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5.信じていいよ、奥さん


 部屋に戻り、少し遅くなったが夕食を済ませた。

 厨房の人が料理を温めなおしてくれて、俺たちもおいしい食事を味わうことができた。


「このお肉美味しいね! あぶらが甘くて……! 味付けもシンプルなのに飽きが来ない。こんなのぺろりといっちゃうな。うんお代わりしよ。スープもおいしい……。なんていう調味料だろうこれ。コクがあってほっとするぅ……」


 もぐもぐと頬いっぱいにおいしそうに食べるフィアリル。

 それを見ているだけで幸せな気分になってしまう。

 さっきまでの彼女の背中の遠さが嘘のようで、なんとなくほっとしている。


「俺のも食べる?」

「いいの!?」

「うん。いいよ。たくさん食べな」


 自分の皿の上にあるお肉をフィアリルの皿にひょいと移そうとして、ルーベルの手は固まった。

 フィアリルが、あーんと口を開けて待っているからだ。


(これはアレか? 君の口に俺のフォークを入れてもいいってこと? ほんとか? ほんとにいいのか?)


 なんだかすごくいけないことをしている気持ちだ。なんでだ。


「…………君、そういうとこほんと無防備だよね……」


 このままでも心臓が持たないが、これ以上フィアリルを待たせるのもそれはそれで恥ずかしい。

 ルーベルは、なんとか自分のフォークに刺した肉をフィアリルの口の中に持っていく。

 ぱくんと特に気にした風もなく肉を頬張るフィアリル。


「おいしい~! ありがとうルーベル! ……って、どうかした?」


 どんぐりのようなまんまるの瞳が不思議そうにこちらを見つめる。


「別に、なんでもないよ」


 ルーベルの答えに、フィアリルはますます首を傾げた。


(ああ、くそ)


 どきどきさせられているのはこっちばっかりだ。

 フィアリルからしてみれば、なんてことない言動なんだろうに。


 このままでは、心臓が朝までどころか次の瞬間まで持ちそうにない。

 ルーベルは、話題を変えようと目下気になっている質問を投げかけた。


「ところで、どこか目的地はあるの? 俺はこういう行く当てのない旅でも慣れてるし、大歓迎だけど」

「そんなことを言ってると、わたしみたいな悪女に『行く当てがないからお家を買ってくれない?』って付け込まちゃうわよ」

「いいよ」

「だめ。冗談」


 冗談だった。

 フィアリルがいたずらっぽくふふっと笑う。


「フロストランドの奥の奥のさらに奥に、アイスフィールドという土地があるの。はるか昔に魔女が住んでいたと言い伝えがあるところでね、そこに小さな家と雄大な自然がある。普段は見つからないように結界魔法で保護されているのだけど、リー家だけが知る正しい道順を辿り、『鍵』を持っていれば入ることができる。そこで暮らすつもり」


「そこに行くにはどれくらいかかるの?」

「うまく行けば半年、のんびり行けば一、二年ってとこかな。フロストランドは南北に長いから」


「正しい道順って?」

「それはもっと先の話よ。アイスフィールドの手前にセレリス・フォレストという集落があるのだけど、そこまではこのまままっすぐ北上して、道のりの途中にある町にその都度滞在して行こうかなと」

「なるほどなるほど」


 どうやらちゃんと目的地はあるようだ。行く当てのない旅でも楽しいだろうが、今のルーベルたちの状況を鑑みても、帰る場所があるなら安心だった。


 運ばれてきたデザートの水菓子を口に運びながら、セレリス・フォレストまでの道順を思い返してみる。


 セレリス・フォレストまでなら、昔父に連れられて行ったことがあったのだ。

 初夏に、セレリスという雪のように白い美しい花でいっぱいになるところで、今では植物学者の聖地として有名だ。


 ルーベルの父の用事もたしか、そこにいる植物学者に会いに行くことだったと記憶している。


「これからどうするかな……」


 セレリス・フォレストまで安全に行くのであれば、冬が来る前にどこかできちんと支度をすませておきたい。

 フロストランドは山を隔てているのでセントランドと大きく気候が異なる。冬の寒さで死ぬなんてことも、こちらの国ではざらである。

 セレリス・フォレストの手前の町、コセーテまで安全に行く方法を考えるべきだろう。

 そこであれば、冬の準備をすることができるはずだ。


 そこまで考えたところで部屋の扉がノックされた。

 来たのはノーマンである。ひょいひょい手招きされた。


「ルーベル、ちょっと来い」


 さっきの冒険者くずれの男たちの引き渡しだろうか。食事を終えていたルーベルは素直に立ち上がる。


「どうした? ノーマン。さっきのやつらの引き渡しか?」

「ああいや、それはリチャードが行ってくれた。それとは別でちょっと話が……」


 ノーマンはルーベルを連れて下の階まで降りていく。


「なんだよ。すぐすむ話なら部屋でもよかったろ」

「いや、あのフィアリルっていう嬢ちゃんについての話なんだ。ちょっと気になる情報を耳にしたもんだからおまえに話しておこうと思ってな。部屋でもよかったんだが、嬢ちゃんに話すかどうかはおまえが決めた方がいいと思って」


 ノーマンはわざわざ従業員スペースの方にルーベルを入れて、声を落とした。


「実は、セントランドの『とある高貴な身分の方』―――まあ十中八九、例の王太子だと思うけど……まあ、どうやらそれが嬢ちゃんを追っているらしい。『妖精姫を連れ戻す』ってな」

