表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/43

9.ドラゴンの卵2


 馬車はまた走り出し、次の町へと向かい始めた。

 ブリンゲバールが近づくにつれ、雪の深さが増していく。


 実は、ブリンゲバールがバールベリーの名産地なのは、他でもないこの雪があるからなのだ。

 バールベリーは寒さにさらされるほど甘くなり、雪のような一定の低い温度化ではそれを実に蓄える。

 つまり、ブリンゲバールの寒さと冷たい雪が甘いバールベリーを育てるのである。


 という話をしてくれた。

 フィアリルが。


「ルーベル知ってた?」

「いや、初耳」

「さすがわたし」

「うんうん物知りなフィアリルすごいね」

「まあね!」


 ヴィンテルも目を覚まし、三人で賑やかに喋りながらの楽しい道中になる。


「フィアリルさん! 起きてたんだね!」

「ルーベルから聞いたよ。改めまして、わたしはフィアリル・リーです」

「僕はヴィンテル。ヴィーでいいよ!」

「ヴィーのおかげでルーベルから素敵な贈り物をもらえたよー。ありがとう」

「やっぱり! 僕の思った通り、すごく似合ってる!」

「でしょー」


 まるで自分のことのようにヴィンテルが喜ぶので、フィアリルがちょっと誇らしげな顔になる。


「ほれ、ヴィー。君にはこれあげる」


 ルーベルは編み上げたミトン型の手袋を手渡した。

 ヴィンテルは不思議そうに手袋とルーベルの顔を交互に見る。

 その仕草がフィアリルそっくりで思わず笑ってしまう。


「手袋だよ。アドバイスのお礼。ありがとう」


 ヴィンテルがその場でぴょんと飛び跳ねた。

 ぱっとあげられた瞳はきらきら嬉しそうに輝いている。


「いいの!?」

「うん」


 ヴィンテルは早速手にはめて、その手で頬をおさえた。


「わー! ふかふかだー!」


 喜んでくれて嬉しいぜ少年。

 でも動く馬車の上でぴょんぴょんと跳ねないで頼むあぶないから。


 馬車がガタンと揺れる。


「わわわっ!」


 ヴィンテルの体が投げ出されそうになり慌ててキャッチした。


(言わんこっちゃないなぁもう)


