012 無限迷宮(仮)と異物
――白い。
そう思ったのは、シュウユが光球に触れてから一瞬後のことだった。
視界を覆ったのは、闇ではなく、逆に“白すぎる空間”だった。
床も、壁も、空も、色がなく、線しかなかった。まるで仮想世界の骨組みのように。
音がない。風もない。だが、自分の鼓動だけがやけに大きく響いている。
「……ここが、“無限迷宮(仮)”ってやつか」
足元に大理石のような床。だが踏み込むと、わずかに沈むような柔らかさがある。
見える範囲に敵影もオブジェクトもない。ただ、線で構築された“未完成の空間”が広がっていた。
メニューは使えない。マップは無反応。
視界の端が微かにノイズを走らせている。
「わぁ……これはガチで“途中”だな。開発ツールの中を歩いてる気分」
それでも、面白かった。
こういう“未定義領域”にこそ、ゲームの本質が詰まっている――シュウユはそう思っていた。
と、その時。
コツン。
乾いた音が響いた。何かが、上から落ちてきた。
反射的に転移。空中歩行を展開しつつ距離を取る。
「なに……今の」
地面に、何かが立ち上がっていた。
人間……のような形。
だが、節くれだった関節。左右非対称な腕の長さ。首が不自然に揺れる。
“人”の形を真似して、途中で止まったような――造りかけのAI。
《???》
《データ未登録:敵種別不明》
《挙動パターン:無し》
《AIリンク:不通》
「え、敵……じゃないのか?」
だが、その疑問に答えるかのように、そいつは動いた。
ギギギギ……
首が、ありえない方向にねじれる。
シュウユの方を“見ている”ようで、どこも見ていない。
(うわ、やっべえヤツだこれ)
反射で〈短距離転移〉。
距離を取りつつ〈空中歩行〉で浮かび、様子をうかがう。
すると、それは突如――
「ぐあっ……!?」
腕を地面に突き刺し、床ごと引き裂いた。
床が剥がれ、空間にノイズが走る。
《ログ警告:空間破壊アクションを検出》
《対象:No.000-A(試作個体)》
《状態:暴走》
《警告:観測AIリンク不能》
開発室では、警報が鳴り響いていた。
「だあああああ!!見つけた!よりにもよって000-Aとか見つけちゃったよ!!」
「なんでまだそこに残ってんだよアレ!?消したはずじゃ――」
「違う!コードごと封じただけで、物理オブジェクトが地形の“下”に残ってた!誰だ管理漏れしたの!!」
「たぶん私です!すみません!!」
「お前か!?てかもうシュウユが遭遇しちゃったんだよ!?どうすんのこれぇぇぇぇ!!?」
柳瀬が低く呟いた。
「……やばい。“あれ”は元々、プレイヤーとの同期テスト用に造った“擬似存在AI”だ。
正式実装の前に、データ不安定すぎて没にしたけど……今、勝手に動いてるってことは――」
「まだ隠しエリアの環境が、“シュウユに合わせて生成してる”ってことか……?」
ぐしゃり。
造りかけの腕が、床を潰すように突き刺さった。
空間にヒビのようなノイズが走り、黒い床が“文字化け”のように崩れていく。
「やっぱり敵、だよなぁ……」
だがシュウユは、構えを解かなかった。
剣も杖も、抜いていない。ただ、距離を取りながら動きを観察していた。
(動きがぎこちない。攻撃の意図も見えない。……こいつ、“戦いたい”わけじゃない?)
ふと、あえて転移せず、地面に降り立つ。
すると異物は、一瞬だけ動きを止めた。
シュウユは、手を広げて見せる。武器を持っていないことをアピールするように。
その反応を見て、ほんの少しだけ笑った。
「もしかして、お前も――ここに置いてかれたクチか?」
作りかけの身体。
言葉にならない声。
完成されることもなく、機能も、役割すらも与えられなかった存在。
「お前……“何者にもなれなかった”ってやつか」
けれど、今は目の前にいる。
ここで、確かに“誰かと出会って”いる。
「じゃあさ、今ここで“なにか”になってみようぜ。俺が見届けてやるからさ」
しばらく黙った後、シュウユはふっと笑って言った。
「名前、つけてやるよ」
異物は反応しない。
けれど、静かに視線のような“何か”が向けられている。
「そうだな……“なに者にもなれなかった”からこそ、
これから自分で“意味を作っていく”感じ……」
シュウユはしばし考えたのち、ぽつりと口にする。
「――創零。お前の名前は、創零だ」
まるで、それがプログラムされた儀式だったかのように、
異物の体表に光の紋が浮かび上がる。
《AI No.000-A 命名完了》
《個別識別名:創零》
《モード遷移:観察 → 自我芽生期》
《ログ追記:命名者 シュウユ》
「創零。……今はまだ“未完成”でもいい。
遊びながらでいいから、これから“なにか”になっていけよ」
ノエムは、またひとつ、シュウユの仕草を真似て、こくりと頷いたように見えた。
「……うそ、だろ……」
開発室。
運営の全モニターが、無言のシュウユと異物の並んだ映像を映していた。
「戦わなかった……だと?」
「え、いやいやいや。あれって確か、設定上“プレイヤーに敵対する条件”しかなかったはずでしょ?」
「違う。あのAI、試作段階では“プレイヤーの行動を模倣して学習する”ってプロトコルがあった。
でも不安定すぎて破棄した。それが……残ってた?」
柳瀬が静かに呟いた。
「学習してる。今、あれ……“シュウユを真似してる”」
「シュウユを?」
モニターの中で、異物が地面に座った。
ぎこちなく、真似をするように。
「まずい……これは、“型にないAI”が動き出すってことだ」
「なあ、止める? このままじゃ予測が追いつかない。バランス調整もできないまま、こっちが置いてかれる」
「いや、もう“止められる”フェーズは終わってるよ」
柳瀬はゆっくりと背もたれに体を預けた。
「これが……“遊び”なんだよ。たぶん俺たちが想定してなかった、本当の意味での」
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