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We Are Chats  作者: SBT-moya
3/5

視線の迷宮

カタカタカタカタカタカタカタカタカタ……タン


カタカタタン・タン・タン


カタカタカタカタカタ……



 あくる週の日曜日の夜である。

妻は相変わらず取り憑かれたようにパソコンのモニターに向き合っていた。


 ここ1週間の記憶がない。

言いすぎた……。ここ1週間の、ろくな思い出がない。

どこにいても、何を見聞きしても、誰と話しても、まるで頭が動かない。

おまけに仕事では小さなミスを繰り返すようになり、体調も心配されている。


 実際に熱が出て1日家に寝込むことになったが、その時も妻は半休を取って看病をしてくれた。

妻の看病は非常に献身的で、真心に満ちていた。おかげで私の風邪も1日で復帰の目処が経ったのだが……


カタカタカタカタ……


 妻がリビングに戻るとこの音が聞こえてくるのだ。

私の体調不良の原因が、この音であることを妻はまだ、知らずにいる。


 闘病の床で、夢を見た。

一つの夢ではなくたくさんの夢だ。

妻が、ロシア軍の軍事機密にハッキングしている、という内容だったり、

意中の男性と、チャットを楽しんでいる、という内容だったりしたが、

一番タチが悪い夢は、妻が私がこうやって苦しんでいる姿を記事にして世界中に発信している。という内容のものだった。


 そんなもの誰が見るんだ。中年男性の苦悩など。

だが、『誰が見るんだ』という言葉はブーメラン式に自分に刺さってきた。そもそも妻の謎の趣味に興味を持ったのが悪いのだ。


 もう考えないようにしよう。これを何度試みたか。

すでに引き返せない体になっていた。妻が……また溜まった洗濯物をカゴに入れに席を離れると、私は妻の見ていたモニターにかじりついた。


『The Watchers』


 妻が最近力を入れて執筆しているそれだ。これが、誰宛に書いたものか、なんのための執筆か、わからない。

が、だんたんと真意に近づいている予感はしている。

それを確かめないことには、私も前に進めない予感がしていた。


 モニターには、『The Watchers』から始まる、物語のようなものが綴られていた。









『The Watchers』 視線の迷宮

 タカオは、窓を凝視したまま、喉を鳴らした。

 拭いたはずの窓に、新たな手跡が浮かんでいる。 しかも、今度はひとつではない。

 五つの手跡がある。

 どれも人間の手の形をしているが、妙に長い。指の関節が通常より多いように見える。 いや、気のせいだ。そう思い込もうとする。だが、ひとつだけ確かなことがある。

 これを拭いたのは自分だ。なのに、なぜ増えている?

 タカオは震える指先でカーテンを閉じた。 だが、それだけでは安心できず、カーテンの隙間から少しだけ覗いた。 視線の先、向かいの部屋の男は相変わらずパソコンの前に座っている。

 いや、違う。

 画面がこちらを向いている。 そして、また文字が打ち込まれていく。

 「お前が覗くから、俺も覗く」

 タカオは悲鳴をあげそうになったが、なんとか喉の奥で飲み込んだ。 誰かが自分を監視している。 それが「誰か」は分からないが、「何か」から覗かれているのは確かだった。

 タカオは慌ててカーテンを完全に閉め、脇に置いてあった新聞を取ってみた。 背中に冷や汗が伝うのを感じる。

 しばらくそのポーズでいたが、違和感に気がついて、新聞を逆さまに読んでいたことに気がついた。

 こんなこと、普通はありえない。こんな恐怖に怯えるのは、何かの思い違いだ。

 しかし、それは思い違いではなかった。

 夜中、タカオはうっすらと目を覚ました。 ぼんやりと天井を見上げ、寝返りを打とうとしたとき、ある異変に気づいた。

 カーテンが開いている。

 誰が開けた?

 タカオはガバッと起き上がり、心臓が跳ね上がる。 カーテンの隙間から、向かいの部屋が見える。 パソコンの画面が点灯している。 画面の中央に、ひとつの画像が表示されていた。

 それは、タカオの寝室の写真だった。

 撮られたばかりのように、今の自分と同じ体勢で寝ている写真。 目の前の画面に、それが表示されている。

 タカオは震える指でスマートフォンを掴み、カメラアプリを起動した。 おそるおそる、自分の後ろにある窓をカメラで映す。

 画面に映ったものを見た瞬間、タカオの血の気が引いた。

 窓の向こうに、人がいた。

 五つの手跡をつけた何者かが、こちらを覗いていた。



……

……






 物語はどうやらまだ少し続くようで、画面を下にスクロールできた。

そこには……一枚の画像が貼られていた。



 ……私の写真だった。


「わあ!」

 

 と私は腰が抜けて倒れた。

洗濯機から聞こえてきたはずの音が途絶え、妻の足音がこちらに向かってくるのを感じる。


 私は大慌てで画面を元に戻し、

自分の席に戻って、形状記憶の如く、読んですらいなかった新聞を広げた。


「どうしたの?  すごい音したけど」


 妻が部屋に戻ってくる。


「あ! いや……

 …… ……いや、なんでもない。なんでもないんだ」


「ふうん……?」


 妻は洗濯機の方に戻っていった。

私の写真を使おうとしているなら、これはもう、他人事ではない。

一言私に筋を通すべきだ。


 ……しかし、それを叱責するということは、妻のプライバシーを私が覗き見をしていることを認めることになる。

これが何なのかはわからないが、間違いなく触れてはならない聖域だ。と、10年間の経験則が言っている。


 誰にだって触れられたくない秘密はある。

妻にとってのそれは、間違いなくこの文章のはずで、ましてや、

人が席を立った時に人のパソコンを覗き見るなど、これはモラルを欠く行為である。それが夫婦間だとしても……。


 この場合、どうしたらいいのか答えを出せないでいる私は、

ようやく、今持っている新聞紙が「逆さま」であることに気がついた……。



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