「喜んでくれてるのはわかったから、ちょっと落ち着こ……」

「うん! えへへ……ごめんごめん」


 ルーベルに手袋をはめた両手を見せて、ヴィンテルが満面の笑みを向けてくれる。


「ほんとうにありがとう! ルーベル! えへへへ」

「どーいたしまして」


 どことなく仕草がフィアリルにかぶって見えて、ヴィンテルの頭も撫でる。

 フィアリルがそれを微笑みながら見ていた。


 そのときだった。


 ガシャンと大きな音がした。次第に景色が斜めっていく。

 馬車が横転しているのだ。


「伏せろ!」


 叫んだ瞬間、キンと一瞬耳鳴りみたいな感覚がしたかと思うと、頭上を大きな爪が掠めた。

 それはルーベルたちの頭の上ぎりぎりを通り過ぎたかと思うと、もう一度振り下ろされる。

 ズダン! と鈍い音がして、その鋭利な爪が叩き落された場所は、馬車のすぐそばの木の上だ。

 その衝撃でルーベルたちの体が跳ねる。


「あれは…………? なんで……ここに……」


 御者のおじさんが慄き、尻もちをついた。

 その視線の先には、大きな翼を持ち、全身を固い鱗でおおわれた巨大なモンスターの姿がある。


「―――ドラゴン」


 フィアリルがその名を呟くのと同時に、もう一度ドラゴンの爪が振り下ろされた。

 今度は思い切りルーベルたちの間合いに落ちてくる。

 手に持った鉈で弾き返すが、守備が精いっぱいで反撃には回れそうにない。


 ドラゴンは、冒険者ギルドが指定する討伐魔物階級の一番上に属するSSランクの魔獣である。

 討伐しようと思ったら、歴戦の冒険者パーティがいくつも束になって、ようやく達成できるレベルの魔獣だ。


 つまりこの場ではどうするのが正解かというと


「全員ダッシュ!」


 逃げ一択である。


 御者のおじさんとフィアリルを脇に抱え、ヴィンテルを肩に乗せて走る。

 これでも力だけはあるので三人くらいなら抱えて走れる。


 自分たちが先ほどまでいた場所がドラゴンによって踏みつぶされる音を背中に聞き、ぞわぞわと鳥肌が立つのを感じた。


「うわうわうわうわうわわわわわわ……」


 顔のすぐそばを爪が通ったらしく、御者のおじさんが泣きそうな顔でこちらを見る。


 ごめん。これは俺にも倒せない。


「くそ…………このままじゃジリ貧だ……」


 走りながら必死にこの場を切り抜ける方法を考えてはいるものの、さっぱり思い浮かばない。

 自分の足でドラゴンから逃げきれるとは到底思えないし、早晩追いつかれるだろう。どこかに隠れてもあの威力の攻撃では意味はないに等しい。


 それにしても、なんでこのドラゴンはこんなに怒っているのだろう。

 ドラゴンというのは基本温厚で、縄張りに足を踏み入れない限り人を襲うことはない。

 馬車の御者がそれを知らないわけはない。きちんと避けるルートは通っているはずである。


 フィアリルも同じことを疑問に思ったらしく、反対側に抱えられている御者のおじさんの方を見る。

 が、御者のおじさんは「俺はやってない」とばかりに真っ青な顔でぶんぶんと首を横に振った。

 たしかに、御者のおじさんがここにドラゴンが出ると知っていたとして、自ら危険に飛び込む理由がない。死にたがりなら話は別だが、そうとも思えない。


「なにか、他に理由があるのかな……でも、怒りで我を忘れてるみたいだし……『ドラゴンを落ち着かせる魔法』って、なかったんだっけ……」


 フィアリルが何事かを呟くがよく聞き取れない。


「あ、でも、偽物とはいえある程度のヒロイン補正があるのでは……?」


 そんなことを言ったかと思うと、フィアリルが身をよじってルーベルの右腕から抜け出した。


「あ、ちょ、フィアリル!」


 彼女は軽い身のこなしで、まるで舞い降りるかのように華麗な着地を披露すると、ドラゴンの前に飛び出し、そして両手を前に突き出した。


「ストーップ!」


(待て待て待て待て―――死ぬぞ、あんなの―――)


「おいフィアリル!」


 咄嗟にブレーキをかけた瞬間、ヴィンテルもルーベルの肩を降り、フィアリルを追って駆けだして行ってしまった。


 急いで引き返すが、その瞬間向かってきた爆風のせいで早く進むことができない。

 ズドンと、白い風の向こうでドラゴンが地面を踏みつける音がする。

 ズドン   ズドン   ズドン ズドン ズドン ズドン ズドン


「待て……戻ってこいフィアリル……ヴィンテルも……いやだ……!」


 間に合わない。

 たった数十歩先の彼女との距離が、永遠のようにすら感じる。


「頼む……逃げてくれよフィアリル……! フィアリル……―――!」


 フィアリルの頭上に影が差す。ドラゴンが足を持ち上げたのだ。

 ルーベルが必死で叫んでも、彼女はその場を動かない。


「頼むから…………」


 ドラゴンの足が降りていく。

 全部の景色がスローモーションに見える。


 間に合わない。

 伸ばしても届かない、自分の手。


 ひときわ大きな地鳴りが、ドラゴンの咆哮とともに響き渡った。

 同時に、ドラゴンの攻撃がぴたりとやむ。

 辺りは舞った雪に囲まれて何も見えない。


 無視しきれない嫌な予感が、ルーベルの体をぬるりと通り抜けていく。


「フィアリル……! ヴィンテル! いるなら返事してくれ!」


 あたりを静寂が支配している。


 やがて舞っていた雪がやみ、景色が鮮明になっていく。

 目の前に現れた光景に、ルーベルの足から、かくっと力が抜けた。


「フィアリル……?」


 雪の上にフィアリルが倒れこんでいる。

 潰れてはいない。そのことにまずは少しだけ安堵する。


 けれどその意識を失った体はたしかにフィアリルのものだった。


 贈ったばかりの硝子牡丹の髪留めと、葡萄色のマフラーがいっそ残酷なほど明確にそのことを示している。


 フィアリルの肌が冷たい。雪のせいであってくれ。


「ねぇ、フィアリル。ねえ! 返事してよ、してくれ……頼むから……」


 起きない。脈も、息も、フィアリルの生を証明するものが少しずつ弱くなっている。


「フィアリ……―――」


 何度目かの、名前を呼んだ時だった。

 後ろに誰かの気配が感じられた。


 あまりに突然で、すぐ近くだった。下手に動くと逆に攻撃を受けそうな距離。

 ふっと背後が冷たくなる。


「まったくもー、フィアリルさんも無茶するなぁ」


 振り向くと、透き通った瞳の少年がフィアリルを覗き込んでいた。

 手にはルーベルが贈ったばかりの手袋をしている。


「ヴィンテル……?」


 ヴィンテルはにこりと笑うと大人が子供を叱るときみたいに腰に手を当てる。


「たしかにフィアリルさんにもドラゴンの加護はあるけれど、そっち方面のものじゃないんだよ? ルルフィーナとは違うんだから」


 ヴィンテルが意味の解らないことを言う。

 『ドラゴンの加護』? 何のことだ。


「しょうがないなあ。まだ少しブリンゲバールは遠いけど、まあいいか。特別だからね」


 そう言ってヴィンテルが手をかざすと、フィアリルの体が金色の光に包まれる。

 その光がやがて静まり、あたりが元の明るさに戻る頃、フィアリルがぱちりと目を覚ました。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