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We Are Chats  作者: SBT-moya
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静かなる視線




カタカタカタカタカタ……


カタカタカタカタカタカタカタ……


カン・カン……


カタカタカタカタ……







 私の妻は無趣味である。妻とは、仕事の付き合いから知り合い、

お互いに恋愛に興味のなかった我々は半ば、各々の体裁のために、極めて短い交際期間の末、結婚に至った。


 私の妻は無趣味である。結婚して10年、いまだに彼女のことを掴みかねている。

どこに連れて行こうとも、やれ「満員電車が嫌だ」「飛行機は怖い」「船は酔うからいやだ」「あなたの運転が怖くてそれどころじゃない」

などと、もう移動の時点で拒絶されてしまうし、


 好きな音楽も映画も小説も、そのジャンルさえも、わからない。


 わかることは、休日は深海の貝のように何もせず、ベッドから起き上がってこない。

かといって悪妻かというと決してそういうわけではなく、我が家の経済管理から、私の体調管理、

掃除洗濯は黙々とこなし、それに対して不満を言われたことがない。


 ……我が家は共働きの夫婦なので、彼女も休みたいだろうに……何にストレスの吐口を求めているのだろう。

とにかく彼女にはどこか、『踏み込んではいけない聖域』のようなものがあって、

それは建前でも夫である私も例外ではないようだ。


 だがそれがなんだと言うのだろう。私には私の絶対領域があり、彼女には彼女のそれがある。

そして互いにそこには決して干渉しない。そのような些細なルールさえ守れば、夫婦という役割は果たせるのである。

そこに対して私も不満はない。彼女が彼女の時間を何に使おうが、私の問題ではないのだ。




 カタカタカタカタカタ……


カタカタカタカタカタカタカタ……


 カタカタカタカタカタ……


カタカタカタカタカタカタカタ……



 ……それがここ数日、変化が訪れた。

彼女はある日を境に、人が変わったようで、途端に『休日』に活動的になった。


 明くる日の日曜日。数ヵ月前の『深海に横たわる死体』としか評せない自堕落極める休日の妻は姿を消し、

暇さえ見つければ新調したパソコンと向き合っている。


 パソコンも彼女が自分で稼いだ給金で買ったものだ。

彼女は基本、理由もなく人から何かを恵んでもらう行為自体が気に入らないようなのである。



 カタカタカタカタカタ……


カタカタカタカタカタカタカタ……



 …… ……


 カタカタカタカタカタ……


カタカタカタカタカタカタカタ……


 カタカタカタカタカタ……


カタカタカタカタカタカタカタ……


 カタカタカタカタ……タン・タン・タン!

……


カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ……



 気になる!!!

すごい気になる! 何を入力しているのだ! いいやこれは彼女の聖域の事態であり、

彼女の聖域においては彼女しか存在し得ないのだ。まして私が介入する余地などどこにあろうか。


 私は正直、新幹線の隣に居合わせた人間が、激しくキーボードを奏でていても熟睡できる人間だ。

こんなカタカタ音は所詮雑音であり、私の人生においては雑情報以外のなんでもないのだ。

そして雑情報は排除してしまえばいい。それが社会のルールだ。


 カタカタカタカタカタ……


カタカタカタカタカタカタカタ……


 だが気になる!!

なんだ! 一体何をそんなに一心不乱に書き込んでいるのだ!?

思わず彼女の目を見た。

休日は生気というものを根こそぎ引っこ抜いた、荒地のような目が、今は謎の野心で生い茂っており、

屈強な意志を感じる。いや、何かと格闘しているようにすら感じられる!

怖い!!


 しつこいようだが、これが違う誰かなら全く気にならないのだ!