「『妖精姫』?」


「リー子爵家の血を引くご令嬢は代々ある役割を受け継いでいるんだそうだ。結界魔法による国の守護とフロストランドに隠れ住むと言われる賢者との対話、それから妖精界への連絡役だ。『妖精姫』っつー呼び名はそっから来てる。結界魔法はその国に住む貴族の責務でもあるから、嬢ちゃん一人抜けても問題がなかったみたいだが、残りの二つが厄介で」

「待って待って情報過多」


 たしかに、山を歩いてるとき一匹も魔物に出くわさないなと思っていた。

 奥さんの結界魔法すごい。かわいい。


「続けるぞ? それで、今まで超ビッグな後ろ盾付きの嬢ちゃんの手腕に頼っていた王太子殿の政務は、嬢ちゃんが抜けてガッタガタ。婚約者だった公爵令嬢様と第二第三王子が現在ほとんどを代行しているらしい。まあ当然、国王陛下も王太子の座を保留。そのまま廃太子になるだろうと思われてる」

「王太子……そんな感じだったんだ……イメージ変わった」


「そうだな。そんで、地に落ちた評判をなんとか回復しようと王太子殿は焦っているわけだ。そこで話は冒頭に戻る。王太子殿が血眼になって嬢ちゃんを取り戻そうと探している。今日あの冒険者くずれたちに嬢ちゃんを連れてこいと言ったのも、その連中だろう」


 ひどいもんだよ、とノーマンが締めくくる。


 ルーベルの中で、強い怒りが渦巻いている。

 フィアリルがいれば何もかも元通りになると思ったのだろうか。

 自分がどんな仕打ちを彼女にしたのかも忘れて。


「大丈夫か、ルーベル。おまえひどい顔だぞ」

「あ、ああ。悪い」


 ノーマンはにっと笑って元気づけるかのようにバシバシ俺の肩をはたく。

 ありがたい。ありがたいが……。

 おい、ちょっと強くね? 痛い痛い痛い


「おまえ、嬢ちゃん連れて明日にでもこの町を出ろ。王太子殿がここに来る前に次の町に辿りつければ、少しは長くここで足止めできるから」

「わかった」


「よし。そしたら早く寝ろ。道中で食えるように明日なんか包んでやるよ」

「恩に着る」


 部屋に戻ると、床には布団が敷かれていた。

 柔らかそうな布団にふかふかの枕。そこに、フィアリルがぼすんとうつぶせになっている。

 扉が開いたことに気づいたのか、彼女はそっと顔をあげた。


「ただいま」


 なんだろう。様子がおかしい。

 待ってもフィアリルの『おかえり』が返ってこない。

 何度も言うものでもないのかもしれないが、さっきまで返されていたものが急になくなると、人間、不安になるのだ。


「フィアリル? どうしたの?」


 彼女がひっそりと息を吸うのがわかった。

 フィアリルはしばらく視線を彷徨わせたあと、意を決したように口を開く。


「聞いたんだよね? わたしのこと。今、王太子殿下に追われてるっていうことも」

「あ、知ってたんだ」


 そのことが気になっていたのかと納得する。知っているなら話は早い。


 明日にはここを出ないといけない、と言おうと口を開いたところで、フィアリルがぽつんと呟いた。


「やっぱり、帰りたくなった…………?」

「え……?」


 フィアリルの声に涙が混じった。


「……引き返すなら、今だよ……」


 ぎゅっと布団を抱き寄せて顔を隠して、必死で声を平坦にしようとしているのがわかる。

 ルーベルに、これ以上背負わせないように。巻き込まないように。


 その小さな肩は―――これまで国を背負わされてきて、やっと軽くなったばかりのフィアリルの肩は、それでもなお誰かを背負おうとする。


「まだそんなこと言う? 心細いくせに、意地張っちゃってまあ……」


 ルーベルが煽ると、フィアリルがキッとこちらを向いた。

 ものすごい剣幕だ。これは結構怒っている。

 でも


「あなたね! 今わたしがどんなに真剣な思いで話してるかわかって……―――!」

「ようやくこっちを見た」


 フィアリルをぎゅうっと抱き寄せる。

 かみつかんばかりに怒っていた彼女のまわりの空気がふわりと凪いだ。


「わかってる」

「…………」

「ちゃんとわかってるよ」


 フィアリルは自分の腕の中で泣いていた。彼女の熱く火照った頬をいくつもの水滴が滑り落ちていく。


「ごめん。なにか、不安にさせるようなこと、言っちゃったかな」

「さっき『これからどうするかな』ってっ……、言うから……! てっきり……」


 フィアリルと別れて、セントランドに戻る選択をするかもしれないと思ったのだろうか。


(そんなわけないのに)


「大丈夫。大丈夫だよ。君がどこに行くと決めても、俺はずっと君の傍に居る。いなくなったりしないから。本当だ。だから……泣かないで」


 好きな女の子が泣いているのに、俺にはこんな、『泣かないで』なんて、ありきたりな言葉しか掛けてやることができない。


「信じていいよ、奥さん」


 誓いの代わりにそう口にする。

 返事の代わりに、ぎゅっと抱擁が返された。

 しばらくそうしたあと、背中に手は回されたままで、ふっとフィアリルの力が抜ける。


「よ、よかった……」

「うん」


「……る、ルーベルの、ばか……ありが、とう……」

「うん」


「……巻き込んで、ごめんね」

「ううん」


 フィアリルは、そうやってしばらくのうち、ルーベルに「ありがとう」と「ごめんね」を繰り返した。

 抱きしめ頭を撫でながら、君のせいじゃないと言い聞かせる。


 どうやら思っていたより奥さんは泣き虫みたいで、その晩はフィアリルが泣き疲れて眠ってしまうまでそうしていた。


 そしてやっぱり寝る前の枕投げはできずじまいのままだった。

 星明りに照らされて、刻々と夜は更けていく。



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