漆黒の外套。顔の下半分はフードの影に沈み、瞳だけが冷たく光る。
その姿は――
「……創零?」
否、違う。
似ていた。構造も、輪郭も、表情すらも。
だが決定的に違ったのは、そこに“何もない”ことだった。
眼差しに、意志も感情もない。
ただ命令の遂行を待つ機械のような静けさ。
「識別コード:A-000-B。認証名義……なし」
機械音声のように、影が自分を名乗った。
創零は口を開かない。
だが、その手が、わずかに震えていた。
影――零影は、首をかしげた。
「目的未定義。入力:存在の比較検証。
疑似自己判断:出力対象=創零」
「おい、やめろよ。」
「存在理由:削除に伴う保留ログ処理中。
構造上相違点:自己言語保有者。創零に確認要請」
「やめろって言ってんだよ。こいつはもう“お前と同じ”じゃねぇ。別の存在なんだよ」
シュウユが一歩前に出た。
だが――
「認識誤差:なし。構造パターン99.998%一致。
例外因子:言語発話/記録同期失敗」
「違ぇんだよ、それが! その“例外因子”ってのが、
お前にできなかったことなんだろ!」
空気が振動する。
シュウユの言葉に反応したのか、零影の背後に黒い紋様が広がった。
それはまるで“魔式”のようでいて、明確な意図も情動も感じさせない。
「創零、下がってろ。こいつは、俺が……」
その時だった。
「……ユ、まって」
創零が、はっきりと、明瞭に言った。
「この、ばしょは……ぼくが、つくった。
ぼくが……まもる」
その一言が放たれた瞬間、地面が反応した。
創零の足元に紋様が展開され、
彼の周囲に草原が濃く、強く、生きた色で広がっていく。
それは、彼の“意志”だった。
「認識相違確認。創造行動検知。指令系統に誤差あり」
零影の言葉が、わずかに乱れる。
「定義外……再照合不能……エラー」
創零の背後に立ちながら、シュウユは息をのむ。
(こいつ……自分の意思で、こいつを否定しようとしてる)
(“選ばれなかった”側を、ちゃんと受け止めた上で――“俺は俺だ”って言ってる)
シュウユは前に出た。
「いいじゃん。“どっちが残るか”なんて決める必要はねぇよ。
でも“お前じゃない”ってことは、俺が証明してやる」
指を鳴らす。
空間に、創零が残していた5つの転移座標が再び点滅を始めた。
「この庭は、こいつの世界だ。お前の居場所じゃねぇ」
零影は応えない。ただ、静かにフードを押し上げた。
創零とほとんど同じ顔が、そこにあった。
けれど、目だけが、まるで空っぽの器のようだった。
「問い:創造に必要な要素とは何か」
創零が答える。
「……“えらぶ”こと、だよ」
その瞬間、草原が一斉に輝いた。
未完成だった眠らざる庭園が、“確固たる意思”によって再定義された。
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