あくまで『休日の彼女』だから気になってしまう。


 彼女は非常に要領の良い人間だ。休日や家庭に仕事を持ち込むなんてことは、彼女の流儀に反する(少なくとも私はそう思っている)

彼女が私の前で、こんなに活動的になっている姿は私の前ではまず見せない! (少なくとも10年間は1度も見たことない)


 ……人の、それも彼女のような人間のプライベートに迂闊に踏み込んではいけない。

わかっているのだが、わかっているのだがどうしても気になって仕方がなかった私は、思わず、


「……何してるの?」


 の一言を口にしてしまった。彼女は、一瞬だけこちらを見て、


「……色々」


 とだけ答えてまた自分の聖域に帰っていった。


 色々か。じゃあ、色々なのだろう。何色なのかは知らないが……

いやなぜ濁す!? 色々なんて、色々な色に色を混ぜ返して色を濁す!?



 私に知られたら困る何かか!? 彼女に限って私に隠し事なんてするとは思えない。

第一、隠せていない。


 これで私は歯止めが効かなくなってしまった。

彼女が席を立ち、洗濯物を洗濯機からカゴに移しにいった際に……私は禁断の聖域を冒した。


 彼女の使用していたモニターには、こう書かれていた。


『The Watchers』


  一瞬、心臓が止まりかけた。覗き見をしているからその後ろめたさもあってか、

私宛の文章かと思ってしまった。しかし、その一言を書くには時間をかけすぎなのである。


 私は背後を確認し、今一度、モニターを見た。

そこには、

『The Watchers』


 から始まる、一連の文章が書かれていた。










『The Watchers』 静かなる視線

 そのアパートの3階の一室、カーテンの隙間から僅かに見える明かりが、彼の唯一の楽しみだった。 彼――タカオは、自室の窓辺に椅子を置き、薄暗い部屋の中でじっと外を眺めるのが日課だった。向かいの部屋には、30代前半ほどの男が住んでおり、毎晩決まって0時過ぎにパソコンの前に座る。そして、カタカタとキーボードを打ち始める。

 「何を書いているんだろうな」

  タカオは、薄暗い部屋の中でつぶやく。相手に気づかれないように、ほんのわずかにカーテンを開くのがコツだ。 この小さな“覗き”が、彼の唯一の趣味だった。

 ある夜、タカオはいつものように窓辺に座り、彼の部屋を覗き見ていた。男は、モニターに何かを打ち込みながら、ふと手を止め、背後を振り返った。

 「……?」

  タカオは息をのんだ。男は、明らかに何かを探しているような素振りを見せた。そして、ゆっくりと立ち上がり、部屋の隅にあるクローゼットを開けた。中を確認すると、安心したのか、再びパソコンの前に戻った。

 「誰か、いるのか……?」

  タカオは、ぞくりと背筋を震わせた。まさか、自分の視線に気づいたわけではないだろう。だが、その不安は翌日、確信へと変わった。

  次の夜、彼がいつものように窓辺に座ると、向かいの部屋の男のパソコンの画面が、こちらを向いていた。 そこには、黒い背景に白い文字で、こう書かれていた。

 「お前も見ているのか?」

  タカオの心臓が跳ね上がる。何かの偶然だろうか。だが、その瞬間、さらに奇妙なことが起こった。

 男の背後のクローゼットが、わずかに揺れたのだ。



 ……


 ……


 ……



 ……背後から足音が近づいてくる気配を察して、私は画面から離れ、

形状記憶の如く、元の定位置の元の形に収まった。


 部屋に妻が入ってきて、私のことなど見ずにベランダに、溜まっていた洗濯物を干しに行った。


 ……今のは、物語だろうか? それとも私を何か試しているのだろうか?

彼女は新しい趣味でも見つけたのか? いいや! だとしても元々説明書を読むのにも難儀するような活字無精な彼女が、

こともあろうに執筆活動に打ち込むなんてことはないはずである。


 しかし、執筆活動でないのならこの文章は一体、なんだ?

結婚10年目、我が家にはかつてない不穏な空気が漂い始めた。



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